今川氏真はどうすれば今川家滅亡を避けられたのか
一般的に今川氏真は暗愚であり、
そのために松平元康の独立を招き、
武田に裏切られ、滅亡したとされている
では、どうすれば今川家は滅亡を回避できたのか
そもそも回避することはできたのか
考えてみよう >>104
抑えでなく隙あらば越後に侵攻するための兵力でしょ
そもそも信玄晩年の武田と上杉の国力差は倍近くある 桶狭間合戦の直後に信長に降伏。
そして、信長に遠江と駿河を譲渡。家康の三河領有を認める。
ついでに、武田・北条攻めの際には先鋒を務めると約束し、それが聞き入れられないなら
出家するから、後は好きにしてくれと言う。
そうすれば、遠江・駿河のうちの1つか2つの郡を与えられて、1〜2万石の大名として生き残れたのでは。
まぁ、江戸時代に高家旗本として存在し続けたので、並みの大名よりも良い立場だったんだけど。 降伏なんかしたら家臣に殺されるか、よくて幽閉されるかがいいとこ 結局は降伏して得れるような理想的な地位に最後はつけてるし史実の行動は正しかったとしか思えんのだけど
長篠にも従軍してた説すらあるし記録ないだけでそれなりに過ごしてたんじゃねえの
ここのやつが氏真に転生してたらマジで今川家を滅亡させて晒し首にでもなってそうなんだが >>84
豊臣政権の軍役1万石に付き250人
つまり10万石なら2500人
上杉攻防用に雑兵多めでも1万人張り付くのは貧乏な武田では効率的じゃないな
大人しく川中島返還して上杉と不可侵同盟したほうが得だろう
足りなければ邪魔な義信を上杉に人質として出すべき >>111
とはいえ戦国時代って案外、家が滅亡して他国に落ち延びる例多いしなぁ
上杉憲政とか斎藤龍興とか…
氏真はたまたま落ち延びた先の徳川家が天下とったから、それなりの地位につけただけでは >>113
親父を殺害した信長に蹴鞠を披露したり
親父の土地を奪った家康と仲良くしたり
そういうこだわりのなさが功を奏した面もあるのでは?
堺にいたこともあるらしい斎藤龍興は信長を恨んで朝倉に走って討死したそうだし
遺恨に流されずだれが有利かきちんと見抜いて接近してたとしたら大物やん
まあもちろん一番憎かったのが単に武田家だったという可能性はあるが
村上義清が長尾氏を頼っていったみたいに
信玄は嫌われ者だからな >>114
まぁ滅亡後に余計なことしなかったってのはありそう
上杉憲政とか家督相続問題に首突っ込んで殺されてるし >>116
他所の家の家督相続問題に首突っ込んだのが悪い
自業自得よ >>111
高家で満足って言うならそれでもいいが近隣でも上杉みたいに大名として存続した家もあるからな
北条だって一度滅びても小国とはいえ大名として残ってる あまり知られてないけど、氏真って徳川に居候していた時も
駿河取ったら氏真に返すよ、とか言われてはいる
もちろん現実には口約束になってしまったわけだが
別に野望がなかったわけじゃないし、やることはやっていた 本当かは知らんが武田征伐後に信長に反対されたのだっけ
大名に戻れなかったのは野心が無かったのじゃないかなあ >>118
今や創価学会の最高幹部だもんな
そこまで行けば大したもんだよ >>111
当時最高の教育を受けられた氏真と俺ら一般人を比べるの? 斯波義銀 勝ち組
今川氏真 勝ち組
山名豊国 勝ち組
織田信雄 勝ち組
北条氏直 勝ち組
斎藤龍興 家を滅ぼした大馬鹿者
朝倉義景 家を滅ぼした大馬鹿者
浅井長政 家を滅ぼした大馬鹿者
武田勝頼 家を滅ぼした大馬鹿者
明智光秀 家を滅ぼした大馬鹿者
羽柴秀頼 家を滅ぼした大馬鹿者
宇喜多秀家 勝ち組 >>119
徳川に居候してた時にも遠江だったか駿河だったかで一城任されてたんだっけ
すぐ解任されたみたいだけど
>>120
信長に「氏真に駿河返す」って言ったら「お前にやるって言ってるのになんであの盆暗にやるの?お前が受け取らないなら駿河は俺の家臣に与えるわ」みたいに言われたんだっけ? 家康の行動で一貫してる点の一つに
都合の悪い事は常に他人のせい 史料的信ぴょう性の低いものから引っ張ってきても
ろくな論になりはすまいよ その中でマシなのは実は光秀
他は全員親から受け継いだ領国やら家臣やらを失っているが、光秀だけは一代で得たものを失っただけ 光秀だって明智城を失ってるのじゃないの
残したものじゃなくて失った領地の大きさだとやはり氏真は上位
もちろん秀頼がぶっちぎりではあるが65万石以外は幼児期だからね 勝頼が滅んだのは信玄が残した負の遺産のせいとたまに言われてるが先代の責任を追及するのなら義元・信長・秀吉あたりにもあてはまる
>>123の親もほとんどがそう >>129
明智城はもともと叔父が城代やってた時代に奪われて
光秀が出世して取り戻したような形だし
領土的にはプラマイゼロって感じじゃないか
子孫で言うと今上天皇まで連なってるし 北条氏政も氏康から引き継いだ領土を倍にしたけど全部失ったからこの人も上位じゃない?
120万石+120万石−240万石=0 みたいな感じでしょ >>133
計算おかしい
氏政の功績は差し引きマイナス120万石だろ
氏直は1万石で返り咲いてるからプラス1万石の功績 >>135
申し訳ない
明日の夕食はメシに汁を5回に分けてかけて食う >>135
小田原征伐時点の当主は氏直だから氏政プラス120 氏直マイナス119かな
通説だと浅井と同じく隠居が家を滅亡に導いた典型的な例だけど 氏政逃げ得で草
氏直は臣従主張してたのに
…と思ったが最近は新たな説が出てきたんだっけ >>124
受け取ったら、後で消されそうですけどね。
名門守護で譜代の家臣だっているだろうにお家再興とかしたら危険視されるでしょう。 信ぴょう性の低いほぼ間違いなく後世の創作の話にどうたら言ってもな 結果的に氏真は周りからけっこう大事にされ苦労なく天寿を全うした
信じて送り出した部下に裏切られ燃え盛る本能寺で無惨な最期を遂げたノブの方が悲惨
人生ってわからないもんなんだねぇ…… >>138
家督を譲ったのは10年前だからその時点でプラス120も無い 氏康時代から微増くらいじゃないのか
本能寺後に上野その他に拡大してるし 無茶な拡大路線に進んだために滅亡した家もあるし単純に比較も出来ないよな
今川に関して言えば義元なに死んでんねんって感じだし しかし考えれば考えるほど難しいな
三河は松平氏が独立、遠江も国人衆が暴れてる、駿河は信玄に狙われてる
割と詰んでるよな 遠江の反乱鎮圧してから氏真が真剣に仕事したとしても
ほぼ三河統一した徳川に勝つのは難しいよね? >>147
多分、前提条件が桶狭間後だろうし難しいよな。
義元討ち死にもだけど、一番大きいのは重臣が大量に討ち死にだからな。
松平の独立阻止に直ぐ軍事行動だろうけど、あの状況で動かせるかっていうと。 >>148
三河29万石
に対して遠江25万石、駿河15万石
若干有利ぐらいか、しかも遠江には反今川の国人もいるし
松平家潰すのはほぼ不可能だな 三河のが遠江より多いんだ
それにしても駿河の少なさ
もっとも、全部あわせて70万石。全部あわせないと意味ない数字って感じか >>151
そもそも遠江+駿河+伊豆で今の静岡県だからね
静岡って結構平野部少ないし 桶狭間のせいで今川は大大名と思われがちだが石高的にはあんまり 最大版図も桶狭間時点がそうだし >>153
駿河遠江三河に加えて尾張南部で80〜90万石ぐらいは領有していたので
1560時点では大大名じゃない?
尼子毛利大友といった西国の大名でこのクラスの大名家はいないし
当時の今川の国力を上回っていたのは
・伊豆相模と武蔵下総上野の一部を領有していた北条(推定100万石?)
・畿内を制圧していた三好
ぐらいのものだろう 1560時点の大友の領土って豊前豊後筑後ぐらいでしょ
80万石ぐらいじゃないの
まぁそれでも当時の今川クラスか
毛利は安芸周防長門と石見備後の一部だから60〜70万石ぐらいでは 桶狭間の動員兵力25000は70万石ではいかにも過剰とは言われてるな
100万石で2万くらいが標準じゃないのか
ましてや桶狭間の今川は上洛とか一大決戦だのを企図した出陣ではないようだし >>157
1万石=250人の計算なら100万石あれば25000は動員できる
駿河遠江三河尾張南部で80万石ぐらいの領土はあったから2万程度となる
ただ、当時の今川は寄親寄子制で大量動員を実現できたという話もあるので、
25000動員できた可能性もないわけではない
>ましてや桶狭間の今川は上洛とか一大決戦だのを企図した出陣ではないようだし
一大決戦ではあったのでは
今川義元自身が出陣しているし、駿河遠江三河の国人衆も殆どが出陣しているように見える
留守番してたのって今川氏真ぐらいじゃない? 昔から言われてるのは1万石で250人くらいだけど
要は兵糧とのバランスというか、短期決戦だと少ない物資でもっと大軍動員するし
長距離で長期戦だと物資の他に多くの荷駄隊もいるから戦闘兵力は少なくなるよね
島津なんかは数万動員したかと思ったら次は数千とか
国内事情の他に記録書物の信憑性もどれくらいのもんなのか、かなりあてにならない気がする 今川は滅亡寸前の薩埵峠の戦いでも武田を上回る15000を動員したという話だから大動員できる体制なのか盛る傾向があるのか
当時の今川は駿遠で50万石にも満たずで対徳川で遠州に兵も張り付いているのに異常な動員 領内の防衛戦だから外征の倍だとしてもだ 一万五千は出典が軍鑑だっけか?
武田が大軍相手に勝ったことにしたいため
盛ったんじゃないかと思う。
この時の北条の兵力も関宿囲んだりとかしてるのに、四万五千とか無理な兵力だし。 桶狭間でも今川軍2〜4万。織田軍5千。
と明らかに敵を過大に見積り自軍は過小にしてるし
何処の大名家もやることは一緒 甲陽軍鑑の中で桶狭間について
織田軍は今川義元を討ち取っただけでも十分凄いのに
アピールするために相手の兵数を盛ってる、情けない
って書いてあるけど自分も同じことしてるんかい情けない >>157
今では過剰ではないと言われているけどね。
今川義元の盟友の斎藤義龍や六角義賢を入れれば、普通に25000ぐらいいく。
実際に、六角は尾張で桶狭間の戦いにおいて、今川と組んで織田に襲い掛かり、
大量の死者を出している。
え?何で斎藤義龍と六角義賢が今川義元の盟友だって?
それは、今川義元の目的は上洛で、畿内の覇者、三好長慶を討つことだったのだ。
その同盟は、足利義輝を奉り、今川義元を盟主とし、斎藤義龍、六角義賢、
畠山高政、細川晴元らが団結したものだ。当然、三好長慶の同盟者、
織田信長も血祭の対象となっている。
皮肉にも、三好長慶は信長の活躍にホッとしたのか、今川、斎藤抜きの
同盟軍に翌年京を追放されたけどね。信長は激怒し、三好に折檻状を
出し、ようやく三好が何とか京に戻れたが、信長の主家の三好家は
急速に崩壊していった。 逆に六角は織田に援軍を送っていたという江戸時代に作られた資料があったよね あくまで今川軍が25000なわけで仮に斎藤やら六角やらが援軍を出してようとも埒外でしょ もし六角が桶狭間で今川に加勢してたとしたらかなりバカというか
目先のことしか考えてないのかよってならない?
今川が尾張を取った後、いずれ上洛するとなれば南近江とか絶対通るし
でも、もしかしたら織田は嫌いだから戦うけど今川には従属してもいいと考えてたのかな
当時の外交状態に疎いから今川って、有力だけどまだ巨大勢力ほどではない武田、北条と
同じくらいの戦国大名のひとつ程度に思ってたけど
血統と実力を兼ね備えた桶狭間の頃の今川はその上に東海道を擁するという
西進には圧倒的に優位な地政もあって西方にすごい存在感を持ってたと見ても
ごく自然ということになるよね 浅井だって織田の上洛に加担したし同じノリじゃないの >>164
信長の主家の三好?三好に折檻状?
なにいってんの?狂ったか? 貿易や交易は商家の保有する屋敷や蔵、船、馬、その他の主に資産が石高に含まれる。
鉱山は少々の固定資産が含まれるけど石高には殆ど反映されてなかった記憶がある 氏真が従軍して義元の代わりに戦死してたらどうにかなったかな
つまり桶狭間後の状況は義元と氏真が入れ替わっただけで他はそのまま
・・・流石に義元でも無理かな >>173
どっちにしろ重臣多数戦死が一番痛いからな
いうて義元もいい歳だからな
今度は後継ぎがいないからそれをどうするのかって言う問題が浮上してくる そもそも義元も家臣の支持が厚かったわけじゃないのを忘れてる そういえば氏真に弟がいるからそいつが還俗して継ぐのじゃない >>176
三河支配がうまくいってなかったという説もあるんだっけ
松平氏を使った間接支配が限界だった
だから桶狭間後の離反を止められなかった
まぁありそうな話ではある 信玄も上田原で家臣のツートップ失って立て続けに戸石城でクソボロに負けたけど
すぐに態勢を立て直して反撃に転じたでしょ
義元だって信玄と同じく自分の代で大きく勢力を拡大させた人間だ
一度大敗しても義元の存在は氏真なんかとは比較にならない
史実よりも領内の混乱はだいぶ小さくなって5年以内には元の領土を回復して
尾張統一した信長といい勝負を演じることになるんじゃないか 尾張侵攻作戦であれだけ家臣を死なせたら義元がたとえ生きていても
求心力が低下して急速に支配力が弱まった可能性は十分ある 見どころのあるやつをどんどん取り立ててやればいいだけだ
なぜずっと家臣激減のままの状況を前提に話を続けるのか、その方に無理がある 本陣に強襲受けて重臣だけじゃなくその場にいた幹部候補も軒並みやられた後、訴訟や統治のノウハウを持った新参家臣が雨後の筍のごとく湧き出でてくれるのか
そうだったらいいのになー いつの時代も出世したくて必死で努力するやつはいっぱいいる
今川家が全国に家臣大募集かけたら人はすぐ集まる
そいつらの中で今川家の仕事を出来るヤツから順にどんどん出世させてやれば
家臣団の最形成も迅速に進む
人を集めることができる最大の要因は名家の威信であり、人を育てる最大の要素は努力なんだよ 異世界転生レベルのひでえ妄想www
そんな何処の馬の骨で地元民が納得する時代かよwww 出自身分を問わず有能な人材を登用、というのは洋の東西を問わず人材面での成功パターンの定石なんだよ まぁ、ただでさえ国人衆が謀反祭りのところで
自分の側近集を重用したらそれはそれで危ないけどな
滅びるパターンに入った感じだ 成功したパターンしか見てないだけ、失敗例の場合新参の佞臣に入れあげて政道誤った暗君扱いされてる
大募集なんぞしようものなら治安悪くなるうえに訴訟や統治といった非常に難しいノウハウ持ってる人間ごろごろしてるはずもない
多角的な視点も批判的な思考も持たないで希望的観測のみで話されても困る
言っても理解もしないだろうから打ち止めにするけどさ 桶狭間で幹部クラス大量討ち死にの負け戦になっても義元生存ならそのまま尾張侵攻続行じゃないか?
兵力や全体の情勢は優位なんだし >>187
まず義元が暗君の懸念ありと考えている時点でちょっとお話にならないようだ
あと、集めた中から意欲能力ある者をという部分も読み飛ばしたのかな?
出世に向かないやつは労役でもなんでも食わせてやれば使える
将来的展望を希望的観測と履き違えるようではやはり厳しいかな 凄い、まるで言われている事を理解していない
ぼくのかんがえた戦国時代って感じだ
たしかにお話にならないわ、その残念さでは 重臣レベルがバタバタ討ち死にしたら再整備に時間がかかるわな 当然引き継ぎとかできないわけだし
後継に継がせるとしても嫡男含めた成人男子が一緒に討ち死にしてるかもしれないし
長篠の武田軍も重臣の後継が無能や幼少になったりしてクソの役にも立たなかった
例外的に後継が有能だった真田だって本来の宗家後継が幼少だから弟の昌幸が出戻った 仮に信長や信玄が氏真の立場だったならどうするか考えればいい
まず間違いなく自ら軍勢を率いて家康討伐に動いたろう
氏真は自ら先頭に立つ気概がなかったからああいうことになった >>193
遠江でも謀反祭り起きてるし、関東では上杉謙信が暴れてるけど大丈夫か
ただ、戦国時代ってこと考えるとそれぐらいリスク冒して勝負しないとダメかなぁ >>193
まあ、確かにそうだな。信長なら築山さん斬首してから討伐軍だしそう。
只、あの状況だと精々5000とかしか動かせないんでは?あの大敗のあとじゃ。 >>193
家康討伐の話は何度も出てるけど、まず遠江再平定の後の話になるし
そうなったら駿河・遠江VS三河の戦いになって割と拮抗してしまうことになるのではという話になってたような 家康は駿河に居て氏真という人物を十二分に知っていただろう
その上での独立なのだから氏真はどうしていればよかったとか言っても無意味じゃねと 家康は義理堅かったが、氏真が暗愚なのでやむを得ず独立した…というのが定説で、
んなわけねーだろクソ狸が!と思ってたけど、一周して正しかったのではとも思えてきた
@そもそも今川家の三河支配は盤石ではなく、桶狭間直前には三河忿劇(三河国人衆の反乱)が発生するなど揺らいでいた
A桶狭間の後、織田家の三河侵攻に対抗するため家康が岡崎に入ったが、氏真は家康ではなく(当時上杉謙信に攻められていた)北条氏へと援軍を送った
Aは有名な話だが、@は最近知ってびっくりした
第二次小豆坂の戦い以降、今川家の三河支配は盤石なものだと思っていたので
信長が家督をついでから10年近く、今川家は何やってたんだよと不思議だった
まさか三河で反乱が起きていて、その対応を行っていたとは!
そんな危うい状態なら、桶狭間で今川家が弱体化したら独立への機運が高まるのも当然だったか
むしろ家康はよく2年我慢したなと思うようになったわ 氏真って鳩山由紀夫みたいな人だったのかもな
教養はあるけど実務面では何を考えてるのかと言いたくなるような 信長は信秀道三死後の周り全部敵の状況から逆転したし信玄も上田原の惨敗後に塩尻峠で逆襲に転じた
結局大将自ら動かないと下の者はついてこないってことだよ
信玄の駿河侵攻のときも氏真は自ら軍勢を率いず家臣に任せている時点で終わっている 義元が戦死した時には、氏真は戦の経験が無い、もしくはほぼ無い状態だったはず。
そこから家康、信長、信玄を相手に持ちこたえることは無理。 信玄の方は相手が格下だけだから
徳川の背後に織田がいなければ今川もなんとかなったかもしれない 総大将が率先して前に出た結果
重臣ともども討たれてえらい目にあったのが今川家なんですがそれは
それにそこまでの情勢不安のせいで当主が領地離れたくても離れられない可能性は考えないの?
バカにする前にじゃあなんで離れられないんだろうみたいに一度考えた方がいいんじゃない? >>201
義元が氏真を甘やかしたのがそもそもの原因か?
信長にしろ信玄にしろ謙信にしろ若い頃から積極的に戦に参加していたし