【滝川一益】織田信長の家来を語るスレ【柴田勝家】
忠臣から謀反をおこした人まで、多彩なメンバーが集結しました。 功績への評価というより動員兵力としてその石高じゃないと東北の押さえにならないということでしょ
上方からそう簡単に後詰めできる場所じゃないので 信長の家臣てだいたい子供いないとか少ないよね
セックス出来ないほどブラックな会社と考えると謀反したくなるわ >>189
森さん家は男子だけで6人だよw
他に女の子も数人いるはず
利家も子沢山
イケメン説がある人は子供多いイメージ これだけ子沢山の家臣を召抱えているとこなんて全国的にも珍しくね?
池田恒興 9人
佐々成政 11人
前田利家 19人
滝川一益 8人
丹羽長秀 14人
前田玄以 7人
稲葉良通 11人
稲葉貞通 8人
安藤守就 11人
森可成 8人
蒲生賢秀 9人
九鬼嘉隆 11人 でも勝家、光秀、秀吉という最前線の司令官は男子おらん
言い換えれば相続者を織田家もしくは織田家の意向で他家との養子縁組で作れる人に任せていたのはポイントかもしれん >>192
勝家も2人男子おったけど早逝してなかった? 勝家は嫁もいないよね
亡くなったんだろうけど
秀吉は種なしだろうな 一夫多妻みたいなもんだから好きな奴は子供たくさんいるだろ 大阪城に女を300人ほど囲ってたっていう人は?
信長に女遊びをたしなめられてる手紙も残ってるくらいだから子供たくさんいるのかな?
当時は避妊もできないしね 大河ドラマ見てる人いる?
最初は見てたけどつまんなくて見るのやめちゃった
>>210
意外か? >>211
素性定からずな光秀、一益、秀吉らが成り上がっていくのが面白いのに、信長ばかりか家康とも面識あるとかファンタジーにも程がある・・・もちろんもう観てないw あれは令和版国盗り物語(後編)だろ
国盗り物語をベースにしてそれに色々新要素を付け足してると考えれば十分面白い
司馬遼太郎が嫌いな人は楽しめないだろうけど >>217
「保守」ではなく中身のあること書けよ
スレが伸びてるから覗いてみたら「保守」(´・ω・`) 滝川一益って老いて衰えたっていうけど
どう考えても運がなかっただけだよね
周りの評価も高いままだったし 衰えてなかったら敵地孤立した神流川勝てるんか?とか
衰えてて信雄家康のど真ん中蟹江落とすんかい?とか 調略、戦闘、行政手腕といずれも当時の織田家中で屈指
ただ政局を読んで自身の身の振り方をどうするかという点、つまり大名としては上手くはなかったということかな
秀吉はずば抜けいているとしては丹羽には及ばず柴田と並び明智には勝る
この点では柴田与力だった前田に劣る そういう立ち回りは前田がトップだったな
恒興もまあまあだったが死んでしまっては……
こいつはバカだったのか不運だったのかわからん……
丹羽は戦も強くバランスとれてたが病で家が安定する前に……
やはり運か 滝川家臣団というより与力がみんな逃げてしまったからだろう
東部方面は実質信忠軍団に再編されてたし >>223
池田さんは強い乳首のお母さんの力でしょうな 信長やその嫡子信忠存命の時はそうでも本能寺の変でその力は一回切れたと思うけどな
秀吉としては池田母の実家滝川家と更に滝川と柴田の3人がまとまらないようにする必要があった
特に池田は摂津を領していて中国地方から帰還し摂津、山城で決戦になりそうな対明智戦では重要な存在
池田の取り込みは山崎の合戦の勝敗をほぼ決するほど影響があったと思うけどね 池田が明智討ち拒否って明智に付く要素はないだろう
その後はおかんの縁から信長の息子達支援するのが筋だが
信孝糾弾する羽柴に賛同したのは本人の判断だろ 恒興も長可も揃って討死してしまったから無能っぽさがあるがほとんど兵力は伯仲してたそうだから元助もろとも討たれてしまったのはよほど運が悪かったんやろね
それか信雄が本当は実力者だったか
いやでも総大将たる信雄と家康が目の前にいたら欲に目が眩んで前に出過ぎてしまうかもしれん 予想外の不意打ちを狙うのが奇襲
突然焼き働してもいきなり落城させても奇襲 滝川一益はやっぱ関東に配置されたのが運の尽きだったんだろう。
本拠から遠く離れてるし、土地勘も全然無いし、与力武士の忠誠度も低いし。
「関東の領地なんか貰うより、有名茶器を貰う方がマシだ」
と言いたくなる気持ちも理解出来る。 >>231
ただ本能寺の変さえなければとんでもない権勢を誇っていただろうな >>232
それは微妙では?
本能寺の変の時点で
柴田勝家が55〜60歳(推定)
滝川一益が57歳
明智光秀が54歳(66歳、48歳説もある)
織田信長が49歳
羽柴秀吉が46歳
丹羽長秀が47歳
池田恒興が46歳
年齢だけで言うともう第一線で指揮を取れる最終期。
信忠の乳母をつとめた慈徳院が滝川一族の出という話もあるから遠からず信忠のお伽衆になる可能性はあっても前線に残り続けた可能性は高くなさそう。
信忠の側近には斎藤道三の息子で濃姫の弟とされる斎藤利治が既にいた。
利治は本能寺の変で死去した時に41歳。
出自と織田家に加わってからのキャリアは基本的に信長近習からのし上がり美濃の有力国人佐藤家を継いで加治田城主。
その後は各地を転戦し連戦連勝、若い頃の一益や秀吉並みの働き。
更に重用されて長篠の戦前後からは信忠与力として動き、本能寺の変前夜は信忠に従って妙覚寺に宿泊。
そのため本能寺の変で落命。
一益より15歳ほど若く実戦でも信忠麾下で長く働いたこの人がいたら一益の影響力が強くなり過ぎるのも嫌がられてそれ程恵まれた境遇になったとは思えないけどね。 >>233
滝川一益は織田政権の韓信か彭越くらいの立場だってのがわからないの? 斎藤利治は越中での大将としての軍功もあるし、信忠政権下では、丹羽長秀みたいに本拠地近くで遊軍的ななってたかな。 信長は執事や管領のような自身の代理的な
役職をおかなかったしあるとしたらそれだな
20年後に信忠健康なら働き盛りだけど
その時は斉藤も隠居だろうしな 文官というか吏僚衆や右筆とかの序列ってどうなってたんだろ? 京都の村井貞勝に信長に諫言できたという武井夕庵が2トップかな
菅谷堀長谷川は自立させて放出予定か 菅屋堀長谷川らは馬廻で普通に軍務にも当たってる
彼らを文官吏僚と言うとちょい違和感
前田佐々らの後任な訳だが彼らを吏僚とは言わない
何なら明智羽柴も同じような奉行をしてたけど
文官だなんて言われないでしょ 村井貞勝、武井夕庵、松井友閑、楠木正虎あたりが吏僚、右筆衆かな? >>234
??
232 人間七七四年 sage ▼ 2020/05/25(月) 12:34:11.64 ID:G1Sdy6Px [1回目]
>>231
ただ本能寺の変さえなければとんでもない権勢を誇っていただろうな
いや、あんたw 武井松井楠は右筆出身だね
村井は比較的高齢で文官として重宝されたから
前線出てないだけで武将じゃないかと 林秀貞なんかも武将だけど出陣は少なくて、奉行だったり取次がメイン? 信長の重臣たちって、実子が無いのが多いのは宦官だったからって説は有名? >>245
さすがに……だけどちょっとおもろいw
なるほど確かに、光秀、勝家、一益ら軍団長クラスの武将たち、みんな良い年してるけど
息子のキャラ立ちが薄い。秀吉もそうだし
信長「コイツ子どもいねー(あるいは幼い&病弱)から、裏切って王朝築くみたいな発想ならんだろ。よし出世させたろ」
っていう発想はあったかもしれない 林秀貞は息子の光時が存在感あったが伊勢長島で討死したが三男の一吉がいた
共に追放された
佐久間信盛も息子の信栄と親子で追放されたのは有名
しかし信栄は本能寺の変の年の初めに赦されてるんだよな 滝川は息子はいるししっかり現代まで血脈が続いてる。 次男は名将滝川一益の息子として大事にされたらしいから結構有名 >>249 >>250
だからこそ関東に遠ざけられたとも言えるかも? 主要家臣の息子世代で名を残したのはこんな感じか
細川忠興→池田輝政→前田利長→丹羽長重 戦国当時の子供が生まれて立派に育つ割合から見ればそんなもんだろ
結構な割合で生まれてすぐとか幼少期に死ぬよね
家系図の男とか女という記述は名前が付く前に死んだことを意味する 光秀の家臣に信長の元馬周りがいないのが謎すぎる
最後に裏切られるのも納得 それは必ずしも他の重臣達にもいなかったんじゃね?
光秀に与力したことある馬廻はいるし
>>257
関東の要職を任された滝川には成人した息子がいるで >>259
柴田には佐々、前田
秀吉には竹中重矩
滝川はいないか。明智なしと
やはり大名までなると監視役は必要だな だからそいつらは与力してるだけで家臣じゃないって
あと明智に馬廻が与力してる例は普通にある 例えば本能寺後に瀬田を渡ろうとする
明智の要請を断った山岡なんかも一時与力してた
明智は本能寺の頃には丹波攻略終えていて
与力を与えられる使命というのが特になく
逆にその時々必要なとこに援軍にいく
遊撃軍的な使われ方が多かっただけだね >>261
明智のとこにいた目付感ある馬廻りてたとえば誰? 猪子兵助とか天王寺の時に明智と同じ軍中にいるね
信長公記とかで明智の活躍は最小限に書かれてるだけかと 佐久間信盛が本当に無能なら、そんな無能が筆頭家老を20〜25年勤めて織田があんなに大発展する訳がない
織田の成功に対する功績は家中筆頭とされてもおかしくない >>265
猪子兵助ぐらいですか?天王寺って塙が戦死してやばい時だよね だから何?
ちょうど何が言いたいかわからないから整理して >>266
> 佐久間信盛が本当に無能なら、そんな無能が筆頭家老を20〜25年勤めて織田があんなに大発展する訳がない
それはある 佐久間盛政に撤収命令なんか出してないで
自分が本陣を賤ヶ岳まで進めてれば勝てたんと違う? 賤ヶ岳合戦は柴田にも勝つチャンスがあったはずだが。 統率 武勇 知略 政治 合計
<重臣・軍団長>
羽柴秀吉 94 78 97 99 368
明智光秀 95 85 93 91 364
滝川一益 86 78 89 62 315
柴田勝家 87 92 68 66 313
丹羽長秀 80 75 73 84 312
佐久間信盛 78 62 43 56 239
林秀貞 34 41 68 59 202
<中堅>
荒木村重 81 67 74 64 286
池田恒興 72 69 49 65 255
河尻秀隆 60 70 56 61 247
森可成 63 70 61 43 237
水野信元 ?
坂井政尚 ?
中川重政 ?
<与力・国衆>
松永久秀 82 67 93 90 332
細川藤孝 77 77 85 90 329
前田利家 80 84 71 78 313
稲葉良通 76 67 71 70 284
佐々成政 75 80 59 65 279
筒井順慶 55 53 76 77 261
九鬼嘉隆 76 70 59 48 253
金森長近 62 57 65 60 244
氏家卜全 67 62 55 54 238
安藤守就 46 52 73 58 229
簗田政綱 39 61 70 59 229
蒲生賢秀 51 56 62 59 228
蜂屋頼隆 56 68 46 34 204
野間長前 ? >>275
九鬼は特殊能力「水軍」がある。
あと金森長近がないぞ。 単独や大きな功績は伝わらないが歴戦で国持までなってるから
池田恒興と同クラスで美濃三人衆より上あたりが妥当かな >>272
目の前の敵が見えないの?
信長が育てた堀秀政がいるだろ
一番前の砦すら落とせないのに敵中をどうやって攻め込むんだよ 江の柴田勝家は肖像画にかなり似せようと努力してるのがいいね。 >>275
森三左衛門可成は早くに戦死しているだけで初期信長の重臣なんだけどね
信長の若い時の右腕的存在で羽柴秀吉や明智光秀よりずっと古参
そして信長軍を引っ張ってきた牽引力
それは信長がまだ尾張の大うつけと呼ばれて700人しか集められずにいた時代からの主戦力だった
本当はここには柴田勝家が入るはずだったけど勝家は弟の信勝側についている
今の風潮を作り出したもので一番悪いのは司馬遼太郎と明智光秀の子孫
小説の中で邪魔な森三左衛門をそもそも出さないからね
だから信長公記をまともに読まずに司馬遼太郎の歴史小説を読んでドラマや漫画などを制作したものは司馬遼太郎歴史観で人物像を捏造するのな
実際には初期の信長軍では筆頭に来るのは攻めの三左こと森三左衛門
そして退き佐久間こと佐久間信盛と米五郎左の丹羽長秀そして犬千代こと前田利家
この中では犬千代は拾阿弥を斬殺し出仕停止処分をくらう
本当は死罪だったが森三左衛門と柴田勝家の嘆願で減刑される
柴田勝家は昔からの家臣だったが弟の信勝について信長と戦う
ここで信長を救ったのが森三左衛門
で秀吉が信長についたのは後の事
さらに光秀が信長に仕えたのはその更に後の事
ただ森三左衛門が早くに死んだためにスライド式で柴田勝家や秀吉や光秀の地位が上がったまで
美濃出身の光秀が出世できたのも本当は美濃の森三左衛門がいたから
美濃攻略では美濃の森三左衛門が信長の右腕だったので美濃の武将の多くは信長についた
そして信長は森三左衛門の功績を忘れずにいたので森長可や森蘭丸(お乱)を重用した >>275
森三左衛門と明智光秀は能力値をそのまま変えた方が正しい
それプラス柴田の武勇を加える
明智光秀は信長に取り入るのがうまかったので政治力だけは高いままでいい
そもそも美濃の森三左衛門がいなければ明智光秀も信長に取り立ててもらう事すらできなかった
その事を明智光秀は自覚していなかったから本能寺の変を起こしたんだけどね >>1
はっきりいうと光秀はいてもいなくても信長の天下統一には関係なかった
しかし森三左衛門がいなければ信長は桶狭間の戦いどころか
弟の信勝の戦いで林兄弟と柴田勝家の軍に敗北して戦死していた可能性が極めて高い
そんな重要な位置に森三左衛門はいて信長の前期の主要な戦いには姿を見せている
清州城の家臣は全く信用していなかった信長
しかし美濃の森三左衛門とは深い信頼で繋がっていた
信長の腹心中の腹心だったのが森三左衛門だった
また森三左衛門も命を懸けて信長のために戦っていた
現代ではありえないくらい評価は低いけどね >>284
はっきりいうと光秀はいてもいなくても一緒で信長の天下統一には関係なかった
と言うか光秀クラスの武将は他にたくさんいたから しかし信長は光秀をかなり信用していた
それが致命傷になったのだけれども
あと明智光秀は古参ではないのでなぜに信長が蘭丸や長可を重用するのかが理解できないでいた 浅井朝倉や長島願証寺との戦いで森可成や氏家卜全や林通政や信長の一門衆の多くが亡くなった
それは彼らが勇猛だったからだと思うよ私は >>287
森三左衛門は千の軍勢で浅井朝倉3万の軍勢を退けているよ
それで浅井朝倉軍は延暦寺の僧兵4千に援軍を頼んでいる
そして数日後にまた戦いを仕掛けて信長の弟と森三左衛門を打倒した
信長正規軍の森三左衛門とは言え
千VS3万浅井朝倉+延暦寺の僧兵だからね
負けて当然なんだよ
これで信長がかなり怒ってあの有名な延暦寺焼き討ちをやってしまう
これに参加して出世したのが光秀なんだよな
金ヶ崎の戦いのしんがりもあるけどね
まあともかく美濃の森三左衛門がいなければ光秀も信長に信用してもらう事はなかったし出世もできなかった
本能寺の変を扱うなら森三左衛門を出さないとね
まあなーんも知らないマニアのドラマなら森三左衛門も長可も蘭丸も出さないだろうね
最近はそんな奴多いからね