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信長は今川軍主力が前の砦2つを落としたところで出陣
始めから今川本体だけを強襲する予定だった

翌5月19日(6月12日)3時頃、松平元康と朝比奈泰朝は織田軍の丸根砦、鷲津砦に攻撃を開始する。前日に今川軍接近の報を聞いても動かなかった信長はこの報を得て飛び起き、幸若舞『敦盛』を舞った後に出陣の身支度を整えると、明け方の午前4時頃に居城の清洲城より出発[注釈 2]。小姓衆5騎のみを連れて出た信長は8時頃、熱田神宮に到着。その後、軍勢を集結させて熱田神宮に戦勝祈願を行った。

今川義元は丸根、鷲津両砦の陥落に加え緒戦でのこの勝利に気を良くした。
そこで百姓に化けた信長兵はあらかじめ用意していた振る舞い酒を村長と共に献上した
これは軍紀ものなどに書かれている内容そのもの

ここまで信長とその家臣は予想していた
そして今川義元の存在を確認したのちに奇襲をかけたと思う