【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ7 【壬辰倭乱】 [無断転載禁止]©2ch.net
家康渡海させればよかった
そうすれば征伐成功していた 李 舜臣 より強い戦国武将なんていないし
日本のほうが国力はありそうなのに弱すぎるw
恥ずかしくないのかなw 李舜臣って脇坂安治が宿命のライバルだった二線級武将でしょ?
で、脇坂安治ってどんなヤツだったっけ…? 脇坂安治って武将がどんな人物でどんな戦功を挙げたのかは知らないけど、
少なくとも奇襲仕掛けておきながら返り討ちに遭って討ち死にする李舜臣は凡将以下だろな 中国でも朝鮮でも、北方の騎馬民族に対抗するために備えた軍が最精鋭。
騎馬民像どんだけ強いんだ?。
視力5.0とかあるから、夜間なんかはこっそり近づいて弓矢の夜襲をかけられると
まったく対抗できない。視力がいいと夜間でも物が見えるからな。 >>29
人の目が良くても馬は駄目だろ?
騎馬民族の長所は戦う時と場所を選べることだよな。 >>30
実は遊牧民族も結構負け戦が多く、単純な武力だけならもっと上の連中(たとえば鎌倉武士とか)もいるんだけど、
拠点を移動できる事と脚が早い事から、弱い敵を追うにも強い敵から逃げるにも有利なんで、主導権を握りやすいんだよね 主導権を握られてしまうから、仕方なく長城とか築くんだろうな。 当時の朝鮮国王がとった対応
日本の秀吉へは、身分の低い者を使節としてしぶしぶ送る。(秀吉激怒)
後金のホンタイジへは、朝鮮国王が自ら土下座して許しを乞う。 日本相手の時は明が助っ人に来てくれたけど、
モンゴル相手の時は南宋が、後金相手の時は明が助っ人に来てくれなかったから、助っ人の存在は絶対的に大きいな 言われてみれば進軍ルートみてると、
日本から半島を攻めた朝鮮征伐と朝鮮戦争では最初は快進撃だが中国の介入で膠着、泥試合、
大陸から攻めた元と清は中国の介入が発生せずワンサイドゲームになってるんだよな。 【動画】KBSニュース
[その時のそのニュース]「対馬は韓国の地」日本古地図発見
入力2017.02.14(07:03)| 修正2017.02.14(07:58)
ttp://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=3428296
現在、長崎県に所属されているテマド(日本名対馬)。 ところが、対馬が韓国の地だったことを認める内容の、日本人が作成した古地図が21年前の1996年に発見されました。
この地図は、壬辰倭乱が始まる1592年、韓国を侵略したプンシンスギル(豊臣秀吉)が家臣に命じて作られたもので、独島と対馬島が私たちの領土と明記されています。
新羅の時から私たちの領土であったことが知られている対馬。 しかし、いつ、どのよう日本に編入されたのか明確でない状況ですが。 独島と関連して続く日本の妄言を防ぐためにも、隠された歴史を明らかにする作業が必要になります。 秀吉の外征で負け戦は存在しないぞ
朝鮮征伐は日本が優勢に進めてた最中にトップの秀吉が病没して無効試合になっただけ むしろ勝ってないだろ秀吉
なんにも成果のないアホな外征
勝ち点ゼロ なにも得られない戦争なんて本当に害悪でしかない
秀吉はなにか残せるだけの戦略すら持ってなかった 何か得る前に予期せぬ病死をしたんだから評価のしようがない
それに占領地を捨て去ったのは秀吉死後の大名達の判断だし 鎧着て前線に出てる司令官ならまだしも、後方から命令出す君主は自分の死後まで普通考えない
まして秀吉が病気になってから死ぬまでわずか三ヶ月という短期間だから尚更 44の事情で秀吉が無責任にされるなら戦争中に生きた君主の大半が無責任だなw そもそも攻めることを決定してるのが秀吉なんだから当たり前の話
無責任な秀吉はホント日本の害悪だった 秀吉の責任は自身の病没で折角の勝ち戦をリセットしてしまった事か。
『明史・朝鮮伝』
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。
(豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、
中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。) 死ぬ、までは許せる
ただ、その後のフォローをちゃんとしとけよと。 >>49
実力と信頼のある義弟にあとを託した、類例もないようなことを成し遂げた上で、あれ以上の何をしろと? 頼む頼む、言ってただけ
具体策を残さなけりゃ無意味 具体策を残さない・残せないまま死んだ大名や国王皇帝は他にも沢山いるのに、
秀吉に「だけ」しつこく無責任言うのは何故だろう? >>55は>>54のレス読んで「器じゃなかった」なんて的外れなレスしかできない事から、
他の誰が正論言っても耳を傾けずに秀吉叩きしかしない秀吉アンチでしかなかったんだな
ほとんどの人はそれをわかってたから秀吉アンチへのツッコミが少なかった訳か、納得 シナチョンマンセーしながら不利になるとミンナオナジナンダーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
じゃあ見下すなよ在日ネトサヨwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww ショウゾウガガー
見ればネトサヨがマンセーするものはないと分かるね バカチョン近親相姦パンスト奇形猿wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 白丁wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww トンスルいじめられいびられるのは素晴らしいトンスルが奴隷の時代は素晴らしい ぶっちゃけ朝鮮人と関わってもメリットないよな
いつの時代も。 領地獲得の観点からすれば日本の大敗北だな。
文禄でも慶長でも、すべての領土獲得要求に失敗した挙句、
何の代償条件も取り付けていない。秀吉も諦めたから、
戦争継続を要求する遺志を残さなかったのではないか?
加藤清正ら「武断派」とされる連中が、石田三成を憎んだのも
領土獲得のあてが外れたからの逆恨みだろう。 一回戦明国攻めは明らかにリサーチ不足
対馬宗氏の両面外交も見抜けず朝鮮半島の気候すら把握してないなんて無策どころか愚策すぎ
あげくに子飼いの小西にすら両面外交をされてしまう間抜け
まあ小西の判断もいたしかたないんだけどな
突出した戦地で補給線も微妙、明国の援軍はくるわ、朝鮮人は言うこと聞かないわではいずれ破滅する
どこかで講和するのが最善 でまんまと明国に撃退された形で終了
二回戦は裏切りものの朝鮮人征伐なわけだが未開の土人相手の虐殺戦やってるだけ
ろくな統治やれるわけもなく明の介入もあって泥沼
厭戦気運はたかまるから秀吉没で、総意で撤退
とにもかくにも戦地のことを知らないで攻めるあたりがバカすぎ
ちゃんとリサーチして勝てる戦をやり統治できてればまだ誉められたもんだが… ときどき、秀吉より女真のほうが脅威だった
明の国庫負担が全然違うという話が出るが
あれは防衛ラインの長短のためかなあと思わないでもない
対秀吉なら朝鮮の一部地域を押さえれば防御できるが
女真相手だと物凄い長い距離を防衛しないといけないとか 名護屋城博物館に特別展観に行ってきた。
福井から世界地図と日本地図の屏風とか、篠山から名護屋城の絵図とか、上田から真田3人の肖像とルソンの壺とか、石川から利家の算盤と甲冑とか、東京から参加大名の連署状とか、九州初お目見えの物もあった。
最上義光の陣跡って不明なんだな 明が滅び女真族が支配するのも
秀吉が明と戦ってるの見て、やれば出来るんだなって気づいたんだよ
見下してた倭人が明と対等に戦ったのは衝撃だったろう
ひょっとして途中からはもっと疲弊させようとすら思ってたかもしれない
戦争というのはおかしなもので、相反する故に戦った両者であっても
戦いながら互いのことを知り学び交わるものなんだよ
秀吉の出兵軍と戦った経験が自信となってその後の明支配に繋がった
秀吉の朝鮮出兵は歴史的必然なんだよ。 だいたい自国に風体が全然違う異人なるものがやってきて
これまでにない驚くべき兵器を持ってくる。
そんな状態になって内戦なんてやってる場合じゃないんだよ。
これを現代で考えたら、宇宙人がレーザー兵器売りに来てるようなもん。
あちらからは来れるが、こちらからは到底行けない星=地から驚くべき兵器を売りに来る。
当然、本国にはもっとすごい兵器があるだろうし、友好的な態度であろうと、
いざ攻めてこられた場合の事を考えない為政者はいないだろう。
相手が太陽系外から来てる宇宙人なら、防衛ラインを月や火星に持つことになるが
異人はインドを中継して南方まわりでやってくる。
となったら朝鮮、琉球、明、インドとなるべき先のほうまで防衛ラインが必要になる
それはあくまで自国が占領できなくとも友好的であればいい。
けどそのために対等な関係を気づくには明と一度は戦って認められないとダメなんだよね。
秀吉の出兵は言うなれば東洋チャンプへのデビュー戦だったんだよ。
これで明と引き分けたという結果をもって世界デビューを果たした。
ここから外交を作っていくべきだった。
もっと海外へ出るべきだった。
徳川幕府はダメだわ
家康自身が悪い訳じゃないが、代々の将軍が参考にしたであろうこと
また大老達が前例をひいたであろうことが、家康の待ち姿勢だったろうから責任がないとは言えないが 岩屋防衛相、韓国国防相に抗議 海自護衛艦の派遣断念で
10/20(土) 21:40配信
朝日新聞デジタル
岩屋毅防衛相は20日、訪問先のシンガポールで韓国の鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防相と会談した。韓国が今月開いた国際観艦式で自衛艦旗(旭日〈きょくじつ〉旗)の掲揚自粛を求め、
海上自衛隊が護衛艦派遣を見送った件について、岩屋氏は「非常に残念だ」と抗議した。鄭氏も海自艦不参加を「残念」と応じた。
韓国は観艦式の事前通知で、マストに自国と韓国の国旗を掲げるよう参加国に要請。日本側は受け入れられないとして派遣を断念した。ただ、韓国の軍事関係筋によると、観艦式では
7カ国の艦艇が軍艦旗を掲げた。さらに、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が演説した艦艇は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に豊臣軍を撃破した将軍・李舜臣が使ったものと同じデザインの旗を掲げた。
岩屋氏は会談で「韓国自身が統一事項に反する旗を掲揚した。他の参加国に対しても方針の順守を求めなかった」と指摘し、再発防止を求めた。一方で「未来志向の関係を築いていきたい」とも述べ、
防衛交流を続ける考えも示した。(シンガポール=藤原慎一)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181020-00000066-asahi-pol >>67
お前、チョンだろ
秀吉軍とやり合った側が「勝ち目がない」と負け戦だと記してて、日本側もその認識で合ってる
それをあたかも秀吉軍が劣勢かのように書いてみたり、撃退されただのクソ喰い民族特有の大嘘を事実かのように書くなゴミ
弱すぎなんだよお前 秀吉って朝鮮や明出兵なんて馬鹿を
やっているってね。
秀吉の暴走がエスカレートしたら、
国家が転覆するところだったね。
家康が政権を掌握したのは、
歴史上必然! 豊臣は人材不足で国内の蔵入り地運営だって丸投げしてたのに海外領土なんて統治できんのかね アホやなこの低学歴パヨクw
駅前じゃなくて5chで毎日効果ないアベガー、ネトウヨガーしてるパヨクはこいつみたいな低学歴キチガイ池沼しかいないから普通の日本人から支持されず選挙でずっと安倍自民党に負け続けるんだよw
http://hissi.org/read.php/livebs/20200122/THJ2SVNrcksw.htmlいや俺が秀吉が元々武士じゃないかと考えるのは姻戚といわれる加藤清正ともどもなんだが
(身分はそんなに高くなくていい。守護や守護代なんて武士じゃ最上位なんで。守護代のすぐ下でも曖昧模糊になる)
百姓は中国では「多くの姓」転じて「多くの人」という意味だが日本では戦国時代のころは主に農家を指す語になっていたらしい 人数が全てっていう戦争してた時代に中国に勝てるやつなんて
そうはいない 元寇でモンゴル人自体ほぼいなかったとか、南宋兵のリストラ目的だったとか
嘘ばっかり吹聴してた研究者はクビでいいよ。
東路軍も江南軍も40万人動員のモンゴル人が弘安の役における圧倒的多数じゃん。
弘安の役における民族別動員数
高麗人 1万人
南宋人 10万人
モンゴル人 40万人
元史卷一百二十九 列傳第十六 阿剌罕
「十八年、召拜光祿大夫、中書左丞相、行中書省事、統蒙古軍四十萬征日本、行次慶元、卒于軍中」 朝鮮の末期の漢城の古写真みたら汚いというか何もない藁と泥の街だぜ。
都でさえ土人の棲みかだから地方はなおさら原始人の棲みかだろう。
何も得るものがない土地。
日本の大名たちもさぞや困惑したことだろう。
李舜臣 統率85 武勇81 知略77 政治36 歩兵D 騎馬E 弓兵A 鉄砲D 兵器B 水軍S 吉良上野介を斬殺した武林の先祖が朝鮮半島で捕虜になった 朝鮮征伐なんて目的ないけどな
そこ通るから道開けてと行ったら抗う姿勢を見せたから叩き潰しただけだ 文禄の役では最初朝鮮は通り道だった。
でも朝鮮が極寒の地獄で中国まで辿り着けない事が確定し
その上明軍が参戦してきてやむなく朝鮮領土切り取りを画策。
ここで石田三成と小西行長が「秀吉が降伏した」というニセ文書を明に送って講和を図るも決裂。
慶長の役はこの後始末。 このスレは文系メインだが
文系は就職率が低いために
負け犬しか入学せず社会適応も悪いので
歴史研究に本質的に向かない。
だから日本史はレベルが低い。
本来マトモな就職もできない奴が
歴史を語ってはダメ。
軍板は理系中心で偏差値が高いから
盛り上がるんだろう 問題は朝鮮の環境について全く知らん状態で戦争したこと
従来の秀吉からは考えられないが… あんたの秀吉像が間違ってるんじゃないの。
別に石橋を叩いて渡るタイプじゃないし。
アレクサンドロス大王も別に
インドがどんなところか知ってて行ったわけじゃない 朝鮮てか明は海の向こうだし、その上国交もある。
敵国の情勢環境を調査して戦略を立てるのは当然。
むしろそれをせずに行うのはあたまがおかしいって事。 こう考えてみよう。
秀吉は戦争のプロ。
お前は一般就労すらままならない
人間のカス。
戦争のプロの予想を越える貧しさだったのが
朝鮮ではないか?
そこに後知恵全開で文句言ってるのがお前。 まあ朝鮮ってなんだかんだで
東アジア第三位の大国だしね。
その朝鮮が北半分
使い物にならない荒地ってのは
ちょっと想定外でしょ。 お前のくだらない論法だと
隣国で国交もあるのに
武士の強さも知らずに攻め込んだ
モンゴルはバカとか
いくらでも言えるからな。
先人には敬意を。
分を弁えた言動をしよう。
お前は秀吉の爪のアカほどの価値もないんだから。
われわれが言えるのは
フビライやヒデヨシほどの天才であっても
想定できないことが
この世にはあるんだなってだけ。 秀吉は文禄の役にあたって対馬の宗氏に先触れを命令してる。
ところが宗氏は朝鮮出兵に反対してた(対馬は朝鮮との貿易で食ってたから)
だから様々な手段で朝鮮出兵を中止させようとしたが(朝鮮に秀吉が攻め込もうとしてると伝えて偽りの降伏をするよう依頼したりとか)
秀吉が怒り始めたので諦めた。
この流れを見ると秀吉は朝鮮出兵に都合の悪い情報は聞く耳を持ってなかったんだろうな。
朝鮮の国力や環境(南部しか農業出来てないような極寒の大陸)については少し調べればすぐ分かったハズ。
トップが都合の良い情報ばかりを信じて作戦をたて、何も知らない下の者が地獄を見る。
よくある話ではあるが… ちょっと調べればあんなことが分かった!
こんなことも分かった!先人はアホ!
というのは日本史学によくある
下らない後知恵論法だよね。
秀吉がそういう慎重派だったら
一百姓で生涯終わってるよね。
秀吉とは全く逆のベクトルだが、
史学科は低偏差値で就職率も低い
社会のゴミ溜めなのに、
それでも入学する奴がいるのと同じで、
人間は本質的に合理的な生き物ではない。 秀吉の朝鮮出兵に反対してたのが
石田三成・小西行長・宇喜多秀家
この三人だったのにね。
ただ彼らは秀吉に近いが故に秀吉の怒りを買うワケにはいかない悲しい中間管理職でもあった。 イスパニアの船見て造船技術とか学ばなかったのかな?
信長の鉄鋼船とか朝鮮のチョンどもでは対応できない気がするけど 当時の明・朝鮮水軍の戦法は潮流に乗って現れ火箭(火矢)を放つってもの。単純過ぎて逆に厄介。日本水軍が少なくない損害を出してるのも当たり前。
ヨーロッパの技術を導入していれば大陸への直接攻撃も出来るが、秀吉はイスパニア等にも宣戦布告しているから技術をくれる国が無い。 当時の西欧は日本を利用して明を征服する気満タンだったのだから
うまく立ち回れば唐入りは成功してただろうに
朝鮮経由せずに寧波経由でよかったんや 故に朝鮮水軍ですら日本水軍に太刀打ちできた。
日本も朝鮮・明も軍艦の設計はそんなに変わらずまた航海技術もそこまで変わらなかった。
日本が明に直接攻撃できていればまた歴史は変わっていたろうに。 とりあえず朝鮮半島南部を支配で明と和睦しておけばよかったな。ホンタイジが攻めてくるだろうが、大量の鉄砲で追い払えるだろう。 明と朝鮮の要求は半島からの完全撤退だからな。
既に交渉にならん。
朝鮮人捕虜を売ったって何にもならんし、其の内日本人を売るようになって反乱が起きるのは目に見えてる。 人狩りはコスト最悪だよ
アフリカ奴隷は現地の王が自国民を売り飛ばしたから短期的なコストに見合った(長期的はもちろん亡国 朝鮮には搾取する富すらなかった
明や元が朝鮮を併合しなかった理由がそれ。 朝鮮末期の古写真見てものすごく貧しい国であることがわかる。
山の木々は乏しく雨量も少ない、産物もない寒冷地。
ホンタイジのように首都を陥としてすぐに帰国すれば良かったのに。 秀吉が死んだ頃、在朝鮮の日本軍は六万五千くらい。
海岸付近に築城された城に配置されていた。再攻勢の拠点やね。
健康が回復したら秀吉は、自身が直率する休養充分の大軍をもって、
再進攻するつもりだったと思う。再征を決めた当初の予定では。
ただ健康が不安になり、秀頼可愛さで忘れてたかもしれないけど。
何が言いたいかというと負けてるとか苦戦しているという意識は、
少なくとも秀吉にはないということ。従う将兵はやる気ゼロだと思うけどね。
戦い続けることに疲れ果ててたと思う。信長に謀反を起こした明智みたいに。
朝鮮の役は途中で一方的に国内事情で停戦になった戦争だといえる。
だから勝ち負けの判定が難しいと思う。戦争目的は達成できてないけど
明・朝鮮軍に負けたという意識もないと思うね。実際負けてないし。
荻生徂徠は、軍事教練の練度の差で負けたと読み代えて警世の書を
書いたみたいだけどね。 中学校の教科書見てみたら李舜臣と活躍と明の援軍によって敗勢となったと書いてあるよ
後者はともかく前者は無関係なんでしょ? 文科省はなにやってるのかな?
ちなみにウィキペディアの記述は負け惜しみみたいで笑える >>100
同時に蝦夷地、樺太、千島攻略を進言すればよかったのに
2方面からの大陸侵攻なら反対しない パク・ヘイル、ピョン・ヨハンら共演 閑山島海戦を映画化した『ハンサン』日本公開へ
https://realsound.jp/movie/2022/12/post-1214839.html
また歴史捏造のオンパレードかな 本格的に日ノ本の外に派兵するなら、まずは実地調査だろう。
スパイを送り込んだりして、調略したり、地形調査だったり、国土の大きさだったり、
後は、水軍の編成強化。派兵するなら蝦夷地が一番いい。日本列島の首にあたる部分だから、
ぜひとも当時から確保する必要がある。 婦人公論2023年04月27日
文禄・慶長の役で秀吉率いる日本軍を苦しめた「亀甲船」はどれだけ強かった?13門の大砲を装備したという戦闘力を技術的に解析する
日本史サイエンス弐
播田 安弘
https://fujinkoron.jp/articles/-/8336 https://twitter.com/take_nakanishi/status/1653374966212218883
中西豪@史道不覚悟
@take_nakanishi
「どれだけ強かった?」という疑問に対しては、それほど強くはなかった、緒戦の奇襲効果はあったけれど、
と言う他ないかなあ。その隻数は最大戦力期の李舜臣艦隊の大型軍船の一割も占めない。本来砲甲板に
あたる上甲板に蓋をしてしまったので砲煙が船内にこもり、継戦能力が低かったから……
火力戦を重視する朝鮮水軍は増備を見合わせたのでは、という推論もある。上甲板に被せた「屋根」には
鉄錐を植えて日本軍得意の移乗白兵戦を防いだ。その上で先鋒となって日本船団に入り交じり周囲を
砲撃する戦法で確かに緒戦では戦果を上げている。ただ、その「亀甲」は強固な装甲ではなかった……
……ようで、釜山浦襲撃時に先鋒の亀船に座乗した鹿島万戸・鄭運は船外に身を乗り出して指揮を執っていたが
負傷して船室に運び込まれたところに貫通してきた砲弾(朝鮮側の観測から推測すると百匁玉の大鉄炮相当)に当たって戦死している。
朝鮮固有の大砲(銃筒)は鋳鉄製か鋳銅(青銅)製の前装砲です。仏狼機は来援明軍が大量に持ち込み、戦後朝鮮軍の正式装備にもなりました。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 独立した砲甲板を持たず、櫓の間に配置せざるを得なかったからこの数となるのでしょうね。
史料から確認できる搭載砲は玄字銃筒、和砲の一貫目筒よりちょっと小さいくらいのものでしょうか。
朝鮮水軍の艦載砲は最大のものが一貫五百目筒相当の天字銃筒ですね。次いで地字、玄字、黄字銃筒となります
(上で玄字銃筒としたのは地字銃筒の間違い)。黄字銃筒は西欧のスイベルガンにそっくりです。粗雑な鋳造砲ですが
近接砲戦で当初は大口径火器を持たぬ日本水軍を圧倒しました。
確か『宣祖実録』にはそのような砲配置の説明があったように記憶します。船首の龍頭の口中では硫黄を燃やして
威嚇効果を狙ったという説もあります。 中西豪@史道不覚悟
@take_nakanishi
ネット界隈を中心に嘲韓史観からの亀甲船非実在説が蔓延する中で「亀甲船はあった」と明言し、
その実態を究明しようとする姿勢は好感が持てます。でも金在瑾『朝鮮王朝軍船研究』は朝鮮在来型船舶の
研究とかけ離れた推論で亀甲船を復元しようとするところがあり、それに依拠するところで危うい……
現代韓国で復元された「亀船」(コブクソン。「亀甲船」はもっぱら日本で通用する俗称)が浮かばなかったり
燃えたりするもので嘲笑され、その存在自体も疑問視されてしまう。しかし「明・朝鮮の同時代史料にも見えない」
などというデタラメをその根拠として吹聴し、それを信じて拡散する輩が多いのは… 一応備忘録的に転載させてもらった
しかし、自分が未だに2ちゃん(5ちゃん)に入り浸ってるからだけかもしらんが、亀甲船非実在説なんて唱える奴がいんのか?
「ネトウヨ」の定義はともかく、ツイッター界隈だとハン板出身者も多いから、そういう史実完全無視の態度とるやつが多いとは思えん・・
というか世の中が若い人に入れ替わっただけか それと日本側の日記や軍記物なんかの記述だと、例のいい話悪い話スレまとめなんかにも書いてあるが
金属弾丸砲よりは棒火矢的な将軍箭の被害を述べてるような気がするんだけどね
そこらへん宇田川含めてきっちり研究した人いるんだろうか まず、李舜臣の自筆陣中日記『乱中日記草』にその建造経緯、操練の様子が書かれている。柳成龍『草本懲毖録』、
王朝の正史的な『宣祖実録』にもある。明との外交文書を収集編纂した『事大文軌』には講和交渉期間中に朝鮮水軍は
5隻の亀船を保有していたことを明に報告する文書が収められている。 李朝実録における亀甲船の構造
李朝実録宣祖25年5月
舜臣大修戰備,自以意造龜船,其制船上鋪板如龜,背上有十字細路,纔容我人通行,餘皆列?刀、錐。
前作龍頭,口爲銃穴,後爲龜尾,尾下有銃穴。左右各有銃穴六,藏兵其底,四面發砲,進退縱橫,捷速如飛。
戰時覆以編茅,使錐、刀不露,賊超登,則?于錐、刀,掩圍則火銃齊發。橫行賊船中,我軍無所損,
而所向披靡,以此常勝。朝廷見舜臣捷報,賞加嘉善。 使える兵器なら敵味方関係なく鹵獲兵器として使ったりコピーしたりと多用されるはずだからねえ
実際日本側は鹵獲した大砲を流用したりしている >>126
そもそも中西豪は自虐史観の持ち主で
以前の朝鮮征伐ものではそら卑屈な言説を
垂れ流していたりしたもんだけど
最近は、狂った韓国朝鮮に多くの日本人が抵抗
するようになり、半島絡みでも自由に発言できるようになったけど、そしたら中西豪も卑屈な言説を垂れ流してたのに
朝鮮征伐の1人者かのように振る舞い出して
明朝鮮ヨイショを減らしたりして高説垂れてる
こんな日和見で姑息な人物を参考にするのは
流石にNG 「倭城」はまだ適切で短い用語がないから自分も使ったりするんですが、朝鮮の役を「壬申戦争」「倭軍」と書いちゃう向きは何考えてんだ?
自分でレッテル貼った「ネトウヨ」とやらをバカにするのは結構だが、そんな相手に阿った態度でまともな論考ができると思うなよ
・・というか結構いるなそういうタイプ、朝鮮半島よりは中国史系の方に
考古学界隈だと「韓半島」表記の論文よく見かけるな
あっちは遺跡・古墳出土品の研究で付き合いあるのも理由だが何も考えてなさそうだ 「倭城」はまだ適切で短い用語がないから自分も使ったりするんですが、朝鮮の役を「壬申戦争」「倭軍」と書いちゃう向きは何考えてんだ?
自分でレッテル貼った「ネトウヨ」とやらをバカにするのは結構だが、そんな相手に阿った態度でまともな論考ができると思うなよ
・・というか結構いるなそういうタイプ、朝鮮半島よりは中国史系の方に
考古学界隈だと「韓半島」表記の論文よく見かけるな
あっちは遺跡・古墳出土品の研究で付き合いあるのも理由だが何も考えてなさそうだ 最終的に失敗するとしても中国が護っている城や関を豊臣軍がどうやって攻略するか?は知りたかったな
中国史クラスタは無理だと考えてる人が多いと思うが
中国のは対騎兵や遊牧民を想定した軍備で日本式の鉄砲と歩兵の編成は想定してないだろうから
長い城壁は歩兵の大軍には弱い
草束とかで埋められて簡単に乗り越えられる 朝鮮すら征服できなかったのに明に攻め込む妄想しても無意味だと思うが 亀甲船てはなく亀船な
とある兵器が有力なら敵も味方もコピーして量産多用する
ミニエー銃に対するエンフィールド銃のように
そして亀船はそうでは無かった >>138
付け加えておくと、
慶長の役終了の時点で、朝鮮側は崩壊する寸前だった
朝鮮の大臣たち自身が、あのまま日本軍が半島に駐留していたら
もうなんの打つ手もなかったと発言してる
日本軍は、別に明軍や朝鮮軍に追い落とされて撤兵したのではない
ところは絶対に抑えておきたいポイント 日本にも厭戦ムードが相当広まっていたから秀吉の死はちょうどいい頃合いだったのかもな 北島万次氏の著作読んでるんだけど
三成・行長と並んで
寺沢広高が清正・長政の諸大名からボロクソに言われてて笑える。 慶長の役が終了した時点で
日本軍は戦略的・戦術的目標をすべて達成していて
翌年には朝鮮国の首都への大攻勢の予定があった
対する明朝鮮軍は11万人以上を動員した大攻勢をしかけたが
すべて敗退して、人員もなく兵糧もなく、
秀吉が亡くなった後も、もしあのまま日本軍が駐留していたら
もうなんの手立てもなかったと朝鮮の記録に記されている
戦略も戦術も進退も完全に日本が
イニシチアブをとっていたので、この状態においての
戦争の終了の状況を日本が負けとの表現はまったく正しくない
指導者が亡くなったので戦争終了が正しい
(同じ例としてモンゴル帝国の欧州遠征等がある)
当時の明将・麻貴の発言にも日本軍が引いたのは秀吉が死んだからとある
日本軍にまったく対応できずに、終戦まで翻弄され続けているのがわかる 豊臣軍VS明軍の対戦表↓
明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第二次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)
第一次平壌の戦い(日本勝利)
第二次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(引き分け)
露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将のケ子竜が戦死。 フロイス日本史には「日本人はシナ人よりも勇敢で、 武器ならびに戦術の点で優れており、 数々の面でシナ軍の劣勢は疑えない。」と日本軍の戦闘力を評価している。
戦闘では明軍より強かった日本軍だがフロイス史には文禄の役での日本軍の死者は殆どが病死、餓死、凍死とあるように1回目の文禄の役ではリサーチ不足により兵站や防寒対策がしっかりしておらず戦闘以外で大量の死者を出したそうだ。
2回目の慶長の役ではその辺しっかり対策して明軍相手に無敗。 第一次蔚山城の戦いで朝鮮の記録によると落城寸前に残ってた日本軍の兵力は3000ほどらしい。
平壌奪回前の報告では小西軍15000をは5000-6000と報告してるので明や朝鮮では非戦闘員は兵力としてカウントしないのだろう。
当時の戦国時代の編成は10000人の軍勢がいたとすると40%〜60%は非戦闘員。
とすると第一次蔚山城の戦いの10000人の内兵力が5000ほどだとするとこの戦いにおいて2000の兵力の損失か。 日本戦史・朝鮮役や壬辰戦乱史によれば記録上の明軍の兵力は基本的に戦闘員のみの数字でその補給や給養(人足や駄馬)には朝鮮の官民が動員されたとのことらしい。
碧蹄館の戦いにおいて日本軍は2万と言われているが懲録に書かれてる日本軍は2万ではなく半分の1万余りとある
平壌の戦いにおいても小西軍は15000とされているが宣祖実録による平壌奪回前の報告では5000-6000と報告している。
日本軍の数は軍役上の数字で実際の戦闘員は40%から60%程度。
明や朝鮮は基本的に戦闘員以外兵力としてカウントしてないと考えたら正しい数字かも
明や朝鮮と同じように日本軍の兵力(戦闘員)を計算すると
平壌の戦い7000
碧蹄館の戦い10000
稷山の戦い2000
蔚山城の戦い5000
第二次蔚山城の戦い5000
泗川の戦い7000
順天城の戦い7000
となる 日本軍は戦闘以外の病死や凍死や餓死もあるので実際に戦った戦闘員はもっと少なくなると思う 恐ろしく杜撰にみえる兵站線
来てる服も凍る極寒の大地
しょうもない嘘を重ねる対馬の大使
あの秀吉が用意した戦争とは思えない残念な結果に… 信長も殺されるほどの下克上が大正義の時代だったから、天下取ったら取ったで、常に部下の謀反におびえてる状態になる訳だろ
その板子一枚下は地獄という恐怖を考えたら、外敵を作りたくなるのはわかる WW2の米海軍の雷撃機乗員が「魚雷投下までは私は海軍のために戦うが、魚雷を投下したら自分のために戦う」などと言ってる
魚雷を投下し任務を終えたとたんに恐怖心にとらわれるらしい 戦争は凡ゆる手段を使って回避すべきもので最悪なのは戦争のために戦争すること。秀吉が唐入りを志した時点で失敗は決まっていた