今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう >>272
元康は丸根砦、朝比奈は鷲津砦の方まで出払ってる
瀬名氏俊も大高城の方に向かってて本隊とは別行動してたみたいね
本隊の付近にいたのは松井、井伊、飯尾、久野ら遠江勢だけど、ことごとく討たれてるよ 義元はわざと本隊を手薄にし、自らを囮にすることで信長を誘い出し、
各方面に分散した各部隊は時期を図って一挙反転、
信長を包囲殲滅することを企図した作戦であった。 なるほどね
ところが予想してたより遥かに早く信長が攻め寄せてきたことで結果的に手薄な本隊を叩き潰されたというわけか
川中島の武田信玄みたいなやらかしだな そういう攻防として描けば
義元も戦巧者だったが信長が想定より強すぎたという方向で持っていけるから面白い むしろ、鳴海城という最前線に岡部元信(ベア)がいたからインペリアルクロスだな
ノッブにソウルスティールされて氏真へ皇帝継承 信長って大軍の指揮はイマイチだったりするけど
2〜3000人を率いて突撃するとメッチャ強いよね
本願寺に囲まれた光秀を救出する時も少数で突発的に出撃して
包囲を突き破って砦で光秀と合流して、次はそこから打って出て
包囲を突破して帰還したり無茶やってるでしょ >>282
まぁ、多すぎると本人が指揮する部分より家臣が指揮する部分が多くなっていくからな
特に織田家は急拡大した寄せ集めの軍だから、
それを率いて戦うのは難しかったのだろう 時間のずれが一切出ない自分の声が直接届く範囲内の兵数で、高練度高士気の言ってしまえば近衛兵と同じな馬廻衆使って突撃するからそりゃあ強い
自分が討たれるリスクもでかいし馬廻衆自体が幹部候補生たちだからそれを失う可能性も高いハイリスクハイリターンだけども 信長って大軍の指揮がいまいちと言われるほど何か失敗したっけ? ちょっと特殊な例だけど長島ぐらい?
多数の河川と島で各部隊が孤立して指揮のしようがない戦場だけど。 金ヶ崎、姉川、野田福島、志賀の陣
はどれも信長にとってはしんどい戦いだったのでは
その他は雑賀攻めとかもゲリラ戦に苦しめられてたけど、
アレは信長というよりは家臣が苦戦してた 姉川で備えを何段も抜かれたって話はまだしも他の苦戦は指揮能力がどうこうでなく逆境なだけでは
しかもその逆境を切り抜けてるし >>287
俺が一番に考えたのは姉川なんだよね
対戦した浅井の三倍の兵力があって、それなりに開けた平地だったら
常道としては横に広く展開して数の優位を生かすところを
なぜか過度の従深陣にしたため正面兵力が同じくらいになってしまい
まず最前線が崩され、第二陣が敗残兵によって隊列を乱されたところに
また浅井軍が突入して崩されるというのが繰り返される雪崩現象を招いて
本陣目前まで迫られたとこに徳川の援軍で助かったといわれてるけど
それが本当なら大軍の運用は下手なのかなと
姉川にはその他にも、戦闘準備を終えてる浅井軍の目前で
隊列の再編成を始めてしまいそこに攻撃を受けて全軍が半壊に陥った
みたいな信長の大軍指揮能力を疑うような説もあるんだよね 姉川の経緯は一級史料にはほとんど残ってないがな……
講談的な言い伝えから推測されても…… >>291
俺も金ヶ崎や志賀みたいなのは戦術的な失敗とは違うと思うから
その辺は信長の戦術能力の考察に入れてない
というか、信長の指揮に疑問を持ったのはほぼ姉川だけで
それ以降、大兵力の指揮は万全の体制を取るようになったのかなという気がする
手取川なんかはほとんど参考にならないし 信長が戦下手だとは思わないけど他の戦上手とされる武将と比べると
ちょっと見劣りするのも確かだな >>292
逆に長篠の武田軍が陣城ができるまで何故仕掛けなかったのか不思議
降雨で進攻が厳しかったとしたら織田は幸運だった >>295
桶狭間までは少数の兵で多数の敵と戦っていたけど、
それ以降は敵より多数の兵を用意するようになっちゃったから
少数で多数の敵を倒すのが最高な人には不満だろう そもそも戦は兵家の常だから
信長が負けが多い(ように見える)のは、信長の戦績が深く研究されて広く知れ渡っているため
無敗と言われる上杉謙信とか吉川元春でもよく調べると普通に負けてるし、
えっ?っていうような戦い方をしていることもある >>297
別に向かい合ってる状況で織田軍がいそいそと柵を建て始めたわけじゃない
武田軍がここを通るだろうなって場所にあらかじめ陣を張っておいてから別働隊を出して武田軍の後方にある砦を落としたんだよ
だから武田軍としては直進して織田軍と総力戦にあたるか、もしくは織田軍に背を向けてせこせこ逃げながら砦を奪い返すかの二択だったのよ >>292
備えが何段も崩された話って江戸時代の元禄年間に書かれた浅井三代記だろ?
その戦を見てたやつが書いたんじゃなくて100年以上後に書かれた話な >>301
Save your breath, bitch 姉川は一次史料じゃ、
信長は馬廻と西美濃三人衆で浅井と
徳川と丹羽で朝倉と戦って
勝利したぐらいしかわからん。 >>302
むしろ姉川の後に浅井、朝倉軍の動きがやけに活発になってることから
姉川では浅井が横山城を取られた以外は大した戦闘は無かったんじゃないかとも言われてるね そうかな 浅井は織田と領土を隣接しながら小谷から出て移動範囲の最西端に当たる延暦寺まで朝倉と共に行ってるけど
朝倉は信玄西上の最重要な時に撤退したりして浅井より活動が消極的だと思うけどな 信玄が三方原に出てきたのって冬の話じゃなかったか
雪が深くなる季節に越前から出るとなると消耗も一段と激しかったはず
上手く行けば織田を潰せたかもしれないがそれでも織田の領地を切り取るのは武田と浅井、なら朝倉にとってあの場での最善の判断は撤退以外になかっただろう 志賀の陣はもう朝倉が主体だし
浅井が何もしなかった訳じゃないがあまり相手にされているとは言えない ここ氏真スレ >>282の信長の大軍指揮能力の話から脱線しすぎw では話を戻そうか
氏真はかなり厳しい状態でバトンを渡されてしまったが、
どれぐらいの人物なら劣勢を覆せたかな
流石に、項羽やハンニバルぐらいのクラスの名将なら余裕で家康や信長を蹴散らして上洛できたかな
信長や曹操が氏真の立場ならどうだったか 武将にとって大切な求心力に欠けているってイメージ
あの時代は人を惹きつける力が無ければどんなに才能が有っても最終的にはしくじるだろう そんなものは知らん
では話を>>282以降に戻そう 氏真と同年代で中興の祖として知られる戦国大名は伊達輝宗くらいかな。 >>317
スキピオとか、連戦連敗で崩壊寸前のスペイン戦線に送られてるからな。
この人初陣が父親の執政官の護衛で、相手ハンニバルって経歴。
ハンニバル相手に総大将じゃないにしろ、確か二度敗北。良くトラウマ成ってないよなと。
スキピオクラスなら、普通に討伐軍だして家康討ち取ってるでしょうに。
まあ、家康は氏真知ってて「あいつ馬鹿だから討伐軍とかだせない」って見切りしてたんだろうけど。 正直、氏真でこれ以上話を広げたり続けたりってのがもう無理そうじゃん
デカい家ほど崩れだしたら止まらないんだよ
織田も武田もそうだったし トップが大きな力を持ちやすい武家にはつきものだったからね >>313
劉邦だったら
韓信が勝手に倒してくれそうw 信玄は砥石崩れと川中島で2度も数多の重臣が討死してるのに建て直してる
氏真で出来ない理屈はないしやっぱりやり方が悪かったかと 敗戦でも重臣だけ死ぬのと当主まで死ぬのでは差が大き過ぎるよ 武田家の政権は信玄個人に集権されてたから重臣が多少死んだぐらいどうとでも立て直しが利く
今川家の政権は義元、雪斎、泰能が分担していたものの桶狭間直前に雪斎と泰能が死去、義元も桶狭間で討死と政権の中枢が立て続けに崩壊したんだから子の氏真一人じゃどうすることもできん >>325
話が武田にいくとスレタイと内容異なるから掘り下げあまりしないけど
むしろ武田は信虎追放を積極支持して影響力の強くなった重臣たちが、軒並み合戦で討ち死にした結果信玄個人に権限を強化できたパターンじゃ?
因果が逆じゃね?
武田ができたから今川もできるだろみたいな家ごとの差異を考えない丼勘定すんなってのは同意 結果論だが、氏真は無茶ができるうちに強引にでも遠江平定、三河侵攻を仕掛けたほうが良かったね
井伊直親や飯尾連竜を誅殺するという手段で遠江の反乱を抑えたが
その間に時間がかかりすぎて、信長の美濃侵攻、ひいては武田家の同盟切れが間に合ってしまった
最初のうちは北条も武田も今川を支援する姿勢を見せていたから
そう思われているうちに強引な手段を取るべきだったのではないか >>317
輝宗は6つ下だからちょい違うような……
同年代言うなら一つ下の長宗我部元親がいるけどな そのためには北条を攻めに来てる長尾景虎どうにかしないことには
松平含め三河も遠江も国衆たちの離反はひとえに今川が守るべき国衆のために動いてくれないじゃん、なんで自分たちを助けてくれないやつを担がなきゃいけないんだよって話で
じゃあ何で動けないのってのは重臣軒並みやられてっててんてこ舞いな時に、北条が長尾に攻められてヘルプが必要だったからっていう玉突き事故起こしちゃってるからなぁ そして長尾景虎が何故北条を攻めにきたかというと、桶狭間で義元が死んで今川家が弱体化したからで…
桶狭間の影響が大きすぎるわマジで
松平ではなく北条に援軍を送ったのがミスだったという風に捉えることもできるが、
苦しい局面で北条に援軍を送ったからこそ、信玄の駿河侵攻の際に北条家が味方についてくれたってのもある
なので、北条に援軍を送って三河で松平氏が独立するまでは仕方ないと割り切り、
小田原城の包囲が解かれたら返す刀で遠江三河に攻勢をかけるとか、そんな感じかなぁ
でも史実でも氏真は1562には三河に侵攻したりしてたんだったっけ、負けたけど やっぱり万一のためのリスク分散じゃないかな
義元と氏真がそろって戦死してたらその瞬間に今川家は滅亡状態になったろう 転生竹中半兵衛では転生した氏真が後付け知識で岡崎城を松平元康に取られたのが今川衰退の原因ということで岡崎城に後詰詰めしてたな
松平元康が何故か井伊直親の家臣を手懐けていたおかげで岡崎城を取られそうになってるけど リスク分散とかただの結果論やろ
氏真に何か欠陥があったとしか思えんな >>334
そんなことはなかろう
桶狭間で当主と次期当主が戦死するのと史実通りとでは全然違うはず
どの家も大遠征の際に留守居役が重視されるのは常識だし
氏真だからこそ留守を任せられた
能力ではなく立場的にね 20前後の跡取り息子ならなおのこと前線に出して戦い方を覚えさせるもんだと思うがね
信長も長篠後の武田討伐に信忠を差し向けてるし、家康も自身は関ヶ原に向かいながら秀忠を上田城攻略に向かわせてるし、元服した息子に留守を任せるパターンってそう多くないのよ
リスクの分散なら義元の隊と氏真の隊で別行動を取れば済む話だし 大友朝倉みたいに家臣任せが多いってのもないわけじゃない あの時点の今川に留守居のできる一門や譜代の重臣いたっけ? 桶狭間は今川全軍ではなく、一部の兵を抑えとして残していたという説もあり、
その軍の指揮を氏真が担当していたとかならありえるか
(麒麟が来るではその説を採用していた)
ただ、桶狭間の出陣武将を見る限り、
駿河遠江三河の国人衆が総出で参加してるんだよな…
氏真だけが僅かな兵とともにお留守番していたようにしか見えねぇ
俺が不勉強なだけで、桶狭間に参戦していない有力国人衆がいたのかなぁ >>339
そもそも一族クラスの留守居って必要?
川中島だって信玄信繁義信が総出で出陣している そのあたりは力で成り上がった戦国大名と守護大名の意識の違いもあるだろうな
時代が違えば当主自ら出陣とか無駄にリスクを増やす暗愚と言えなくもない >>341
まあそれなりの奴は必要でしょう
留守居って要は当主不在の間の行政の総責任者だし
そこらの小物にやらせるわけにもいかんだろ
別に一門上位格でなくてもいいけど最低限留守を任せても問題ないやつにしないと
さすがにまずいんじゃないの、能力や信頼、信用の面でも >>338
大名の義元が出陣しているのだから家臣任せとは真逆の話じゃん
>>342
大名(実質的な当主)の義元は出陣しているのだから意識の違いなんてないじゃん >>344
自分でも書いてるように名目上の当主は氏真ってことと
義元は守護大名としては戦国大名に近い価値観ではあったが
跡継ぎを戦場で鍛えようって意識は薄かったんだろう 当主が出陣しないタイプの大名家も結構あるよね
戦場で当主討ち死にすると家が崩壊するからリスク避けたのかな
島津氏とか、朝倉氏とか(最終的には義景も出陣していたけど) 義元は桶狭間と第二次河東の乱以外で自ら兵指揮したことあったのかどうか? 川中島で上杉と和議を結ばせた父親の義元の面子を潰したり、足利将軍の停戦指示と引き換えに
守護職を得たのにそれをあっさりと反故にする信用出来ないのがのが隣にいるのに
親子揃って出陣はリスクが高すぎる。 >>335
武田信玄の遠征時は勝頼も同道してた
>>340
長篠の武田は高坂除いてほぼオールスターだが出兵兵力は低かった
重臣が揃ってたからって常に最大兵力率いてくるわけじゃないし 諏訪氏の子として育てられてたり名目上でも家督継ぐのが信玄の死からな勝頼と、ちゃんと後継として育てられつつ家督はすでに継いでる氏真を同一視って厳しいんじゃ?
結局その家が何を重視してるかで行動も変わるから難しいよね 大名やその後継者が自ら出兵する理由には色々あるが
本人に才覚があるかそうでなくても決意が固い場合と必要に迫られてる場合がある
後者の多くは家臣に当主として認められるために必須ってケースだな
今川のように正統性が強固な場合は無理する必要性が薄い
逆に勝頼の場合は本拠地で命令だけ出すなんて言ったら立場が危うくなるだろう だから親子揃って出陣がリスクになるなら別働隊にすれば解決するだろって何度も 的外れだから何度書いてもスルーされてるって察しような いや全然的外れじゃないどころかピンポイントで的を射た回答だと思うぞ
親子リスク連呼マンが自分の主張にとって都合の悪い反論を意図的に無視してるだけ 本人じゃないなら思考力の低い人が最低でも二人いるってことか
別働隊ということは兵を分散するからその分増えるリスクもある
決戦時に別の戦場にいるならそれぞれの兵が減って勝率も減るし危険も増す
同じ戦場にいるなら別働隊だろうと同時に討ち取られるリスクがある
実質的当主の先代と現当主が同時に領地を離れるのもリスクだしな
別働隊で全部解決出来ると思ってる人が二人いるって結構信じがたい 息子も熟練になってたらともかく
まだまだ若造の息子と一緒に戦に出るってことは
経験を積んが父親がすぐそばで戦のなんたるかを教える絶好の場だぞ
信玄晩年の勝頼なんかまだまだ教育が必要な青二才
教えたいことはいくらでもあったはず
それに、親子で別部隊にすればリスク分散というのは余りに短絡的な考え
家臣や兵にとっては命がけで守らねばならない場所が2つも出来てしまったわけで
限られた兵力を分散するというただの愚策
なにより親子が別の場所にいれば片方が死んでもダメージ軽減、なんてのは
どっちかが捨て石になる、ってのと基本的に同じ考えであって
当事者の当主親子から見れば、ふざけんな!どっちも死ねないんだよ!であって、論外なわけ >>357
うっそだろ……
こんなバカがこのスレにいるのか?氏真じゃないんだからもう少し頭使ってくれ……
>まだまだ若造の息子と一緒に戦に出るってことは
>経験を積んが父親がすぐそばで戦のなんたるかを教える絶好の場だぞ
お前は猿か?
秀吉の意味の猿じゃなくて知能指数が猿なのかって意味で聞いてる
人間ってそんな馬鹿か?父親が息子につきっきりで手取り足取り実践演習しなきゃ息子は何も覚えられないような生き物だと思ってるのか?
>それに、親子で別部隊にすればリスク分散というのは余りに短絡的な考え
>家臣や兵にとっては命がけで守らねばならない場所が2つも出来てしまったわけで
……何言ってんの?守らなきゃならない場所を2つ作るのはリスク分散にならないってこと?
いや、あのさ、敵の視点で考えられない?
攻めなきゃならない場所が2つあるなら十分すぎるリスク分散になるよ……?
視野狭窄すぎでは………………????
>限られた兵力を分散するというただの愚策
ええぇぇぇ…………こんな知識の奴が戦国時代語ってんのか…………
あのなお前な、全兵力をひとっところに集める方がよっぽど問題なの分からん?
武田信玄が今川義元、北条氏康と同盟を結んだのはなんでだと思ってんの?信濃平定のためでしょ?信濃に兵を差し向けてるところに駿河や相模から甲斐を攻められたらひとたまりもないからでしょ?
兵ってのは前に向けるだけじゃだめなのよ……
後ろから来る敵も想定して一定数は分散させて後方に置かなきゃ駄目なのよ……
>なにより親子が別の場所にいれば片方が死んでもダメージ軽減、なんてのは
>どっちかが捨て石になる、ってのと基本的に同じ考えであって
>当事者の当主親子から見れば、ふざけんな!どっちも死ねないんだよ!であって、論外なわけ
こ、こいつ本能寺の変も知らないのかよ…………びっくりだよ……………………
あのなぼくちゃん、本能寺の変で織田家が羽柴家に乗っ取られたのは織田家の実験を握る信長と織田家の大将である信忠が二人まとめて死んだからなんだよ
もし信長が死んでも信忠さえ生きていれば織田家が衰退することはなかった、信忠が死んでも信長が生きていれば織田家は潰れなかった
ついでに後の真田家も親兄弟がそれぞれ東軍と西軍に別れていったが、あれも東軍西軍どちらが勝っても真田の血を残すため
血筋ってのはそれほど重いもので、当事者の当主親子から見れば、仮にどちらかが死んでもどちらかさえ生き残ればいい!であって、お前の言うように親子揃って仲良く死ぬなんて論外なわけ
分かる?親と子は別行動を取らせないと
ひとっところに集める方がよほどリスクなの
覚えた? >>357
お前さん何か勘違いしとらんか?ここは今川氏真スレだぞ
若造の息子と一緒に戦に出るのは戦のなんたるかを教える絶好の場、はぁ
それで氏真は桶狭間の戦いに出たんか?出とらんだろうが
桶狭間時点の氏真は22〜3歳、とうに元服済みにも関わらず初陣さえしたことがない
ならば義元にとって織田攻めは若造の息子氏真に戦のなんたるかを教える絶好の場だったはず
ならばなおのことなぜ初陣させなかった?
三国同盟も結んで後方の憂いは無いに等しい状況でなぜ駿河の留守という何の意味もない役を任された?
考えられるのは義元から見ても氏真は初陣すらさせたくないほど戦の才能がないと見られていたという可能性だな
結局お前の言っていることは氏真が暗愚な跡取りであった証拠を裏付ける話にしかなっていないんだよ >>359
大袈裟そうに書いてるけど、ろくな中身もない、
自分に都合良いようムリヤリな結論を押し付けてるだけの
長いばかりで取るに足らない駄文だ
>>360
見当違いな返しをされても困るぜ
俺が書いてるのは当主親子で戦場に出た際の部隊分割の是非についてだ
氏真が義元と同行しなかった事についてなど全く言及してない
返すレスを間違えたのかな? 単発IDで必死じゃんw
いささか稚拙な偽装多数派工作ではあるけど 指摘されてから単発やめるとは無様
すぐ感情的になって罵倒に走る、理論も願望の押し付けばかりでは甚だ迷惑
他の人たちの水準に達するまでレスは控えてみてはいかがか >>351
さすがに西上作戦の時点では継承も決定してそれなりの扱いを受けてたと思うけどな
武田の場合は信繁や信廉も普通に出陣してたから一門を留守居にという意識は無いのかもしれんが 今川の後継者候補は全員寺にぶちこむから留守番がいないんじゃね 義元の場合今川の血を引いてるとはいえ、元は僧籍の傍系だから
譜代がそこまで絶対的に信頼できなくて氏真を残さざるを得なかったとかかな
いや完全に想像なんだけどさ 家督譲った後は氏真が駿河、義元が三遠以西を指図してたらしいから氏真残留は妥当と言えば妥当
一緒に出陣してそれぞれが軍を率いていれば玉が分散するという大坂の陣の大御所・御所みたいな二頭効果はあったかもしれないが 桶狭間以前に何度も戦に出ていたのならリスク分散というのもまあ分かるけれどもさあ
そうじゃないやろ