今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
>>477
その道の専門家が信ぴょう性が低いつってるの物を信用できるつって持ち出してきたのがお前や
であればまずお前が研究重視するって態度取るなら、先の研究者の主張はおかしく、ここの記述に該当しないって傍証が必要になるわけ
信ぴょう性は研究の積み重ねでなるもんや、ワイは研究者たちののその主張が信用に足ると考えとるし十分証明になると考えてるが
お前はそれら無視して甲陽軍艦信用できるとか言ってるんやろ? >>480
なんぼ叫んでもお前のレスの信憑性は甲陽軍艦より遥かに下や
甲陽軍艦を否定したいなら甲陽軍艦より信憑性の高い資料出してから反論しろ
以上 >>478
上田原or砥石崩れで武田晴信が討ち死にした後で義信に信濃を維持しろって言ってるようなものだからな すっげーな、現代の史学者が口揃えて言ってる主張完全無視かよ
先行研究に敬意も払えないなら信ぴょう性とか語るなや 今までの話聞いてておれが史学者と主張してると思い込むとか読解するだけのオツム足らんのか?
信憑性だっつーなら史学者の出した解釈に沿え言うとるんや
なんや、それとも素人がろくに先行研究も調べないで鵜呑みにした記述のが研究者が否定する解釈より信憑性高いと本気で思っとるんか?
それでも俺はこの記述は信憑性高いんだ!つーなら、俺がそう思って甲陽軍艦に書いてあるから、じゃなく別の一級史料から傍証引っ張ってこいつってんだよ お前は史学者ではないのでそのレスには何の信憑性もない >>486
もうな、一番根源的なことを弁えてもらいたいから言うけど
ここは飽くまでも趣味カテゴリーの中の戦国時代板の中に立ってるスレ
つまり、みんな趣味レベルでああだのこうだの議論を楽しむ場所に過ぎない
ガチガチの討論をしたいのであれば
学問・文系カテゴリーのところの日本史板に行った方がいいしそうすべきだ
日本史板ならこことは別次元のスゴイ人ばかりだからアンタも満足できるだろう
ここの住人たちは一級資料とか一流学者の見解や最新の研究とかを
突き詰めたいわけじゃないから、ここにアンタが留まってても
物足りなさを感じるばかりで結果的に他の人の意見に突っ掛かって
不毛な争いや混乱を巻き起こすだけになる
ここにいるのは自由だけど、今後も今回のような荒れた状況を繰り返すなら
それはアンタが自分の居場所を誤ったが故に引き起こした
迷惑行為であり荒らしと見做されるのは心得ていてもらわねばならない 本気でオツム悪い子なんやな、誰が言ってるかなんて関係ねーよ
何?史学者が三つ葉葵の紋所かなんかだと勘違いしてんの?
史学解釈に沿うってのは素人でもできる行為で、一般的な史学の手法である
それに背いて主張したいならそれだけの証明が必要になるがあいつはやってないって話
史料解釈がどう行われてどう証明されてるのかわかるだけの脳みそつけてから他人にからんできな レス番飛んでるしまだやってるのか
わざわざNGしやすい特徴づけしてくれてるんだし活用しようぜ
あとどうしても反応したい人は安価つけてくれると助かる >>488
趣味なら史料の信ぴょう性無視していい加減な事喋っていいってもんでもなかろうよ
趣味でもある程度史学のいろは程度身につけろよ
ついでに言えばちゃんと研究理解してる人間はこのスレでも信用のおける一次史料の内容引っ張ってきて書いてるし
一級史料にない講談レベルのもの引っ張って来るなとも言ってんな
バカに合わせろっつー前にバカに最低限の研究への姿勢教える方が先やろ >>488
>ガチガチの討論をしたいのであれば学問・文系カテゴリーのところの日本史板に行った方がいいしそうすべきだ
大昔はそういう棲み分けだったけどねえ ID:4+fNtJZX
横からだが、とりあえずお前ウザいわ
スレ壊す気か? がちがちの討論?このレベルで?
お前の言う大昔がどの程度か知らんがウィキペディアレベルの間違った知識や偏った知識出してきて喧嘩売ってくるアホのが問題やろ
あっそれ信ぴょう性低い史料なんですね 気をつけますで済む話をあほほど引っ張った間抜けに言え >>494
アホにかまってる時点でお前もアホ
ここは煽り合いをするスレじゃないんだよちゃんとスレタイ見ろ >>491
悪いがここは歴史の信憑性無視していい加減なことしゃべっても許される所なんだ
各個人が好きなように空想や仮想していい、それがここであって日本史板との違いなんだ
講談レベルで十分、むしろ難解な資料や根拠を要求される方が迷惑を被る
ここはそういう場所
バカに合わせられない方が悪いとされる場所だから賢いアンタは日本史板にお行き >>482
うーん、たしかに厳しいね
国人衆には離反されまくるだろうし、上杉にゴリゴリ削られそう
ただ、史実では信長は畿内狙いで今川に興味がないので、
「上田原or砥石崩れで武田晴信が討ち死にした後で義信に信濃を維持」
よりはだいぶマシだったと思う へー、じゃあ二度と信ぴょう性だの史実だの口に出すなよ
お前らのやりたい事って思いついた妄想で語りますつってんだから
ノブヤボ知識で語るのと一緒 >>497
川中島じゃなくて上田原or砥石としたのはその時期なら長尾景虎は介入してこないかなと
村上が反抗してきて国人衆は離反しまくるかなと >>499
あーそうか上田原や砥石崩れの時点では長尾氏の介入前か、すまん
それなら余裕で領土守れそうだけどなぁ
南信濃には村上氏も勢力拡大行動を起こしていなかったはずだし
高遠氏や諏訪氏が再起を図って暴れまわるのかな >>500
空き巣できるのなら松平みたいに村上もやるだろうし一度始めたら松平が遠州攻めたみたいに武田領国まで攻めるのでは
再起を図る連中も取り込めればなお良し 武田のほうが村上より地力がとか言い出したら今川と松平もそうだし >>497
織田は畿内、武田は信濃、北条は関東と奇跡的に誰も今川のことなんて気にしてなかったからな
徳川が三河衆を抱えて独立することにさえ目を瞑れば一応は所領安定してた >>482>>500
桶狭間に比べれば被害の少ない史実の上田原でも佐久諏訪で離反起きてるしな。
それ考えると長篠後に大きな混乱起こさなかった勝頼はって反論も可能だけど。
>>497
重臣層もかなり被害受けてるからマシってことはないと思う。 今川氏真はボンボン、ハングリー精神と達観した死生観も何もない甘ちゃん
不運にも弱肉強食の中では生きる場がなかっただけ
それ以外の何ものでもないわw 家康に高家に取り立ててもらって大御所になった日本最高の権力者にタメ口聞いてたらしいよ 今川義元は家康を敵ではなく、ボンボン氏真ための最強の軍師くらいにするつもりでいたんだろw
お父ちゃんが予定外に死んでもうて逆者なりに家康にスリスリして生きるのがええと気がついたんだろw ボンボンだから虎の威を借る狐の才能だけはあったと推測できるw 家康は義元にある意味父のように恩義が感じていただろう
その恩義を出来損ないのボンボンのバカ息子に返していただけちゃうん? 家康は評判を気にするからね
生かしていても害のない人間は生かしておくでししょ 氏真が自分にへーこらするのは殺すよりも優越感を味わえるのかもしれない 織田信雄なんかもその類だろう
信玄の孫(仁科盛信の子)なんかも家臣にしてるし
新田宗家の岩松氏も家臣にしたが20石しか与えない屈辱プレイ 宇喜多秀家も生かして八丈島に流してるし、もし秀頼を生捕りにできてたらどんな恥辱を味合わせたのだろう 駿河国主に復帰させるという約束の代わりとしては釣り合わんよね
まさに評判を気にしただけやな >>514
目の前で秀頼と淀君を無理矢理セックスさせたりしてな 家康は狸だけどそういう変態的なねちっこさは感じない
自分が淀に手を付けるくらいじゃないか
後家好みだし とんでもなく下世話で悪趣味な話になってるな
氏真関係ないし この話のが意義とかなしの不毛な話なんだから
不毛でなにが悪いって返すべきでしょ
有意義な話では決してないんだから 雑談で、別に今川氏真の研究とか詳しく知りたいってのでもなく正しさとか抜きで話すのが目的だから不毛で良い訳じゃん?
いやまぁ不毛かどうかじゃなく話がずれてるし悪趣味だから切り上げね?って点見てほしかったんだけどさ 流れ変えたい時はヤダヤダー!ってやるよりも自分から話題振る方が建設的だぞ >>523
なるほどありがと
じゃあ、今川氏真のつまづき始めな一つ
北条が長尾に攻められてそっち助けにいかなきゃいけなかったのをなんとかする方法ってなんかあるかな
幕府に北条と上杉の停戦頼む?今川氏塗り輿の使用許可出る立場だったし >・ついに武田信玄による本格的な侵略が始まり国主としての政権を喪失、以後は行方知れず
行方知れずになったのって氏真じゃなくて朝比奈じゃなかったっけ? >>525
朝比奈なら徳川家の家臣についてるはず
それまでどこにいて何をしてたかについては全く不明状態らしいけど 朝比奈は北条に亡命するまでは付いていったらしいけど浜松には付いていかず?
後に徳川家臣(酒井)に仕えたという説もあるみたいだけど本当なら朝比奈レベルの武将なら記録に残るのじゃないのかな
まあ武田四名臣の子孫とかも行方不明みたいなものだけど >>524
一番手っ取り早いのって上杉憲政を越後入りする前に殺しとく事だろ
関東管領自体が断絶すれば謙信が管領継承など本来ありえないのだから
そうすれば関東征伐を謙信が実行する大義名分は消失する(要は頑張れ北条)
ただしこの場合多分信玄が一番対謙信の被害を受けるので、桶狭間後に
武田が南下政策をとる可能性は残ってしまうけど
ただこれなら氏真が三河に援軍出せる可能性があるから、松平を
何とか繋ぎ止められるかもしれない 山本勘助の家なら回り回ってあの五十六だわな。
肝心なところで奇策で自滅する家系なんかな。 >>529
よく考えたら室町幕府の職である関東管領を
上杉家が勝手に長尾家に譲ってOKなもんだったの? 長尾家に譲ってないでしょ
謙信は山内上杉家15代当主 幕府の役職や公家の官位は基本的に親から子へしか受け継ぐことができないからね
秀吉も近衞前久という人の養子になることで関白就任してるわけで
ただし当時の近衞前久は49歳、秀吉は48歳で普通は養子になれる年齢差ではなかったので養子入りはあくまで形式的なものだけど >>534
そう
それで関東管領の職と政の一字を譲られて長尾景虎から上杉政虎に改名してる 関東管領って最初は世襲制でもなんでもなかったよね? わが軍勢、桶狭間に敗れたとはいえ、
その2万の兵ほぼ無傷でございます。
若殿自ら仇討の御旗打ち立て軍を進めれば、
逃げ散った軍勢ことごとく集まって参りましょう。
大高城には未だ松平勢2千余がおりますれば、刈谷城を前線とし
東西より挟撃すれば、小勢の織田必ずや軍を引くでありましょう。
もし御屋形様の仇うたず、敵地に取り残されたお味方見捨てるとあらば、
我が今川の勢威に服していた三河、遠江国人必ずや離反いたしまする。 お待ちくだされ、若殿!
蹴鞠などしてる場合ではございませぬぞっ!
今こそ無二の戦いを仕掛け武家の意地を示す時にございまする!
今、若殿立たねば甲斐や相模も当家を侮り、
攻めて来るやも知れませぬ!
なにとぞ、なにとぞ出陣の下知を!! 信玄が攻めてきたときも自身は出陣せず家臣に任せていたのだからどうしようもないよなあ
家中がガタガタな状態な上に相手があの信玄なのだから士気を上げるためにも自ら出陣は当然だろう
大坂の陣でずっと引きこもっていた秀頼と大して変わらんわ 秀頼→流されるままに家康に敵対し大阪城と一緒に燃える。
氏真→信長に蹴鞠を披露。家康とも仲良くする。高家として大切にされ安穏に暮らす。
ぜんぜん一緒じゃねえなあ 秀頼と氏真は流石に状況が違いすぎるわ
そもそも氏真の生き方って現代では勝ち組扱いされるけど、
当時は「殺す価値もない」って思われてたってことでしょ
秀頼が助命されなかったのは家康がそれだけ秀頼を恐れていたってことだし、
武士的な価値観では名誉ある死だよ >>544
2020年にも通ずる価値観で人生楽しんでた方が時代先取りしすぎてるし革新性が高いやろ
まさに氏真は真の意味での時代の革命児やん
名誉の死なんて土人の価値観、今じゃカビ生えとるやん 家康って義元が横死せずに氏真がそこそこ有能だった場合は
裏切らなかったのだろうか
もしどっちみち裏切るなら早めに戦死してもらった方がいいよな 父親を殺した仇に蹴鞠を披露って並大抵の人間じゃないだろ
悪い意味でどっかズレてたんだろうな生まれつき 当時は現代人が理解できないくらい名誉を重んじていたから
当時の価値観からはかなりズレてだろうな >>546
今の時代でも氏真みたいな生き方してる奴がいれば、すげー嫌われてそうだがな
>>548のいう通り、生まれつきズレてたんだと思う 現代でいうと
創業数百年の大企業を父親の急死で継いだものの遊び呆けて潰し
妻の実家でふらふらニートやってるのを見かねた元部下(年下)の会社に拾ってもらった感じか
家柄と運とリフティング以外に褒めるところあるか? 意地と面子で御家断絶するよりはマシかな
現実というものは受け入れているわけだし 時代の革命児()なんて大層なものではないことは確か >>546
そんな生き方なら氏真より千数百年前に劉禅がやっているよ 現代は劉禅や氏真が正しいとされてる時代やん
彼らは動物的で血生臭い時代に流されなかった
人類が本心で求めていたのは殺戮よりも安楽と文化だろ >>551
父親は急死したわけではなく隣町の同業他社との価格競争で負けて大赤字を背負わされて失踪
元部下の会社に拾われた息子はカラオケが好きだという噂を聞いて同業他社の社長が「俺の前で歌えよw」と呼び寄せたら喜んで歌い始めた
って感じじゃね 価格競争で負けたなんてよくある話じゃない気はする
現代なら速報出るレベルの大事件
あとカラオケに例えるのも意味不明
素直にリフティングで良いだろ 勢いに乗りまくった義元がなぜか織田家に首を跳ねられるなんて速報ものの大事件だろ、当時でさえ周辺諸国の大名が信長を認めるきっかけになったんだから
それとリフティングなんて今どき流行ってないだろ
当時は遊びの代表格が和歌か蹴鞠だったからそれを現代の遊びの代表格に置き換えたと見ればそこまで不自然ではない
というか、所詮はただの例でしかない>>557の話にそんな顔真っ赤にして食いつかんでもいいじゃねえか
何がお前をそんなに駆り立ててるのやら そもそもにおいて「父親を殺した仇である信長の前で蹴鞠を披露するなんて氏真も変な奴だったんだろうな」という話の流れだったのに「氏真の人生を現代風に例えるなら父親が急死して〜」の時点でもう例えになってないじゃん
親の仇に蹴鞠を披露しろって言われて素直に従うズレっぷりを指摘してるのに肝心の親の仇が出てこない例えに何の意味があるんだよ 今川氏真って実際には反乱起こした遠江国人衆を粛清したり、
三河にも侵攻したりしてたんでしょ
ということは世間で言われているほどのバカ殿ではなく、
常人ぐらいの能力はあったってことだろう
しかしそれぐらいじゃ周囲が武田信玄・北条氏康・上杉謙信・織田信長・徳川家康という無理ゲー環境ではなすすべもなかった
どれぐらいの能力があれば今川家を存続できただろうか
アレクサンドロス大王や項羽ぐらいの能力があれば遠江三河尾張と進軍して上洛できそうではあるが >>547
そりゃあ裏切らなかったんでは。義元戦死といっても今川は北条や武田と同盟結んでるから
全力で三河に出るならまだ、一万くらいは出せるだろうし、家康死ぬもん。 反乱を起こした遠江国人衆を粛清
↓
氏真「もう反乱するな。新しく人質をよこせば許してやるぞ。もし寄越さないなら今まで預かってきた人質を皆殺しにするぞ」
国人「うるせ〜〜 知らね〜〜」
氏真「なんで言うこと聞かんのじゃ えぇいもう人質の首刎ねろ」ズバー
国人「えっマジでやるんか……引くわ……家康のとこ行くわ……」
三河にも侵攻
↓
氏真「おい家康、俺を裏切るどころか織田家と同盟まで結びやがって」
家康「うるせぇ帰れ」バキィ
氏真「ぐぬぬ この恨み晴らさでおくべk
家康「だからうるせぇこっち来んな 国境に城立てて道塞いだったわバーカバーカ」 国人衆のところには、武田勝頼と徳川家康の両家から、所領安堵の約束の元で協力を求める書状が出されてるな 遠江を再平定した後、家運を賭ける覚悟で
全力で家康と戦って勝つしか今川家を復権させるすべはないだろう
できれば本多正信が家康と戦ってる時に本多と協力して戦えれば理想的だな そこまでする度胸があるならそれより前に家康が独立するより早くに桶狭間の弔い合戦を始められた気もするけどね
結果論かも知らんが要所要所で国や兵をまとめることが出来なかった時点でやはり国主の器はなかったということ >>567,568
史実でも家康と一戦交えてはいる、負けたけど
いわゆる「一宮の後詰」の戦い
まぁこの戦い自体色々怪しくて、
いつ起こったのか、戦の経過についても諸説あるが
1564に吉田城が開城してるから、この直前に何らかの戦いがあったのは有力だと思う
1560に桶狭間、1561に小田原城の戦い、1562(もしくは1564)に家康と戦ったと考えれば
当時のかなり積極的に軍事行動を起こしていたといえる >>569
それなら正信の一揆軍と連携するのにピッタリのタイミングだよね
西三河の南部を一揆軍、北部を家康が治めてたから三河の東半分まで押さえて
家康を岡崎周辺に押し込めておけば信玄も家康を今川挟撃の相手にもならないと考えて
南下政策は取らなかったかもしれない >>563
他の面子はともかく松平元康は当時としては雑魚 雑魚すら抑えられなかったから信玄に狙われた
氏真が不運だったとするならその雑魚が超有能だったこと それでも早い時期に力押しできれば潰せたと思うけどね
桶狭間前の今川と織田の力関係みたいなものだろうから >>570
1562説にしても1564説にしても三河一向一揆とは微妙にタイミングがズレてる気がするが…
まぁとにかく氏真は最低1回は家康との戦に負けてしまった 一宮砦の戦いは一次史料じゃ確認出来なくて、江戸時代以降の軍記物にしか記録ないんじゃなかったか? 信玄も若い頃に上田原の戦いと砥石崩れで重臣を失う大敗北を喫したけど
その後は御家を建て直し100万石を超えるまでになったからな。
土台の駿河は安定してたしやり方次第では氏真も巻き返しは可能 >>575
まぁ信玄の時は同盟裏切って攻めてくる不届き者なんていなかったし 北条に恩売ったのが徳川の庇護につながったとみると史実は割と成功ルートやな
豊臣みたいに次代で速攻潰されたのより家としてみれば御の字 ここの軍師連中の言う通りにした氏真が史実より成功人生おくれるとはとても思えないんだが
よくて武田勝頼のような最期だろ >>578
なにを言ってんだ
氏真はビビリだから長篠の勝頼みたいに防御体制の敵に
半分以下の兵力で突撃するような蛮勇丸出しの戦いはしないんだよ 勝頼が長篠で馬防柵に突っ込んでいったのって
別働隊に後ろを取られてたというのもあるけどそれ以上に両軍向かい合ってる段階で信長が大口径の鉄砲を持たせた筋肉自慢の男を数人引き連れて至近距離からボカスカ撃たれて挑発されたことで頭にきたから、という話もあるよね
自分が読んだ書では亡き父信玄公が三方原で徳川軍に石を投げて挑発した過去が長篠では意趣返しされていて滑稽だとか書いてあったけど
これが氏真だったら挑発されて逆に顔真っ青になって逃げてそうだよな >>577
北条への援軍はほどほどに三河をなんとかしろという意見があるけど北条を怒らせたら信玄と一緒に攻めて来る可能性もあるな
信玄が今川攻めるのに最初北条を誘った(駿河は北条、遠江は武田?)というのは小説だけの話なのかね >>583
氏康の娘を今川に嫁がせてるから北条が攻めてくる確率はかなり低い気がする
信玄の今川侵攻の際に氏康の娘がズタボロになって帰って来たのを見て激怒したらしいから >>584
激怒したのは輿も用意されずに掛川までの逃避行を強いられたからじゃなかったっけ
小田原に戻った時にズダボロだったのなら掛川を攻めた徳川の責任が大だろう 桶狭間後直ぐに掛川城に入っていれば家康や
三河の国人達も迂闊には動かなかっただろうな 御殿のような今川館が快適すぎて無粋な掘立小屋みたいな
当時の城塞には死んでも行きたくなかったんだろうな
気持ちは痛いほど解る
桶狭間や武田侵攻みたいな重要局面でも頑なに出陣せず
初陣がいつかさえ分からないってのは氏真さんガチで外に出たくなかったのかもしれない >>524
>幕府に北条と上杉の停戦頼む?
無理だろ、関東管領就任は幕府の許可得ているんだから、
北条征伐はある意味幕府の公認受けているようなものだろ。 数多くの戦をくぐり抜けてきたからこその「畳の上で死ねた」なんだよ
氏真に使う言葉じゃない >>586
岡部は鳴海で粘って義元の首級を貰い受けた後、撤退するにしても
三河で粘ろうと思わなかったのかな?岡崎に入城しても信長との停戦に
違反はしないだろうし。
今川についたふりして裏切った(と思われる)水野を誅殺してるから、
敗兵を率いて留まるには三河は安全地帯ではないと考えたのかも知れんが。 >>596
桶狭間の時の義元は上洛なんて大それたこと考えてなくて、織田の反撃に対して
鳴海と大高に後詰して、あわよくば尾張獲れればくらいだろう。
三国同盟で北にも東にも行けない今川は、尾張や伊勢湾交易圏を狙うしかない。 >>595
義元の首を駿河に持って帰る必要もあるしなあ
こればっかりは自らの手で送り届けたかっただろう
それに氏真に改めて自分の領地の保証書でもある朱印状を貰わないと不味くない?
それに三河は今川家視点安全な土地じゃないだろ 岡崎に元康が先に入城していた場合、岡部が入ろうとしても無理だったのでは
元康が離反するとわかっていれば岡部の対応も変わったかもしれんが三河で粘る云々は結果論かなあ というか主君の命令もなく
自分のものでもない拠点を占拠する
って結構やばい行動だぞ
自領の安堵も受けてない状態で
遠く離れた他国でそんな危ない橋渡れないだろ 三河で粘る云々は結果論だね
そもそも、桶狭間直前に三河全土で大規模な国人一揆(三河忿劇)が起きていたから
今川の三河支配は上手くいっていなかったという説もあるし、
勿論、今川はそれを抑え込んだから桶狭間へと進むことができたんだけど、
桶狭間で義元死んだからそりゃ反今川の反乱が再燃するよね あの時点で、三河西部に留まれる事のできる今川方の家臣や国人って
それこそ松平位しかいないんじゃないの
松平はまさにそこが根拠地だからそこを織田方に制圧されることは
己の立場の事実上の崩壊を意味するし
問題は(やむを得ないとはいえ)今川が松平を事実上見捨てる形になった事だけど 味方が総崩れだからその城奪おっと
っていうのは下手すりゃ謀反だぞ
それやったのが元信なわけだけど
まだ元信には自分の本領だから守らなきゃいけないとか
弔い合戦のために出兵待ってますとか言い訳あったけど
氏真はそれでも逆心として扱った >>601
占領地を統治するためにそこの兵を率いて外征するってのは戦国時代ではよくある話では それやった説も出てるんだろ?
信玄に三河は家康にくれてやるって書いた手紙もあるとかないとか
結果信玄がキレて駿河侵攻招いたと 今川の支配から逃れることを考えていた松平がたとえ対等な関係であったとしても今川との同盟を受け入れただろうか? 今川と同盟したら松平は全力で武田に当たれる そりゃ信玄はキレるだろうな
そもそも三国同盟は今川は西、北条は東、武田は北へ侵攻するのが前提だし >>609
松平元康は今川一門衆に列する予定だったって話もあるし徳川としてはそこまで問題は無さそう。
問題は今川で、かつて部下だった徳川と対等同盟ってだけでかなり屈辱的なのに、その徳川の背後には義元を討った信長もいるっていう心理的抵抗もある。
さらに問題なのは徳川と同盟するとしてどこで国境を定めるか。
一番良いのは三河の支配を認める、だけど
最悪の場合、遠江まで認めないといかん。
しかも武田が侵攻してきたらおしまいなのでそれまでに徳川を説得しないとならん。 義元が桶狭間で討たれた時点でどうやっても詰み
結果論で言うなら徳川を完全に支配下に置いてなかったとこから既に失態 周辺国全てと同盟して引き籠った戦国大名っているのかね?
既存の同盟国からすれば全方位同盟なんかされたら今後はこっちに攻めてくるつもりではと疑って当然 同盟にはそれに値するだけの褒賞を出さないと裏切られるからね…
今川としては武田の裏切りを徳川に伝えて、徳川すら武田は裏切ると説得した上で対武田包囲網の構築をぶち上げるしかない。
その為にどこまで犠牲にできるのか。
駿河という旨味あふれる大地を狙われずに済むか… ノブの上洛に便乗して逆賊三好を討つ為、忍びがたきを忍びノブ&ヤスと和睦し氏真自ら上洛して義昭政権に食い込む
公家衆との人脈を駆使して武田を牽制しつつ足利一門の名声を武器にノブの敵対勢力の説得に尽力し駿河支配を幕府朝廷に公式に認めてもらう
これで信玄もヤスも迂闊に駿河に手を出せない >>615
織田との同盟なんて家臣や一門が反対するだろう
偉大な親の残した方針なんてものは生半可な息子では変更できないものよ
武田も上杉も明らかな劣勢になるまでは対織田を貫いてた 結果武田は手遅れになり上杉は本能寺に救われた >>616
武田は1564年に義信事件で今川派家臣を粛清してる。
これら桶狭間の4年後。
どのタイミングで「明らかな劣勢」と判断するかは人それぞれだろうけど、少なくともこの時点で武田は反今川と見て間違いない。
義元の戦略は三国同盟あってこそなので、武田が裏切った時点で戦略を見直すってのは間違いでは無い。
その為に、西の外交を改めて北を抜くってのもありっちゃあり。 三国同盟って武田にとっては信濃を手に入れるための後ろ盾だったからね
桶狭間で今川義元が討たれた1560年頃に武田家は信濃の支配権をほとんど手中におさめていたし、桶狭間時点で今川家にはもう用無しと判断されていた可能性は大きいかも 義昭上洛に賛同して信長陣営入りに方針転換
は実現できたらでかい
武田徳川はその縁で結びついて上洛直後に
駿遠同時侵攻をかましてる訳なので
逆言うとその両家は快く思わないだろうし
義元殺した信長と接近することになるので
外交的にかなり難しいミッションだけど だから義輝暗殺とノブの義昭擁立は今川にとっちゃラストチャンスだったのよ
足利一門として義輝56しは黙ってはおれん
三好を討つ為に耐えがたきを耐え仇敵と手を結ぶ
これなら家臣一門も承諾せざるを得まい
流石に家康も信玄も義昭幇助に動く今川を攻められる程無法者では無いだろう
だが武田徳川に挟撃喰らってる氏真に西の動向など気を配る余裕など無かったんでチャンスを逸してしまった 家康は織田との同盟を一番に考えてるし、信長さえ落とせば武田捨てて同盟してくれるだろう。
問題は信長と結ぶタイミングよなぁ。
信玄が突っ込んでくるまでに結べるか。 ヒデ&ヤスと同じでコイツ使えるとノブに思わせれば勝ち
洛中の公家と連絡を取り上洛の根回しを整えてコンタクトを取れば行けるかと >>618
上杉政虎さえ打倒できれば武田は日本海まで突き抜けたのじゃないかな
少なくとも永禄4年の川中島決戦までは北進の方針だったろう >>621
そもそも信長が武田との同盟を捨てて今川を選ぶメリットって何よ? >>624
後々武田が織田の最大の敵になることから考えると同盟今川との同盟は有益なんだが、
この時点でどうやって説得するかだよなぁ… 少なくとも美濃征服前の信長が武田を敵に回すメリットは無いと思うがな
松平が敗亡寸前というのなら手を切って今川に乗り換えるのもありだがそれだと今川が織田と同盟する前提が崩れる
松平としても優勢に進めてる対今川を放棄して武田と戦えなんてメリットが無い
氏真としては起死回生の夢物語なのだろうけど周辺が乗るとは思えない だからこそマジでタイミングが重要なんだよな…
信玄はかなりの野心家な上に織田領とは美濃で接してる訳だし。
信長を説得するのはガチで難しいが… 正直なところ今川氏真が今川家滅亡を避けるifより武田信玄が三方ヶ原直後に病床に伏すことなくそのまま織田領に突撃してくるifが見たい >>500
家康ポジは
武田が手駒が足りなくて諏訪氏や高遠氏に旧領任せることにしたら独立されたって感じか >>629
あんがい穴山や小山田が危ないかもしれない 彼らが半独立領主だったのならだが 上洛時の織田からしたら
武田・・・美濃攻められると困るので同盟堅持したい
徳川・・・恩賞の土地も与えず今川との緩衝地帯として
機能して上洛にも兵を貸してくれる
今川・・・父の代からの宿敵で武田が西に目を向けない餌
かつ徳川への協力の見返り代わり
と利害関係はっきりしてるんで
覆すのは難しいような
義昭を奉じるにあたってその支持を表明した諸将が
争いあってその権威を落とすことはしたくない
というのはあるけどそれだけだもの そこは貴人との人脈を駆使して覆すんだろ
氏真だって決して無能では無かったが滅亡と言う結果になっちまったんだから
一筋縄ではそりゃいかないよ 貴人としての人脈で軍事的な利害を超える
どんな利益を義昭-信長陣営に与えられるか
って話でしょ >>633
逆に言えば、武田が美濃を攻める意思があるぞと押せばワンチャンあったかもな。
武田が信用ならんのは書状からしても明らかだし。 信玄が美濃に野心あるのはノブも重々承知やろ
あまり押せる要素にはならないと思う 武田に美濃を攻める意思があるのならそれこそ今川攻めみたいに織田と武田で美濃を分けるとかできそう
信長としては山奥の東美濃を獲られてもマイナスは少ないだろうし 一応信玄の西上作戦の時に、美濃入りされると人望的にヤバいって話は聞いた事がある。
あるけど、うーん。 >>641
織田領の美濃に入り込まれるのと斎藤の美濃に入り込まれるのとでは全然違うだろう
武田に今川の駿府を落とされても家康の人望が〜とはならないでしょう
そもそも信玄に美濃への野心があったのか 秋山の美濃入りは西上作戦の一環だろうし 要は東濃取られるとノブの信用が低下して裏切るヤツが続出しかねないって事やろ
西上の時は浅井朝倉は落ち目で信玄も信用が無いから濃尾江勢は安泰だったが西近畿は義昭を筆頭にノブを見限ったヤツも多かった 東美濃については信玄が弘治元年に岩村城を攻め
続いて景任の家督継承についても支援して
武田家に従属してるようだね
ただ明知遠山氏が長良川の戦いの時義龍に着いたり
有名なとこだと景任が信長の叔母を娶ったり
遠山氏は一枚岩でもないし(苗木明知岩村の三頭)
独自外交もしてると
知らなかったのだからWikipediaによると
永禄8年に武田は東美濃で森可成とも戦ってる
勝頼室が苗木遠山氏の娘で信長の養女なのは
その和睦の縁組とのこと
この和睦・縁組があったのは永禄8年11月
飯富虎昌が処断され義信が幽閉された頃
一方京都では同年5月義輝が殺され
のちに還俗する義昭が活動を開始して
上杉と北条武田の和睦を命じたりし始める
武田織田の和睦自体が大きく見れば
永禄11年義昭上洛と今川領侵攻に向けての
動きな訳でこれを今川の立場で阻止するのは
相当な困難ではないかと 今川家として1564年以降取り得た外交は
上杉・徳川・織田
なわけで、まずは上杉と徳川に全力を傾ける必要がある、が… 上杉謙信は信濃と関東にしか興味ないのでは
対武田なら多少は役に立つだろうけど駿河に侵攻の知らせを聞いてわざわざ越後から助けに来てくれると思うか? 戦争で重要なのは敵の敵を作ること。
謙信がどんな男かなんて本人以外誰もわからないのだから信濃だけで済むか信玄にはわかるまい。
謙信が信玄と敵対してくれれば、今川への攻撃は小さくなる。
問題は史実では信玄が今川を攻撃したから北条が武田を攻撃して上杉と同盟したけど、
今川か
攻撃するってなって果たして北条が味方してくれるかどうか… >>647
軍神様が「敵に回すと厄介だけど、味方としては頼りない」ことは
後北条含む関東諸将の、敵味方越えて意見が一致するところだしな(笑)
>>645
高野口(神篦口)の戦いだな。織田vs武田初の武力衝突で、武田軍が
美濃で最も西まで進出した一件なのに、『信長公記』でサラッと記述されて
おしまいだからか、かなり詳しい信長本や信玄本でもスルーされてる。 ほぼほぼ史料が残ってないのに取り上げられる訳ないやん
かわい氏が信長戦記で取り上げたからこの板じゃ度々話題に上がるけど
史料的根拠の乏しい案件は学者先生は論説の保管ができないから研究したがらないよ >>649
軍神を頼って亡命してきた奴を口実に信濃や関東に出陣したが旧領回復にほとんど寄与しなかったからな
上杉家が北信濃を得るのは内乱で多くを失った本能寺後という 士業、公務員、医者などは、AIに駆逐される職業の代表格に挙げられます。
このような枠組みに守られた、定型的な仕事というのはAIに代替しやすいからです。
AIは人間に比べて、休憩時間を必要とせず、ミスを犯さず、給与も不要というメリットがあります。
例外的に看護師は安泰じゃないかとされますが、議論と関係がないのでやめておきましょう。
今後は英語の重要性が更に高まるでしょう。
現在、世界には約200か国あり、言語は約6,000存在しますが、グローバル化とインターネットにより英語とスペイン語が支配的になっています。
半数の言語は話者がいなくなり、英語を話せるのは最低限の条件になります。
「英語が出来ない人」というだけで、一段低い人間だと見られる傾向は既にビジネスの世界ではありますが、今後は社会通念になる可能性もあると思います。
そもそも、世界的な学術誌は英語中心になっており(英語力が低い人=学問と無縁な人という価値観の加速)、プログラミング言語も英語であり、ビジネスでは英語の重要性が高まっています。
AI翻訳により、ごく簡単なやり取りは日本語で事足りるようになっても、「AI翻訳が必要な相手」と見なされるでしょうし、文書を読み解くリーディング力や、言語を介した高度な感情の伝達まで補うものではありません。
もちろん、英語が出来ること、というのは最低条件に過ぎず、英語が出来るからといって成功するということではありません。 >>1
> どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
イ.駿河國を丸ごと北條に献上して今川家は御一門衆扱いにしてもらう
ロ.駿河國を丸ごと武田に献上して以下同文
ハ.駿河國を丸ごと織田以下同文
ニ.駿(中略)徳(以下略) >>648
味方しねえよ。
武田が同盟破棄して今川を攻めたから北條は同盟履行して今川に味方した。
今川が同盟破棄して武田を攻めたなら北條は同盟履行して武田に味方する。 自分から他国の傀儡になりにいくムーブて
実際にはそうそう成立しないよね
自分を支える家臣の所領・権益は守らんと
逆にそいつらから殺されかねんし
そこ守っちゃうと傀儡にする側の旨味ないし 結構な無理ゲー
三河は諦めて北条と結ぶ
問題が武田だが義信を担いでクーデター
って結構史実通りになっって滅亡だな そして農政書と孫子・六韜の軍書を真剣に熟読することにより、駿河十五万に巣食う獅子心中の虫 武田信虎を討伐する必要性を、痛感します 信虎を殺したら武田の駿河侵攻のよい理由にされそう
内心は君臣とも大喜びでも激怒して侵攻してくるよ >>164
親殺しの斎藤は同盟者の六角にも嫌われてた
戦国でも親殺しはタブー
今川が協力求めることはない 六角が息子への書状で
斎藤は織田、朝倉、東濃の遠山敵に回して同盟しても役に立たないって言ってるもんな そもそも桶狭間の戦いは100戦やったら織田は何戦今川に勝てるの? 実際の兵力差は織田軍約8000万対今川軍1万2000から5000程度なので
防備固めて地元で迎え撃つ織田軍に勝つのは無理だろう
いくつか城落としてもいずれ駿河に撤退、織田軍撃って出て奪われた城奪還と上杉対北条のようになるだろう
だいたい支城1つにつき動員数は400から多くても500
今川の支城は約30。これに当てはめると1万2000から1万5000
今川が武田に攻め込んだ時は駿河遠江で7000
後に家康が三河遠江で8000から9000
天正壬午の乱では駿河まであったのに信濃派遣軍は8000が精一杯。
それ+駿河戦線入れても1万5000は超えないと思われる
北条軍が4万からさらに援軍1万が来ると絶望的知らせ受けても一兵も送った記録無し
1560年の今川が25000はまずありえない
たとえ背後が同盟国で守備兵少なめでもありえない 6対4くらいの割合で今川に有利じゃない?
地勢に関してはノブに分があるしそれを生かして勝った訳だけど
尾張勢は今川に媚びるやつらも多かったし兵力差は如何ともしがたい ゆうて二万越えの兵力動員するか?
知多半島の制海権を左右する要所とは言えたかが小城二つの為に 鳴海は今川の尾張における拠点
失えば今後尾張への影響力を失うし
大軍で取り返せば周りもなびく
2万あってもいきなり一国切り取り
というのはあまり現実的ではない スレの趣旨からは外れるが、今川氏は義元時代でも強大なイメージがしないし、
伸び代が無かったような気がするけどどうなのかな。
三河を支配下に置いて3か国の太守だけど山が多くて石高が低めだし、
侵攻方面の織田は地理的に恵まれて石高も経済力もそれなりに持ってる。
桶狭間が無くて義元が長生きしてても対尾張戦では引き分けとか撤退を続けて
伸び悩んだんじゃないかと思えてならない。 だからこそ伊勢湾に出て制海権を取りたかったんじゃないかな
織田が台頭する前は尾張の斯波は今川に押されてて伊勢湾海運の利権は今川に流れていた
ところが織田が台頭して伊勢湾三河湾の海運利権を脅かし始めたので義元は松平を支援して三河、尾張に侵攻したと言うのが俺の見立て 井伊直親を殺害せず、駿河侵攻のとき井伊谷城にしばらく引き篭もる
三方ヶ原の戦いで武田軍に敗走し、浜松城に逃げ帰る徳川家康を全力で捕まえる
家康を人質に三河を支配し、直ぐに織田信長に服従する
本能寺の変まで蹴鞠をして時間を潰す
賤ヶ岳の戦いの後、直ぐに羽柴秀吉に服従する 井伊谷城なんて実際行ったことあるならわかると思うけどあんなの防衛には適してないよ
三岳城だったらまだわかるけどね 氏真は史実では掛川城に籠城したけど、井伊谷城に籠城すれば
武田も松平(徳川)も氏真を相手にしないのでは
井伊谷城から戦況も見守り、浜松城(引間城)に逃げ帰る家康を生け捕りにするしか方法がないと思う
家康には、駿河を取り戻し次第、三河を返す約束をしておけばいい
あとは時の権力者に服従して今川家を守るしか方法がないのでは 永禄の変に便乗して逆賊三好を討つ為に忍びがたきを忍び織田と和睦
義昭上洛に参加し公家や貴人との人脈を駆使して義昭政権に食い込む 義元死んで謙信の関東遠征から北条助けたところで北条から養子貰い家督譲って従属
これで武田にちょっかいかけられず
徳川も大国北条に手出しできず安泰
史実でも織田と北条は関係良好で義昭の織田包囲網に参加しろ要請にも最後まで加わることもなく
織田から武田の背後ついてと言われれば念願の上野甲斐ゲットできるチャンスで北条もノリノリ
佐竹も織田とは早くから関係いいので織田が北条にちょっかいかけるなよと言えば武田攻めに集中できる それもノブが4んだらソッコーで滝川の背中を刺す有り様だぞ
織田と北条は隙あらば相手をぶっ●す気満々だろ武田と言う共通の敵が居たから手を組んだだけで 武田征伐で日和見するまで織田、北条関係いたって良好
武田による反北条勢力抱きかかえた北条包囲網敷かれたときから織田とは対武田で包囲仕返してる
ただ氏政は優柔不断で織田軍の快進撃を中々信じず織田の勝利確定になってようやく出陣したから信長怒って北条が奪った領土返せと怒られた
信長死んだあとなりゃそりゃ侵攻するだろ
別に家臣でもない領土増やす絶好のチャンス
森速攻トンズラで空白地帯になるのわかりきってて後に川尻も殺され織田軍の統治がうまくいかないのわかりきってる
信長に従属してた木曽も裏切り滝川が領内通るのも阻止しようとしてた
徳川だって甲信進行して奪った領土を織田政権に返してない
織田政権にのちに侵攻許可貰ったけど信長死んですぐ依田信蕃信濃に派遣し元武田家臣味方につける工作はじめてる
てかそんなあとの話してないでしょ
信玄在命中なら早い時期に北条から養子貰いあと譲れば滅亡しなかった てか1580年に北条は自分から織田に従属してるけどな。 第1話 父と子
第2話 三河併呑
第3話 桶狭間血戦
第4話 駿河夢幻
最終話 氏真の挽歌 今川の強味は戦国大名化が早かったのと家格が高かったのを両立してたことかなぁ 【京都市・下鴨神社】新春の恒例行事「蹴鞠初め」 巧みな足さばきを披露し参拝者を魅了
https://youtu.be/C_4qmkFEnXI 武田義信を支援して信玄隠居
三国同盟継続ならば対徳川一本に間口を狭められるから滅亡回避 一応城持ちまでは復活したし
後もう一つ武勲を立てられたらなぁ… たまったま昔なじみが天下とって優遇してくれたとかいうある意味超絶ラッキーボーイ 我々が思う以上に義元が超有能で
ワンマン経営に近かったんじゃない?雪斎のサポはあったにせよ 今川家が断絶したのは明治時代だっけ?
そんな遥か先のこと、氏真にどうこうできることじゃねーだろ
支流にした品川家は残ってるし
なお、晩年の氏真は品川家(次男の家)で隠居生活を送った
長男は既に若くして没していたため、今川本家はまだ少年だった孫が当主に就いていた
さすがにまだまだ年若い孫の家に厄介になる訳にはいかなかったのだろう 誰も高家の話なんてしてないだろ
アスペって大名としてのスレッドてレスしあってるのわからないのか
そもそもここ戦国スレだ馬鹿 >>688
そこまでのやる気を見せてくれたら家康も味方のままでしょ こちらから同盟破棄して信濃に攻め入ったらどうなっただろう? 今年の大河じゃ、氏真は裏主人公っぽいし
そのうち、早川殿と夫婦揃ってのW主人公な大河やるかもね
同じ夫婦なら立花宗茂・ァ千代の方が見せ場あると思うけど、
あっちは仲悪いし、嫁の方が早死
夫は朝鮮出兵で活躍だからなあ 義元死んだだけで遠江反乱起きまくり
別にどっかの勢力が調略したわけでも攻めてきたわけでもないのに
イヤイヤ今川に従ってたんだね
20年以上統治してたのに義元の政治は巷で言われてるほど高く無いな そりゃ遠江の城主達とその近習も多数討ち死にしてるし仕方ないかと 武田は長篠で重臣死にまくりさらに国衆の親族参加しまくってた高天神城見捨てたのに1582年の甲州征伐おきるまでは寝返り起きてない
今川は桶狭間から速攻で反乱ラッシュ
元々今川が嫌われてたのか氏真が魅力なさすぎたのか遠江が加賀なみに当地の難しい土地なのか
でも家康は順調に統治してたからな
武田の大軍来ても甲州征伐のような現象は起きなかった 信秀、信長の対今川の経済封鎖で家臣の不満が高まっていたようだし
今川氏真一人に責任を被せるのは違うだろう 現代人の感覚なら徳川に色々差し出して仲良くして織田にとりなしてもらうのが一番合理的だな 甲州征伐で駿河に戻れたんだから、実は勝ち組なのでは 北条にしろ武田にしろ滅んだ訳で実は徳川と繋がれただけでも…てかすげぇ根性してるだろ 家康を頼るしかなかっただけじゃん
確かにプライドのなさは凄いが 氏真も滅んだのは同じじゃん
家康の情けで高家になれただけ 駿河は婆様に任せて自身は遠江国の掛川辺りに入らないと駄目だろうな 氏真信長の前で蹴鞠披露した
親の敵で滅亡の原因の前で怒ることなく中々できることじゃない 其れにしても甲相駿同盟の国は全て滅びたな。
三国同盟が後の信長の甲州征伐まで続いてたらどうだったのか?
勿論桶狭間は無しか痛み分けで今川義元が健在だったとしてだが。 上洛できないどころか1560年代前半までに滅ぼされるor今川傘下に入ってる 1560年の攻勢で決定的な勝利得られない限り無理だろ
信長が継いで10年あったのに今川は信長の勢力伸長抑えられず
1560年にはある程度今川と戦える程度にまで盛り返してるぐらいだし
そのままならそのうち織田が今川を尾張から追い出すだろうと思う 50年代後半は三河で反乱が相次いでて
その間織田は今川方の鳴海・大高城に対して
付け城を築いて包囲を仕掛けてた
話が入り組むからフィクションでは桶狭間前夜まで
織田が今川に圧迫され続けてたみたくされがち
でも実際は攻勢を強める織田に対する
反撃として義元は出陣したのよね 北条の一人勝ち状態で必ず分解する
あれは国力が同程度だったから機能した
武田は3万動員できなかったのに北条は50000余裕。
勝頼時代は長篠前でも2万以下まで落ち込む
これだと織田徳川の関係になっていく
北条は武田を見下すだろうし武田も北条に危機感持つ。ましてや北条とはかつては仇敵の間柄
ゲーム脳は武田と北条は同盟関係で仲いいと思ってるけどかつては武田は扇谷上杉と同盟関係にあり武田北条は双方お互いの領土に侵入し放火しまくった関係
義元死後の反乱ラッシュから今川の統治も駿河以外盤石でもないのが判明
信秀死後から桶狭間まで9年もあったのに攻めてこなかった外征なんかできる状態じゃなかったってこと その割には甲相同盟が破棄されてからは勝頼の猛攻に晒されて上野は失うし小田原付近で防戦を強いられて終始劣勢だったという 氏政にいやんは花押を武田流にするほどの
信玄スキーやろ
長篠でボロボロになった勝頼に妹と持参金提供して
酷い目に遭ったり >>718
この板やたら勝頼見下すけど実際は武田に連戦連敗で上野から北条勢力駆逐され武田が上野制し
伊豆駿河国境に北条が築城したら速攻で武田に裏切り水軍も武田水軍に敗戦の連続で
なんか気づいたら武田、宇都宮、佐竹と
周りをぐるりと包囲された絶体絶命の危機だったんだよな
武田に軍派遣すれば佐竹宇都宮に背後つかれ佐竹に向かえば武田に背後つかれると。
信長に「当家滅亡」(このままだと北条は滅びます一刻も早く武田征伐してくれるようお願いします。信長様に従属しますんで一刻も早いご出陣を)と泣きついてるんだよなw
築城したら速攻で裏切り上野国衆も裏切り当時の人は北条すげー、勝頼オワコンとは思ってなかったみたいだよね
そんなオワコンだったら裏切らないって 本体が上野ボーナスステージに夢中のなか
替わりに救援すっぽかだれた信濃国人がみな寝返ったわけだが 勝頼も徳川と北条の二面作戦を強いられて挟撃される状態だったが
逆に徳川も北条も勝頼に押されまくってもはや正面から戦う事も出来なくなり信長に助けを乞うだけになっていたからな
勝頼の強さは凄まじいものがある
さすがに織田も加わっては無理ゲーすぎたけど
逆に言えば信長本人を引っ張り出した訳だからそれだけ信長にも脅威を与えていたと言う事でもある 義元の死後氏真自ら三河に出陣し仇は討てなくても、織田勢の脅威を取り払っておけばよかっただけ
松平元康だって今川がちゃんと守ってくれないから独立して織田と同盟したんだから 徳川を潰すべきだったのに何でろくに攻めなかったのだろう 上杉が北条を攻めて小田原まで侵攻→北条に援軍だ!
三河と遠江反乱→領主を粛清だ!
と言うわけであんまり徳川だけに専念できる状況じゃなかった
三河に出兵できたのは一度だけだったかな 三河一向一揆という千載一遇のチャンスにすら攻められなかったしな
龍造寺とか織田もそうだけど当主が討死するって現代人には理解し難いくらい求心力の低下を招くのだな 義元すら太原雪斎亡き後は精彩を欠いてたしな
その義元も死んだらもうどうしようもありません 高僧の地位にあった雪斎の人脈が切れちまったからな
特に寺社勢力には雪斎上人が頭を下げたら従わざるを得ないけど
彼が居ない今川には従う義理はありませんわって連中も居ただろうし 甲陽軍鑑の品第十一にある馬鹿な大将は
氏真よりみしろ義元の方が当てはまるんだってね まだ掛川落ちてないのに
おまえもう大名じゃないやろ無礼者ゆうた上杉謙信ガチパワハラ大魔王 江戸時代の家康と氏真って会ったらお互いに気まずい感じがするけど
逸話を見ると案外仲は悪くなかった感じだな むしろ氏真の方から江戸城にしょっちゅう訪問してて家康がうんざりして江戸城から離れた品川に館を与えたとか >>740
長篠の戦いで徳川方の後詰やったりしてるわけだし今更気まずいとかいうこともないだろ >>741
出世した後輩にたかりにくる先輩みたいで嫌だな
よう、竹千代遊びに来たぜw
みたいに毎日来られたら逃げだすわ >>741
なんか「長州人の山の神」っていう短編小説思い出した
司馬遼太郎だったかなあれ >>745
関東移封から朝鮮出兵に伴う名護屋在陣までの短い期間だな。
以後は 名護屋→秀次事件に伴い京都にしばらく滞在→
→再び名護屋在陣→秀吉危篤により京都にしばらく滞在→
→秀吉死去後に大坂入城→関ヶ原後は京都に長期滞在→
→将軍職を秀忠に譲って駿府隠居 だからな。 >>741
恐らく人質時代に可愛がってあげてたんだろうね
俺昔お前のことよくしてやったよなぁ
親父も子供のお前に英才教育して瀬名も与えて準今川一門にして無理な戦もやらせないで将来今川軍率いる男にしてやってたのに
それを裏切ったの誰だっけ?この恩知らずが。
お前俺の面倒見る責任あるよな
てな感じでタカってたかもな つうかまあ今川人質時代はそんな悪くなかったんだろうなってのは
隠居場所に駿府選んでるの見てもなんとなくわかる
普通、子供時代に嫌な思いをした地域は二度と戻らないし 本来なら松平は攻め滅ぼされてもおかしくない状態だったのに今川は庇護してくれて織田から領地を守ってくれたし
居候同然の家康を一門に加えて優遇してくれたからな
家康は今川になんの恨みもない
むしろそんな大恩ある家をどさくさに紛れて攻撃して乗っ取ってしまったので家康も負い目から氏真には気を遣っていたのだろう 仮にも日本の最高権力者にまで成り上がった家康が私情で火種になりかねない元主君を優遇するかね?
氏真が優秀な人材だったから起用し続け、その功績に報いる為に厚遇しただけでは? 当時の氏真に対する家康の態度の評価で「良くなされている」ってのがあるから
能力以上に傍から見て旧主だからという事で優遇していたんだと思うで >>750
家康が天下を手中に収めた段階だと、
氏真が火種になる可能性なんか0%だろが。
秀吉が足利義昭を厚遇したのと同じようなもんだよ。
自分の度量の大きさを誇示するため。 >>750
人望や能力がなくて崩壊した家だから何の火種にもならないと思う
氏真自身もそれを認めていたから家康にも警戒されず一定の敬意をもって接してくれたのだろう
ある意味氏真は勝ち組だと思う
他人も世の中も恨まず受け入れて分相応の生き方をする事に決めたから後半生は好きな事だけやって楽しく暮らしていた
一時は裸足で妻と逃げ出す有様だったけど、それも良い思い出になるくらいには後半生は平穏だったと思う
早川殿とは夫婦仲が良かったみたいだし 家康は遠江や駿河を統治するのに氏真を上手く利用してたからね >>750
今さら今川に何が出来んだよ
もしなんの力もない落ちぶれた旧主君に嫌がらせなんかしたら名声落ちるわ
上でも言ってる人いるが人質時代に良くてもらってたんだろ
嫌な思いしてたのなら普通はそんなとこに住みたいとは思わない 氏真からしたら武田の方が憎いだろうからな
武田を倒してくれるなら親の仇の信長の前で蹴鞠もそりゃしますわ まあ、信長の場合は義元の方から喧嘩売って返り討ちにされただけだからな
恨むのは逆恨みだわ 氏真の生涯を大河でやってほしい コメディ調にしないでまじめな感じで もうって関東で大河になった大名なんて一つもないけど 家康のこと言ってるんだろ
丁度タイムリーでやってるしアスペか
生まれは関東じゃないとか揚げ足取りたいだけだろお前 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 生まれも育ちも東海で死んだのも東海で73年の生涯のうちせいぜい5年いたかどうかという程度の家康を関東の大名というのは無知すぎるだろう 徳川家康
1542-1547 岡崎
1547-1549 清洲
1549-1560 駿府
1560-1570 岡崎
1570-1586 浜松
1586-1590 駿府
1590-1607 江戸
1607-1616 駿府 >>766
文禄4年の頃から将軍宣下を受けるまでは殆ど伏見に居たよ
家康って駿府がホームだよな
だから終の住まいも駿府にしたんだろうけど >>769
お前しか思ってないことを他人に強要すんなカス。
お前って劉備や諸葛亮が蜀の人間って言ってるやつにいちゃもんつけるんだ
すげーな
お前の言ってることこれと同じだから >>771
いちゃもんつけたのはお前
見事な論破されるやつってこうやって逃げるよなw
ほらお前三国志板で劉備は蜀の人間じゃないって言ってこいよ馬鹿にされるからよ 人にいちゃもんつけといて
何一人でしゃべってんの?
だってw
しかも反論もできない見事な論破されてまともに反論もしないで逃げゼリフで逃げたヘタレ
ダッセぇ
お前最高にダサいよ >>766
で劉備は涿県中国北東の人間だからとか言いはるのお前
蜀の劉備か諸葛亮のドラマやって欲しいにお前みたいに劉備と諸葛亮は蜀の人間じゃないなんて間抜けないちゃもんつける馬鹿見たこと無いわ >>775
それはお前だろ逃げやがって
ほら逃げゼリフじゃなくレス返してこいよ
お前ひろゆきにソックリだよ
論破されると必死に話題そらして論点ずらして逃げる
あいつ見てみっともないと思うだろ
お前あいつと同じだから
お前からいちゃもんつけたんだよ
一人でしゃべってるじゃないよ >>777
早くお前は三国志板で劉備は蜀の人間じゃないって書いてこいよ
ちなみに東京都民に家康は関東大名じゃないよなんて言ったら馬鹿にされるから止めたほうがいいよ 私は生まれも育ちも都内ですが家康は関東の大名ではないと思います 出世大名家康君とかいるし普通にあの地域の大名だと思ってたけど
俺の世代だと信長の野望で初期位置がどこかってのが大きいっすね 家康といえば岡崎か浜松だからな
江戸時代は駿府のイメージ >>779
俺は生まれも育ちも愛知だけど徳川は関東の大名だと思います 年数で言ったら家康が三河にいたのなんて関東より短い
生まれの場所で決めてる奴は伊達政宗が仙台の大名じゃないよ米沢だよとか言って仙台の大名と言ってる人にいちゃもんつけるんだろうか
同じく毛利も周防長門じゃないよ安芸だよと言うのだろうか 秀吉も大坂の大名と言ったら否定されるのかすげーなw
長浜になるのかな?姫路になるのかな?
アホすぎる >>782
愛知とかなに寝ぼけた事いっているんですか
家康は静岡の大名なので当たり前です 東海←生まれた場所、育った場所、一番長くいた場所、死んだ場所
近畿←大老や将軍時代に政務をとっていた場所、天下を取った場所、二番目に長くいた場所
関東←5年程度ちょこっと居ただけ、特になにもしていない
まさか家康が関東の大名だとか主張する無知な馬鹿なんていないよねw >>783
加藤清正を尾張扱いしたら熊本県人が怒り出しそうだ それ以前に加藤清正は10歳くらいまでしか尾張にいなかったから尾張の大名な訳がない
尾張にいた時は武士ですらなく鍛冶屋の子供だったし
清正が大名になったのは肥後に入ってからで死ぬまで国替えもなかったので正真正銘肥後の大名 秀吉は辞世の句からして大阪の人間の自覚があったかと あれは浪花の人間としての自覚というより自分の立身出世の象徴的な意味合いじゃないすかね
いまで言えば地方の田舎の店舗から成りあがって東京に本社を移した社長が
東京での事は夢みたいなもんだったなぁって回想しているような 夢みたいだったと言っているわけだしな
それに大坂がどうこうより天下の事を言っている訳だし とはいえ家康が関東の大名じゃないとかいうやつばバカ過ぎだろw
てかさこんな目くじら立てるほどのことでもないのになんで揚げ足とったんだこいつ
三河でも遠江でも関東でも間違いじゃないのにやばすぎんだろこの馬鹿w
同僚たちと飯食べに行く
大河の話が出る。関東の大名やってほしいなの流れになる。そこで新人の女の子が私家康が見たいですという
そこで馬鹿が女の子に家康は関東の大名じゃないよとかピーチクパーチク喚く
同僚たち「誰だよあいつ呼んだの」
これやったのが家康は関東大名じゃないよ馬鹿
お前さ間違いでもないこといちゃもんつけてんじゃないよガキ
むしろ短期間しかいなかった三河の方が違和感あるわ 家康は関東じゃないよ馬鹿は黒田官兵衛も福岡じゃないよとかいちゃもんつけるんだろうか興味深い。
姫路の人も福岡の人もどっちも官兵衛は地元以外認めないなんて低能なこと言ってない。お前も彼ら見習えよ低能 全く論理的じゃない
0点
小学生から勉強しなおしましょう ここだけえらい低レベルなスレだな
なんJ民並みの知識しかないのか アホが一人で家康は関東大名じゃないとか馬鹿のこと言ったのがはじまり
別に間違ってもないのにアホすぎる
出身地なら三河の大名か?w
一番短期間しかいなかっだがな
あっさり浜松に移ってまったく三河に思い入れもない
いやー凄いな。なら信長は尾張の大名以外認めないってことか
信長も美濃取ったらあっさり尾張から移ってるけどな
政宗だと米沢以外認めないのか。仙台の大名って言うと間違えらしいよw Aさん 関東の大名で大河やってほしい
↓
Bさん 家康がいいな
↓
C 家康は関東の大名じゃない
な、C はどうしょうもない馬鹿だろ 「秀吉が天下統一する以前の関東の大名」って言えばいいのに てか普通に関東の大名だった頃のほうが三河、浜松時代より長いけどな
むしろ三河の大名、遠江の大名の方が違和感あるし駿府のころなんか隠居してるからこれも大名は違和感半端ない
劉備玄徳や諸葛亮は蜀の人間であるにつっこみいれてるぐらいアホ