明智光秀、本能寺の変の目的は室町幕府再興だった!?©2ch.net
<明智光秀>密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000004-mai-soci あれ、家康自身の事情だぞ
家忠日記とかでも明らかに内紛直前のただならぬ情勢を描いてる。
つーか家康は伊賀越えでどうにか逃げて
危うく明智方に殺されかけてるのに神はねえだろw
もうちょっとで家康も穴山と同じ運命だったわけで。
光秀としても是非そうなってほしかったことだろうよ。 未だに山岡の小説信じてるジィさんがいるんだろうな
化石w >>152
信康築山殿を殺させたのは信長 まだこんな与太話を信じてるヤツがいるとは
あれは徳川家のお家騒動 家康好きの信康と築山を惨殺した事
光秀好きの光秀の謀反
どちらも心の重荷としてはあんだろうなw
その為にこのスレはあんだろうからw 家康はまだ二人を殺しちまったショックで寝込んだ記録が残ってるから救いはあるやろ 寝て忘れる事にしました。
築山の供養をする気はまるっきり無いです 信玄ですら息子の処分はできずに幽閉に留めたというのに家康ときたら・・・ 離縁しても今川を他でもない家康本人が潰しちまったから築山には帰る所がない
仮にも正妻を野垂れ死にさせる訳にもいかんだろ 築山から家康宛ての手紙に「私はあなたの正妻で信康の母です。私の父はあなたのせいで死にました。こんな寂しい所に放って置かないでもう少し情けをかけてくれてもいいじゃないですか」とか書いてたな。
言ってる事はその通りなんだけど、こういうプレッシャーかけてくる人だと家康と性格は合わないかもな 最近の研究で信長は幕府再興を本気で考えてた説が正しいならば悲しいスレ違いだったな
ノッブ「三職のどれかに就け?アホかいな、まず義昭公に戻って来てもらうのが先決やろ
元部下だった光秀連れてくのも公を保護してる毛利と話つける為だで」
ミッツ「うぉおおお幕府再興の為に信長を殺せええええ!」 根本的に先ず足利幕府再興という大義名分があったのは間違いない事。
九州の島津も義昭に呼応するなど、
影響力は保持していたのは間違いない。
そして、伊勢氏や京極氏など、
幕府の中核のメンバーが、
最後まで光秀に付き従っている事を考えれば、
それはある程度機能したと考えられる。 ただ、信長暗殺の真の理由は、
家康暗殺をしくじった事で、
信長暗殺に傾いていったのが
最大の理由だろう。 元々、家康暗殺は、織田家筆頭家老の、
謀略のスペシャリスト、
佐久間信盛が考えた策だった。
長篠の合戦で、武田が突撃すれば、
佐久間は寝返るの謀略を信じ込ませ、
武田騎馬軍団を壊滅させた信盛が、
次に任されたのは徳川家の滅亡であった。 信盛は、自身を非難させ、
高野山追放までさせて、
家康の油断を誘った。
ここで誤算が生じたのは、
信盛が高野山で死亡してしまった事だ。
信長はこの計画を光秀に託さざるを得なかった。 光秀は信長に仕える以前は、
細川藤孝の家臣だったのだが、
光秀曰く「信長に室の縁者として、
高禄で誘われている」と言う訳だ。
実際に光秀が帰蝶の従兄弟であることは確実で、
それ故に、中途採用でも、
スピード出世していったのである。 織田家の正室の外戚という立場で、
出世街道を上り詰めた光秀は、
縁者として一番に信頼されていたので、
信盛亡き後、家康暗殺の謀略を託せる
唯一の家臣であった。 秀吉や柴田を遠征に出し、
自身も京に僅かな手勢で家康を油断させ、
上洛させる事に成功した。
そして宴の円で毒殺するはずが、
家康に警戒されてしくじってしまったのだ。
この時、信長が光秀を強く打ち付けたのがコレだ。 その後、信長は厳命した。
堺に向かう家康を討ち取れと。
ここで「敵(家康)は本能寺にあり」
と言って、本能寺に攻め込んだのが
本能寺の真相である。
当時の雑兵も、家康を討ち取るものだと
ばかり思っていたようで、
実際に家康暗殺は公然の秘密であったようだ。 筒井順慶は落ちる家康を大和領内で
仕留める役割だったが、
家康はソレを察知して甲賀伊賀より落ち延びていった。
落ちる家康を光秀が筒井の追討から救ったのが、
洞が峠の真相である。 元々、明智軍は、室町幕府の奉公衆を束ねた集団であり、
元々は足利幕府の軍であった。
ソレが義昭の謀反で、織田軍に
付き従ったのが明智軍なのである。
従って、幕府再興の大義名分で
信長を討ち取った事で、
伊勢氏や京極氏等、旧幕府の重臣は、
最後まで光秀を信じて戦い抜いたのである。 光秀や旧幕臣にとって、
家康を京に誘い出して騙し討ちする事に
大義名分が無かった。
一方、その様な謀略で
家康を暗殺しようとする信長こそ、
討つべき相手だったのである。 そんな中、細川藤孝は光秀になびかなかった。
なぜなら、細川藤孝は、元々光秀の上司だったあらである。
幕府の重臣の家柄であり、
光秀は所詮美濃の土豪にしか過ぎないのに、
信長の縁で立場が逆転しただけで、
光秀を対等に接する事になったのも、
信長あっての事だったのに、
その肝心の信長を、光秀が討ったのである。
とりなした信長が居なくなった以上、
格下の光秀付き従う理由が藤孝にはなかった。 そしてまた、足利義昭への書状を、
秀吉に奪い取られてしまい、
幕府再興の大号令をかけることができず、
毛利との連帯に失敗して、
秀吉の大返しを許す事になった。 秀吉は恐らく、家康暗殺の事は
知らされていただろう。
それで、混乱する畿内に戻る為の
手はずを整えていた。
ソレがはからずも、光秀討伐軍の
大返しに切り替わったのが真相である。 以上が本能寺の真相であり、
いずれ、家康暗殺計画の書状が見つかる事で、
これが真実である事が明らかになるだろう。 光秀が織田家の家臣になったのは濃姫の縁者だからではなく、妻木城攻略後に信長の
女房衆(側室かどうかは不明)の一人になった「御妻木殿」が、光秀の義妹だか従妹だか
だったことによるのではないか?というのが今の説ではないの? 将軍義昭に仕えてて途中で信長に乗り換えた人は他にもいたんだから、そんな光秀だけに特別な事情があった、
とかは考えなくていいんじゃなかろうか ちなみに信長の生母の土田御前の
土田家は明智家の家臣であり、
また生駒殿の元夫も土田氏だったと言われている。
また土田氏は近江の出自であり、
この辺が光秀が近江出身とも関連して来るのだろう。 そもそも、長良川合戦後に、
なぜ明智家が攻め滅ぼされたのか考えると、
斎藤道三の美濃制圧において、
最も重要な役割を果たしていたから
と言えるわけで、
ソレはやはり明智家の娘、小見の方を嫁がせ、
陪臣として相当な権力を行使できたからに他ならず、
その娘を織田家に嫁がせた事も、
権力を行使した結果と言えるだろう。 光秀は足軽だった→秀吉のパクリ
光秀は山崎で殺されず天海になった→義經のパクリwww
本能寺の変の黒幕は家康ってのは↑のパクリを
でっち上げるための嘘
光秀は信長の寺院に対する
弾圧に反対していた→延暦寺で
虐殺しまくり、おまけに丹波で
残忍に人を殺す
捏造伝説明智光秀www >>139 >>1
光秀が34万石になったのは1580年
本能寺の変の2年前でそれまでは近江6万石の領主で森蘭丸18歳5万石と同じくらいの武将だった
しかもその近江6万石は蘭丸の父の森可成の領地で可成が討死して光秀の領地となった
森は浅井朝倉3万の兵を1000の兵で撃退したが
その後に浅井朝倉が呼んだ延暦寺の援軍僧兵が加勢して戦い死んだ
しかも光秀は甲州征伐後では信長に蹴り入れられているし
光秀は確かに信長お気に入りだったがそれは光秀が信長に今でいうお歳暮を欠かさなかったことが大きい 丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) 光秀が信長を裏切ったのではなく
信長が光秀を裏切った 嫡子(養子)の小十郎に家督を譲ることを懇願したけど許されなかった。
主君殺しをするには十分な動機です。 本能寺の変を起こした光秀を
すごいと褒め称える烏合の衆の、
低脳さっていかほどなの? 室町幕府再興といっても、統治機構はもうないわけです。これでは非現実的だし、単に、義昭を備後鞆から呼び返せばいいというわけにはいかず、従って、中川、高山、筒井も、そっけない沈黙を返したにすぎない 室町幕府再興っていうか天下布武政策の否定じゃね
何が悲しくて都を離れて何百里の地方大名を討伐しなければならないのか?
織田天下政権に逆らってるわけじゃないのに。
武田でさえ必死で講和の余地を探ってたくらいなのに。
北条だって織田政権の分国でいいと言ってるのに。
なんで討伐しないといけないのか?意味がわからなかったんだと思う。
滝川一益も茶器に仮託して不満を漏らしていたように、
みんなうんざりだったんだと思う。
特に明智は年寄りだったし、近畿管領として政権の中枢にいると
思ってたのに、僻地に行かされるなんて、うんざりしてたし、
秀吉も同じ考えだと思ったと思うよ いつまでも手柄をあげつづける自信もないし、年寄りだし、自分が死んだら領地はみんな取り上げられる、その前に追放されかねないという恐怖があったと存ずる >>190
こいつ↓と同程度だよ
FAIRY-THE-GOD
トンキャンキラーだからブロック推奨 同時代史料
「戦争終わらせようと頑張ってた信長が殺された?光秀って戦争まだ続けたかったんやな」
義昭周辺に手紙送ったのも、戦争仲間募集のお知らせ
世論作りが好きなマスコミはよく事実と真逆な話を吹聴する
レアなとこではウク露戦、あれ正しくは2014年開始の戦争で、仕掛けたのはオバマ大統領 仲間はずれはどれだ?
森長定(蘭丸)
森長氏(力丸)
森長隆(坊丸)
森長恥(大坊) 光秀が戦をやめたくて信長を殺したとしても、自分は主殺しなのだから状況は悪化するのではないか
戦をやめたいなら領地を返上して隠居すればよかった 呉座勇一だったっけ…「本能寺の変についても明智光秀の動機なんかは学者的にはどうでも良くて肝心なのは変の前後で何が変わったのかとか何がどう先に影響したかだ」とか言ってたのは
でも学者でない身としてはやっぱり明智光秀の動機が一番気になるんだよなあ 変以前は毛利・上杉・北条などの大名が敵だった
↓
それに加え羽柴・柴田などそれまで味方だった勢力までも敵に
どう考えても気が狂ってる REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担