長篠の戦いの後に武田が滅亡しないためには
甲府15万石を北条に割譲して、自らは、武蔵川越8万石に減転封を申し出ろと、土岐頼曖が 織田信長の畿内平定の後ではどう動いたって分が悪い。勝頼はビビらずに上杉謙信が生きていた信長第三次包囲網に参加して前勢力を上げて西に進軍する。
これしかなかった。
上杉謙信が死んでも、そのまま西に進軍。
たらればだが、どうせ甲斐侵攻してくるのだから、もう一回織田に立ち向かうべきだった。
恐らく、全力を持って侵攻すれば打開できた可能性がある。 >>1
結論を先に言うとどうにもならん。
長篠で武田は滅び、あとはゾンビ大名として腐臭を放っただけだから。
ただ、北条と組んで越後を上杉景虎で固めれば、織田・徳川だけを
相手すれば良く、もう少し持った可能性もある。
あとは、勢力の整理も必要。
高天神城のような戦略価値を失った負の遺産は手放すべき。 第3次信長包囲網のときに織田に寝返るしかないな
最大のネックだった秋山も死んでいるし
松姫を嫁がせ信勝を人質に出し駿河を割譲甲信安堵で武田軍は信忠軍団の傘下に入る
要するに宇喜多と同じ選択 長篠の戦い後に、大名の自主廃業を決定し、相模に退去することをお薦めします 謙信を頼ろう。合併して、巨大な上杉領を作る。
あとは謙信に長生きしてもらおう。 御館の乱でちゃんと景虎を支援して北条との同盟を維持することに尽きるだろ >>7
高天神城=バハムトみたいな感じはするな
ただあそこ見捨てると駿河遠江の豪族共が徳川に寝返りそうだが >>16
景勝「味方してくれるなら莫大な金と東上野あげる」
勝頼「しょうがないにゃあ」 上杉を景虎が継いだとして織田は史実通りに越中に攻め込んでくるわけだが
景虎が織田と和睦したりして北条と景虎が武田裏切ったら
武田は史実より酷いことになるわけだが
謙信が死んだのがターニングポイントなのは間違いない
謙信は梅干し食いながら酒飲んで死んだらしいから
甲斐の煮貝でも送って少しでも塩分減らすしか・・・ >>19
酒飲みは舌馬鹿になってるから塩ドバドバかけてつまみにするぞ まあ北条は戦ではあんまり当てにならんけどな
兵が弱いから >>21
とはいえ織田徳川と戦争中に後ろの北条が味方かどうかは重要
北条と手切れしてなければ遠江、駿河方面で徳川に一方的に領土削られ続けることはなかったと思う 北条いてもちょっと無理ゲーっぽいけどな
氏政信長にビビりまくってたしすぐ裏切るだろ 御館の乱の後で東上野は北条ってことで
景勝は関東管領返上してもう関東に手を出す気はないと約束して
上手くやれなかったのかねぇ
そもそも氏政が景虎本気で支援する気ないから三国峠なかなか越えなかったんだろうし ちょっと調べてみたら氏政1580年に織田家に従属してたし川に落ちた犬はわざわざ拾わないだろうな 信玄と謙信が同盟組んでりゃ信長なんて一瞬だったんだがなぁ
信長も組まれたらまずいからヘコヘコ面従腹背外交してたわけで 謙信は足利将軍追放した信長とずっと同盟してたからなぁ 信長が浅井、朝倉滅ぼしてさらに加賀まで制圧したから
謙信が一向宗と和睦する下地ができた訳で
1572年の時点では謙信が西進するのは不可能だよね 毘沙門天だの摩利支天だの言ってないでさっさと和睦してりゃよかったんだよな 日本と中国で戦争してたらアメリカとソビエトが参戦してきて滅亡しました的な内輪揉め感がある 結果論で言えば1581年に信長と和睦しようとするくらいなら
1573年の時点で信長と和睦しとけって話で
岩村城返して織田信房も返して松姫を信忠の正室に差し出せば何とかなっただろうに 第二次織田包囲網の時に織田と和睦するチャンスあったんじゃなかったっけ?
あそこが最後のチャンスだな
まだ信忠に嫡男生まれる前だし松姫送り込んで嫡男生まれたら
勝頼は信忠の義理の兄で信忠の子供は武田の血引いてるし安泰だったろうに
その代わりキレた謙信が川中島に出て来るから結構地獄だろうけど 北条と仲良くするに尽きる
北条と手切れした時点で詰んだんだから
金と東上野の領土にホイホイ釣られた勝頼の外交センスが無さすぎた そもそも東上野はとっくに北条が接収してて
武田が上杉に譲られたわけでもないよね? >>36
いや一応勝頼が持ってて武田滅んだあとに北条と徳川で取り合いになったらしい 武田滅亡
信長上野支配
本能寺で信長死亡織田家瓦解
滝川一益北条に破れ伊勢に逃亡
北条徳川で旧武田領地を巡って戦い、真田昌幸やら上杉景勝やらも絡んでくる
すったもんだあったあと甲斐信濃を徳川、上野を北条にという条件で和睦
北条と真田が揉めて北条が秀吉に攻められ滅亡 >>35
ただ、勝頼があのまま景勝側と戦ってたら、かなりの痛手も
受けてたはずだぞ。
それによって徳川による武田領侵攻も更に激しくなって、かなり
苦しくなってたはず。
結局、織田信長に土下座しまくって許して貰うしか武田が生き残る
方法は無かったと思う。
>>36
そういう話じゃなく御館の乱勃発時の話でしょ
当時は武田は西上野抑えてて御館の乱で北条が東上野確保したって話 しかし景勝が勝頼に譲渡したという話が出てくるけどな
文献によって違うのかな 家康の立場が悪くならない内に徳川と和睦交渉
隙を見て北条を攻撃 岩殿ではなく上州岩櫃城に逃げれば良かったんじゃね? そっちはもう武田信豊が逃げてる
勝頼まで北に逃げたら織田軍の総攻撃を受けて武田家が滅びる
勝頼と信豊で全く逆方向に逃げてどちらか片方、というか信豊は生き残るようにしたんじゃないか
結局全滅したけど 結局、どのパターンを考えても信長に許して貰う以外に
滅亡を回避する手段が無いんだよな。
上杉景虎側に味方して景勝側とガチで戦ってたとしても
痛手は避けられないし、高天神落城も避けられないし。 御館の乱も景虎が優勢ならまだやりようもあるけど話によれば景虎は春日山攻撃に失敗して戦力の大半を失っていたから正直期待できん
武田軍だけで春日山攻撃とか無理だろうし景勝と織田が組んだら終わり 増税したら木曽義昌寝返ったんだから
減税すればOK >>47
講和って相手が認めないとできないからな
武田は信長と仲のいい佐竹に講和の仲介頼み人質の信長の息子も返したけど相手にもされなかった
柴田勝家が小笠原貞慶に送った手紙にも勝頼が信長に許してもらおうと貢物持ってきて相手にもされなかったのが残っている ほんと信長はちっちゃいよな
本能寺で殺されるのも納得やな 信玄への憎悪がそのまんま武田に降り注いでるんでしょ だからそれがちっちゃいんじゃん
息子と典韋を殺されても張繍の降伏を許した曹操のような器の大きさが欲しかったね >>55
器の大きさなんて関係ないよ。単に信長に受けた方が得であると思わせられなかっただけの話
具体的な講和(実質的な降伏)条件が残ってないからその点は評価できないけど、少なくとも売り時は完全に逃してる。袁紹との戦いを控えていた曹操とは条件が違いすぎるね 穴山信君とかは許してるからね
ただ宗家は許さんというか許せない
友人風吹かせて背後から斬りつけてきた奴の一族だから危険過ぎる
大義名分が大事、ってのはこのことよ >>53
武田みたいにころころ同盟相手を変えるようなのは信用されなくて当然だろ 長篠後の武田は既に信長にとっては
後継者の信忠に箔を付けるための絶好の生贄だからわざわざ助けんでしょ >>55あんまりほいほい許すとそれはそれで簡単に寝返るから駄目
あと信長もわりと許してるぞ
松永久秀も何度も許してるし荒木も許そうとしてた荒木なんて後から入った余所者なのに国持ち大名にしてもらって好待遇だった
源頼朝、義経殺さなかったため滅びた平家の件もあるし一概に許すのも考えもの
豊臣だって徳川に乗っ取られてる
長続きさせたいのなら厳しくないと駄目
だから曹家なんて短期政権で終わった
漢王朝の劉邦、明の朱元璋と長続きした王朝って粛清したおかげで長続きしたというのもある。もし英布、韓信、彭越その他の劉一族じゃない王をそのまま王にしてたら八王の乱みたいになって弱体化し異民族の侵入許してたかもしれない。
徳川だって西軍についたの島津以外取り潰しか大幅減封させたけどその許した島津毛利に徳川政権終わらさせられた あと弟についた柴田、林も許してるな
信長=許さないでは無いね 佐久間信盛も林秀貞も安藤守就も丹羽氏勝も他にも居ただろうけど
とにかく適当な理由つけられて大量解雇された 謙信が死ぬ前ならワンチャンあったんじゃないかな
松姫信忠に輿入れさせて川中島で謙信牽制してれば
信長も邪険には出来ないだろう
問題は全盛期の謙信が川中島出てきたらボロボロの武田軍ではまともに戦えないことだが
海津城に籠城して信長の援軍待つしかないな 謙信が死なない
本能寺的なのが史実より半年前に起きる
残念ながら勝頼が能動的に動いてどうなるって策は一つもない
全て他力本願 >>65
戦に継ぐ戦で国人衆も直臣も民衆も勝頼を憎んでいたからな
人心が離れきってた >>66
でも戦で領土広げないと付いてこない奴らばっかだったし矛盾してるよね 未だに信玄が死ぬ前に織田と同盟破棄して攻め込んだのが
勝頼滅亡の原因って言う歴史学者少ないよね
強すぎるから滅んだとか訳の分からん引用でお茶濁してるけど 借金作ったのが先代でも潰した当代が悪く言われるのが世の常
甲陽軍鑑も勝頼はカネに目が眩んで北条を敵に回したって悪く言ってるが同じく欲に目が眩んで今川と徳川敵に回した信玄は悪く言わないもの 借金作ったって言っても信玄の場合は全財産カジノに突っ込んだレベルだからなぁ
将来のために投資して裏目に出たとかじゃ全くなく 戦争続きで国が疲弊したってのも信長・家康を信玄が敵に回した以上勝頼の意思や能力だけで何とかなる問題じゃない
信長を殺せば終わったかもしらんけどそんなチャンスを得る前に武田の国力が尽きた訳で 信玄は勝頼には自分ほどの力量はないと見ていたんだろう
だから遺言で固く守りを固めろといった
しかし勝頼はそれにかちんと来て武田信虎のような愚政をひいて武田を滅ぼした 信玄が敵にしてくれた織田徳川が攻め込んでくるのに守りを固めるもクソも無い >>72
その理屈なら織田との同盟堅持して
徳川とは富士川国境でもめごと起こさず
北条とも同盟した状態で勝頼に継がせるべきだわなw >>74
北条とは同盟してたでしょ
御館の乱で欲に目が眩んで北条に同盟破棄されたのは勝頼の失策 三方ヶ原ん時は十分勝ち目あったでしょ
信玄死んで引き上げて腑抜けになったのが失敗 あるわけない
織田を滅ぼす事はおろか徳川すら倒せないのに >>72
義兄を騙し討ちして滅ぼして姪を側室にして産まれたのが勝頼だからそもそも信用も何も無い
呪われたスタートの勝頼が悲惨 家康が絶対逃げ切れると作戦を組んでたから信玄の戦略に間違いあったとしか 北条って例えば景虎が上杉継いでたとして
上杉、武田と共に信長と戦う気あったのかね? >>82
偶発にしろ故意にせよ戦が始まったのは夕刻だからね
戦場は徳川のホームで時期は1月なので戦が決まる頃は真っ暗だから肝心の追撃戦が決まらなかったわけでもともと家康を討ち取るのはかなり困難だった しかもちゃんと追撃部隊を妨害出来るルートを選んで10キロ先の浜松に逃げ込んだ 言うに決まってるだろ
三方ヶ原はこの一戦で雌雄を決する、って戦じゃない。まだ戦いは続く
家康からすれば「信玄を攻撃した」という事実が重要で信玄を殺すor死なんていう瀬戸際じゃないってこと
だから攻めて勝てばよし、もし旗色悪ければ安全に本拠地に逃げ込む
ここまで全部絵図を描いて初めて「作戦」なわけ
勝利か死かなんて方が実は作戦とは呼ばない >>87
すげー早口で青筋立てながら言ってそうでワロタ
自分の主張否定されたらキレる奴多いな
そういや夏休みか 家康が本気で信玄の首を狙うなら奇襲しか無いしせめて夜襲を選択する
それを夕刻にしたのは信玄の首なんて狙ってない、というか「運が良ければ取れたら良いな」でむしろ負けた場合を考えていたのは間違いない
そこまでして戦争したのは上杉謙信に「信玄が遠江に侵攻したら家康はこれを遠江で迎え撃つ、そうしたら謙信も攻撃する」という同盟結んでたからなんだろう
約定を違えたら身は無事でも相手の違反も咎められず未来が無い
三方ヶ原は浜松から見て絶好の位置にある(距離も程よく遠く、妨害地点もある)のもポイントだったか
むしろ後が無い信玄の方が余裕ぶっくらこいてるのがおかしいけどまぁこの後滅亡する一族なんだし仕方ないか 戦場で大名を討ち取るとか奇跡のようなもの
桶狭間だって最初から義元の首を狙っていたわけじゃないよ 相手が予測もしない奇襲
包囲された
大軍が展開できない所で戦うはめになり
細い道のため戦ってるのはほんの一部で数の有利活かせず敵の別働隊に迂回され本陣狙われた
ぐらいやらないと総大将は死なない
そんな奇跡期待するようなやつは2流 長篠も山県が開けた穴に勝頼自ら突っ込むくらいしないとな >>94
有田中井手の戦い、第一次国府台合戦、小牧長久手の戦いとかもあるけど全部奇跡と偶然か? 小牧長久手は長期戦で先に動いた方が負けという
賤ケ岳でも柴田がやっちまったパターン
長篠は織田徳川が設楽が原に着陣した時点では普通に撤退できたのに
無駄に時間過ごした挙句設楽が原に本体移動させた武田軍って
何考えてんだろうなとしか言いようがない >>97
それらの戦は大名を討ち取る作戦を立てて見事大名を討ち取ったというの? 有田中井手の戦いは大名が先頭きって川渡りだした
第一次国府台合戦は自軍より多い敵が川渡るののんびり眺めてた
小牧長久手は総大将が初陣ってわけわからん奴 一人アホがいて笑える
総大将討ち取らなきゃ勝てない戦いの作戦ときた
そんなもん当の家康も狙ってないわ
こういうやつってアニメ漫画に毒されてて馬鹿丸だしだから止めたほうがいいよ
見てて痛い
アニメ漫画だと少数で総大将討ち取ってるもんね
馬鹿すぎ そもそも作戦ってのは上手く行った時と下手打った時を考えておくものだぞ
三方ヶ原なんてしっかり考え抜かれてる
それを作戦じゃないとか発狂して言われてもねぇ… 時と場所は武田が決めたんだぞ
本当はもうちょい先の道の細いとこで突っつこうって思ってたら
原っぱに布陣されて
戦うかどうか迷ってたら下っ端が暴発して勝手に始めちゃったのを
よく考えた作戦だとでも なんかスレタイも読めない中学生が延々と書き込んでる感じだな三方ヶ原 戦場で戦国大名が討ち取られた例
1517 有田中井手の戦い(武田元繁←毛利元就)
1538 第一次国府台合戦(足利義明←北条氏綱)
1546 河越城の戦い(上杉朝定←北条氏康)
1555 厳島の戦い(陶晴賢←毛利元就)
1556 長良川の戦い(斎藤道三←斎藤義龍)
1560 桶狭間の戦い(今川義元←織田信長)
1584 沖田畷の戦い(龍造寺隆信←島津義久)
1584 長久手の戦い(池田恒興←徳川家康) 信玄にも勝頼にも戦略眼が無い
それで無意味に危険な賭けをして結果滅亡した
信長にしろ家康にしろ負けたらどうするかどうすれば浅手で済むか考えてるんだからこの時点で勝ち目は無い
思考レベルを上げないと滅亡は変えられないだろうね 勝頼も相手が信長じゃなければ戦国大名としては標準以上の能力あるからなぁ
相手が悪かったとしか言いようがない
実際徳川相手には一方的に領土削ってたわけだし 孫子の兵法をまんま家康にやられて武田は織田・徳川・上杉と三面敵
徳川相手に勝ってるように見えて実は拠点維持出来ないので実態は一進一退
しかも家康は織田から経済的支援を受けてるから西三河をやられない限り無限に回復してくる
こんな中勝ち抜くなんて無理 >孫子の兵法をまんま家康にやられて
精神異常者はお帰りくださいw >>112
徳川どころか北条にも連戦連勝してるよ
この板やたら勝頼馬鹿にするけど
上野方面では一方的に武田が勝利し北条追い出し国衆や城主が武田に寝返りまくる
反攻作戦にやってきた北条軍勢撃退される
上野はほぼ武田のものになる
伊豆でも北条が作ったばかりの城が武田に寝返る。
水軍も連戦連敗
しかえしに甲斐に侵攻するも全て撃退され仕返しに武蔵鉢形城まで攻め込まれる
普通そんな弱いなら連続で寝返りなんて起きないよね
当時の人は北条やべぇ武田より北条だわとは思ってなかった
北条は武田だけでなく佐竹宇都宮も相手にしなければならずきつかったのは北条
で北条は織田に泣きついて「このままでは当家滅亡します。一刻も早く武田征伐をお願いします」と手紙送りつけた
武田征伐で北条が織田の快進撃を中々信じず最後の方で出陣し信長に怒られたのも武田の強さをしってたから そんな感じで長篠に突っ込んでいったんだろうなあ勝頼 結局のところ全て悪いのは信玄なんだよな
まず今川裏切って織田と同盟結んだことで織田は東美濃気にせずに上洛できるようになった
結果的に織田の勢力が強大化した
次にそんな織田と同盟組んでりゃ問題なかったが土壇場で裏切った
これで武田家で神格化されてた信玄の方針として織田と戦わなければならないという前提が固定化されてしまった
織田と戦うなら最初から今川に肩入れしとくべきだったし
今川裏切るなら織田とは戦うべきではなかった
結果論だが義信の言ってることが一番まともだったね >>115
単体では勝てなくても群体になれば勝てるっていうのは孫子じゃなかったか? 信玄が対信長で頼った足利・朝倉・浅井・本願寺よりも
家康が対武田で頼った織田・上杉の方が強かった 信玄と謙信の共通点
死ぬ前に信長を裏切って攻撃
後継者に予め家督継承せず息子が苦労
信長みたいに信忠に家督譲ってても死んじゃうこともあるけど >>120
足利→名ばかりで兵は持ってない
朝倉→アホ
浅井→所詮は北近江の土豪
本願寺→テロリストとしては強いけど 武田が撤退して動けない間に浅井朝倉滅亡したのがきついな 朝倉は地政学的にも伸び代だけはあったが信長上洛後は対抗しうるだけの地力が無いからノーチャンスやね はっきり言って毛利なんか武田の対織田戦で何の役にも立たんからな
遠すぎて
三国同盟で独伊が何の役にも立たなかったのと一緒で 武田って孫子の兵法を旗にしてる割には孫子の教えに刃向かってばかりいないか? 武田のもイメージ戦略だから中身は半分どうでもいいのよ
現代でも大きな組織だとトップの言葉とかテーマで掲げるだろ
個人的には信長の永楽銭の旗印はテーマとしても秀逸だと思ってる 勝頼の【大】の旗って大将って意味?
風林火山使わせてもらえなかったらしいけど てか毛利って織田と戦う寸前まで浦上、三好、尼子と尼子援助する山名にさらに従属してた三村も裏切り包囲網食らってて織田に泣きついて助けてもらい媚うって助けてもらってるから武田と一緒に織田と戦うなんて無理
大友との戦いは終わってるが隙見せたら攻め込まれるんで大友方面にも兵割かなきゃいかん
国境も全然接してないし義昭の誘いも断ってる
織田どころじゃねーんだこっちは状態 不可能なんだろうし運が悪かっただけかもだが
武田は同盟相手を見る目が無さすぎた まぁ本願寺が1580年に織田と和睦した時点でもう武田の命運は尽きてたな
同じ頃に北条も織田に従属してるし
武田の使い道が何もなくなった 徳川に上杉と同盟されて織田の切り崩しも失敗っていう割と窮地にいたせいで目論見がおかしくなってたんだろうけどちょっと甘すぎたね
勝頼の時代ではもうどうしようもなくなりつつあるけどなんか残ってるか?
御館の乱を奇跡的にまとめあげて武田上杉北条で同盟するのがラストチャンスっぽいけど >>132
越後長尾家→景勝(越後、越中)
山内上杉家→景虎(上野、関東管領職)
こんな感じでまとめられなかったんかね クソ弱い北条が三国峠越えて景虎に援軍出すとも思えんよなぁ >>135
氏政の合戦勝率まとめてるサイトある?
激弱な気がする 北条は相手より倍いるのに決戦避けまくるからな
こういう決戦避けまくる雑魚っぷりは数字じゃわからない
武田勝頼軍15000 vs 北条軍 40000
勝頼から引きこもってないで決戦やろうやの使者が来るもびびって決戦しない
上野から伊豆まで勝頼軍に連戦連敗で上野取られて反撃軍編成するも撃退され佐竹宇都宮とも戦う状態で信長に「当家滅亡」と泣きつき織田様に従属しますから武田征伐お願いしますと泣きつく
あまりの弱さに伊豆に築いたばかりの城が武田に寝返り北条に激震が走ると
当時の人間は北条オワコンだと思って寝返り続出
沼尻の合戦
佐竹宇都宮、北条裏切った下野上野国衆連合20000 vs 北条70000
これも倍以上いるのに睨み合いで終わるヘタレ
天正壬午の乱
上杉軍5000 vs 北条軍 40000
これだけ戦力差あるのに睨み合いで終わり南下。旨味のある海津地帯を取ることができず南下し依田信蕃の籠もる城でもなんでも無い三澤小屋に40000で攻めるも落とせず大道寺置いて甲斐に南下。これが裏目に出て依田信蕃がうって出て北条後方でゲリラ戦やり北条の兵站ズタボロ。真田昌幸まで調略される
またここでも北条の城攻めが下手なのが露呈 北条さぁ
お前戦えよバカなの?
政宗も謙信も信玄も信長も秀吉も家康も元就も島津も鍋島も長宗我部もみんな決戦避けてねーぞ
相手よりはるかに大軍なのにビビってんじゃねーぞ
そんなんだからお前に従属した国衆裏切りまくるんだよ
国衆からしたらお前スッゲー頼りねーもん
上野だってお前まともに維持したことねーじゃんかよ >>138
上杉憲政が越後に逃亡してから、1560年に長尾景虎が関白近衛前久を擁して関東に侵攻するまでの間は維持してたんじゃね? >>134
当人達は仲が良いのに野心溢れる家臣達がね…
戦犯兼続憲政小田切 北条も氏康までは勇敢に戦って戦果も出してたが氏政が・・・
秀吉も氏直は許したし期待もしてたっぽいが氏政は許されなかった
使えねーし信用もできんし 家康もビビッて武田軍が接近すると大慌てで逃げてたじゃん
勝頼公勇猛過ぎる スレタイに立ち返るなら第二次織田包囲網で謙信が加賀攻めてる時に
織田に臣従願い出れば喜んで受け入れられたと思うよ
滅亡しないという意味ではこれが正解
しかも松姫が1577年に信忠に輿入れするなら三法師より先に嫡男生まれた可能性もある
武田の血筋は織田家の棟梁の血筋として受け継がれていく 信長が武田潰す気満々だしどっかで絶対受け入れられない条件突きつけられて潰されてそう その場合は信忠と松姫の次男、三男あたりを武田信勝の養子にするとかでねじ込んでくるんじゃね? てか信勝も信長の孫だから(傍系だが血は入ってる)信勝と自分の娘くっつけて清盛コースもありそうなんだが… 勝頼!実は俺の同盟相手の家康んところにさ
今川氏真がいるからさ、駿河返してくれ
こう言われたらどうするんだ戦争するしかなくなる そこは松姫通して信忠に取りなしてもらうしかないな
信忠的には美濃、尾張の本領+武田がバックにいるのは心強いだろうし いうほどそこまで血縁の繋がりは無いだろ
利害で織田が武田を存続させるメリットが大きいかどうかだけ
特になければ潰すと思うが 信忠にあまりメリットがないかな父親の信長と仲が悪かったり織田家中で孤立気味だったりしたらともかく
というか普通に武田滅ぼしたほうが巨大な武功が手に入って部下に配る土地も確保出来るしでメリットしかない この話の前提って>>143だろ?
武田は織田のために謙信と全面戦争なんだから織田には十分貢献してるだろう 本願寺と和解前だからそう簡単にいらないと切り捨てられないだろうな 名家の諏訪家と婚姻関係結んでいたのに騙し討ちした武田家を信じろ言っても無理があるのでは?
将軍様騙しまくって謙信との約束裏切りまくってるのに >>154
その将軍様が勝つよりに呼びかけてんだが まぁ謙信激怒で川中島に2万くらいで押し出して来たら
1577年の武田には到底野戦する能力無いから
織田の援軍来るまで海津城に籠るしかないな
後は北条に頼んで北関東で牽制してもらうしかない この織田に臣従案のいいところは謙信死んで越後で内乱起きても
上杉自体が敵なので史実みたいな景勝に肩入れすることが100%起きないことだな
景虎どう扱うかだが織田に逆らってまで北条が景虎支援するとも思えんし
東上野奪って北条は動き止まるだろうし 武田家は信用ないからな
実情は戦国だからこそ約定だの義理だの重視してるからな >>157
その場合は信長は景虎を傀儡として取り込む打診くらいするのでは?駄目なら滅ぼして新発田を利用するだけで >>159
景勝は織田と戦い続けたけど景虎は織田に臣従して正当性保てるのかな? >>160
そこも含めて試される
従わなければ潰すだけで どうだろうな
信長も1582年の時点では毛利や長曾我部は踏みつぶす気満々だったけど
北条はあのまま臣従させてるし東北や九州の大名も臣従すれば潰す気なかっただろうし 平安時代から続く清和源氏の名門をたかが守護代の家老の出の分際で根絶やしにしようとしたんだから本能寺の変も起きるわな
せめて足利や本願寺みたいに追放程度で済ませてれば結果は違ったかも 根絶やし令出してないじゃん
信忠が使者まで立てる正当な方法で松姫を御台に迎えようとしているのだから根絶やしにする気すらなかったろ
松姫の母親は武田嫡流に極近い油川だから見ようによっては武田の本来の流れに戻る布石でもある 名門はある程度は尊重するがそこまで重要視するわけでもない
貴族や坊主などは部外者扱いできるが武家の名門とか武力の前ではどうでもいいやろ
武田を残す理由は無いからな 穴山の存在があるから残す理由はないというのは言い過ぎなんでは? 地元のまとめ役を根絶やししたら後の統治が大変だろ
利益もたらすなら話しは別だけど 穴山は武田名乗ったりちょっとウザかったから家康に殺されました 家康「うあー穴山が死んじゃったー(棒読み
家康「河尻さん仲良くしよーよー(棒読み
家康「甲斐ゲット!!」 穴山が死んだのは自業自得として
敵地で苛政を敷いてしまった川尻さんは何故あんな強気だったのか
早く逃げんかい >>176
戦前の歴史本を前に読む機会があったんだがそこには有力な武田遺臣(助命された一門らしい)が戦後処理や内政補佐、遺臣間のつなぎやとりまとめ等を河尻とやっていて変後も混乱収めるために地元民と踏ん張ってたとあって河尻塚も懇ろに供養されてきたとあるから苛政してたかは怪しい、禁制の類とも反する
上野か服部かは忘れたけど戦後に入ると織田憎しが強まったように見えるのが気になっていると指摘してた 信長が武田に苛烈に当たってるのに川尻がそれに叛ける訳ない
つまるところ信長が死んだ時に「川尻は違った」と言ってもらえる様に好感度稼いでいたかっていえば正直怪しそう。そんな好感度あったら武田旧臣連が川尻のところに集結してたはず
少なくとも武田領内でのんびり出来る身分じゃないだろうに 浅井朝倉や荒木みたいにされたわけでもなく普通の処刑方法ばかりなのにどこか苛烈なんだか 織田軍逃げなきゃ殺されるーてっ真っ先に逃げたけど同じく制圧したばっかの中国と北陸は何もない。加賀なんて一揆の国なのに
森長可はやばかったらしいね
入ったばかりで殺しまくり恨み買ってる
信濃なんて別に武田に征服された国だから別に武田でも織田でもどっちでもいいのに 圧政者が死んだ途端に反乱が起きたなんてのは古今東西ありふれた話で信長死後に織田憎しが強まったのは自然な話では?
織田による武田領統治が僅かな期間で終わったので逃走していた武田家臣団が一斉蜂起したから唐突に見えるかもだが 流石にそれは知らん
武田領民が織田を憎んでたのって戦後の話とかじゃないし そもそも武田を見捨てたのが甲斐の人々なわけだが
勝頼末期には重税で武田領内の農民は苦しんでたし
信廉や一条信龍なんかは甲斐で残党狩りで見つかって首はねられてるし
勝頼だけが嫌われてたわけではないし
なのに急に後で織田憎しってことになるのは戊辰戦争後の会津に共通するものがあるな
実際は徳川が農民反乱煽って体よく河尻殺したってだけでしょ
武田遺臣抱え込んでたからこいつらら使って一揆起こさせて
河尻の件は徳川による捏造だろう 既に北条が地元の一揆を味方にして旧小山田領の郡内地方に進駐してるのに川尻はなんの対処も出来てないもともと領内掌握が怪しかっただけ そもそも占領地に苛政を敷かない方が難しい
特に信長は武田旧臣を見つけ出して殺そうとしてたから
ところが本能寺で信長が横死した事でこれが織田勢力へ跳ね返ってきてしまった
武田旧臣が彼方此方で挙兵すると織田では止められない
河尻はこの急転直下の変動に思考がついていかなかった >>186
苛政の事例あげてみ?
残党狩りと違反しまくりの森以外で >>186
この理屈だと上野の滝川が負けたとはいえ
明らかな劣勢で上野の豪族味方に付けて
一度は北条軍撃退したことが説明つかんよなぁ >>187
それを苛政って言うんじゃないですかね…
この手の問題って基本被害者の言葉が全部なんで
発給文書みても宣撫的要素ないもんなぁ 結果的に逃げたが森みたいに即逃亡でも
河尻みたいに訳の分からぬまま討ち取られてた
みたいなのじゃなくちゃんと戦って負けて上野追い出された そりゃ何倍もの敵を何度も撃退出来ないだろ
桶狭間連発するようなもんだ というか最初から上方へ行くと宣言してた気がする…
上野は織田・上杉・武田・北条と諸勢力が乱入した土地だから調略もしやすかったろうけどそれでも維持できる程の支持は無かったのだろうか >>188
たしか甲斐と違って上野の国衆は基本的にそのまま所領安堵されたからじゃ? 上野の国衆は北条裏切ってるから帰りづらいって言うのもある
出戻りすると何もされないというわけではなく領土削られることが大半だから
あと家督譲るのもやられて隠居する羽目になる 森はヒャッハー、川尻は武田残党狩りをウッキウキでやってたのに比べて
滝川は俺は関東の事は何も知らないから助けてくれって
国人達を持ちあげてたみたいだし好感度は高かったんじゃないの?
まぁこれは社交辞令と言うよりガチで困ってたみたいで
家臣にいつ寝首かかれるか分からんと愚痴ったり
信長に地位も財産もいらないから隠居させてくれって泣き入れたりしてるし >>196
河尻が残党狩りをウキウキでやってたというソースは? 河尻は最期の最後で道を間違えた感がある
旧武田家臣が徳川を主人と仰ぐ中徳川家臣を殺害したら復讐したがってる武田家臣の思う壺
徳川を敵に回して家来が殿様に愛想尽かしたとか武田領から兵を集めていてクーデターされたとか言われてるけど流れを見誤ったのは痛い 河尻は河川整備したりやる事やってるから家康の古狸が炸裂しただけだと思う
歴史は勝者が作る物だし 家康は関係無いだろう
何故なら家康の家臣が死んでるから
家康が如何に強大とはいえ家臣を死なせる余裕は無い
もし甲斐が欲しくて秀隆が邪魔なら有無を言わさず武田軍に殺させてる
仮に殺したとて家康が非難される証拠は無いのだから ある意味明智がもうちょっと粘ってれば家康も甲斐争奪戦に出遅れて歴史変わってただろうな 川尻56すなんてリスク冒してまで甲斐なんて欲しい土地か?
万一バレたら織田家臣団から恨み買って将来、氏政みたいに攻め滅ぼされるかもしれんのに
家康は駿河で育って甲斐が如何に過酷な土地かは年少期から見聞きくらいしてただろうし、
甲州征伐で実際に甲斐に入ってみてそれは確認できた筈
仮に家康が一枚噛んでたとすれば何か抜き差しならない事情があって領土的な野心からでは無いと思う >>203
本能寺の変が無かったらだな、責め滅ぼされるのは 本能寺後にどこに勢力伸ばすかって考えた結果でしょ
火事場泥棒的に尾張ってのも可能だっただろうけど
その場合は旧織田家臣団を敵に回すことになるわけで 領土的野心関係なく甲斐を取らないとマズい
織田が武田領維持出来ないとなれば黙ってたら北条が取ることになる
そうなりゃ次は駿河にくるのは必定 同氏頼って佐竹の近くでひっそりと甲斐源氏の血脈残すべ。 天庵様の家臣になり彼の謎のカリスマの虜になって粉骨する勝頼 家康は甲斐への野心ありありだよ
平山優『天正壬午の乱 増補改訂版』126頁以下を参照だよ 野心関係無く家康は甲斐を保持しないといけない
北条に取られたら次は駿河を攻撃されるから
織田が保有出来るならそれでも良かったけど総崩れだもの 霊視系の動画で武田と頑張って戦ってきたのは徳川だから徳川あってこそ武田を滅ぼせた、だから本領をもらうべきは徳川で家臣も徳川のものと思っている。織田が何をしてきたとも思ってる。
それぐらい家康はしたたかというのを見たことある
オカルトですまんが案外言い得て妙かなと 家康が傍観してたら甲斐は北条の手に落ちる
そしてそれは徳川領が北条の攻撃に晒される事を意味してる
そして織田は武田民に嫌われていて蜂起を治める術が無い
ってなれば甲斐を取るしかない
河尻秀隆も家康が安堵状を発した事をもっと深刻に受け止めるべきだった ここはみんなの落書き帳だ
長篠の折、夜な夜な陣を抜け出しては
三味線弾きの村娘とよろしくやってた勝頼公の恋愛事情とか書いちゃえ書いちゃえw 勝頼は幼き頃の記憶にある母の幻像を追い求めて高齢老婆が好きなんだよ どうすれば信長家康を討ち取った首でボーリングできたか考えようぜ 北条の方は聖人か何かかと思うくらい出来た奥方だったからな
勝頼の嫁と言うより母代わりになってたかも知れん 甲越相三国同盟さえ維持してさえいれば信長の矛先は毛利や長曾我部に向かうから謙信に景虎を北条に帰国させるよう求めるべきだな
無駄な内戦を回避して景勝が継いでも国力を消耗しないで済む。 いうて謙信って武田と和睦するのは良いけど北条とは断固拒否してるし 代替わりすれば景勝は北条を拒む理由も特に無いからいいじゃん 御館の乱自体上杉を掌握したい北条の策謀って話もあるし
景勝で一本化決まってたところを横車押したっていう >>221
謙信が北条氏政と越相同盟を結んだ事実は、
君の歴史知識から抜け落ちてるのか? その同盟したこと謙信後悔してるって書状に残してなかったか?
だから勝頼とは和睦してやってもいいが北条とは嫌ですと 今日迄者、存分之儘ニ候、三ケ国無事之儀、是者謙信存分之旨候間、於越・甲計者可応上意候歟、相州於可被差添者、被致滅亡候共、亦得御勘当候共、無二存切候事(上越市史』一三一〇号)
謙信によると武田と和睦するのは構わないが北条と和睦することはできない、拒否した結果上杉が滅亡しようが足利義昭に勘当されようが仕方ないことです、ってことなので謙信が生きてる限り上杉と北条は同盟なんかしないだろう
謙信最後の動員も北条攻撃だったはずだし 謙信もそこまで北条が嫌なら景虎なんかとっとと追い出せばよかったのにな
後々北条に介入されたり内紛の素になることぐらい予想できただろ そもそも北条と戦う事を条件に上杉の家名と関東管領を譲られたようなものだから北条と和睦したら存在意義を失う
実際、越相同盟を結んだ事で関東衆からは完全に見放されて関東での活動が全く出来なくなってしまった 景虎を握ってたのは哀れに思ってたか、もしくは北条から人質を取ったトロフィーだったからか
一説には謙信は景勝を後継に実質指名していたらしいしまさかそれが死後爆弾化するとは思ってなかったんだろう 景勝には越後国主を、景虎には関東管領職を譲ろうと思ってたのでは 仇敵北条が差し出してきた人質なんだし返す気になれないんじゃないか
返すくらいなら殺すだろう 北条と和睦するぐらいなら滅びたほうがマシとまで謙信が言ってるのに殺せなかった
上杉に置く必要なくね? そら北条からの人質なんだから「北条は上杉より下」「上杉こそ勝者」を体現する重要な存在だし 謙信って無計画に養子をたくさん置いてるからな
単純に何も考えていなかったんじゃないかとすら思える
それに景虎に関東管領を継がせるとか有り得ないと思うのだが
正統な山内上杉の血統が家中にいるのに、山内上杉を潰した仇敵北条の子供に継がせるとか頭が狂ってるとしか思えない >>238
あり得ないとか言われても、御館の乱で上杉憲政は景虎を支持してたからなあ 保守が建前の自民党が反日朝鮮カルトに牛耳られてるとかあたおか案件は多数存在してるしね >>239
別に支持はしていないでしょ
景虎方として戦った事実はないし
和睦させようとして巻き込まれただけで 少なくとも謙信は北条を憎んでいて同盟するくらいなら死ぬ覚悟だった
周囲の人物までそうだったかは知らん 越相同盟は完全に失敗だったからな
同盟について関東衆からは猛反発を受けたけど強引に締結したため見放されて完全に面目を失ってしまった
それ以後はまともに関東で活動ができなくなってしまったし
おまけに同盟も役に立たず直ぐに破れて結局は失ったものはたくさんあるけど何も得られなかった
あれでもう北条とは絶対に組まないと決意したのだろうな 関東の諸領主からしたら北条の侵攻を止めてくれるの上杉くらいでその北条と上杉が同盟しちゃったらどうやって北条と戦えばいいんだかって話だしねぇ 信長の野望やってて少勢力潰そうとすると上杉か北条のどちらかの大軍勢が出張ってくるからなw
うまくできてるわ というか北条を倒すから参陣しろと言われて犠牲を払ってきたし北条方についた勢力も潰してきたのに
やっぱり北条と同盟結びますとか意味不明すぎるわな
今までのは何だったんだと言う話 >>235
氏政は謙信のガチホモ性癖をある程度把握してて、それで北条家中で
一番イケメンな人間を人質として送った可能性は大いにあるんだよな〜 謙信が生きている間は上杉と北条は同盟しない
謙信が死んだら上杉の御家問題に嘴突っ込む北条をどうするか >>241
自分の館を景虎に拠点として提供してる事実があるんだから支持してたと言わざるを得ないだろ
景勝もそう認識してたから憲政を殺害したわけだし >>249
そんなのは匿っていたのかもしれないし、逆に押し込まれてどうにもならなかったのかもしれないし今となっては分からない
それに景勝にとっては憲政親子なんて目障りでしかないし殺したい理由はいくらでもある
実際、交戦の意志が全くない憲政親子をどさくさに紛れるように殺しているし その場合武田は上杉北条同盟と戦争しないといけなくなる
関東の領主の為に周囲全部敵に回せるか? >>252
この頃武田は北条に対抗して常陸の佐竹や下総の梁田と同盟してるし、小田原城包囲→三増峠の戦いとかもやってるだろ だから甲越相三国同盟なんて不可能って話
関東の領主にとって武田上杉北条がどうくっついても問題ではないけど三国が一つになることは許容できない
許容出来ないから政治的軍事的に対立させようとするし三家もそれぞれの思惑で動くから一つになることは無いと REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 素朴な疑問だが。新府城を作ったところで結局は大軍に包囲されて三木城や鳥取城と同じことになると思うんだが。 >>247
景虎がイケメンなのは所謂俗説
本当は氏政の実子を人質にとの話だったのを嫌って弟を送っただけ
アホが北条は兄弟仲が良くて〜とか言ってるが実子の代わりに人質に送るは御館では見捨てるはでそんな事実はない >>257
新府城は名前の通り新しい武田の中心となる場所なので、基本的に防衛の
拠点となることはない。逆にそうなる場合は諏訪と駿河が両方落ちてる
くらいなので包囲される時点で武田はほぼ終わってる 城を包囲するのにコストをかけさせた時点で役目は果してる 新府城は南側が険しい斜面になっておりまた隣を川が流れていて堀も作れる。駿河方面とは交通も良く迅速な軍事行動も可能で攻められても堅い
反面北側が平坦で弱点となっているがここも城砦群を構築すれば問題は解決する
短期的には対北条・徳川に強く、長期的には難攻不落の要塞になる ただそんな城が何故役に立たなかったかと言えば
織田徳川の総攻撃で北からも南からも攻められる事になって未完成の新府城では防衛不能だったのと
視点があまりに長期的なところにあったのですぐに攻められたらどうするかという視点が足りてなかった >>257
どうだろ。過去には浅井亮政が何度も六角に小谷城まで攻められたけど耐え切り引き返すと奪還、尼子も元就も本拠地まで攻められたけど耐え切り相手が引き返すと奪還
北条も島津も支城で耐え切り後詰めとはさみ撃ちにして撃退し1590年代の小田原城ほど強固じゃなかった小田原城も謙信、信玄に攻められ耐える
そして信忠軍は急ぎ過ぎたため兵糧不足でまだ寒い時期で凍死者も出てる
上杉軍の援軍も出る予定で甲斐に向いてる信忠軍の背後襲われたら退路塞がれ補給もできず壊滅してたかもよ
信長が何度も信忠、滝川、河尻に進軍止めろと警告したのはその危険性があったから >>263
信忠ってありえないぐらいな不運も重なって武田軍が総崩れしたお陰で有能扱いされてるけど
条件が少しでも変われば囲まれて討ち取られてた可能性が高い猪武者だよな
本能寺の時の対応を見ても信長と違って意地を張って逃げ遅れるだろうし
そうしたら信雄以下の評価確定で面白かったのに >>264
長期包囲されて兵糧攻めにされたらどうしようもない。 >>265
ただあの速攻が武田の心情を粉砕したって面もあるからね >>261
> 反面北側が平坦で弱点となっているがここも城砦群を構築すれば問題は解決する
真田丸みたいなのを作って真田昌幸が立てこもれば新府城は長期間持ちこたえる事ができたとは思うが、それでも兵糧が尽きた時点で落城なわけで。 新府城に大量の資材を備蓄するつもりだったんだろう
それが成る前に攻められた、勝負にならない そもそも穴山が裏切って駿河口が破られた時点で勝負ありでは
新府城が健在でも甲府盆地を奪われたら意味無いし ・真田昌幸に全てを託す
・籠城というより上田合戦のようにゲリラ戦を駆使して掻き回して泥沼化させる
→そうこうしてるうちに本能寺の変みたいなのが起きて織田が撤退するのを待つしかない 昌幸からすればそこまでする義理は無い
越後か関東に勝頼一家を逃がして降伏するやろ
さすがに自分を取り立ててくれた勝頼を56す真似はできないだろうが
勝頼の為に勝ち目の薄いギャンブルは家臣がついてこない 信勝だけでも昌幸と同行させるべきだったよな
信長の縁者だからいざとなったら切り札にもなるし 正直将一人で何とかなる状況じゃないと思う
高遠城が一日で落とされてる訳で織田軍は本気だし領民の中にも織田につくものが出てくるほど
戦略眼が相当無いと凌ぎきれない 一番糞なのは朝廷に何かしたわけでもないのに朝敵にした正親町 >>275
数百年後何もしてないのに朝敵にされた徳川家 >>275
朝敵なんて負けた者に後付けでされちゃうものなんだよ
安徳天皇を奉じてるのに朝敵とされた平家一門
後白河に命じられて平家を都から追ったのに朝敵とされた木曽義仲
後白河に命じられて木曽義仲、平家を滅ぼし頼朝を討とうとしたのに朝敵とされた源義経
後鳥羽に命じられて北条義時を討とうとしたのに朝敵とされた藤原秀康、三浦胤義
南北朝時代なんか南朝からの綸旨まで利用されたからもう誰が朝敵なんだかグチャグチャだし 新府城はそれ自体はかなり優秀
水運もあるし駿河と直通、近くには勝頼のバックボーン諏方がある、仮に北条が攻めてきても険しい南面に突っ込む羽目になる
問題は北面の防御壁も出来てないというかつくれないのにこんなの作ったこと 新府城作る苦役のせいで豪族や民百姓の心が勝頼から離れた 武田の国力、産業の弱さがモロに出てる
織田徳川北条と戦争する以上どうやっても増税な訳で
カネを産む何かを見つけられなかったのが運の尽き 信玄が今川との同盟を堅持しておけば
人脈が豊富でビジネスセンスに長けた氏真とタッグを組んで
一旗揚げる事も夢では無かっただろう
返す返すも信玄のせいで勝頼は苦労した 家康と言う関わった大名すべてが没落する疫病神を一番に叩き潰すべきだった 三河を取れないから無理
武田領から山路でしかも遠過ぎる
遠江で小競り合いしても武田が貴重な血を流すだけで徒労 織田と手切れしたのが最大の悪手だよな。
織田はもちろん謙信存命中の越後とは極力友好に努めるべきだった
長篠も金掛かる新府城築城も回避できる。徳川単体なら雑魚だし北条然り 徳川が織田上杉と同盟して攻めてきてるんだから織田上杉と敵対しない為には徳川との友好関係が大前提になるな 信長が信玄にガチギレしてることを知らなかったのは痛かった
ただそれ以上に武田家中に織田恐るるに足らずという風潮あったのが痛い なまじ三方ヶ原で織田徳川連合軍に勝っちゃったのが仇になったのか 東美濃侵攻が完全敵対行動だし信長側が被害者なんで許せんだろ
信長にしてみれば武田には礼を尽くしてた感じやしな ソースは無いが武田信玄と北条氏康が戦ってた時に徳川と上杉に武田攻めないように信長が根回してたんだろうな
1569年に毛利元就も包囲網食らって信長に泣きついて山名攻めてもらってるし
この時期の信長は諸大名から頼りにされてた。将軍と朝廷も使えたからな
あの好戦的な徳川が黙って見てたのと
信玄から信長に「上杉と戦うことになったあかつきには味方してくれるとのこと。感謝します」の手紙があるからそういうことなんだろう
ここまでしてくれた相手に北条と再同盟して後顧の憂いが無くなったら恩人が絶体絶命のピンチに筆頭となり攻めてきたらそりゃ許さんわ 信長の家来と思っていた家康が散々嫌がらせしたのを放置した上に比叡山焼き討ちにしたのが許せんだろ
それに守護大名である武田は義昭と信長が対立したら当然義昭の要請に応えるわな
どこの馬の骨ともわからん信長なんて一応同盟してやってたけど本音はどうでもよかったんでしょ 信玄在命中はまだ義昭とノブは決裂してないぞ
三方原後も義昭は信玄にもうメンツは立っただろって徳川との和睦を打診してる
むしろ本願寺あたりに織田と戦わないと一揆を起こすぞと脅されてたんじゃないかと 一向一揆が謙信と和睦する時に長政が和睦はやめてくれせめて信玄と相談してくれと言ってるし
結局一向一揆は降参して信玄大ピンチという 結局信玄も顕如にいいように踊らされて捨てられたのか・・・ >>292
遠山が武田に信長をどうにかしてくれと言ってるから
東美濃に関してはどっちもどっち
強いて言うなら信長の方がやらかしてる感じはある >>292
遠山が武田に信長をどうにかしてくれと言ってるから
東美濃に関してはどっちもどっち
強いて言うなら信長の方がやらかしてる感じはある >>275
たしかに
秀吉の力で即位できたため豊臣贔屓を通して
豊臣の天皇と呼ばれたのが後陽成天皇(上皇)
だがその生前に豊臣家は滅ぼされてしまった >>302
なんで国衆が他所の国に頼るとそこの大名悪者になるんだよ
斎藤が滅ぶ前に信長に味方してたのに恩賞もなにもくれなかったとかなら怒るのもしょうがないがこいつは違う
お前さ遅刻した味方しなかったで領土取り上げたり大幅減封して転封しまくった秀吉家康に同じこと言えんの
信長なんてまだかわいいもんじゃん
斎藤滅ぼしたのに遠山制圧軍送らなかった
本来なら遠山の方から信長に従属申し込まなきゃいけなかった > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 信長に根切り指定されてるのは辛い
何なら本願寺よりも敵視されてるからな >>100
賤ヶ岳の柴田は動かなきゃジリ貧で滅ぶからw >>310
本願寺は本拠地である石山が追い詰められても各地に勢力が残っている
という特殊事情があるから交渉の余地があるけど、普通はそこまで
行く前に交渉しないと足元すら見てもらえないからな 1.どんな手段を使っても信長を殺す
2.松姫と勝長を餌に信忠に取りなしてもらう。場合によっては三河遠江から撤退して家督を信勝に譲る >>268
新府城は隣が川で街道も通ってるから南部が無事なら糧食や兵員輸送は楽だし、北部の先は勝頼の故郷諏方なのでそう言う意味でも堅い
その両方がぶち抜かれたらどうしようもない。戦争にはそういう話はどうしてもでてくる 天正壬午の乱にて新府城跡地に陣取った徳川軍9000に手出しができなかった北条軍4万
勝頼が吹っ切れて逃げずに陣取ってたら織田軍も一筋縄では行かなかったな
本拠地まで攻められて耐えきり敵軍が撤退し撃って出て勝利し元通りは北条、尼子、浅井、毛利もやってるので織田軍はやばかった。
信長が何度も信忠、滝川、川尻に進軍止めろと言ったのもその恐れがあったから。
さらに上杉軍が援軍出す寸前だったので補給線が伸び切った信忠は退路も上杉軍に防がれどっちを向いても後背をさらけ出し補給もできず全滅してた恐れもある 徳川が作ったっていう北方防御陣が完成してりゃあなぁ 新府城まで退く時点で甲斐本国を守れるかどうかというレベル
仮に新府城が絶対に落とせない城でもそれ以上はどうあがいても無理 本拠地で耐えきり敵が限界に来て撤退
もとに戻るなんて腐る程あるけどな
そもそも大名の城なんて数年は耐えられるようにできてる
新府城跡地に陣取った徳川軍は一万にも満たない軍勢だったのに4万もいた北条は手が出せなかった
しかも家康はしたたかで織田政権が味方について援軍が来ると大々的に宣伝してた
後世の俺等は来ないの知ってるが当時の人間は信じて北条に就いていた木曽、諏訪、保科などの国衆が徳川に味方する
北条としては一刻も早く徳川倒さなきゃいけなかったのに手が出せないほどの防御陣だった。
史実でも上杉は援軍出す寸前だった
金が崎でトンズラした信長は西近江から逃げられたけど信忠軍は逃げ道無くてもろ敵勢力圏内で上杉が背後からやってきたら逃げ道無く落ち武者狩りで死ぬ
何度も信長が信忠、滝川、川尻に進軍止めろって怒ったのもこの危険性があったから しかも信忠軍は急ぎすぎたため物資供給が追いつかず兵糧不足になってて凍死者も出てる
これナポレオンのロシア遠征や独ソ戦のドイツと同じパターン
武田が開き直って新府城で徹底抗戦の構え見せてたらやばかった 士気の低い状態でそもそも徹底抗戦などという選択肢自体無かったと思うけどね 一瞬で総崩れになったのが痛過ぎた
それと高遠城が抵抗できず即日の落城で心理的なプレッシャーもあったかもしれない >>318
>本拠地で耐えきり敵が限界に来て撤退
別に本拠地に限らずあることだが、それは防衛の要になる拠点での話
武田の場合は諏訪でそれをやる話で、新府城に撤退する時点で諏訪以北
(信濃の大半)を見捨てた訳だから、信濃衆は武田に従う理由はなく
実際に1万以上いた兵数も大半は逃散してる。後は信濃衆は如何に早く
織田に降伏できるかという段階の話
>史実でも上杉は援軍出す寸前だった
上杉家文書では飯綱町辺りまで兵を進めたという話はあるけど
そこからどこが敵になってるかわからず、織田の別働隊が信濃方面にも
軍を進めている状況で縦断して諏訪辺りまで進軍できるとでも? 信勝の言ったように新府を枕に討死に覚悟の玉砕戦を仕掛ければ違う未来があった可能性もない訳ではない。ただその為には徳川がやったように北方の防塞群を構築してかつ新府にそれなりの兵員を集める事が前提になる。可能だったかと言われれば 織田と徳川が和睦したくなるような状況にならないと死が確定してるんだけどどうすりゃいいのか 周囲を織田・徳川・北条に囲まれているからなぁ
六角承禎みたいにゲリラ戦もできんか 武田一族の適当な娘を勝頼の養子にして織田信房に嫁がせて武田の家督を継がせて勝頼は出家 信房を重要視してなかったみたいだから無意味
そもそも婚姻させてもらえないだろ織田側にメリットもないのに 新府城 台地の上に作られ東西に川が流れてて崖
天然の守りに守られ南が自軍勢力なら北だけ守ればOK
北と南の台地先端に能見陣地、南に新府城と高さも味方にできた
これには北条軍4万が手出しできず終わった
攻めてたら高さも加わった長篠、沖田畷状態
信忠軍攻めてたら沖田畷状態になってたな
んで背後から上杉と真田が後詰にやってきて全滅
新府城の効果を知らしめたのが一年もしないうちに徳川が北条相手に発揮したというのも皮肉 徳川が作ったのは北の部分だけって話だからそこさえ完成してたら玉砕戦仕掛けて華々しく戦えたのかもしれない。逆に言えば画竜点睛を欠く状態で攻め込めた織田の眼力も凄い >>329
徳川は台地先端の土ほって土塁築いただけ
こんなもん一日でできる
地形が守備側に圧倒的有利で左右は川、崖で北側からしか攻められない
で攻め側は低い場所からずらりと待ち構えてる鉄砲隊に特攻する羽目になり大軍も展開できず先端の一部分しか戦えない
やろうと思えば勝頼でもできた
新府城と徳川が本格的に防御陣を築いてた能見は近いけど別 武田家の分割決議を実施し、北条、上杉、徳川にそれぞれつぼむということを断行すべきです 景虎の上杉相続を手伝って北条・上杉連合の衛星国になるしかないな 信玄が織田徳川を敵に回した以上戦争続けるしかないし信長も家康も簡単に勝てる相手じゃない
和睦結ぼうにも信長がなぁ… 信長が武田に対して激おこ状態な時点で、北条と仲良くしても意味が無いからな。
とにかく信長に詫びまくって信長の武田への怒りを解いて貰うしか無い状況。
しかしそんな事は勝頼のプライドが許さないだろうから武田の滅亡回避は無理だった。 勝頼がプライドを引っ込められても家臣団が許さんのでは
強制引退させられて息子が新当主になるだけだろう
勝頼父子以外に武田家当主として相応しいと一門と家臣団が認めそうなのって誰かな 勝頼は追放され出奔
数年後天庵様を担いで関東制覇を成し遂げ再び歴史の表舞台に躍り出る勝頼 北条と仲良くしてれば、みたく言われてるけど北条は国境を織田徳川と接してないので何の役にも立たなくね?と思う。対上杉にしろ御館のあの鈍さを見ると微妙だし まぁ、いまいちアテにならないけど少なくても後ろから殴りかかられることはなくなるし
もっとも景虎が上杉継いでも越後がすんなりまとまるかは怪しいから同盟が有効かは不明だな
織田・徳川多少は警戒するだろうから侵攻まで時間かかりそう 従属的立場で北条と同盟、勿論これで安泰とはいかないが史実の様な無様な滅亡は避けられると思う。 >>338
甲乱記では滅亡の原因は北条との同盟破棄(→北条と織田徳川の同盟
→高天神城に援軍を出せず諸将が離反)としてるらしい。原因というか
最後のトリガーな気がする
北条との同盟を維持したとしても状況は好転しないだろうしな… 北条に服属したところで信長の怒りからは逃れられないし信長の征伐から北条が守ってくれたとは 北条が守るって具体的に何してくれること想定してるんだろうな >>336
穴山信君が図々しく武田名乗ってたってなんかで見たな 穴山氏は武田一門衆の筆頭みたいなもんで信君の親父信友から対外的には「武田信友」「武田信君」と署名してる。武田信玄から特権を認められた超エリートよ 家康の伊賀越えで信君が殺されたのは誰の指図かわかったもんじゃないな 穴山信友は河内を支配する関係で今川との取次役も担っていて武田信虎・信玄の外交を支えたと言われる。文武両道で人格も優れていたという
その嫡男信友は母は武田信虎の娘、妻は武田信玄の娘という武田宗家の一門衆筆頭。父と同じく頭脳明晰な男で特に達筆で知られてる。おそらく信玄の駿河侵攻で最も利益を受けた人物で支配地域は河内から駿河まで及んでしかも宗家の介入を排してたらしい >>338
景虎に味方して勝ったらより最悪になってかもしれない
史実では景勝が信長に許してもらおうとしてたがシカトされできなかったことが北条の血の人間になら和睦可能になり信長に従属し武田領に攻めるように言われて従い越後南下の軍勢起こす
北条は義昭からの信長包囲網に加わることもなく関係は良好(もっとも北条は反北条勢力との戦いでそれどころじゃなかったのだが)
本国北条がまもなく織田に従属するのにさらに北条の属国に近い景虎上杉家が信長に臣従しないとも思えない
自分が景虎の立場になればわかる
落ち目の同盟国と超巨大国が敵対してるが実家と超巨大国は関係悪くない
実家も超巨大国に臣従する可能性高い
同盟国に味方して実家と袂を分かち超巨大国と戦うか
そんな奴いないだろ
家康だって婚姻同盟結んでる北条と秀吉だったらあっさり北条見捨てて秀吉に従ってる
北条って同盟国のためなんてこれっぽっちも義理感じない家でな
本能寺の後に滝川に協力惜しまないといいつつ裏で上野制圧するための大軍速攻で集めて軍団派遣してる奴らだからな
信長に臣従してたくせに信長死んだら速攻で裏切った
小田原征伐原因も秀吉による沼田裁判終って以後軍事行動禁止となったのに速攻で裏切ってるし北条の領土欲は半端ない
この沼田裁判は実際かなり北条に譲歩したのに(秀吉からしたら自力で切り取ったわけでもない領土の支配権主張など聞く必要もなかった)のにとちくるってこんなことすれば秀吉の逆鱗に触れるとわかってたのに沼田欲しさに爆発した北条
景虎勝利してたら越後から伊豆まで信長に臣従した北条系勢力。美濃から遠江まで織田徳川と四面楚歌になってた可能性が高い でも北条も上杉も取り込むには大き過ぎない?
四国程度すら統一を許さず長曾我部と敵対した信長がそのままの領土を保持させてくれるだろうか >>351
信長の得意技名家乗っ取りを忘れてないか?
北条に対しては氏政に隠居させ氏直に信長の娘と婚姻させ家督を譲る話まで行ってた
というのも北条は武田勝頼に大苦戦しており佐竹宇都宮とも激戦状態で従属してた里見もお家騒動終わりいつ裏切るかわからずかつて氏綱が裏切られた再来恐れて里見も油断ならない相手で四面楚歌状態で信長に「当家滅亡」と手紙を送って泣き付き従属申し込んで甲州征伐早くやってくださいと泣きつくほど追い込まれてた
元就の吉川小早川乗っ取り、秀吉の小早川乗っ取り結構あちこちでやってる
秀吉なんか散々世話になった小早川に対しても養子送り込んで乗っ取ってる
信長もそんな甘い男じゃ無いよ そもそも安堵するのは本領だからな
信長に降っても北条が安堵されるのは相模一国と武蔵の一部だけ
家康くらいひたすら従順にしていればもしかしたらそのまま生き延びられるかもしれないけど
信長は譜代家臣ですら意に沿わなければ許さないので少しでも反抗的な態度を取ったら討伐される事は間違いない 毛利にもいえるんだけど、大大名の領国って国衆込みのものになるので
服属したときに、国衆の帰属が問題になる
自立した勢力と認めるのか、大名に服属した勢力とみなすのか
特に秀吉の天下統一以降は、この選択が全国にせまられた そのあたりで権力を持ったのが石田や浅野なんだよな
担当大名の従属的同盟者であった国人達を臣下として秀吉に報告する便宜を図る事で恩を売り味方を増やしていった でも浅利頼平みたいなのもいるから下手に組み込むと厄介なことになったりするんじゃないの?
逆に自分の領国から出された国衆とかもいるんかな 豊臣政権ではあまり小勢力の国替えってなかったような感じだけどどうなんだろう 織田はなんだかんだ甘いから全裸土下座すれば大幅減封でどうにかなってた気ガス 恨みを買うと逆に執念深く攻撃されるから家督相続の時点で素早く土下座して本領以外を差し出せばワンチャンあったかもしれない 後北条との手切れが致命的だと思うけどな。
景勝は御館の乱後の恩賞不公平で領国めちゃくちゃで。対織田、北条には無力。武田は上野方面は優先ながら、遠江で徳川と睨み合いの所へ伊豆方面にも戦力を向ける必要が。伊豆に行けば徳川が遠江に向かえば北条が。詰んでいる。 北条は北条で、武田上杉に佐竹ら東方之衆と周囲全てを敵に回しているのでこちらはこちらでつらい
それで織田に頭下げて援助要請していたわけだが