織田信長の人物像・人間像について考える
織田信長像というものは、明治以後も現代に至るまで、例えば神国である日本における、桶狭間の戦いのような奇跡的な勝利を挙げる軍人のモチーフとして現れたり、慣例にとらわれずに合理的な手段で改革を進める型破りな組織のリーダーや経営者の姿として、
時に応じて、断続的なものではないものの、断片的に日本人の精神の中にその姿を見せる存在となっています。
織田信長の人物像・人間像すなわち織田信長像についてみなさんで考えていきましょう。 >>17
ご冗談を。
俺が長いものに巻かれるタイプだったら、もっと充実した人生送ってて
こんなゴミみたいな掲示板に書き込みなんかしてないよ。
で、土岐氏嫡流が生きてるのに、ガン無視して
土岐氏再興とか言っちゃう小説を信じる理由は? >>15
何で信長公記になるんだよ。
書状とかの一次資料ですら、信長がお前が言ってるような怠け者なんて傍証ないが。
ところで、それだけ偉そうに言ってるなら、家康暗殺を言ってる一次資料か二次資料出せよ、凡人以下。 >>19
君、相当信長好きやなあ
危ないタイプやね
どこぞにお泊りに行った時、討たれんように気いつけいや 信玄が教科書から削除されるスレで暴れてる奴に触っちゃいかん 織田信長というと、中世の伝統を破壊した革命児、合理主義に徹したリアリストというイメージが定着したかの感がある。
しかし、他の戦国武将とは違い、こうした既成概念では割り切れない何かを信長は確実に持っていた。
それを一言で言うとすれば、強烈な「カリスマ性」ではないだろうか? 意外と優しかったと思う
宗教関係者の逆恨みを真に受けちゃいけない 宗教関係者も信長ラブの人たちいるしね
対戦相手でも、○願寺なんか戦国期の史料では「信長公」とか敬称つけて、そんな怒ってない様子
江戸時代からだよな、ガンガン批判しはじめるの、たぶん自分等のヤバい部分隠すためだと思う 明智子孫の説信じてる人、今もいるのには驚きやね
今後史料がいろいろ出るにしたがって、子孫氏は恥ずかしくて人前に出られなくなるでしょう
なので今のうち、構っといてあげるのもいいかも知れんね 歴史的に語られる織田信長の人物像はというと、よく言われているように、既成の価値観にとらわれずに合理的精神を持って世の中を改革したという革命児的な評価と、
晩年によく見られる、その自分に抵抗する勢力に対して手段を選ばず、武力や虐殺を用いてまでも自らの行動を断行する魔王のような姿がある。 7:00 朝食 めざしに味噌をベタ塗りして食う
12:00 昼食 味噌入りのおにぎりがないと部下を怒鳴り付ける
18:00 夕食 冷奴に味噌をてんこ盛りにして食う
23:00 濃姫とアッー!
何発出しても子ができないと嘆く 自称子孫さんの説ってなんか中途半端なんだよな
真面目な学説としては論外だしトンデモネタにしても地味過ぎてつまらない
トンデモ本能寺論だったら八切止夫や立花京子とかの方がよっぽど面白い 最近新しさを求めてこの人物の評価を下げておけばいいって逆張りする人を見かけるが
ここはそうでもないようで良かった 目新しさを求めた訳じゃなく実証的な研究によって評価が是正されただけ >>32
その実証的とされる評価も、池上裕子とかおかしいのがやっていて怪しいのが多いがね。 織田信長が「普通の戦国大名」な訳ねえだろ。どこが「普通の戦国大名」なんだよ。今の学者頭おかしいだろ。 >>34
池上裕子に言って下さいよ。
織田信長研究でおかしい文献出してるのあいつだから。
織田信長は旧来の人物とか、人材登用で美濃と尾張出身だけ優遇したから明智、松永、荒木の反乱が起きたとか、信長は徹底的に敵を滅ぼしたから30年かけても天下統一できず、秀吉は敵を取り込んだからわずか8年で天下統一できたとか言ってますから。 池上裕子だけじゃないよね
金子拓、神田千里も是正してるし藤本正行の桶狭間まぐれ勝ちが通説になってきたし
東国の研究者達も信長の後進性を指摘してるし戦国研究会全体が信長を是正するようになった >>36
桶狭間まぐれ勝ちとか大草原だわ。
ならば厳島の毛利元就、川越の北条氏康、今山の龍造寺隆信、耳川の島津義久らもまぐれ勝ちってことでいいのかな? 桶狭間の話をしてるので他の合戦は関係ないな
まあ藤本正行の著書を読めばいいと思うよ 今の学会は新説出した者勝ちみたいなところがあるから仕方ない。
でも新説は事実を強引に捻じ曲げて無理矢理証明しようとしたものだからそこには矛盾生じ絶対にその論理は破綻する。
今の学者たちがやってることは10年後には必ず間違いだったことに気付くだろう。
だから日本の戦国史は10年遅れる。
10年遅れて一からまたやり直しになる。 著書とは色々と書き手の思惑があるのが当たり前。
残念ながらそれに引っかかってしまうのも当たり前。
桶狭間の戦いなんかもそのひとつ。
織田と今川の当時の石高はそうは変わらなかったはず。
織田にはあの広大な濃尾平野があるからね。
なのに皆が知っているあの兵力差は何?
あんな大差最初からある訳ない。
そんなに力の差があるなら、とっくの昔に織田は滅ぶか今川の家臣になっとる。
おそらく兵の数は倍も変わらなかったはず。
それに今川は上洛軍ではなく、織田を滅ぼし、ただ領地拡張を狙っただけ。
現実は織田が兵1万で、今川が兵1万7千、こんな感じだったのでは!
本拠地の織田が勝っても何ら不思議ではない。
寧ろ織田からしてみれば攻め込んできてくれて有難う、だったのでは。
サッカーに例えると、長い時間相手にボールを持たせておいてひたすら守りながらも、そのボールを奪うと一気に攻め上がる堅守速攻だったのでは!
本音を言えば、織田が勝って当たり前だったような気さえする。 >>41
織田は斎藤や北畠に備える必要があるぶん、半分あるいは半分の半分は動かせないはず。5000、よくて7000がいいところ。 >>41
当時の織田は知多は今川に占領されて
海西郡は服部に占拠されてる
その上犬山の信清は同盟者でしかない
領地はまだ尾張の半分以上程度
その領地の大半も占領したばかり 「最新の研究」のように、信長が甘くて保守的な田舎のおっさんならば、
じゃあなんで天下布武などと思いついて実行してしまうのか
あいつらは名前を売りたいだけだ まあ定期的に新説出さないとメシ食っていけないからね仕方ないね 最近は有名になってお金稼ごうって専門家が増えてきているから、今までの通説を否定するのに必死。
その方がインパクトがあるから。
その結果うまくいって大河ドラマの監修とかになった者もいる。
例えば上杉謙信の度重なる関東出兵は家臣を食べさせる為だとか。
そんな少人数食べさせたところで何の意味もないがな。
常識で考えて、そこまで言うか、と思うがね。
磯田道史みたいにマジメにやっとる奴が言うならまだわかるがな。
専門家もアタリハズレがあるから気をつけろ! 磯田さんは戦国史に関しては専門家の間じゃそこまで評価されてない気がするな。近年はテレビ出演が多く忙しいからか最近ちゃんとした学術書とか書かないようだし。そう言えばちょっと前までは眼鏡をしていたっけな 信長は相撲好き、は確定だと思う。まぁもしかしたら武将ってそう言う人が多いのかもしれないけど 磯田道史みたいに古文書をスラスラ読めるようになりたい! 織田信長は松下幸之助やジョブズと同じで自分自身は凡人だけれども、
経営の神様タイプだったね! 信長自身も体育会系で水泳や乗馬や相撲で体鍛えてたから結構喧嘩強かったと思う 戦闘と戦略は得意だけどその真ん中である戦術に関しては苦手だったとよく言われてるな 武田信玄関連スレでは、織田信長は和睦詐欺や粛清をやりまくった悪の権化になってるぞ。 >>44
信長に関してはそもそも、「甘い」とされておられる研究者の方はあまりおられないように思うのですけれどね。 そもそも、天下布武自体の意味合いが、
そもそも「布武」という言葉自体が、
古代中国の礼儀作法を書いた礼記にある、「布程の歩幅で規則正しく歩く」という
事柄であって、天下布武、というのは、
「天下(当時は京都周辺・あるいは畿内一帯を天下、と呼称する事も多かった。)を、
礼儀正しく規則正しく歩いていく、やっていく。」
という意味合いであると、最近の論説では唱えられておりますしね。 55はそれほどキチガイでもないよ
信長はやたら真面目な人だよ、優しい人でもあるし
これ今の研究家が言ってるわけじゃなく、当時の人が言ってる >>55
明智憲三郎氏涙目
この人自分のブログ名を「天下布文」ってしてるけど
あれは絶対「信長は暴力的だが自分は文化的だ」ってアピールしたくて考えついたと思うんだよね >>55
語尾変えても、話し方や内容でバレてるぞ。ねえ君。 研究者ってのは通説を否定するために極端なこと言いすぎなんだよ
何事もせいぜいあくまでそういう一面もあった程度に解釈しておくのが無難 通説と同じこと言ってたら誰にも注目してもらえないからな まぁ天下布武が全国の大名ぶっ潰すって意味だと外交の書状に使ってたのが戦線布告になっちゃうけどな その優しさは命張った塙さんの遺族には別けて貰えんかったのでしょうか? >>63
それはイギリス企業に傭われ武器のセールスマンやってた龍馬じゃなかったっけ? 戦国時代は何かと忙しい時代。
その中でも上杉謙信と織田信長はかなり多忙。
あとの大名達はずっと家に居るかすぐ家に帰る。
謙信と信長は単身で上洛しているし家に帰らないことも多い。
結局この2人が戦国には必要だった。
あとは誰が大名でも良かったのでは。
豊臣以前の段階ではこの2人は天皇にも将軍にも直接会ってるし、広範囲で戦国の状態が分かっていたと思われる。
特に謙信は関東全域と京の都の状態を肌身を持って分かってる。
上杉か織田のどちらかがこの時代を治めないといけなかった。
信長は最後まで生き残るべきだった。
性質から見ても謙信か信長なら海外貿易が盛んに行われていただろう。
今と違った日本になっていただろう。
他は誰が何処で自分なりに全国を治めたとしても、湿っぽい徳川体制とほぼ同じだったと思われる。
今の時代も同じで、アクティブな変人が治めないと面白くもなんともない。
私が生かされ続けてて面白いと思ったのは小泉純一郎政権の5年間だけだ。
今現在はつまんない世の中だ。
誰かアクティブ変人出て来いや! 確か京都には商船に乗り越後からやって来た商人が宿泊する町があったくらいだから比較的、謙信の耳には京都の情勢や噂が入ってたと思う 貿易盛んにしても日本から売れるものがほとんどないんで金銀が流出するだけな気が
海運握る方向に行くべきか >>64
鬼武蔵やお乱みたいのが遺族にいれば、また違ったんでね? 塙(原田)はその遺族が本願寺と内通してたからまとめて追放されたという説もある まず信長っていうか戦国時代の人々を語る場合、勘違いしている人が大半でしょう。
これはアホな歴史家や歴史作家や大河ドラマのせいでもある。
戦国時代の日本人と現代の日本人の思想、価値観はまったく違う
現代の日本人の価値観、思想は江戸時代の儒教を基本とした思想改革から始まっている
つまり江戸後期と戦国時代の時点で同じ日本人ではないわけね
戦国時代の思想は大まかに神道仏教からなりたっている
だから根本的に現代と戦国時代の人の考え方価値観は違うわけね
現代でも日本人と韓国人と中国欧米で価値観は違うだろ?これは宗教や思想が異なるから
この辺を考慮して戦国武将を語らないといけない
アホな歴史作家や大河ドラマは、現代の日本人の価値観で戦国の人々を描いているから間違える エンタメなんだから一般読者視聴者が感情移入できないと失敗。基本、現代人の価値観に寄せるでしょ 寄せるにも色々方法論があるし
史実を踏まえて寄せたらあんまり叩かれないんじゃないかな
大河関係のツイートを覗くと最近の歴史研究を踏まえて、そこをこう解釈してきたか!みたいな展開だと受けは良い。 信長のイメージ定着には光栄の影響も大きいよな
https://twitter.com/sinkurou/status/943735712007954432
コーエー以前の織田信長のイメージは、教科書によく載ってる
あのぬほりんとしたイラついた感じのラッキョみたいな親父の絵ですからね。
それがみんな生頼さんの描いた燃え上がるような逆立った髪と髭の魔王を
イメージするように。今年の大河でも顕著でしたが。 それ言うなら最近の武田信玄は完全にあの鎧姿。上杉謙信はGacktになってしまっている。 >>75
いくらなんでも頭悪すぎるだろ
ゲーム発売以前からどれだけの役者が燃え上がるようなルックスの信長を演じてきたと思ってんだ
現代のイラストは全部その影響だ
ゲームとアニメの世界しか知らないオタクが分かった風なことを言うな 「であるか」の口調も
もとは信長公記の道三との会見だろうけど
信長キャラの口癖みたいにつかわれるようになったのは大河なんかの影響か というか、最近信長の評価が落ちすぎと違う?
武田信玄や上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康は相変わらずだけど。
信長に最近は斬新性がない、保守的、縁故重視の人材登用と信長に何か恨みでもあるのかみたいな評価されてるけど。
鉄甲船の開発。
西洋人が見て驚いた安土城の建設。
滝川、明智、木下と何処の馬の骨かわからんのを登用した事実。
楽市楽座の拡大。
長篠での前例のない殲滅戦。
これらが無視されていると思うんだが。 >>83
鉄甲船は鈍足だから遠征ましてや外征に使えるシロモノでは無かった欠陥品
楽市楽座は親父のモノマネ
滝川はともかく秀吉はそこそこの家の出だった説が濃厚なので、であれば濃尾優遇の一環だったのかも
光秀の土岐氏だったのであれば織田の主君筋にあたる由緒正しい家柄になる
殲滅戦自体は浅井朝倉や長島一向宗相手にもやってるね >>84
土岐氏が織田の主筋?
織田の主筋は斯波だが。
楽市楽座はモノマネだけど、それを拡大拡張したのは信長。
鉄甲船は当時最強の毛利水軍を破るためのものだから、遠征に使う必要はない。 信長の功績を否定したい訳じゃないんだけど新しいことを始めた革新者というより既にあるものを上手く使う才能に優れていたと思う 秀吉がそこそこの家出身って武功夜話に書かれたような与太話だろ >>85
土岐って元々は尾張、美濃、伊勢の守護代じゃなかった?
足利義教に習って比叡山焼き討ちするような信長だから過去の歴史は重視してたと思うんだ >>87
元々は今川配下で足軽やってたという
足軽大将が侍大将になり、やがてひとかどの武将になるってのはまぁまぁある話かと
有能なやつに権限渡せる度胸はすごいけどね >>82
秀吉の大河ドラマで渡哲也がやたら連呼してた印象 >>89
正確には今川のそのまた家臣の奉公人
それだけじゃそこそこの家の出という証拠にはならんと思うが 革新的とかは置いといて
魔王キャラじゃなくて意外に優しい、甘いところも多いというのが近年の評価になってない?
最初に信長はイメージより厳しくないと言い出したのは永井路子あたりかも 失敗には寛容だよね
秀吉はすぐ手打ちにするけど信長は次頑張れで許しちゃう
謀叛も鎮圧までは苛烈だけど処分は甘い感じ
武田の残党を勝手に処分したのは信忠だし
本願寺顕如、足利義昭、荒木村重なんかも結局生き延びてる
俺が信長だったら弟とか松永は真っ先に処分してるな 昔は『秀吉の数々の逸話は全部嘘だが信長の伝説的な話は全て本当らしい』
と得意満面に主張する奴がいた
現実には
大嘘の三段打ちに始まって、眉唾の鉄工船、平安時代(多分もっと前)から
戦場では弓が主力なのに見かけ倒しの長槍をさも革新的であるかのように扱う
平安時代から起きている寺社の焼き討ちを神仏を恐れぬ合理主義者と印象操作
その過程で秀吉始め部下たちは天罰に恐れおののく原始人扱い
その他パクり政策をオリジナルだと印象操作
信長は何一つ悪くないが信者が持ち上げ過ぎて実像の姿とかけ離れてるね
信長の伝説は全て真実だと言ってた連中は引き下がれないのではないかな
この手の連中にとっては本当の事より自分の面子の方が大事だろうから 三段打ちは実際にあった戦術だと判明したけど、信長オリジナルかどうかまでは不明だな 秀吉&秀長は妙に字が上手かったりするから、底辺の農民説を疑う人が出てくるのも無理ないと思う 三段撃ちなんて普通に雑賀がやってたから新しくもない
信長の場合、坂本龍馬と同じで過大評価しすぎて、一度落ち着いて再評価しようって流れでしょう 秀吉の書状はめちゃくちゃな当て字が多い
それでいかに無学な成り上がりものだったかがわかるって
高校の先生が言ってたなあ >>96
無学なのでどれが「事実」かはわかりかねますが、
最終行内容はすげええ判る。想像つく。
確か日本では他人のまわし・・・
ああダメだ思い出せない。 桶狭間の圧倒的戦力差っつー話も実は怪しいんやろ
最近は今川義元最強説や浅井長政豪傑説をよう見るで
当時の京でもやらないような牛車や御輿に乗ってる勘違い公家モドきの太ってキモいおっさんと優柔不断でお家を滅ぼした典型的ボンボン
素直に考えたらこんなもんやろ
このへんも信長さんの凄さを際立たせるために盛ってるんちゃうの 上総守とか名乗っちゃうからおそらく信長は官位への教養が低かったと思う 北野武の映画を見れば想像つく。
目が座ってる奴は怖い。 >>57 信長は正義漢だし。
しかも陣頭で自ら戦を指導。しかも
その判断も優れていることが多い。(ヘマはあるが。)
声はよく通る響く声だし、武芸は鍛錬しているし、
仕事人間だし、まさに当時の英雄。 死後最も早く描かれた肖像画だと信長はいびつな形の頭で長い顔で左頬っぺたにほくろがあったな。なんか怖いって言うより気だるそうなオッサンだった 織田信長の家臣団―派閥と人間関係って本に書いてあったけど、母親に嫌われてたって話も根拠となる資料がないって
書いてあったけど、なぜ、嫌われてたってことに今日までなってるの? 信長の若い頃ってざんばら髪を纏めたでかい丁髷生やした髪型
してる事多いけど事、そういう髪型してたって記述はあるの? >>114
信長公記の首巻
「御髪はちやせんに、くれなゐ糸、もゑぎ糸にて巻き立て」と描かれてる 自らの名声の為に通説を捻じ曲げてまで新説を主張すればいいという今の歴史学会のスタンスでは永遠に事実などわからないだろう。
それで今一番迷惑しているのが織田信長である。 中身の伴わない新説なんてプロパーには相手にされないから名声なんて得られないし、むしろトンデモ説を唱える輩として腫れ物扱いされるだろうな 故人が迷惑しているとか、>>116は信長と話ができると称して同人漫画を描いていた人か