応仁の乱以降信長誕生前 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
浦上村宗の配下には有能な家臣が揃ってたよな。
大物崩れさえ無ければ多分天下取れてた。 小寺、別所、摂津池田を撃破しているから、実質、備前、播磨、摂津制圧し上洛で、
天下人目前だったと思う。 まだ大局が決まってない創生期って面白そうだけどな。大河とかでやってくれないかな 混沌とした畿央の状況を信長の野望で再現してほしい。。。 あんな細川晴元安泰じゃないし、せめて阿波細川家は独立大名でいてほしいわ。 一応花の乱がその時期じゃない?
応仁終了ぐらいが戦国の始まりでしょ 毛利元就の序盤は大内義興の上洛について描かれてるが
細川方のほうはないな 足利義教打たれたのが痛い気がする。
生きてればどうなってたんだろう。やりすぎな面はあるが、カリスマはあったよなきっと >>47 どのみちいずれ暗殺されたでしょ。赤松満祐に限らず恨み買いまくってたし。
だいたい、赤松に暗殺されたときに何で細川持之、山名宗全とか一部要人が見逃されているのか理解不能。
奴ら殺していたら幕府はおしまいだったのに。 山名氏は一時6分の1殿と呼ばれた位勢力が凄かった 宇喜多なんぞ無力だぞ >>49
幕府から空き地を貰っただけだろうに
権力基盤が無いから瞬く間に失う羽目になる。 >>40 浦上村宗の年齢にもよるが、たぶん無理。家臣は有能だが宇喜多、島村と曲者多すぎ。
こいつら使いこなすのはかなり難しい。 東国で当時天下取りの可能性ありそうなのは、今川氏親くらいか? 氏親はきつそう…遠江取ったばっかだし、しかもそこ了俊系の支配地だったし。
普通に考えれば関東の公方さんじゃね?
それか越後と兄弟同士で関東管領さんち 室町の公方と関東の公方の全面対決見たかったな。大将同士出陣で 稙宗の婚姻作戦は凄いよね。
周りみんな親戚にしてる感じ 昔の伊達が長井の荘攻め取った時の事詳しい方っています? 細川政元が暗殺されなかったら、あのまま幕府利用して天下とれてたかな? あの人修行してちゅうに浮いたんだっけ?
ハマるって怖いわ〜 細川政元も三好長慶も、そもそも自分が将軍に代わって天下を治めようと思っていたのか?というのはあるが。 山名氏は赤松旧領をゲットしているから赤松山名の対決は避けられなかったと存じます 個人的には畠山修羅ってのがインパクト強くておもろい。名前負けしてなきゃいいが。今で言うキラキラネーム系かな? >>60
政元、義興、長慶は東国には興味なかっただろうね
誰かが幕府滅ぼして政権作っても東国はカオスな無法地帯だっただろう >>63
室町の公方誰かが滅ぼせば、関東の公方が立ち上がりそうだけど。 川越野戦時、足利、上杉同盟軍は80000とか?当時兵力動員数で東日本一だったんじゃね? 細川政元は扇谷上杉に古河公方を討伐させて堀越公方政知を鎌倉公方に据えるつもりだったという話はあるな。
伊勢新九郎に調略をさせたけど政知が死んだりして結果的に失敗に終わったけど。 >>54
足利持氏の時も足利成氏の時も上杉氏が足を引っ張ったから、
実現しなかった。 >>21 忠良思い出した サンクス
古河公方の80000の大軍を押し退けた氏綱氏康親子、綱成は立派 >>70
河越奇襲の時には織田信長は生まれているが。 龍造寺家兼は凄い人らしいけど、いまいちなにしてたのかがわからない 龍造寺家兼も大内義興の上洛には参加していて、兄の家和が京に居残り続けてる間は国許の差配を担当していた 関東公方の方が将軍より直接扱える土地や兵は多かっただろうな
纏まってさえいれば >>77
それは無い
そもそも関東公方ってなんだ?鎌倉殿と呼ばれた足利一門を漫画で鎌倉公方って書いてたのは知ってるけど 関東公方、いやさ古河公方にそんなに力が本当にあったのか? 成氏は鎌倉追われて古河に移り、高基は政氏と親子喧嘩して関東諸大名を巻き込んだはず。晴氏も高基と親子喧嘩してるし、そんな力があったとは思えないんだが。 結局南北朝の動乱が長引いて足利将軍家が関東を基氏流に丸投げしちゃったのが全ての原因
関東諸侯からすれば京に行った本家より身近に感じただろうし
鎌倉公方って当時「鎌倉殿」って呼ばれてたから頼朝や鎌倉幕府へのノスタルジー的なのもあったんじゃないかな 確かにそうかもね。関東の武士たちは結構従ってるしね。反畿央って意識が昔からある 小田原征伐の時も関東の国人の多くは、北条を倒したら関白が新しい関東公方を立てて支配するだろうと思ってたらしい >>81
嫡男=長男の時代じゃないのに、足利荘を捨てていった家に本家って認識は殆ど無いんじゃね
そもそも、鎌倉以降、足利って関東最大の家だろ
(まがりなりにも大きな家で残ったのなんて千葉と佐竹くらい)
それなりの動員力はあるだろ 今でもそうだけど、関東以北からしたら京都はやっぱり遠いのね。
関東管領がかなり公方を抑えてたけど、抑えなかったら日本真っ二つで戦争だったかもね 九州じゃ北は大内大友少弐が争い
南は島津家が内輪もめしつつ伊東相良と戦争か この時代、朝倉は氏景から孝景と当主はなかなかで、何より宗滴がいて越前と都に近い利点もあるのに、天下取りは考えなかったのかね? >>88
まだ武衛の影響も怖いし、一向宗も強力なんで国を空けるのは厳しそうに思う 朝倉は斯波を追い出して守護に成り上がったばかり
国内も纏まってないし無理 野望がないからいかんよなあ 宗滴は戦うばかりで内政には目もくれなんだかも 六角は天下取りの野心はなかったのかな? 位置はかなりいいし、畿内に勢力拡大したら天下取りもできたろうに。単に口出しするだけで領土拡大はしてないよね。 最近だと信長ですら天下統一を意識したのは義昭を追放してからだと言われてるしな
基本それ以前だとみんな将軍を奉じて上洛する事がステータスになってる 応仁の乱で消耗戦繰り広げた世代かその次の世代とかだから
都への興味は却って薄そう
領国の安定がまず第一なんじゃ 将軍家を手中に収め、将軍の命令という名目で(少なくとも)畿内の大名諸豪族に言うことを聞かせるのが天下を制覇する第一歩だが、
将軍の命令にみんなソッポを向いていたり、あるいは肝心の将軍が傀儡の地位に甘んじてくれない場合は、
別の方法を取るしかないのである >>93
六角は高頼時代は将軍に攻められたり京は大内が上洛したりで領土維持さえ大変な状況
定頼時代も京は細川の勢力が強大でその内乱に巻き込まれ結果口出しするような状況
京が安定しないと近江も安定しないので仕方がないが
その上一向宗との戦いや比叡山との問題もあった 朝倉宗滴と細川高国とが性格的に合ってたら、天下統一に邁進してたかもしれないな。 阿波、讃岐、淡路の細川・三好勢が頑強で、畿内勢力が結集しても安定しなかった。
海vs陸みたいな状態。 管領がまだ影響力持ってた頃の天下は、天皇と幕府のある機内を治めることだっただろうね。
中央を安定させたあとは地方のいうこと聞かない勢力を征伐って名目になるし 将軍義輝の死が、新たな時代の予感を感じさせたのかな決定的に?
それとも信長だけだったのかな幕府終わらせること考えたの 長慶にせよ信長にせよ利害の一致の期間は仲良かったぞそれなりに
義輝も義昭も自分の力を弁えずに色々口出しし始めて決裂するんだけど 長慶が義晴、義輝親子を朽木に追いやった後
もし和睦しなかったなら室町幕府はなし崩しに終わっていたかもしれない >>102
足利将軍を殺しても良いって価値観をもたらしたのは間違いなく義輝暗殺だろうけど
信長には足利将軍家をどうこうする気概は無かったんじゃね?
義昭に子供でもいれば、譲位させてでも引っ張ったと思う
越前の神社の神職の末裔に源朝臣の後釜は不可能なことくらいは信長でも気付いてたろう 赤松の場合は殺せる殺せないとかじゃないと思う
決死の覚悟で内乱を起こしてみたら殺せちゃったアセだと思う >>107
あれは細川との出来レースでしょ。細川も義教にいつやられるかの危機感はあった。赤松がなんで義教を殺した時、細川山名を殺さず、抵抗したとされる京極大内だけぶっ殺したのか。
京極は山名の隣の守護。
大内は細川の政敵。
どう考えてもあれは赤松が細川と通じてやりあった出来レース。もし山名細川もぶっ殺していたら、幕府はあの時に滅ぼせていた。 義尋殿を養い子にお迎えした後、御所様に吾子様がお産まれになった場合のご処置は、いかがなされるのでありますか >>109
確かに赤松だけだとあさこまではできない気もするわ。いくら追い詰められてても。細川が上手いことそそのかした可能性はある気がする。
死人に口なしだが いとうまいこ
いとうあさこ
かとうかずこ
いしだあゆみ
いしいすぐる
えなりかずき
にしきのあきら
ささきいさお 赤松は政則が長生きしたら、天下取りも可能だったかな? 永遠のライバル山名一族いるからどうだろうね^ ^
相当やり手だったとは思うが この時代で天下取りの可能性があるのは、やはり大内義興だけか? 武田元光。
桂川原の戦いに高国派として唯一参戦。
この天下分け目の合戦に勝てていれば、栄誉を独占できた。
当然、高国から実権を譲渡されるので、天下統一も夢じゃなかった。 >>118
若狭武田は無理でしょ。若狭自体が小国だし、隣に朝倉がいるし。 >>119
朝倉は中々動けんよ。一向宗国内にもいるし隣国加賀越中は侮れない。
しかも斯波武衛も隙あらば復権狙ってるし 一時的に京を取るは可能でも天下は無理だろ
三好でさえ畿内程度だったのだし
バックボーンが若狭だけの武田じゃ畿内支配さえ難しいと思う あと高国じゃ勝っても讒言信じて遠ざけられる可能性もあるな 高国も晴元も畠山も朝倉も全て打倒し武田元光が天下統一!
まあ、冗談はさておき、天下取りの可能性は段階別に分ければいいと思う。
天下分け目の戦いに参陣、勝利、上洛、政権確立、大規模遠征とか。 天下を取る≠全国制覇
天下を取る=幕府の実権を握る
みたいなもんだから、武力統一は誰も無理だろ 信長以前は春秋時代で信長以降が戦国時代でいいんじゃね?
信長以前の人物は上洛して幕府の実権握る以上の思考がない 信長=秦の昭襄王
秀吉=秦の始皇帝
家康=漢の高祖 思考が無いんじゃなくて、両細川家が十分に健在だったから、
将軍を掲げないと軍事的に幕府管領細川家の勢力に勝てなかっただけだろう。
足利義昭の頃は三管領が没落していたのが致命的だった。 武士の棟梁としての、征夷大将軍の地位と源氏の血統ってのが戦国時代になっても武士の行動を縛ってたんじゃなかろうか
だから天皇も介入しないし、武士も皇族を奉じなかった
征夷大将軍は源氏じゃないとなれないって信じてる人は最近でもいたぐらいなんだし >>130
そもそも将軍にとってかわるって発想自体がなかったというか、
政元みたいに傀儡にしようとすればその必要もなかった気もする。 >>128
三好も松永も将軍管領を無力化してもその地位に代わることまでしか考えてないからな
軍事力で全国を再統一なんて考えなんて思考がないよ >>132
発想自体無いってのは同意。
まさに春秋時代の周王朝と似てる 日本の歴史は幕府ってのができたから天皇家も存続できた気がする。
不満ならとりあえず幕府転覆させればいいしね。うまくできてる 細川政元は関東遠征を企図していた。
全国統一なんて誰でも考える発想だと思うけど。
それに、いくら将軍にとってかわっても、その上に天皇が居るんじゃ、
傀儡を戴くという実体は同じで、発想的には新しくも何とも無い気もする。
ちなみに春秋時代の語源も出しとく
>春秋の名称は、四書五経の一つ『春秋』に記述された時代、という意味を持つ。 関東遠征するとしたら、全国制覇ではなく、言うことを聞かない鎌倉公方や関東管領を従わせるためでしょ
まあ幕府と関東を統一したら全国統一って感じも当時ならあるかもしれんけど 細川政元は天下統一なんかよりも天狗の術極めたいだけだろw
関東やら流れ公方はそれの邪魔だっただけで 鎌倉公方牽制の富士遊覧と言ったら室町時代の天下人のステータスですよ。 細川政元(管領家 摂津等)応仁の乱 東軍 第9代将 軍足利義尚を擁立
畠山政長(管領家 紀伊等)応仁の乱 東軍
斯波義寛(管領家 尾張等)応仁の乱 東軍
山名政豊(但馬)応仁の乱 西軍
大内政弘(周防)応仁の乱 西軍
六角高頼(近江)応仁の乱 西軍
土岐成頼(美濃)応仁の乱 西軍 第10代将軍 足利義稙を擁立 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています