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【島津義弘】露梁海戦って日本の負け?【李舜臣】
0001人間七七四年
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2019/09/29(日) 23:17:18.54ID:c8Txarhq
韓国の史料 乱中雑録より

賊兵殊死血戰 勢不能支 乃退入觀音浦
(島津軍は必死で戦ってきたため 勢いを支えきれず朝鮮軍は総崩れになり 観音裏まで敗走した)

このように、実は韓国の史料(乱中雑録)にもはっきり結果が書かれている事を授業でも教えるべき
0002人間七七四年
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2019/10/01(火) 00:35:58.54ID:1LLOfPY9
中韓の勝ちって聞いたことあるけど
0003人間七七四年
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2019/10/01(火) 00:57:17.94ID:9LcxlkTj
どっちが戦略目標を達成出来たかと言えば日本
ただ中朝も逃げる相手に食らいついたと自負すれば中朝も自己満で勝ったとも言える
0004人間七七四年
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2019/10/01(火) 11:35:30.39ID:z2jcV0H1
>>2
誰に聞いたの?
その人は信用できるの?
0005人間七七四年
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2019/10/01(火) 20:52:48.90ID:P2Z7Kfve
>>4
東郷吉太郎
0006人間七七四年
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2019/10/04(金) 01:13:49.02ID:ErMInxyj
戦略目標って後で何とでも言える
そもそもそれ以前に「露梁海戦の戦果として小西を逃がせた」と言うロジックが成立しない
それについて史実を紹介して見て見よう

慶長3年 11月15日 退却してこない小西の様子を見るため島津が順天倭城に使者を出す。
慶長3年 11月16日 明朝鮮軍が湾を封鎖していたが明将は島津使者の船を城に通す。
          李舜臣は明軍に抗議するも使者の船は帰路も妨害されることなく帰還。
慶長3年 11月17日 たどり着いた使者から情報を聞き島津・立花・宗などの諸将が順天倭城に出撃。
          李舜臣が日本軍の救援が来ることを予測し明将に露梁での待ち伏せを進言。移動する。
慶長3年 11月18日 湾に敵の船が全くいないことに気付き小西脱出。

仮に17日の日本軍出撃がなくても明朝鮮軍は露梁に移動して待ち伏せているので小西は脱出できる。
0007人間七七四年
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2019/10/04(金) 12:21:36.85ID:GqB1+PQp
>>6
18日に戦争してなかったら引き返して再封鎖した可能性もある
0008人間七七四年
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2019/10/13(日) 18:21:34.07ID:6W+JocVa
漢文の授業で主語の省略されている部分は文脈を見て主語を判断するって習ってるだろ

両軍突発 左右掩撃 矢石交下 柴火亂投 許多倭船 太半延燃
賊兵殊死血戰 勢不能支 乃退入觀音浦 日已明矣 舜臣親自援枹先登追殺
この文の中の『勢不能支 乃退入觀音浦』の主語はなんだと思う?

>>1は誤訳だよ
島津が敗走したのは否定しようがない
0009人間七七四年
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2019/10/14(月) 19:23:19.32ID:MJTBT7rG
>>8
それは韓国人の訳
日本人の訳とどちらを信じる気だ
0010人間七七四年
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2019/10/21(月) 23:02:59.29ID:0dQIHph5
>>9
訳は敢えて書いていないよ
自分の主観で文脈から判断したらいい
読解力に自信がないなら李舜臣の戦死の場所は観音浦であることを頭に入れて
主語をあてはめながら頭に地図を描いてくれ
0011人間七七四年
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2019/10/22(火) 18:07:08.04ID:As1Yxj39
無事に撤収出来たから
日本の勝ちだよ

韓国の馬鹿が勝手に追い討ちして
自滅しただけ
0012人間七七四年
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2019/10/22(火) 22:03:08.33ID:As1Yxj39
小西行長が無事に脱出成功したから
日本の勝ち
小西行長が捕まるか玉砕したら
明軍の勝ちだった。
小西行長が無事に日本に帰って来たので
日本の勝ち
0013人間七七四年
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2019/10/23(水) 00:12:46.02ID:aI43jURd
>>10
それって朝鮮の史料だろ
そりゃ朝鮮人なんだから朝鮮に都合よく書いてあるだろし信憑性もない
そんなのに頼らなくても征韓録に島津が優勢だったように書いてあるだろが
0014人間七七四年
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2019/10/27(日) 12:45:32.33ID:9ATPR7uB
朝鮮が弱いのはどこの資料もおなじ
0015人間七七四年
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2019/10/27(日) 18:44:01.28ID:Tl+IQzdc
>>13
基本的なことを書くとだな
史料ってのは別の史料の裏付けがあって信頼できる史料と認められる
逆に他の複数史料から否定されるようなものは信頼できない史料と見られる

征韓録で書かれているように島津が優勢だったことを記載している史料は
>>1の引用元である朝鮮の義兵が書いた<乱中雑録>しかほぼない

島津が征韓録を書くために集めた重臣の証言はむしろ悲惨な敗走しか書かれていないし
宇都宮高麗帰陣にも島津の攻撃が不調に終わったことが書かれている

もし>>1が誤読であれば日本が有利だったとする信頼できる史料はないってことだよ
「史料なんかどうでもいい、主観で考える。」というのなら勝手にどうぞ
0016人間七七四年
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2019/10/27(日) 19:00:51.17ID:g8vjFzEj
>>15
>島津が征韓録を書くために集めた重臣の証言はむしろ悲惨な敗走しか書かれていないし
そんなの見たことないんだが
妄想じゃなくてソース出してくれませんかね
0017人間七七四年
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2019/10/29(火) 19:30:16.92ID:Is9wNWtB
>>15
偉そうなこと言ってて結局ソースも示せない妄想だったかw
悔しいのぅwww
0018人間七七四年
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2019/11/03(日) 02:50:49.02ID:8LeZ2l3x
>>15
首突っ込んだんだから何とか言ってくれよ
0019人間七七四年
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2019/11/10(日) 18:28:02.41ID:C+ux/M/6
>>15
そんな風に言われてもな…

征韓録は島津義弘の孫である島津光久の元で先祖を喧伝するために編集されたものだが
島津光久も編集した家老の島津久通も文禄慶長の役当時生まれてすらいない
そのため各国から資料を集めるとともに当時戦争に参加した老臣に覚書を提出させた

島津の朝鮮役を語りたいなら「見たことない」ではなく知っておくべきものだよ
泗川新寨戦捷之偉蹟と検索して全文読んだ方がこのスレにいるよりためになる
まあ首を突っ込んじゃったから少し内容に触れよう

「敵は大船に大勢にて相働申候間日本方被成御打負御船散散に罷成候彼山に當て数多如枯木相見へ候は皆敵船の帆柱にて候
(中略)維新様の御召船を奉見へば誠に御難儀(中略)御船の垣悉く相崩し申方々へ敵の矢相立被成候」
日本方は責められ散り散りに逃げ、戦場は数多の敵に征された
義弘の座乗船は船の囲いはボロボロで方々に敵の矢が刺さっていた

これ悲惨な敗走の表現だと思いません?
>>1は誤読をやらかしてるが敵側が自らにとって不利な表現をしているから真実と言う論法については同意できる
同様に薩摩藩士がお殿様に献上する覚書に真実でもないのに不利な状況を書くかな
0021人間七七四年
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2019/11/10(日) 20:19:42.47ID:PAXUCEVs
>>19
その本については知らなかったがそれって単に老臣の記憶違いじゃないのか
そもそも結果として島津側は重要な家臣が誰も戦死してないが明朝鮮は死者多数
日本側が負けたとするとこの事実について説明つかないんだよ
記録と違うって駄々捏ねられても実際はそうなんだから
0022人間七七四年
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2019/11/13(水) 18:52:06.60ID:J5RttH73
>>21
知らなかったら史料を読み漁るんだ!
知識がないと「老臣の記憶違い」と言う感想も出るだろうが
複数史料に同様のことが書いてあるのを知れば感想も変わってくる

>日本側が負けたとするとこの事実について説明つかないんだよ
むしろ日本が勝ったとする方が説明がつかない

宇都宮高麗帰陣物語に船から敵船への移譲攻撃を行うも敵が多勢のため
他の敵船から攻撃を受けて撃退されてしまうと言う話がある
また川上久国の覚書にも敵船に乗りて返らず御家の衆も少々敵船に乗りて返らずと書かれている
これらの事から敵が大船大勢であったため島津軍による船への移乗攻撃が不調に終わったと考えられる

同時代またはこれ以降の時代においても欧州では多くの海戦が行われているが
敵船を沈黙させる有効な攻撃手段は敵船への直接移譲攻撃や敵船を燃やしてしまうことだ
まだ大砲は船を沈没させたり敵を制圧するには弱く、小銃は日本の火縄銃より射程距離の長いものが出てくるが指揮官などの狙撃に使われる程度である

こういった常識があるにもかかわらず島津の勝利を証明するには
「この規模の戦いでも火縄銃だけで敵船の制圧ができたんだ」と言う事を立証しなければならない
だが、出てくる書物は上記のとおり制圧失敗のものばかりなのだが
0023人間七七四年
垢版 |
2019/11/14(木) 11:51:39.68ID:N2qlQ07X
戦略目的の達成率で勝敗が決まるんじゃないの?
0024人間七七四年
垢版 |
2019/11/14(木) 20:39:37.71ID:Lipy4xcr
>>22
史料読みこんでる時間なんかないってのw
まあいずれは読もうと思ってるよ
ところで日本側の重臣がほとんど死んでない理由が説明できていないようだがな
0025人間七七四年
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2019/11/17(日) 22:32:55.32ID:AnYnUmJL
>日本側の重臣がほとんど死んでない理由
理由は絶体絶命の時に他家が命を救ってくれたから

いわゆる戦国時代は個人によって食糧・装備・丸薬を携帯するだけでなく小荷駄隊と
呼ばれる輜重を賄う後方支援部隊がおり前線の戦闘部隊と分けられていたと考えられている

基本的に先に戦死するのは戦闘部隊であり、戦闘部隊が壊滅すると後方が逃げ出し
追撃される途中に大物の首が獲られる事が多い

例えば長篠の戦で馬防柵を超えて突っ込んだ戦闘部隊の土屋や真田、また一番隊の大将
である山縣は柵近くで討ち死にしているが、馬場・内藤・原などのほとんどの大物は
いったん撤退し追撃される途中に討ち死にしている

では露梁海戦にこれを当てはめよう。
衝突により日本方の戦闘部隊は壊滅
町田・桂など島津血族で生きていれば家老となった戦闘部隊の将と思われる若い有力家臣達が戦死
戦国時代に重く用いられて琉球攻めでは総大将となった樺山家の宗家忠征と島津家老の久高
のちに島津を名乗り徳川と交渉する喜入忠続など戦闘部隊の大将格と見られる大物は船を明朝鮮軍に燃やされ島に逃亡する
島に逃亡した者たちは本来なら討ち取られていた

露梁海峡を抜けようとした島津義弘たちも前述のとおり追っ手に厳しい攻撃を受ける
これも本来ならば重臣が多く討ち取られ義弘自身も危なかったであろう

ところがここで征韓録に書かれていないことが起こる
蜂須賀家の援軍が島津・立花・宗を救援するため参戦した
立花宗茂から「拙者家中之舟御方以手柄壱艘たすけられ候一段見事之仕立無比類儀候」と称えられ
主君からも「今度朝鮮為使相越島津殿立花殿船合戦之剋行合無比類働深重聞届候」と褒美を賜っている
追撃を押しとどめた蜂須賀阿波水軍がいなければもっとわかりやすい戦争になっていたろう

この蜂須賀家の水軍は島津達が順天へと出陣した時には加わっておらず昌原にて収容輸送を行っていた。
従って参戦したのはまさに追撃を受けていた時の事だと思われる
これは徳島県立図書館に行けば詳しいだろう
0026人間七七四年
垢版 |
2019/11/18(月) 21:29:31.34ID:u7y4faHc
つまり中盤まで優勢だったのに蜂須賀の援軍が来たせいで戦果を拡大する追撃戦ができなかったばかりか気がついたら大将を討ち取られてたといいたいんだな
舜臣以外にまともに水軍を率いれる武将がいない以上朝鮮水軍は壊滅したと同義だな
0027人間七七四年
垢版 |
2019/11/19(火) 18:30:30.46ID:BxeR3ZgT
>>25
明と朝鮮の将官に戦死者が多い理由は?
それだけ史料見てるなら日本に有利な解釈したほうが皆喜ぶと思うけどね
0028人間七七四年
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2019/11/25(月) 22:51:29.47ID:s0tzAtA3
>>27
>日本に有利な解釈したほうが皆喜ぶ
立花の手紙と阿波水軍への手紙以外どの史料を見ても蜂須賀の活躍が載っていないし
具体的に表記された活躍が立花家の船が「壱艘たすけられ」たことしかない
これで日本大勝利とか言い出す方が変な人じゃね?
敗走する島津立花を守りながら撤退戦を上手くやったと言うくらいしか材料がない

もちろん最初から日本有利に解釈したいという思想を持った人への説明は別だが
同様なタイプの人に中国人で碧蹄館の戦いは明の勝利って言う人いるけどね…
史料との矛盾の少ないほうがいいでしょ?

>明と朝鮮の将官に戦死者が多い理由は?
明の戦死者はケ子龍くらい
明史によると先鋒の朝鮮軍の監督として布陣していたのに誰よりも先に突撃をして戦死した
元々李舜臣も前に出るタイプだがこの件でより前線に出て戦ってたんだろう

朝鮮軍が三増峠の浅利の部隊のように退却したり崩壊したのなら日本の有利を主張するが
同乗の指揮を受け継いだ李莞がさらに奮戦し戦い続けた史料を残している
また銃撃の手柄でも名乗りを上げるのものだがそういう史料が見つからない(多分戦死)

島津立花はこの戦で負けたと判断したほうが整合性がある
0029人間七七四年
垢版 |
2019/11/26(火) 18:01:37.78ID:+U4bQ+21
>>28
それじゃ合戦中にいてもいなくても特に変わりない程度の人物だったってことか
0030人間七七四年
垢版 |
2019/11/27(水) 21:31:38.69ID:LvAe+Kwq
>>29
さあ
どうなのかね
露梁海戦を一つの試合として人物に点数でもつけてみればいいんかじゃないか
そういうところはただの主観でいいと思うよ
0031人間七七四年
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2019/11/28(木) 10:27:28.60ID:m6rP5FCi
あれ?君の主張だと衝突により日本方の戦闘部隊は壊滅して追撃受けてたんじゃなかったのかい
島津義弘も本来なら戦死するような状況で蜂須賀の到来でかろうじて生き延びたんだろw

でもケ子龍が「先鋒の朝鮮軍の監督として布陣していたのに誰よりも先に突撃をして戦死した」というなら緒戦での戦死だよね
更に李舜臣の戦死の状況って日明朝の記述が珍しく一致しているけど、すべてケ子龍の救援に赴いて戦死って書かれてるよ。
つまり観音浦から出撃した部隊は開戦とほぼ同時に大将と軍監が戦死し壊滅したわけだ。

これだと二手に分かれたもう一方の船団を率いた総兵の陳璘が突出し危機に陥ったのも納得できる。
壊走する観音浦出撃軍を収容するために全力で日本軍に突進し、船が多く漕ぎ手も多い旗艦だけが結果的に一時期日本軍の中に突出し孤立、その後追いついた陳璘の部下の明軍と日本軍が交戦したわけだ。
この交戦は船団が銃撃砲撃を繰り返したあと移乗攻撃に移るような整然としたものではなく、到着したものから順に戦闘に突入する混戦だったため双方の多数の戦死者、特に船大将クラスの中堅指揮官の戦死が多くでたのであろうことは想像に難くない。
明側にすれば日本軍の大半を取り逃がしたにもかかわらず陳璘の戦功が極めて高く評価されているのもこれなら納得できるだろ。
なにしろ緒戦で破綻した作戦を立て直し大半を取り逃がしたとはいえ一矢報いてみせたんだからね。
0032人間七七四年
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2019/11/28(木) 17:56:38.52ID:RmV3C/SW
>>30
俺は史料あんまり読んでないからだめだよ
どういう評価するか単純に見たいから主観でいいから点数つけて見せて欲しいんだが
0033人間七七四年
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2019/11/30(土) 16:21:37.40ID:tcbjUXpo
>>19
「御船の垣悉く相崩し申方々へ敵の矢相立被成候」これの何が悲惨な敗走の表現なのかがわからん
ただ単に義弘自身の乗船も戦闘に参加して奮戦したってだけかと
当時の大砲はもちろん火縄銃や弓矢では船は沈まない以上、危機的状況ではないよね
当の義弘は健在だったのでことさら船の破損を強調して奮戦しましたって主張してるだけでしょ
まあ、陸戦でいうと矢石が飛んできて鎧に当たりました、鎧はボロボロですって程度。これだけだと矢傷浅とか書かれるレベルであまり戦功としてはカウントしてもらえないよね
とりあえず書いとくか程度でしょ
これが悲惨だなんだと言うなら手負い注文とか手柄として報告できなくなるかと
0034人間七七四年
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2019/12/05(木) 23:05:59.53ID:JkUNvvJ7
>>30
正直ずっとレス待ってるんだが
0035人間七七四年
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2019/12/06(金) 23:10:09.15ID:9P84iD6J
たいへん興味深く読ませてもらったが、ここまで明朝鮮が勝ったと思わせる記述なし。
島津が苦戦したのかもと思い始めてはいるが、かといって明朝鮮が勝ったわけではないようだ。
0036人間七七四年
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2019/12/07(土) 17:22:50.93ID:BEEN7AFk
>同乗の指揮を受け継いだ李莞がさらに奮戦し戦い続けた史料を残している

李莞が壊滅する観音浦出撃軍の中で最後の意地を見せたことは認めるが、それが戦局になにか影響を与えたかというとそれは殆どないよね。李舜臣戦死の後、軍をまとめることができずに単艦で砲撃を続けたというだけだろう。
李舜臣と李莞の乗船は朝鮮水軍の旗艦なので船は大きく装備は優良だったからできた芸当だろうだけどそれ以上のものじゃない。李舜臣とケ子龍を失った朝鮮水軍は組織的な戦闘が不可能になり少数の踏みとどまって戦うもの以外の大部分は遁走もしくは拿捕されるか、沈没した。
そうじゃないと樺山久高たちが露梁を突破後に攻撃をうけ支えきれずに南海島の観音浦に上陸、島を横断して友軍に回収されてることの説明がつかないよね?
本来なら明水軍本隊と連帯して日本軍を挟撃し殲滅するはずの李舜臣軍はこの時点でほぼ消滅していたからこそ朝鮮軍の出撃地点であった観音浦は日本軍にとって安全な逃走経路となり得たと見るのが無難だろう。
0037人間七七四年
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2019/12/18(水) 11:44:09.68ID:KjsdJogs
>>1
【バカチョン征伐】バカチョン征伐はバカチョンの負け【バカチョン犬死】
バカチョンの捏造じゃん(バカチョンが負けて終わった。)
0038人間七七四年
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2020/01/12(日) 20:20:07.62ID:2dnkHBMe
>>1
朝鮮人みたいに主語を捏造するなよ、恥ずかしい

その文章自体は「救出に来た日本軍が敗退した」と表現されている
0039人間七七四年
垢版 |
2020/01/14(火) 18:07:09.31ID:Ys/1GJxG
乱中雑録は露梁の事あんま詳しく書いてないんだよね。明朝鮮軍が出撃してから李舜臣が戦死するまでの記述はわずかにこれだけ。
陳璘與李舜臣、率諸船爲左右協。我軍屯于南海觀音浦。天兵屯于昆陽竹島。撤碇待變。
夜半賊船自光洲山濤 泗川南海來路洋名 雲合霧集。直過露梁方向倭橋。
一捧鑼響 炮鼓兼動。兩軍突發。左右掩擊。矢石交下 柴火亂投。
許多倭船太半延爇。賊兵殊死血戰。勢不能支。乃退入觀音浦。
日已明矣。舜臣親自援枹先登追殺。炮賊伏於船尾。向舜臣齊發。舜臣中丸不省人事。

朝鮮軍は観音浦から出撃したのに倭船太半延爇な日本軍がその観音浦に逃げ込むというのもおかしな話だしだいぶ都合の悪い話を削っているイメージ。
明軍の副総兵のケ子龍のことすら書いてないし掩擊したはずなのに挟み撃ちしたもう一方の明本隊のことも全く触れてないし。
0040人間七七四年
垢版 |
2021/01/07(木) 14:33:34.71ID:afGzyHht
40
0041人間七七四年
垢版 |
2021/08/17(火) 17:13:18.82ID:F3E6VRzt
こんな過疎板で一時期に集中して書き込みがあるなんて全部自演のような…

当時の海戦を誤解している
船は近距離に寄り集まって戦闘するし海峡とはいえ海は広い
反転せず進行方向に逃走することは珍しくもない
文禄慶長の役での海戦でも閑山島の海戦で真鍋左馬允が進行方向に逃げてる

>日本軍がその観音浦に逃げ込むというのもおかしな話
知識がないからおかしく感じちゃうだけだよ
0042人間七七四年
垢版 |
2021/08/17(火) 17:17:18.20ID:RC2MlePl
見事敵将討ち取ったっていう勝ち戦だけど、
大分死者も出して楽勝じゃなかったらしいな。
0043人間七七四年
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2021/08/19(木) 06:44:15.62ID:Qyb051RV
韓半島侵略に失敗したジャップの負けやろ
0044人間七七四年
垢版 |
2021/08/24(火) 18:03:15.41ID:ptW5VlnG
・史料の誤読
・海戦の無知

島津立花等諸将が勝利したと言う主張の根拠は崩れた
日本の負けという結論で終わりとしよう
0045人間七七四年
垢版 |
2021/08/28(土) 09:38:30.16ID:h2AAG/oc
日本側勝利の根拠に欠陥があるのはわかったが、じゃあ朝鮮側の勝利の根拠は?
明や朝鮮の史料に書いてあるからと言われても誰も信用しないと思う
0047人間七七四年
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2021/09/24(金) 19:10:54.41ID:rxrcYOLc
>>39
うそつき
>>41
なるほど
0048人間七七四年
垢版 |
2021/09/25(土) 15:22:54.70ID:cLBUV15j
イ・スンシンなんて史実では謀反の疑いで一般兵に降格されて死んだ時は将軍ではなく一般兵の一人として死んでるんですけどね
そもそもイ・スンシンが水軍の長になれたのも権力ゲームの玉突きの結果の偶然でただの幸運だったし
0049人間七七四年
垢版 |
2021/09/25(土) 21:23:19.02ID:cVVDWWsw
>>48
「り・しゅんしん」と呼ばないの?日本人視点で
0050人間七七四年
垢版 |
2021/10/06(水) 17:24:26.75ID:u0rQNw1f
>>46
偏見ではなく普通の常識のある日本人の中では常識
李舜臣の書いたとされる乱中日記は本人の書いたものが存在しなくて今あるのは後の時代に人間が書いたコピーだけ
本当に本人がその内容を書いたかわからないのにありがたがってるんですよ
0051人間七七四年
垢版 |
2021/10/06(水) 20:09:25.52ID:NBcNq3bI
>>50
だからといって明や朝鮮の
史料を全否定する研究者なぞ
おらんやろ
0053人間七七四年
垢版 |
2021/10/13(水) 18:42:13.52ID:OZMju4tW
>>50
滅失した原本の内容を伝える写本をありがたがるのは当然
歴史研究の経験があるとは思えない書き込みだな
0054人間七七四年
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2021/11/26(金) 17:43:26.27ID:aepLMijM
待ち伏せ追撃といった圧倒的有利な状況でありながら指揮官が多数戦死してしいて、しかもしかも日本に致命傷を与えられなかったという事実を見ると
李舜臣はとても戦さ上手とは言えないだろう
対して島津義弘が戦さ上手なことは当時の誰もが評価する事実だ
0056人間七七四年
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2021/11/29(月) 14:41:14.19ID:xac7VM2Z
李舜臣は停戦合意の後に退陣する日本軍を追いかけて逆に反撃をくらい死んだ人物
これを後世に伝えていかないとな
0057人間七七四年
垢版 |
2021/11/29(月) 15:41:13.17ID:qFHWZcyo
>>56
楚漢戦争でそんなのあったな
停戦して撤退する項羽軍を
漢軍が追撃して殲滅したんだよな
0058人間七七四年
垢版 |
2021/11/30(火) 16:33:13.73ID:t+uBTr46
そんないいものじゃない
日本も明も朝鮮なんて相手にしていない
ましてや属国の一将軍なんて交渉相手にならない
0059人間七七四年
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2021/12/01(水) 18:22:12.65ID:EXyD2j38
>>55
SNSでは相手の理屈を封じられるパワーワード
0060人間七七四年
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2021/12/04(土) 22:32:07.10ID:w5rsqB79
>>59
見てる者としては史料にもとづいて合理性を議論して貰った方が面白いんだけど

@慶長三年十月十六日 五大老署名の書状
朝鮮表之議 大明人罷出候由 相聞候間 来春順風次第ニ可被差渡候条 被得其意可有用意候 然者囲い船の議 如割符 是又用意不可有由断候 恐々謹言

A慶長三年十一月四日 徳川家康署名の書状
高麗へ御急ぎ候て 尤候 別段被仰越候き尤候 権右申され候事も如仰申候 しやはせよく 御返待申候 恐々謹言

B慶長三年十一月十二日 前田利家署名の書状
此上は其方渡海 不入儀候条無用候 今度之気遣各感入候

C慶長三年十一月二十五日 五大老署名の書状
朝鮮表へ大明人并番舟罷出候由候条 藤堂佐渡守被指渡候 其方ヘハ程近候間 猶以被相談 御人数被遣 於可然儀は 何も御陣触候て
用意候御人数 其表迄も先可被相立候条 不寄何時可有注進候 御両人之中も壱岐対馬迄被相越候は 被聞合尤候 猶藤佐に申含候 恐々謹言

@救援の準備を命じる書状Aは藤堂高虎に渡海を急がせている書状
Bは日本軍の勝利のため藤堂への渡海命令を解く書状Cは再び藤堂への渡海を命じる書状
このBとCの間に露梁海戦が有り『露梁海戦での日本の敗戦』『戦況の悪化』を受けてCの命令を行なったとされている
0061人間七七四年
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2021/12/05(日) 17:09:34.47ID:Bq6bOzQe
>>60
露梁海戦は11月18日でそのCの書状の日付は11月25日じゃん。
朝鮮半島から九州じゃないぞ、京都までだ。海戦の後じゃ絶対不可能。
それに日本が勝利したと聞いたけど念のため行かせたのかもしれないだろ。
0062人間七七四年
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2021/12/09(木) 19:22:09.54ID:Zi3ThKKy
>>61
絶対不可能ではなくて赤穂の早駕籠のペースでも行ける計算
国家事業であることを考えればより早いかもしれない
念のための行かせるというのならBの書状を出す必要がない
Cの書状には@には書かれなかった「并番舟罷出候由候条」とあり水軍が脅威と伝わったのだろう
また「其方ヘハ程近候間」とあるようにBで役目を解いた藤堂がまだ近くにいると考えている
これは九州〜京都に時間がかかっておらず五大老の合議も即決だったことを示しているのではないかな
0063人間七七四年
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2021/12/10(金) 18:16:26.54ID:gqA25Zxm
>>62
整備されてる東海道と山だらけの九州中国地方では条件が違いすぎ
歴史もいいがもう少し地理を勉強したほうがいいよ
0064人間七七四年
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2021/12/12(日) 21:27:17.86ID:J1BlFDic
水掛け論をしてもお互い仕方ない
極端な話箱根マラソンの走者達がリレーすれば九州からなら二日でつく
それに絶対不可能ではないけれど実際露梁海戦の敗報により25日に文書が送られたとも言い切れない
0065人間七七四年
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2021/12/17(金) 14:41:02.70ID:WBv5oe/Q
>>54
>待ち伏せ追撃といった圧倒的有利な状況でありながら
戦争なんだからそういう状況を作れる指揮官が有能で作られる方が無能
0066人間七七四年
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2021/12/17(金) 17:39:12.84ID:ITbj7+Z8
>>64
結局おたくは何がいいたいのよ。日本語の勉強もしてくれ。
>>65
何の致命傷儲けてない日本、指揮官が10人以上戦死の朝鮮。
子供でもどっちが勝ったか分かるだろ、てかいい加減分かれよ。
0067人間七七四年
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2021/12/24(金) 15:44:24.73ID:LRM2vWim
>>65
交渉がまとまって退却する時に襲われたので、逃げつつ戦ってる状況。
無事退却達成して敵将まで斃してて無能?
普通と思えない基準だな。
0068人間七七四年
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2021/12/24(金) 22:07:42.84ID:rRuQGTF5
交渉を台無しにする追撃を傘下の一将校がやったらマズイでしょ
二度と交渉持てない可能性すらある
0069人間七七四年
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2021/12/26(日) 14:47:53.24ID:E+dEwz14
>>67
騙し討ちして勝ったならまだしも撤退してる部隊に返り討ちにあって敗死する指揮官を評価しているくらいなので察して差し上げろ
>>68
明の皇帝も呆れてただろうね
0070人間七七四年
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2022/01/15(土) 15:14:20.83ID:nlVZJXRO
>>67
不救在順天城五家将帥惜之彼地 則匿失我啻武威 日本瑕瑾未嘗有大於比者乎
十一月十七日晩景赴全羅道 繋覧於南海島岸

他に征韓録、島津家高麗軍秘録、大重平六覚書、伊東壱岐入道覚書
これらは全て敵を倒すために出撃したと書いてある

というか
>交渉がまとまって退却する時に襲われたので、逃げつつ戦ってる状況。
というのはどこから出てくるんだ?
こんな史料にもないことを自信満々で史実のように語るのはおかしなことだから自分の考えをまず疑った方がいいよ
0071人間七七四年
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2022/01/15(土) 16:33:51.73ID:MqlrP5Zb
衝突した後逃げながら戦っているから間違いでもない
日本が何の致命傷もうけず明と朝鮮は指揮官死に過ぎと言うのは間違いない事実
よって日本軍大勝利
0073人間七七四年
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2022/01/22(土) 12:29:04.83ID:OswntmYD
やたら致命傷という言葉が出てるが組織の致命傷とは組織が機能しなくなることだ
乱中雑録に露梁の海戦後の描写でこう書かれている

陳燐率諸軍 入深南海陣 収得軍糧万余 牛馬至不可数
因留流山 水平前後斬首万千 而其中多有我人誤死者
朝鮮水軍は海戦後も軍隊としての機能を失っていない

対して日本側は朝鮮軍に船を焼かれ南海島に逃げ込んだ武士たちが孤立していた
於順天海口爲敵艦焼破乗船 所以免死亡之士卒上南海之島地 入宗対馬守已退去陣所 敵艦囲遶而未迨攻責 只如籠鳥 似網裏魚耳
縱謂曰有船誰可敢援来呼 往則各可得生 否則共可得死
と死を覚悟しながらも救援を待っていたが島津はなぜか救援に行かなかった
軍隊としての機能を敵の攻撃により失ったから助けに行くことができなかったのだろう
0074人間七七四年
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2022/01/22(土) 13:55:16.54ID:hxxcbY7w
>>73
頭悪いな。
わざわざ助けに行く価値もない雑兵だったからかもしれないし、
助けに行く途中だったかもしれない。いくらでも可能性があるのに想像力がない。
0075人間七七四年
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2022/01/25(火) 10:20:30.91ID:lgtDw+KJ
明は最初から、まともに交渉する気ないし停戦合意とか反故にして当たり前だと思う
何を以て戦の勝ちというのか、これも見方による。川中島の戦いでも、戦闘地域を確
保した武田の勝利か、信玄の弟や武将を討ち取った上杉の勝ちと見るか、議論の分か
れるところだ。作戦目的、撤退したい日本軍と殲滅したい明・朝鮮軍、撤退出来たら
作戦の目的は達成できたと見るべきかもしれない。
何万人死んでも旅順が落ちれば勝ちは勝ちだ。
戦役全体を通じての李舜臣の功績は、全羅道方面の制海権を握って、日本軍の輸送船
がソウル(仁川?)に直接入れなかったことじゃないかと思う。
0076人間七七四年
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2022/01/26(水) 16:37:34.27ID:IWijARmd
>>73
それ無理ありすぎじゃね
軍隊としての機能を敵の攻撃により失ったとしたならなぜ日本側の将は生きているというのか
敵が崩壊すればまず首を狩るのが当たり前だが朝鮮には首級をあげる文化がないとでもおっしゃるの?
0077人間七七四年
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2022/02/05(土) 08:52:49.30ID:SP8iU6M/
>>74
>わざわざ助けに行く価値もない雑兵だったからかもしれないし、

船を敵の攻撃により喪失して南海島に逃げ込んだ者で代表的な人物は
樺山久高(島津家久甥・琉球侵攻総大将)
樺山忠正(樺山家当主)
喜入季久(島津忠賢の息子・喜入氏当主)
いずれも薩摩藩の中核をなす人物であり樺山氏はこの戦で前線の部隊を率いた大将とみられている
これら戦闘部隊が壊滅したため後方部隊が潰走した

>助けに行く途中だったかもしれない

家久公御譜中によればその後義弘は救援に来た息子と合流
出発地点の巨済島からさらに東に逃げ救援を求めるため釜山まで移動している
0078人間七七四年
垢版 |
2022/02/06(日) 10:17:50.37ID:u57gxvOo
>>77
叩かれるのが怖いから時間おいてレスとか姑息過ぎるなw
壊走したとか脳内の妄想を書いてどや顔されても困るよw
0079人間七七四年
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2022/02/07(月) 18:34:57.49ID:55boty4+
>>75
戦略的勝利は玉虫色の評価になりやすいから難しそう
0080人間七七四年
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2022/02/11(金) 15:35:03.22ID:xX3BPc5G
>>78
潰走(かいそう)
秩序なく、散り散りになって逃げること。壊走とも書く。

伊東壱岐入道覚書
維新様御船無何事候 御供船一艘残不申候 此船皆手負而候 
高麗軍秘録
日本方 被成御打負 御船散散罷成候 維新公 御召船 誠御難儀候
0081人間七七四年
垢版 |
2022/02/12(土) 18:39:17.44ID:kvqzX3+u
>>80
不毛なことはやめろよ
百田氏や竹田氏ははっきりと日本の勝利と言っている
本屋に並んでいる歴史人や歴史道などの雑誌でも李舜臣の水軍を破って勝利したと書いてある
いくら頑張ってもこの事実は何も変わらない
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