今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう >>477
その道の専門家が信ぴょう性が低いつってるの物を信用できるつって持ち出してきたのがお前や
であればまずお前が研究重視するって態度取るなら、先の研究者の主張はおかしく、ここの記述に該当しないって傍証が必要になるわけ
信ぴょう性は研究の積み重ねでなるもんや、ワイは研究者たちののその主張が信用に足ると考えとるし十分証明になると考えてるが
お前はそれら無視して甲陽軍艦信用できるとか言ってるんやろ? >>480
なんぼ叫んでもお前のレスの信憑性は甲陽軍艦より遥かに下や
甲陽軍艦を否定したいなら甲陽軍艦より信憑性の高い資料出してから反論しろ
以上 >>478
上田原or砥石崩れで武田晴信が討ち死にした後で義信に信濃を維持しろって言ってるようなものだからな すっげーな、現代の史学者が口揃えて言ってる主張完全無視かよ
先行研究に敬意も払えないなら信ぴょう性とか語るなや 今までの話聞いてておれが史学者と主張してると思い込むとか読解するだけのオツム足らんのか?
信憑性だっつーなら史学者の出した解釈に沿え言うとるんや
なんや、それとも素人がろくに先行研究も調べないで鵜呑みにした記述のが研究者が否定する解釈より信憑性高いと本気で思っとるんか?
それでも俺はこの記述は信憑性高いんだ!つーなら、俺がそう思って甲陽軍艦に書いてあるから、じゃなく別の一級史料から傍証引っ張ってこいつってんだよ お前は史学者ではないのでそのレスには何の信憑性もない >>486
もうな、一番根源的なことを弁えてもらいたいから言うけど
ここは飽くまでも趣味カテゴリーの中の戦国時代板の中に立ってるスレ
つまり、みんな趣味レベルでああだのこうだの議論を楽しむ場所に過ぎない
ガチガチの討論をしたいのであれば
学問・文系カテゴリーのところの日本史板に行った方がいいしそうすべきだ
日本史板ならこことは別次元のスゴイ人ばかりだからアンタも満足できるだろう
ここの住人たちは一級資料とか一流学者の見解や最新の研究とかを
突き詰めたいわけじゃないから、ここにアンタが留まってても
物足りなさを感じるばかりで結果的に他の人の意見に突っ掛かって
不毛な争いや混乱を巻き起こすだけになる
ここにいるのは自由だけど、今後も今回のような荒れた状況を繰り返すなら
それはアンタが自分の居場所を誤ったが故に引き起こした
迷惑行為であり荒らしと見做されるのは心得ていてもらわねばならない 本気でオツム悪い子なんやな、誰が言ってるかなんて関係ねーよ
何?史学者が三つ葉葵の紋所かなんかだと勘違いしてんの?
史学解釈に沿うってのは素人でもできる行為で、一般的な史学の手法である
それに背いて主張したいならそれだけの証明が必要になるがあいつはやってないって話
史料解釈がどう行われてどう証明されてるのかわかるだけの脳みそつけてから他人にからんできな レス番飛んでるしまだやってるのか
わざわざNGしやすい特徴づけしてくれてるんだし活用しようぜ
あとどうしても反応したい人は安価つけてくれると助かる >>488
趣味なら史料の信ぴょう性無視していい加減な事喋っていいってもんでもなかろうよ
趣味でもある程度史学のいろは程度身につけろよ
ついでに言えばちゃんと研究理解してる人間はこのスレでも信用のおける一次史料の内容引っ張ってきて書いてるし
一級史料にない講談レベルのもの引っ張って来るなとも言ってんな
バカに合わせろっつー前にバカに最低限の研究への姿勢教える方が先やろ >>488
>ガチガチの討論をしたいのであれば学問・文系カテゴリーのところの日本史板に行った方がいいしそうすべきだ
大昔はそういう棲み分けだったけどねえ ID:4+fNtJZX
横からだが、とりあえずお前ウザいわ
スレ壊す気か? がちがちの討論?このレベルで?
お前の言う大昔がどの程度か知らんがウィキペディアレベルの間違った知識や偏った知識出してきて喧嘩売ってくるアホのが問題やろ
あっそれ信ぴょう性低い史料なんですね 気をつけますで済む話をあほほど引っ張った間抜けに言え >>494
アホにかまってる時点でお前もアホ
ここは煽り合いをするスレじゃないんだよちゃんとスレタイ見ろ >>491
悪いがここは歴史の信憑性無視していい加減なことしゃべっても許される所なんだ
各個人が好きなように空想や仮想していい、それがここであって日本史板との違いなんだ
講談レベルで十分、むしろ難解な資料や根拠を要求される方が迷惑を被る
ここはそういう場所
バカに合わせられない方が悪いとされる場所だから賢いアンタは日本史板にお行き >>482
うーん、たしかに厳しいね
国人衆には離反されまくるだろうし、上杉にゴリゴリ削られそう
ただ、史実では信長は畿内狙いで今川に興味がないので、
「上田原or砥石崩れで武田晴信が討ち死にした後で義信に信濃を維持」
よりはだいぶマシだったと思う へー、じゃあ二度と信ぴょう性だの史実だの口に出すなよ
お前らのやりたい事って思いついた妄想で語りますつってんだから
ノブヤボ知識で語るのと一緒 >>497
川中島じゃなくて上田原or砥石としたのはその時期なら長尾景虎は介入してこないかなと
村上が反抗してきて国人衆は離反しまくるかなと >>499
あーそうか上田原や砥石崩れの時点では長尾氏の介入前か、すまん
それなら余裕で領土守れそうだけどなぁ
南信濃には村上氏も勢力拡大行動を起こしていなかったはずだし
高遠氏や諏訪氏が再起を図って暴れまわるのかな >>500
空き巣できるのなら松平みたいに村上もやるだろうし一度始めたら松平が遠州攻めたみたいに武田領国まで攻めるのでは
再起を図る連中も取り込めればなお良し 武田のほうが村上より地力がとか言い出したら今川と松平もそうだし >>497
織田は畿内、武田は信濃、北条は関東と奇跡的に誰も今川のことなんて気にしてなかったからな
徳川が三河衆を抱えて独立することにさえ目を瞑れば一応は所領安定してた >>482>>500
桶狭間に比べれば被害の少ない史実の上田原でも佐久諏訪で離反起きてるしな。
それ考えると長篠後に大きな混乱起こさなかった勝頼はって反論も可能だけど。
>>497
重臣層もかなり被害受けてるからマシってことはないと思う。 今川氏真はボンボン、ハングリー精神と達観した死生観も何もない甘ちゃん
不運にも弱肉強食の中では生きる場がなかっただけ
それ以外の何ものでもないわw 家康に高家に取り立ててもらって大御所になった日本最高の権力者にタメ口聞いてたらしいよ 今川義元は家康を敵ではなく、ボンボン氏真ための最強の軍師くらいにするつもりでいたんだろw
お父ちゃんが予定外に死んでもうて逆者なりに家康にスリスリして生きるのがええと気がついたんだろw ボンボンだから虎の威を借る狐の才能だけはあったと推測できるw 家康は義元にある意味父のように恩義が感じていただろう
その恩義を出来損ないのボンボンのバカ息子に返していただけちゃうん? 家康は評判を気にするからね
生かしていても害のない人間は生かしておくでししょ 氏真が自分にへーこらするのは殺すよりも優越感を味わえるのかもしれない 織田信雄なんかもその類だろう
信玄の孫(仁科盛信の子)なんかも家臣にしてるし
新田宗家の岩松氏も家臣にしたが20石しか与えない屈辱プレイ 宇喜多秀家も生かして八丈島に流してるし、もし秀頼を生捕りにできてたらどんな恥辱を味合わせたのだろう 駿河国主に復帰させるという約束の代わりとしては釣り合わんよね
まさに評判を気にしただけやな >>514
目の前で秀頼と淀君を無理矢理セックスさせたりしてな 家康は狸だけどそういう変態的なねちっこさは感じない
自分が淀に手を付けるくらいじゃないか
後家好みだし とんでもなく下世話で悪趣味な話になってるな
氏真関係ないし この話のが意義とかなしの不毛な話なんだから
不毛でなにが悪いって返すべきでしょ
有意義な話では決してないんだから 雑談で、別に今川氏真の研究とか詳しく知りたいってのでもなく正しさとか抜きで話すのが目的だから不毛で良い訳じゃん?
いやまぁ不毛かどうかじゃなく話がずれてるし悪趣味だから切り上げね?って点見てほしかったんだけどさ 流れ変えたい時はヤダヤダー!ってやるよりも自分から話題振る方が建設的だぞ >>523
なるほどありがと
じゃあ、今川氏真のつまづき始めな一つ
北条が長尾に攻められてそっち助けにいかなきゃいけなかったのをなんとかする方法ってなんかあるかな
幕府に北条と上杉の停戦頼む?今川氏塗り輿の使用許可出る立場だったし >・ついに武田信玄による本格的な侵略が始まり国主としての政権を喪失、以後は行方知れず
行方知れずになったのって氏真じゃなくて朝比奈じゃなかったっけ? >>525
朝比奈なら徳川家の家臣についてるはず
それまでどこにいて何をしてたかについては全く不明状態らしいけど 朝比奈は北条に亡命するまでは付いていったらしいけど浜松には付いていかず?
後に徳川家臣(酒井)に仕えたという説もあるみたいだけど本当なら朝比奈レベルの武将なら記録に残るのじゃないのかな
まあ武田四名臣の子孫とかも行方不明みたいなものだけど >>524
一番手っ取り早いのって上杉憲政を越後入りする前に殺しとく事だろ
関東管領自体が断絶すれば謙信が管領継承など本来ありえないのだから
そうすれば関東征伐を謙信が実行する大義名分は消失する(要は頑張れ北条)
ただしこの場合多分信玄が一番対謙信の被害を受けるので、桶狭間後に
武田が南下政策をとる可能性は残ってしまうけど
ただこれなら氏真が三河に援軍出せる可能性があるから、松平を
何とか繋ぎ止められるかもしれない 山本勘助の家なら回り回ってあの五十六だわな。
肝心なところで奇策で自滅する家系なんかな。 >>529
よく考えたら室町幕府の職である関東管領を
上杉家が勝手に長尾家に譲ってOKなもんだったの? 長尾家に譲ってないでしょ
謙信は山内上杉家15代当主 幕府の役職や公家の官位は基本的に親から子へしか受け継ぐことができないからね
秀吉も近衞前久という人の養子になることで関白就任してるわけで
ただし当時の近衞前久は49歳、秀吉は48歳で普通は養子になれる年齢差ではなかったので養子入りはあくまで形式的なものだけど >>534
そう
それで関東管領の職と政の一字を譲られて長尾景虎から上杉政虎に改名してる 関東管領って最初は世襲制でもなんでもなかったよね? わが軍勢、桶狭間に敗れたとはいえ、
その2万の兵ほぼ無傷でございます。
若殿自ら仇討の御旗打ち立て軍を進めれば、
逃げ散った軍勢ことごとく集まって参りましょう。
大高城には未だ松平勢2千余がおりますれば、刈谷城を前線とし
東西より挟撃すれば、小勢の織田必ずや軍を引くでありましょう。
もし御屋形様の仇うたず、敵地に取り残されたお味方見捨てるとあらば、
我が今川の勢威に服していた三河、遠江国人必ずや離反いたしまする。 お待ちくだされ、若殿!
蹴鞠などしてる場合ではございませぬぞっ!
今こそ無二の戦いを仕掛け武家の意地を示す時にございまする!
今、若殿立たねば甲斐や相模も当家を侮り、
攻めて来るやも知れませぬ!
なにとぞ、なにとぞ出陣の下知を!! 信玄が攻めてきたときも自身は出陣せず家臣に任せていたのだからどうしようもないよなあ
家中がガタガタな状態な上に相手があの信玄なのだから士気を上げるためにも自ら出陣は当然だろう
大坂の陣でずっと引きこもっていた秀頼と大して変わらんわ 秀頼→流されるままに家康に敵対し大阪城と一緒に燃える。
氏真→信長に蹴鞠を披露。家康とも仲良くする。高家として大切にされ安穏に暮らす。
ぜんぜん一緒じゃねえなあ 秀頼と氏真は流石に状況が違いすぎるわ
そもそも氏真の生き方って現代では勝ち組扱いされるけど、
当時は「殺す価値もない」って思われてたってことでしょ
秀頼が助命されなかったのは家康がそれだけ秀頼を恐れていたってことだし、
武士的な価値観では名誉ある死だよ >>544
2020年にも通ずる価値観で人生楽しんでた方が時代先取りしすぎてるし革新性が高いやろ
まさに氏真は真の意味での時代の革命児やん
名誉の死なんて土人の価値観、今じゃカビ生えとるやん 家康って義元が横死せずに氏真がそこそこ有能だった場合は
裏切らなかったのだろうか
もしどっちみち裏切るなら早めに戦死してもらった方がいいよな 父親を殺した仇に蹴鞠を披露って並大抵の人間じゃないだろ
悪い意味でどっかズレてたんだろうな生まれつき 当時は現代人が理解できないくらい名誉を重んじていたから
当時の価値観からはかなりズレてだろうな >>546
今の時代でも氏真みたいな生き方してる奴がいれば、すげー嫌われてそうだがな
>>548のいう通り、生まれつきズレてたんだと思う 現代でいうと
創業数百年の大企業を父親の急死で継いだものの遊び呆けて潰し
妻の実家でふらふらニートやってるのを見かねた元部下(年下)の会社に拾ってもらった感じか
家柄と運とリフティング以外に褒めるところあるか? 意地と面子で御家断絶するよりはマシかな
現実というものは受け入れているわけだし 時代の革命児()なんて大層なものではないことは確か >>546
そんな生き方なら氏真より千数百年前に劉禅がやっているよ 現代は劉禅や氏真が正しいとされてる時代やん
彼らは動物的で血生臭い時代に流されなかった
人類が本心で求めていたのは殺戮よりも安楽と文化だろ >>551
父親は急死したわけではなく隣町の同業他社との価格競争で負けて大赤字を背負わされて失踪
元部下の会社に拾われた息子はカラオケが好きだという噂を聞いて同業他社の社長が「俺の前で歌えよw」と呼び寄せたら喜んで歌い始めた
って感じじゃね 価格競争で負けたなんてよくある話じゃない気はする
現代なら速報出るレベルの大事件
あとカラオケに例えるのも意味不明
素直にリフティングで良いだろ 勢いに乗りまくった義元がなぜか織田家に首を跳ねられるなんて速報ものの大事件だろ、当時でさえ周辺諸国の大名が信長を認めるきっかけになったんだから
それとリフティングなんて今どき流行ってないだろ
当時は遊びの代表格が和歌か蹴鞠だったからそれを現代の遊びの代表格に置き換えたと見ればそこまで不自然ではない
というか、所詮はただの例でしかない>>557の話にそんな顔真っ赤にして食いつかんでもいいじゃねえか
何がお前をそんなに駆り立ててるのやら そもそもにおいて「父親を殺した仇である信長の前で蹴鞠を披露するなんて氏真も変な奴だったんだろうな」という話の流れだったのに「氏真の人生を現代風に例えるなら父親が急死して〜」の時点でもう例えになってないじゃん
親の仇に蹴鞠を披露しろって言われて素直に従うズレっぷりを指摘してるのに肝心の親の仇が出てこない例えに何の意味があるんだよ 今川氏真って実際には反乱起こした遠江国人衆を粛清したり、
三河にも侵攻したりしてたんでしょ
ということは世間で言われているほどのバカ殿ではなく、
常人ぐらいの能力はあったってことだろう
しかしそれぐらいじゃ周囲が武田信玄・北条氏康・上杉謙信・織田信長・徳川家康という無理ゲー環境ではなすすべもなかった
どれぐらいの能力があれば今川家を存続できただろうか
アレクサンドロス大王や項羽ぐらいの能力があれば遠江三河尾張と進軍して上洛できそうではあるが >>547
そりゃあ裏切らなかったんでは。義元戦死といっても今川は北条や武田と同盟結んでるから
全力で三河に出るならまだ、一万くらいは出せるだろうし、家康死ぬもん。 反乱を起こした遠江国人衆を粛清
↓
氏真「もう反乱するな。新しく人質をよこせば許してやるぞ。もし寄越さないなら今まで預かってきた人質を皆殺しにするぞ」
国人「うるせ〜〜 知らね〜〜」
氏真「なんで言うこと聞かんのじゃ えぇいもう人質の首刎ねろ」ズバー
国人「えっマジでやるんか……引くわ……家康のとこ行くわ……」
三河にも侵攻
↓
氏真「おい家康、俺を裏切るどころか織田家と同盟まで結びやがって」
家康「うるせぇ帰れ」バキィ
氏真「ぐぬぬ この恨み晴らさでおくべk
家康「だからうるせぇこっち来んな 国境に城立てて道塞いだったわバーカバーカ」 国人衆のところには、武田勝頼と徳川家康の両家から、所領安堵の約束の元で協力を求める書状が出されてるな 遠江を再平定した後、家運を賭ける覚悟で
全力で家康と戦って勝つしか今川家を復権させるすべはないだろう
できれば本多正信が家康と戦ってる時に本多と協力して戦えれば理想的だな そこまでする度胸があるならそれより前に家康が独立するより早くに桶狭間の弔い合戦を始められた気もするけどね
結果論かも知らんが要所要所で国や兵をまとめることが出来なかった時点でやはり国主の器はなかったということ >>567,568
史実でも家康と一戦交えてはいる、負けたけど
いわゆる「一宮の後詰」の戦い
まぁこの戦い自体色々怪しくて、
いつ起こったのか、戦の経過についても諸説あるが
1564に吉田城が開城してるから、この直前に何らかの戦いがあったのは有力だと思う
1560に桶狭間、1561に小田原城の戦い、1562(もしくは1564)に家康と戦ったと考えれば
当時のかなり積極的に軍事行動を起こしていたといえる >>569
それなら正信の一揆軍と連携するのにピッタリのタイミングだよね
西三河の南部を一揆軍、北部を家康が治めてたから三河の東半分まで押さえて
家康を岡崎周辺に押し込めておけば信玄も家康を今川挟撃の相手にもならないと考えて
南下政策は取らなかったかもしれない >>563
他の面子はともかく松平元康は当時としては雑魚 雑魚すら抑えられなかったから信玄に狙われた
氏真が不運だったとするならその雑魚が超有能だったこと それでも早い時期に力押しできれば潰せたと思うけどね
桶狭間前の今川と織田の力関係みたいなものだろうから >>570
1562説にしても1564説にしても三河一向一揆とは微妙にタイミングがズレてる気がするが…
まぁとにかく氏真は最低1回は家康との戦に負けてしまった 一宮砦の戦いは一次史料じゃ確認出来なくて、江戸時代以降の軍記物にしか記録ないんじゃなかったか? 信玄も若い頃に上田原の戦いと砥石崩れで重臣を失う大敗北を喫したけど
その後は御家を建て直し100万石を超えるまでになったからな。
土台の駿河は安定してたしやり方次第では氏真も巻き返しは可能 >>575
まぁ信玄の時は同盟裏切って攻めてくる不届き者なんていなかったし 北条に恩売ったのが徳川の庇護につながったとみると史実は割と成功ルートやな
豊臣みたいに次代で速攻潰されたのより家としてみれば御の字 ここの軍師連中の言う通りにした氏真が史実より成功人生おくれるとはとても思えないんだが
よくて武田勝頼のような最期だろ