今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう 御殿のような今川館が快適すぎて無粋な掘立小屋みたいな
当時の城塞には死んでも行きたくなかったんだろうな
気持ちは痛いほど解る
桶狭間や武田侵攻みたいな重要局面でも頑なに出陣せず
初陣がいつかさえ分からないってのは氏真さんガチで外に出たくなかったのかもしれない >>524
>幕府に北条と上杉の停戦頼む?
無理だろ、関東管領就任は幕府の許可得ているんだから、
北条征伐はある意味幕府の公認受けているようなものだろ。 数多くの戦をくぐり抜けてきたからこその「畳の上で死ねた」なんだよ
氏真に使う言葉じゃない >>586
岡部は鳴海で粘って義元の首級を貰い受けた後、撤退するにしても
三河で粘ろうと思わなかったのかな?岡崎に入城しても信長との停戦に
違反はしないだろうし。
今川についたふりして裏切った(と思われる)水野を誅殺してるから、
敗兵を率いて留まるには三河は安全地帯ではないと考えたのかも知れんが。 >>596
桶狭間の時の義元は上洛なんて大それたこと考えてなくて、織田の反撃に対して
鳴海と大高に後詰して、あわよくば尾張獲れればくらいだろう。
三国同盟で北にも東にも行けない今川は、尾張や伊勢湾交易圏を狙うしかない。 >>595
義元の首を駿河に持って帰る必要もあるしなあ
こればっかりは自らの手で送り届けたかっただろう
それに氏真に改めて自分の領地の保証書でもある朱印状を貰わないと不味くない?
それに三河は今川家視点安全な土地じゃないだろ 岡崎に元康が先に入城していた場合、岡部が入ろうとしても無理だったのでは
元康が離反するとわかっていれば岡部の対応も変わったかもしれんが三河で粘る云々は結果論かなあ というか主君の命令もなく
自分のものでもない拠点を占拠する
って結構やばい行動だぞ
自領の安堵も受けてない状態で
遠く離れた他国でそんな危ない橋渡れないだろ 三河で粘る云々は結果論だね
そもそも、桶狭間直前に三河全土で大規模な国人一揆(三河忿劇)が起きていたから
今川の三河支配は上手くいっていなかったという説もあるし、
勿論、今川はそれを抑え込んだから桶狭間へと進むことができたんだけど、
桶狭間で義元死んだからそりゃ反今川の反乱が再燃するよね あの時点で、三河西部に留まれる事のできる今川方の家臣や国人って
それこそ松平位しかいないんじゃないの
松平はまさにそこが根拠地だからそこを織田方に制圧されることは
己の立場の事実上の崩壊を意味するし
問題は(やむを得ないとはいえ)今川が松平を事実上見捨てる形になった事だけど 味方が総崩れだからその城奪おっと
っていうのは下手すりゃ謀反だぞ
それやったのが元信なわけだけど
まだ元信には自分の本領だから守らなきゃいけないとか
弔い合戦のために出兵待ってますとか言い訳あったけど
氏真はそれでも逆心として扱った >>601
占領地を統治するためにそこの兵を率いて外征するってのは戦国時代ではよくある話では それやった説も出てるんだろ?
信玄に三河は家康にくれてやるって書いた手紙もあるとかないとか
結果信玄がキレて駿河侵攻招いたと 今川の支配から逃れることを考えていた松平がたとえ対等な関係であったとしても今川との同盟を受け入れただろうか? 今川と同盟したら松平は全力で武田に当たれる そりゃ信玄はキレるだろうな
そもそも三国同盟は今川は西、北条は東、武田は北へ侵攻するのが前提だし >>609
松平元康は今川一門衆に列する予定だったって話もあるし徳川としてはそこまで問題は無さそう。
問題は今川で、かつて部下だった徳川と対等同盟ってだけでかなり屈辱的なのに、その徳川の背後には義元を討った信長もいるっていう心理的抵抗もある。
さらに問題なのは徳川と同盟するとしてどこで国境を定めるか。
一番良いのは三河の支配を認める、だけど
最悪の場合、遠江まで認めないといかん。
しかも武田が侵攻してきたらおしまいなのでそれまでに徳川を説得しないとならん。 義元が桶狭間で討たれた時点でどうやっても詰み
結果論で言うなら徳川を完全に支配下に置いてなかったとこから既に失態 周辺国全てと同盟して引き籠った戦国大名っているのかね?
既存の同盟国からすれば全方位同盟なんかされたら今後はこっちに攻めてくるつもりではと疑って当然 同盟にはそれに値するだけの褒賞を出さないと裏切られるからね…
今川としては武田の裏切りを徳川に伝えて、徳川すら武田は裏切ると説得した上で対武田包囲網の構築をぶち上げるしかない。
その為にどこまで犠牲にできるのか。
駿河という旨味あふれる大地を狙われずに済むか… ノブの上洛に便乗して逆賊三好を討つ為、忍びがたきを忍びノブ&ヤスと和睦し氏真自ら上洛して義昭政権に食い込む
公家衆との人脈を駆使して武田を牽制しつつ足利一門の名声を武器にノブの敵対勢力の説得に尽力し駿河支配を幕府朝廷に公式に認めてもらう
これで信玄もヤスも迂闊に駿河に手を出せない >>615
織田との同盟なんて家臣や一門が反対するだろう
偉大な親の残した方針なんてものは生半可な息子では変更できないものよ
武田も上杉も明らかな劣勢になるまでは対織田を貫いてた 結果武田は手遅れになり上杉は本能寺に救われた >>616
武田は1564年に義信事件で今川派家臣を粛清してる。
これら桶狭間の4年後。
どのタイミングで「明らかな劣勢」と判断するかは人それぞれだろうけど、少なくともこの時点で武田は反今川と見て間違いない。
義元の戦略は三国同盟あってこそなので、武田が裏切った時点で戦略を見直すってのは間違いでは無い。
その為に、西の外交を改めて北を抜くってのもありっちゃあり。 三国同盟って武田にとっては信濃を手に入れるための後ろ盾だったからね
桶狭間で今川義元が討たれた1560年頃に武田家は信濃の支配権をほとんど手中におさめていたし、桶狭間時点で今川家にはもう用無しと判断されていた可能性は大きいかも 義昭上洛に賛同して信長陣営入りに方針転換
は実現できたらでかい
武田徳川はその縁で結びついて上洛直後に
駿遠同時侵攻をかましてる訳なので
逆言うとその両家は快く思わないだろうし
義元殺した信長と接近することになるので
外交的にかなり難しいミッションだけど だから義輝暗殺とノブの義昭擁立は今川にとっちゃラストチャンスだったのよ
足利一門として義輝56しは黙ってはおれん
三好を討つ為に耐えがたきを耐え仇敵と手を結ぶ
これなら家臣一門も承諾せざるを得まい
流石に家康も信玄も義昭幇助に動く今川を攻められる程無法者では無いだろう
だが武田徳川に挟撃喰らってる氏真に西の動向など気を配る余裕など無かったんでチャンスを逸してしまった 家康は織田との同盟を一番に考えてるし、信長さえ落とせば武田捨てて同盟してくれるだろう。
問題は信長と結ぶタイミングよなぁ。
信玄が突っ込んでくるまでに結べるか。 ヒデ&ヤスと同じでコイツ使えるとノブに思わせれば勝ち
洛中の公家と連絡を取り上洛の根回しを整えてコンタクトを取れば行けるかと >>618
上杉政虎さえ打倒できれば武田は日本海まで突き抜けたのじゃないかな
少なくとも永禄4年の川中島決戦までは北進の方針だったろう >>621
そもそも信長が武田との同盟を捨てて今川を選ぶメリットって何よ? >>624
後々武田が織田の最大の敵になることから考えると同盟今川との同盟は有益なんだが、
この時点でどうやって説得するかだよなぁ… 少なくとも美濃征服前の信長が武田を敵に回すメリットは無いと思うがな
松平が敗亡寸前というのなら手を切って今川に乗り換えるのもありだがそれだと今川が織田と同盟する前提が崩れる
松平としても優勢に進めてる対今川を放棄して武田と戦えなんてメリットが無い
氏真としては起死回生の夢物語なのだろうけど周辺が乗るとは思えない だからこそマジでタイミングが重要なんだよな…
信玄はかなりの野心家な上に織田領とは美濃で接してる訳だし。
信長を説得するのはガチで難しいが… 正直なところ今川氏真が今川家滅亡を避けるifより武田信玄が三方ヶ原直後に病床に伏すことなくそのまま織田領に突撃してくるifが見たい >>500
家康ポジは
武田が手駒が足りなくて諏訪氏や高遠氏に旧領任せることにしたら独立されたって感じか >>629
あんがい穴山や小山田が危ないかもしれない 彼らが半独立領主だったのならだが 上洛時の織田からしたら
武田・・・美濃攻められると困るので同盟堅持したい
徳川・・・恩賞の土地も与えず今川との緩衝地帯として
機能して上洛にも兵を貸してくれる
今川・・・父の代からの宿敵で武田が西に目を向けない餌
かつ徳川への協力の見返り代わり
と利害関係はっきりしてるんで
覆すのは難しいような
義昭を奉じるにあたってその支持を表明した諸将が
争いあってその権威を落とすことはしたくない
というのはあるけどそれだけだもの そこは貴人との人脈を駆使して覆すんだろ
氏真だって決して無能では無かったが滅亡と言う結果になっちまったんだから
一筋縄ではそりゃいかないよ 貴人としての人脈で軍事的な利害を超える
どんな利益を義昭-信長陣営に与えられるか
って話でしょ >>633
逆に言えば、武田が美濃を攻める意思があるぞと押せばワンチャンあったかもな。
武田が信用ならんのは書状からしても明らかだし。 信玄が美濃に野心あるのはノブも重々承知やろ
あまり押せる要素にはならないと思う 武田に美濃を攻める意思があるのならそれこそ今川攻めみたいに織田と武田で美濃を分けるとかできそう
信長としては山奥の東美濃を獲られてもマイナスは少ないだろうし 一応信玄の西上作戦の時に、美濃入りされると人望的にヤバいって話は聞いた事がある。
あるけど、うーん。 >>641
織田領の美濃に入り込まれるのと斎藤の美濃に入り込まれるのとでは全然違うだろう
武田に今川の駿府を落とされても家康の人望が〜とはならないでしょう
そもそも信玄に美濃への野心があったのか 秋山の美濃入りは西上作戦の一環だろうし 要は東濃取られるとノブの信用が低下して裏切るヤツが続出しかねないって事やろ
西上の時は浅井朝倉は落ち目で信玄も信用が無いから濃尾江勢は安泰だったが西近畿は義昭を筆頭にノブを見限ったヤツも多かった 東美濃については信玄が弘治元年に岩村城を攻め
続いて景任の家督継承についても支援して
武田家に従属してるようだね
ただ明知遠山氏が長良川の戦いの時義龍に着いたり
有名なとこだと景任が信長の叔母を娶ったり
遠山氏は一枚岩でもないし(苗木明知岩村の三頭)
独自外交もしてると
知らなかったのだからWikipediaによると
永禄8年に武田は東美濃で森可成とも戦ってる
勝頼室が苗木遠山氏の娘で信長の養女なのは
その和睦の縁組とのこと
この和睦・縁組があったのは永禄8年11月
飯富虎昌が処断され義信が幽閉された頃
一方京都では同年5月義輝が殺され
のちに還俗する義昭が活動を開始して
上杉と北条武田の和睦を命じたりし始める
武田織田の和睦自体が大きく見れば
永禄11年義昭上洛と今川領侵攻に向けての
動きな訳でこれを今川の立場で阻止するのは
相当な困難ではないかと 今川家として1564年以降取り得た外交は
上杉・徳川・織田
なわけで、まずは上杉と徳川に全力を傾ける必要がある、が… 上杉謙信は信濃と関東にしか興味ないのでは
対武田なら多少は役に立つだろうけど駿河に侵攻の知らせを聞いてわざわざ越後から助けに来てくれると思うか? 戦争で重要なのは敵の敵を作ること。
謙信がどんな男かなんて本人以外誰もわからないのだから信濃だけで済むか信玄にはわかるまい。
謙信が信玄と敵対してくれれば、今川への攻撃は小さくなる。
問題は史実では信玄が今川を攻撃したから北条が武田を攻撃して上杉と同盟したけど、
今川か
攻撃するってなって果たして北条が味方してくれるかどうか… >>647
軍神様が「敵に回すと厄介だけど、味方としては頼りない」ことは
後北条含む関東諸将の、敵味方越えて意見が一致するところだしな(笑)
>>645
高野口(神篦口)の戦いだな。織田vs武田初の武力衝突で、武田軍が
美濃で最も西まで進出した一件なのに、『信長公記』でサラッと記述されて
おしまいだからか、かなり詳しい信長本や信玄本でもスルーされてる。 ほぼほぼ史料が残ってないのに取り上げられる訳ないやん
かわい氏が信長戦記で取り上げたからこの板じゃ度々話題に上がるけど
史料的根拠の乏しい案件は学者先生は論説の保管ができないから研究したがらないよ >>649
軍神を頼って亡命してきた奴を口実に信濃や関東に出陣したが旧領回復にほとんど寄与しなかったからな
上杉家が北信濃を得るのは内乱で多くを失った本能寺後という 士業、公務員、医者などは、AIに駆逐される職業の代表格に挙げられます。
このような枠組みに守られた、定型的な仕事というのはAIに代替しやすいからです。
AIは人間に比べて、休憩時間を必要とせず、ミスを犯さず、給与も不要というメリットがあります。
例外的に看護師は安泰じゃないかとされますが、議論と関係がないのでやめておきましょう。
今後は英語の重要性が更に高まるでしょう。
現在、世界には約200か国あり、言語は約6,000存在しますが、グローバル化とインターネットにより英語とスペイン語が支配的になっています。
半数の言語は話者がいなくなり、英語を話せるのは最低限の条件になります。
「英語が出来ない人」というだけで、一段低い人間だと見られる傾向は既にビジネスの世界ではありますが、今後は社会通念になる可能性もあると思います。
そもそも、世界的な学術誌は英語中心になっており(英語力が低い人=学問と無縁な人という価値観の加速)、プログラミング言語も英語であり、ビジネスでは英語の重要性が高まっています。
AI翻訳により、ごく簡単なやり取りは日本語で事足りるようになっても、「AI翻訳が必要な相手」と見なされるでしょうし、文書を読み解くリーディング力や、言語を介した高度な感情の伝達まで補うものではありません。
もちろん、英語が出来ること、というのは最低条件に過ぎず、英語が出来るからといって成功するということではありません。 >>1
> どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
イ.駿河國を丸ごと北條に献上して今川家は御一門衆扱いにしてもらう
ロ.駿河國を丸ごと武田に献上して以下同文
ハ.駿河國を丸ごと織田以下同文
ニ.駿(中略)徳(以下略) >>648
味方しねえよ。
武田が同盟破棄して今川を攻めたから北條は同盟履行して今川に味方した。
今川が同盟破棄して武田を攻めたなら北條は同盟履行して武田に味方する。 自分から他国の傀儡になりにいくムーブて
実際にはそうそう成立しないよね
自分を支える家臣の所領・権益は守らんと
逆にそいつらから殺されかねんし
そこ守っちゃうと傀儡にする側の旨味ないし 結構な無理ゲー
三河は諦めて北条と結ぶ
問題が武田だが義信を担いでクーデター
って結構史実通りになっって滅亡だな そして農政書と孫子・六韜の軍書を真剣に熟読することにより、駿河十五万に巣食う獅子心中の虫 武田信虎を討伐する必要性を、痛感します 信虎を殺したら武田の駿河侵攻のよい理由にされそう
内心は君臣とも大喜びでも激怒して侵攻してくるよ >>164
親殺しの斎藤は同盟者の六角にも嫌われてた
戦国でも親殺しはタブー
今川が協力求めることはない 六角が息子への書状で
斎藤は織田、朝倉、東濃の遠山敵に回して同盟しても役に立たないって言ってるもんな そもそも桶狭間の戦いは100戦やったら織田は何戦今川に勝てるの? 実際の兵力差は織田軍約8000万対今川軍1万2000から5000程度なので
防備固めて地元で迎え撃つ織田軍に勝つのは無理だろう
いくつか城落としてもいずれ駿河に撤退、織田軍撃って出て奪われた城奪還と上杉対北条のようになるだろう
だいたい支城1つにつき動員数は400から多くても500
今川の支城は約30。これに当てはめると1万2000から1万5000
今川が武田に攻め込んだ時は駿河遠江で7000
後に家康が三河遠江で8000から9000
天正壬午の乱では駿河まであったのに信濃派遣軍は8000が精一杯。
それ+駿河戦線入れても1万5000は超えないと思われる
北条軍が4万からさらに援軍1万が来ると絶望的知らせ受けても一兵も送った記録無し
1560年の今川が25000はまずありえない
たとえ背後が同盟国で守備兵少なめでもありえない 6対4くらいの割合で今川に有利じゃない?
地勢に関してはノブに分があるしそれを生かして勝った訳だけど
尾張勢は今川に媚びるやつらも多かったし兵力差は如何ともしがたい ゆうて二万越えの兵力動員するか?
知多半島の制海権を左右する要所とは言えたかが小城二つの為に 鳴海は今川の尾張における拠点
失えば今後尾張への影響力を失うし
大軍で取り返せば周りもなびく
2万あってもいきなり一国切り取り
というのはあまり現実的ではない スレの趣旨からは外れるが、今川氏は義元時代でも強大なイメージがしないし、
伸び代が無かったような気がするけどどうなのかな。
三河を支配下に置いて3か国の太守だけど山が多くて石高が低めだし、
侵攻方面の織田は地理的に恵まれて石高も経済力もそれなりに持ってる。
桶狭間が無くて義元が長生きしてても対尾張戦では引き分けとか撤退を続けて
伸び悩んだんじゃないかと思えてならない。 だからこそ伊勢湾に出て制海権を取りたかったんじゃないかな
織田が台頭する前は尾張の斯波は今川に押されてて伊勢湾海運の利権は今川に流れていた
ところが織田が台頭して伊勢湾三河湾の海運利権を脅かし始めたので義元は松平を支援して三河、尾張に侵攻したと言うのが俺の見立て 井伊直親を殺害せず、駿河侵攻のとき井伊谷城にしばらく引き篭もる
三方ヶ原の戦いで武田軍に敗走し、浜松城に逃げ帰る徳川家康を全力で捕まえる
家康を人質に三河を支配し、直ぐに織田信長に服従する
本能寺の変まで蹴鞠をして時間を潰す
賤ヶ岳の戦いの後、直ぐに羽柴秀吉に服従する 井伊谷城なんて実際行ったことあるならわかると思うけどあんなの防衛には適してないよ
三岳城だったらまだわかるけどね 氏真は史実では掛川城に籠城したけど、井伊谷城に籠城すれば
武田も松平(徳川)も氏真を相手にしないのでは
井伊谷城から戦況も見守り、浜松城(引間城)に逃げ帰る家康を生け捕りにするしか方法がないと思う
家康には、駿河を取り戻し次第、三河を返す約束をしておけばいい
あとは時の権力者に服従して今川家を守るしか方法がないのでは 永禄の変に便乗して逆賊三好を討つ為に忍びがたきを忍び織田と和睦
義昭上洛に参加し公家や貴人との人脈を駆使して義昭政権に食い込む 義元死んで謙信の関東遠征から北条助けたところで北条から養子貰い家督譲って従属
これで武田にちょっかいかけられず
徳川も大国北条に手出しできず安泰
史実でも織田と北条は関係良好で義昭の織田包囲網に参加しろ要請にも最後まで加わることもなく
織田から武田の背後ついてと言われれば念願の上野甲斐ゲットできるチャンスで北条もノリノリ
佐竹も織田とは早くから関係いいので織田が北条にちょっかいかけるなよと言えば武田攻めに集中できる それもノブが4んだらソッコーで滝川の背中を刺す有り様だぞ
織田と北条は隙あらば相手をぶっ●す気満々だろ武田と言う共通の敵が居たから手を組んだだけで 武田征伐で日和見するまで織田、北条関係いたって良好
武田による反北条勢力抱きかかえた北条包囲網敷かれたときから織田とは対武田で包囲仕返してる
ただ氏政は優柔不断で織田軍の快進撃を中々信じず織田の勝利確定になってようやく出陣したから信長怒って北条が奪った領土返せと怒られた
信長死んだあとなりゃそりゃ侵攻するだろ
別に家臣でもない領土増やす絶好のチャンス
森速攻トンズラで空白地帯になるのわかりきってて後に川尻も殺され織田軍の統治がうまくいかないのわかりきってる
信長に従属してた木曽も裏切り滝川が領内通るのも阻止しようとしてた
徳川だって甲信進行して奪った領土を織田政権に返してない
織田政権にのちに侵攻許可貰ったけど信長死んですぐ依田信蕃信濃に派遣し元武田家臣味方につける工作はじめてる
てかそんなあとの話してないでしょ
信玄在命中なら早い時期に北条から養子貰いあと譲れば滅亡しなかった てか1580年に北条は自分から織田に従属してるけどな。 第1話 父と子
第2話 三河併呑
第3話 桶狭間血戦
第4話 駿河夢幻
最終話 氏真の挽歌 今川の強味は戦国大名化が早かったのと家格が高かったのを両立してたことかなぁ 【京都市・下鴨神社】新春の恒例行事「蹴鞠初め」 巧みな足さばきを披露し参拝者を魅了
https://youtu.be/C_4qmkFEnXI