武田信虎は過大評価されすぎ!!part1 [無断転載禁止]©2ch.net
武田信虎!
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君!
武田宗家の統一、武田宗家の統一、今川氏の侵攻撃退、
上杉、北条との共闘、上洛し足利義輝、義昭に幕臣として仕える、
北畠の志摩侵攻、六角の近江侵攻、、
どう見ても誇張されすぎ!過大評価にも程がある!!! ドM調教してた宮崎ますみに、駿河追放後放置プレイされる信虎 信虎が専制君主化しようとしたら国人に担がれた晴信謀反
信玄国人の顔色伺って専制化つまり戦国大名化できず
国人の支持取り付けるために利益誘導するため信濃で略奪三昧で拡大不調
安易に信濃で所領安堵なんかしたら甲斐国人にわたせないじゃないかで無駄な戦続き
その構造死ぬまで続いてあと継いだ勝頼下手打ったら穴山小山田離反と >>5
信虎だったら全て解決だな。
国人の利益関係無しに合理的に戦をしかけ、
連戦連勝できるから。 信虎は馬場や高坂や山県やら滅ぼしまくってるからな
嫁の大井氏も滅ぼした時点で通婚してた穴山や小山田も次は俺らの番だと晴信担ぎだしてる 信虎にかけていたのは寛容の心。寛容さえあったら、武田信玄などよりずっと上。 専制君主は長続きしない。
信虎や信長みたいなのは、どれだけ優秀でも短命政権で終わる。
史上最も専制君主として成功したルイ14世でさえ、
その孫の代に人類史を塗り替えるフランス革命を起こされる始末。 >>9
孫? ルイ14世の孫は早世したんだがな。後継者はひ孫のルイ15世。
フランス革命が起きた時のルイ16世はルイ15世の孫。
それとフランス革命は14より15の時の専制のほうに問題があるんだが。
もっと勉強しような。 武田信虎は実績あるだろ。だいたい、信玄が信濃に侵攻すぐできたのは、信虎が既にそれを始めてたから。
信虎がもう少し政治(駆け引きとか外交はうまい)、特に内政ができたら問題ないんだが、本人はその能力に欠けて部下にも政治できる人がいなかったみたいだな。 >>9
文明の進化にはいくつか段階があってだな
専制化して支配と搾取しかしないと失敗するだけで
正常進化は確立した王権の強権で統治機構のシステムを構築すること、中央集権化とか官僚機構の構築でそれには法治が必要、高校の世界史でマグナカルタとか習ったでしょ(取ってたら)
江戸幕府がバカ殿が将軍なっても潰れないのはこの辺が成功してシステムとして法治を行い幕閣組織がちゃんと機能してたから
この辺が適当でその時々の有力者の権限絶大な人治合議制だと義教暗殺以後のgdgd室町幕府になる
成功した専制、絶対王政体制で安定した状態が続くと経済が隆盛して中間層(市民・資本家・商人)が育ってくる
で、それら新興の民意を反映した次の段階、立憲君主制とかの民権体制への移行になるがこれに失敗するとフランス革命になるという
この最初の段階の、国人領主が乱立する中世封建社会の甲斐で絶対王権確立しようとして失敗したのが信虎ってこと 分国法つくった信玄、つくらなかった信虎、そして、十七か条で上司を脅した信長 >>16
今川義元の追加法は甲州法度次第の後だから違うような。 まあただ一つ言えるのは
信虎が居なければ信玄はなかったってのは事実って事だな 秀吉や元就みたいな成り上がり者は
「父のおかげ」ってことはないだろう 信虎が武田家の強固な基盤を作り上げたのは間違いない。 >>15
アメリカに負けた状態で条約結ばされた日本が信玄というか
無法な世紀末に剛勇ふるって一人勝ちの独走体制作ってから勝った側の優位を固定するような法律制度を施行しないと意味が無い(アメリカさんの経済政策みたいに)
他に有力者が居るような不利な状態で法律で手足縛られたらいつまでたってもお伺い立てる御用聞きのままだ
尚、分国法ってのは基本的に慣習法なので裁判・裁定用の物
常識だろそれといいながら個々人で僅かに認識にずれがあるものを1つにまとめて明文化した民法典だから(作った側の恣意的な文面にはできるが)
法治、法の支配ってのは上の権限や行動を制限したり縛る物(武家諸法度、公家諸法度、憲法、公務員法、公職選挙法など) 結局は小山田と穴山をどう抑えるかなんだな
勝頼の代で武田が滅ぶときに小山田と穴山は裏切りやがった 信虎が使ってた家臣使えたんだから経営は楽だっただろうな
あるていどの制約があるとは言っても
信長なんか分裂状態だったし格上の今川からもちょっかいかけられてたし大変だっただろうよ >>29
全然楽じゃない。
信玄は信虎の負の遺産のせいで最初は重臣の傀儡だったから、
信長と同じくらい大変だったよ。 信長は分裂状態だし親戚とは仲が悪かったしはるかに格上の今川にちょっかいかけられてたから信玄なんぞとは比べ物にならんぐらい辛いんだけど?
信長の初期状態舐めすぎじゃねえか? >>31
信長は尾張最大の軍事力と資金の実権を持っていたからマシ。
信玄は甲斐最大の軍事力と資金の実権が無いお飾りからのスタート。
一手間違えば親族も重臣も皆反乱し、首が無くなる。 信長は一手する前に親族や重臣も離反したけどね
当時の彼の軍は実質親衛隊だけと言ってもいい、まあそれが彼には気楽だったろうけど >>33
甲州金って信虎の時代から武田家の金づるで
不毛な赤貧地帯(寄生虫風土病のおまけつき)の甲斐の軍備と土地開墾・治水の原資になったんじゃ? >>35
そだよ
だから信玄はホントイージースタート >>30
重臣に担ぎ上げられて当主になれたんだから当たり前じゃん
何が負の遺産だよwww >>38
でも戦乱続きの甲斐を統一してくれていたし、信濃侵略の道筋をつけていてくれて、今川と婚姻同盟まで結んでいてくれた。武田信玄はやはり恵まれたスタートでしょ? 武田信玄を担ぎ上げた家臣団にしても、他に神輿はないわけだし。 >>40
それなんだよね。信虎が晴信ではなく信繁に跡継ぎをさせようとしたのはよく偏愛とされているけど、本当に偏愛かな? 晴信が病弱なのは事実だったみたいだし、能力はともかく度量とかでは信繁のほうが優ってそう。
信虎は本当に偏愛だけで晴信を廃嫡して信繁を立てようとしたのかね? 家康同様派閥が二つに分かれてた可能性が高そうな気がするな
そして晴信党が勝っただけ 信長の場合はうつけと言われようが親衛隊を勝手に組織しようが全く気にせず、
織田家屈指の実力者だった佐久間信盛が一貫して信長の味方だったのが大きいよな。 つまり重臣の林や柴田、弟の信勝に背かれた信長は重臣の板垣と小山田が従ってくれた信玄よりキツいって事だな 信勝、林、柴田に背かれたのは信長自身の人望の無さが招いた結果でしかない
しなくてもいい内輪揉めを誘発させた信長の自業自得 人望で信繁を上回って傀儡の座を確保した晴信
人望で信勝を下回って戦で挽回した信長
どっちも茨の道 >>46
しなくてもいい内輪もめを誘発。
どうしたらそういう風に捉えられるんだ? 信長はそいつら全員許してるだろ? なのに信勝は再度謀反を計画して自滅しただけ。
武田信玄なんか1度も許してねーだろ。義信、飯富なんか計画立てようとしただけでぶっ殺されてるじゃねーか。 信長の幼少期からの奇行、信秀の葬儀での振る舞いを目の当たりにすれば柴田らが信勝擁立を考えても仕方ない側面はある まあそれでいらぬ重臣層や兄弟の台頭を抑えたからその後の飛躍があるわけでね
従った柴田は信長の才能がわかったからだろうし、偏見を取れる人物。後に織田家重臣筆頭になるだけのことはある 初めから信長がしっかりしてれば家老連中の信勝擁立も無かっただろうから、無駄な内輪揉めだよ結局 無能な家老連中を炙り出して落とせたのは大きい
結局従った佐久間一族や柴田は使えたわけでね こじ付けすぎる
作らなくていい敵を作って、それを鎮めただけ で、信玄は無理な出兵で重臣が死ぬまで傀儡させられたわけだ
最初に篩にかけれた信長に比べて無能すぎるな 信長の奇行は謀反者を篩にかけるためのものだった!
すごい、さすが信長、世界史上最高の天才! >>54
いうても板垣や甘利や富飯などが死んでからは傀儡では無く武田の集権化しようとしてたんだろうね >>53
元々敵意のあった奴らを排除しただけ
重臣の傀儡なんて信長は拒否するよ >>53
作らなくていい敵。
信勝は柴田とかに擁立されたんじゃなくて、自分が野心で立ち上がったんだがな。信長公記に信長の所領を横領したという記述があるのを知らんのか? 林佐渡守、其の弟林美作守、柴田権六申し合せ、三人として、勘十郎殿を守り立て候はんとて、既に逆心に及ぶの由
擁立してるよね 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ごみだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎の方が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちるから、
朝夕に南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
何とかしてあの人達と縁を切って、新しい始まりを迎える方法はないんだろうか 今川義元に会いに武田家当主が駿河に行くとか完全に従属扱いじゃん
そりゃあ追放もされるわ >>62
今川氏輝は北条氏綱に会いに小田原に行ってるし、細川政元はわざわざ越後、関東に出向いてる。別に従属扱いではないと思うがな。 でも信虎は偉大だよな。わずか13歳で家督継承してすぐに叔父の反乱を潰した。
それから20歳代から30歳代で乱れまくっていた甲斐を統一した。そして信濃にも勢力を伸ばした。
信虎が80歳まで生きるとは誰もわからんかったろうが、外交手腕見ても信玄より上としか思えず、
うまく内政さえ経営できていたらいいとこ行けたような気がするわ。 >>65
確か一度信濃の豪族が攻めてきてそれを返り討ちにしてから信濃を攻めたと思うよ
あと小山田や穴山や油川などの豪族は婚姻で従属させたんだね 甲斐は100年以上一族で争ってた国だからな
統一させた功績はもっと語られるべき >>67
100年以上内紛で揉めてようやく統一したのに家臣はゆう事を聞かなかったり
疑心暗鬼になり粛清して恨まれて
挙句に追放とか可哀想っす
武田の重臣は足引っ張るやつが多すぎで滅ぶのはしゃーなしとしか思えん そういや晴信の初めの嫁は扇谷上杉の娘だったんだね
そのへんは描かれてなかったね >>68
もう少し、信虎は改革を穏健に進めるべきでしたね。あまりに血を流しすぎた。 >>70
ある意味そこまで血を流さないと武田の集権化にはできなかったと考えてもいいと思うの 私はむしろ信虎が晴信より弟推しだったのか気になる。
案外、外交の破滅迎えなかったかもしれん >>72
信繁なら史実の度量などを見ても無闇に破棄とかないとは思うけど、息子があれですからねえ。晴信の息子義信、勝頼よりあれだから、別の意味で破滅しそう。 >>74
常陸を統一できなかった佐竹と甲斐や信濃を統一して滅んだ武田の差はいったい 源氏の血統に関して信玄と義重が書状で争ったとかなんとか >>72
でも信繁があと継いだらお家騒動がまた起きそうで結局また甲斐は内紛起こって信虎の努力が水疱になりそう >>72 ? なんで信繁が後を継いだらお家騒動が起きるのかがわからん。たぶん信玄は信虎に粛清か失脚されてるから無理。後の弟は問題にすらならないでしょ。 >>77
こいつはただの妄言やろうだけど
晴信と義信をどう扱うかで火種は残るとは思うわ 信繁が継承しても、信繁の代は大丈夫で全盛期になると思うが、後継者が信豊ではなあ……。
あれだとどのみち信豊の時に滅亡になるよね。 誰が継承したところで拡大政策なくして甲斐を纏めることは不可能
貧しい国は外に出ていくしかない 拡大政策でも信玄みたいに誰彼構わず破るとは思えんよ信繁なら。 >>80
義信を養子か盛信を養子にした方が安定しそう >>82
じゃあどこに出兵するの?
諏訪は?
同盟してるけどまず初めはどうするの? というか、信繁への継承が成功したら、信虎の追放もないと思うから、信繁への家督相続は1574年まで待つことにはならないか? >>84
関東進出を睨んでたぞ
それを豪族が拒んだのも晴信が担がれた一因
>>85
大名のままでそこまで信虎が長生きするかは分からん
衰えからの隠居もあり得る 信虎さんは現代で言うと仕事は出来るが人付き合いは苦手なタイプかな?
まあ山梨県が長野県と静岡県の半分と群馬県の一部を領有して、新潟県と神奈川県と埼玉県をけん制しつつ
愛知県に攻撃しようとしてたんだから晴信も優秀だろ? そりゃ信玄あんまり好きじゃない俺も優秀だと思う。
対織田宣戦か勝頼の権力移譲が上手くいけば文句ないくらい。 誰も優秀じゃないと入ってないような?
過大評価って言ってるだけで 誰のどんな評価が過大と言ってるのだろう
過大評価の具体的な例を挙げて過大だと言ってることを見たことがないな 信虎って生きてる前当主で隣国に常駐してたのに、
誰も味方してくれないとか、全然欠片も人望無かったんだな。 自分の立場捨てて味方しろってのも酷な話だと思わんか?
自殺行為だぞ 信虎はやることは間違えていない。
やり方が性急かつ乱暴すぎた。
まさか自分が80まで生きるとは思わなかったのもあるんだろうが。 駿河追放後はある意味自由に生きてるからな。信虎的には「あーせいせいした晴信おまえも苦労するぞ頑張りんしゃい」ってとこだろう
現に信玄は息子と重臣殺してる 家臣に隠居させられても影響力を持ち続けた浅井久政のほうがまだましなレベル それが命取りとなる浅井家
信虎こそ賢明ということ
そんなこともわからないバカがいるということ 影響力を保持していて口を出さないのと、影響力を持たないから口を出せないのはまた意味が違う
信虎は後者、したくても出来ないのだから、
その結果で本人の才覚を評価するのは間違い え 父信虎がみずから信玄に国主の座をゆずり、
自分は隠れ間者となって今川家に入り込んだっていうの?
おもしろすぎる説だ かっこいい 駿府の後も、西上作戦の前に、京都に行ったり、伊勢に行ったり、
実は凄い活躍してるしな。 信虎は外交も軍事もかなりのやり手だよ。ただ行政や内政にあまりに欠けすぎていた。やり方も厳しすぎるし。 行政も内政もやり手じゃ
だからこそ反感買ったのだろうけど 主要因は家中との対立だろう、当時の甲斐は異常気象で誰がどうあっても厳しかったし
北条がすんなりと代替わりして徳政令打ったりしてるから武田家中もそれ望んだんじゃね まあ信虎の代でようやく武田が甲斐を纏めたのだから内政やら行政をする暇が余りなかったのかもしれないのと
信虎の親父が死んで10代で家督を継いだからその辺りを学ぶ機会がなかったのかもね 行政と内政って何がちがうの?
内政は外交の対義語で
行政は立法と区別される語だと思うのだけど
実質同じ意味の言葉だから分けて書く必要ないのでは?
責任内閣制⇔超然内閣制
議院内閣制⇔大統領制
みたいなもんで、対概念を想定するから
同じ意味で異なる用語が使われるのであって
文脈上相手に想定をさせる必要がないなら分けて書く必要ないよね?
辞任、解任、罷免、更迭の言葉の違いも同じ。
罷免、更迭は上司が無理矢理やめさせた感
辞任、解任は本人が一身上の都合でやめさせてもらった場合も含む。
ただ更迭は、別の誰かと交代させるという意味を含むので罷免とは少し違う。
撃ち込まれたピッチャーをマウンドから下すという言い方と
撃ち込まれたピッチャーを控えの選手と交代させるという言い方は微妙にちがうからね ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ のちの勝頼と対面時のエピソードを見ると、信虎さんは傲慢で相当な癎が強い人だったんだろう。
息子の描いた肖像画を見ても並みの人間ではないのが分かるよね。 映画が今日封切りだから上がったのかこのスレ
追放後も凹むどころかあちこちで大活躍してる不屈の人
人気出て欲しい 虎はあきらめない
劇場公開日 2021年11月12日 甲斐国先行10月22日
オフィシャルサイト
https://nobutora.ayapro.ne.jp/
劇場情報
https://nobutora.ayapro.ne.jp/info/theater
監督 金子修介
共同監督・脚本・製作総指揮 宮下玄覇
武田信虎(無人斎道有) 寺田農
土屋伝助 隆大介
清水式部丞 伊藤洋三郎
黒川新助 矢野聖人
お直 谷村美月
お弌 左伴彩佳
孕石源右衛門 尉剛たつひと
上杉謙信 榎木孝明
織田信長 渡辺裕之
武田信玄/武田逍遥軒 永島敏行
武田勝頼 荒井敦史
跡部勝資 安藤一夫
長坂釣閑斎 堀内正美
春日弾正忠(虎綱) 川野太郎
山県昌景 葛山信吾
馬場信春 永倉大輔
内藤昌秀 井田國彦
穴山信君(梅雪斎) 橋本一郎
一条信龍 杉浦太陽
武田信豊 鷲尾直彦
武田雅楽助 田中伸一 >>117
見てきた。良かった。
過大評価もされてないよ。
信虎は主人公でそれなりに知略もあるけど、所詮は信玄にはおよばず、武田家に帰ってきたものの露骨に軽んじられ、過去の栄光にすがる無力な老人として描いてる。
そんなお爺ちゃんが一生懸命に頑張って、最期にちょっとだけ報われる話。
臨終したシーンは目頭が熱くなった。 織田ノブと戦う上で信虎の
方が明らかに良かっと思う
ノブが最凶残虐マックスパワー出しても
信虎なら簡単に更に上を行けた。
信濃統一も信玄より5年は早かったろ 信濃統一なんて信虎でも勝頼でも無理だろ
信玄だから出来た >>120
その信虎は追放されてどうやって戻ってきたの? 信虎公は今川家から追放されたのち、京都で今出川家に寄宿し、
さらに将軍義昭の奉公衆格、六角家一揆の指導をきていた為! 信玄がまるで優秀みたいに書いてるけど、信玄の信濃統一は信虎の甲斐制圧と佐久諏訪への足がかりが
あって20年もかかってるんだがねえ…… 相手弱小ばかりで外交的にも恵まれていたとはいえ20年で2.5倍ぐらい増やしたというの十分優秀だろう
信長元就とかがおかしいだけだ 信長は地理的経済的に恵まれた上に運が非常に良かっただけだろ 地理的にいずれは中央に滅ぼされるのは必然なんだから
甲斐源氏は好きなように生きるのが正解 川中島で長岡政虎に大勝利を収めたと漏れ聞くに及び、
我が事のように喜び候
さて次は、駿河に候 それにしてもこの人なにやらかしたんだ?
冷静になって考えてみたら、一国の主が一人の反対者もなしに家臣団の全会一致で
他国追放とか?戦国時代暗君、暴君、馬鹿殿は数あれど他にそんな話は聞いたことがない。
精神に異常きたしていたとかかな? わが夫信虎殿の暴虐に対し、晴信は、やむにやまれぬ決起だったのでござります。では 信虎の命を助けるために駿河に隠居させた晴信の優しさな >>130
一応反対者はいたはず
あと信虎の取り立てた手駒は佐久の抑え >>130
時代が早すぎたんだ
城下町作って重臣を住まわせてヒンシュク買った
信長の時代になると当たり前なのにな
他にも兵農分離して戦専門の部隊作ったり先見性があった あと信虎の時ついてないぐらい100年に一回規模の連続災害、飢饉があってな
それなのに北条今川も甲斐に侵入して放火三昧で軍事行動も頻発し国力疲弊させたけどこんなもん晴信だってそうなるわってぐらい気の毒だった 信玄は、今川義元死後に駿河を攻めたのは失策だと思う
結局、駿河は一時的に支配しただけだし、北条との同盟も破綻した
今川と敵対した事が、嫡男の義信の謀反の原因にもなったし、駿河侵攻はいい事無しだった
義信を失った結果、家臣団に人望の無い勝頼を跡継ぎにするしかなかったのも、武田滅亡の布石にもなったと思う
あの時、今川は滅ぼさずに逆に庇護して、吸収合併する方向で駿河を支配する方が得策だったと思う
北条との同盟も維持できたし
勝頼も勝頼で、上杉謙信亡きあとの上杉の後継者争いで、北条血筋の景虎を推さずに景勝を推したのも判断の誤りだと思う
結局、あの判断で北条との同盟は破綻して、武田の周りは敵だらけになってしまった
武田は、信玄も勝頼も、隣国との関係を作るのが下手だった事が滅亡に繋がった気がする