【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る10
俺はないと思うよ
信長は家康を殺す気は全くなかった
天正10年時点の話だけどね >>209
その割にその後の武田討伐がえらい手際が良かったからさ。家康が真犯人前提なら信長と一緒にいた有楽や何も動かなかった信包辺りは内通してたんじゃ無いかなと。本能寺は囮として使うならうってつけなんだよね。 天正壬午の乱のことだね
手際良くないよ、北条氏直にいったん押し込まれて
ギリギリの勝負だったと思っているけどな 徳川が強かったというより依田が頑張ったのと
北条が深入り恐れて手を引いた 武田討伐は手際よかったから
普通に時系列間違ったんかと思った 徳川が有楽や信包と結託して本能寺の変か
そりゃすごいな
天正壬午の乱は本もでてるから一度読んでみたらどうかな
イメージ変わるよ >>201
本能寺時点で信長の馬廻りの一団が備中に着いてる
家康饗応を引き継いだ堀秀政 なんでわざわざ遠方にいる堀に饗応役を替えたんだろうな? 堀は安土にいたから遠方ではないだろ
饗応役終えてから備中に 明智光秀とは?
ルイス・フロイス「光秀はとにかく裏切り・計略・策謀好き」(フロイス日本史より)。
主君を何度も代える。
皆殺しの比叡山焼き討ちで張り切り、信長から軍功を認められる。
義昭と信長を両天秤にかけ、利用価値の無くなった前主君をあっさり捨てる。
主君信長に織田家重臣佐久間信盛の謂れなき讒言をし、佐久間のその地位を奪う(寛政重修諸家譜より)。
八上城攻城の指揮をとり、勝敗は決しても城兵は皆殺しとにかく皆殺し。
自身の老齢が近づき、総決算として丸腰で泊まる信長をぶっ殺して全てをいただくことを思い立ち、とりあえず殺害してしまう。
しかし、人望がとにかく無く直属の兵にさえ離反される可能性があったため、安土の城にあった金銀財宝はとりあえず部下たちに譲る。
自分は隠居するから味方して欲しいと細川幽斎に頼むも、前述のような人柄のため全力で断られ、味方が出来ずぼっちの今後を思い悩み数日は安土城で寝込み逗留する。
気づけば、猿と馬鹿にしていた貧相な小男が高速で戻って織田信孝や摂津衆らと連合軍を形成しており、立ち向かうも自身の人望の無さゆえの士気の低さから惨敗。
とりあえず近場の城に立て籠もるも、味方も援軍も無いので、10数名ほどで城兵を見捨ててこっそり逃亡。
逃げる途中、今まで足蹴にしていたような郷士か農民に致命傷を負わされ、初めて死ぬ可能性に気がつく。
介錯の後、自分の首は知恩院に運ぶように伝えるも、人望がないため面倒くさがられ、埋めることすらせず手近な藪にそのまま置いていかれる。
すぐに発見され胴体とつなぎ合わせ京の粟田口に磔にされ、前述のような性格の持ち主のため、京都の民から罵声を浴びる。 堀秀政は信長の側近中の側近だから小身でも適当な扱いはできないよ
秀吉はきっちり準備して迎えたはず 光秀は武田信玄の兄弟だったという説も出てきてるな
武田家の仇を討つため謀反したんだと 何そのトンデモ説
天海説とどっこいだな
考えてみれば光秀ぐらい存在が確実なのに生年不詳、前半生不詳、正体不明の人間も珍しいな 明智は過大評価されてるのが、
なんともな?
どっちというと延暦寺や石山合戦に反対姿勢を
とっていたのは光秀じゃなくて
秀吉や家康だった訳で・・
光秀は織田政権の延暦寺や石山合戦を
支持していたしな!
秀吉家康は部落民やキリシタンに苛烈な所業を
行ったけど、延暦寺や石山合戦には
否定的だった。 麒麟がくるの光秀を、まさかまんま信じている人はいないとは思うけど、
戒和上昔今禄の中の光秀は、実像が見えてくるような口語体で光秀の言葉が書いてある。
みんな知ってると思うから内容は省くけど、これを読むと、光秀って結構なせっかちで
鼻高さんな性格だと解る。 麒麟は主人公だったから黒い部分を書けなかったんだろうね 家康と信長の心情的な関わりが今一つ解らない。
武田征伐後の安土までの帰還途中、家康は信じられないほど信長に尽くしている。
道は広げて石ころが無いよう、土が舞わないよう水を撒き、道端の木が信長一行に
当たらないよう整備し、信長が道中飽きないように町屋を間毎に置き、川を渡る際は兵の背中で川渡し、
岡崎城に立ち寄った信長一行を饗応するのは当然。とにかく上にも下にも置かない接遇なのだ。
その数年前には信康と築山殿を始末している。信長の命令ではないにしろ。
この関係性がなんだったのだろうと不思議。 長篠の時は「武田に寝返るぞ」と脅してみたり
二人の関係はかなり独特の深みがあるよな >>1
明智氏の謎
美濃国、源頼光流土岐氏
古代礪杵道作の領地、柘植、樫
斎藤氏(トキとも読む)
分家が富樫氏
加藤氏
斎藤氏の加藤景包、その子は明智頼方
遠山氏
加藤景廉の子孫、明知城を拠点とした
明智氏
妻木村の領主、定明が弟の定衡に殺害され息子の定政は逃亡
光秀の実父
可児市にある長山城ではなく恵那にある明知城の城主
明智光安(光廉)宗寂は遠山景行宗寂のち三宅長閑斎
その子、三宅弥平次こと明智左馬助
江州御動座在陣衆着到に明智兵庫助と左馬助兄弟が見える
つまり左馬助は弟の称号
光秀の父は光安で弟は秀満
斎藤道三利政が長良川で敗死すると長山城で光安が敗死したことになっているが実際は遠山景行は上村合戦で敗死している
その後、三宅長閑斎と名乗り、光秀、秀満兄弟と行動を共にした 同盟関係と説明させることが多いけど、当時ではノブとヤスは外様の主従関係だな、
江戸風でいえば譜代以下な譜代格かな
でも大領得たけど所詮三河の一豪族だしいつ飛んでもおかしくない緊張感 書札礼では織田一門扱いされてるとか言ってなかったか徳川 徳川嫌いの人は多くて、ずっと主従関係だった、みたいに強調するよね。力関係はあるからそういう側面はあったろうけども。
武田いなくなって東の盾となってた徳川を不要と思ったかどうか。北条がいるからすぐには不要とは思わなかっただろうけどなあ。 今一番日本で権威がある大門先生に逆らうとかありえんて だとすると、本能寺で信長が横死したと知った時、「腹切って上様のもとへ!」
みたいなこと言って本多だかに止められたというのは、あながちウソでもないかもね。美しい主従関係w 【ドラマ】日本史好きの4割が「明智光秀は生き延びたと思う」と回答 大河「麒麟がくる」で”生存説”匂わせ [muffin★]
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1613380164/ >>244
敗者に対する同情からの逃亡説とか、こっちのがおもろいのロマン説を否定はしないけど
よりによって、生きていたら荒木並みの胸糞の光秀生存説を信じさせちゃうとか
ファンタジードラマの罪は重い… >>246
光秀がもし生き残ってたら、妻子供一族郎党を犠牲に生き延びた糞野郎でしかないよな。
山崎の合戦で負けて逃げる途中で土民に殺されるより数百倍格好悪いよ。 変後に光秀に宛てたガラシャの手紙があったような記憶がある。
内容は、貴方様が起こしたことで私はこのような身の置き方をしなければならなくなった云々・・
恨みつらみが一杯だったように思うが、あの書状は実在するのかな? >>248
そんなの知らないなぁ( ´・ω・`)
ただ光秀が細川家に味方にならない事への恨み辛み泣き言や空手形を書き連ねた手紙なら残ってるけど。
あんな情けない手紙が後世に残るってのも何だけど、あれを読んで本気で味方につくと思ってたんかね→光秀 明智三羽烏で安田国継以外の古川九兵衛、箕浦大蔵丞の諱を知っている人いる?
どうしてもわからないんだけど >>249
画像としては見たことないから、本当はないのかも。
磯田先生が言ってたけど、その有名な光秀から細川家への書状は2通目で1通目があり、
文章からしてそれはそうだろうけど、1通目を残さずに、細川家が光秀の誘いを拒否して
いることの証として2通目だけを秀吉のために残したとのこと。それで秀吉から信頼を得たんだよね。
そこに本能寺の変の真実はあったのだろうと思うけど、2通目の光秀の言葉からして大した
理由はないんだろうな。 忠興に跡を譲るとかどうも捏造臭くてなあ
細川家の文書の信頼性もあるし 味方が増えないから相手の喜びそうな話を盛って手紙にした節はあるよね
足利に忠誠誓いそうな人には義昭の名前を出し
細川には忠興を取り立てたいと言いながら義昭の名前は出さない
藤田教授の言う通り足利義昭が光秀を使嗾したのなら
もっと大々的に呼びかけて政治的武器にしただろうな この細川宛の書状の花押が不自然だって立花京子が言ってたけど他に賛同してた研究者っていないよな 細川宛書状は明らかやり取りの最初じゃないから
公方への馳走云々の話はもう終わってんでしょ
それしかとして(あるいは批判して)動かないから
これは忠興や息子を取り立てるためにやったことで〜
国もたくさん付けちゃうよ〜ってなってる ところで、この覚書には注目すべき点がある。それは黒幕らしい人物が出てこないことだ
謀略論者の言うように、朝廷や足利将軍が光秀の背後にいたのなら、必ずそれらの名を
出して説得材料にしたはずだ。それがないのは、そうした事実がなかったからだろう 将軍上洛への協力を呼びかけてる例はある
それは事前に義昭に話が通ってたとか
義昭から命じられた、つまり黒幕であった
ということを必ずしも意味しない
自分が天下人だから従えというより
将軍の権威を用いての調略や政権運営を
考えていたとは言える
逆に朝廷や秀吉の名は出てこない訳で
その選択肢はなかったしまして黒幕とは・・・ 誰も黒幕なんて存在しないが、誰が黒幕であっても繋がってしまうような
裏の人間関係が存在するってことでしょう。
誰に殺されても可笑しくないような。 黒幕より気になるのは光秀はどうやって変後に秀吉勝家家康に勝とうとしててんだろ、という点だなあ。
この三人は各個撃破出来るほど甘くないのは光秀自身が一番わかってたはず。
山城の国と琵琶湖を押えてまずは朝廷と勝家へ対策を始めたのはわかるけど、堺に滞在中だった家康は
取り逃がしてるし、摂津衆はじめ大坂以西の勢力への対策を後回しにした結果、秀吉に大敗したし。 信長親子を葬ったら次は出たとこ勝負だったんだろう
何しろそこでさえやって見ないと分からない
山岡に瀬田橋を焼かれたのは痛かったが
あそこで数日遅れなくともどこまで行けたかね
摂津へ直に出向いたところで中川高山は協力しなかったのでは 本当に
秀吉のように大義名分がないので、
どうやって勝つなり、治めるなりをしようとしたのか
細川、筒井、中川、高山を集めても恐怖政治出来るほどの軍事力もない NHKでやってたが、本能寺の変は割とあっさりと終わっている、信長はそれほど戦ってもいないのが現実とのこと。それは理解できるが、あっさりと信長を殺してなぜその首を確保できなかったのかが、最大の謎。それも信忠も含めて。
信長の首をあげていたら、武将たちも光秀に従う者も少なくはなかっただろうね。 >>269
謎はないだろう
死体は見つけただろうがそれが信長だと確信が持てる状態ではなかっただけで
戦場で討つかせめて宴席で仕留めるかしてたら装束だけでも誰かわかる見込みがあるけど
寝巻きを着て焼けてしまっては誰が誰だかわからない
顔が判別できなくても、デブとか巨漢とか六本指とか金玉がでかいとか目立った身体的特徴があればいいけど
信長は身体的には特に目立ったところはないようだし 燭台と蝋燭が常備されているから
簡単に油撒いて放火できたのがポイントかと思ってる 大寧寺の変では義隆は自害したあと首は晒されたんかな
自害した後火を放つって他にあまり例を聞かない気がする 首があったらみんな従ったって
たまにいう人いるけど
そんなことあるか?
>>268
実際そうとしか言いようないと思うよ
直臣にも直前に明かしたくらい
出たとこ勝負に出て見通しが甘くて敗れ去った 歴史読本だかで読んだことあるけど、本能寺は寺であって鉄砲や爆薬庫の役割もあったため、火を付ければ一瞬にして燃えてしまったはずだとのこと。
信長は遺骸どころか、喉ぼとけの一つも残さずに消えてしまったのではないかな。
首級がなければ、後々信長が生きて出て来たときのことを考えるとガクブルでしょ? >>273
それはそう
首が晒せれば天下の人が態度を変えるか? いやいや別に織田家中の面々は信長生きてる!
と思って明智を討った訳じゃないだろ 光秀には信長親子を討つチャンスがあったと言うだけで
荒木や松永の謀反とそう変わりないということやね >>276
信長の首があって、光秀に力があれば従うし
力がないと思えば主君の仇という大義名分があるから打ち取るでしょうね。
ただ、ここの話しは、変後の光秀からの細川氏への誘いの手紙に
細川氏が拒否したことからの流れだから、信長の首もないのに
光秀には降らないのでは?という話しからだと思ったからこうなったのだけどね。 細川も別に信長が生きてると思って
光秀に降らなかった訳ではないのでは?
首があったら降ったという理屈がよくわからん 首があると無いではえらく違うと思うよ。
戦では首実験し、誰の首を取ったのか、それは恩賞にもなる。晒すのもアピールのためでしょ?
首を取って初めて敵を倒したという証になると、歴史で習ったけど違うんかいな? まぁ信長の首でもあったら殺したことの証明にはなるけど、それによって細川が態度を変えるとは思えんよな。
仮に首を晒せたところでその数日後には秀吉の軍勢が迫ってきてたわけだし。
で、結局、本能寺跡で晒されたのは信長でなく光秀の首だったのいうのがなんとも。 この場合、信長親子を梟首できれば山岡・蒲生・筒井・細川・中川・高山らが光秀に従ったかどうかだよね
首を取れば謀反人の光秀でも道義上のビハインドを払拭できるのか
ドラクエの勇者のナントカみたいな機械的なもんじゃないと思うんだが >>284
信長の首を晒していればその辺りの連中がこぞって日和見の中立になった可能性はあるかな
秀吉の主力は疲労困憊で山崎の主力は摂津勢だという話もあるし
明智が秀吉を破れば勝ち馬に乗ろうと後から明智についたかもしれん >>281
摂津衆の旗頭は池田だし近江衆は信長の直臣だぞ
それはあまりにも簡単に考えすぎてるよ 今川義元が首取られて今川領国だった三河遠江で
国衆が信長に通じて織田領になったか
というと家康さえ最初は違ったからなあ
岡部元信の行動見ると名誉のために
非常に大事な問題だったのはわかるが
そこまで絶大な効果が見込めるなら
返しもせんかったろう それは元から敵味方に別れていたから状況が違う気がする
とはいえ鍋島に首受け取り拒否られた龍造寺隆信… いくら戦国時代とは言っても、敵の武将の首ならともかく仮にも自分の主人だった人物を騙し討ちにしただけでなく
首を晒すって、あの松永秀久ですらしないようなドン引きな行為だと思うけど、本気で信長に取って変わろうとする
ならそれくらいする覚悟でないと駄目な気がする。というか、無かったから駄目だった訳だけどさ。 信長の首はどうせ黒焦げなんだから黒焦げの適当な首を選んで、梟首すれば良かったんだよ
首を晒すことは信長が死んだってことの宣伝だから
ただ梟首は罪人って意味合いもあるから、御恩も忘れていませんって意味合いで、
豪華な祭壇に首を綺麗に飾り付けして誤魔化しておけばいい そんな豪華な祭壇造り始める前に秀吉が光秀ぶっ殺しに来るよ( ´・ω・`)
そういや光秀と秀吉の関係ってどんなのだったのかね。秀吉が勝家と反りが会わなかったのは有名だけど。 光秀と秀吉は信長の方針で西国制圧では何かにつけて競わされていた
個人的な心証は分からないけど、立場としてはライバル 秀吉と光秀が実際にどうであったかは知らないが、信長は家臣団の取り立てについての
不平不満や家臣団の心情などなど、意外と思い悩んでいたと読んだことがある。
織田家家臣団は譜代から新参者が入れ混じっていたから、グループ的には秀吉と光秀は
関係性は悪くはなかったのではと思う。 譜代<−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−>新参
佐久間・林・平手・中川 柴田・丹羽・坂井・原田 滝川 羽柴 明智 荒木
結局、新参の荒木・明智が順番に背き、羽柴が主家の地位を奪ったという信長の能力主義が招いた悲劇 >>288
本能寺だって織田家は最初から味方でそれに
明智が敵対したってだけじゃん >>293-294
うーん、ライバルなのはわかってるんけどねー。特に秀吉はお喋りで様々な人物に対して論評したのが伝わってるのに
光秀について語ったのは自分は読んだことないもんで。誰か知らない? >>65
現代でも祝いの席で食べられてる近江の名物をなんで近江の安土城で家康に光秀が出すのがおかしいの? NHK大河で光秀イメージ好転 「裏切り者」の回答減る
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ae1e07f43a437332e294fffb3161a2bc70b6a2
>大河効果でイメージ好転の兆し―。
>京都府福知山市は1日、本能寺の変で主君織田信長を討った明智光秀のイメージについてインターネット調査結果を発表。
>NHK大河ドラマ「麒麟がくる」(2月終了)の放送開始前に比べ、「裏切り者」という回答が減り「良君」とする人が増えた。
いや、作り物のドラマを真に受けるなよ… >>300
名君の描写なんか大河ドラマで一年間に一分でもあったかよ。素人はいい加減だな
そもそも福知山なんか番組終わりの紀行で一回くらい出ただけで、ドラマでは一切出てないだろ? もう、明智光秀の生存説を信じる者が出始めてるくらいだからな ほとんどの人はイメージで他人を評価するってことだろ
実際の事績を調べて考察するような面倒なことはしない
管直人だって数十年後に美形俳優主演で、原発事故に献身的に対応した最後の国民目線の政治家みたいなドラマを作られたらそのイメージで固定されるだろう 光秀が大河になったから石田三成も、という人をたまに見かけるがこの2人そんなに共通点あるかな 石田三成は主人裏切って殺すなんて非道な事はしてないから案外大河向きかも。ただキャラ弱いから島左近とセットで。
あ、それだと関ヶ原になってしまうか… 主人生前から君命とまるで違う外交展開しておいて
イエスマン装って政敵の追い落としに走ってるだけで
主人を殺してはいないから? あでも豊臣政権下の権力闘争や
唐入りを丁寧にやるドラマはちょっと見たい
ここで言うことじゃないけどw