戦国時代の朝廷について [転載禁止]©2ch.net
戦国時代の朝廷ってどうだったのかな?
権力はあったのでしょうか?
それとも日本の象徴で置き物みたいな感じだったのでしょうか? 戦国まっただ中の正親町天皇や後陽成天皇って何やってたんですか? 応仁の乱で京都の町が焼けてから多くの京都の公家たちは地方に流浪した 維新のときも食うや食わず状態だったらしいが
応仁の乱の後いろいろ小京都ができまして 特に今川義元は公家志向が強く流浪してきた公家をもてなした。
駿府を小京都にするつもりだったのでしょう。 >>4
乞食は言い過ぎw
一定以上の教養と知識がある公家は
大名に招かれたしし今でいうところの
タレントみたいなもんだよ 確か、金がないから即位式が数年間できなくて、
まだ大内にも尼子にも勝ってない頃の毛利元就がお金出したんでしょ?
それで官位を貰ったとか?
毛利は代々朝廷に仕えていた大江氏の末裔だから、お金出したんじゃない? 戦国時代後期になると経済的に余裕が出てきた
大名たちから献金もらえるようになってたみたいだけどな >>11
徳川家にいじめられたから、反幕で「勤皇」になったという面も結構大きいのでは。
なにしろ、「『玉』を(幕府に)とられたら終わりだ」とか、書いていた「勤皇の志士」もいたようだからw 天皇の領地も荒らされていたし、即位する金を工面するのに大変で、
武士に献金してもらう代わりに官位官職を下賜したり、
後奈良天皇は直筆の書を売って儀式の費用の足しにしていた
という話もあったねぇ。
勿論譲位などやってられる金なんてどこにもなかった。
信長は幕府に代わって朝廷のスポンサーになっている。 そもそも、朝廷は金がかかる儀式とか多いから 金の持ってる大名から援助してもらってた訳だ その代わりに官位や官職を与えてた 公家が武家に養子入りってのはあまり聞かないなぁ
九条家の誰かが細川家に養子入りして細川澄元になったぐらいか >>14
公方が分裂・流浪したのに、京都を動かなかった朝廷の権威が上がったという指摘もある。 細川政元
「(天皇の)即位礼を挙げたところで実質が伴っていなければ王と認められない。儀式を
挙げなくても私は王と認める。末代の今、大がかりな即位礼など無駄なことだ」
政元は、本当に頭がおかしいなw 戦国時代の朝廷何やってたんだ?
官位と名誉与えるだけか? >>20
逆に、承久の乱以降、建武の親政以前の朝廷が何をしてたのか知ってるのか? >>19
そりゃ勤皇派からみたら、そうだろうな
細川って足利幕府の中枢だぞ
天皇なんて、自分達の都合で、すげ替える物だと思ってる連中からしたら、そんな物だろ 戦国時代の朝廷はびっくりするくらいお金持ってなかった 維新の頃も岩倉が賭場開いて日銭稼いでたらしいもんな
応仁の乱以降は物乞い同然だったらしいが信長上洛まで 経覚→義教から謹慎処分を受け、暗殺を知ると武力で大乗院門主に復帰
九条稙通→娘婿である十河一存を救援するために自ら出陣
近衛信輔→朝鮮半島に渡海しようとし後陽成天皇に止められる 公家が武将化することはあるけど
臣籍降下してない皇族が武将化した例ってあるんだろうか?
後の時代に結構な数の武将が公家との婚姻を通して皇室の外戚になるという不思議 皇族のまま直接の軍事行動をしていたのは(後)南朝の王子や宮が最後かな? >>19
表面上朝幕協調してきた中で将軍追放なんかした人間だからそんなこともいう >>20
あと家系図も売るものになってた。
面白い例だと南部信直に中央工作で先んじられてた津軽為信が
秀吉の義兄弟になる起死回生の一手として公家の家系図を買った