武田信玄は過大評価されすぎ
武田信玄は過大評価されすぎています。
戦国時代最高の名将。
甲斐の虎。
しかし名将と言われる割に事跡はどうなのか?
近年では教科書から武田信玄を削除しようという動きさえあります。
武田信玄は過大評価されすぎている。
これについて語りましょう。
なお、長文コピペは禁止します。 駿河攻めの時系列や史料を碌に知らない奴にどこから説明したら良いのやら 一国人数万石から一国20万石程度
一国20万石から複数国100万石
複数国から地方の大勢力になるまでの難易度はそれぞれ違うから
(でないと毛利宇喜多などの拡大率がおかしなことになる)
信玄の30年25万石から100万石強になるぐらいまで他の大名がどれぐらい時間かかったか比較するなら
北条も相模伊豆の25万石から100万石強になるまでは30年ぐらいだし
毛利も武田滅ぼした1540年辺りで安芸と備後の一部で25万石ぐらいと考えると
30年後の1570年は100万石強で
甲斐武田と似たような拡大速度にならないだろうか? 高梨は木曽や松尾小笠原と同じ枠になれたかもしれないが、
村上は従わせるには当時の武田から見ると中途半端にでかいからな。 >>689
つまり貴方は信玄には全く失策はない
信長、家康、謙信などの敵が全て仕掛けてきただけと言いたいわけね
信玄ってそんなに受け身で消極的だったんだ
そりゃ出遅れるわな >>692
そんなこと一言も言ってないんだがな
掛川城の和睦一つとってもその意味を理解してない輩が多すぎる
信玄にとっては許し難いのは間違いない >>687
>秋山虎繁の件が無くても徳川は掛川で寝返るだろうとは、それは何故かねえ
徳川単独じゃ北条の相手は出来ないから。
秋山の一件なくても武田が主力引いたら徳川には選択肢がなくなる。
徳川に出来ることは損切りということで氏真逃がすがとりあえず遠江は確保するか、
北条主力相手に撤退して東遠江駿河を北条今川領に戻るのを認めるか、
北条が来ないこと祈りつつ掛川攻め落とすかの三択。 >>694
北条がいつまで遠州に滞在できる設定なわけ?
関東や里見が相変わらず動いているのに >>694
良い悪いの話で言ったら、徳川は武田と共同して駿河攻めると誓約したのだから、武田が引き上げたからと言ってやっぱ無しにはできない
和睦の際に駿河を北条に譲ってるのだから尚更
戦国大名としては、その程度の誓約が破られるのは日常茶飯事だし、徳川が単独で北条と戦えないから仕方ない
結果として徳川は漁夫の利を得て、信玄の恨みを買った >>693
自分が秋山の一件やらかして掛川の一件で徳川許すまじとか自己中だね相変わらず
そんなんだから信長とも切れるわけだ 領地を失った氏真や村上や高梨があっさり従ったのに、武田には何故従わない?とかいう武士の基本中の基本も理解してない輩が絶えないのは何故なのか?
一所懸命って教科書にも載ってなかったか? >>696
薩埵峠で4万近く率いていながら2万足らずの武田抜けない北条がやけに強い設定だな
天正壬午でも北条は徳川にいいようにされたのに >>695
掛川の包囲解くだけならそんな時間かからないだろう、兵力差圧倒的だし。
西駿河はこの時期武田に従っていないし、
高天神の小笠原は徳川に寝返ったものの掛川駿河間の東海道を遮断できるような位置じゃないので
北条は進軍しようと思えば数日で掛川につく。
で掛川開城したならおそらく西遠江の諸勢力は再度寝返るだろう。 というかどっちが良い悪い、大義名分かあるかどうか愚痴愚痴言う輩はなんなのか?
そんなもの勝てば官軍、あるいは互いに正当性を主張し合うだけで周りは気にもしてない
北条は武田と再同盟だし、徳川も自立と野心を目的に動いてるだけ
良い悪い関係なく、武田は徳川によって駿河を北条に取られてしまったのだから怒らない方がおかしい >>696
徳川からすれば勝手に戦線離脱しやがってと言いたいことあったかもしれないが、
結果としちゃ徳川の一人勝ちみたいなものだから、そりゃ妬まれるし恨まれる、
たとえそれが武田にとって一番マシな選択肢だったとしても。
>>699
同時期関宿包囲してるし、四万は流石に嘘だろ。
二万もいなかったんじゃないか?
>>701
>武田は徳川によって駿河を北条に取られてしまったのだから怒らない方がおかしい
それはおかしいだろ、あの時点じゃ一部除いて駿河は既に北条今川支配下にあったんだから、
仮に氏真殺していてもその事実は変わらない。 >>684
信玄って信長に
「信長さまだけが頼りなんです!もし私が信長さまを粗略に扱ったらそれが武田の終わりになると思ってます!」
って送ってるんだよな。
…そして
信長「あの時の約束、果たす事になるとはやっぱり信玄は天才じゃったか…」 >>703
そんなの志賀の陣で天下は朝倉殿が持ちたまえぐらいのもの >>704
それは三河物語の創作だろ、
史実じゃ浅井の領地を江北の三分の一に削るという織田有利の和睦なんだし。 >>702
>それはおかしいだろ、あの時点じゃ一部除いて駿河は既に北条今川支配下にあったんだから、
>仮に氏真殺していてもその事実は変わらない
これ語弊があったけど、徳川は本来武田と共同して北条に当たるべきところ、勝手に駿河を北条に譲って一抜けしたという意味 >>706
徳川は本来武田と共同して北条に当たるべき
え?
徳川と武田って領土分割の約定はしたけど、そこまでしないといけない仲か? >>707
君は色々知識足りなすぎ
駿河攻めは単なる侵略じゃなくて将軍家、織田、武田の共同作戦と書いただろ
遠江は徳川、駿河を武田が攻めるという簡単な誓約じゃないんだよ
氏真の首をとること、北条と勝手に和睦しないことは徳川と武田は誓約してんの
だから信玄は信長に厳しく徳川を批判したんだよ >>705
すげぇ浅井ボコボコにされてんなぁ…
まぁしゃーないけど、信長の登り竜の気配を察知出来なかったのは痛い。
経済ブーストしながら土地も肥沃っていう割と強い地域にいた信長を敵に回せば… >>708
氏真を駿府から取り逃がしてる時点で、信玄がそんなこと言ってもねえ そういや武田と徳川の密約の史料ってあるんだっけ?
徳川の記録にちょろっと載ってるのは耳に挟んだけど。 >>711
三河物語
甲陽軍鑑
ただし、三河物語では徳川武田の境界について齟齬があったとしている まぁ慢心っていうか無計画に無軌道な戦争しまくった。
最後の西上作戦も三方ヶ原の時にはもう負け確という最悪の状態 >>703
ノブ『はっはっはっ、あんたがやばくなったら俺が必ず駆けつけるから安心してくれ』
まさか、あの時の安請け合いで貞操を狙われる事になろうとは・・・ >>708
徳川批判したのは責任擦り付けるためもあると思う。
すべて徳川が悪いと思える程信玄はアホじゃないだろうし。 戦がうまいのと外交は全く別物だからな
武田の不幸は良き外交官がいなかったことだな 戦国時代に有能な外交官なんているの?
取次じゃなくて? 信玄に限らず、この時期の関東近くの大名は政治情勢に疎い気がする。北条とか北条とか北条とか。 北条はノブにゴマすれる程度には外交出来てたのにヒデにはなんであんなに頑なだったんだろうな 長宗我部、島津がどうなったかを考えたら今更一国大名に戻されてもどうにもならんと思ったんだろう 北条は臣従予定で話進めてたけど
名胡桃城起きて交渉打ち切られたって形
臣従しないと突っぱねて名胡桃城で宣戦布告
みたいなのは講談的な創造 >>724
臣従は臣従でも氏政が何度も上洛する機会があったのにゴネてたのは面目の問題
名胡桃城なんてきっかけに過ぎない 士業、公務員、医者などは、AIに駆逐される職業の代表格に挙げられます。
このような枠組みに守られた、定型的な仕事というのはAIに代替しやすいからです。
AIは人間に比べて、休憩時間を必要とせず、ミスを犯さず、給与も不要というメリットがあります。
例外的に看護師は安泰じゃないかとされますが、議論と関係がないのでやめておきましょう。
今後は英語の重要性が更に高まるでしょう。
現在、世界には約200か国あり、言語は約6,000存在しますが、グローバル化とインターネットにより英語とスペイン語が支配的になっています。
半数の言語は話者がいなくなり、英語を話せるのは最低限の条件になります。
「英語が出来ない人」というだけで、一段低い人間だと見られる傾向は既にビジネスの世界ではありますが、今後は社会通念になる可能性もあると思います。
そもそも、世界的な学術誌は英語中心になっており(英語力が低い人=学問と無縁な人という価値観の加速)、プログラミング言語も英語であり、ビジネスでは英語の重要性が高まっています。
AI翻訳により、ごく簡単なやり取りは日本語で事足りるようになっても、「AI翻訳が必要な相手」と見なされるでしょうし、文書を読み解くリーディング力や、言語を介した高度な感情の伝達まで補うものではありません。
もちろん、英語が出来ること、というのは最低条件に過ぎず、英語が出来るからといって成功するということではありません。 >>725
だから豊臣家臣として面目保つ道を探ってたら
豊臣政権側から交渉打ち切られたって流れじゃん 滝川を背中から刺した前科持ちなんだから
勝ち目無ければ面目も領地も投げ捨ててひたすら土下座しか道が無いことくらい分かりそうなものだが・・・
豊臣政権と言うが構成人員見れば織田家臣団なんだから良い心証持たれて無いことは明らか そんなこと分かってるけど面目潰されるなら戦うってことだろ 家康が秀吉をぶん殴って(まぁ正確にはぶん殴られたのは秀次だけど)
本領安堵に秀吉妹getしてたから即降伏より一発殴ってから降伏した方が良いよね、ってのはありそう。小田原城は堅固な城砦で秀吉が簡単に落とせる城じゃないし。
ただ時代が変わっていてまさかワンパンする余地すら無く潰されるとは思わなかったんだろう。 信玄が武田厨がいうように全て相手側から喧嘩売られてやられたものなら、信玄っていつも受け身で消極的な奴だったとみていいのかな?
信長→先に岩村に手を出したのは織田
家康→謝ったのに喧嘩売ってきた
謙信→こちらは信濃が欲しいだけなのに向こうがいつも喧嘩売ってきた
北条→今川領を分けようとまで譲歩したのに拒否した
今川→こちらから人質返して仲良くしようと言ってるのに上杉と結んだから自衛のために攻めた
諏訪→先に山内上杉と手を結んで同盟を破棄したから、甲府で処刑させた
高遠→諏訪領を分けようと言ったのに向こうが破った むしろ織田厨が信玄がいつも悪いとか、騙し討ちするなとか騒いでるんだろ >>731
諏訪→先に山内上杉と手を結んで同盟を破棄したから、甲府で処刑させた
は?
山内上杉に諏訪が攻められた際、武田が兵を出さなかったから諏訪が単独で対処したのに言いがかりすぎないか? この時代の大義名分や自己正当化する建前に、拘り過ぎ
戦国大名なら領地拡大が本音なんだから建前なんかどうでも良いだろうに 信玄の場合、織田に喧嘩売って結果武田は滅んだ訳だからここに問題がある。
信玄から仕掛けたことになると要は信玄が武田を滅したって事になるからね。 >>735
あの時代でも建前は重要だぞ
本音と建前は必要なんだが >>737
お互い正当性主張し合うだけで、どちらが悪いとかないな
信玄にしても諏訪謀殺如きで何ら悪影響ない >>736
謙信の書状で信玄はこの上織田まで敵に回してとか書かれてるから武田から敵対ってのが周囲の認識なんじゃね むしろ本願寺や義昭に味方して仏敵信長に対抗したという認識だろ >>739
信玄って周り全部敵にして勝てるとでも本気で思っていたのか
信長すら家康とは関係維持したし、どこの大名にしても周り全てを敵に回す愚は避けるはずだが 駿河侵攻と西上作戦の時はヤバい気がする。
今川攻めした時は織田が友好中立ってだけで上杉今川北条に徳川と敵に回してるし、
織田攻め(名目)した時は北条と同盟関係だが織田徳川上杉と敵に回してる。
しかも西上作戦は上杉を悩ましてる本願寺と同盟して越後一向一揆に加勢してとか言われてる。この事実が明るみに出ると謙信が何してくるかわからん状態… 今川攻めの時は北条、徳川と敵対する意図はなかったし、上杉にも将軍家に根回し済み
西上作戦は仏敵相手と将軍家の後ろ盾があるから現代から見た場合と違うだろ 西上作戦は仏敵相手と将軍家の後ろ盾があるから
最近は義昭って信玄が西上を開始した頃はまだ信玄とそこまで協力的じゃなかったんじゃなかったか? 確か平山あたりがそう言っていたはず
三方ヶ原で織田徳川連合が負けてこりゃやばいと思って信玄支持に回ったとする説があるらしいが だとしたら義昭さんちょっとボンクラなんじゃないの?
朝倉はもう限界で信玄が出てきた途端帰ってしまい、
織田の総戦力とぶつかる危険性があって信玄は動けなくなる。
そして、信玄が冬に攻めたのは謙信が雪で物理的に武田領に来れないからなのに朝倉の再出兵は三月でいつ謙信が動き出してもおかしくなくなり、
頼みの綱の一向一揆は風前の灯となって信濃がヤバい。
織田を攻めようにも徳川がピンシャンしてやがってどうにも出来ないときてるし。 織田の総戦力とぶつかる危険性があって信玄は動けなくなる。
それがわからない
岩村に喧嘩売ってる時点で織田に喧嘩売ってるのと同じだろうに
織田と一大決戦する気もなく喧嘩売ったとしたら信玄のほうがバカすぎるとしか…… 駿河の領国経営がイマイチだったんじゃないかな。
信玄は農業政策はできているが、商業政策に暗かった。
海を手に入れたからには活用しないとな。 >>748
今川みたいに伊勢湾へ進出出来てないもののちゃんと海賊衆は手懐けとるけどな
そもそも食糧生産力が低く人口も少ない土地しか持ってないから(信濃の直轄地は少ない)どうやって金儲けるんだって話
青苧も有れば塩も扱える謙信とは違いすぎる >>743
今川攻めは徳川と共同作戦
西上作戦は上方の反織田勢力との連携を狙ったもの 西上作戦はじめた1572年10月の時点で反織田勢力に何を期待して織田との関係をぶっ壊したんだろうな
あの時期の朝倉にまさか期待していたとしたら、もう救いようがないぞ あのまま信長と同盟していても天下人面してる信長の家臣に取り込まれるだけだよ
そうなったら末路は他の大名同様悲惨
戦国大名武田家の歴史と成り立ちからして織田に頭下げるなんて道がそもそもない >>745
信玄と義昭の関係については不明としか言いようがない
信玄宛の書状はほとんど現代に残ってないから状況証拠に頼るしかない >>752
だからって自分から喧嘩売って大義名分やる必要もねーだろ
しかも信玄は信長が仲介してくれていた上杉との和睦をぶち壊して同盟破棄した
後に勝頼が信長と和睦したいとお願いしても相手にされなかったのはこのときの仕返しとか思えん というか信玄のやってることって昔の日本軍そのものだね
やられる前にやっちまおう何やらかしても
日本も真珠湾でアメリカの罠にはまって大義名分を完全にくれてやって自滅したしな >>754
大義名分と言ってるけど、君が言ってるのは信長の主張する大義名分
朝倉と本願寺とはもともと友好関係で、信玄は信玄で仏敵討伐と将軍家援助という立派な大義名分がある
信玄のせいで滅びたと言いたいのだろうが、信長は外様に厳しいからどうしたって滅びるよ
面目失うくらいなら抵抗して滅びる道選ぶのが中世武士であり、戦国大名
上杉謙信だって不利なタイミングで信長に敵対してるし
今川氏真とか足利義昭は長生きしたけど、当時の感覚だと生き恥晒しだからね 朝倉ともともと友好関係
朝倉との友好関係なんかたかが知れてるだろ
信長は外様に厳しいから
それは秀吉や家康もそこまで変わらん
外様に甘くするなら秀吉みたいに大規模な所領を認める必要が出てくるし、それがだめなら家康みたいに押さえつけるしかない縁戚となって
むしろ信長の外様政策は従属するなら縁戚結んだならそこまで厳しくない秀吉家康に比較したら
信玄が自分から喧嘩売って、勝頼は甲江和与で「対等な和睦」を求めている時点でどこまで空気が読めないのかと言いたい >>747
当初の構想だと、
織田本隊を高めに見積もって六万だとしても、
朝倉(最大六万)、浅井、本願寺が同時に戦線を張れば武田軍が二万若しくは三万だとしても(上杉への備え等で信玄の最大動員はおそらくこの程度)攻めれば織田を封殺できる。強敵でも多数で攻めれば倒せるという孫子か誰かの兵法。上杉は雪が深い冬は攻めてこれないから速攻で仕掛けて二、三ヶ月の内に決着。
こうだったはず。
信玄の誤算はまず信長包囲網ってのは西上作戦時既に崩壊していて、朝倉は武田侵攻の報と共に撤退したこと。これで包囲網最大兵力が抜けてしまい、信長は武田本隊に注力出来る様になってしまった。故に信玄は織田領を攻撃出来なくなった。
次に家康が三方ヶ原で信玄を攻撃したこと。これで「徳川が武田若しくは信長包囲網に降ってくる」可能性が消滅。
武田軍は常に退路を意識しないとならなくなり織田と戦うどころじゃなくなった。
そして徳川領を切り取ろう切り取ろうとした頃には雪が溶けていた… 西上作戦時の反織田勢力に期待するなんて・・・
てのは結果から逆算したから言えることかと 確かに現代の様に正確な情報観測は出来ないけど、
朝倉と浅井が信長どころか秀吉光秀に押されてるってところを調べてたらなぁ… >>757
浅井、荒木、別所、波多野、松永、明智、北畠「おまえに何が分かるんだよw」 そいつらみんな畿内の連中やん
あいつら義昭政権下でも言うこと聞かず好き勝手ヒャッハーしてたモヒカンどもだぞ
そりゃノブがお優しくしたくても言うこと聞かないんだからぶちのめすしかなかろうw だからそれが中世武士であり、戦国大名なんだよ
簡単に頭下げて臣従できるなら戦国時代なんか始まりもしない 簡単に頭下げてた連中もいるだろ
家康なんか一度味方になったら絶対に裏切らなかったし 飛騨の諸勢力とか奥美濃の郡上とかあっちこっちにヘコヘコしまくってますがなw みんなが信長に対する家康みたいだったら戦国時代はなかったかもねー 義昭もそれは言いたかろうw
西上作戦は上洛戦で一気に信玄が天下を撮りに行く
みたいな勇ましいイメージで語られがちだけど
将軍挙兵を支援する意味が大きいんだと思うよ
信玄の動きによって疲弊してた近江戦線は確実に
楽になるし(撤退するほどの疲弊は想定外だが)
信長はその先の畿内への出兵は大幅に制限される
信長も本拠が脅かされたらそちらに注利休するはずで
個人的にいきなり岐阜落とすみたいな大成功は
想定し難いとは思うけど >>761
少なくとも北畠と荒木と松永は文句言うのは筋違いも甚だしい
北畠は武田と内通
荒木は出頭せずに抵抗して信長が許したるから出頭しろと再度言っても家族捨てて逃げ出した武士と言うにも酷い醜態さらして
松永は2回も許してもらって大名の地位まで保証してもらって3回目 文句とかそういう話じゃないだろ
信長に従うと尾張美濃衆に顎で使われ、権益は奪われて完全服従も求められ、成果を出さないと粛清される
そんな奴に従い続けたくないから裏切ったんだぞ
そういう性格に難がある相手に頭下げて臣従すれば良いなんてよく言えるよな 臣従するのが嫌なんじゃなくてそれまで無視出来ていた公儀への軍役負担や普請を嫌がったんじゃ
中世の国人戦国大名から近世大名への移行が出来なかった
秀吉治世でも国人衆は大量に処分されてるし、
島津も豊臣政権の軍役に応える体制に変えられず家中の統制に苦労している
諸勢力に求める軍役負担や普請は秀吉家康の方がひどかったけど
信長秀吉が粛清したから家康時代はみな従うようになったと
信長時代と違って天下統一してるから逆らっても無駄ってのがはっきりしてるってのもあるだろうけど >>773
秀吉は毛利や上杉の面目を潰さない程度に配慮があったからな >>774
秀吉のは配慮とは言わないだろう
それなら家康のほう
秀吉は譲歩に譲歩して外様を偏重しただけ
後のこと全く考えてないやり方で、信長より酷い 後のことを考えない?
いやいや信長みたいに完全服従を求めてたらあんなに早く天下統一できないし、寝首掻かれたりしないw 信玄の寿命があと5年あればどこまで行けたかは興味深い。 >>769
何かで読んだだけだが、当時の朝倉の最大戦闘能力はそんなもんらしいぞ。
ただし、それはありとあらゆるネガティブ要素を排除した机上のスペックで現実的じゃ無いのは確か。
重要なのは、朝倉だけはスペック上織田に匹敵していたという点にある。 越前一国で50万石なのにどんな想定だよ。
何て名前の本だ?逆に興味が湧いてくる。 信玄があと半年長生きしてたらな、実に惜しかった
戦国最強の武田騎馬軍団対織田鉄砲隊の戦い見たかったわ ノブ『信玄があと半年長生きしていたらな。長篠あたりでワナに嵌めて生け捕りにして三条河原で猿踊りでもさせて晒し者にしてやったものを・・・』
秀吉『ワシを相方にさせようとか思ってませんよね?』 信玄は戦場では慎重だし、数が劣るのに決戦なんかしないだろう。 >>782
何のためにわざわざ信長との関係破綻させて徳川攻めたのかわからなくないそれだと?
信長と乾坤一擲の決戦をやるつもりじゃなかったの? >>783
信長包囲網が生きているという前提の元ならそこまでおかしくない。
上杉は来れないし、織田は朝倉と浅井が抑えてるし、
仮に武田に本隊を備えていても朝倉と浅井が突破すれば織田は窮地に陥る。
まさか朝倉と浅井が戦争不能にまで追い込まれてるとは知らなかったんだろう。
朝倉って確か西上作戦時から寝返り続出してたはずだし。 上杉はどうせ信濃には興味なく、行くとしても関東なんだろうな
信長との同盟も所詮は自分の関東行きを信玄が邪魔するのを信長に止めて欲しいだけ 戦術におけるリスク避けるのが信長との拡大速度の差に繋がってるんじゃないだろうか >>784
オレもその見方が正しいと思う
あの時点で浅井朝倉が虫の息と看破するのは難しいし
信玄の美濃侵攻で近江の織田方が援軍期待できなくなって
逆に上方で義昭蜂起が成功したら援軍を受けて
息を吹き返す可能性はある
だからこそ浅倉撤兵は戦略の根幹を揺るがす事態として
信玄は怒りを公式に隠さない程の非難をしたし
義昭もそれ以上のチャンスを望めないから
今更後戻りできないと蜂起したと考えるべき まあ見通しが甘かったと言えばその通りだけど
織田政権打倒を狙うなら西上作戦は悪くない
遠国で上方の戦況を正確に掴むのはなかなかに難しく
むしろ自分の体調管理のがよほど問題だとも思うが 長篠のころとは状況が違うから、もし信玄があと1年生きてたら、尾張まで落としたかもな。