【信玄】甲斐武田氏総合スレッド【勝頼】スレ12
大内義隆は従二位まで手に入れたけれどもそれが一体何の役に立ったというのか
家臣からは無駄金を使う阿呆としか思われていなかったろう >>485
おかげで公家がたくさんやって来て、山口に大内文化という一大文化サロンが出来ましたよ。 公家のような貴人が多く領国にやって来ると言う事は
それらの人が利用する貴重品の需要が高まると言う事
交易が活発化し安定した税収が見込めるようになる
武田は朝廷や幕府への貢献を怠った為、信用を得られず最後まで貧乏なままだった >>485
あほか君は(´・ω・`)
大内が「従二位」になった歴史的な意義はかなりでかいんやぞ? 結局武田は最初から最期までただの残念な田舎大名だったってことだな
一度も陽の目を見ることはなかった
信玄も存在はしていたんだろうが誰もあったことないし
権力者に会ったことないってのは寂しい人生だな
損得にかかわらず一度は京に行っとかなあかん
信玄の人生なんて所詮は井の中の蛙そのもの
何の為に生まれて来たのか理解できんわ
この世は容姿が目立ってなんぼやろ >>481
なんのかんのと、甲斐武田氏は、名門としての扱いはあったような。
>>482
京都を抑えていた信長と、関東管領の長尾上杉と、では、
比較対象が、とも思いますし、勝頼のは、京都を信長が抑えていた事で、
官位をいただけなかった、という話ですしね。
>>483
>>479にも書きましたように、
義信の義の字も室町将軍家の義の字で、
この義の字を拝領した大名が多くない事や、
義信にたいして将軍家が3管領に準じる待遇を認めてますので、
ここまでの待遇を室町将軍家が、武田家に認めたのですし、
そこそこ甲斐武田家の事を認めてはいたのではないのでしょうかね。 >>484
西国に属した若狭武田氏とか、
安芸武田氏と違って、
甲斐武田氏は東国に属してますしね。
>>487
そんな事はまずないと思うのですけどね。
公家がきたかどうかで、そんなに経済がどうとかにはなっていかないと思いますしね。
>>479にも書きましたように、
信玄も勝頼に一字拝領と官位叙任を義昭に求めた時とかに、
献金とかをしていたと思いますし、
義信の義の字も室町将軍家の義の字で、この義の字を拝領した大名が多くない事や、
義信にたいして将軍家が3管領に準じる待遇を認めてますので、
ここまでの待遇を室町将軍家が、武田家に認めたのですし、
信玄が相応の働きかけなどを室町将軍に行ったようにも思えますしね。
この事については、いかがなものなのでしょうかね。 >>489
また必死に武田叩きに躍起になっておいでのようですけど、
>信玄も存在はしていたんだろうが誰もあったことないし
武田領国の多くの人々とかにあってますし、
貴方はなにを書いていたのかと思うのですがね。
>権力者に会ったことないってのは寂しい人生だな
当時は多くの戦国武将がそんな感じだと思うのですけどね。
>損得にかかわらず一度は京に行っとかなあかん
行ってない戦国武将は多いと思うのですけどね。
>信玄の人生なんて所詮は井の中の蛙そのもの
東国世界においては、多くの領国を移動して、多くの戦略的・歴史的な影響のあった事をしていますので、
普通に当時の戦国時代でも有数の戦国武将だと思うのですけどね。
>何の為に生まれて来たのか理解できんわ
ですので、東国世界においては、多くの領国を移動して、多くの戦略的・歴史的な影響のあった事をしていますので、
普通に当時の戦国時代でも有数の戦国武将だと思うのですけどね。
しかも、その武田の軍役制度とか、領国政治とか、度量衡統一とか、後の世において多くの人が影響を受けましたので、
後の世においての影響は多い戦国武将だと思うのですけどね。
>この世は容姿が目立ってなんぼやろ
完全に貴方の主観なのではないのでしょうかね。
そもそも、容姿がどうとかいっても、京都に何度も行った信長も、
その容姿がどうだったか、という記述とかはそんなにないですしね。
宣教師とかは記述してますけど、外国の国に対しての報告書であって、
日本の人には、信長がどんな容姿だったか、はよく知ってない人が多かったように思うのですけどね。 >>492
???
こいつ何言ってるんだ?
武田信玄こそ容姿不明だろ。
肖像画でも、長年武田信玄だー、なんて言われてたのが、実は「あれは畠山義続でした」なんて言い出す始末だし。
信長の容姿は公家の日記、信長公記、外国人の記録と幾らでもあるがな。 ひたすら武田擁護、ひたすら信玄擁護する方がいるのねw
どう考えたって擁護出来ない事柄もあるのに、批判が一切なしってのはおかしいのでは、、、
信玄だけみてもいつまでも謙信と戦い続けてるバカに違いないし
謙信や将軍や信長との約束も守らないし
武田に利用価値はあれど信用性は薄々だな いえ、信玄は擁護しますが勝頼は叩きまくってます
何故なら勝頼はノンケだったからです >>493
そんな事はないと思うのですが。
>>494
他の人も書いてますけど、普通に弟が書いた肖像画とかが存在をしていて、
若い時の信玄を書いた事がほぼ確定的、という肖像画は、
普通に存在をしていますしね。
宣教師は信長の容姿について、色々と詳しく書いてますけど、
信長公記とか、公家の記録って、信長の容姿について述べた記述は、
そんなにないと思うのですが、そのように貴方が書く場合は、
具体的なお答えの方などをお願いいたしたいと思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。 >>498
その肖像画とは違う、若い時の信玄を書いた肖像画が、
普通に高野山に存在していますよ。
>>496
>どう考えたって擁護出来ない事柄もあるのに、
その事が、史実と違うように思えますので、反論とかをしていく人がいて、
という感じのように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。
>信玄だけみてもいつまでも謙信と戦い続けてるバカに違いないし
第一次関東遠征以降の長尾上杉は、
越後一国に、上野一国と武蔵北部も領土として制圧し、
関東諸侯も従えた強力な勢力であって、武田としては、北条と連携をして、
その領土を制圧していかないと、武田が滅亡しかねない相手だったのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。
>謙信や将軍や信長との約束も守らないし
長尾上杉も、
将軍家の仲介によって、信玄と甲越和与をした後で、
北条と交渉をして、北条と同盟をしてますし、
信長も武田と織田の両属だった、岩村遠山を、軍勢で制圧してますし、
という感じで、
信用性がどうとかいう感じの関係ではないように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。 >>497
またいつものように捏造ですかあ?
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、 貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も5chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。
で、またいつものように、 変な認定とかをしようとしておいでのようですけど、
いままで、貴方こと必死な織田ファンさんは、そのように相手側の事を、
変な認定とかをしようとして、その事の論拠とかを相手側が求めても、
答えていない事例が多いように思うのですが、
そういった事などについての、お答えの方などをお願いいたしますかね。 朝廷の覚え悪すぎだし
武田は存在感が薄かったのでは
西上作戦もあらゆるものを利用して領地拡大したかっただけだから
そこまで大したことはないな、信玄って
戦国時代、一番過大評価されてそう
信玄堤なんか意味ないし
戦争しか秀でたものがなかった >>502
>朝廷の覚え悪すぎだし
そんな事はないような。
>武田は存在感が薄かったのでは
京都周辺とかでも、
武田の事について述べた記述や逸話は普通にいくつもあったので、
そんな事はないと思うのですが。
>西上作戦もあらゆるものを利用して
武田も武田の諸事情によって、織田徳川と戦っていく必要があった、という感じですしね。
そもそも、領土とか勢力の向上を行っていく、というのは、
織田をはじめとして、他の多くの戦国武将もしていた事なのでは。
信玄は、戦国時代においてもよい評価が多くて、
普通に戦国時代の英雄的な武将だったと思いますし、
信玄堤とか、領国内の政治とかも、多くの事績が存在していて、
相応に評価を受けてきたように思うのですけどね。
この事については、いかがなものなのでしょうかね。 信玄の良い評価、って強いとか敵に回すと怖いとか能力的な意味だろうか
少なくとも人間性に褒められるところはないと思うが >>504
当時は強い事はよい事でもあって、人格的評価、は戦国時代において、
そんなに称賛を受けた武将は多くないような。
朝倉宗滴などが、人使いのよい武将、の一人として、
信玄(当時は晴信でしたけど、)の名前をあげた事や、
本能寺前の畿内の逸話では、10年程前に一人の男の夢に、
神がでてきて、織田信長、武田信玄、朝倉義景、が
天下を支配していく者の候補だ、と述べた逸話や、
ルイス・フロイスの報告書でも、信玄は優秀な戦国武将として、
記述をしてますね。 それ自分に都合のいいように動いてくれる奴、って意味か
信長が利害の相反する奴に「信を守らぬ」って評を下されたのと同じで完全な主観だな >>506
?なんでそんな評価になっていくのでしょうかね。
>朝倉宗滴などが、人使いのよい武将、の一人として、
この事は、普通に家臣達を巧みに活用していく優秀な武将、
という意味なのですが。
>信長が利害の相反する奴に「信を守らぬ」って評を
実際に、信長は普通に史実でも、騙しうちとか、謀殺とか、和睦詐欺とか、
の事例が結構多いようにも思えますしね。 まあ、この時間帯は、撤収の方をさせていただきますかね。 >まあ、この時間帯は、撤収の方をさせていただきますかね。
てめえが撤収するかどうかなんて誰も聞いてないし興味もないよ。
むしろこんなこといちいち言うあたり、お子ちゃまだねえ。 信玄の騙し討ち→諏訪氏、高遠氏。
和睦詐欺→長尾上杉氏、徳川氏、織田氏。
同盟破棄→今川氏、後北条氏、徳川氏、織田氏。
謀殺→仁科氏など多数。
ルイス・フロイスの報告書
「信玄は法体となり、日に3度偶像をまつる。信玄の信仰は近隣諸国を奪うためのものである。信玄はその大いなる武力をもって近隣や家臣に畏怖されている。なぜかといえば、信玄は失策をわずかでもした者をすぐ殺すからである」
これの何処が褒めてるんだ。 風呂椅子は異教徒にことのほか厳しいお方だからその評価は公平ではないかな フロイスの記録はバチカンやイベリア王室への報告書だろうから
評価にベクトルがつくのは分かる
だから他の記録と照らし合わせて精査する必要がある訳だ
で、信長や北条から信玄は酷評を受けている
弁解の余地はありませんな >>507
宗滴爺さんは信長も高く評価しているがな。
むしろあの時期の信長を見抜いてることが凄いわな。 >>512
その理屈でいいますと、信長も、複数の戦国武将達に、
「信を守らぬ男」的に評価を受けてますので、
貴方的な理窟では、確定、という事になっていくのではないのでしょうかね。
>>510
諏訪は、もともと諏訪側の盟約違反が戦争の理由でしたし、
高遠も、諏訪領土においての、争いが理由ですしね。
長尾上杉も、武田と甲越和与をしたあとで、
多くの利益を提示した北条と同盟をしてますよ。
(あんま武田と戦いませんでしたけどね。)
織田徳川については、
わせなりしたら良かったんだよ。
まじめに書いてます?そもそも、徳川が長尾上杉と同盟をして、
その同盟に織田を参戦させて、武田を包囲しようとした事を、
武田が織田に抗議をしても、織田が放置をしていて、
今度はまた、武田と織田の両属だった岩村遠山を、軍勢で制圧し、
抵抗した岩村衆を粛清までしたので、包囲網勢力と同盟をして、
織田徳川と敵対をしていった、という経緯ですしね。
同盟云々に関しては、何度も書いてきましたように、
武田はあとあとまで今川との同盟に固執をしていましたけど、
今川が長尾上杉と同盟をした事で、敵対をしていく事になってますし、
北条については、駿河攻略戦争の時に、
そのまま同盟をしていく事を求めた武田側にたいして、
敵対をしていく事にしたのは、北条ですしね。
織田徳川については、上に書いたような経緯ですしね。
粛清や謀殺については、
信長が信玄と比してもずっと多いように思うのですけどね。
フロイスについては、信玄を警戒すべき英雄として、
報告書にも書いてますので、
信玄が能力的に優秀な戦国武将だった、という事は、
フロイスも認めていたように思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。 >>513
そうですね。
で、信玄も宗滴によい評価を受けてますので、
能力的に優秀な戦国武将、という感じでよいのではないのでしょうか、
と思うのですが、
この事については、いかがなものなのでしょうかね。
>>514
ちょっと書きこみや反論の量が少ないですので、
その事についての、挨拶をしてまわっていたような感じですかね。 菅沼、早よ定職見つけろよ。
50も超えて情けないぞ。 >>516
ちょっと書きこみや反論の量が少ないですので、
その事についての、
挨拶をしてまわっていたような感じですかね。
いまは私はリアルが忙しいので、他の事についての、反論などは、
あとにさせていただきたいと思いますかね。 >>518
またいつものように捏造ですかあ? 少なくとも、私は菅沼なんとかという名前ではないですし、
また勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、
貴方がIDを変えて多数派装いをしてます事とかが 普通に残ってますのに、
貴方自身が一度も答えていく事ができない菅沼なんとか認定の設定矛盾とかにも答えずに、
変な認定とかをしつつ、必死に多数派装いをしようとしてますのでしょうかね、必死な織田ファンさん。
貴方は勝頼スレパート18(セカンド)>834のような感じで、貴方的な定義によって、
8〜10時間も5chで書き込みをしていた、という事になっていって
貴方的な定義によって、貴方はネットで書き込みをしていくのが生きがい、 という事になってしまうのではないか、とも思ってもしまうのですが、どうなのでしょうかね。
その菅沼なんとかという認定は、 何度も書いていますように、
勝頼スレパート18(ファースト)で私が書き込みをしていく前にも、
多くの人が認定を受けていて、 私が書き込みして以降も、多くの人が認定を受けていて、
という感じで、もう同じ人扱いとか不可能だと思うのですが、
この事につきましてのお答えの方などをお願いいたしますかね。 いまは私はリアルが忙しいので、他の事についての、反論などは、
あとにさせていただきたいと思いますかね。 信玄は実父をツイホウし・・・更に頼重コロシといて平然とその娘との間に問題児を・・・邪魔になった寅王丸をもコロシ・・・トドメは嫡子義信コロシて家督を問題児に・・・
信玄は信用できない戦国一の梟雄だろ 何というか、信玄に纏わる史実は常に信玄正当に書き換えられてるな 定盈は家康に義理通したってのに、同じ菅沼でも大した違いだな 武田信玄に信州を追われた小笠原長時。後に息子が徳川家康に拾われて家名を保ち
幕末には小笠原壱岐守は幕府老中として長州征伐を主導し安芸武田の庶流である高杉晋作に大敗し大政奉還に至る
小笠原壱岐守の息子長生は東郷平八郎の秘書をつとめ
東郷平八郎の威光を笠に着て帝国海軍艦隊派の中心人物の1人として開戦への道を突き進んだ
武田信玄が小笠原氏を根絶やしにしていれば日本は・・・ さすが部下の嫁に手を出して惨殺とゆー
命張ったネタ提供をしてくれる小笠原さんの子孫やでぇ 武田信玄は悪?
言われてるほど憎まれていない気がする。 信玄はなぁ。裏切りまくってそれがモロ裏目引いたのが痛い 天嶮の要害 岩殿城の防御をば、徹底的に固めれば、1度や2度は、織田の大軍をば、撃退した可能性も、ありうる そういう段階はとっくに終わっていたんじゃないの?
しかも険阻な山城だから兵糧攻めは容易いね そもそも兵がついて来ないやろ
上級武士は多く勝頼に殉じたけど
雑兵は我先に逃げ出してるし 武田は勝頼の代で資源が絶望的な感じになっとる。
玉薬が手に入らなくなって鉄砲が使えなくなってきてる。
長篠の合戦でもかなりの鉄砲を用意してたけど(1500丁くらい)早々に全弾撃ち尽くして突撃したんじゃないかと言われてる。
対して織田は主要な経済都市を押さえてそこから玉薬を集めている。当然同盟国の徳川にも玉薬は渡されてる。そいつらが一斉にかかってくるんだぜ。
武田は鉄砲をよく研究していたけど、火薬が無けりゃ無用の長物。どうしようもないわな。 そら老害信玄が織田に喧嘩売ったから経済封鎖されて困窮するのは当然ですがな
勝頼は頭丸めて手打ちされる覚悟で岐阜に詫びに行くしか無かった 信長の怒りが凄まじいから正直土下座してなんとかなるとは…
武田の場合、一応駿河を取っていたとはいえ紛争状態で旨みはあんまり無いし
同盟国(北条or上杉)も戦争状態で物資支援の余裕無し。
鉄砲が使えないのでじわじわと押されていき最期は… >>543
5ケ国の大守がそう簡単に頭下げれんだろ
武田滅亡の元凶は木曽義昌
こいつが全て悪い 境目の領主はあんだけ力の差があったら
当然鞍替えするだろう >>543
長篠の合戦のあと、信長は勝頼に上杉攻めで同盟しようと持ちかけたらしい。
諸説あるけどここら辺が信長の嫌らしいところだと思う。
旧臣を多数喪った直後に織田と同盟なんか出来るはずもないし、仮に恩讐を越え同盟しても対等同盟にはならない。
織田の旗本扱いされるのは目に見えてる。
で、ここで武田に断らせておけば後々武田が同盟や和睦を申し込んできても「あの時断っておいて今更?」と黙殺出来る。 それでも勝頼は飲むしか道は無かったんだよ
例え武田を追い出されようとノブの草履取りに落ちぶれようと
基本軍人としては優秀だから挽回の機会はあったと思うし 勝頼本人が「滅ぼされても降伏はしない」て言ってたし無理じゃね まぁそこが勝頼の限界だったのかもね。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、俺の才覚ならまた武田家を再興出来る。
そう思って未来に生きる事ができんかった。
信長と講和するって言って反対派に武田をくれてやって信長のヘイトを向かわせて…とかもできた
かもしれない(希望的観測)し 辞世の句でこの期に及んでもまだ俺は上洛の夢を捨てきれないって自嘲してる性格だしな勝頼は >>548
またお前か!
とにかくノブって言うな、信長って言えやハゲ!なんか気持ち悪いんだよ! 武田が生き残るには何処かの港町を制圧しなけりゃならん
これはわかる
問題はなんで今川を裏切って結果北条と戦争になると分かっているのに更に徳川とも紛争起こして敵を増やしてんのよ… 寄生虫が頭に回っておかしくなったのか
勝頼も事情を説明して土下座すればノブも許しただろうに・・・ >>547
それ軍艦にはあるけど信長公記には無いデマ
武田の方から和睦してと必死なのなら信長公記にある
相手にされなかったけど。 >>564
「映画 信虎」
若き日の信虎役の俳優もいたので、どこからやるかだけど、
武田3代といえば信虎からなので、できれば信虎時代から見たいよな。
武田としては信虎死後もう一山あるけど。
甲府の人、教えて。 関東管領に付き滅亡しかけて
幕府から再興が許されたが今度は内部統制に苦しむ
そして信虎晴信勝頼を迎える REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 >>561
公記も作成経緯からして万全な史料じゃないし
牛一は信長の右筆でもなければ常に城にいた
わけでもない立場
だから公記にないからデマとか決めつけない方が
いいんでないかと 信玄死んで浅井朝倉願証寺片付いて余力できた織田が武田と和睦するメリットなんか無い
むしろ徳川からどういうことだとせっつかれてめんどくさいことになるだけ
武田の創作てんこもり軍記にこんなことあったらいいなを実際にあったことにするのは間違い
たとえば勝頼が必死に許しを請う和睦の使者は柴田勝家が旧領回復にやっきで信長のもとで協力してた小笠原貞慶にあてた書状が残っており確認できるが
信長から勝頼に和睦申し込んだなんて創作てんこもりの軍艦にしか存在しない
この時代、寺や公家や武将や同盟国の記録にもなんかしら残るのに一切存在しないので創作なのは明らか 勝頼が信長に必死に許しを乞うのは勝頼と佐竹が友好関係にあり佐竹の仲介の書状も残っておりやはり確認できる
勝頼が信長に許しを乞うのに必死なのを上杉が知りどういうことだと最初詰問し和睦なったら上杉も仲介しての上杉とのやりとりも残っておりこちらでも確認できる
信長が勝頼に和睦を乞うのは一切ないおかしいよね
信長の友好国、武将、商人、公家大勢生き残ってるのに一切ない そんな顔真っ赤にしなくてもwww
それにしても織田と武田の和睦の話になると
なぜこうも必死に全否定するのがいるんだろうな
メリットの有無とかなんて信長の判断なんだから
本人にしかわからんだろうし平山の解釈が必ずしも
正しいわけでもなかろうに 真っ赤なのはそっち
和睦同盟申し込んだ方に一切記録がないものをあったとか自分で言ってて馬鹿だなと思わないの? あったなんてどこに書いてるの?
そういう返しだから真っ赤だというんだよ へぇんじゃ信長側から勝頼に和睦もしくは同盟申し込んだのは無しってことでいいんだな
当たり前のことで無駄レスさせんじゃないよ低能 信長が和睦を持ち掛けたのはあり得ると思う
武田は晩期、唐突に織田と和睦結べると思った訳でその理由を説明は出来るから。あの時和睦持ち掛けてきたし「話せる」と思ったのかもしれない
ただ信長は一貫して武田撃滅を叫んでるからあったとしても高度な情報作戦の一貫に過ぎなかったワケでマジで困って和睦持ち掛けたって事は皆無だろうが あとは老人雑話にある記録をどう捉えるかだな
公家たちが話していたこととはいえ信長が苦しんで
いて愉快愉快とあるから丸っきし嘘と断言するのは
厳しい感じがあるし苦しむ理由が具体的すぎる
仮にこの話が真実に近いならこの時の武田の対応が
信長を武田絶許に傾けたのかもね 信忠と松姫の再婚話持ち出しだっけ
勝頼がになっている時だからタイミング
悪いというかなんというか… >>578
史板で信虎の血統基準で信忠と松姫の考察が
あって読んでいて面白かったんだが清華家や
大臣家と血縁関係があるのに勝頼はなぜそっちを
活かすようにしなかったんだろうな
老人雑話は特性上から清華家や大臣家もその話は
知っていた可能性が高いし信長を公家界隈に
引きずり戻したかっただろうからむしろ何かしら
助けてくれたかもしれないというのに… >>582
後年景勝夫妻を晴豊夫妻は何かと気にかけて
世話したりで懇意になって四辻につながっていく
のは皮肉な話だよな…
そうなる背景に今出川や三条の影ありなんだからさ >>582
朝廷としては本願寺や武田との和睦をほぼ同時に
やりたかったらしいけど理由不明ながら勝頼は
義昭に傾いていて対応をミスし東夷認定の遠因に
なったみたいなのはなんかで読んだな
ちなみに佐竹仲介とはまた別とあった 確か四辻がそのあたりで甲斐に下向してたり
快川を始め臨済上位が京と在地を頻繁に行き来
していたらしいけど関係あるんかな? >>582
甲府にいなかったのが仇になったのだろう
あれだけ公家をはじめ京都の連中が甲斐に来て
いるのだから甲府にいればパイプ作れただろうに やるとしたら大日本帝国も夢見た「一撃で大戦果挙げて即座に和睦してちょっと利益を得る」戦争戦略しかなさそう >>582 >>586
そもそも勝頼は兄の義信と違って、母親は公家じゃ無いから
公家があまり好きじゃ無かったんだろう。
だから公家との関係構築にもあまり乗り気じゃ無かったんだろう。
義信が武田を継いでたら三条家の血筋を活かして確実に関係構築出来たんだけどな。 義信が継いでいれば求心力のために長篠のような無茶な決戦を挑む必要がなかったし、
京都の人脈を使って織田との交渉も斡旋してもらえただろうし、朝廷と交渉して朝敵にされるのも避けられただろう。
織田に勝てないまでも史実のように最悪の結末は避けられた可能性が高いね。勝頼は無冠だが義信は准三管領。
義信のクーデターが露見した時に穏便に信玄が隠居して義信に継がせると言う様に出来なかったのだろうか。 織田と上杉が同盟を結ぶことになるし武田は少なくとも停滞するわな
織田の美濃侵攻も遅れるけど東三河失陥はもう避けられないだろうし
喜ぶのは今川と斎藤くらいか? >>589
無冠といえば信長は信勝には任官の動きを
見せていたらしい
やはり孫には甘かったのかな 本当だとしたら武田をだまくらかす為じゃないの
信勝に家督を譲れば武田と和睦することも有り得るって受け止めるでしょ武田は 和睦について武田はどんな条件を出したんだろうな
そもそも出せなかったかもしれないが 普通に考えれば信勝に家督を譲って信濃での大幅な領土割譲くらいじゃないか
武田は織田との和睦に相当自信あったみたいだし
まぁそれこそ信長の戦略だったんだが まあそれくらいなんだろうな
それだと信長に和睦したほうが得だと思わせられなかった訳だが ・勝頼隠居
・信勝に信長の息女を娶わせる
・信濃駿河は信長に献上して甲斐一国の安堵を願い出る >>594
売買されていることもあったとはいえ任官系を
そんな理由で勝手にやったら織田の信用が落ちる
元々持っていた人間が売るのと持っていない人間に
任官させるのでは意味が全く違うから
まして清華家や大臣家と縁続きで菊紋の輿の使用を
認めた前例のある家相手なんだから騙し上等で
やったら天皇(正親町)や先帝(後奈良)の顔に泥を塗ることにもなりかねんよ 平山を責める訳じゃないがなんでも騙すためとかに
結びつけたがるのはいただけないよな
勝頼を評価したいのかアホ認定にお墨付きを与え
たいのかわからん時がある 実際信長は何があっても武田は潰す気だったし
騙そうが何しようが打つ手は全て打ったでしょう
信玄にやられたことの意趣返しでもある >>602
自分の信用を失いかねないことまでするかね?
勝頼だってそこまでアホかね? 力こそ正義の時勢でも何やっても許される訳じゃない
あんまりえぐい事をすれば信用信頼を失い力を失った瞬間に袋叩きにされる
信用できないヤツを生かしておける余裕など無い時代だ
背中を刺しかねないヤツは始末しとかないと自分がヤバイ まあ磯田だっけか言ってたが織田と武田って結局
徳川という厄介なのが近くにいた不幸もあると… 信長が勝頼を騙したってのは信長の武名が上がる事で下がる事は絶対に無い。何故なら当時織田と武田は敵同士。これが同盟関係にあったというなら信長の利己的な人格が露呈したと言えるだろうが敵対関係にあるんだから騙された方が悪い
勝頼は信長に調略で負けた愚か者の烙印が押され
信長は勝頼を掌の上で踊らせた智慧者と呼ばれる
実際織田が攻めてきた途端に武田が瓦解したのも「勝頼は騙された、信長より知能で劣ってる」と言う認識が広まったからこそだろう。敵を信じるほど愚かなことは無い 常山紀談によれば
杖で2回ツンツンしたあと思いっきりシュートしたんだっけ? >>608
家臣を信じて殺されるのはもっと愚かだよね 信玄は過大評価、勝頼は過小評価されがちだと思う
過大評価といっても信玄が戦国屈指の名将・謀将である事は疑いの余地はないし
戦国大名としても優秀なのは間違いない
ただ「戦国最強」とか「もう少し寿命が長ければ天下取れてた」ってのが過大評価ってだけ 信玄は基本的に勝てる相手に勝てる状況を作ってからしか戦わなかった
信濃に割拠する大名達を各個撃破して領国拡張していったが
信濃の大名達を結束させず各個撃破できたのは、信玄がそういう状況を作って
いったからなのだろう
一方で北信濃では自軍の半分以下の動員力しかない村上氏に2度に渡って苦戦し
濃霧の中予期せぬ遭遇戦となった第4回川中島では兵数に劣る上杉軍相手に弟信繁や
多くの武将を失った
兵数で上回っている状況であっても、自分の術中に嵌められ無かった形での
戦いでは苦戦を免れなかった
だから決して戦国最強ではないと思う
ただ殆どの場合において、勝てる相手に勝てる状況を作ってから戦かっている
のだから、兵法の常道を貫いている名将である事は間違いない 戦国大名としても優秀だったが、旧来の戦国大名から抜け出すものではなかった
小領主の連合体、既得権積層の上に成り立つ形態であったが故に本拠を前線近くに
動かす事ができなかった
甲斐からでは北に向かうにしても西に向かうにしてもあまりにも遠い
兵士達が半農である事もあって長期の長征は不可能だったろう >>614
仲間を信じるのは社会として当たり前だしそれが裏切られたならそれも仕方のないこと
敵を信じるのはバカ 本拠地移動しとけはまぁ正しいんだけど根本的な問題は信玄の場当たり的戦略にある。北と南に敵を作ったら余程外交努力重ねないと攻勢限界を迎えたらそのまま反撃されて死ぬのは古今東西変わらん 武田家は早い段階で長尾と組んで南関東を荒らすのが正解だった
北条領もらえるなら北信など要らん >>622
関東なんて鎌倉以来の国衆豪族がうようよいてそう簡単に攻略できないよ
信濃は山がちで各個撃破できたけど関東は川と湿地に遮られてるなかあっちこっち裏切る
さらに衰えたとはいえ古河公方や小弓公方(の子孫)なんて厄介なのもいるし
北条も百年で佐竹や里見を滅ぼせなかったし
結局豊臣の動員力と徳川の軍事力でしか完全制覇はできなかった >>623
いや、狙うは南関東の北条領だけ
北信や北関東、その他の豪族は関東管領様のご差配に任せます
勢いに乗っていた時期の謙信とWin-Win関係を構築して北と東を磐石にするのが目標 謙信としっかり和睦して政略結婚して、なら分かるんだけどそれせんうちに北条や徳川、織田と敵対するとか死んだ義信が浮かばれん 小田原城攻めてる間に今川に手薄になった甲斐を狙われそう 甲斐一国統一状態からスタートってのも信玄にとってはたして良かったどうか・・・
信濃攻略を考えれば勿論良かったんだろうけど、重臣達に担がれる形で
家督を襲ったから君主としての権限は強くないし、甲斐の支配構造には
手を付けられず、蔵入り地も多くないしで旧来の戦国大名から脱却する
事を阻む足かせとなった
信長は支配地域は尾張の4/1程度、一族ほぼ全て敵というハードモードからの
スタートだったが、所領を安堵して味方に組み込むんじゃなくて
今川氏、斉藤氏の対応に苦しみながらも滅ぼしていってるから、尾張の旧支配層も一掃できて
実入りも大きいし、君主権限の強化もできてるんだよね
ただ、尾張統一に実に14年の歳月を費やした
どっちがよかったんだろうねえ
まあ統一状態からスタートとはいえ貧しい甲斐じゃなあという気もするが 信虎が一族や国人片付けて、国内に棟別銭かけられるようにしたから
支配構造でも普通に信玄の方が有利だったと思うぞ 信玄と信長で唯一共通してるのは親父が優秀だったって事なんだよな
信長の経済感覚や、本拠を必要に応じて移す所は完全に信秀譲りだし
信虎も甲斐を統一したんだから相当なもの
妊婦の腹をかっさいばいたとかいうのは、信虎追放を正当化する為の
典型的な創作だろう
中層集権化しようとして家臣に嫌われ追放されたんだろうな
厳しい軍役なんてのは信玄の代になっても続いてるし
メインの理由ではないんだろう 信虎は家臣から人質取って城下に住まわせるとかも必要なことだけど絶対に家臣に嫌われるな。 信玄は信虎追放に至った原因を知ってるから、そりゃあ合議制を取るよな
信虎追放で担がれた側だから中央集権なんてやろうとは思わなかった
ある意味賢い
だが勝頼はなあ・・・
「信」の名乗りも許されず、正式な跡継ぎともされない繋ぎの立場
合議制のままでは飾りの神輿にしかならんわな
それに甘んじていれば多少長生きはできたかもしれないが、信玄が
織田を敵に回した状態で死んでしまったあの状況ではな・・・
いずれにしても織田に滅ぼされるしかなかったろう
仮に穴山あたりが継いだ所で家中を統率できたとも思えないし
まさしく貧乏くじだな 実際は正統な跡継ぎだろうけどな
結果は変わらないが 勝頼の代には金山の産出量が激減しつつあって、織田との経済格差は
開く一方だったから、長篠がなくてもジリ貧だった
景虎助けて北条との関係が続いてたとしても、北関東諸将の対応や
雪を理由に景虎支援を武田に丸投げした氏政が、織田と全面対決して
まで武田を助けるとは思えない
結局勝頼が生き残るには織田に降るしかないが、甲斐一国安堵されれば
いい方だろう
それを重臣連中が認めるとは思えないから、生き残るには全てを捨てて
出奔するしかないんだろうな
一番いいのは息子と松姫連れて信忠の所に駆け込む事かな