今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう >>544
2020年にも通ずる価値観で人生楽しんでた方が時代先取りしすぎてるし革新性が高いやろ
まさに氏真は真の意味での時代の革命児やん
名誉の死なんて土人の価値観、今じゃカビ生えとるやん 家康って義元が横死せずに氏真がそこそこ有能だった場合は
裏切らなかったのだろうか
もしどっちみち裏切るなら早めに戦死してもらった方がいいよな 父親を殺した仇に蹴鞠を披露って並大抵の人間じゃないだろ
悪い意味でどっかズレてたんだろうな生まれつき 当時は現代人が理解できないくらい名誉を重んじていたから
当時の価値観からはかなりズレてだろうな >>546
今の時代でも氏真みたいな生き方してる奴がいれば、すげー嫌われてそうだがな
>>548のいう通り、生まれつきズレてたんだと思う 現代でいうと
創業数百年の大企業を父親の急死で継いだものの遊び呆けて潰し
妻の実家でふらふらニートやってるのを見かねた元部下(年下)の会社に拾ってもらった感じか
家柄と運とリフティング以外に褒めるところあるか? 意地と面子で御家断絶するよりはマシかな
現実というものは受け入れているわけだし 時代の革命児()なんて大層なものではないことは確か >>546
そんな生き方なら氏真より千数百年前に劉禅がやっているよ 現代は劉禅や氏真が正しいとされてる時代やん
彼らは動物的で血生臭い時代に流されなかった
人類が本心で求めていたのは殺戮よりも安楽と文化だろ >>551
父親は急死したわけではなく隣町の同業他社との価格競争で負けて大赤字を背負わされて失踪
元部下の会社に拾われた息子はカラオケが好きだという噂を聞いて同業他社の社長が「俺の前で歌えよw」と呼び寄せたら喜んで歌い始めた
って感じじゃね 価格競争で負けたなんてよくある話じゃない気はする
現代なら速報出るレベルの大事件
あとカラオケに例えるのも意味不明
素直にリフティングで良いだろ 勢いに乗りまくった義元がなぜか織田家に首を跳ねられるなんて速報ものの大事件だろ、当時でさえ周辺諸国の大名が信長を認めるきっかけになったんだから
それとリフティングなんて今どき流行ってないだろ
当時は遊びの代表格が和歌か蹴鞠だったからそれを現代の遊びの代表格に置き換えたと見ればそこまで不自然ではない
というか、所詮はただの例でしかない>>557の話にそんな顔真っ赤にして食いつかんでもいいじゃねえか
何がお前をそんなに駆り立ててるのやら そもそもにおいて「父親を殺した仇である信長の前で蹴鞠を披露するなんて氏真も変な奴だったんだろうな」という話の流れだったのに「氏真の人生を現代風に例えるなら父親が急死して〜」の時点でもう例えになってないじゃん
親の仇に蹴鞠を披露しろって言われて素直に従うズレっぷりを指摘してるのに肝心の親の仇が出てこない例えに何の意味があるんだよ 今川氏真って実際には反乱起こした遠江国人衆を粛清したり、
三河にも侵攻したりしてたんでしょ
ということは世間で言われているほどのバカ殿ではなく、
常人ぐらいの能力はあったってことだろう
しかしそれぐらいじゃ周囲が武田信玄・北条氏康・上杉謙信・織田信長・徳川家康という無理ゲー環境ではなすすべもなかった
どれぐらいの能力があれば今川家を存続できただろうか
アレクサンドロス大王や項羽ぐらいの能力があれば遠江三河尾張と進軍して上洛できそうではあるが >>547
そりゃあ裏切らなかったんでは。義元戦死といっても今川は北条や武田と同盟結んでるから
全力で三河に出るならまだ、一万くらいは出せるだろうし、家康死ぬもん。 反乱を起こした遠江国人衆を粛清
↓
氏真「もう反乱するな。新しく人質をよこせば許してやるぞ。もし寄越さないなら今まで預かってきた人質を皆殺しにするぞ」
国人「うるせ〜〜 知らね〜〜」
氏真「なんで言うこと聞かんのじゃ えぇいもう人質の首刎ねろ」ズバー
国人「えっマジでやるんか……引くわ……家康のとこ行くわ……」
三河にも侵攻
↓
氏真「おい家康、俺を裏切るどころか織田家と同盟まで結びやがって」
家康「うるせぇ帰れ」バキィ
氏真「ぐぬぬ この恨み晴らさでおくべk
家康「だからうるせぇこっち来んな 国境に城立てて道塞いだったわバーカバーカ」 国人衆のところには、武田勝頼と徳川家康の両家から、所領安堵の約束の元で協力を求める書状が出されてるな 遠江を再平定した後、家運を賭ける覚悟で
全力で家康と戦って勝つしか今川家を復権させるすべはないだろう
できれば本多正信が家康と戦ってる時に本多と協力して戦えれば理想的だな そこまでする度胸があるならそれより前に家康が独立するより早くに桶狭間の弔い合戦を始められた気もするけどね
結果論かも知らんが要所要所で国や兵をまとめることが出来なかった時点でやはり国主の器はなかったということ >>567,568
史実でも家康と一戦交えてはいる、負けたけど
いわゆる「一宮の後詰」の戦い
まぁこの戦い自体色々怪しくて、
いつ起こったのか、戦の経過についても諸説あるが
1564に吉田城が開城してるから、この直前に何らかの戦いがあったのは有力だと思う
1560に桶狭間、1561に小田原城の戦い、1562(もしくは1564)に家康と戦ったと考えれば
当時のかなり積極的に軍事行動を起こしていたといえる >>569
それなら正信の一揆軍と連携するのにピッタリのタイミングだよね
西三河の南部を一揆軍、北部を家康が治めてたから三河の東半分まで押さえて
家康を岡崎周辺に押し込めておけば信玄も家康を今川挟撃の相手にもならないと考えて
南下政策は取らなかったかもしれない >>563
他の面子はともかく松平元康は当時としては雑魚 雑魚すら抑えられなかったから信玄に狙われた
氏真が不運だったとするならその雑魚が超有能だったこと それでも早い時期に力押しできれば潰せたと思うけどね
桶狭間前の今川と織田の力関係みたいなものだろうから >>570
1562説にしても1564説にしても三河一向一揆とは微妙にタイミングがズレてる気がするが…
まぁとにかく氏真は最低1回は家康との戦に負けてしまった 一宮砦の戦いは一次史料じゃ確認出来なくて、江戸時代以降の軍記物にしか記録ないんじゃなかったか? 信玄も若い頃に上田原の戦いと砥石崩れで重臣を失う大敗北を喫したけど
その後は御家を建て直し100万石を超えるまでになったからな。
土台の駿河は安定してたしやり方次第では氏真も巻き返しは可能 >>575
まぁ信玄の時は同盟裏切って攻めてくる不届き者なんていなかったし 北条に恩売ったのが徳川の庇護につながったとみると史実は割と成功ルートやな
豊臣みたいに次代で速攻潰されたのより家としてみれば御の字 ここの軍師連中の言う通りにした氏真が史実より成功人生おくれるとはとても思えないんだが
よくて武田勝頼のような最期だろ >>578
なにを言ってんだ
氏真はビビリだから長篠の勝頼みたいに防御体制の敵に
半分以下の兵力で突撃するような蛮勇丸出しの戦いはしないんだよ 勝頼が長篠で馬防柵に突っ込んでいったのって
別働隊に後ろを取られてたというのもあるけどそれ以上に両軍向かい合ってる段階で信長が大口径の鉄砲を持たせた筋肉自慢の男を数人引き連れて至近距離からボカスカ撃たれて挑発されたことで頭にきたから、という話もあるよね
自分が読んだ書では亡き父信玄公が三方原で徳川軍に石を投げて挑発した過去が長篠では意趣返しされていて滑稽だとか書いてあったけど
これが氏真だったら挑発されて逆に顔真っ青になって逃げてそうだよな >>577
北条への援軍はほどほどに三河をなんとかしろという意見があるけど北条を怒らせたら信玄と一緒に攻めて来る可能性もあるな
信玄が今川攻めるのに最初北条を誘った(駿河は北条、遠江は武田?)というのは小説だけの話なのかね >>583
氏康の娘を今川に嫁がせてるから北条が攻めてくる確率はかなり低い気がする
信玄の今川侵攻の際に氏康の娘がズタボロになって帰って来たのを見て激怒したらしいから >>584
激怒したのは輿も用意されずに掛川までの逃避行を強いられたからじゃなかったっけ
小田原に戻った時にズダボロだったのなら掛川を攻めた徳川の責任が大だろう 桶狭間後直ぐに掛川城に入っていれば家康や
三河の国人達も迂闊には動かなかっただろうな 御殿のような今川館が快適すぎて無粋な掘立小屋みたいな
当時の城塞には死んでも行きたくなかったんだろうな
気持ちは痛いほど解る
桶狭間や武田侵攻みたいな重要局面でも頑なに出陣せず
初陣がいつかさえ分からないってのは氏真さんガチで外に出たくなかったのかもしれない >>524
>幕府に北条と上杉の停戦頼む?
無理だろ、関東管領就任は幕府の許可得ているんだから、
北条征伐はある意味幕府の公認受けているようなものだろ。 数多くの戦をくぐり抜けてきたからこその「畳の上で死ねた」なんだよ
氏真に使う言葉じゃない >>586
岡部は鳴海で粘って義元の首級を貰い受けた後、撤退するにしても
三河で粘ろうと思わなかったのかな?岡崎に入城しても信長との停戦に
違反はしないだろうし。
今川についたふりして裏切った(と思われる)水野を誅殺してるから、
敗兵を率いて留まるには三河は安全地帯ではないと考えたのかも知れんが。 >>596
桶狭間の時の義元は上洛なんて大それたこと考えてなくて、織田の反撃に対して
鳴海と大高に後詰して、あわよくば尾張獲れればくらいだろう。
三国同盟で北にも東にも行けない今川は、尾張や伊勢湾交易圏を狙うしかない。 >>595
義元の首を駿河に持って帰る必要もあるしなあ
こればっかりは自らの手で送り届けたかっただろう
それに氏真に改めて自分の領地の保証書でもある朱印状を貰わないと不味くない?
それに三河は今川家視点安全な土地じゃないだろ 岡崎に元康が先に入城していた場合、岡部が入ろうとしても無理だったのでは
元康が離反するとわかっていれば岡部の対応も変わったかもしれんが三河で粘る云々は結果論かなあ というか主君の命令もなく
自分のものでもない拠点を占拠する
って結構やばい行動だぞ
自領の安堵も受けてない状態で
遠く離れた他国でそんな危ない橋渡れないだろ 三河で粘る云々は結果論だね
そもそも、桶狭間直前に三河全土で大規模な国人一揆(三河忿劇)が起きていたから
今川の三河支配は上手くいっていなかったという説もあるし、
勿論、今川はそれを抑え込んだから桶狭間へと進むことができたんだけど、
桶狭間で義元死んだからそりゃ反今川の反乱が再燃するよね あの時点で、三河西部に留まれる事のできる今川方の家臣や国人って
それこそ松平位しかいないんじゃないの
松平はまさにそこが根拠地だからそこを織田方に制圧されることは
己の立場の事実上の崩壊を意味するし
問題は(やむを得ないとはいえ)今川が松平を事実上見捨てる形になった事だけど 味方が総崩れだからその城奪おっと
っていうのは下手すりゃ謀反だぞ
それやったのが元信なわけだけど
まだ元信には自分の本領だから守らなきゃいけないとか
弔い合戦のために出兵待ってますとか言い訳あったけど
氏真はそれでも逆心として扱った >>601
占領地を統治するためにそこの兵を率いて外征するってのは戦国時代ではよくある話では それやった説も出てるんだろ?
信玄に三河は家康にくれてやるって書いた手紙もあるとかないとか
結果信玄がキレて駿河侵攻招いたと 今川の支配から逃れることを考えていた松平がたとえ対等な関係であったとしても今川との同盟を受け入れただろうか? 今川と同盟したら松平は全力で武田に当たれる そりゃ信玄はキレるだろうな
そもそも三国同盟は今川は西、北条は東、武田は北へ侵攻するのが前提だし >>609
松平元康は今川一門衆に列する予定だったって話もあるし徳川としてはそこまで問題は無さそう。
問題は今川で、かつて部下だった徳川と対等同盟ってだけでかなり屈辱的なのに、その徳川の背後には義元を討った信長もいるっていう心理的抵抗もある。
さらに問題なのは徳川と同盟するとしてどこで国境を定めるか。
一番良いのは三河の支配を認める、だけど
最悪の場合、遠江まで認めないといかん。
しかも武田が侵攻してきたらおしまいなのでそれまでに徳川を説得しないとならん。 義元が桶狭間で討たれた時点でどうやっても詰み
結果論で言うなら徳川を完全に支配下に置いてなかったとこから既に失態 周辺国全てと同盟して引き籠った戦国大名っているのかね?
既存の同盟国からすれば全方位同盟なんかされたら今後はこっちに攻めてくるつもりではと疑って当然 同盟にはそれに値するだけの褒賞を出さないと裏切られるからね…
今川としては武田の裏切りを徳川に伝えて、徳川すら武田は裏切ると説得した上で対武田包囲網の構築をぶち上げるしかない。
その為にどこまで犠牲にできるのか。
駿河という旨味あふれる大地を狙われずに済むか… ノブの上洛に便乗して逆賊三好を討つ為、忍びがたきを忍びノブ&ヤスと和睦し氏真自ら上洛して義昭政権に食い込む
公家衆との人脈を駆使して武田を牽制しつつ足利一門の名声を武器にノブの敵対勢力の説得に尽力し駿河支配を幕府朝廷に公式に認めてもらう
これで信玄もヤスも迂闊に駿河に手を出せない >>615
織田との同盟なんて家臣や一門が反対するだろう
偉大な親の残した方針なんてものは生半可な息子では変更できないものよ
武田も上杉も明らかな劣勢になるまでは対織田を貫いてた 結果武田は手遅れになり上杉は本能寺に救われた >>616
武田は1564年に義信事件で今川派家臣を粛清してる。
これら桶狭間の4年後。
どのタイミングで「明らかな劣勢」と判断するかは人それぞれだろうけど、少なくともこの時点で武田は反今川と見て間違いない。
義元の戦略は三国同盟あってこそなので、武田が裏切った時点で戦略を見直すってのは間違いでは無い。
その為に、西の外交を改めて北を抜くってのもありっちゃあり。 三国同盟って武田にとっては信濃を手に入れるための後ろ盾だったからね
桶狭間で今川義元が討たれた1560年頃に武田家は信濃の支配権をほとんど手中におさめていたし、桶狭間時点で今川家にはもう用無しと判断されていた可能性は大きいかも 義昭上洛に賛同して信長陣営入りに方針転換
は実現できたらでかい
武田徳川はその縁で結びついて上洛直後に
駿遠同時侵攻をかましてる訳なので
逆言うとその両家は快く思わないだろうし
義元殺した信長と接近することになるので
外交的にかなり難しいミッションだけど だから義輝暗殺とノブの義昭擁立は今川にとっちゃラストチャンスだったのよ
足利一門として義輝56しは黙ってはおれん
三好を討つ為に耐えがたきを耐え仇敵と手を結ぶ
これなら家臣一門も承諾せざるを得まい
流石に家康も信玄も義昭幇助に動く今川を攻められる程無法者では無いだろう
だが武田徳川に挟撃喰らってる氏真に西の動向など気を配る余裕など無かったんでチャンスを逸してしまった 家康は織田との同盟を一番に考えてるし、信長さえ落とせば武田捨てて同盟してくれるだろう。
問題は信長と結ぶタイミングよなぁ。
信玄が突っ込んでくるまでに結べるか。 ヒデ&ヤスと同じでコイツ使えるとノブに思わせれば勝ち
洛中の公家と連絡を取り上洛の根回しを整えてコンタクトを取れば行けるかと >>618
上杉政虎さえ打倒できれば武田は日本海まで突き抜けたのじゃないかな
少なくとも永禄4年の川中島決戦までは北進の方針だったろう >>621
そもそも信長が武田との同盟を捨てて今川を選ぶメリットって何よ? >>624
後々武田が織田の最大の敵になることから考えると同盟今川との同盟は有益なんだが、
この時点でどうやって説得するかだよなぁ… 少なくとも美濃征服前の信長が武田を敵に回すメリットは無いと思うがな
松平が敗亡寸前というのなら手を切って今川に乗り換えるのもありだがそれだと今川が織田と同盟する前提が崩れる
松平としても優勢に進めてる対今川を放棄して武田と戦えなんてメリットが無い
氏真としては起死回生の夢物語なのだろうけど周辺が乗るとは思えない だからこそマジでタイミングが重要なんだよな…
信玄はかなりの野心家な上に織田領とは美濃で接してる訳だし。
信長を説得するのはガチで難しいが… 正直なところ今川氏真が今川家滅亡を避けるifより武田信玄が三方ヶ原直後に病床に伏すことなくそのまま織田領に突撃してくるifが見たい >>500
家康ポジは
武田が手駒が足りなくて諏訪氏や高遠氏に旧領任せることにしたら独立されたって感じか >>629
あんがい穴山や小山田が危ないかもしれない 彼らが半独立領主だったのならだが 上洛時の織田からしたら
武田・・・美濃攻められると困るので同盟堅持したい
徳川・・・恩賞の土地も与えず今川との緩衝地帯として
機能して上洛にも兵を貸してくれる
今川・・・父の代からの宿敵で武田が西に目を向けない餌
かつ徳川への協力の見返り代わり
と利害関係はっきりしてるんで
覆すのは難しいような
義昭を奉じるにあたってその支持を表明した諸将が
争いあってその権威を落とすことはしたくない
というのはあるけどそれだけだもの そこは貴人との人脈を駆使して覆すんだろ
氏真だって決して無能では無かったが滅亡と言う結果になっちまったんだから
一筋縄ではそりゃいかないよ 貴人としての人脈で軍事的な利害を超える
どんな利益を義昭-信長陣営に与えられるか
って話でしょ >>633
逆に言えば、武田が美濃を攻める意思があるぞと押せばワンチャンあったかもな。
武田が信用ならんのは書状からしても明らかだし。 信玄が美濃に野心あるのはノブも重々承知やろ
あまり押せる要素にはならないと思う 武田に美濃を攻める意思があるのならそれこそ今川攻めみたいに織田と武田で美濃を分けるとかできそう
信長としては山奥の東美濃を獲られてもマイナスは少ないだろうし 一応信玄の西上作戦の時に、美濃入りされると人望的にヤバいって話は聞いた事がある。
あるけど、うーん。 >>641
織田領の美濃に入り込まれるのと斎藤の美濃に入り込まれるのとでは全然違うだろう
武田に今川の駿府を落とされても家康の人望が〜とはならないでしょう
そもそも信玄に美濃への野心があったのか 秋山の美濃入りは西上作戦の一環だろうし 要は東濃取られるとノブの信用が低下して裏切るヤツが続出しかねないって事やろ
西上の時は浅井朝倉は落ち目で信玄も信用が無いから濃尾江勢は安泰だったが西近畿は義昭を筆頭にノブを見限ったヤツも多かった