織田信長の人物像・人間像について考える
織田信長像というものは、明治以後も現代に至るまで、例えば神国である日本における、桶狭間の戦いのような奇跡的な勝利を挙げる軍人のモチーフとして現れたり、慣例にとらわれずに合理的な手段で改革を進める型破りな組織のリーダーや経営者の姿として、
時に応じて、断続的なものではないものの、断片的に日本人の精神の中にその姿を見せる存在となっています。
織田信長の人物像・人間像すなわち織田信長像についてみなさんで考えていきましょう。 織田信長は部下には厳しく庶民には優しい人だったのです >>2
部下にも厳しいのかは疑問だな。
自分に逆らった弟の遺児に松永久秀に柴田勝家と、有能なら許しまくり重用するから。 天才だが猟奇的な人物
ついていけずに裏切り者が続出するはずだわ 信長は部下にも優しいし、有能じゃなくても優しいw
裏切り多いのは、似た立場の人見ればそんな珍しいわけでもなかったような
おまけにありそうな裏切りの理由、信長様は知らんけど直属の上司や同僚が気に食わんってパターン
信長個人の性格に原因を求め過ぎるのもどうかと思うのね 現代で言えば向上心も野心も何もない所謂社内ニートみたいな人種を異常に毛嫌いしてたんだと思う 通説通り超合理主義でサイコパス
現代で言えば北の将軍様がピッタリ
革新的な人物ってのはちょっとニュアンスがズレてる気がする、ご法度に手を染めまくってるし
仮に本能寺がなくても信長の代では全国統一は無理だったと思うな >>10
信長は自分の支配に素直な民衆はむしろ善政しいていたけどね。信長自身、民衆と祭りに参加したりしてるし。自分に厳しいところもあり、北と同じはさすがにない。 信長が優しかったっていうは本当だと思う。秀吉が天下を獲ってから書状かなんかで「俺は信長みたいに甘くない」って言っていたからな。 信長は光秀に家康殺しを命じたが、光秀は家康を逃し信長を襲った
なんでも人任せにしているといつかはそうなる手本
それが本能寺の変
武田信玄との三方ヶ原もそう、
上杉謙信との手取川もそう、
大事なことは自分でしましょうね
ちぃとは自分で頑張りなさいよ
信長とはそうゆう人! >>13
信長は総司令官でありながら、常に最前線に立ち続けたがね。武田の時は主戦場が畿内や近江なのに、東にいけば敵前逃亡だし、手取川では後詰として出陣してるが松永久秀の離反で主戦場が大和に変わったんだが。
そもそも手取川は規模自体怪しいし。
光秀に家康暗殺を命じた、とか確証も無いのに何言ってるの? 作家とかが面白おかしく言ってるだけやん。
もう少しお勉強しましょうね。 >>14
君、完全に信長公記信じてるな
まっ、凡人はその程度やろけどなっ! 明智の子孫の小説信じるよりは、
信長家臣のひいき交じりの記録を信じた方がいいと思うけどね。 >>17
ご冗談を。
俺が長いものに巻かれるタイプだったら、もっと充実した人生送ってて
こんなゴミみたいな掲示板に書き込みなんかしてないよ。
で、土岐氏嫡流が生きてるのに、ガン無視して
土岐氏再興とか言っちゃう小説を信じる理由は? >>15
何で信長公記になるんだよ。
書状とかの一次資料ですら、信長がお前が言ってるような怠け者なんて傍証ないが。
ところで、それだけ偉そうに言ってるなら、家康暗殺を言ってる一次資料か二次資料出せよ、凡人以下。 >>19
君、相当信長好きやなあ
危ないタイプやね
どこぞにお泊りに行った時、討たれんように気いつけいや 信玄が教科書から削除されるスレで暴れてる奴に触っちゃいかん 織田信長というと、中世の伝統を破壊した革命児、合理主義に徹したリアリストというイメージが定着したかの感がある。
しかし、他の戦国武将とは違い、こうした既成概念では割り切れない何かを信長は確実に持っていた。
それを一言で言うとすれば、強烈な「カリスマ性」ではないだろうか? 意外と優しかったと思う
宗教関係者の逆恨みを真に受けちゃいけない 宗教関係者も信長ラブの人たちいるしね
対戦相手でも、○願寺なんか戦国期の史料では「信長公」とか敬称つけて、そんな怒ってない様子
江戸時代からだよな、ガンガン批判しはじめるの、たぶん自分等のヤバい部分隠すためだと思う 明智子孫の説信じてる人、今もいるのには驚きやね
今後史料がいろいろ出るにしたがって、子孫氏は恥ずかしくて人前に出られなくなるでしょう
なので今のうち、構っといてあげるのもいいかも知れんね 歴史的に語られる織田信長の人物像はというと、よく言われているように、既成の価値観にとらわれずに合理的精神を持って世の中を改革したという革命児的な評価と、
晩年によく見られる、その自分に抵抗する勢力に対して手段を選ばず、武力や虐殺を用いてまでも自らの行動を断行する魔王のような姿がある。 7:00 朝食 めざしに味噌をベタ塗りして食う
12:00 昼食 味噌入りのおにぎりがないと部下を怒鳴り付ける
18:00 夕食 冷奴に味噌をてんこ盛りにして食う
23:00 濃姫とアッー!
何発出しても子ができないと嘆く 自称子孫さんの説ってなんか中途半端なんだよな
真面目な学説としては論外だしトンデモネタにしても地味過ぎてつまらない
トンデモ本能寺論だったら八切止夫や立花京子とかの方がよっぽど面白い 最近新しさを求めてこの人物の評価を下げておけばいいって逆張りする人を見かけるが
ここはそうでもないようで良かった 目新しさを求めた訳じゃなく実証的な研究によって評価が是正されただけ >>32
その実証的とされる評価も、池上裕子とかおかしいのがやっていて怪しいのが多いがね。 織田信長が「普通の戦国大名」な訳ねえだろ。どこが「普通の戦国大名」なんだよ。今の学者頭おかしいだろ。 >>34
池上裕子に言って下さいよ。
織田信長研究でおかしい文献出してるのあいつだから。
織田信長は旧来の人物とか、人材登用で美濃と尾張出身だけ優遇したから明智、松永、荒木の反乱が起きたとか、信長は徹底的に敵を滅ぼしたから30年かけても天下統一できず、秀吉は敵を取り込んだからわずか8年で天下統一できたとか言ってますから。 池上裕子だけじゃないよね
金子拓、神田千里も是正してるし藤本正行の桶狭間まぐれ勝ちが通説になってきたし
東国の研究者達も信長の後進性を指摘してるし戦国研究会全体が信長を是正するようになった >>36
桶狭間まぐれ勝ちとか大草原だわ。
ならば厳島の毛利元就、川越の北条氏康、今山の龍造寺隆信、耳川の島津義久らもまぐれ勝ちってことでいいのかな? 桶狭間の話をしてるので他の合戦は関係ないな
まあ藤本正行の著書を読めばいいと思うよ 今の学会は新説出した者勝ちみたいなところがあるから仕方ない。
でも新説は事実を強引に捻じ曲げて無理矢理証明しようとしたものだからそこには矛盾生じ絶対にその論理は破綻する。
今の学者たちがやってることは10年後には必ず間違いだったことに気付くだろう。
だから日本の戦国史は10年遅れる。
10年遅れて一からまたやり直しになる。 著書とは色々と書き手の思惑があるのが当たり前。
残念ながらそれに引っかかってしまうのも当たり前。
桶狭間の戦いなんかもそのひとつ。
織田と今川の当時の石高はそうは変わらなかったはず。
織田にはあの広大な濃尾平野があるからね。
なのに皆が知っているあの兵力差は何?
あんな大差最初からある訳ない。
そんなに力の差があるなら、とっくの昔に織田は滅ぶか今川の家臣になっとる。
おそらく兵の数は倍も変わらなかったはず。
それに今川は上洛軍ではなく、織田を滅ぼし、ただ領地拡張を狙っただけ。
現実は織田が兵1万で、今川が兵1万7千、こんな感じだったのでは!
本拠地の織田が勝っても何ら不思議ではない。
寧ろ織田からしてみれば攻め込んできてくれて有難う、だったのでは。
サッカーに例えると、長い時間相手にボールを持たせておいてひたすら守りながらも、そのボールを奪うと一気に攻め上がる堅守速攻だったのでは!
本音を言えば、織田が勝って当たり前だったような気さえする。 >>41
織田は斎藤や北畠に備える必要があるぶん、半分あるいは半分の半分は動かせないはず。5000、よくて7000がいいところ。 >>41
当時の織田は知多は今川に占領されて
海西郡は服部に占拠されてる
その上犬山の信清は同盟者でしかない
領地はまだ尾張の半分以上程度
その領地の大半も占領したばかり 「最新の研究」のように、信長が甘くて保守的な田舎のおっさんならば、
じゃあなんで天下布武などと思いついて実行してしまうのか
あいつらは名前を売りたいだけだ まあ定期的に新説出さないとメシ食っていけないからね仕方ないね 最近は有名になってお金稼ごうって専門家が増えてきているから、今までの通説を否定するのに必死。
その方がインパクトがあるから。
その結果うまくいって大河ドラマの監修とかになった者もいる。
例えば上杉謙信の度重なる関東出兵は家臣を食べさせる為だとか。
そんな少人数食べさせたところで何の意味もないがな。
常識で考えて、そこまで言うか、と思うがね。
磯田道史みたいにマジメにやっとる奴が言うならまだわかるがな。
専門家もアタリハズレがあるから気をつけろ! 磯田さんは戦国史に関しては専門家の間じゃそこまで評価されてない気がするな。近年はテレビ出演が多く忙しいからか最近ちゃんとした学術書とか書かないようだし。そう言えばちょっと前までは眼鏡をしていたっけな 信長は相撲好き、は確定だと思う。まぁもしかしたら武将ってそう言う人が多いのかもしれないけど 磯田道史みたいに古文書をスラスラ読めるようになりたい! 織田信長は松下幸之助やジョブズと同じで自分自身は凡人だけれども、
経営の神様タイプだったね! 信長自身も体育会系で水泳や乗馬や相撲で体鍛えてたから結構喧嘩強かったと思う 戦闘と戦略は得意だけどその真ん中である戦術に関しては苦手だったとよく言われてるな 武田信玄関連スレでは、織田信長は和睦詐欺や粛清をやりまくった悪の権化になってるぞ。 >>44
信長に関してはそもそも、「甘い」とされておられる研究者の方はあまりおられないように思うのですけれどね。 そもそも、天下布武自体の意味合いが、
そもそも「布武」という言葉自体が、
古代中国の礼儀作法を書いた礼記にある、「布程の歩幅で規則正しく歩く」という
事柄であって、天下布武、というのは、
「天下(当時は京都周辺・あるいは畿内一帯を天下、と呼称する事も多かった。)を、
礼儀正しく規則正しく歩いていく、やっていく。」
という意味合いであると、最近の論説では唱えられておりますしね。 55はそれほどキチガイでもないよ
信長はやたら真面目な人だよ、優しい人でもあるし
これ今の研究家が言ってるわけじゃなく、当時の人が言ってる >>55
明智憲三郎氏涙目
この人自分のブログ名を「天下布文」ってしてるけど
あれは絶対「信長は暴力的だが自分は文化的だ」ってアピールしたくて考えついたと思うんだよね >>55
語尾変えても、話し方や内容でバレてるぞ。ねえ君。 研究者ってのは通説を否定するために極端なこと言いすぎなんだよ
何事もせいぜいあくまでそういう一面もあった程度に解釈しておくのが無難 通説と同じこと言ってたら誰にも注目してもらえないからな まぁ天下布武が全国の大名ぶっ潰すって意味だと外交の書状に使ってたのが戦線布告になっちゃうけどな その優しさは命張った塙さんの遺族には別けて貰えんかったのでしょうか?