本能寺の変直後・もし秀吉が動けなかったら?
なんらかの理由で秀吉が備中で足止めになり動けなかったら歴史はどう変わっていたでしょうか? まあ光秀はだいたい>>3の情勢を読んで謀反に及んだわけだな。光秀というのは理詰めで動くタイプだと思うが、秀吉みたいに常識では理解しがたい存在の動きまでは想定する
ことができなかった。 でも恐らく光秀の頭の中では勝家かもしくは秀吉との決戦を想定していたと思う。それが早すぎた
のが誤算だったな。 >>1
それはないだろうね
秀吉は黒幕とまでは言えないかもしれないが、
光秀が信長を殺したがっているのを察知するくらいの人情の機微はあった
そこで毛利を落とせそうになった頃合を見計らって、
信長を呼び寄せて光秀にチャンスを与えて信長を殺させたと考えればあの事件は納得がいく
もちろん、光秀の兵の中に密偵をまぎれ込ませておくので情報はすぐ入る 家康は尾張まで兵を進めてたし、勝家も利家、盛政、成政を上杉の抑えに残して
南下してたので、いずれどちらかか双方の連合軍と明智軍の戦いとなったのでは とりあえず最寄りの丹羽軍と明智が交戦になるだろ
羽柴軍が動けるようになるなら羽柴、あるいは柴田軍が明智を挟撃して
数に押されて明智は消えるんじゃないか 丹羽主導で明智倒したとして、その場合秀吉がどうでるかだろうな 結局、清須会議で明智を倒した大義名分がなくてもうまいことやって史実通りになりそうな気がする >>16
本人の寿命が長ければ豊臣政権下で家康のようなポジションにはいたのでは 結局、最後に鍵を握るのは家康なんだろう。家康のことだから恐らく無理をせずに、史実どおり
甲斐、信濃を取りにいくと思うがやがては相手が秀吉になるか、光秀になるか、あれいは勝家に
なるかわからん天下分け目の合戦になっていたと思う。 明智が近江まで制圧した後
摂津に矛先向けてればかなり盤石だよなぁ
その後で防衛体制固めればそう簡単には崩れない >>16
織田家が乗っ取られたのは丹羽長秀のせい。長秀もそれに気づいて憤慨したらしいけど気づくのがおそいわな
サイコパスの秀吉に利用された誠実な人間。柴田への嫉妬心を利用された善人ってイメージだ >>22
秀吉没後の加藤清正や福島正則みたいだなw
となると柴田勝家=石田三成のポジションか そもそも伊勢の信雄か摂津に居た信孝が明智を討ってりゃ
それで後継者争いも決着ついて羽柴や柴田の独立勢力化なんて認める必要もなかったんだよな
特に信孝の場合は丹羽長秀もいたのに兵の離散を止められなかったというのが無様すぎる >>2
「ぐわー腰があぁーっ」
長年の無理が祟り秀吉の身体は悲鳴を上げていた
みたいなのなら秀吉に限らず年配武将なら誰でも有りそう
何年も動けないのではなく1ヶ月ぐらい動けなかったらというのどうだろ
ネタが尽きたら別要素で動けない話でもいいし 丹羽長秀があのザマだから、柴田勝家もけっきょく出兵できなかったかも
光秀政権出来てたかも 畿内制圧してしまったら織田の方面軍司令官連中は畿内の光秀と
毛利、上杉、北条辺りに挟撃される態勢になるから簡単には動けなくなる
そういう状況が固定されてくると朝廷が光秀に肩入れし出すだろうし
信長様の敵討ち云々なんて大義名分は意味を失う
差し当って毛利と北条の強大な圧力を受けてる羽柴や徳川は講和する可能性もあるな
特に徳川は信長に言うほど恩があるわけでもない 柴田ダメ丹羽ダメ滝川ダメ
やっぱり遅れても秀吉が行くんじゃないかな 柴田は越中の佐々抜きで3万程度か?
やっぱ賤ケ岳で戦うのかな? 羽柴、柴田、滝川は皆遠国にいるし、惟住五郎左、三七信孝が堺、石山、住吉、岸和田に集めた兵団は本能寺の変を聞いてみんな逃げてしまったから、明智としてはじっくりと中央を固めていく作戦になったと存じます。 結果的には近江より摂津固める方が先だったな
羽柴があの速度で戻ってくると分かってれば 旧日本陸軍の「作戦要務令」によると、完全装備の歩兵行軍では、時速4q、1日の行軍距離は24qを基準にしていた。
中国大返しでは1日当りの進軍距離は、最初2日間は45q/日、後半3日間は33q/日
これを鎧などの装備約50kgを担いでおこなっている。
普通に考えりゃ筋肉痛で戦いどころではない。秀吉は本能寺がおこることを知っていたんだよ。準備をしていた。 強行軍で疲弊していたのか羽柴軍死傷者は3300、明智軍の3000を上回ったともいうな >>34
具体的にどんな準備をしていれば筋肉痛を回避できるのかな? 羽柴軍の先鋒は摂津の日和見決め込んでた摂津衆でしょ? >>34
武士が自分で鎧や武器を持って移動するわけないやろ
あほか 大返しはもう定説より数日前に出てるって秀吉の手紙で証明されてるよね
毛利側が城主の切腹飲んでるから本能寺知らなかったのは事実だろうけど
その交渉中に一部が離脱始めてるのは凄いなと思う よく安国寺恵瓊が本能寺知った上で和睦したみたいな説あるけど
それだと清水切腹させる理由がないよなぁ
後で三川にバレたらさすがに切り捨てられるだろ 毛利家は信長の本隊が来ないことを知ってる人間と知らない人間がいた感じがする 細川とか筒井が味方してくれなきゃ光秀に勝ち目はなかったんじゃないの 大和衆(筆頭筒井)が味方にならないのがあまりにも痛すぎた 秀吉だけが動けたてのは誤り
単純な史実として柴田勝家は6月10日時点で
北庄から明智がいると想定した近江入りを狙って
丹波長秀と連携しようと書状を出してる
最終的に山崎の合戦の結果を近江国境で知った
徳川もいきなり甲信に侵攻したみたく言われるが
先に上洛を目指して鳴海まで来てる
神戸信孝丹波長秀も離散したとは言え数千
摂津衆も無傷で一万はいたはず
と考えたら光秀は史実より長らえても
せいぜい10日じゃないかと >>45
柴田については北庄から動けなかった。
家康は確かに鳴海まで来ていたが、これは逆に光秀に加勢するため。
鳴海で光秀の死を知り、全てを隠蔽し引き上げた。
神戸丹羽は離散し、自勢力を保つのに精一杯。
秀吉が動けなければ、光秀は家康と組んで相当持ちこたえていたと考えられる。 首尾良く一旦落ち着いて膠着状態になったとしても
結局明智光秀だけは許されなかったでしょ
一時的に味方しただけの人は許されるにしても直接首取っちゃった人は…
そう考えると信長ポジションまでのし上がるしかないわけだけど
首取っただけではい下克上、みんな代わりに俺に仕えてねって無理があるからどのみち無理ゲー >>46
柴田は動いて山崎の結果を知ったのは近江に入ってから
家康が明智方というのはごく最近のマンガや創作
神戸丹波は上述の書状の翌日かその次の日には
数千で摂津に移動してる
摂津衆は山崎直後の史料では主力扱いで
むしろ秀吉神戸丹羽は後衛 秀吉の大返しが遅れるか、あるいはなくとも
明智が山崎を押さえたら無傷の摂津衆は警戒して
四国遠征軍も史実程度の規模で後詰するだろう
その段階で和泉の蜂屋あたりも加わり
摂津方面の織田方、明智方の兵力は
双方1万数千で拮抗する
明智方は後詰に対応しながら
摂津諸城を落とせるほどの兵力はなく
織田方も決戦で勝ち切れるかは心許ない 前後の動員を見ても柴田が北陸から
徳川が尾張美濃から近江へ向かう軍勢も
中国遠征準備中の信忠本領の兵も一万数千規模
明智が生き残るにはそれぞれ各個撃破するしかない
が、すでに指摘された通り柴田丹羽は連携を模索してる
当時の連絡手段では敵地を隔てて綿密な連携は無理だが
それぞれが兵を進めるだけで極めて厳しい状況だね
明智軍が近江から山崎へ転身したのは
秀吉の大返しを知って対応するためと言われるけど
その時点ではまだ姫路を出たかどうかで
連絡の時間差考えたら難しい
単に近江平定後は兵を退いて新しい攻略目標が
元々山崎-摂津方面だったということではないか
となると山崎押さえて摂津に攻め込んで
優勢に進めるが近江が二方面から攻められ
京都を奪い返され詰む展開がいちばんありそうかな 東西で膠着したら鍵を握るのは南だな
本領に在国してる信長の御曹司がいたよね
天下人織田信雄公の誕生や! 東西両方を膠着させるほどの兵力は明智にはないので
どっちかに集中させた結果逆側から破られるかと
正確には三法かな
柴田(越前→江北)
徳川(&信忠軍団、美濃→江南)
信孝(&丹羽&摂津衆、摂津→山崎)
経過的に10日付けですでに明智は近江から転身してて
織田方は互いに連絡取ろうとしてたので
西(信孝へ)対応しようとしてる間に東から崩れる
ってパターンになりそうではある
が西が大軍かつ速いて情報がなくなれば
東の近江に集中もありえるとも思う
信雄は当時3千しか集まらなくて近江攻めを断念したので
単独だと史実通りあまり存在感示さないかと
徳川と合流はあり得るけど >>53
秀吉との戦いが長引き四国九州にも戦線を抱えてる
織田に畿内を抑えられてるから流通も死んでるかもしれない >>53
・瀬戸内海の制海権が毛利から離れ始めた事による軍事、経済的損失
・度重なる援軍派兵の失敗
・宇喜多領で敵を防ぐ予定が宇喜多が織田に鞍替えしてしまったので毛利側の防衛準備が整っていないなど 宇喜多の勢力圏50万石近いしそれがそっくりそのまま織田側に鞍替えされたらね
毛利は宇喜多領で織田を食い止めるってのが基本防衛戦略だし、開戦6年目で確実に国は傾き始めてる
備中高松城の援軍にきて付城前に戦う事もせず降伏交渉してる時点で察しろレベル
仮に信長到着して交渉失敗したら武田の高天神城落城並の衝撃が毛利領内に走るのは必至
主力率いて戦わずに負けましたは擁護のしようがない >基本防衛戦略
逆に宇喜多が毛利食い止めて、その間に秀吉が播磨但馬と制圧していったからな。 秀吉の天下は毛利が反抗しなかったことに尽きるよ
領土の安堵だけで全面協力だからね
足止めしたらどうなったかより、抵抗してたらどうなったかを論じるべき
あの規模の大名が全面降伏、全面協力って有り得んよ
四国、九州、徳川、北条制圧もなかったと思う 秀吉の天下は毛利が反抗しなかったことに尽きるよ
領土の安堵だけで全面協力だからね
足止めしたらどうなったかより、抵抗してたらどうなったかを論じるべき
あの規模の大名が全面降伏、全面協力って有り得んよ
四国、九州、徳川、北条制圧もなかったと思う 何でそうしたかってのがあまり記録に残らないのが残念
もう戦乱の世は終わらせたかったのかってことなのか
それとも疲れたのか毛利と上杉 結果論で考えてはいけない
秀吉が短期間で織田家の勢力をまとめるなんて予想できるわけがないからね 信忠が生き残って自分で光秀討つ決定した場合だな
毛利を警戒して秀吉には死守を命令
近江畿内の織田勢力糾合すれば充分光秀討てる
わざわざ遠方から秀吉呼ぶ必要がない REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 徳川、織田信雄連合軍と明智軍が近江あたりで戦うことになる >>63
毛利内部にも秀吉の調略の手がかなり回ってた
ようで、みんな疑心暗鬼になってたみたいで
秀吉を追撃する余裕が無かったらしい。
宇喜多みたいに急に秀吉側に転ずる輩が続出
する可能性もあったし。 信忠が生きてるならそのまま畿内濃尾で軍勢集めて明智を討伐
信忠が史実通り死ぬなら徳川が信雄やら丹羽池田と連合して明智を討伐 信忠が生きてた場合のifスレは他にあるんだから
そっちでやれ。 史実通り信忠がいないなら鳴海まで進軍してた徳川が信雄、信孝、丹羽、池田と連合して明智と決戦だろうね 信忠が生きていたら秀吉は信忠の命令で毛利の前から動けなかったよね >>74
本能寺の変てのは織田家当主の信忠をころすまでがセットの出来事だから信忠が生きてる前提の話はスレ違い 本来なら毛利が本能寺の変を知って攻勢を掛けて秀吉は身動が取れない上に国人の離反者が相次いで崩壊するというシナリオが一番考えられる事だけど
毛利は本能寺の変を知っても攻勢に出れないくらい衰退していたんだよな
大返しは奇跡的な戦略というより既に前段階として毛利を追い詰める下準備が出来ていたからなるべくしてなった結果であってifはないのだわ 和睦だったかもしれないけど、信長が来た上での条件は毛利にとって苛烈なものになっただろうな >>76
毛利が衰退だって
信長が死んで明智が謀叛中の織田家の崩壊に比べたら全然でしょ >>80
当主が横死して中央を占拠されてまい前方には敵、後方にも敵、足元の国人もいつ離反するかも分からないという壊滅的な危機だけど
それでも毛利は攻勢に出れなかった事を見れば分かるだろう
秀吉単独でも滅ぼせたけど、それだと手柄が大き過ぎてかえって危険だから敢えて信長に救援要請を出して信長に止めを刺してもらおうとしたという説があるけど
実際、輝元は主だった武将を連れて出陣したけど秀吉の軍に攻撃すら出来ず和平交渉に乗るしかなかったくらいには追い詰められている >>81
攻撃しなかったのは、和睦の時に、織田勢の帰路の安全保障のため、毛利側が人質出してただけ
人質を出さなかった吉川は背後を突く気満々でしたね 毛利が衰退して秀吉を攻めれない?
ちがうな
高松城の水攻めで秀吉軍は高松城を包囲する兵が必要なくなり、秀吉は動かせる戦力を多く保持しながら攻めにくい陣を敷いていたからな 実際毛利はもう交戦能力なかったっぽいけどな
和睦の話が出ると飛びついた 3カ国と功臣の清水宗治の首を差し出した訳だからな
こんな一方的な要求に飛び付くのは事実上の降伏だわ
もう織田と戦う意志を失っていた事は間違いない 織田は信長が討たれた訳だからな
和解契約書の本人である信長が死んだら、その時点で、秀吉は織田家の代理人ではなくなる
表現代理人の相手方の毛利は和解契約を取り消しができる
さらに重要事項説明義務違反の和解契約だから瑕疵がある
秀吉を追撃してもいい 柴田勝家も信長横死を知ってすぐに上杉と和睦しようとしたけど
上杉にあっさりと拒否されてるしな。 北条は織田の同盟国(事実上臣下)だったのにな
武田征伐で信忠が率いる関東軍を一時預かってた滝川に対し、大変だよ?やばいよ?帰ったら?って言ってからの
挙兵 万単位の兵を持っていた信長の息子と丹羽が明智光秀討伐をせず
摂津で待機しててワロタw
織田って信長がいないとポンコツだということが露呈したよな >>90
15000くらいいたけど伊賀や伊勢で動員した傭兵が殆どで本能寺の変の知らせを聞いて大半が逃げたんだろ
それに無実の津田信澄を討つとか意味ないことしてるし 本能寺の時点で誰が天下人の座とるかを賭けたら、人気上位にくるのは信孝と丹羽だろう
明智に一番近いし何やってたんだろうな
秀吉より先に動けるし信長の娘をもらっていた丹羽家が天下狙えたのに
農民出の秀吉は大穴に過ぎない
天下狙うには不利過ぎるからな 信孝と丹羽は兵に逃げられてしまったから何も出来なかったんだよ
だから山崎の戦いでも最も多くの兵を率いていた秀吉に主導権を握られて風下に立つしかなかった
結局、能力の差がはっきりと出たという事だな
まあ、当時の本命は勝家じゃないかな
古参の家老で地位も名声も家中随一だし
秀吉というチート級キャラがいなければ勝家が信雄か信孝を擁して織田家の立て直しを図っただろう
上手く行ったかは知らんけど >>93
勝家は北陸から動けなかっただろ
勝家より鳴海まで進軍してた家康の方がずっと有力 家康は形だけ出陣したけどビビってうろうろしていただけだから問題外
秀吉がいなかったらみんなで勝家待ちになった事は間違いない
勝家は信長横死を知ってから北陸で対上杉の処置をして2週間後に明智討伐に向かったけど普通に考えれば遅くはない
秀吉が異常すぎるだけでむしろ丹羽や信孝みたいに兵に逃げられて混乱するのが普通といえる
兵をまとめて明智を討ちにいった勝家はさすがに有能といったところだわ 勝家は明智の動向や軍の規模を正確に掴めなくて、丹羽に書状を送って光秀がどこにいるか教えてくれと聞いていたことが最近発覚した。 >>96
家康がビビってうろうろしてただけとか何を根拠に言ってんだよw
小牧長久手で30000の兵で100000の秀吉軍に負けなかった家康の方が賤ヶ岳で惨敗して哀れな最期を遂げた勝家より有能に決まってるだろ 佐久間盛政の暴走といい前田利家の裏切りといい柴田勝家の統率力には疑問符が残る 前田利家は信長の命令で勝家の与力をしてただけだしな。
勝家に対する忠誠心なんかそんなに無かっただろう。 佐々成政だって利家と同じ与力と言う立場だったのになんで秀吉に反抗し続けたんだろうね 信忠が生きていたら、毛利に秀吉の背後を突かせる可能性はある
なぜなら、信長は毛利と和睦の線も進めようとしてた。それを宇喜多を引き抜くとかして遮二無二毛利滅亡の方向に押していたのが秀吉なんだし 信孝についてしゃーない面もな
直前まで高野山攻めやってる途中で急遽四国攻めの司令官にされて赴任してきたばかり
軍勢の大半は寄せ集めか仲の悪い次兄の信雄のとこから出向してきたもんばっか
自分の軍勢事態はそのまま高野山に
コミュ取ってる暇もなく本能寺
そら逃げられるわ でも信孝は山崎の戦いで秀吉に一応総大将扱いさせてもらったんだよな
身の程をわきまえていれば長生きできたろうに 信長の直ぐ下で生き残ってきた家臣や徳川を相手に、身の程をわきまえても長生きできないよ
信忠、秀勝、秀次、秀頼 >>105
身の程をわきまえた織田信雄や織田有楽斎は長生き出来ただろ >>106
詭弁だね
同じ論法で返すわ
身の程をわきまえた織田信忠や羽柴秀勝や豊臣秀次は長生き出来きなかっただろ >>107
信忠や秀勝は身の程とは関係なく早逝
秀次は身の程をわきまえてない