>>169
そんな描写、少なくとも信長公記にはないと思う。
信長だけが独自に情報を得ていた記述も、それを伺わせるような描写もないように思う。
それなのに、君がそんな風に書くのはどうかと思う。

>>170         >>172        >>171
だから、上記に書いたように、信長公記には、それを伺わせるような記述がどこにもない様に思うのに、
それでそんな事を書くのはどうかと思う。

信長公記を読むと、>>161にも似た事書いたように、信長が城にいた時に認識していた事が確実と思われる情報は、
1.今川軍が大高城に兵糧を運んだ事、
2.今川軍が丸根、鷲津を攻撃した事、
の二つだけに思うけど。
信長は、信長公記を読む限り、2.の情報が入った時点で急いで出陣の支度をして出撃してるように思うし、
上記161にも似た事書いたように、移動途中で丸根、鷲津の砦攻略を示すと思しき煙を見て、
二つの砦が攻略された事を知ったように思う。

つまり、信長公記をそのままシンプルに解釈するなら、信長は城を出た時には、
その目標は、大高城に兵糧を入れ、その後で、丸根、鷲津を攻撃した今川軍前衛を攻撃して勝利し、
丸根、鷲津を救援する事だったように思うけど。

少なくとも、丸根、鷲津が攻略されるまでは、信長公記に今川勢の本陣が今川軍前衛よりも前に出てきていた事を示す記述はないように思うし、
常識的に想定しても、今川軍の動きは、
2−1.今川軍前衛が大高城に兵糧を運び込む、
2−2.今川軍前衛が2−1.の後で丸根、鷲津を攻撃する、
2−3.今川軍前衛が丸根、鷲津を攻略した後で、前衛の松平勢が後方の大高城に戻って休息し、
今川軍本陣が前に出て桶狭間山に移動、
というプロセスのように思う。

なので、丸根、鷲津が攻略されるまでは、今川軍前衛を差し置いて、
今川軍本陣が前に出てきている事はなかったように思うし、信長が城を出た時点では、
今川軍本陣に狙いを定めるような状況にも、なってなかったように思う。

これらから考慮するに、上記にあるように、信長は、今川軍前衛が大高城に兵糧を運んだあとで、
丸根、鷲津を攻撃している所に戦いを挑み、その疲弊をついて勝利し、丸根鷲津を救援しようとした、というだけに思う。
しかし、上記161や上記にあるように、移動途中で丸根、鷲津が攻略された事を知った信長は、
戦略を変更し、丸根鷲津を攻略してさらに疲弊した今川軍前衛を攻撃して戦果にしようとし、周囲の今川勢を探した所、
自身達から近くにいる、桶狭間山にいる今川の軍勢を、その前衛だと思い込んだ、っていうだけに思う。

そもそも、常識的に考えれば、信長がいくら今川義元本陣を攻撃したい、と思ったとしても、
その為には、今川義元本陣が前衛よりも前に出てくる、という事態になっていなければ、まず厳しいように思うし、
仮に義元本陣が大高城で休息でもしてたら、それこそ狙いようがない様に思う。
信長はただ単に、その時の今川軍で自身達の近くにいた、桶狭間山にいる軍勢を、
常識的に今川軍前衛だと思っただけに思うし、それは特に不可解な判断でもないように思う。