【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ5【秀頼・秀次】
秀吉や秀頼、秀長、大政所や旭など豊臣家と一族やその家臣団
あるいは研究者・論文まで、豊臣氏、羽柴家に関する話題を
肯定、否定的意見を含め包括して語る総合スレです。
都合が悪くなったり反論できなくなったりしたら
コピペ連投やレッテル貼りして逃げるのはやめましょう
次スレは>>990でお願いします。無理な場合は指名してください
前スレ
【秀吉・秀長】豊臣家総合スレ4【秀頼・秀次】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498995052/ スレの進行ゆったり目なのでスレ立て980から990にしてみました 秀吉には長浜時代に秀勝と娘
秀長には息子と毛利秀元に嫁いだ娘がいたはず 呉座さんですら秀次抹殺が家康を利したとか書いてたな
天智天皇が大海人皇子を殺したり斎藤道三が義龍を殺すのと同じことなのに
俗説を信じるやつが多いわけだわ 豊臣体制というのは、主家を横領し簒奪した奸臣が、近衛信尹に関白を譲る約束で近衛家の猶子にもぐりこみ
近衛と二条をだまして関白になり、天皇の権威を利用して主家簒奪を自己正当化したうえで、天皇に諸大名を服属させる形で天下を手中にしていった体制だ。
1588年と1592年の聚楽第行幸で、諸大名を天皇にたいして臣下の礼を取らせていることからもわかる。
それなのに聚楽第行幸で正統性を与えられた関白を殺してしまったわけだから、その影響ははかり知れない。
いくら契約書を書かせて、わてに従わないと地獄に落ちるでぇ〜とやったところで、関白を任命するのは天皇で、征夷大将軍や内大臣を任命するのも天皇だ。
1601年に関白が任命され、1603年に右大臣征夷大将軍が任命され幕府が開かれたことで体制は変わったんだよ。
まぁ、豊臣は虎の威を借る狐の体制で、主家を乗っ取った逆臣がうまいことやったけど、墓穴を掘ったってことなんだと思うよ。 あの世での信長・秀吉・家康の3者揃っての反省会が見たい >>8
秀次抹殺が家康に利したのは普通の感想じゃないか
家康が秀次事件に関わっていたかは別問題だし 秀次抹殺はむしろ三成たちを利したと言えるね
秀次は自分の側近たちによる統治を目指していて
三成のような秀吉側の官僚連中を必要としていなかった
それに三成ら文治派は唐入りの講和の際に秀次より高い官位を明に要求するなど
秀次を内心で見下すような振る舞いをしており
秀吉が死んで秀次が実権を握れば、三成は確実に粛清の対象だった
むしろ三成を粛清しないと、秀次は自分を見下す家臣に対してすら何もできない男ということになり
諸大名から舐められて逆に秀次の立場が危うくなってしまうからね
三成が秀次事件に関わっていたかは別問題として
秀次抹殺が三成に利したのは間違いない 12が政治を分かってる人の見方
秀吉が死ぬまでの間に秀次を始末しないと秀次は家康と組んで秀頼の身が危うくなるからな >>10
信長
「ハゲネズミ!貴様、わしに引き上げてもらった草履取りの分際で、我が側室を殺し、孫娘を殺し、信孝を切腹に追い込み、お市を殺したそうだな!」
秀吉
「あひぃいいいい。ごめんなさい、こめんなさい。堪忍してや〜」
家康
「まぁまぁ、信長殿。信長殿の仇、信孝殿の仇はそれがしが討ち豊臣は滅びました。織田家も」
信長
「ぐぬぬ。しかし家康殿、そなたは秀信を高野山に追ったそうではないか」
秀吉
「そうや!家康が悪いんや!」
信長
「なにを言うかこのハゲネズミが!恩知らずは黙っておれ!」
秀吉
「あひぃいいいい」
信長
「それで家康殿、なぜなのだ?」
家康
「はい、それがしが内大臣として後陽成天皇の下賜を受け会津を征伐中に受刑者の石田が謀反をおこし、秀信殿はそれに加担したのです」
信長
「なんと・・・」
家康
「それゆえ、下賜を受けた内大臣率いる征伐軍の総大将として、受刑者の味方をした者を許すわけにはまいりません」
信長
「愚かな・・・ハゲネズミ!貴様のせいだ!」
秀吉
「あひぃいいいいい」
こんな感じだろう 秀吉
「わては、わては太閤殿下やぞ!信長より偉いんや!」
信長
「なにを言うかハゲネズミが!呼び捨てるとはなにごとぞ!わしの与えた恩を忘れ、我が家を乗っ取り滅ぼした逆臣が!」
秀吉
「あひぃいいい。わては太閤殿下なんや!太政大臣なんや!えらいんや!」
信長
「この恩知らずが!黙れ!」
秀吉
「あひぃいいいい」
信孝
「父上、この男は父上が死んだ10ヵ月後に我が母と娘をはりつけにして串刺しにしたのです。そして1週間放置したのです。それがしも短刀を贈られ」
信長
「ハゲネズミぃいいいいい!」
秀吉
「わては太閤殿下なんやぁああ」
続きも想像したが、やっぱりこんな感じ。 秀頼政権を作るためには豊臣が天下様であり続ける必要があり、その為には危険性があろうと秀次を殺す選択肢はとれない
危険性とは秀次が秀頼を排除する可能性だが、その可能性を危惧して秀次を殺せば血族の後見人が誰もいなくなり家康のような輩に簒奪され、秀頼の栄華どころか豊臣の天下が終わってしまう
秀次ならば秀頼を殺したとしても豊臣家の天下は変わらないが、秀頼の為に秀次を殺したら他家に天下を奪われる
ならば前者を選ぶのは明らかだろう
史実の秀次切腹は秀吉の意思ではななく、秀次の意思であるからこそ 秀吉
「家康!わてを助けんか!われは豊臣の家臣やろ!」
家康
「いえ違いまする。それがしは惣無事令に応じ、帝に臣下の礼をとった帝の臣下でござる。
そしてこれは信長殿と行動を共にしていた頃から変わらぬ立場。聚楽第行幸において2度も確認したことですぞ」
秀吉
「わしに頭をさげていたやろ!」
家康
「関白、太政大臣のお立場でしたので当然かと。」
信長
「このハゲネズミ!口答えするな!」
信孝
「父上、このハゲネズミに自分の立場を教えてやってくだされ!我が母と娘の恨み!むくいを受けろ!」
秀吉
「あひぃいいいい」
さらに続きを想像したが、やっぱりこんな感じ >>16
そんな当たり前の思考回路さえ晩年の秀吉は失っていたとは思わんのかね
秀次事件だけじゃないじゃん
泥沼化している朝鮮戦争の続行、引き際さえわからなくなる
落書き事件で60人超粛清、他にもなんかあった気がする >>18
@大恩のある主君を備中に呼び寄せて死の一因を作りながら死後1年たたずに主君の側室、主君の孫娘、主君の息子、主君の妹を殺す
A近衛家の猶子になり、近衛信尹に関白を譲る約束で二条に関白を譲られながら、約束をやぶり近衛信尹を流罪にする。
B生駒吉乃の推挙を受けて織田家に仕官し、織田家に引き上げられた人間が秀吉だが、織田家を改易にし、吉乃の息子を流罪にする。
C聚楽第行幸で関白の正統性を帝に認めてもらいながら、その関白と関白の家族を女子供ふくめて皆殺しにする。右大臣の娘も殺し右大臣は流罪
D父長政、母お市、祖父久政、義父勝家を殺しておいて淀を側室にする。
秀吉の思考回路がまともじゃないのは昔からだよ。恩を仇で返し、義理を踏みにじる。
恩人の死後10ヶ月後に恩人の側室と、恩人の孫娘を串刺しに出来る人間が秀吉だ。 >>18
その直前までは既に関白だった秀次を従一位左大臣までして改元も行い、武家関白で日本を統治すると示しているからな
そんな秀吉が突然発狂するわけもなく
秀次の武力蜂起は大げさでも秀次の次の関白を秀頼にする代わりに秀次の娘を秀頼に嫁がせる取り決めを破るように進言した家臣を懲罰せずに放置してそれが「謀叛の噂」として公然と流れていたとあっては秀次を謹慎させるしかなくなるわな
で、気の病も抱え悲観した秀次が発作的に切腹すると、豊臣家を窮地に追い込んだ秀次にブチ切れる→粛清となったわけな 突然出てきた怪しいガキに次の関白を譲れなんて秀次でなくても嫌に決まっている
誰だって自分の子供を次の関白にしたいと思うのは当然だろ
秀次には秀吉を遥かに上回る生殖能力という武器がある
天寿を全うすれば数十人も子供を作れたのは間違いないから
その大量の子供を政略結婚に使って巨大派閥を形成することができる
秀吉が死ねば孤立無援の秀頼なんてどうとでもできる
後は秀吉がくたばるまでのらりくらりと誤魔化せばいいだけ
秀次からすれば秀頼に関白を奪われること自体が秀次一族に対する謀反だからね
秀吉も当然そんなことは理解しているから秀次一族の天下になる前に殺すしかなかった なんかどうこう言うより、秀次に家督を譲り関白も譲り家臣団も形成され
次代の体制は固まりつつあったが秀頼が生まれたことで秀次が邪魔になり
その子供が秀頼にとって脅威となるから殺して族滅させた、その解釈でいいんじゃないの?
はたから見てもその解釈で無理がないし老いた秀吉の身になればそうしたくなるのはわかる
養子をとった後で嫡子が生まれてお家騒動一悶着になるなんて応仁の乱の足利家や
相模三浦氏、藤堂氏など全く同じケースで珍しいことじゃない
ただ豊臣家の場合それが結果的に豊臣家と政権が滅亡する最大の原因になった
ということは異論の余地がないだけで >>24
そうだよ
秀次が自殺したなんてアホな事言ってる奴は完全に統失だから >>24
>その子供が秀頼にとって脅威となるから殺して族滅させた、その解釈でいいんじゃないの?
いや、よくないだろ
秀吉が切腹を命じた根拠はないのだから
ただ結果が同じ事になっただけのこと 秀吉が切腹を命じた証拠はない←わかる
だから秀次は勝手に自殺した←わからない
秀次が勝手に自殺した根拠もないんだわアホ 秀次事件のスレで隔離されてた矢部健太郎がこっちに来たのか >秀次が勝手に自殺した根拠もないんだわアホ
自殺したという直接な根拠はないが傍証ならいくつかあるよ
族滅行動もそうだが、それ以上に聚楽や八幡山城まで徹底的に破壊してる
これは秀吉の怒りの感情がわかるものであるが、秀次切腹が計画的なものであるなら
ここまでやる必要がない、というか計画通りなんだから激怒するわけがない
しかし苛烈な行動をしているってことは秀次切腹という行動が想定外だった事を暗に示し
ているわけよ
怒るという事は秀次が何らかの主命違反をしたかしかない
つまり切腹自体が秀吉の意思に反したという事よ
もう一つは何度も言っているが、秀頼が政権に就くためには豊臣家の安泰が絶対必要
なのだから秀頼の為に秀次は殺せないということだ
秀次殺せば秀吉死後に外様がしゃしゃり出てきて簒奪される、そう秀吉自身がやったように
それよりは秀頼が廃されるかもしれないが、秀次は血族でかつ豊臣家の人間なのだか
ら、他家に簒奪されるおそれはないし、うまくいけば秀頼は関白になれる 官職剥奪、問答無用の追放、家臣を処罰
秀次には生きてて欲しかった!
あほじゃないのか? 秀次は自ら高野山行きを望んだ話もある
官職は高野山行きなのだから返上するのは当然、ただし官位は従一位のまま
家臣は命令違反を唆しているのだから賜死の処分を受けてもおかしくはない 秀吉の高野山へ謹慎命令前の秀次への扱いを見ても、秀次を処分する気が無かったのは無理があると思う
ただ、高野山に一時的に謹慎させておいて、時期を見て改めてどこかに移して処分しようと思っていたのに、
その前に秀次がいっその事と思って自殺した可能性はあると思う。
秀吉としたら、世間を納得させる秀次処分のスケジュール計画を組んでいたのに、
それを狂わされて、そのあまりに怒り狂って、あの蛮行に及んだとか
、 >ただ豊臣家の場合それが結果的に豊臣家と政権が滅亡する最大の原因になった
>ということは異論の余地がないだけで
全然違う
秀次抹殺は足利義政が義視を殺し源頼朝が公暁を殺すのと同じで豊臣政権は盤石になってる
実際に四大老五奉行連帯で家康に詫び状書かしてるし家康の見方は領地も少ない政治的権限もない雑魚ばっかりだった >>35
豊臣崩壊の原因は家康ではなく、むしろ三成が権勢欲で暴走したことだからね
関ヶ原前の家康は豊臣の脅威ではなかった そもそも秀次大事ならまず秀次の言い分を聞いてから処分すべきで門前払いなんて論外でしょ
そもそも家臣が処罰された理由はなんだ? >秀吉の高野山へ謹慎命令前の秀次への扱いを見ても、秀次を処分する気が無かったのは無理があると思う
処分するならそのまま六条河原で首を撥ねるだろ
謀反の罪であるのならな 無理やり処分しようとしているんだから、いきなり処刑は無理だし諸大名達が納得しないだろう
だから段階を踏んで、世間が納得する形で秀次を処分しようとしたら
秀次が秀吉の計画を破壊してしまう様な切腹をしてしまったって話 >だから段階を踏んで、世間が納得する形で秀次を処分しようとしたら
秀頼の為に秀次は殺せない
豊臣家がなくなれば秀頼も生きていられない可能性が高くなるからだ 聚楽第行幸で正統性を与えられ、関白・左大臣・内覧・豊臣氏長者如元の秀次っが謀反って何言ってんの?って感じだな。
秀次は関白左大臣の豊臣家の当主だ。秀吉も譲ってから気づき、
信長の妻子や孫や妹を殺したように、権力ほしさに秀次を殺したんだろ。んで聚楽第を打ち壊して武家関白制を自ら崩壊させた。 時を稼ぎ、のちに切腹させるなら秀次を数万石の大名に預けておけばいい
高野山での謹慎は助命するという意味の場所であって、秀次処刑が当初の計画である
なら高野山を時間稼ぎの場所にする意味はない
関白の切腹自体が民心の動揺が避けられない事態であるのにその上、高野山までわざ
わざ豊臣から遠ざける真似をする動機とはなんだ?
秀頼が政権を持つ最低条件には豊臣政権が続く必要があり、これには成人の血族である
秀次が絶対に必要 たとえ秀次が秀頼を排するかもしれないとしても秀次を殺せば豊臣そ
のものが窮地に追い込まれ、秀頼も豊臣家も終わる これでは本末転倒
特に秀頼は幼児で成人するまで生きていられる可能性は大きくなかったのだから
当然ながら秀次を殺して秀頼も夭折したら豊臣は終わり
他家の御家騒動とは後継者が極めて限定されるという点で全く次元が異なる話
秀次を最初から殺す計画があったという人は、幼児で豊臣の天下が続くと秀吉が考えてい
た、とかあるいは秀吉が豊臣家を潰したがっているという支離滅裂な前提がないと成り立た
ないわけ
言っている事がめちゃくちゃなんだよ 豊臣公儀は、近衛家と二条家をだまして手に入れた関白の地位で主家乗っ取りを正当化して、
諸大名を天皇に臣下の礼をとらせることで成立している。
1588年と1592年の聚楽第行幸が、天皇を主君として臣下筆頭の関白が指揮権をもつ体制を体現している。
関白の地位が公儀としての正統性を与え、豊臣長者の地位が豊臣の正統性を持っている。
でも、1595年の秀吉はその関白を譲り、豊臣長者の地位も譲ってしまったただの隠居だ。
公的に認められている権力が欲しけりゃ関白を殺すだろう。秀吉はそういう人間だ。強欲で不義理で道義をわきまえない恩知らず 秀吉別に嫌いじゃないけどさ、晩年の行動は色々と擁護できないんだわ
天下統一直後に死んでたら完璧な人生だったね
その老いを見せることなく死んだ信長はある意味幸せものだ
信長なら日本は○○だったとかアレコレ妄想してくれるんだから 1582年の秀吉が読んだから信長が京都で殺されたのに
1583年に信長の側室と孫娘を串刺しにしているので、晩年どころの話じゃないよ
現代でいうなら、フリーターで転職を繰り返していたときにひろってくれた社長が、自分が呼んだせいで死んだのに、
喪があけない10ヵ月後に妻と孫娘を事故死させ、息子を自殺させ、社長が30年汗水流して作り上げた会社を乗っ取るんだ。まともじゃないよ 1582年に秀吉が呼んだから信長が京都で殺されたのに、1年たたない
1583年に信長の側室と孫娘を串刺しにしているので、晩年どころの話じゃないよ
現代でいうなら、フリーターで転職を繰り返していたときにひろってくれた社長が、自分が呼んだせいで死んだのに、
喪があけない10ヵ月後に妻と孫娘を事故死させ、命日前後に息子を自殺させ、社長が30年汗水流して作り上げた会社を乗っ取るんだ。まともじゃないよ >>44
小一郎死後に浅井家に乗っ取られたんだろう、小一郎の跡取りも川遊び中に溺死なんて明らかな押し込め
秀次死後の秀吉は貧弱過ぎる豊臣”家の人材”では家を維持すること無理と諦めて積極的に茶々の浅井家に明け渡したんだと思う 勝頼には同情できるけど秀頼にはあまり
どっちも晩年の親父が糞ヤロウで破滅した点は同じなんだけどな カツヨリも同情できないよ
上杉の継嗣問題に不用意に介入してるし。
北条なら北条、上杉なら上杉にとどっちつかずにせずに荷担する相手を選ぶべきだった 介入そのものは北条氏政の依頼
ただその介入は「景虎側」としての依頼だったのを、いつの間にか「仲介」し、結果的に「景勝側」になった 氏政も勝頼を懐柔する努力を怠ってるけど上杉が戦力ダウンすれば取り敢えずはOKだからな
景虎が勝てば一番美味しいけど負ければ武田と手切れして織田との抗争からは逃げれるし
どっちに転んでも一番美味しいのは氏政だな
まぁ、あの武田に一方的にやられるとは思ってもなかったんだろうがw まあ武田は信玄の次男信親の家系が高家として
七男信清の家系が上杉家臣として残ったし
北条も氏康四男の氏規の家系が大名として残ったからマシじゃないか
まあ豊臣も高台院の兄弟の家系が豊臣氏木下家として四軒残ったけど 律令体制にのっとり武家秩序を整えた秀吉が、秀次処分するは律令体制を自ら否定するものであり、だからこそ政権瓦解を加速化させたのである。
万が一、石治少らが徳川を追い込んでも、朝家が徳川の後ろ楯になることは、明白である 1585年 関白任命
1588年 聚楽第行幸。
1592年 聚楽第行幸。関白任命。武家関白制成立。
1595年 関白左大臣一家を虐殺。武家関白制崩壊。
1598年 太政大臣死亡
1601年 関白任命。以降1605年、1606年、1609年、1612年と公家関白が任命される。
1603年 右大臣征夷大将軍任命。幕府が開かれる。
1614年 豊臣が呪殺テロで謀反をおこす。
1615年 逆賊豊臣が滅ぼされる。 専門家の間じゃ「豊臣家」とは言わないらしいな。豊臣は源平藤橘と同じだから、秀吉の名字はあくまで「羽柴」だと。
まあ一般にそうなることは難しいだろうが・・ いや、蘇我ぐらいだろう
源・平・藤原・橘・菅原・安倍・物部・土師・坂上・蘇我・賀茂・在原・中原・大江・清原・秦・多々良・大伴・中臣・豊臣 日光東照宮には徳川家康・源頼朝・豊臣秀吉が祀られています。
明治六年に源頼朝・豊臣秀吉が相殿神になりました。
久能山東照宮は徳川家康・豊臣秀吉・織田信長が祀られています。
これも明治以降に豊臣秀吉・織田信長が相殿神になりました >>57
秀吉が関白になった時は藤原近衛秀吉だよ
それを黒歴史にするために豊臣を後から創ったのに
「豊臣家」とは言わないとか秀吉の名字はあくまで「羽柴」だとか
その専門家は勉強不足も甚だしい 小説じみた妄想は余計だろ
歴史上のあらゆる権力者が養子を取った後に実子ができたことで養子を抹殺してきた
そして歴史上では邪魔になった養子は殺しておいた方が圧倒的に成功例が多いんだから秀吉は間違ってなかったということだ 豊臣は主家を乗っ取った大義のない存在で、それを関白の地位と聚楽第行幸で正当化して成立した家だ。
秀次は1592年に関白の地位を譲られ、豊臣長者になっていて、聚楽第行幸で公認された存在だ。
だから、秀次が謀反をおこしたのではなく、隠居の秀吉が謀反をおこしたんだよ。権力ほしさに信長の妻子や孫や妹を殺したのと同じだ 邪魔になったただの養子を殺すのと元関白を殺すのはわけが違います
秀頼を関白にしたいなら尚更 >>63
幼児の生存率を無視した暴論だな
いつ死んでもおかしくない存在を正式な後取りにするという考察が現代人の思いつき
当然ながら秀次を殺して秀頼も夭折したら豊臣は終わり
他家の御家騒動とは後継者が極めて限定されるという点で全く次元が異なる話で類似性はないし同列には語れないよ
秀次を最初から殺す計画があったという人は、幼児で豊臣の天下が続くと秀吉が考えてい
た、とかあるいは秀吉が豊臣家を潰したがっているという支離滅裂な前提がないと成り立た
ない ほぼ同時代の例だと、毛利の輝元、秀就、秀元あたりかな。
状況も豊臣に近いと思うが。秀吉、秀頼、秀次と。 自分が信長社長なら秀吉なんていう恩知らずのクズは雇いたくないな。そんなのが社員にいたらくびだ。
自分を中国事業所に呼び寄せて殺し、1年もたたずに妻や可愛い孫娘を串刺しにされて殺され、息子や妹を自殺させ
30年汗水流して作った会社を3年で横領され、娘と銘をハーレム要員にされ、織田会社を潰されて息子を流罪。
んでもって信長とか呼び捨てにされる。たまりませんわ >>67
違う点がいくつかあるな
大きい点では、秀元は秀就誕生時点で家督を継承していないが、
秀次は秀頼誕生時点で家督を継承しているという点だ
また、輝元は秀就誕生時点ではまだ三十代後半であり、秀就が夭折してもまだ後継誕生に期待出来るが、
秀吉は秀頼誕生時点ですでに六十近くであり、秀頼夭折の場合、後継誕生が絶望的だという事だ
(母が夭折した秀頼の兄、鶴松と同じ淀なのも不安材料)
さらに、秀吉の場合、そもそも寿命の問題という大きな不安材料がある(秀吉は秀頼五歳時に死亡)
弟の秀長がすでに病死してしまっている以上、正直いつ死んでもおかしくないし事実そうなった
この状況で秀次にすでに継承した家督や、十六歳未満での就任の前例のない関白職を
全て放りだしてしまえばいいというのはあまりに酷だろう
それよりは秀頼が十六になるその時まで関白職を保持して、一門筆頭として
政権運営を代行するのが妥当ではないかと思う(少なくとも義弟とはいえ姻族に過ぎない家康よりはマシ)
この時点で寿命僅かの秀吉と、成長するかもわからん秀頼に全てを託すなど狂気の沙汰だ みんなが好きな秀吉は天下をとるまでなんだよ
その後は育ちの悪さが出まくってて嫌い 別に幼児でもなんの問題もないって
幼児の死亡率なんか秀吉が気にしてないのは鶴松が生まれた時に八条宮や秀康を追放してることでも分かる >>70
秀吉が小者として織田家に仕官したのは1554年で、それまではよその家で転職を繰り返す男だったんだよ。
その男を信長は可愛がり、織田家は引き上げて軍団長にまでしてやった。
それなのに、信長を備中に呼び寄せて殺し、信長の側室と信長の孫娘をはりつけで串刺しにしたあげく放置してカラスのえさに。
信長の息子を切腹においこみ、妹を自殺させた。これはすべて信長の喪中に行われた。
そして織田家を横領して信長の筆頭家老を殺し、ほか信長の武将たちの領地を奪い、信長が家督相続から30年かけて育てた織田家を盗んだわけだ。
恩を仇で返す典型例だぞ秀吉は。 >幼児の死亡率なんか秀吉が気にしてないのは鶴松が生まれた時に八条宮や秀康を追放してることでも分かる
彼らは血族じゃないし 何度でも言ってやるよ、いつ死んでもおかしくない存在を豊臣の正式な後取りにするという
考察そのものが現代人の思いつきであまりにバカげている
秀頼を権力者に据えるには秀次が要るから殺した可能性は極めて低い
秀次の危険性を考えても秀次を潰せば豊臣が潰れるからこんな簡単な事がわからぬ道理がない
必要なのは切っても断ち切れぬ「血族」であって、いつでも家を元に戻せる血のつながりのない養子ではない
もし低い可能性から考えられるとしたら、秀吉が豊臣家を潰したがっていたか、あるいは幼児で
天下が治まると考えていたかどちらかしかない 幼児の生存率が低かったのは確かだけど、親の情としてこの子は夭折するかも知れないなんて、感情的に否定するものだろう
それこそ後世の人間が、この時代は夭折する可能性が高いから、その場合を常に想定してたなんて人の情を無視した考え方だろう 1592年の聚楽第行幸で秀次は、関白・左大臣・内覧・豊臣氏長者如元になっている。
だから謀反をおこしたのは隠居の秀吉のほうだ。権力ほしさに関白左大臣を殺し、関白一家の女子供を皆殺しにしたんだよ。
隠居の反乱だ >>78
秀次を殺して秀頼も夭折したら豊臣は終わるぜ
秀吉の血脈を継ぐ者が直系どころか姉を介した傍系すらいなくなるわけだから
もちろん秀頼を将来の関白にしたい考えはあるだろうから秀次の娘と秀頼を婚約
させたわけだけど
秀次の子の処刑はしゃーないだろ
秀次が当てつけのような切腹しちゃったらその子らは秀頼を恨んでしまうだろうし
そうなったら処分するしかなくなるやろ それでも3人の女児は許している
力強い親族衆にするどころか敵になる可能性が高いなら処分すれば少なくとも
その点の憂いはなくなる 家が危機に陥る可能性も高くなるし、実際そうなったが
完全に秀吉の落ち度だろう
秀次切腹が秀次の判断で行われ秀吉の意思に反するものとしても、そこまでの
行動を読めなかったわけだから 秀頼可愛さに秀次を殺したにしても
秀次が勝手に切腹してムカついたから皆殺しにしたにしても
どっちも秀吉がキチガイボケ老人なのには変わりないんだよね、ほんと晩年の秀吉嫌い
俗説に秀次とその妻子から淀の子は本当に実子なのかと疑われてムシャクシャしてやったってのが
あるんだが、まだそのほうが同情できる秀吉に 秀吉は主君である信長の側室と孫娘をはりつけにして殺し、信孝に短刀を贈って自殺させ妹を筆頭家老と一緒に殺すお人だから。
秀次のときも同じだ。秀吉の行動は老人だからボケたわけじゃない。最初から義理人情のない人非人なのよ 好き嫌いで歴史を語るのはちょっと違うと思うが
秀次の切腹に激怒するのはまだ筋道が通ってる
高野山での切腹は公家衆の日記に残る時点で隠ぺいする事も手遅れであり、もはや秀頼の
敵にしかならない存在は憂いを残さないために夜叉にならざるを得ん
進むも地獄退くも地獄の状況であっても
ただし、秀頼の為に最初から秀次を処刑するという俗説は理解しがたいものがある
これが本当ならぼけ老人だが、前者はただ鬼になっただけよ >>74
だから血縁でもない於次秀勝や秀秋や秀康のほうがそもそも後継者として格上なんだって
豊臣という家の創始者である秀吉が姉の子なんかに執着する必要性はないし
史実としても秀次は信長が既に死んでるのに三好家送りで元服しても「秀」の字ももらえなかった
その辺は武田勝頼と境遇が似てる
そもそも天脈拝診怠業事件を引き起こしたことが秀次の関白失脚につながるわけで理は秀吉にある そもそも豊臣家に後継者なんかいなくても問題ないからね
創始者である秀吉ひとりで十分
秀吉がいなくなったら豊臣家なんてあってもなくなってもどうでもいいものだろ
後世の人間が豊臣家の家名を残す価値があるとか勝手に誤解しているだけ 側近達の首を次々刎ねていって追い込んだ結果、切腹に激怒ってのも頭可笑しいわ
秀次にしちゃ自分の命で勘弁してくれor秀吉への諫言のつもりの切腹だろうが >>83
前時代ではお家騒動を収めるために邪魔者を殺すのはままあった
弟殺しの信長や息子殺しの信玄や家康より酷いとは言えない
秀次兄弟の死によって畿内は秀頼の支配地域として固まったし冴えてるなとは思う >>83
最上の娘はまだ京都に着いたばかりなのに殺したのに、池田の妹は見逃すなど差はつけたね 考え方が百姓そのものなんだよ
官位(関白殺し)や家への考え方が武家ではない
秀頼もこの期に及んで命乞いしたりとトップとして責任取れてないとこ見ると武家じゃないなと 明智と羽柴は先祖返りでもしたのかってくらい根切り厨だからなぁ
若い頃から根切りが平常運転だから鬼になったもクソもない >>89
百姓は自分を可愛がってくれた恩人の妻(側室)や孫娘をはりつけにして殺したり、
恩人の息子や妹を自殺させたり、
自分が織田家に就職するきっかけをくれた恩人の息子を路頭に迷わせたりするもんなのか?
恩人が一生をかけて生涯の事業にしていたものを盗み取って、信長とか呼び捨てにできるもんなのか?
日本史上で秀吉以上の恩知らずっていないと思うが 血筋がぁ!君が暴れとるけど一番大事なのは家名ではないのか?
戦国時代すら親戚筋から養子とって家名残す事に必死やろ
もっともこの場合大半お家騒動もセットやけど >>92
豊臣の家名は誕生したばかりで歴史も伝統もない
作った秀吉本人でさえ50になってから名乗ったものであり
豊臣なんて名乗っていなかった期間のほうが圧倒的に長い
だから豊臣家にとって豊臣の家名を残すことそのものは大して価値がないんだよ 賜姓されたやつは沢山いる。豊臣はせいぜい蘇我あたりだろう。源平藤橘とくらべるのはおこがましい。
源・平・藤原・橘・菅原・安倍・物部・土師・坂上・蘇我・賀茂・在原・中原・大江・清原・秦・多々良・大伴・中臣・豊臣 お家が大事で秀次は危険でも生かしておきたいんなら、
秀次が怨みを遺して死んでもその遺族は無事に遺しておけばいいじゃない
お家が大事なんでしょ
秀頼でも秀次でもどっちでもいいんなら、秀頼でも秀次の子供でもどっちでもいいじゃない
お家大事くんは論理的に破綻してんのよ
秀次の子を殺した事実から見て、秀吉にとって大事なのは我が子秀頼にあとを継がせることだけだったんだよ 秀次の話も聞かずに問答無用で追放して秀次が大事とか言われても…
もっと温情的な措置があるでしょ 信長の家族を虐殺したのと同じように、秀次の家族も虐殺したんだよ。やっていることは信長が殺された翌年の所業と同じ。
信長が死んで1年後に虐殺。関白と豊臣長者を譲った3年後に虐殺。同じ構図だ 菊亭の協力で関白になったがその菊亭を流罪
近衛の猶子になって関白になれたけどその近衛を流罪
織田家に引き上げられて軍団長になったがその織田家を改易
生駒吉乃に推挙されて織田家へ推挙しあが、その生駒吉乃の息子を流罪
信長に可愛がられておきながら信長を呼び寄せ信長が京都で殺されると翌年までに信長の家族を虐殺
聚楽第行幸で主家乗っ取りを正当化し、秀次に関白をゆずり豊臣の正統性を公認してもらいながら、関白左大臣を殺害
こんな感じで全部同じ構図。恩知らずの構図 足利義満は9歳で将軍を継いでる
後見人は細川頼之で従兄弟の氏満が謀反を起こしてる(未遂)
足利義尚は9歳で将軍を継いでる
後見人は伊勢貞親で義尚の叔父の義視の暗殺に失敗して内乱になった
織田家にしろ後継者に決まった秀信の後見人である信雄は自分の息子に三法師と名付けて家康と組んで謀反を起こした
秀吉が歴史を振りかえった時に前田利家を後見人に選んで秀次一派を首尾よく粛清したのは合理的な選択だった 権力を委譲した秀次を粛清して家康に簒奪の機会を与えたんだから秀吉は馬鹿だろ
家康なら秀頼を守ってくれると考えていたとしたらお人好しすぎる 本人はもう少し長く生きるつもりだったんだろ
豊臣政権の問題は大体秀吉が生きてたら解決できる
寿命に関しては予測が不能だしそこは希望的観測にすがってしまったんだろう 当時は人間50年の時代だからな…
信長なんかは人間50年と踊りながら49歳で秀吉に呼ばれて移動して京都で殺されたし。
信長もまさかその1年後までに信長の家族をつぎつぎ殺されて、8年後に織田家が改易されて消滅するとは思わなかっただろう。
それも下層民から引き上げてやった恩知らずの秀吉に、家康と同盟して生涯をかけて築いた家を奪われ滅ぼされるとは たとえ秀次に命令違反の傾向があっても不問にすべきだった
さすがに武力で盾突かれたら討たざるを得ないだろうが、高野山で蟄居などという
中途半端な事をするくらいなら見て見ぬふりをすべき
それなら秀次が自害する事もなかった >>101
他ならぬ秀吉自身の経験に従えば政権は簒奪されても秀頼の命までは取られることはないと考えたとしてもおかしくはない 秀吉は聚楽第行幸の意味がわかってなかったのだろうな。
1588年に1回目、1592年で2回目。その2回目で関白と豊臣長者の立場を譲っている。
正義は秀次にある。その武家関白制の体制をこえて自分がやりたい放題するには関白秀次を殺して聚楽第をぶっ壊すしかなかった。
でもそれは豊臣の正統性を掘り崩す行為だった。
まぁ、権力ほしさに信長の妻子や孫や妹を殺したのと同じことをしたのだろうな。だからこその何の意味もない契約書の乱発だ。 >>103
まだ勘違いしてる人多いけどさ、「敦盛」のその一節は別に平均寿命を指してるわけじゃないからな とにかく徳川家康は人間のクズだわ
あんな卑劣な奴が作ったトンキンはもうすぐ破壊される
間違いない 八幡さんが言うには秀吉の失策は利家と家康が死んだら自動的に利長と秀忠は五大老に繰り上がるように遺言しておかなかったこと
利長もだらしないけど中途半端な地位だったことが家康に対抗できなかった要因の一つだから 世界に誇る日本国の首都で天皇陛下がおられる東京をトンキンと呼ぶとは・・・
反日豊臣がいますね >>109
利長は徳川家に前田家を値段を釣り上げて高く売ったと見れば相当優秀やろw
織田閥トップクラスの中川、蒲生が死んだのがあまりにも痛すぎる 家康をの除く大老家
毛利輝元→減封
上杉景勝→減封
宇喜多秀家→改易
前田利長→ほぼ現状維持
利長さん有能 前田利家もひっどい男だよな
先祖代々織田家の家臣で、織田信長の小姓からはじまったのに信長の家族が秀吉に殺されるのを放置し織田家を見捨て、
柴田を親父殿と言っていたのに、戦場で敵前逃亡し親父殿を総崩れさせて敗北させた。
太鼓持ちが上手で、本当に助けが必要なときに寝返りをする感じ。お調子者の秀吉といいコンビなんだろうな。 >>106
正義?
秀吉が死去したあとのクーデターで秀次が除かれたならそれもわかるけど、秀吉が生きている以上は最高権力者は秀吉でしょ
その意にそぐわないなら外されても仕方ない
まあ、結果的に家康にしてやられたんだから見通しのきかない人間に成り下がってたんじゃないのかな >>118
1592年の聚楽第行幸で諸大名が帝に臣下の礼を取り、関白に大権がゆだねられ、
1595年に秀次一家が虐殺されたわけだが、
秀次は、
関白・左大臣・内覧・豊臣氏長者如元だな。
豊臣氏の長者で、
臣下の最高位の関白で左大臣で内覧。
はっきり言えば、隠居の秀吉が謀反をおこしたんだよ。 秀吉は一座だけは秀次に譲ってない
朝廷臣下で一位の席次のはず
ほぼ名誉の地位だが 1600年当時、席次第一位の武家、内大臣徳川家康に石田三成が謀反をおこし
1614年当時、席次第一位の武家、右大臣征夷大将軍に豊臣秀頼は謀反をおこしたってことだ。 徳川は摂関家ではないので一座宣下を受けられる資格なし
秀頼の前に一時措置とされた公家の関白のみ一座が受けられる 源・平・藤原・橘・菅原・安倍・物部・土師・坂上・蘇我・賀茂・在原・中原・大江・清原・秦・多々良・大伴・中臣・豊臣
とまぁ、賜性してもらった豪族は沢山いるが、豊臣はせいぜい蘇我あたりの扱いが妥当だろうね。
さらに関白左大臣内覧豊臣長者を殺した豊臣秀吉に家格うんぬんいう資格はないと思う。
秀頼は帝が聚楽第行幸してまで認めていた豊臣氏長者を殺して出てきた人間 >>111
まあそういう視点で見れば優秀だとは思うが、
多分だけど家康が嫌いだったり、西軍が好きだったりする人たちが求めるのは、
そういう方向の優秀さではない気がする 清洲会議は秀吉がちょっかい出さなければ家督は信孝で決まっていただろう。
織田信孝は山崎の戦いでの名目上の総大将で、四国軍の軍団長だった。
柴田勝家は信孝の烏帽子親
丹羽長秀は信孝軍団の部下
滝川一益は柴田に同調していた。
信孝にしておけば丸くおさまっていた。
それを逆臣秀吉が織田家をかきまわし三法師を家督にした。
それでいて織田信雄に臣従したりして対立をあおっているわけで、秀吉はほんとひどい恩知らずだ 秀吉が来るまで右往左往してただけの「お飾りの総大将」という方が正しい。
お飾りはあくまでお飾りで、実質の大将であり軍事力を背景にする秀吉の声はどの道無視できない。
信雄と信孝の喧嘩は勝家も秀吉も手を持て余してた。どちらかに決めても内紛は必至。
清洲での裁定は信孝にも決して悪いもんではなかった。なんてたって三法師は信孝の下に置いたのだから。
信長生前、1581年の馬揃えでは信雄30騎に対して10騎しか率いられなかったことを思えば出世だろ。 織田信忠と織田信雄は信長が最も愛した女性の息子だからな
その息子の兄を秀吉は信長を呼び寄せることで京都で死なせ、息子を織田家の改易とともに流罪にしたけど。
主家を主家の領地から追い出す家臣。典型的な奸臣だな。 そういえば、秀吉は織田信雄の母親に推挙されて織田家へ就職したんだった。
母親の世話になっておきながら、長男の死のきっかけを作り、次男を改易にして家を潰す。ひどい恩返しだ 結局、織田の兄弟にそれだけの才覚がなかったってことじゃないの?
秀頼だって家康に殺されたのだってそうだし 関白左大臣が鷹司、右大臣征夷大将軍が徳川、内大臣が西園寺だというのに
秀頼は公儀である幕府に最高峰の5つの寺が『何よりも悪い、承知できない、好ましいことではない」と評価する呪術を用いてテロをしたからな。
当時最高の学者の林羅山が呪詛によるテロである。沙汰の限りと言っている。
なのでテロリストの秀頼が右大臣征夷大将軍に征伐されるのは当然だろうな。
政府に出頭しろと命令したのに無視して10万の浪人を集めて反乱をおこしたわけだし。
信孝の場合は三法師の後見で、信長が死んで1周忌たってない。
秀吉が口出しして主筋を殺すほうがおかしい。ありゃどうみても主殺しだ まあ家康が利家がいなくなったあとに、秀吉に頼まれたように秀頼の面倒もみていれば起きなかったろうな 武道の達人の家康が育てていれば自己管理すらできない161キロのデブにはならなかっただろうしね >>134
反家康派がその流れを嫌って家康を政権から追い出そうとしたのが関ヶ原なんだけどね
せっかく家康が朝廷の藤原氏ポジションになってたのに、これで全部パーになった
結局残ったのは家康がトップになって幕府を開くルートだけだ
実際幕府開いたら諸大名かなりおとなしくなったからな、豊臣大老時代は文句や反抗ばっかだったのに
例外は空気が読めない豊臣家位だよ本当に 律令制度を用いた天下統一を成し遂げ、自ら関白の座に座った。
しかし太閤が関白秀次を処分するというのは自ら律令制度の論理を否定するもので、秀吉死後はご自由にお取りくださいと天下に布告したも同然である >>135
家康に斡旋された家庭教師の講義も
2回か3回参加しただけで顔を出さなくなったみたいだから
秀頼本人がそういうのを嫌ってた節がある
家康の下で養育しても果たしてどうだったか
デブにならなかったかどうかは知らん 秀頼は甘やかされ過ぎて、いまの引きこもりに近い感じだったんかな 成金社長の御曹司だろう。おぼっちゃまくんって漫画があったけどあんな感じじゃないの 現代人で甘やかされて楽なのは一流企業、上場企業に就職している人たちだろうな
給料たっぷりで異性にモテモテ。労働環境も社会の目で監視されているので、ブラックということはない。
色んな保障もある。だからみんな行きたがるし、なりたがる。いい思いをしたいからね。戦国の大名や武将といったところ。
現代でシビアな生活をしているのはブラック企業勤めと、ひきこもり無職やバイトだろう。
金も地位も名誉も生活保障もない人たちだ。金欠なので結婚できず病院に行くのもちゅうちょする。戦国の足軽や浪人や僧侶といったところ。
最強はぼんぼん。金も地位も名誉も女も生活保障も簡単に手に入る。戦国の秀頼だ 豊臣側にも政治にも戦にも長けた後見人がいればなあ・・・→それ家康じゃん 豊臣にとって重要な歴史事項は、
「主家簒奪」「関白任命」「惣無事政策」「聚楽第行幸」「関白一家虐殺」だと思うけど、
やはり秀次を殺した時点で豊臣には大義がなくなったのだろうな。
秀次は関白・左大臣・内覧・豊臣長者で、聚楽第行幸で公認された存在だった。
その重要人物を一家皆殺しにし、右大臣の娘をふくむ多くの女子供を虐殺した時点で豊臣は公儀としての正当性を失ったのだと思う。
それでも、董卓も真っ青な暴君の秀吉がいるうちはよかったが、暴君の死後は当然報復を受けるのは当然なのだろうね 秀頼をイラストにしたら、こめかみに2つロウソクを立てて呪呪呪呪とか言いながら呪いをかけるデブって感じなんだろうな
「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」
「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」
とあるので、顔にポツポツとにきびあとのあるデブがのろいをかけるイメージ
呪殺
(.:.;゚;ё;゚;) <呪呪呪呪呪呪
U( )つ
つ つ
豊臣秀頼 >>58
それだと朝臣と連などがごっちゃだな。
朝臣はかなりの数が存在するぞ、豊臣もその内の中でしかない。ただ歴史上最後に下賜された朝臣姓ではあるけど。 『日本書紀』には、684年(天武天皇13年)11月1日に初めて朝臣を賜った52氏として、
大三輪氏、大春日氏、阿倍氏、巨瀬氏、膳氏、紀氏、波多氏、物部氏、平群氏、雀部氏、
中臣氏、大宅氏、粟田氏、石川氏、桜井氏、采女氏、田中氏、小墾田氏、穂積氏、山背氏、
鴨氏、小野氏、川辺氏、櫟井氏、柿本氏、軽部氏、若桜部氏、岸田氏、高向氏、宍人氏、
来目氏、犬上氏、上毛野氏、角氏、星川氏、多氏、胸方氏、車持氏、綾氏、下道氏、伊賀氏、
阿閉氏、林氏、波弥氏、下毛野氏、佐味氏、道守氏、大野氏、坂本氏、池田氏、玉手氏、笠氏が記されている
有名な朝臣姓氏族[編集]
源朝臣 - 皇別氏族。公家では源氏長者の地位を長く保った久我家などの村上源氏、武家では源義家以降、清和源氏が勢力を伸ばし、源頼朝以降武家にとって特別な氏姓となった。足利氏はその代表である。徳川氏も清和源氏を称している。
平朝臣 - 皇別氏族。桓武平氏が最も著名であり、公家では堂上平氏として数流が残る。武家では平家が有名であり、また織田氏も称している。
藤原朝臣 - 中臣鎌足の子孫。長らく朝廷の重職を独占し、摂家を筆頭に堂上家の大半を占めた。武家では伊東氏、小山氏、上杉氏、伊達氏などが知られる。
橘朝臣 - 皇別氏族。県犬養三千代、橘諸兄、橘佐為を祖とする。 四大姓に数えられる。
菅原朝臣 - 野見宿禰を祖とする。文章道を管掌し、堂上家が数家残っている。
大江朝臣 - 土師諸上を祖とする。大江広元など学者を多く輩出し、武家では毛利氏などを輩出している。
中原朝臣 - 十市有象、十市以忠を祖とする。明法道、明経道を司る家系。嫡流は局務、市正などを世襲し、朝廷の実務、京都の行政に深く関わった。
豊臣朝臣 - 安土桃山時代に関白・羽柴秀吉に下賜され、秀吉によって多くの大名などに下賜された。 豊臣ってのは主家を乗っ取ってなにをやらかすかわからない賤民出身に与えられたポッと出の姓で、
歴史も伝統もなく、先祖をさかのぼることもできず、関白左大臣内覧の豊臣長者が殺される1595年の9年程度しか正当性がなく
1615年に滅ぶまででも30年程度の浅い歴史しかない即席ラーメンみたいな姓。
はたして豊臣長者を殺して出てきた秀頼に正当性はあるのか ないよね。主君である帝がわざわざ聚楽第に行幸して公認した関白左大臣内覧豊臣長者が秀次だ
その重要人物を一家皆殺しにして聚楽第をぶっこわして乗っ取ったのが秀頼だ。
秀吉が主家を簒奪して君位をうばった逆臣行為もひどいものだが、秀頼のこの行為は帝がかかわっているので罪は重大 秀次殺害に秀頼がなぜ責任を負わなければならないのか?
秀吉の問題でしょ?
というか正当性とかどうでもいいことじゃないのかな 豊臣長者を一家皆殺しにしてその座についたのが豊臣秀頼なわけで、秀頼にも責任はあるだろう。
秀吉は子飼いの家臣でありながら、主君の没後1年で主君の家族をつぎつぎ殺害して主家を簒奪し、
聚楽第行幸で簒奪を正当化しながら、聚楽第行幸で公認された関白左大臣内覧の豊臣長者を一家皆殺しにしたので弁護のしようがない悪だが 秀吉が秀頼のために一族を皆殺しにしたのだから秀頼自身に罪はなくとも
一族の親族は恨むでしょうね、人の感情はそう割り切れるものではないから
そこまでして守ろうとした秀頼が時勢も読めない立ち回りもできない馬鹿殿だった秀吉哀れ
それも連座で処分しすぎたことで秀頼のまともな後見人・補佐役がいなくなってしまったことが大いに関係している
全部裏目に出たな 一番恨んだのは最上だろうな。可愛い娘の駒姫を嫌々送り出したら
ついたと同時に殺され、責任を感じた妻が自殺だもの。
菊亭なんかもいままで秀吉の関白任官などで協力したのに娘を殺されて流罪だ すべて裏で徳川家康が糸引いてたんだよねえ
豊臣秀吉は被害者だよ 豊臣ファンはとにかく家康の所為にすればいいから楽だね 豊臣信者はなぜ聚楽第行幸を無視するのだろうな。
聚楽第行幸があるから、秀吉の主家簒奪行為が公認されたし、
関白左大臣内覧豊臣長者の一家を殺した、秀次一家虐殺事件の重大さがわかるというのに。
豊臣信者は家康のせいで思考停止している。 豊臣を無条件に持ち上げているやつは大阪の人間
あそこの県民性は、金と宗教と権力に酔うってやつだからね。
戦国では南無阿弥陀仏を連呼しながら死ねば極楽にいけるぞと扇動して織田徳川と対立して討伐され
主家を乗っ取り恩のある主家の人間を殺して成立した豊臣に従って関白様、太閤殿下と叫びながら金と権力に酔い
征夷大将軍任命で帝公認の公儀が徳川に移ると、夢よもう一度と呪いをかけて反乱をおこし、
大阪の陣で征伐されると、江戸時代は金に酔って天下の台所だ。
最近は副首都だの大阪都だのまたも権力に欲を出している。
まぁ豊臣は金と権力の象徴みたいなもんだな。合言葉は徳川家康が悪いだ なぜ秀吉は中川清秀と兄弟の契りをかわしたのですか? 16歳「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」当代記
20歳「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」セバスチャン・ヴィスカイノ(1612年面会)
22歳「世になきお太り」長澤聞書 長澤九郎兵衛
+ + 。
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 , _____
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::::::\〜
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵> ハァハァ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
`i、-- '´ |ソ:
↑ ↑
想像上の秀頼 現実の秀頼
豊臣秀頼
身長196cm
体重161キロ (明良洪範)
BMI41.91
適正体重84.52kg
適正体重より+76.48kgオーバー
BMI 体型イメージ
http://pbs.twimg.com/media/CBy3u20UsAEefCo.jpg
疱瘡(天然痘)の顔 塩田三郎
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Saburo_Shioda.jpg >>155
利休を利用して 秀長に毒をもって早死にさせたのは徳川 >>165
やっぱりな
家康は今の日本社会のすべての害毒 織田家家臣で、主家簒奪の逆臣の豊臣がなぜでかい顔できたか、それは関白任官と聚楽第行幸で主家簒奪を正当化して
公儀として保証されたから。
秀吉秀頼親子は、その聚楽第行幸で公認されていた、関白左大臣内覧豊臣長者のご一家を皆殺しにしているので、
大儀なんてものはないんだよ。滅んで当然だった。 主君信長 草履取りから引き上げてやるが、秀吉に呼び出されて移動中に京都で襲撃を受けて殺される
長男信忠 信長に同行し京都で襲撃を受けて殺される
次男信雄 三法師に臣従したり信雄に臣従した秀吉にだまされ、利用されて改易流罪
三男信孝 秀吉に短刀を贈られて自殺する
四男秀勝 秀吉が関白になるとすぐに病死する
信長孫娘 信長の没後10ヵ月後に串刺しにされて殺される
側室坂氏 信長の没後10ヵ月後に串刺しにされて殺される
豊臣秀次 関白左大臣内覧豊臣長者になるも、秀頼が生まれると隠居の秀吉に一家皆殺しにされる
近衛信尹 信尹に関白を譲る約束で秀吉は近衛家猶子になり関白になったが、約束を反故にされ流罪にされる
菊亭晴季 関白任官などで秀吉に協力するがするが娘を殺され流罪にされる
豊臣が滅んだのはこれらの報いを受けた感じだな
「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 織田信孝 >>160
きみにいいことを教えてあげよう
実は大阪には県民はいないんだ >>160
きみにいいことを教えてあげよう
実は県民という言葉は県だけでなく都道府県全てを対象にしているんだ 晩年は秀長も遠ざけられてたからな
秀次を庇うだろうしその可能性もある 結局大和大納言家も秀保が不審死した挙げ句、断絶したしな >>172
きみにいいことを教えてあげよう
きみが胸を張って「大阪県民」と言うとき、きみ以外の人は笑うか泣くか困っているのだ 秀吉所用の馬藺兜の馬藺の葉の色って、
金色と黒色どっちが本来の色なの?
大阪城や博物館に展示されてるのは黒色なのにテレビや童友社のプラモだと金色。
元々は金色だった物が金色が剥げて黒色になったの? >>175
1585年の7月に秀吉が関白になると、12月に信長四男の秀勝が病死
1595年の4月に秀次の弟、秀保が不審死すると、7月に秀次が一家虐殺
どう考えてもこれらは暗殺。
秀保の不審死は関白一家を虐殺するための地ならしだったのだろうな。
秀次らを殺したあとに弟が反乱をおこさないように前もって殺した。秀勝は織田家をのっとるため。 >>179
現代なら渦中の人物の突然死は自殺か腹上死だと決め付ける類の人間なんだろう
大した予兆無く人が病死することなんて普通に社会出ていればたまにとはいえ普通にあるし芸能人や渦中の人なら常に人目に晒されストレスも相当なものだからより突然死の可能性上がることぐらいわかるものなんだがな >>177
ドラマ衣装やプラモは見栄えや演出で金色にしてるだけで、そのモデルとなった東京国立博物館の現存品の色からすれば本来黒色でしょ。 秀次も左大臣でもあったから、素直に関白諦めれば良かったのに
まぁ秀頼一色だったから無理っぽいが...
秀吉は身内を大事にしないから滅びて当然だな わが叔父 信長公に散々世話になった、三河の田舎大名めが!無礼であろう! 家康、文化先進国だった駿河で教育受けているから、茶々より教養あるんじゃないかな 三成が裏切って豊臣に謀反を起こしたからね
ここまで大規模な謀反を計画して実行されたら家康でもどうにもならないから
新政権樹立に舵を切るしかなった
三成のよって豊臣が滅ぼされたのは仕方がない 豊臣秀吉という人間は、草履取りから引き上げてくれた主君が一生を賭けて育てた織田家を乗っ取り、
主君のお方様の坂氏と孫娘をハリツケにして処刑し、三男を切腹に追い込み、次男を改易流罪、
四男は秀吉が関白になると数ヶ月で病死という、まぁひどいことしているからな。恩知らずそのものだ。
そして秀次に関白を譲り秀次が豊臣長者になるとその関白豊臣長者のご一家を皆殺しだ。豊臣ってのはほんと悪徳そのものだよ
主君の家族を殺し、主家を乗っ取り、関白ご一家を皆殺し。そして息子秀頼は呪いでテロをしたあげく幕府に逆らって反乱だ。ひどいものだ。
滅んで当然の家だった 家康さえ殺しとけばどうだったか 秀忠で簒奪できたかどうか 秀吉の寿命が迫っているし殺す時期によっては内乱に逆戻りになってる可能性が高いんじゃないのかな そもそも奥州の惣無事と関東を家康に丸投げしてるのに殺してどうする 関東は本来なら加藤清正と福島正則で二分する予定だった
そこに徳川家康がしゃしゃり出てきたわけだ
そして三成が しゃしゃり出たw 何言ってんだこいつは。
飲み水さえ確保できない土地の江戸を本拠地にしろと命令し、
善政100年にわたって北条が支配し善政をおこなっていた敵地に占領軍として統治しろと言われたのは
嫌がらせ以外のなにものでもないぞ
家康は江戸に入ると土木工事で東京湾にそそいでいた利根川を土木工事で千葉県沖まで動かし、
飲み水の確保と住環境の整備のために土木工事しまくっている。大名屋敷や下町だって海の底だったんだよ。
秀吉の嫌がらせで家康はこんだけ土木工事をしているhttp://iup.2ch-library.com/i/i1981079-1554311210.gif
これだけ家康が誠実に天皇の代理の関白に従う姿勢を見せたから、秀吉は敵だった家康を誠実だと信じたんだよ。
ところが秀吉は関白を殺すという暴挙をしでかすわけだが、まぁそれは別の話だな。豊臣に公儀の資格なしって話だ。 >>193
家康を処分した場合に秀忠が豊臣から簒奪出来たかどうかが問題であって、豊臣が正統かどうかは関係ないが 家康を殺しても秀次が死んでれば豊臣政権は急速に瓦解するぞ
秀頼はあの頭ではまともな最期は迎えられないだろう いつまで家康が家康がと古臭い講談知識を持ち続けるんだろうねぇ
家康が長期政権を築いたから、家康さえいなければ豊臣政権も長期安泰政権になるはずだったと
勘違いしてる手合いが未だに多いけど、秀次一族を虐殺して秀頼一人にした時点で
家康がいようがいまいが豊臣政権は詰んでたということにいい加減認識を改めるべき 秀次が生存していたとしても、秀頼に譲っていたら結局は御破算になると思うな 家康がいなくても別の誰かが牛耳るか、もしくはそいつがヘマして戦国時代に戻るかどっちかじゃないか? 秀吉存命中から羽柴政権の存続は家康におんぶに抱っこだったわけで
そもそもそんな状況にしたのが秀吉自身なわけでして
その状況で家康を始末するとか手の込んだ自殺かな? 北から津軽南部秋田最上伊達上杉堀徳川長宗我部毛利島津と
大きなところは全部、豊臣なんてどうでもいい戦国大名や織田家の家臣で
豊臣は主家簒奪の逆臣の家柄で忠義に値せず、関白豊臣長者一家を虐殺した悪逆の家
さらに王朝が滅ぶ原因になる外征を二度も失敗し、一族がいない。しかも托卵疑惑で誰が父親かもわかならいという疑惑がある。
豊臣が続くわけがない。秀次が生きていた場合でも緩やかに乱世だろう。応仁の乱と同じ構図。戦国逆戻りになる 西軍に加担し手紙を出しまくっていた家康の政敵増田長盛が前田に異心ありと家康に報告したり
上杉の隣国の堀最上が上杉が不穏な動きをしていると報告したりしているので、大大名は乱世を望んで独立の動きを見せていたのだろうな。
伊達も黒田も乱世を望んでいた。
伊達は東北制覇の夢、長宗我部は四国制覇の夢、島津は九州制覇の夢、黒田は冷遇された恨み、織田家家臣も豊臣に義理はない。
家康の豪腕がなければ戦国のやりなおしだった。戦国ファンとしてはIFで見てみたい 星稜の馬鹿監督まだグチグチ言ってるのかよ
・証拠ない
・むしろ自分たちが盗んでいた証拠が出た
・一度不正なしと判定されたのに相手陣営に二度も突撃
・言ってることがコロコロ変わる
・ソースの大半が脳内で第三者の証言なし
早く球界から追放されろ
星稜のサイン盗み
サイン盗むのに夢中で遅い牽制で刺される
https://i.imgur.com/p696xXY.gif 草履取りから引き上げてくれた主君の妻と孫娘を串刺しにして殺して
次男を犯罪者に仕立てて流罪にし、三男を自殺に追い込み、四男は秀吉が関白になると病死だものな
信長の妻と孫娘を殺したのは信長の喪中。息子を切腹に追いやったのが命日前後、大阪城を建て始めたのは一周忌と思えば
秀吉以上のクズはいない。 だよね
豊臣秀吉によって関東に追放されたわけだもん 【ことわざ】
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ
しかし
秀吉は30年飼っても3年で恩を忘れる
注:秀吉は1554年に織田家に仕え、1582年に呼び出した主君が殺されると10ヶ月で主君のお方様と孫姫様を殺害した。
そして1年目に主君の息子と妹を殺害し大阪城を築城。没後3年で関白になり主家を乗っ取った。 於次秀勝に関しては以前から病気がちだったし不審ということはないのでは?
あの時点ではまだ織田旧臣への遠慮もあっただろうしわざわざ始末するメリットはない
生存したまま鶴松が生まれてたら知らんけど
その場合でも関白を譲られる前なら秀家あたりと同じポジションに収まっていたかもしれん
秀次みたいに関白を譲られてからならアウト 詐欺康は必要もないのに私欲の為に政権を乗っ取ったからな
秀吉の場合はまだ天下は統一されていなかったし 家康が政権を担わなきゃ間違いなく戦国に戻ってたよ
それくらい秀吉死後の豊臣家はあまりに非力で脆弱過ぎた というか全国規模の戦乱で仮にも天下を預かる家が中立を決め込むとかありえない話だからな 幼少では仕方ないとも思うが
いまはおねが西軍、淀が東軍ってことになるのか? 仕方ないで済まされるのは混乱しても影響がさほどない家だけだろうね
統一政権の長の立場の家でそれは許されない
実際秀吉は当主が幼少の場合責任が果たせないということで領地や家臣を取り上げてるんだから 圧倒的な戦の強さ
羽柴秀吉こそ首領に相応しかったな
信長を除いては 大阪府のやつおめでとう。大仙陵古墳、仁徳天皇陵が世界遺産だってね。
豊臣家という引き上げてくれた主家を乗っ取り、関白として公儀性を得たのに関白を殺し
明征伐を主張しながら朝鮮でつまずくクズじゃなくて、本当の偉人だぞ。こっちを客寄せに使うんだ。
仁徳天皇のおばあちゃんは神功皇后なんだが、秀吉と違って三韓征伐で活躍して征伐を成功させた英雄で、女性初の摂政だ。
秀吉のような親を殺した女を犯すクソや、親を殺した老人にまたを開いた淀より、すさまじく魅力的な素材ですよ。
大阪府おめでとう 秀吉様は皇族の人気は抜群だったからね
それに引き換え家康はw 神功皇后←仁徳天皇のおばあちゃん。男系女子。三韓征伐をおこない半島を属国にする
仁徳天皇←最大の古墳を作る
雄略天皇←仁徳天皇の孫。倭王武。宋から、「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に認めてもらう。百済も自称では入っていた。 >>209
秀次事件が起きてしまったなら、秀勝もタダで済んだとは思えない。
まず、秀次残党(池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏、山内一豊、
堀尾吉晴ら)に擁立される危険性がある。直系の系譜なだけに、血の価値は
史実で擁立された池田輝政とはけた違いで、秀吉がその猜疑心で耐えられる
とは考え難い。 大坂役で大坂方についた木村重成の父 木村重茲は秀次事件連座で賜死しているが、遺児の重成はなぜか豊臣家を見限らなかったのだな。
あと、本多正信の甥が秀次の家臣で、賜死(殉死とも?)してるの知らなかった >>227
木村重茲は三族皆殺しになっているから、木村重成は重茲の実子でない
のはほぼ間違いない。息子も娘もことごとく殺された、と記録に残っている。
とは言え、形式的に重成は重茲を継いでいる。
で、木村重成の正体だが、弟が篠原重之と名乗って許されていることから、
元は篠原姓であることは濃厚。篠原長房の三男で、秀吉の用人で使えた
篠原義房が実父ではないかと考えられるが、証拠はなく真相は闇の中だ。 >>226
ただ豊臣秀勝の妻は淀殿の妹のお江
秀勝は朝鮮に出陣もしている
恭順の意を示せば、謹慎程度で済んだ可能性はある >>229
秀次事件に連座し、能登に配流され秀吉が死ぬまで許されなかった
浅野幸長も文禄の役に出陣している。朝鮮出兵は免罪符とはならない。
ただ、お江は死を免れたかもしれない。恩人の娘の若政所は処刑
されたから、こっちも絶対ではないが。娘の方はアウトだろうが。 (とはいえ、浅野幸長は秀次に朝鮮出兵の現地での惨状を伝え、
朝鮮出兵をやめさせるため、「謀反を促した」から、やはり特別だった
と考えるべきかもしれないが。) 信長の息子で秀吉が天下取る前に早世した於次秀勝の話題と
崇源院の元旦那で朝鮮で陣没した小吉秀勝の話が混じってない? >>226
1582年以降は不審死や流罪が多い。秀志の恩知らずっぷりを考えれば殺されるだろうね
織田信長 秀吉に呼ばれて移動中に京都で殺される
長男信忠 父信長に同行し京都で殺される
次男信雄 秀吉に改易にされ流罪。家康のとりなしで大名復帰
三男信孝 父信長の喪中に母と娘を秀吉に串刺しにされ切腹で殺される
四男秀勝 秀吉が関白になった数ヵ月後に病死する
五男勝長 父信長に同行し京都で殺される
信長お方様 喪中に秀吉にはりつけにされて殺される
信長孫姫様 喪中に秀吉にはりつけにされて殺される
関白豊臣長者秀次 関白左大臣豊臣長者になるも3年後に切腹。一家は皆殺し。
秀次の弟秀保 秀次一家が虐殺される数ヶ月前に不審死
近衛信尹 関白を譲る約束で秀吉を近衛家猶子にして関白任官に貢献するが流罪
菊亭晴季 秀吉の関白任官に協力するも、関白一家虐殺に連座して娘を殺され流罪 >>227
本多正信・正重兄弟が気軽に出奔しすぎだからな
短気で意地っ張りな典型的な三河武士
秀次事件がなかったら正重の子の正氏もそのうち帰参してただろうけど秀次に仕えてたタイミングが悪かった よく秀吉と劉備比べられるけど格がちがうよな
劉備と諸葛亮二人で秀吉と同等 秀吉を劉備と比べるなんて聞いたことないが
中国史で比べるなら劉邦か朱元璋だろ
その二人と比べたら秀吉なぞ足元にも及ばないけどな 一瞬で崩壊する統治機構の時点で中国史の連中と比べてもかなり格下だよな 草履温めて秀吉が出世した後の後任の草履取りは大変だね。
秀吉を見習って草履を温めれば
「禿ネズミの真似をして儂に取入ろうとしてこざかしい。手打ちにしてくれる!」だし
草履を温めなければ温めなかったで信長の癇に障り
「気のきかんやつだ手打ちにしてくれるわ!」だから
組織がこれまでやってきた慣習を合理的だからとか独善で変えちゃいけないのね。 日本で劉備枠って誰や
地方大名レベルならいそうだが 劉備ってヤクザみたいなもんだし謙信がしっくりきそう >>250
自分が子供だった三法師を傀儡にしてたのと同じことになるって想像しなかったのかね? 野人の子だった秀吉を引き上げた信長が秀吉に呼びだされて殺されると
そのお方様や孫姫様をはりつけにして息子を殺し、信長が生涯かけて育てたものを奪ったのが秀吉だ。
そして帝を利用し、惣無事と聚楽第行幸で簒奪を正当化して公儀性を得たのに、関白豊臣長者一家を皆殺しにした。
豊臣が続くわけがない。さらに明征伐を主張して朝鮮でつまずく阿呆で、関白の下にいるのは聚楽第行幸で帝に忠義を誓った
徳川ら戦国大名。領地を奪われたり左遷されたりしたのが大大名として存続。豊臣は滅ぶべくして滅んだよ 「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 織田信孝
『それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、
天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、
亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。
その言語に絶した大逆無道 黙視するあたわず、わが主君 源家康は、信長公との旧交を思い、
信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして蹶起せり。
もしかの秀吉が、天人ともに許せぬ悪逆を憤り、義の重きを思うものあらば、
父祖の名誉にかけて、この義軍に投じ、以て逆賊を討伐し、海内の人心に快せん・・・・・』
天正十二歳 榊原小平太康政
まさに因果応報 家康が上杉征伐に出れば三成が伏見城を攻撃することを読んでいたように、
秀吉は信長を呼び出せば光秀が信長を討つことは読んでいたな
秀吉と光秀にはっきりとした共謀関係は無かったとしても、
いわゆる未必の故意というものはあったと見るのが妥当だろうな 榊原家の家譜に全文残っておる。
https://togetter.com/li/293061
夫レ羽柴秀吉ハ者野人之子出テ於草業ニ而僅カ為馬前之走卒。
信長公寵異之遇一且時ニ挙ラレテ拜セラレ於将師ニ食ム於大拜ヲ其恩高以天ヨリモ深以海ヨリモ此挙ツテ世ニ知也。
然ルニ信長公卒タマイテ而秀吉忽忘レ主恩ヲ遂ニ因テ際會ニ謀企非背将ニ減シ、
其君後ヲ奪其国家惨シイ哉、向ニ弑シ信孝公ヲ今又與信雄公ヲ結兵ヲ、
大逆無道不可勝言其レ誰不疾視之。
今我ガ寡君深懐信長公ノ旧好ヲ、切ニ恤レミ信雄公ノ之微弱ヲ赫然整ヘ旅不ス量勢之衆寡ニ仗ツ、
大義之嘗然伐夭人之昨悪人々豈ニ可ヤ黨モ彼凶悪以汚乃祖ノ佳名於千戴乎惟尚専ハラ合力於義軍速ヤカニ撃彼逆賊、以快海内之人心因以ニ告。
それ羽柴秀吉は野人の子。そこから馬前の走卒になり、信長公の寵遇を受け、挙げられて将帥を拝し、大国を領する身になった。其の恩は天よりも高く、海よりも深く、其は世の知るところである。
しかし信長公が死に給うや、秀吉は主恩を忘れ、非企を謀て、その亡主の子孫を滅ぼし、其の国家を奪おうとしている。いたましい。向きに信孝公を殺し、いままた信雄公と兵を結ぶ。其の大逆無道なること、言うに勝えざるものがある。
彼の凶悪を汚し、佳名あげんとする者は我が義軍に合力し速やかにかの逆賊を討って、海内の人心を快くせんと告ぐ。 調べなおしたらいってたっぽいね
小牧・長久手だしね
サンクス 大宮影連の矢が秀吉の太腿を貫通したそうだけど
当時治療する技術なんてあったのか? 河原ノ者・非人・秀吉読んだ
秀吉は秀次一派粛正後に拾(秀頼)が死んだら、また淀殿に子供作らせるつもりだったのかねぇ 秀次の切腹は彼の暴走の結果で秀吉の意図じゃなかった説の本を読んだけど
問責の使者を送って罪状謀反と秀次が認識してる時点でやっぱ大チョンボだよな
秀次からしたらその時点で政治的な死に等しい訳で たとえ秀次の切腹が暴走の結果だとしても、その後が頭おかしい
なぜ切腹したかって、抗議の意味もあるだろうが
自分の命を差し出すから一族は見逃してくれという意味が大きい
男児の命を奪うことはよくあっても、妻妾まで皆殺しは必要がない
無駄な恨みを買って悪評が広まるだけだった だね
殺す気がないなら余計なことしてるし、政権を守りたいのに幕引きがおかしい
結局秀吉の判断力が衰えてたか統制が効かなくなってたんだと思う 秀長が生きていたらってよく言われるけど、あんまり長生きすると
秀吉に粛清されちゃうと思うな
源頼朝の例を出してシビアぶって親子兄弟で争うのは当たり前な時代なのだから
ライバルになりそうな敵の子供は完全には排除せよという人がいるけど
それをやりすぎた(身内を排除しすぎた)頼朝は人材がいなくなり結局北条に乗っ取られた
一門の意味をよく考えないと 秀吉が早死にして秀長が長生きして秀次の後見人となって秀次政権を支援する
秀頼が生まれない
というのが豊臣家存続のベストスタイルだったなあ 係類の少ない豊臣にとって子沢山の秀次はもっとも必要な才能をもった人物だったのにな
つくずく秀頼は災厄の子だった 実子は3人
小一郎は夭逝し成人したのは娘2人
養子も3人
ともの子の秀保、丹羽長秀の子でのちに藤堂高虎の養子になる仙丸(高吉)、それに名古屋山三郎の妹岩 疱瘡だかなんかの病気療養で来ていたって説もあるんでしょ
あとはお決まりの極悪人説からの殺害 >>277
秀次事件を見ると、秀長が粛清を逃れられた可能性は低かったと思うな。
結局、秀長も邪魔だったから
大和大納言家を結局存続させようとしなかったのでは。
血縁的には人材難だけど秀長家存続させるという手もあったのにしなかったね、なんでだろ 淀の政治能力や権限については触れんけど縁故採用された大蔵卿局と大野一族がジョーカー過ぎて話にならん
素人集団が豊臣家の重役やぞ?有り得ん ちな世界史板での秀頼の評価
豊臣秀頼
評者: マフムード
【統率】 13
【武力】 10
【知力】 31
【政治】 24
【魅力】 68
【特殊能力/修正】
【統率チェックポイント】
一度も指導力を発揮することなく23歳で没した。査定自体に果たして意味があるのやら、という感じもしないではない。実権は終始母の淀殿の手にあり、秀頼が一度でも自ら状況を判断して主体的に行動したという確かな事例すらない。
ただ大坂の陣の終盤近くでは、自分自身の意志で抗戦論や前線出馬などを主張して母や側近を狼狽させたという説もある。もっとも確証はない。
【武力チェックポイント】
未経験・未知数。体格は極度の肥満といわれ、武芸の心得もまったくなかった。
【知力チェックポイント】
仮にすぐれた素質があったとしても、それは幼少時からの環境によって完全にスポイルされてしまったと思われる。積極性に欠けるばかりか、
そもそも人生のほとんどを大坂城という温室の内部で過ごしたため、実社会の様子もあまり知らなかった可能性がある。ただ1611年に家康と会見をしたさいに「賢き人なり」と驚かれており、高い教養も持っていた。
【政治チェックポイント】
家康との会見をいちおう問題なくこなしたり、勢力地図の複雑な大坂城内でとりあえず御輿として座っていられる程度の器量はあった。だがもちろん常人レベルにも遠く及ばない。
【魅力チェックポイント】
父の七光りが大きなウエイトを占めるだろうが、三成にも家康にも錦の御旗として担がれた。
また加藤清正をはじめとする豊臣恩顧の大名たちは長い間秀頼に礼を尽くしていた。上述のように立ち居振る舞いも立派だったという。死後はその死を哀れんだ人々によって多くの伝説が作られた。
【列伝】
豊臣秀頼(1593〜1615)
豊臣政権 第2代当主(在位1598〜1615)
活動地域:西日本
最高官位:右大臣
―― 太閤の遺児 ――
豊臣秀吉が晩年にもうけた息子。幼名「お拾い」。
5歳で父の後を継ぐが当然実権はなく、1600年以降、本来豊臣家の臣下であった徳川家康が事実上の天下人となった。秀頼の権威が否定されることはなかったが、これ以後の豊臣家は実質上一大名に転落した。
むろん政権安定をはかる徳川方がいつまでも旧政権を放置するはずはなく、結局1614年に大坂冬の陣が勃発。さらに翌年の夏の陣を経て豊臣家は完全に滅亡し、秀頼も自刃した。 瀬田に出陣案を止めただけでも浪人衆よりマシなんじゃないかと思うが
低レベルな比較だけどさ 大野は大坂夏の陣でやっと現実見てまともな判断下せるようになってる
浪人衆よりマシは同意 豊臣秀吉
信長に仕え非常に重用されたが、信長が秀吉に呼びだされて殺されると、
半年ちょっとで信長のお方様と孫姫様をハリツケにして虐殺し、三男を自害に追い込み主家を乗っ取った恩知らず。
関白になり主家簒奪を正当化すると、信長四男が関白就任後半年で病死し、
小牧長久手で対立した信長次男は5年で改易される。
関白になるために猶子にしてあげた近衛家は当主が流罪にされ、関白就任に協力した菊亭も流罪にされた。
そして聚楽第行幸で承認された関白を秀次に譲ると、3年で関白一家を皆殺しにした。
最後に明に出兵し、朝鮮につまずいて死亡。家康が尻拭いをした。
遺児の秀頼は適正体重から76.48kgもオーバーした体重161kg、BMI41.91で、
顔が疱瘡のにきびあとのデブだったという。武士なのに馬にも乗れなかった。
五山が認める呪いで家康を呪い殺そうとしたが、幕府に出頭せず謀反をおこし、無職を集めて大阪城で蜂起、
征夷大将軍に征伐されて死んだ。淀が陰陽師と交わって生まれた子供だという。陰陽師は粛清された。 豊臣とか大阪城って韓国人の自尊心をくすぐる存在なんだよ
3回土下座して9回地面に打ちつけながらトンスル飲んでた土人を
日本が近代化してやったと思うのと同じレベルで >>296
秀次が茶々が秀頼を身篭もった経緯を知っていたら、自刃までの行動は色々と納得できるんだよなぁ
毛利輝元が利家死後に速攻で乗っ取りかます訳だ 秀吉は大政所21歳の時の子で長男って事になってるんだよな
あの時代からして大分遅い出産だが本当に長子だったんだろうか 秀吉の大坂城って今の徳川のよりだいぶちっちゃかったみたいね
特に堀は深さが半分以下だったかも すぐ埋められるわけだ 徳川大坂城は郛内の凸凹を平らに均して築城された。驚くのは彦根城サイズの櫓が7つだか8つくらいあることだ… >>296
うぜえ無能チキンブサイクチョン 逃げまどって明に自大してた雑魚 今の、ケツを差し出さんばかりに白人コンプレックスのつよい自大サルチョンと昔と同じ 豊臣秀吉や大阪城ってのは韓国の自尊心を満たすために存在する。
韓国は自分を被害者に位置づけて、加害者を劣等な人間としておとしめ、謝罪させることで自尊心を満たす国民性だからね。
秀吉や大阪城はまさに韓国の自尊心を満たすためのオナニー道具といった感じ。
「ウリたちはこの大阪城を作った豊臣を追い返した英雄の末裔ニダ」「豊臣はウリたちに残虐なことをした加害者ニダ」
「劣等な加害者の日本人は謝罪汁」「韓国は日本の兄!日本は劣等民族、豊臣と一緒ニダ」といった感じ。 まぁ、日本人なら秀吉なんかより、神功皇后や明治天皇といった素晴らしい人を尊敬するだろう。
三韓征伐をおこなった神功皇后の孫が世界最大の墓を作った仁徳天皇。墓が世界遺産登録された。 神功、謎 よく分からない
明治、維新元勲の傀儡
こんな連中より秀吉の方が人気なのは残当 あれだけわがまま放題の日本を二百年おさえこめる組織をつくれた家康は優秀すぎる
結果論かもしれんがね 最近は、かの第六天魔王をフツーの凡人扱いの新説も
幅を利かせてるらしいしなー >>313
おどれは平成の氷河期?ゆとり?
家康はウンコぶりぶり
ギャーハははははは
m9(^Д^)プギャー 豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。
秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は
「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」
と指摘しています。
この書状は、東京大学史料編纂所に未調査のまま保管され、村井祐樹准教授が調査を進めました。
その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、
この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。
秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、
この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。
村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが、
最近は、秀次の謹慎の直前まで関係が悪化していなかったとする研究もあるということです。
村井准教授は
「豊臣家に人がいなくなってしまうと滅亡につながってしまうので、秀吉は簡単に秀次一家を潰そうとはしていなかったのではないか。京都に次いで大切な大和の地を豊臣家の一員に任せようと考えていたことも分かり、今回の書状はかなり重要な、意味のある発見だ」
と指摘しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/amp/k10012040091000.html 木下吉隆って秀次に加担したとして処刑されたんだっけか >この書状は、東京大学史料編纂所に未調査のまま保管され
ちょっとー
未調査文書どのくらいあるんだろう 大和郡山から多聞山へ移転する計画があって誰が担当するか決まっていたとwikiにあるけど、出典が気になる。wikiに出典載ってるけど、それに細かく書いてあるのだろうか 火縄銃の保有数が当時世界有数だったという。朝鮮半島や満州に遺棄された銃もあったろう。
連中はそれをモデルに量産とかしたのだろうか >>320
そうなると秀次系官僚に権勢を奪われることを恐れた三成たちが秀次の謀反をでっち上げた説が有力になったな
むしろ三成たちにとっては、豊臣家に人が少ない方が傀儡にして権力を握りやすいわけだし
秀次事件から関ヶ原までをセットにした三成たちの簒奪事件と考えれば辻褄が合う >>326
だとすれば家康が、石田三成のおかげで天下を取れた、というのも分かる 明智光秀も大河になった 三成も大河にして名誉回復だ! >>326
実際に、石田三成らと、秀次系官僚(木村重これ、前野長康、池田輝政、
一柳可遊(直秀)ら)と徹底的に不仲だったからな。
秀次系官僚の有力者は悉く殺されたが、池田輝政本人と、一柳直盛
(可遊の弟)を処分し損ねたのは痛恨のミスと言えるだろう。 羽田長門が死罪になってるのに高虎は加増なの正反対で面白い 秀吉が九州にいるときに乱交して生まれたのが秀頼だからね。
秀吉は主家を乗っ取った恩知らずの謀反人で
豊臣の下にいるのは戦国大名と織田家家臣。
こんな実態なのに内部固めもせずに外征に2度失敗じゃ豊臣が長続きすることはないよ。
応仁の乱まったなし。 秀吉自身書状からして簒奪者呼ばわりを気にしてたしなあ
秀頼がアレでも毛利輝元もようやるわ いわゆる吏僚派、武断派って分け方小説由来じゃね?
講談かも知れないけど実態に即してないよね
石田三成や長束正家だって普通に戦場立つことあったし福島正則も検地の奉行や検断使をやってる
奉行っても主君からプロジェクトの仕切りを任されてるって意味で文官て意味じゃないし
いわゆる大老を奉行と呼んだり秀吉自身織田家では奉行を務めたこともある 文書の画像あるけど読める人いる?
それともこの解像度では判読は無理か
日本経済新聞
豊臣秀次の死巡り新史料 「息子を国主に」と秀吉
2019年8月30日 12:57
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO49197120Q9A830C1CR0000 >>336
ん?今は吏僚派武断派に学術的な根拠が示されてるの? >>331
全部秀次事件で処分されたからね。ただ、秀次事件で失脚した
ナンバーツーの池田輝政は結構能力が高く、石田三成、長束正家などが
「邪魔」と感じるぐらいの能力はあった。
>>335
確かに文治派は戦場に出ていたけど、石田三成、長束正家などは
お世辞にも武功を挙げたとは言えんぞ。文治派で武功も上げたのは
秀次官僚の池田輝政ぐらいのもの。 秀吉の死後、二つのグループが対立してそれぞれ何か名前を付けるとしたら
これ以上適切な命名はあまりないと思うが 三成派、反三成派でしょ
吏僚派とか武断派とか言うから実態にそぐわない変なイメージ付いてるよ 昨日のにっぽん!歴史鑑定で秀吉正室やってたんだけど、
ナレーションでは播磨の姫路城から西へと向かったって
言ってんだけど地図つくったやつがどうも播磨と備中間違えてるくさい
歴史番組でこんな間違いが、放送まで見逃されちゃうんだなあ
https://uploader.xzy.pw/upload/20190903145144_536e46554c.jpg 秀吉の行動原理は変わらないよ。
生駒吉乃の推挙を受けて織田家に仕官しながら、
その息子信雄を改易、織田家は尾張から排除
羽柴を名乗って丹羽や柴田にごまをすりながら
丹羽は改易し、柴田は滅亡させた
長年にわたって信長の恩を受けながら、秀吉が信長を呼び出してその途上で長男五男とともに殺されると
1年で信長のお方様と孫姫様を串刺しにして殺害、三男を切腹に追い込み、四男は秀吉が関白になると数ヵ月後に病死した。
そして関白を近衛信尹に譲る約束をして近衛家の猶子になることで関白になると、
1年後に近衛信尹を流罪
そして聚楽第行幸で帝が関白を秀次にして体制が移り、秀頼が生まれると、秀次の弟が事故死、秀次が一家皆殺しになり
秀吉が関白になるために貢献した菊亭は娘を殺されて流罪になった。
恩知らずだったから報いを受けた。
秀次が〜とか三成が〜とか言う人がいるけど、そうじゃない。
原因は豊臣と秀吉にあり、信義のない豊臣は滅びるしかなかった。 >>345
TV番組で映像が作られるのは一番最後
監修の先生がいても大概は映像や画を見せられずに口頭で説明を受け「これでいいですか?」と聞かれる
OKならそのまま通し、NOが出たらそのスタッフがうっかり上司や製作スタッフに連絡し忘れる
そして完成した番組を放送で初めて見て先生はびっくりするわけだ
NHKの大河はまだある程度映像が出来てから意見を聞かれるからマシなんだけど、だいたいはアドバイスは聞き流されて名前だけ利用されることになる
TVになにかを期待してはいけない。たいていは視聴者のあなたより知識の無い人間が納期だけを気にしながら作っているのだ NHKは反日だからねぇ。
白村江も豊臣と同様に在日と韓国人の自尊心を満たす道具だわね 確かにまぁ、韓国ドラマや映画やらで目にするところの、李舜臣率いる朝鮮水軍の
猛砲撃で、ハデに爆発炎上して壊滅する豊臣水軍とまんま同じ描写だなぁ、とは
思いますね。制作者のメンタルがなぜか同じなんでしょうw 実は淀は、徳川に通じていたのかもね 妹が秀忠の正室だし 秀吉=豊国大明神
なんだが
信者はこれをご存じない(笑)
もはや信者というより患者(笑)
秀吉>雑魚>秀吉患者(笑) お疲れ!負け犬シャブ患者アンチ君(笑)
好きなウンコ食え(笑) 恥を知れって(笑)
シャブ患者負け犬アンチの恥知らずが!(笑) 現在
徳川家
徳川記念財団
徳川黎明会
徳川ミュージアム
豊臣家
何かありましたっけ(笑)
ああ、ウンコ野郎一匹か(笑) ダッフンダで思い出したが
志村けんの本名は志村康徳
雑魚康と言うとボコられます
気をつけましょう 自分の巣にいないって
どんだけバカなんだ(笑)
アンチ徳川は(笑)
暇なんだ
遊ぼう(笑) アンチはやたら
ウンコって喘いでたな
AV女優みたいに(笑)
本職はスカトロAV男優だな(笑) アンチの事を考えると
笑いもとい涙が溢れてくる
同情するよアンチ徳川君(笑) 種無しのカリスマ豊臣秀吉
息子の秀頼にさえ負ける始末
同情に値する(笑) 「徳川さんは?」
「仕事してました」
「アンチ徳川さんは?」
「死のうとしてました」
はい、バカウケ(笑) 「徳川家の子供は?」
「中学生になりました」
「豊臣家の子供は?」
「銃殺刑になりました」
はい、バカウケ(笑) 「徳川さんは?」
「もっか禁酒中」
「アンチ徳川さんは?」
「ウォッカ飲酒中」
はい!バカウケ(笑) ムカついてる時の両者の違い
徳川さん「気分壊すよな!」
アンチ徳川さん「キング殺すよな!」
はい、バカウケ(笑) 異性への贈り物
徳川さん「交換日記」
豊臣さん「防弾チョッキ」
はい、バカウケ(笑) 徳川家の犬「ヨークシャーテリア」
豊臣家の犬「もう腐ってるわ」
はい、バカウケ(笑) 性癖の違い
徳川さん「異人さんが好き」
豊臣さん「ひいじいさんが好き」
アンチ徳川さん「イジリーさんが好き」
はい、バカウケ(笑) 自慢話
徳川さん「コンタクトした」
豊臣さん「こんなクソした」
はい、バカウケ(笑) 悲劇
徳川さん「トレードに出された」
豊臣さん「トイレに流された」
はい、バカウケ(笑) 子供の成長
徳川さん「一人立ちして向こうで暮らしている」
豊臣さん「一人刺してムショ暮らししている」
はい、バカウケ(笑) 徳川さんの特徴
「呑気で和やかな人だよね」
豊臣さんの特徴
「鈍器で殴られた跡あるよね」
はい、バカウケ(笑) 母に捧げる作文のタイトル
徳川家「大好きなママ」
豊臣家「団地妻ナナ」
はい、バカウケ(笑) 家訓
徳川家「一日一善」
豊臣家「チンチンいじれ」
はい、バカウケ(笑) 自家用車の違い
徳川家「カウンタック」
豊臣家「ガン太君」
はい、バカウケ(笑) コレクションの違い
徳川家「押し花」
豊臣家「女子アナ」
はい、バカウケ(笑) 人混みの中で
徳川さん「前失敬」
豊臣さん「お前死刑」
はい、バカウケ(笑) 道でばったり
徳川さんへの反応「夢じゃないですよね」
豊臣さんへの反応「有名じゃないですよね」
はい、バカウケ(笑) 世間の期待の違い
徳川家「征夷大将軍になって下さい!」
豊臣家「全員体操服になって下さい!」
はい、バカウケ(笑) 怒りの違い
徳川家「恥を知れ!」
豊臣家「ラジオ聞け!」
はい、バカウケ(笑) 控えおろう!
徳川家「この紋所が目に入らぬか!」
豊臣家「このモンローウォークが目に入らぬか!」
はい、バカウケ(笑) 家臣の反応の違い
徳川家「上様!」
豊臣家「食え!バカ!」
はい、バカウケ(笑) 夜食の違い
徳川家「全部フレンチでまとめました」
豊臣家「電子レンジで温めました」
はい、バカウケ(笑) 家宝
徳川家「銀行」
豊臣家「ウンコ」
はい、バカウケ(笑) 負けた!
徳川家「毛利軍め!」
豊臣家「モーニング娘。!」
はい、バカウケ(笑) 娘の成長の違い
徳川家「府中で看護婦やってました」
豊臣家「不注意で監獄入ってました」
はい、バカウケ(笑) 呼び出しの違い
徳川家「セックスを大勢でやった」
豊臣家「切腹を仰せつかった」
はい、バカウケ(笑) 看板番組名
「徳川家康の思えば遠くへ来たもんだ」
「豊臣秀吉のお前はトークが下手だもんな」
はい、バカウケ(笑) 口説き文句
徳川さん「僕と踊って下さい」
豊臣さん「木刀を持ってて下さい」
はい、バカウケ(笑) 女に振られた!
徳川さん「克服するぞ!」
豊臣さん「国分君とするぞ!」
はい、バカウケ(笑) あなたの宝は?
徳川家「人だ!」
豊臣家「ヒトラー!」
はい、バカウケ(笑) 家族とはぐれた!
徳川さん「うっかりしてた」
豊臣さん「運河に埋めた」
はい、バカウケ(笑) 赤ちゃん誕生!
徳川家「元気な男の子です」
豊臣家「源氏名小野信人です」
はい、バカウケ(笑) 子供の頃好きだったモノ
徳川さん「ジャイアンとのび太」
豊臣さん「ジャイアント吉田」
はい、バカウケ(笑) あだ名の違い
徳川家康「座長!」
豊臣秀吉「ガチョーン!」
はい、バカウケ(笑) 料理の鉄人
徳川家康「私の記憶が確かならば」
豊臣秀吉「わさびかきのこか鯛かタラバ」
はい、バカウケ(笑) 天気予報に挑戦!
徳川家康「曇り時々雨です」
豊臣秀吉「すごいドキドキダメです」
はい、バカウケ(笑) 家臣はどう思ってる?
徳川家康「男の中の男!」
豊臣秀吉「お風呂の中のオナラ!」
はい、バカウケ(笑) 軍規違反!
徳川家「死刑を執行する!」
豊臣家「失敬おしっこする!」
はい、バカウケ(笑) 豊臣秀吉「みんな!メガネザルだぞ!」
徳川家康「見るな!目が腐るぞ!」
はい、バカウケ(笑) 大坂城を前に自信満々の豊臣秀吉!
豊臣秀吉「築三年!」
徳川家康「口臭いね(笑)」
はい、バカウケ(笑) デートだ!
徳川家康「いつものパーティーやろうよ!」
豊臣秀吉「イチゴのパンティはこうよ!」
はい、バカウケ(笑) 花といえば?
徳川家康「コスモス!」
豊臣秀吉「穀物!」
オレ「花じゃねぇだろ(笑)」
はい、バカウケ(笑) トイレを覗かれた!
徳川家康「ノックぐらいしろよ!」
豊臣秀吉「ちょっとぐらい見ろよ!」
はい、バカウケ(笑) 悩み事
徳川家康「明日の試験」
豊臣秀吉「明日の死刑」
はい、バカウケ(笑) 現状
徳川家「金拾って喜んでいる」
豊臣家「風邪引いて寝込んでいる」
はい、バカウケ(笑) ファンの数の違い
徳川家「一億人!」
豊臣家「一応九人・・・」
はい、バカウケ(笑) 趣味は?
徳川家「日向ぼっこ」
豊臣家「ティナターナーごっこ」
はい、バカウケ(笑) 話題沸騰!
徳川家康「オリコンこの三月独占現在三冠王!」
豊臣秀吉「ロリコン男好きデブ専変態三冠王!」
はい、バカウケ(笑) アホやなこの低学歴パヨクw
駅前じゃなくて5chで毎日効果ないアベガー、ネトウヨガーしてるパヨクはこいつみたいな低学歴キチガイ池沼しかいないから普通の日本人から支持されず選挙でずっと安倍自民党に負け続けるんだよw
http://hissi.org/read.php/livebs/20200122/THJ2SVNrcksw.htmlいや俺が秀吉が元々武士じゃないかと考えるのは姻戚といわれる加藤清正ともどもなんだが
(身分はそんなに高くなくていい。守護や守護代なんて武士じゃ最上位なんで。守護代のすぐ下でも曖昧模糊になる)
百姓は中国では「多くの姓」転じて「多くの人」という意味だが日本では戦国時代のころは主に農家を指す語になっていたらしい 寵愛していた利休を1591(天正19)年4月切腹獄門にした理由は、(実質的に豊臣政権を動かしていた)弟の秀長を同年2月にヒ素で毒殺したかららしい。
裏で前年関八州江戸に封じ込まれた家康が糸を引いていたことは知ってはいたが、朝鮮出兵・唐入りの準備に忙殺され、家康への仕置きはとりあえず後回しと。
https://www.youtube.com/watch?v=CYUYWcLrzms なにこれ、結局処罰なしな上に政務の代役まで任せちゃう秀吉は愚かというレベルでは済まされないですねって話?
だいたい、こんなわかりやすい疑惑があったんなら三成あたりがそれはもう嬉々として家康批判の具にしてるのでは。 大坂の陣の前に豊臣恩顧の大名がバタバタ死んだのも家康によるヒ素での毒殺の噂あったよね。 秀次が勝手に切腹したから問題になったというけど、
朝日姫の夫が出奔したのを黙認した前例もあるから、
何とかごまかすこともできたのでは? 秀次が勝手に切腹したからって、何で一族郎党、更には一連の事件で彼を擁護した者まで殺す必要あるんです?
秀吉の中では勝手に切腹じゃなくて本当に謀反を企ていた設定にでも変わったのかね。 将来秀頼に災いなす恐れがあるからだろ
秀次が生きていたなら秀次が抑えてくれただろうけど
死んでしまえば謀反企てたことにして殺す方が安心 >>422
その割には、池田輝政という原爆を活かしておいたのは
大失敗だけどね。あれは流石に除くしかなかっただろう。
実際に関ヶ原後隣に来て、悲惨なことになったし。 なぜ秀次が生きていたら自分の子を差し置いて
秀頼に譲ってくれるなんて思えるのかわからん
普通に考えれば秀吉にとって秀次とその一族まるごとが邪魔になったということだろ
少なくともそうとられてもおかしくないし当時リアルタイムで見聞きした大名公家庶民でも
そう思った者は多かったろう 秀頼が無事に成長するという確信はどこにあったんだろ。前の男子は夭折したのに 秀吉が考えられるのは精々2・3年後までで、10年単位の先は想像できない 鶴松夭折でもう実子は無理と考えて秀次に継がせたはずなんだが、あっさり秀頼が生まれてしまったものね。
秀次に任せると決断したからにはそれはそれ。これはこれと割り切り約束通り秀次に天下の差配を…と出来ればね。 個人の内面に属することだから推量にしかならないが
こと秀頼に関する限り秀吉は正常な判断力を失っていたと思われてもおかしくないしはっきり狂ったと言ってもいい
秀頼が成人するまで恩賞も与えるな、官位の昇任も凍結しろなどおよそ非現実的だし
秀頼誕生以降の秀吉は冷静な政治家でも天下人でもなくただの凡夫愚父が子供可愛さのあまり
天下国家を自己都合で私物化していただけ
それは最後の遺言で秀頼のこと以外何も考えられなくなっていることを自ら告白していることからもわかる
子を残さざるを得ない父親の心境吐露としては憐れむべきだが政治家、天下人の遺言としてはありえない無責任さだよ 「かへすヽも秀よりのことたのみまいらせ候」という遺言からは、たしかにそれが窺える 下賤な身分出身の簒奪者の豊臣家が長く続くはずもない。
秀吉は主家を乗っ取って改易にし、養子に入った近衛家を改易にし、関白位につく豊臣家の棟梁を一族皆殺しにしたわけで正統性がない。
秀頼にしたって托卵疑惑のある160キロのデブだしな。正統性のない家に生まれた忌み子と言っていい。
そもそも秀吉が主君の死後3年で主君の家族を殺しながら関白になり主家を乗っ取ったこと自体が異常なんだよ。
そしてその正統性のない家が、秀次の件で自分の手足を食っているのだから、豊臣家は滅ぶべくして滅んだんだよ
秀次を殺さずに残せば、秀頼vs秀次の応仁の乱で戦国逆戻りだろうし、豊臣家の下にいる大名はもともと敵だった徳川を筆頭に大大名しかいない。
最初から積んでいた。 秀頼が大男なのは浅井の血筋だから託卵関係ないっしょ 畏れながら浅井の血筋の今上はそれ程。
皇太弟殿下は身長はおありであるが。
[AKITA931] 豊臣秀次って秀頼が生まれた時に「引退します」と言えば、その後遊んで暮らせたんじゃないか?
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1605421335/
>>434
だから、木村重これ、前野長康、池田輝政、田中吉政といった秀次家臣団を
どうするつもりなの?彼らはそう簡単に引っ込むと思う? というかそもそも関白としての職責は
拾が生まれたからって消滅しない
成長するまでは立場を放棄できないよ >>62
そうとも言えないと思う。
もともと秀次と秀頼の争いは、下の争いがある
秀次派:田中吉政、池田輝政、木村重これ、前野長康
秀頼派:石田三成、長塚正家、増田長盛、前田玄以
だから、かなりどうにもならない。つまり、下同士がとてつもなく不仲だし、
それもリーダの田中吉政と石田三成が宿敵同士。派閥同士の争いだから、
いずれ衝突する以外になかった。
史実では秀次派から裏切者が出て、秀頼派が完勝し、秀次派をほぼ全滅に
追いやったが、池田輝政を仕留め損ね、結果池田が死ぬまで秀頼の脅威で
あり続けたのは大きな誤算だった。 サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP★3甲斐姫 太閤好みの華美な装いなら
茶々が垂髪なのは勿体ない
結髪の時代なら、贅沢華麗な
髪飾りが安土桃山の工芸や、
輸入品で、化粧や衣装と
三拍子揃った美を演出できたのに。 秀吉は源頼朝と同じことしたのよ
自分の血筋以外は皆殺しにして基盤を脆弱にしたのよ 秀次殺してその後が自分が長生きするしか無かったあたりがなぁ… 秀頼が実子か怪しいわけでしょ
側室が大勢いたのに子を産んだのは淀の方だけ 秀吉だって信長の三男と妹を殺してるのよ
しかも秀次と妻子を皆殺し
自分の死後はどうなるか予想もできない
所詮は足軽上がりということね 秀頼の身長196cm体重161kgが本当ならスコット・ノートンみたいな図体か
猿の子供と聞いていたのにノートンが現れたらそりゃ家康もヤバいと思うわ 丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』)
やっぱ山崎の戦いは正義だな もともと出自からも器からも政権トップになれるようなタマじゃなかった
秀吉も信長が横死しなければ器相応の家臣のままで穏やかな晩年を過ごせただろうに 豊臣家が残るには秀次を殺さず後を継がせておくべきだったと思う。
家康が政権簒奪したのは結局のところ最高権威と、最高実力者が違うという事が全国政権を維持するのに不都合だったからで、それが秀次なら大部分改善される。
秀次が後を継げば秀次の直轄領150万石、与力大名含めて400万石以上になり国内最大の実力者になり、権威の上でも現役関白という点で申し分ない。
秀頼が成人するころには天下運営の実績も積んでいる。彼なら家康をはじめとした外様の大大名もついていくだろう。
問題は秀頼に後を継がすかだが、関白位は譲っても豊臣家の氏の長者のポジションを自身の直系の子孫に継がせればいいのだし。
だからでしょうね、秀頼にすべてを継がせたかった秀吉が秀次の関係者皆殺しにしたのは。結果豊臣家はすべてを失ったわけだが… >>446
誰だそれと思ったけど全然違う。美化しちゃだめよ。
秀頼は>>164が実態だろう。
疱瘡で顔がクレーターまみれで、
30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず。世になきお太り。
動けるレスラーや動ける力士とは違う。 秀吉が秀頼を仏門に出すか、殺すか。托卵明らかだからな。秀次が正統。 大和が一門の秀長、秀保と増田長盛だから
他の時代の権力者に比べ重要視とる 金ヶ崎の退却から三木城攻略までの間、秀吉はどんな戦いで功績を挙げたの?
手取川で謙信にビビッて尻尾巻いて逃げたくらいしか知らん。 姉川の戦いにも出てるしその後浅井抑えてたのも秀吉
長篠にも参戦してるし播磨但馬も切り取ってるし
松永弾正征伐にも行ってるし >>459
逆に言うと、>>460のように十分な功績があったからこそ、対上杉の
敵前逃亡をしてもそれまでの功績に免じて、となったと思う。
功績がなければ、そのままクビで、歴史から消えていただろう。 勝頼からだろ
(淀が密通していなければ)敵から捕縛した姫を孕ませてできた子
当初の後継予定者を切腹させて祭り上げた子
遠征事業中に親父が死亡
勝頼とそっくりな人生を歩んでいる 秀が豊臣の通字だから、頼のほうは別に意味ないんじゃあ 秀長って悪い話全く聞かないな。誰か秀長のクズエピソード知ってる人いる? >>468
金銭関係に黒い噂があるのはよく知られてるけどそれ以外はあんま知らんな 秀長が死んだあと大和郡山城には金銀財宝が山のように残されてたらしいな 秀吉や秀頼の絶対悪としか言いようのない実態を知っててなお豊臣贔屓の歴史学者とかいたら怖すぎる
主従関係は絶対とか実績ある偉い人は何やっても許されるみたいなどんな野蛮な人でもドン引きする倫理観を心の底から正しいと思ってるということなので 善悪云々で言い出したら戦国大名は全員悪だろが。
>>471には今度公開される北野武作品の「首」
を観る事を強くお奨めする。 善悪とか無意味とか言ってる人の物事の基準は金と権力かそもそも自分が好き放題したいだけのどっちかだから世の中の真理を悟ったように賢しらぶってるけど単に薄っぺらい小物なだけ
そういえばどっちも豊臣的な価値観だ >>474
なお当時の価値観でもドン引きだった模様
秀吉はどんな邪悪な外道に描いても実際の人物像からかけ離れすぎて破綻することない日本史でほぼ唯一の人物なのに歴史もので悪役としてあんまり出てこないのはもったいない
関係者からクレームでも入るのだろうか ただの精神異常者か。
相手するだけ時間の無駄だな。 善悪というか、現実をわからない変えられない旧時代の領主 有能で目端のきく秀吉にしろ無能で愚鈍な秀頼にしろ結局のところ頭の中に私利私欲しかない身勝手で思い上がった邪悪がトップの体制なんてものは夢のように脆くて薄っぺらいものだと歴史が教えてくれる REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 wiki秀吉の項で秀は信に敬意を持ってなかったと思われるみたいな文があったが
論拠がディスイズ浅知恵って感じで失笑やった
たまに素人から見ても笑える低レベルな編集あるよね 低レベルならいいけど悪意を持って編集する奴も多いから始末に悪い 竹中重門(半兵衛)や蜂須賀正勝(小六)が慶長年間まで長生きしてたら、豊臣政権に何か変化あったかな?
大老入りとか、別の特別な役職を設けるとか。 小六は秀吉の旗本として参謀的な役割を担っていたし既に隠居もしていたからあと十数年長生きしたとしても大老のような職には就かなかったろうね
でも小六くらい能力と実績がある人物が秀頼の側近として残っていれば豊臣政権ももっと安定しただろう 小一郎が秀頼の側近として残っている世界線だったらどうなっていただろうか 小一郎が家康と同じ年まで生きていたら何の波乱も起きず、ある意味なんの面白味もなく秀頼治世が続いていたと思うわ 小一郎は家康と同日に権大納言に任じられてるけど、もう少し長生きしてたらどっちが先に昇進してたかな? >>484
小六正勝は阿波もらったら息子に譲って隠居したから何も変わらん
半兵衛重治も長生きしてたら蜂須賀黒田宮部らと同じで山陰四国九州辺りに飛ばされるんじゃないの 秀吉に聞かなきゃわからんことだけど
劉邦、朱元璋みたいに功臣を信じられなくなった怖くなったて所と予想 秀吉の朝鮮征伐に文句つけようとしたから
正確には文禄の役で秀吉の指示に異議唱えようとして秀吉の逆鱗に触れた そもそも元からそんなに近い立場ではなかったと思うが
竹中黒田の伝説が一人歩きしているけど秀吉の側近で参謀的立場だったのは蜂須賀や宮部だし 宇喜多直家が長生きしてたら五大老に入ってたかな?
それとも官兵衛同様遠ざけられて九州かどこかに転封されてた? 宇喜多直家は手下の伏影を率いて朝鮮、明に先行潜伏し、軍事的幹部の先行暗殺を 直家を口説き落としたのは秀吉だけど天下統一後は遠ざけただろうな 信雄は秀吉の御伽衆となり大和に17000石の縁を貰って有楽斎と共に大阪城で隠居生活しいたからな
関ヶ原でも信雄は子も揃って西軍だし連投バカが無知なだけ >>445
いや
三男信孝に死ぬように命令したのは次男の織田信雄
織田信雄・秀吉連合軍に負けたんだから死ぬのは戦後の習いよ 「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」 豊臣家は家康よりも先に淀君と大野乗っ取っているからね
まあ豊臣の家名を残すためのことだったのかもしれないが 【NHK】仲野太賀、2026年大河主演に決定 豊臣秀吉の弟・秀長演じる<豊臣兄弟!> ★4 [Ailuropoda melanoleuca★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1710313339/1 今までの秀吉大河では竹中黒田の活躍は描くが
蜂須賀は序盤ちょっと見せ場があってあとはいるだけ
宮部は名前すら出ない扱いだが今回はちゃんとした見せ場作るかな 長康は子孫のやらかしが尾を引くかな?
本人や同時代人なら昔のことだからで済んでしまったりするけど、現代人がとなると逆にマイナスになりかねないんじゃ すごいな
見たいけど絶対ないんだろうなと諦めてた
秀長主人公の大河
これは夢か?まぢで楽しみだわ。生きる糧だわ どうする家康とか最低限しか息子出てこなかったし、あまり期待したらガッカリするのでは? 何でもそうだけど最近の大河とか時代物ってちゃんとした原作無いと不安だわ
今まであまり出てこなかった人物を中心にしかも長尺で描くんだし戦国だし豊臣だし期待値デカいだろうけど余計肩透かしくらいそうで マンガ等原作からの実写ドラマ化に際しての改変、改悪が話題になってるけど
大河は逆に原作使わなくなってるな 関白秀次一族を焚殺して秀頼に跡を継がせたが、サザエの食い過ぎによる栄養過多による体重160キロビール腹
及び疱瘡により顔中夥しい痕跡が残り、最後は火薬爆発で死亡したは秀次の呪いであった どうするよりひどかったらどうする
真田太平記を含め、大河は政宗からほとんど見てきたが、
どうするはひどすぎてほとんど見ず
あれよりひどい作品はなかなか無いと思いたい 後はシエかねぇ。まさに歴史そのものに対するリスペクトのなさは大河ドラマ内でも屈指。
ど家に匹敵する酷さでおんな太閤記以来全て見てきた俺でもアレばかりは視聴を止めた。
伊賀越え・清須会議で既に我慢の限界だったが、北ノ庄落城の時の勝家に渡したお守り袋の図柄が
阿弥陀仏かと思えばそうでなく、アフロ頭の勝家だと明かされて心底厭になった。 キャスト含めて誰がやるのか知らんけど、脚本家と監督次第でしょ 異父兄弟なの?(生年おかしくね)
木下って織田一族の木下城あるよね
杉原・加藤・福島・青木と姻戚
信長の妹婿の佐治氏・お江の夫の佐治氏と旭の夫の佐治氏
じっさい百姓なの? 朝日姫とかいう戦国時代随一可哀想な女
家康から「絶対に子供は産まれない」と約束させられたので我が子どころか養子すら貰えず石女として死亡 姉の日秀尼もなかなか
産んだ子供全て弟にいいように使われた挙句非業に死んだり不審死を遂げたり
およそ幸福な生涯を全うしたとは言えない
孫娘の系統が現在の天皇まで続いていたり秀吉の一族で最も長命してるが当人はどう思っていたのか
秀長主人公なら秀吉の一族ということで他の姉妹もきちんと描いて欲しいね
朝日姫は家康との絡みでよく取り上げられるけど日秀尼とその子供は本当にマイナーだから あ、でも日秀尼の悲劇は皆秀長の死後のことかw
本当豊臣の家運は秀長が生きてる間までだったんだな むしろ絶頂期に死んだからこそ、秀長が生きている間は〜とか秀長が長生きしてれば〜みたいな話が盛り上がるし、史実とかけ離れた秀長の人物像が形成されたんだろう 天野泰景の文書に木下藤三、溝口主計助
天野虎景の被官に木下藤次郎、中村兵衛太郎、片桐彦三郎
天野虎景の孫娘(虎景ー勝秀ー樹林院)は堀尾吉晴の弟氏光の妻(前夫は二俣城主田中間吉)
不思議な縁がある 稲木庄龍徳寺梵鐘の生駒左京進家広(○広は織田の本家筋、将広・教広・敦広・郷広・久広・敏広・達広。稲木庄下津に守護所を構えた常竹の俗名が左京亮とされ、左京亮広長もあり)
生駒騒動を起こす家老の生駒将監(系譜不明)
堀尾吉晴の妹婿が生駒孫兵衛(系譜不明)
織田信雄の娘婿2人が生駒に改姓(吉田→生駒、谷→生駒)
生駒も謎なんだよな 「生駒本家」より土田生駒のほうが元来織田との結びつきが強そう
親正の代に生駒に改めたにしては将監・孫兵衛など一族の広がりが大きい 清須宗論で弾正忠良信らと判者を務めた左京亮広長
そういや秀吉の姉日秀と加藤清正も日蓮宗だな 1547年9月5日付「義元加判天野景泰手負人数注文写」木下藤蔵、矢手壱ヶ所
1547年9月20日付「天野安芸守宛今川義元感状」被官木下藤三、溝口主計助 (去る5日、三河国田原本宿での合戦)
1552年11月15日「」木下八郎次郎 (鵜殿長持・飯尾乗連らと本興寺〈湖西市鷲津・日蓮宗〉の仏殿を修復)
1555年8月25日付「義元加判飯尾善右衛門尉宛天野虎景披露状写」被官…木下藤二郎矢手、中村兵衛太郎切疵弐ヶ所、片切彦三郎矢手 (去る16日、今井狐橋での合戦)
1568年月日「湖西市古見八幡神社棟札銘」禰宜太郎左衛門尉吉次…郷長木下次郎左衛門尉家次…時ノ大工藤原朝臣杉原九郎衛門尉家長 (南無妙法蓮華経、鎮守正八幡宮奉上葺)
日秀尼、加藤清正、遠江木下氏・杉原氏は日蓮宗か
偶然?
『諸系譜』「太閤母公系」女子〈杉原七郎左衛門家利妻〉 (大政所の姉)
『諸家系図纂』「平氏杉原」家利〈七郎兵衛、自祖父住尾州〉ー家次〈七郎左衛門尉〉ー長房〈弥兵次〉
『諸家系図纂』「平氏杉原」女子〈号朝日、杉原道松妻〉ー家定〈木下肥後守〉・女子〈政所、秀吉室家〉 (朝日は家次妹。姉に〈号七曲、浅野又右衛門妻〉) 堀尾吉晴の伯母は甲斐又太郎の妻
15世紀斯波氏の遠江国守護代だったのが甲斐氏
甲斐氏一族の同国蒲御厨(浜松市)代官に大谷豊前守がいる(1440年)
豊前守ののちに同御厨の代官になったのが石田四郎左衛門義賢(1455年)
木下氏が西遠江に見える
杉原・片切(片桐)・田中・大谷・石田も西遠江に見える 遠江今川が名古屋に入るとき麾下に福島・木下・杉原もいたんだろう
そしてその息子世代が在地の大政所姉妹と結婚したと
尾張入部3世代目の秀吉とおねが結婚したのも必然的なものだったんじゃないか 妄想
関清三郎兼吉が美濃から尾張に移住、子の五郎助兼善は下中村、弥五郎兼員は御器所村に住み、娘は加藤小次郎清信に嫁ぐ
遠江今川氏が名古屋に入り福島・木下・杉原を連れてくる
弥五郎兼員の娘が杉原・木下・福島の息子ら(七郎左衛門家利、弥右衛門、市兵衛正信)、青木勘兵衛一重・加藤弾正左衛門清忠に嫁ぐ
杉原の娘は浅野又右衛門、尾張杉原の息子に嫁ぎ、尾張杉原に家定・おねが生まれる
秀吉とおねが結婚 秀長は子供いなかったんだっけ?もしいたら歴史はだいぶ変わったな 子供ができない傑物より無能な子沢山のほうが遥かにマシなのが世襲政権の滑稽で残酷なところ
政治軍事という人間としての高度な能力より動物的繁殖力のほうが重要なのが皮肉 1513年那古野に新五郎が在城
1533年7月那古野の今川竹王丸(数えの12歳)が勝幡に赴き飛鳥井雅綱に弟子入り、雅綱・山科言継・織田信秀らと蹴鞠を楽しむ
1536年秀吉生まれる
1538年那古野今川氏が織田信秀に城を追われる
1548年おね生まれる
1561年秀吉・おね結婚
秀吉とおねは生まれたときからの許嫁だったんじゃないか
遠江の古見郷周辺にルーツを持つ木下氏の孫息子と杉原氏の孫娘(父は尾張杉原氏の入道道松)
秀吉が25歳まで妻を取らなかったのはおねの成人(初潮)を待っていた、と ついで
義元の弟だ、名越北条だなど見るけど那古野今川氏は小鹿
「又五郎→民部少輔」と「新五郎→右馬助→下野守」の2流あったんじゃないか
1487年に討たれた小鹿範満の仮名が今川新五郎(1466年6月3日付「御内書案」)
1513年『為広駿州下向記』今川一家交名
一、民部少輔 【傍注】子に又五郎、その弟に慶千世
一、下野 【傍注】親は入道
一、那古野の新五郎
二、瀬名源五郎
三、葛山八郎 【傍注】早雲の子
四、関口刑部少輔 【傍注】慶王
五、新野
1533年7月23日条『言継卿記』今川竹王丸【傍注】在名ナコヤ…今川竹王丸【傍注】那古野、十二才
1557年3月2日条『言継卿記』今川那古屋殿 (遠江国で言継の使者の訪問を受ける)
1564年9月28日付「大沢右兵衛佐宛今川氏真感状」小鹿右馬助 (遠州錯乱につき油断なきよう小鹿にも伝るべく)
年未詳11月9日付「法寿寺宛今川氏真判物写」小鹿民部少輔 (河野庄内5貫文の売買を承認) >>540
毛利や徳川の子供の使い方見てるとグチの一つも言いたくなるよな 晩年の秀吉の迷走はキリシタン勢の工作とかもあっただろうし、疑心暗鬼になりすぎてる感じは否めないね >>545
豊臣兄弟ではそんな秀吉は見れないけども
弟秀長亡くなって千利休秀次一族キリスタン弾圧朝鮮出兵だからな、豊臣家滅ぶ要因のほとんどは秀長死後におきる わが伯父、信長公にさんざん世話になった、三河の田舎大名が無礼であろう! 秀長の死が豊臣家の崩壊のターニングポイント
前田利家の死も影響あるだろうな 秀吉の台頭なんか民主党フィーバーみたいなもんで
能力的にも統治システム的にも最初から穴だらけの即席政権だから
ちょっと待ってればすぐ終わる 結局、どんな偉人だろうが
跡取りなしなら台無しなんだよな。
秀吉の妻ねねの家系、木下家は
代々1万石程度の小大名であるが
明治時代まで継続し、現在も子孫がテレビに
出たりする。
子供がいなければ、他どんなに成功しても
最低ランクに堕ちる。 秀次を死に追いやったのが全てだな
秀次って長久手以外は別に落ち度もないのに妙に評価低いよな 最初から穴だらけの即席政権だから
ちょっと待ってればすぐ終わる
結果論でしょ
家康に都合がいいように若い人も同年齢の人も死んでいく
例えば家康と秀長、又は家康と利家の寿命が逆だったとする
まず徳川の天下にはならないよね >>554
秀次一族は豊臣家の力になる可能性もあった
敵の家康に秀頼頼むって泣きついて豊臣家は滅ぶけど >>555
加藤清正の毒殺の噂と同じで
秀長と利家も毒殺の噂はあったタイミング的に >>556
基本的に秀吉が見据えてるのは秀頼の行く末でしょ
豊臣家を考えたときに戦国時代を生き抜いた連中がまだまだ健在なときに幼君を立てるのは自滅を意味してるんだから秀長としては諫言するだろ 正直秀長も秀次と同じ末路になる前に病気で死んだようなもんでどのみち秀吉自身が変わらないと無理じゃないかな 秀吉は軍の大将によく官僚系の人間を据えてるけど、武勇より兵站のほうが大事と思ってる秀吉流ともいえるね 大和中納言秀保の溺死、それを受けて附家老佐渡守高虎が高野山に あんな安定しない室町幕府ですら200年以上続いたのに
10年ってwww 黒田、細川はだから九州に飛ばされたのかな キリシタンだから >>560
前田利家は暗殺って本出たり
千利休と家康の怪しい動きあって秀長暗殺疑われたり
前田利家と秀長も暗殺の可能性否定できないぞ
前田家に家康と通じる者いたり千利休と家康は密会してたり >>563
ただキリシタンを自分の目が届かないしかも海があるところに飛ばすかと考えると 日本史スクープ砲で利休は切腹してない説やってたなあ
おもろかった なぜ打ち切りなのか・・ おもしろかったのに 由来守護大名の支配をなかなか受け付けなかった大和と紀伊を秀長に任せたは妥当な人選であったが、養子は溺死、家老の高虎は高野山に入り、山を下りるようにとの指示がなければそのまま終わっていた 藤堂高虎はころころ負けて朝鮮軍へ勝ち星を進呈しているし
後に家康のポチに成り下がるからそのまま終わっていたほうが豊臣家の為には良かった >>569
巨済島や鳴梁では大きく勝っているし
襲撃されて撃退したのにそれを負け負けと評価するのは偏見 >>566
利休は切腹してない説やってるから打ち切りになったんでしょw まあ寝返りと言っても関ケ原時点ではどっちも豊臣側だからな
豊臣家の為に戦い、将軍様の為に戦ったら、うっかり32万石の
大名になってしまっただけ 藤堂は太閣から見れば陪臣の時機が長かったのだからあまり忠誠心なくても驚くに足りない >>574
でも高虎と黒田は完全に徳川の味方
家康が勝てばどうなるかわからないわけない
加藤清正と福島正則もわかってた 鑑定団に新出文書でたね
1583年閏1月に出された秀吉・長秀・恒興の連署状 小早川秀秋の肖像画なんて明らかに心病んでる顔だもんなあれ
かわいそうにw >>580
死んでから描かれたものだったのか 知らなかった 豊臣秀長亡くなった時点で秀吉の負け
秀次一族殺しと朝鮮出兵を止められる人はいなくなった ストーカーサルうぜえ 必ずみなころす
でないと終わらねえ 司馬の進士太閤記に、秀吉が寧々の前に井伊氏の足軽の娘と結婚していたと書いていたが、
これが事実ならばどうなっていたか。
井伊氏は、正史の浅野氏のようなポジションになり秀吉の家臣になるが、関ケ原で西軍について没落。
東軍に付いたら、秀吉の妻の縁戚として厚遇されて、吉良邸に内入るのは井伊の四十七市になる。 >>581 まことよ ワイなんて使うやつはいないのじゃ 自演キャラには 最適じゃがのう >>585
ああ、確か新婚初夜に打ち解けるために藤吉が何かのモノマネをして
「この猿はなんで踊ってるんだろう?」とかいう感想を持ったあの嫁ね