明智光秀、本能寺の変の目的は室町幕府再興だった!?©2ch.net
<明智光秀>密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci 家康の決定的な弱みを握ってるから信雄さえ統制できれば絶対刃向わない
滅ぼしておくよりも利用したほうが得だ、と思ってた
かもね 秀吉本人が望むほど寿命がもたなかったから最大の実力者に頼らざるを得なかっただけ そもそも前田が家康のターゲットにされて潰されそうになった時に
毛利、上杉、宇喜多は何やってたのって話で
いくら家康が強大な軍事力持ってても5大老の内4人が家康に反対すれば
思い通りにはいかんだろうに >>54
宇喜多はブチ切れて前田寄りの行動
上杉は帰国したばかりでどうしようもない
加藤清は前田側に立つと見られていて上洛出来ない様にしろと命令されてる
細川は前田よりの中立
石田は出兵を祝って召集中
大谷も準備中
まぁ石田は本当に前田討伐に参加するかは知らん 家康排除するなら前田が脅されてた時に4大老が淀と秀頼抱きこんで挙兵すりゃよかったんだよな
あの時点では家康に勝ち目はない >>57
それはやろうとしたが、邪魔したのが池田輝政を頭に頂き、田中吉政が
参謀を務める「秀次残党」。豊臣家を憎む彼らが、その動きを徹底的に
邪魔した。 >>51
秀吉は東海道に家康を封印するために、中村一氏(駿府)、山内一豊(掛川)、
堀尾吉晴(浜松)、池田輝政(吉田=豊橋)、田中吉政(岡崎)を置いている
からな。いずれも秀吉に近い人たちだ。家康をそれなりに警戒していた証拠だ。
まあ、これを役立たずにしたのも秀吉自身だけどね。全部秀次派で、秀次事件
で肉親を失い厳罰を食らった点で共通しているから、もはや豊臣のために役に
立たないどころか、死語派閥を作って豊臣秀頼に敵対し、家康に積極的に
協力している。 >>35
秀吉軍>>>明智軍
負け犬明智軍は糞過ぎて終わってるわwww ネット検索で得た話の自演だけならいい
まことは、人の話にも、断りを入れずに、ズカズカ意見を言ってくる >>41
実は明智光秀の遺体は3体見つかっている。
秀吉は特に確認もせずに秒速で光秀の遺体と認定し
それを即日、朝廷・全国の大名武将、民衆に喧伝して既成事実化した。
実際、光秀が生きてるか死んでるかなどどうでもよく
死んでる事にしないと世論が静まらないので迅速にそう言う事にした。 光秀と秀吉が共謀してクーデターで信長抹殺したんだろうね
で、光秀は汚れ役引き受けて、秀吉に花を持たせて天下人にした >>64
んなわけねーだろw
光秀は戦略を失敗したんだ。ノッブ殺害後に北進して近江制圧をしたが
むしろ南進して信孝殺害すべきだった。
万余の明智勢が来たら池田・高山・中山・本願寺は選択肢がなく明智に付くしかない。
石山を制圧したら筒井と細川は明智に付くしか選択肢がなくなる。 長宗我部さんは何してたんだっけ?指くわえて見てただけ?密書が届かなかった? >>66
密書が届いてから一週間後くらいには光秀死んでるから間に合わないだろ
実際、家康も勝家も間に合ってなかったし。
渡航するための船の準備って意外と時間がかかる。 ニュース速報+板にこんなスレ
【島根】本能寺の変 明智光秀 「室町幕府の再興目指すクーデター」 市立松江歴史館で開催
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1521608084/ 鬼は天上人の上に立つ気のようだ。
日本の秩序を守るため、鬼退治しなければならぬ。 >>64
秀吉黒幕説ってさ、光秀にも絶対に勝てる、そのあとも全部自分(羽柴)に都合良く展開
すると自信がある上でしか成り立たないでしょ。そんなこと読み切ること不可能だと
思うのだが。つまり信長が死ぬことで、大変な状況が少なくとも同じか今まで以上に
大変になると考えるのが普通なわけで、何の得にもならんじゃないか。 明智って信長を利用していたとか、
わけのわからんことばっか
言ってるけどこいつらってマジ馬鹿なのかな?
理解不能だよね? トントン拍子にうまく行くってこともあるけどね
あるいは予想外な展開になって、利益独り占めとか 旗印に使おうとしただけじゃね?
大化の改新だってただの殺人だからね 正当性なけりゃ 戦国大名家のほとんどが主家を倒すか臣下にしてのし上がった家ではある 天下統一目前の織田政権のトップと後継者を暗殺したんだよ
幕府の将軍殺しと同等のことをやったんだよ
普通の下剋上と一緒にしちゃいかん 重要自演キャラの自爆は致命傷である
そのへんは、いくらバカのまこともわかっていたらしい 子供の頃は無知な大人から光秀が極悪人のような印象操作されて信じてたけど、大学行く前あたりから寧ろ尊敬出来る人物になったのが光秀だわ
いまだに明智イコール謀反人ありきで騙る者の無教養っぷりが窺えるので、バカ発見機としても有能な人物 人が大事を起こす時の理由は普通、多数列挙される
これは直江状と同じだから理由は一つなわけが無い
しかしながら
一番の理由はやはり
信長マジヤベー、マジこえー、マジコイツいたら暗黒時代じゃんって恐怖だろうな >>78
逆だぞ
お前がバカ発見機にかかってるわw いつまでも手柄を挙げられ続けられる自信が無かったし、林佐渡、佐久間信盛父子、荒木村重、丹羽右近、安藤守就・尚就の追放を目の当たりにして、自分もそうなりかねないと思って、謀反が発生した >>83
78がどういう意図かは知らないが俺も明智は好意的に捉えているかな
本能寺に至る経緯については諸説あるが、朝廷の橋渡し役だった菊亭らと謀議はあったと感じる
元々、斎藤家にいた頃から古来の権威を重んじていた節があるし、衰退した足利将軍家再興を目指したのも戦乱を終えたあとの統治機構として有力だったのでは?
朝廷もしかりだろうし 大体にして土岐うんちゃら・斎藤道三の家臣というのも
創作の可能性が高いわけだからそれでどうこう言ってもな 義昭から離反した人間(光秀に仕えた面々は除く)が全然光秀に味方してないから
幕府再興が統治機構として有力だと考えられていたかにも疑問があるな
そもそも足利幕府の弱体化が戦国の混乱を招いているわけで
細川藤孝に対する手紙にも幕府再興については何も書いてないから
相手によって耳障りのいい事をいってただけだろう 日本国政府が樹立してまだ70年ほどだがそれでも絶対的なものに思える
240年続いた室町幕府ならなおさらだろう そもそも足利将軍家は武家連合の統率者ってだけで独自の武力はカスレベルに失墜してるからな
家名だけでトップに立ってるようなもん 秀吉の中国大返しは考えるほどおかしい行動だよな、なんであんなに必死になって京都へ急いだのかって
おれは毛利から必死に逃げたかったんじゃないだろか?って思ってる。明智と毛利で挟み撃ちにあって裏切りが続発して全滅 岡山に宇喜多が残ってるからね 地元大名で、4〜50万石、1万以上の動員力
毛利が全力で攻めても1年2年は平気で持つ そんなに綱渡りじゃない
よく考えると勝ち目はかなりある 当然やるべき作戦をやっただけ そりゃ関白にまで上り詰めた秀吉を我々は知ってるよ、だからそんなことはありえへん、って言うんだろうけど
当時はそれは恐怖だったろうよ、信長は突然死ぬ、強大な毛利は眼前にいる、宇喜多なんていつ寝返るかわからん
秀吉だって光秀だってうまれたときから信長の部下じゃない、なりあがりものでねたまれてたんだから >>92
宇喜多が寝返る。
直家が生きていたならあり得るが、死んでるから無いだろう。しかも一度、宇喜多は毛利から離反してるし。 最近見つかった毛利輝元の書状で
水軍が寝返って備中高松城に物資送れない。矢玉尽きてこのままでは負ける
って書いてあったはず
もう毛利も武田同様限界寸前やぞ
宇喜多が毛利に寝返る?有り得ぬ宇喜多秀家が何歳かわかってる?
信長は宇喜多は許さねー!とか言ってたけどあれは宇喜多に怒ってるんじゃなくて秀吉に怒ってるんだぞ?
実際織田家は宇喜多家を超厚遇してる 光秀ファンとしては、たんなる野心で謀反しましたでは辛いの? 個人的には黒幕説のほうが気に入らない
権力者の手先や道具にされたみたいで 光秀にみんなそっぽ向いたとこみると、やはり単独犯行、計算高い光秀にしては信じられない
衝動的犯行だろうな 主殺しなんだし誰も味方につかないことぐらい光秀も分かっていただろう まず光秀が室町幕府を再興する 絶対条件は足利義昭の速やかな死しかなくね?
どう考えても、生きてる限り 光秀の邪魔をしそう >>98
京極高次が領地取り戻そうとしてるけどあれは >>88
変な話、織田信長って新しい宿主を見つけた
[室町幕府]にしたら
[足利将軍家]は必ずしも必要ではなくなった感じかね
あと 個人的に足利時代が戦乱続きなのは本人たちが無能なのではなく 景気対策でわざとやってるとか思ってる 足利義昭が使えないなら阿波の足利義英を長宗我部使って上洛させれば解決 なんや、光秀の奴!
毛利や細川に約束したのは口から出任せやったんか(怒) 光秀ってドンだけ義昭の恨みを買ってたん?
なんか光秀が毛利と交渉しただけで全力で邪魔したってあったが… やっぱこの人を正義の人に仕立て上げるのは無理があるかも知れん かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂
光秀の置かれた状況、背景を知れば信長はあそこで殺すべきだった。日本の為には秀吉も殺すべきだったが。 嫌正義の人には間違いないよ
何せ光秀の正義とは光秀が最大の権力を握ってる状態を差すんやから 応仁の乱が大ヒットしたがそれに続いて観応の擾乱がヒットしたらしい
歴史書売り上げ一位二位
何の事かと言うと足利尊氏と直義、高師直の争い
建武の新政に対して中先代の乱で尊氏は鎌倉に、護良親王はどさくさに直義に殺され、尊氏は独立するが追討されて反攻、京都に上がるが叩かれ九州に追い落とされるが
再び九州から勝ち上がり湊川に楠木正成を撃ち取りついに後醍醐を南朝に追いやり室町幕府を立てる
その後数年で北畠顕家や新田義貞も滅ぶんだからそのまま武士と足利家と北朝の天下がきてよかったのにそうならなかった
そして仲良かった足利尊氏と直義は殺しあった何でか
これって、足利尊氏が人間の屑だったのな
足利尊氏は鎌倉に向かうが後醍醐に追討軍を出されると自分は反逆する気はない恭順すると軍は放り出す
仕方がないから直義が兵を率いるが奴だと折り目正しい内政はできても臨機応変が求められる軍事はからっきしでまるっきり負けどおし
直義は見捨てられないと指揮を取ったら連戦連勝で京都まで攻め落とすが南朝の名将達が総出でかかると九州まで落ちるが人望と軍事的才能で人が集まり再び天下を自分の物に
そしてその天下を自分には向いていないと直義にやらせて内政は全部丸投げ
尊氏は軍事的才能はある
人望もある
おまけに政治的才能もあるそれなのに天才なのになんでも面倒くさい、凡人と付き合うのは天才の自分には面倒くさいと放り出す
人間の面を被った悪魔なんだよ
有名な台詞に直義のためなら自分はどうなってもいいとのガンブンを神社に出す
政治は直義に任せるが裁量的な判断が必要なことは直義には向いていないから師直にやらせる
鎌倉時代からの知行がどうでは都に流行るニセリンジに対して直義にやらせる
フレキシブルに合戦の恩賞は即断で師直たちにやらせれ
軍事行動や恩賞の分配とか外交交渉とかの裁量的な外交的政治的判断が必要な部分は師直にやらせたり自分がでばる
理詰めで行ける部分は直義にそうでないなら別な奴に
その上でしかし、しっかり上に立ち自分が主君だとがっつりマウンティングして従わせて自分は従うしかないと思わせない
必要な時にはもうお前はようずみだとしながら引退させつつ顔を立て自分の権威として御意見番として使う
それをやらなかった
マウンティングせずにどちらにもお前はいい奴だ、俺はお前の為なら死ねる、いい顔をする
そして丸投げ
それでは家臣は保たない、堪らない
直義と師直は殺しあうしかない
尊氏の為には俺がやるしかいから
悪い女に見いられた男達は死んでいく
佐々木道誉は悪女との付き合いかたがわかってた、悪党
師直=尊氏と直義の争いは基本応用と軍事が得意な師直有利に進むが基礎を固めない尊氏と師直が取りこぼして倒される
その時に尊氏は師直が悪いと自分のはるか後ろで引き回して投降、師直が殺されると悪者は始末された
お前は何をもたもたしてたんだと主人面
直義を顎で使う
直義側の後の管領家の細川は事情がわからないから目を白黒
まもなく人を束ねて力を取り戻した尊氏になすすべなく追い落とされ直義は暗殺されて死ぬ
後醍醐にも直義にも師直にも誠心誠意その時は尽くして時期が来たら放り出す
それは裏切りでも計算づくでも謀略でも何でもなくそういう存在だから、そういう天災のようなものだから諦めるしかない 尊氏は気前よく誰にも恩賞を与えよい顔をしそして気がついたら戦ってて裏切る殺す
そういうやつで毒牙は直義師直だけじゃない、たまたまこの二人は立場上もろにそれが出ただけ
より深く天才に魅せられとりつかれた凡人や天才にはなれない秀才
どんなに天才でも才能に恵まれてても政治的には真面目に取り組まないとダメ
項羽や韓信になって滅ぶから、彼らは無駄に才能あっても政治に骨を折らないから倒される粛清される
軍事的才能、人望、政治的才能のある足利義政が足利尊氏
しかし、真面目にやらなくても直義の鎌倉時代にも師直の下克上にもどちらもいけないバランスの中にしか時代はついていかないから、直義でも師直でもない尊氏しか天下を統御できないから
なら早くそうしろ、最初からそうしろの話でそうしなかったことがたたって室町幕府は安定せずに潰れるが
足利尊氏はウソつきでも精神病でも利己主義者でも優柔不断でも八方美人でもない
真面目に、真面目にやらない存在だから、
為政者のくせに為政する才能あるのにぜんりょくで自分はやらないで他人にやらせて責任取らないでしかも仕留める時は絶妙
真面目にやらないことだけには真面目だった
凡人を見下してでも愛される天才
例えば西郷隆盛、彼も政治は天才であるが真面目に取り組まないが故に放り出した
凡人を見下さないから余計始末が悪いが
迷惑そのものの無責任だからかそ無能力な凡人に愛される
尊氏は関わった振り回された奴だけ
西郷は大久保がきちんと引き継いだが
そういう無責任無能力の大衆に故に愛される系譜の頂点はジーザスクライストスーパースター
直義も師直も尊氏にとって代わろうとはしなかった凡人の直義や天才ではない秀才の師直は天才に代わろうとの意思はなく振り回されて殺された
大久保はとってかわる意志があり責任を果たしたから良いが
天才だが真面目にやらないで人を振り回すがなんだかんだでつじつま合わせる天才とか漫画や物語の世界だがほんとにいた
周りには迷惑きわまりない触れたら危険の人間の屑
まごうことなく真面目に取り組んで権力を手放さずどうしても部下に反逆され続けて
佐久間信盛にキレ、浅井長政に荒木村重に裏切られ最後に本能寺に倒れた信長
政治的天才でひとたらしで疑いようのないのに才能をろくなことに使わず、更には後を任せられる後継者を育てられない秀吉
真面目は真面目で大変だが
真面目にやらないとか才能なければめちゃくちゃにして普通は滅ぶだけ
真面目にやらないが才能だけは抜けててとってかわる奴がいなかったからあの異常事態
それが観応の擾乱 「光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・丹波市 」 >>1
本能寺の変の時に必ず「天下統一目前にして」っていうけど九州や東北は手つかずだし関東や中国、四国もこれからで全然目前じゃないんだが・・・・
あのしょうもない嘘八百の決まり文句考えたやつ誰なんだか
それをバカの一つ覚えみたいに使いまくるバカメディアも相当だわ 当時の天下って京都周辺のことだからな・・ という知識は一般人にはないから、たしかに無理っぽい >>108
在日中韓人にとっちゃ正義の人ですわ
無知だったんだろうが、変後皇室叩きもしっかりやったからな
その功績を称えて来年、中韓人テレビ局のNHKに天才武将として登場します 明智光秀「俺は本能寺の変を
起こした明智光秀だ!凄いだろ?」
明智の思考回路っマジクソアホだよな!? 大層な理由などない
ただの私怨だよ
信長も悪い
キンカ頭と馬鹿にされりゃそりゃ恨むわ >>116
関東や東北の大名に討伐すべき敵が居ない
九州も一応大友や島津は織田に従う
毛利・上杉は虫の息、長宗我部は田舎大名
天下統一間近なのは間違いない
ただし、島津大友が戦い続ける事は有り得るし、関東諸侯と北条が戦端開けばどうなるかはわからない >>114
長いけど概ね合ってる。
尊氏は、天才過ぎる。 足利イデオロギーで洗脳された工作員だと思う。
足利義昭およびそのブレーンが考えた信長工作は何段階にもなっていて、
信長の信頼を得て、いつか必要な時に信長を殺すための捨て駒として
それを目的に生きていた人なのではないか。
ルバング島の小野田少尉のように、織田政権中枢にあって義昭が追われても
なお信長を殺害するためのコマとして温存されていたのではないだろうか。 >>121
北条がもっと積極的に動けば歴史は違ってたかもね。 もともと将軍義輝の家臣だったらしいから、思い入れはあっただろうなあ
主君裏切りを正当化するために足利将軍を利用しようとするのは当然か
義昭は備後でずっと反信長活動してたし 誰でも思いつく一手 義昭は光秀の横領が酷過ぎると信長に告げ口してたくらいだからそんなに仲良くないぞ 山崎の合戦で死んだのは影武者荒木山城守行信
光秀は荒深小五郎と名を変え現在の岐阜県山県市に潜んだ
荒木の「荒」と、荒木山城守の忠誠に深く感じての「深」で
荒深小五郎と名乗った事実は地元では誰でも知っている
つまり、山県市の荒深姓は明智光秀の直系子孫なのである
住民は皆誇りを持って胸を張って生きているのだ! 小和田先生は、「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 麒麟がくる」内で、
光秀が「とくに信長の義昭に対する横暴な振る舞いについては憤りを覚えたに違いありません」
って書いてるけど、光秀ってそこまで足利義昭に思い入れがあったんだろうか
「家中軍法」で信長に対する感謝をはっきり書いてるみたいな資料か何かの根拠が、足利義昭に対してもあるのかな
小和田先生の著作を読むと、先生は光秀を「名門の出身で、古き良き伝統を守り、朝廷や足利義昭に忠誠を誓う真面目な人物」
みたいなキャラと想定していて、例の「ときは今〜」の句も謀反の決意を示しているという可能性はある、みたいに確か書かれてたけど、
フロイスの光秀評は全く信用ならないと考えておられるんだろうか
今回のドラマのためにいくつか解説本を買ったり借りたりして、読めば読むほど、フロイスに人物評の方が合ってるんじゃないかと
思えてくるんだけどなぁ
「名門土岐明智氏出身という割に、下っ端扱いで本人もそれをアピールした形跡が無い」とかの記事の方が説得力を感じる
周囲に言いふらしてるけど、明智の名は本人にとっては出世のための道具にすぎないとしたら、出陣の句に「土岐氏の再興」の意味なんか
込めたりするかいな、と 記憶がおぼろげだがオカルトにこそ真実があるのかも
しれない
信長「光秀が謀反だと?どういうことだ。わぜわしを
裏切った魔修羅−っ」
??「ぬかりおったな。まさか瑪羅門が動くとは」
信長「瑪羅門…?」
光秀(外見)「撃てーっ。信長を討取れーっ」
光秀(本当の意識)「い、一体何が起きてるのだ。わしの
口や体が勝手に動きお館様を討てと言っておる」 やっちまってから、後付けで将軍義昭を担ごうとしたり幕府を再興なんて言い出したりはしただろうけど、
最初からそれを目的にするとは、まず思えない なんだかんだ義昭は京をあとにしても毛利家の庇護を受けて鞆幕府を開いてたんだもんな。幕臣の槙島昭光は義昭の死後は豊臣家に仕え、大阪の役まで西軍で戦ってる。 http://www.aqast.net/910honnouji.html
下克上が当然だった戦国時代の光秀を、主君殺しの“悪人”かのように仕立てたのは、光秀討伐の
“大義名分”を明らかにしたい秀吉であり、また幕府への忠義を第一として政権安定をはかりたい
のちの家康が、“君に忠”を旨とする「儒教」を統治政策として広めたためです。
そのため、当時、下克上は悪ではなかった戦国時代にあって、しごく「正当」な理由でもって信長を
弑逆した光秀を、“二流の極悪人”かのように印象づけたのは、天下が治まってのち、謀反(下克上)が
起きると再び世が乱れるからで、歴史上、必要だったとはいえ、豊臣政権下や徳川政権下以降のお話です。
その見方を現代の私たちも引き継いでいるために、光秀といえば、主君信長を殺した低レベルの
“悪人”といった印象を、われ知らず抱くことがあるわけです。 “実力主義”の織田家家臣団のなかで、光秀は頭抜けた出世頭であり、丹波、山城、坂本(近江)など
34万石の筆頭家臣でした。
それほど功績や実力があったし、また光秀の妹(義妹説もある)は信長に輿入れし、側室(愛妾)となっていました。
信長と光秀は、「濃姫」つながりで“遠戚”であり、妹「おつまき」ゆえに“義兄弟”なので、義理とはいえ
信長と光秀の“身内コンビ”によって、信長の京デビューや天下取りは成し遂げられていったといえます。
天正5年(1577年)に、光秀には信長のお膝元である「丹波征討」が命じられる一方で、秀吉には
最前線で遠方の「中国征討」が命じられています。
どちらがより危険なのかは、中央からの距離や敵勢力の多寡(たか)をみれば明白です。
つまり、信長からみて親族でナンバー2の光秀と、下っ端からのたたき上げで使い捨ての秀吉との格差は、
史実からいえば天と地ほどの差が歴然とありました。
それが、歴史の結果としてみると、光秀は“三日天下”に終わり、秀吉は天下をとったがゆえに、光秀は
貶められ、それまでの織田家臣団における功績も、また姉川の戦いにおける「金ヶ崎の退(の)き口」などを
みてもわかるように、まるで秀吉が大活躍したかのように伝えられ広まっていったわけです。
信長最大の脅威であった甲斐(甲州)の武田信玄も、越後の上杉謙信も病に倒れ、信玄のあとを
継いだ武田勝頼とその騎馬軍団が信長にとって身近にある最大の脅威となっていました。
その勝頼を、天正3年(1575年)に「長篠の戦い」によって破ると、一時は和睦をしていたのですが、
「本能寺の変」の天正10年(1582年)2月、とどめをさすべく嫡男・織田信忠を総大将として、
徳川&北条軍とともに「甲州征伐」にでます。
同年3月、勝頼は天目山の戦いによって正室や嫡男とともに自害し、勇猛をほこった武田軍団は滅亡します。
もはや近隣に信長を脅かす敵はいません。
同時に、それまで芳しい実績がなかった跡継ぎ最有力候補で総大将を務めた嫡男・信忠に、武田家
滅亡の大功績をあげさせることに成功したときだったのです。
つまり、名実ともに信長の“後継者”として信忠を周囲に認めさせることができました。
それは、家族思いで、シナ大陸進出の大望を抱く信長にとって、最大の課題であり念願でした。
織田一族による「天下布武」はもちろん、嫡男・信忠に近畿一円をはじめ天下を治めさせ、次男・信雄には
四国を与えて、磐石の体制を敷き、自らはシナ大陸に進出していく“壮大な夢”が可能になった年だったのです。
ところが、そんな信長の心をどう見誤ったのか、同年4月21日に帰還した光秀は、織田家家臣がいならぶ
面前で「我らも苦労した甲斐がありましたな」と言ってしまったのです。
これに信長は大激怒します。
当然です。
せっかく信忠を総大将として、武田家滅亡の勲功をあげさせ、天下に後継者として認知させるキッカケができたのです。
それを、たしかに光秀は活躍しましたが、“手柄”を横取りする言動のみならず、信長の“壮大な計画”を
頭から台無しにする言葉を発してしまったからです。
室町幕府の将軍だった足利義昭は役立たずで、もはやいません。
新しい国家秩序をもたらす信長を補佐し、粉骨砕身、数々の手柄を立ててきた光秀でしたが、信長の側室、
妹の「おつまき」もすでにおらず、信長が天下を視野にした今、明らかにかつては“義兄弟”だった光秀は、
秀吉と同様に使い捨ての駒に落とされたのです。 もともと頭の良い光秀は、このとき、“信長は成長した嫡男・信忠と次男・信雄に天下をゆずり、功労がある
ナンバー2の自分(光秀)といえども、もはや使い捨ての走狗(そうく)にならざるをえない”ことをハッキリと
悟ったのです。
もちろん、光秀にも妻子や家臣がいます。
後がない光秀にとって、領地をはじめ妻子や家臣の保全を図ろうとすれば、もはや信長を討つしか開ける道が
ないのは明白でした。
それを実行するなら、最大にして最後のチャンスが、1万3千の軍勢をもって、居城の一つだった亀山城(丹波)を
出立した天正10年6月1日の翌日、つまり「本能寺の変」の当日のみでした。 今の会社勤めとかでもそうだけど
一番気にかかるのは人間関係だろ
人間関係がこじれると会社辞めたりするだろ
光秀はもう信長との長年の関係に疲れたんだと思うわ 家臣団にそそのかされた説
光秀の代表的な家臣といえば
美濃衆、近畿衆、丹波衆
どれも信長が嫌いだろ 秀吉の援軍命じられてたんだぞ
計画的ならとっくに秀吉軍に先遣隊送っておいて
本能寺と同時に秀吉を背後から襲えたでしょ
播磨も丹波も光秀のもんになって、柴田と対決できる
本能寺は光秀の単なる思いつきだよ 仮に光秀が幕府再興を考えてたとしても、家臣団までが同じ考えとは限らないよな
光秀「将軍のために謀反を起こそうと思う」
重臣「反対です!」
これで話は終わり この期に及んで室町幕府を再興しよう、なんて本気で考えるくらいなら、もっと以前から信長と足利義昭との仲を回復しようと努力したり
するだろうし、そもそもそれ以前に義昭を見限ったりしないだろう 輝元の首を届けることなど造作もないことだし命令とあらば従うけど
滅ぼすんじゃなくて和議をして配下に加えるって発想信長にはないんかね?
って、秀吉も信長の差配に不満持ってたってどこかで読んだ。 秀吉曰く「信長という人は勇将であったが、良将ではなかった。彼は剛が柔に克つことを知っていても、柔が剛を制することを知らなかった」残念 柔よく剛を制すで毛利を配下にした結果、死後にその毛利に内戦起こされて豊臣家滅亡まで追い込まれんたんだから世話ないよな
信長だって秀吉だけには言われたくないだろう いよいよ特亜三国潰れそうになってるから工作員必死
江戸政権見習って、欧米追い出せ特亜と昵懇になれ 家康にとって光秀は神だったろう。あのまま信長が生きていれば突然何言ってくるか分からんからな。実際に息子と正室が奴の一声でやられてる。