武田信虎は過大評価されすぎ!!part1 [無断転載禁止]©2ch.net
武田信虎!
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君!
武田宗家の統一、武田宗家の統一、今川氏の侵攻撃退、
上杉、北条との共闘、上洛し足利義輝、義昭に幕臣として仕える、
北畠の志摩侵攻、六角の近江侵攻、、
どう見ても誇張されすぎ!過大評価にも程がある!!! わが夫信虎殿の暴虐に対し、晴信は、やむにやまれぬ決起だったのでござります。では 信虎の命を助けるために駿河に隠居させた晴信の優しさな >>130
一応反対者はいたはず
あと信虎の取り立てた手駒は佐久の抑え >>130
時代が早すぎたんだ
城下町作って重臣を住まわせてヒンシュク買った
信長の時代になると当たり前なのにな
他にも兵農分離して戦専門の部隊作ったり先見性があった あと信虎の時ついてないぐらい100年に一回規模の連続災害、飢饉があってな
それなのに北条今川も甲斐に侵入して放火三昧で軍事行動も頻発し国力疲弊させたけどこんなもん晴信だってそうなるわってぐらい気の毒だった 信玄は、今川義元死後に駿河を攻めたのは失策だと思う
結局、駿河は一時的に支配しただけだし、北条との同盟も破綻した
今川と敵対した事が、嫡男の義信の謀反の原因にもなったし、駿河侵攻はいい事無しだった
義信を失った結果、家臣団に人望の無い勝頼を跡継ぎにするしかなかったのも、武田滅亡の布石にもなったと思う
あの時、今川は滅ぼさずに逆に庇護して、吸収合併する方向で駿河を支配する方が得策だったと思う
北条との同盟も維持できたし
勝頼も勝頼で、上杉謙信亡きあとの上杉の後継者争いで、北条血筋の景虎を推さずに景勝を推したのも判断の誤りだと思う
結局、あの判断で北条との同盟は破綻して、武田の周りは敵だらけになってしまった
武田は、信玄も勝頼も、隣国との関係を作るのが下手だった事が滅亡に繋がった気がする 過大評価って
若年で家督相続したため重臣、国衆も信虎嫌って敵だったり叔父の油川の勢力が強大だったりゲームしかやったこと無いやつは知らんだろうけど小山田と穴山もそれぞれ今川、北条についてて国内統一もしてないのに当時の日本第2、3勢力の北条今川が甲斐に侵入し荒らし回る
この状況チー牛のお前に打破できたとは思えんがなw
しかも今川の大軍撃破したことにより今川とその時の遠征軍総大将福島正成の関係悪化させ家督争いが起きると義元と家督争いしたほうについた福島では義元に味方して恩を売り北条と敵対関係にさせる
戦略外交も凄い人なんですけど