織田信長の人物像・人間像について考える
織田信長像というものは、明治以後も現代に至るまで、例えば神国である日本における、桶狭間の戦いのような奇跡的な勝利を挙げる軍人のモチーフとして現れたり、慣例にとらわれずに合理的な手段で改革を進める型破りな組織のリーダーや経営者の姿として、
時に応じて、断続的なものではないものの、断片的に日本人の精神の中にその姿を見せる存在となっています。
織田信長の人物像・人間像すなわち織田信長像についてみなさんで考えていきましょう。 >>353,354
>端的に言うなら、今川義元本陣勢の一つの仮定の構成としては、
>1.最前列 本陣勢所属の家Aの軍勢
>2.第二陣 本陣勢所属の家Bの軍勢
>3.第三陣 今川義元旗本勢
>というような感じであって、織田側の偵察要員が桶狭間山の今川勢を確認して、
>ぱっと見で確認できるのは、最前列の軍勢やその旗だけに思え、
>それよりずっと後方にいたと思われる、義元旗本勢の旗まで一気に確認するのは、
>厳しかったように思うけど、どうなの。
どうなのって言われても全部君の想像だからなあ。
ここまで史料に基づかない妄想について、どうなのっていわれても
「何を言ってるんだ、こいつは」とかしか思えませんが。
>>336の推論とやらについても同じ。
>正直、君って今すごく特徴的に思えるんだけど、
いや、君の方が特徴的やろ。。
全てにおいて何を言ってるんだと思ってます。 >>351
なんでせっかくとった砦を捨てて大高城に撤退するんだよ
だから正面攻撃説の君は馬鹿にされんだよ
一々アホな意見をどうでもいい長文で書きまくるからな >>356
そんな事書いたって、>>356にあるのは常識的な配置だと思うし、
信長公記を基にしても、桶狭間山の決戦において、まず信長は豪雨の影響もあって、今川義元本陣勢の前衛を攻撃して撃破して、
敗走する今川勢の中に義元旗本衆300人程を発見して、これに攻撃を集中してるように思う。
なので、少なくとも、義元本陣勢の最前列に義元旗本衆はいなかったように思われるのに、
なんで君はそんな事を書くのかな、と思う。
そもそも、僕の書き込みについて、そこまで書くのなら、君こそ、義元旗本衆が最前列にいたという事を、
資料に基づいて論証をした方がいいように思うんだけど、どうなの。
正直、もう君は、色々と無理があるように思うんだけど、そんな事を書かれても、としか。 >>359
の
>>>356に
は
>>353に、
に訂正をしておくね。まあ、上記356の人が僕の書き込みを大幅に引用してるように思うので、
そこに僕の書き込みがあると思えば、違ってもいないと思うけど、一応訂正はしておく事にするかな。
>>336の推論についても、僕は一応信長公記を基にして考慮をしてるので、
君がそう思うなら、君も資料などを基にして論旨で説明をしてみた方がいいと思うんだけど、どうなの。 >>357
だからさあ、君がそんな事書いたって、>>351にも似た事書いたように、
信長公記でも、三河物語でも、松平勢が織田側の砦を攻略した後で、大高城に移動してるのは、
共通してるように思う。
なのに、君がそんな事を書くって事は、君は信長公記も三河物語も参考にしないで、この桶狭間の戦いを語ろうとしてるように思うけど、
何の資料を論拠にして、そんな事を書いているのか、答えて欲しいと思うかな。
もともと、この桶狭間に至る戦いは、織田側が今川側の城である、大高城などを織田側の砦で封鎖した事で起きたように思うから、
今川側としては、織田側の砦を攻略して破壊したなら、必要がなければ維持しておく事もないように思うけど。 >>358
またその菅沼認定やってんの?と思うけど、
>>352にあるような感じで、ワッチョイスレでは、菅沼認定厨さんと思しき人が
特徴の違うように思われる幾人もの人々を菅沼認定し、
その矛盾についての説明を、菅沼認定厨さんと思しき人はろくにできてなかったように思うのに、
そんな事書かれても、って感じかな。
むしろ、同じく>>352に似たような事書かれてると思うけど、菅沼認定厨さんと思しき人の方が
IDコロコロや他人を装いをしている可能性が高いと思われる事を、指摘されていたように思うけど、
それでなお、菅沼認定に執着するのはどうかと思う。 >>355
知らんよ
この一連の流れも俺と他の人を
混同して返してるじゃん
あんたが自覚してないだけで相手は俺じゃないのまで俺のせいにしてる
そんなんばっかだぞ >>363
そんな事ないと思うけどなあ。そんな事を言うなら、君の書き込みはこれまでで、
僕が提示したのと何が違うのか、君の書き込みは何なのか、というのを、
提示してもらえると嬉しいかな、と思う。
まあ、僕も議論が主体なので、君が普通に議論をするなら、
そこまで追求しなくてもいいかとも思うので、君が嫌ならやらんでもいいとは思うけどね。 >>363
ついでに、>>354の僕の書き込みについては、ご同意いただけた、っていう事でいいのかな。 >>365
信長公記にどう書いてあるかについてなら
俺はそもそも異議を挟んでない
その内容が妥当で装飾を含んだものであるかどうか
という意味では多分にそうであると判断する
という話だけを繰り返している >>366
それについては、>>354にも似た事書いたように、信長公記の、桶狭間山にいる今川の軍勢を信長が
今川前衛と判断した事については、信長公記を基にするなら、いわば(結果として)信長の盛大な勘違いであったわけで、
それを糊塗しないで書いている事からも、そこに虚飾はないように思うけど。
これまた上記354に似た事書いたように、信長が、信長公記において、桶狭間山にいる今川勢を、
今川前衛と判断した事については、当時の情報収集方法の限界と、それで得られた情報を基に、
>>344に書かれてるような感じの、常識的な推論を基にした結果だと思われるから、
そんなに無理がないように思うけど、どうなの。 >>367
すまん何が言いたいのかわからんわ
「それについて」てどれについて?
「どうなの」って何が?
あんたが信長公記の小説的な記述を
全て信じ込みたいという気持ちなら
普通に伝わってるぞ
でも小説的な記述だなという印象は
何一つ変わらない
その中で信長が勘違いをしてるから真実だとか
乱暴な推論をしてるのを常識だとか言われても・・・
としか思わん >>368
そんなに難しい事書いてないと思うんだけど。
>どれについて?
これについては、君が>>366において、
>装飾を含んだものであるかどうか
と書いていると思われる事についてだよ。
君が信長公記においての、桶狭間の記述について、そのように思うとしても、
>>367に似た事書いたように、
信長公記において、信長が桶狭間山にいる今川本陣勢を、今川勢前衛と誤認している事については、
いわば主人公である信長が、明確に敵情判断を違えている、っていう事で、
飾って書くような事じゃないと思うんだけど。
もし仮に君の言うような、
>小説的な記述
とやらである場合、それこそ信長が明察な知性でもって敵情を完全に把握し、
桶狭間山にいる今川勢を今川本陣勢であると確信して、味方にそれを演説し、
義元を倒すように号令し、織田勢がそれに応じて奮戦する、という話にした方がいいと思うけど、
君はこれについてどう思うのかな。
信長公記は、一応織田家臣の太田が元主君である信長についてまとめた書物に思う。
なので、正直な話、仮に元主君を創作的に持ち上げるつもりで、元家臣が過去の戦いについて描く場合、
その戦いにおいて、元主君が敵情を明確に誤認している事を描く、なんていう必要性がどこにあるのかと思うんだけど。
仮に太田が創作的にそんな事をした場合、元主君を持ち上げるどころか、元主君が敵情を誤認していた事にわざわざしてる事になると思うので、
この部分について、太田が創作をする必要性が薄いんじゃないか、という僕からすると常識的な推論なんだけど、
この事について、君はどう思うのかな。 >>369
うん俺もあなたが難しいこと言ってると思わない
単に長々と似たようなこと書いてるなと思ってるだけ
創作は別に主君を完全無欠に描くためだけにする
というものではないので内容だけで判断はできない
また首巻は牛一の直筆本がなく書き方も大きく異なり
別人が書いている可能性も否定できない
牛一の手によるとしても当時信長の
家中にいなかった牛一が聞き取りして書いてる
聞き取りして書いてるので 信長本人に取材したわけではないのだろうから
記述自体が正確でないのは仕方ないのでは?
取材対象が
義元の本陣強襲部隊の中で本陣前衛に突撃した
人だった。
信長自身は更にそこから兵を割って義元の首を獲りにいった。
本陣突入は企図。成功は運。 >>370
その割には、>>368で君は
>すまん何が言いたいのかわからんわ
と書いていて、僕の書いている事を理解しがたいように書いているように思えたから、
僕は>>369においてそのように書いた、という話なんだけど。
>単に長々と似たようなこと書いてるなと思ってるだけ
と君は書くけど、上記369にあるような論旨は、上記369からしか書いてないように思うんだけど、
これについては、君はどう思うのかな。
仮に上記368の事を君が言っているとしたら、そんなに長くないように思うんだけど、
君はこの事について、どう思うのかな。
信長公記首巻の創作性については、稲生での信長の勝利の仕方とか読むと、
やっぱり信長を英雄として、持ち上げる方向で創作してる傾向が強いように思うけど。
全体的に信長公記首巻は信長について、好意的に書いていると思えるから、
(首巻以外の信長公記も、基本的に信長に好意的に書いていると思うけど。)
いきなり桶狭間の所だけ非好意的に創作する理由がわからないと思う。
そもそもの話として、信長公記首巻だけでなく、信長公記全体を通して、
信長に非好意的に創作してると思われる所ってどこかあるのかな。
基本的に太田はそんな事をしてないように思うんだけど。どこかあったっけ?
>牛一が聞き取りして書いてる
そうであるなら、太田が取材した誰か、は自身が経験した事か、
もしくは伝えられている事を、そのまま太田に伝えた可能性が高いと思うんだけど。
常識的に考えるなら、太田が取材相手に選ぶのは、その当時において信長に仕えていた人、
もしくはその縁者だと思うので、やっぱりその人達が信長に非好意的に創作をする理由が薄いと思う。 >>371
ちょっと君はどこのレスに対して、レスをしているのか、レスアンカー付きで示してくれるとありがたいと思う。
>>179 >>180にあるような感じで、信長公記を基にするなら、信長が城から出撃した時点で、
今川義元本陣の所在を知っていた形跡はないように思うし、そもそもこの時点で義元本陣が桶狭間山にいたのかも不明に思うし、
信長自身も出撃目的として、義元本陣を狙っていた形跡がないように思うんだけど。
仮に信長が城から出撃した時点で義元本陣勢を狙っていた、という事を君が主張したい場合、
(君に限らないけど、)
上記179 上記180とか、一部上記にも似た事書いているように、
1.信長公記を基にするなら、信長は丸根、鷲津の砦が攻撃を受けた報告を受けて出撃してるように思うので、
その目的は両砦の救援の為に、今川勢前衛と戦う事だったと思え、
この時点で今川義元本陣を狙ってる形跡も、義元本陣の所在を知っている形跡もないように思われる事、
2.信長公記を基にするなら、信長が出撃した時点で、義元本陣が桶狭間山にいたかは不明確な事、
3.信長が仮に義元本陣を狙いたいと思っていても、総帥である義元が自身の安全性を優先して、大高城とかに行ってしまえば、
信長が襲撃するのはかなり厳しいと思われ、義元本陣が織田側が攻撃可能そうな位置まで来てくれる、という
義元の気分次第で、しかも可能性の低そうな事を、信長が当てにして行動するか疑問に思われる事。
といった事ついて、まずは論拠を基にして答えて欲しいと思うかな。 >>371
ついでに、仮に君が仮に丸根、鷲津の砦が攻略された後で、
信長が今川本陣勢が桶狭間山にいる事を察知した、という事を主張したい場合、
>>353 >>359にあるような理由で厳しいんじゃないかと個人的に思う。 >>374
私は歴史研究家ではないのであくまで推論ですが
信長は合戦のかなり早い段階で野戦で義元を
撃退することを想定してたと考えてるので。
義元の行軍に関してはかなり早い段階から
情報収集を開始してたはずで、それが記録にないのは
合戦に勝利するためのトップシークレットだったから。
鷲尾と丸根が攻撃されてから動いたのは
両砦が落ちることで義元が大高城に入ることが
ほぼ確定的になると考えたから。
義元が砦陥落の報を受けて大高城に向かって確実に
動き出すのを確認してから本陣を急襲するためには
時間的に中島砦に入る必要があった。
はなから鷲尾と丸根は落ちること前提で、中島砦までの
行動は後詰めとみせかけたブラフだと思ってる。
砦の救援なら信長本人が動く必要ないので。
今川の本陣を確認するのは赤鳥紋のぼりが
あるかどうか確認すればよいはずで、
一般的に言われる義元の本陣部隊が3千から5千くらいの
規模であれば、斥候の位置にもよるけどおおよその配置は
目視できる範囲内に展開していたのではと。
なので信長の攻撃は確実に義元の位置を把握した上で
正面部隊と迂回部隊の2方向から攻撃をしたのでは?
と推論してます。
信長は情報の重要性と収集を当時の戦国大名のなかでも
かなり高いレベルで理解してた人物だと思ってる。 >>375
信長が義元本陣勢の場所を前々から知っていたという記述は、少なくとも信長公記にはどこにもないと思うし、
仮に信長がそれを得ていたって、当時の情報収集手段及び、その伝達速度を考慮すれば、
信長が城にいた時に知った義元本陣勢の位置が、信長が移動した時には変わってない保証なんかどこにもないと思うし、
>>373にも似た事書いたように、
義元本陣勢が織田側が攻撃可能そうな位置にいるかどうかは、完全に義元側の判断だと思うので、
そんな事当てにして飛び出して、攻撃できそうにない位置や配置に今川本陣勢がいたら、
それこそ信長は無駄足になるだけだと思うんだけど。
そんな不確定な事を、信長がする意味がわからないと思う。
>砦の救援なら信長本人が動く必要ない
当時の織田と今川の勢力関係で言うなら、信長自身が主力を率いて動かないとどうにもならないと思うし、
ただでさえ、総合的な軍勢数的には少なくとも今川の方が優位そうなのに、
そこで軍勢を小出しにする理由の方が分からないと思う。
この状況じゃ、可能なだけ当主である信長の元に織田は軍勢をまとめて、分散した今川勢の倒せそうな敵を狙うのがセオリーに思う。
その意味で、信長公記を基にするなら、信長は自身の直接率いる軍勢で、疲弊した今川前衛を狙っているように思うので、
セオリーにのっとった行動に思う。
義元直属部隊の旗指物の確認については、>>374に提示されている、>>353 >>359にもろに
それが厳しいと思われる理由について、書いてあると思うんだけど、なんで君読まないの?
わざわざそのまんま提示してあると思うんだけど。
>2方向から
そんな記述、信長公記にも、三河物語にもないように思うけど。
信長公記でも、三河物語でも、信長が直接率いる軍勢が、義元本陣勢を攻撃して勝利したのは共通してるように思うし、
複数方面から攻撃を仕掛けたと思しき記述は特にないように思うけど。 >>376
記述がないのは
取材先の人間がそれを把握してないからでしょ?
取材されてる方も自分の体験か聞いたことしかわからない。
大名の馬印は家来も同じものが立てられるっけ?
推論を推論で否定されても埒が開かないので
私は失礼しますね。 >>372
いや悪いが難しいこと言ってなくても
全体に何言いたいかわからない書き込み多いぞ君
部分的に何を言ってるかはわかるんだが
それを俺に力説してどうしたいのかということが多い
今回の書き込みもそうだな
俺は首巻の性質について断定はしていない
個人的には第三者が牛一の記述にない終わり一国時代を
書き足したものではないかと考えているが
牛一自身の筆によるものという説もあるので
諸説あるという認識
あなたは牛一自筆で史実
創作なら信長を褒め称えるためのもの
と断定してるけどそれには材料が足りんと思うよ 桶狭間にいた部隊が砦攻めた後の疲れた兵というのが正しい可能性もあるだろ。
士気上げるハッタリだった可能性の方がまだ高いかもしれんが。 >>379
ハッタリの可能性は結構あると思う
嘘も方便で勝利を導いた
というようにも読めなくはないんよね
ただそれも含め上洛後と比べた場合
公記の書き振りをどこまで信用していいか
というのは別の話なのだけど 合理的な現代人にいそうだけどいないタイプ
合理性そのものよりも周りの声や不安に惑わされることなくどんどん合理的行動ができる胆力が常人離れしていたんだろう
現代なら冷徹なプーチンに近い感じか >>381
むしろ「外聞」をいつも史料上でも気にしているから、民主政体の指導者に近いよ
民衆からの支持率を気にした最初の政治家 苛烈に行動する合理主義者というのは
昭和→平成的な信長感よね 革新的でもなければ合理主義でもなければ無神論者でもない
幕府・朝廷を重んじる常識的な人間やね 一日ぶり。
>>378
例えばどこら辺が?
具体的に書いてみてもらえるかな。
こちらは、そちらとの会話において、論旨的に妥当と思われる事を
返しているだけなんだけど。
それはさすがに不可解な答えじゃないかな。
ここまでの議論において、信長公記の桶狭間の該当部分の記述が、
特に信長が桶狭間山の今川勢を、今川前衛と説明している部分について、
それが史実であるのか創作であるのか否か、というのが論点に思うけど。
それは、>>368において、貴方が信長公記の記述について、
>信長公記の小説的な記述
と書いていて、そこからここまでの議論が行われている事からも、
明らかに思うけど。
貴方が信長公記の桶狭間の記述について、特に信長が桶狭間山の今川勢を
説明した記述について、それが創作なのか、史実を反映したものなのか、
という事について、僕は>>369や>>372にあるような感じで、
信長公記において、信長の勘違いを書く事は、
創作的に信長を持ち上げる事にはなりえず、
その意味で、この記述は史実を反映したものなんじゃないのか、というような事を
主張してるのであって、それで君がそんな事を書くのは、
それこそここまでの議論の経緯からして、不可解に思うんだけど、
この事について、答えて欲しいと思うかな。
>創作なら信長を褒め称えるためのもの
別に僕はこんな事書いてないように思うんだけど。
これについては、>>372に似た事書いてあるように、僕は信長公記の首巻でも、
それ以降の巻でも、信長公記において、信長を貶める意味で創作した記述があるとはちょっと思えず、
君がそんな事を書くなら、信長公記において、信長を貶める意味で創作してる部分について、
提示をする事が必要に思うんだけど、それについて、君は答えて欲しいと思うかな。
無論、敵側の資料が敵側の武将を創作的に貶めたり、味方側であっても、愚将と言われた人物を創作的に貶める事はあると思うけど、
信長公記において、信長を創作的に貶めている場面がどこにあるのか、僕にはちょっと思い当たらないんだけど、
その事について、君はどう思うのかな。 >>377
そんな事言うなら、信長公記において、信長が桶狭間山にいる今川勢(義元本陣勢)を
今川前衛だと説明してる事が、不可解になってしまうと思うんだけど。
仮にこの時点で信長が桶狭間山にいる今川の軍勢を、
義元本陣勢として認識していたなら、それを攻撃する時に、
その軍勢を今川本陣勢だとして説明するはずじゃないのかな。
信長公記では、信長は桶狭間山にいる今川の軍勢を、今川前衛だと主張してるように思うけど、
これは君の論旨と矛盾してるように思うんだけど、どう思うかな。
馬印ってそもそもこの時期にそんなにメジャーになってたっけ? >>380
横からだけど、さすがにそれは厳しいと思う。
信長公記の桶狭間の記述において、信長が桶狭間山にいる今川勢について、
虚言で前衛だと言ったという事を思わせる記述はないように思うし、
仮にそうだったとしたら、その事を信長を称える為に当たり前に書くように思うけど、
どう思うかな。
ついでに、>>289や>>292にも似た事書いてあるように、信長公記の桶狭間の記述については、
当時は今川家の配下だった松平家(後の徳川家)の三河物語と比較しても、
結構符合する所があるように思うんだけど。
この事からしても、
信長公記の桶狭間の記述を完全に否定する事は厳しい様に思うけど、君はどう思うのかな。
そもそも、もともとの話として、>>310でも似た事を聞いているように思うけど、
君は信長公記の桶狭間の記述を仮に否定するとして、どんな桶狭間像を正しいと思うのか、
その事を説明してもらってないように思うんだけど、この事について、答えて欲しいと思うかな。 >>388
>虚言で前衛だと言ったという事を思わせる記述はないように思うし
反対押し切って進軍し続けてたが、ついに信長が進もうとしても家臣が反対必死に止めて動かなくなった、
そうなった状態で突然あれは疲れた部隊だからと言い出して家臣を説得して進軍開始
話の流れからだと嘘言った可能性は十分ある。
仮に信長が間違えていたのならそうなる前に言っていた可能性の方が高い。
>仮にそうだったとしたら、その事を信長を称える為に当たり前に書くように思うけど
筆者が全てを知ってるわけじゃないで済む話だろ、反論にしてももう少し考えて書こうぜ。 当時の感覚なら間違いなく常識人ではないな
そういう面もあっただろうが、それは信長の最たる特徴を表す表現としては不適切
糞度胸の行動力オバケなのは間違いないだろう
そんな奴は現代でも昔でもあまりいないだろうから変わり者扱いされて当然 >>387
うーん。描写の解釈の違いだからなんともだけど。
義元本体の前衛部隊は
松井、井伊の部隊を指してると思う。
信長が前衛に正面突撃をかけてそれを突き崩して
義元の本陣になだれ込んだんなら、
松井と井伊を討ち取った描写もあっていいはず。
この戦で打ち取られた両名なので。
信長が移動を開始してから激しい雨が降ったとの
描写があったあと、信長の号令で襲いかかった部隊は
大いに崩れて逃げ惑うという描写の中に
義元の塗輿も打ち捨てられてという表現がある。
これは信長の号令と共に本陣に信長本隊が
殺到したという描写に捉えられると思うけど。
雨を僥倖として義元本陣に一気に寄せていったと
見ているんだがどう?
そもそも本陣突撃は信長の頭の中にだけあったんだろうと
思ってる。情報漏洩を防ぐために。
だから最後まで標的を明かさず先頭突っ切ったんじゃないだろうか。
当然自分の進む方に部下はついてくるからね。 信長の砦攻めが間違ってないと言うのはどういう理屈何だ? >>379へのレスです
士気上げるためのハッタリだった可能性というのは理解出来るんだが 通説の 沓掛から大高に移動中の桶狭間で襲われたが間違いで
実際には大高攻めた後、沓掛へ移動中に桶狭間で襲われたってことかと? 丸根鷲津の間違いか?
義元本隊が攻めたとしても後陣で積極的には戦っていないだろうと思う、
三河物語など徳川系の史料に記録されていないのは今川本隊の支援のもとより
単独で勝ったことにした方が都合がいいとかで説明は一応可能か。 信長公記に即するなら信長が敵を今川本隊だと
認識したことがわかるのは攻めかかる時の号令だね
攻めかかるために風雨の中進む際ではない 正面攻撃説はそのまんま信長公記の記述を取り入れているだけだからな
信長の機転というか策略はほぼ無視
だからおかしな事になるのが理解できずにいるのな お久しぶり。
>>398
そんな事を言っても、君の言う、
>信長の機転というか策略
とやらを裏付けるような資料的記述とか、記録とか、論拠とかがないように思われるのに、
それで君がそんな事を書いてもしょうがないと思う。
君はそのような事を主張したいなら、資料的記述や、記録や、論拠とかを基にして話をしていくべきだと思うんだけど、
これについて答えて欲しいと思うかな。 >>396 >>394
当時は今川側だった徳川の三河物語にも、織田側の信長公記にも、
桶狭間の戦いにおいて、織田側の砦を攻略したのは松平勢だったように書いていると思うので、
敵味方で一致してるなら、それを否定する場合、相応の論拠が必要なんじゃないかな、と思う。 >>389
仮にそんな事を言うなら、信長が事前に桶狭間山にいるのが、今川勢本陣だという事を知っていた記述や描写があってしかるべきだと思うし、
そんな情報を得ていたなら、>>165にも似た事書いたように、少なくとも重臣達には知らせてると思うんだけど。
仮に信長が事前に情報収集をしていたとして、今川義元本陣の情報を得たのに、
それを重臣達に説明もしないで、進軍をしようとする理由もわからないと思うし、
情報の伝達役も、普通に考えたら、信長や重臣達が集まっている所で情報を報告するんじゃないかと思うけど、どうなのかな。
こっちは十分に考えて書いていると思うけど。
仮に君の言う通りだとした場合、信長公記首巻を書いた人、もしくは、その人に桶狭間の事について伝えた人、は
信長の動きや動静について、やたらと詳しい様に思われるのに、
(信長公記首巻を基にするなら、信長の出陣前後の様子まで詳しく知ってた事になると思う。)
信長が事前に情報収集をしていた事も、その報告を受けた事も、全く知らない、っていう事になると思うけど、
さすがにそれは不可解な話だと思う。 >>390
戦国武将で勇猛果敢な武将ってそれこそ数多くいるのでは?と思う。
>>391
んん?
君は信長公記をちゃんと読んでるのかな?と疑問に思う。
信長公記首巻を基にするなら、信長が言う、今川勢前衛は、
大高城に兵糧の輸送をして、丸根、鷲津の砦を攻略して疲れた部隊だそうなので、
信長公記を基にするなら、それは松平勢の事だと思うんだけど。
それで、信長公記を基にするなら、松平勢は上記の活動をした後で、
大高城に移動して休息してるように思われるから、
桶狭間山にいる今川勢ではない、という事になると思うんだけど。 >>384
超有能で冷徹で革新的な独裁者だったら、
本能寺の変の時のような大ミスはやらんと思う
創作によくあるイメージなら、斎藤氏や本願寺などに手間取らず
1582年より前に日本統一し、皇位簒奪後に、海外進出してそう >>403
信長のミスは明智光秀を信用しすぎたこと
明智光秀は信長にゴマをする事にかけては天下一品でうまく騙してきた
最後は森蘭丸の忠告も退けて光秀の泣き落としに騙された 信長は森蘭丸ら小姓の監視網により明智光秀の謀反の兆候をキャッチした
そのために信長は光秀につらく当たる
最後には確認のために二人きりになり尋問される
その時に信長は光秀を足蹴りにする
光秀は泣いて信長に忠誠を誓い弁明する
その芝居に信長は騙された
そのために信長は本能寺の変の前にまた光秀を信用して
大軍を任せていた
一つ言えるのは光秀の子孫の解釈はあまりに光秀寄りの解釈であり正しくはないということだ 有能ではあっても革新的でも合理的でも無神論でもない
って言うだけやね
20世紀的天才像が突然戦国の世に現れた的な
そういう現代小説的な理解は覆された 天下布武の説明も変わってきてるしね
昔は信長が天下を武で統一する事と当然のように語られてきたけど >>406
痛いと思うのならその理由を書けよ
お前のつまらん感想なんか書くな >>410
いや、書き込みの史料上の根拠書いて
書けるんでしょ? 鉄砲で言えばこの武器が戦の役に立つと理解してなければ国産化しようとはならんよね
信長ら大名は戦の役に立つと分かっていた武器を買って使っただけ 結局、多少戦争が強い以外は
極々普通の戦国大名でことね 逆になんか特徴はないのかな
あまりにも平々凡々すぎる ・本気で足利幕府を復興させようとした
・朝廷を重んじていた
・寺社勢力を保護した
他の大名よりも伝統と秩序を重んじていたという特徴がある 伝統重んじたせいで幕臣と対立する
朝廷寺社公家保護しようとしたため畿内の大名国人衆、一部寺社に反発される
反発した相手を潰していったら結果として革新的みたいな行動になった
と個人的には思っている >>411
じゃあ根拠となる史料はなんですか?と聞けよ
痛いとか書き込むな
無礼にもほどがあるわ >>418
アンカーつけてないのに自分の書き込みが痛いと思われたという自覚があったんでしょ?
で、史料的な根拠は?
ないんだったら痛いという印象から変化なし
それとも小説かなにかの読書感想文でも書き込んだの?
ていうかすべてが幼稚 >>419
お前が幼稚なんだが、アホか
出典は日本史な
信長好きなら軽く目を通しておけ >>420
まずはお前の脳みそに沸いているウジ虫をどうにかしろ >>421
ん、フロイスの日本史か?
小姓のネットワークで叛意サーチなんて書いてあったかな?
足蹴にしたくらいなら角川太閤記や稲葉家譜などに記述あるけどな
ほんとにあなた史料読めるの?
崩し字まで読めと、そこまでは求めないけど >>423
川角ね、間違えた
なんの小説か漫画読んだのか知らないが、小姓ネットワークだの泣いて謝っただのはどこソース?
居酒屋で不勉強なおっさんが「政治が悪い」とか床屋政談してるくらいにみっともない書き込みだよ
それを痛いとか幼稚と表現したまで
君はおうむ返ししかできなさそうだから語彙も乏しいんだろう
珍説?を周囲に言い触らさないことをおすすめする
史学かじった人間には確実に鼻で笑われるからね >>423
蘭丸ら森三兄弟は小姓だったからな
しかも蘭丸は各地に使者として派遣されているのは信長公記にも書かれている
おまけに小姓で5万石だから特別待遇で信長の家臣を観察していた >>424
当時はネットワークとかそんな言葉はなかったな
だけれども蘭丸はいろいろな情報を使者という立場から把握していたから
お前の言うように全くの出鱈目というわけではないぞ そもそもその時代にわずか十代で5万石とか異常なんだがな >>425
手元の信長公記でいま確認したが、森乱が派遣されたのは岐阜城に銭溜め込む仕事だけで、ほかは安土含め信長のところで「御使」やってるだけだな
万見仙千代はじめ、政務に活躍した小姓は検使役なんかでいろいろ出回ってるけどな
はい、史料ありませんでした
えらそうに言うなら信長公記くらいせめて一度は通読してるよね?
してれば森乱があまり派遣されてないの分かるはずだけど
幼稚だから理解できないか
安土にほぼいて大名監視とは恐れ入るね
森乱はドラマの水戸黄門みたいに諸国行脚でもしてたのかい? >>427
そこの信長公記引用しようか?
天正十年三月二十九日条
武田征伐の論功行賞だな
「金山よなだ嶋、森乱に下さる。是は勝蔵忝き次第なり」
森乱はじめ兄弟が優遇されたのは事実だが、長可の旧領をもらっただけで、長可の功績である
だから勝蔵が喜んでいると記述されているな
なんか反論ある?
そもそも金山五万石もらったからといって森乱が諜報活動に従事していた証拠になんてなんらならないんだが 森家譜は現代の人間が読むとどーなのよと思う残虐行為まで赤裸々に書いているんだが(史実かはともかく)森乱が諜報活動していたなんて記述なかったね
ほんと、なにが根拠なのか意味不明
単なるニワカの妄想でしょ >>428
信長公記では使者の任だけで3回書かれているからな
活躍した方だろうよ
あまり派遣されていないとかないからな
あと報告などに関しては他の小姓もやっていることでそれが当たり前のことだぞ
信長はそれらの情報をもとに動いいているからな >>429 >>430
ううん?
俺が蘭丸が忍者のように諜報活動したとか書いているか?
それこそお前の妄想だろうが >>431
三回ってどれ?
信長の元を離れて使者やったのは岐阜城、もう一件怪しい塩河伯耆への褒美の使者も常識的に考えれば安土でだろう
曖昧なのじゃなくて明確な根拠示して
しかし、信長の小姓諜報網とやらはよほどずさんだったんだな
松永にせよ荒木にせよ、信長は謀叛するはずがないと当初疑っているからねえ
小姓が嘘の報告していたのか、信長が報告を信じなかったのか
いやあ、君の論は実に素晴らしいねえ
慧眼慧眼 >>434
偉そうに知ったかしているんだから
それくらい調べろよ
どんだけ他人便りなんだよ、お前はよ
つうか、蘭丸が諜報活動したと俺が発言した部分はどこにある
まずはそれをちゃんと指摘しろよ >>433
小姓の監視網で光秀の謀叛の兆候をキャッチしたと書いたのは誰ですか?
そもそもね、二次史料で言及されているのは光秀が出すぎた真似をして信長がぶん殴る
それでカツラまで取れたりして恨みを募らせて謀叛なんで順番もあべこべ
細川家記だったと思うが、武田に内通していたのが穴山帰順でばれるのが怖くて謀叛なんて二次史料はあるがな
こっちは証言者が証言者だけになかなか信憑性あるんだが、そんなこと知らなかったろ >>435
いや、こっちは手元の信長公記の索引で森乱の全部読んだ上で指摘してるんですけど
なんなら全部書き上げてもいいぞ
君が信長公記を読んでないのが明白すぎて草 >>438
いいんじゃないか?
お前のぼろ検索で引っかからなくても俺の知ったことではないわ >>437
なんだそりゃあ
お前も妄想がすごいよな
かつらとかどこの史料が元なんだよ >>440
稲葉家譜だよ
史実かはともかく、一応史料にはある
小姓が謀叛察知してなんて妄想よりはましでしょ
>>439
大家の奥野先生監修の索引にオンボロとは、君は相当えらい研究者なんだなあ
そういうところも含めて信長公記すら読んでいないのが分かる
現代語訳くらいは読んでるのかな?
読む価値ないけどな 結局まともな返答なしか
どの作家の作品をソースにしたのかは知りたかったな >>440
というか史料に疎すぎない、君?
読んでてこっちが恥ずかしくなる
そんな程度でも周囲からは歴史の先生とか呼ばれてるのかな
受ける >>444
?
索引の意味すら知らないのか?
もしかしてあなた子供?
一般的な教養レベルにすら到達してないな
まあいいや
森乱が信長公記で三回、信長の元を離れて使者にたったソースをくれ
こっちはいつでも出せるからな >>445
お前がいつでも出せるのなら問題ないじゃないか >>446
詳細はともかく信長公記読む限り森乱が信長の元を離れて仕事をしたのは一回だけ
そこはもう書いただろ
三回っていう君の根拠を示せよ
ウスノロ >>434
俺が書いたのは使者の任だからな、お前の言う変な条件はないからな
でその他、本領安堵の朱印状の件で矢部善七郎、森乱を使者としてつかわしている >>447
つうか、なんだよ、ウスノロとかよ
お前はケンカ売って遊んでいるだけだろうが >>434
つうかよ
荒木の謀反の時に蘭丸はまだ13歳だぞ
小姓としてまだ入ったばかりだからな >>449
ウスノロが返答した
こっちが要求した三回の根拠出せばいいだけだろ
それもできずにグズグズクチャクチャ言い訳しているからウスノロと書いたんだ
これでも遠慮した表現だよウスラバカ >>451
つうかよ、バカはお前だろうが
お前みたいなのに返答する義理もないんだが と言うか明智光秀オタはマジで頭おかしいのな
自分の恩人で上司の信長だけではなくまだ高校生の蘭丸まで殺しているからな
それで反省もなくただただ犠牲者の悪口しか言わないし >>452
自分で三回と書いたんだから相手がどんなバカでも開示する義務があるだろ
そんなことも分からないのか
ウスノロ、早く出せよ