石川五右衛門
江戸期の創作の影響が大きいとはいえ、確かな史実もないのになぜ大盗賊といわれるのか?
出自や釜茹での刑が累者にまで及んだのはなぜか?
歌舞伎とアニメとゲーム以外で語ってほしい 珍しいスレやな
わいは武士出自説やで
せやさけ母親も処罰されたと思うとる 多分ね
どういう盗賊だったのか、史料からはよくわからないのに大盗賊になってるし 一銭斬りの時代に大規模な盗賊団の頭目だったら、それは一族揃って誅殺だわ 信長入洛時の一銭切りは唐入り前後のこの時期には生きてただろうし
盗賊団としては京や大坂で盗みをするメリットは少ないというか
著しく不利な状況だったろうに、なんでまたこの時期に?とは思うけど
他にも盗賊団があったようにはないし、なんか突発的な感じはするけどね 逆に考えると、こういう盗賊団が珍しかったから伝説化した可能性はないかな?
中世は物凄く荒っぽい時代だが、盗みへのタブー意識も強かった時代でもある 確かにね
前田玄以が所司代をやっている頃だし、秀吉も民衆の抑圧と懐柔からも犯罪抑制には意を砕いていたはず
そのなかで一族郎党を含んだ釜茹でや磔だから、見せしめの意味は大きい
ところで一緒に磔になったのは、五右衛門自身の家族を含めた盗賊団の仲間だけなのかな?
他の盗賊とも取れる記述なので、どう思いますか? >>9
応仁の乱の足軽で検索してみるといい。
戦国の足軽と違い集団化した強盗
古くから源平のころから略奪しまくり
戦国でも破壊略奪しまくってるのにそれはない 窃盗・強盗に極刑をもってあたらなければならないほど
世間で盗みや略奪が横行していたと思われる
戦の減少に伴って京には地方からの食いつめ者が多数流入して治安悪化がひどかったはず
糧を得る手段もなかなかないだろうし他にも盗賊団とかがいた可能性は高いな 清水克行の対談本読んでたら、
黒澤映画にでてくるような盗賊団は中世にいない、って話も出てきたけどな 田畑の耕作性は戦乱もあってかなり低かったと思う
慢性的な食糧不足で、そうなると飢えないためには略奪するしかない
戦国武将の近郊侵略はかなりの場合食糧の窃取
それも足軽階級に簒奪をさせる目的だったようだ
より簒奪させてくれる武将のもとへ逃散してしまわないように 義賊は後の世の創作だろ?
大名並みの暮らしをしていたとか見た気がする >>14
揚げ足とるようで悪いけど簒奪はおかしくないか
収奪とかなら分かるが 信長上洛から二十数年
京都は他大名に略奪されたりした経験がなかった
そういう時代に大強盗団を組織して派手に暴れたのと、処刑も派手だったのとの相乗効果で伝説化したのか? 釜茹では他にあまり見ない処刑方法だと思う
残酷な刑罰はいくつもあっただろうが、特に釜茹でにこだわったわけでもあるのかな? 仏教における地獄の再現という宗教的意味合いもあったんじゃないか 宣教師の日記にイシカワゴエモンとあるからそう呼ばれていたのだろうけど
姓があるという認識なんだな 仙石が捕らえたって軍記が元だそうだけど
歌舞伎とかで広まったんかな 江戸期の創作作家には豊臣家との関係でも使いやすい素材だったろうし
権兵衛が捕らえたというのは、それなりに信憑性があるらしいが 金をばら蒔いたっていうのも鼠小僧とかそのへんから引っ張ってきたのかな
あるいは秀吉か 義賊ではなかったはず
後世の創作が大きい
処刑されたのは三十歳前後か?
子どもが小さいようだし 一色や三好の家臣説とかあるが石川からの連想に過ぎない気はするな
どちらも落ち延びたり仲間斬って逃げてるのに石川名乗り続けてるのも不自然だし 大名並みの隊列組んで通りを練り歩いていた
とかいう記録を見たような気がするが? 徒党を組んだ大規模な強盗集団だったから派手な処刑をしたら後の創作家があることないこと盛りまくったみたいな 捕縛以前のことが分からなさすぎるな
まあ名前が残っているだけでも奇跡的なことだろうけど 以降江戸期でも大盗賊とされた集団はいただろうが、やはり戯作者が素材として扱いやすかったんだろうかね 五右衛門の前例があったから以降の盗賊団は地味に処分されたのかもな 五右衛門は架空の人物
実在したのは河内国石川郡のがんまくという盗賊 宣教師だったペドロ・モレホンが、入手していたスペイン人商人の日本滞在記たる『日本王国記』に
「Ixicavagoyemon」と注釈を入れている。
真偽のほどは分からないが、林羅山も同様の記録を残しており、実在性は高いのではないか? がんまくって太閤記の登場人物だとおもってた
史料あるんだっけ 「釜茹で」ではなくて「釜煎り」だったとか聞いたことがある。