【今川氏真】バカ殿を語ろう【山名豊国】 Part.2 [転載禁止]©2ch.net
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立派な家訓残してるからバカ殿であるかは微妙だが
やることなすこと裏目に出るのは大友義統だな >>464
孕石と違って一応名家だからなあ。
元今川家臣のこと考えると下手なことできないじゃん >>466
下手な事出来ないだけなら、本当は半分煙たいのに
江戸城にちょくちょく遊びに来てるのに何も掣肘しない
事は無いと思うんだw
まぁ複雑な思いがあっただろう事は、息子の代から
品川姓に改姓させている事からも想像は付くけどね。 >>467
まて、そいつらと同列に語られるのはさすがにバカ殿たちに失礼だ 丹羽長重
・丹羽長秀の子
・1585年、越前国・若狭国・加賀国2郡123万石を相続
→同年、佐々成政の越中征伐の際に、家臣に成政に内応した疑いでをかけられ、若狭1国15万石へ大減封
重臣の長束正家や溝口秀勝、村上頼勝らも秀吉に奪われる
→1587年、九州征伐の際に、家臣の狼藉を理由に加賀松任4万石へ減封
→小田原征伐に従軍した功によって、加賀国小松12万石に加増移封
→秀吉の死後、徳川家康から前田利長監視の密命を受けるも西軍に参加
→1600年、2万5000人の前田軍を相手に3000人の兵で小松城を守り通し、浅井畷の戦いでは退却する
前田軍を果敢に襲撃してこれを散々に打ち破る
→前田家はビビって、前田利長の弟・前田利常を人質に出して、丹羽家と講和する
→関ヶ原の合戦後、改易
→1603年、常陸国古渡1万石で大名復帰
→徳川秀忠の御伽衆に、立花宗茂らと共に抜擢
→1619年、常陸国江戸崎2万石
→1622年、陸奥国棚倉5万石
→1627年、陸奥国白河10万700石(関ヶ原で改易されて10万石以上の大名に復活したのは長重と立花宗茂のみ)
→丹羽家旧臣や元の領主の蒲生家旧臣をどんどん雇い、白河小峰城を建築したので財政はひっ迫
→1637年、死去
・秀吉の成すがままに領地を失う・家康に目をかけられたのに西軍につく・城を作って財政を逼迫させる等、
政治力はないが、小松城籠城戦・浅井畷の戦いにみられるように戦術眼はあり、戦も上手
・築城の名手で、棚倉城、白河小峰城はいずれも評価が高い
・温和な人柄で、前田家が差し出した人質であり後の前田家当主・前田利常(当時6歳)は、長重に可愛がられ
長重が自ら梨をむいて与えるなどしたため、利常は晩年まで梨を食べる度にこの思い出を話した
一見、領地を失い、その後も家政で失敗をした二代目のボンクラに見えて、実は戦上手で築城の名手、
秀忠に信頼されて奇跡の10万石大名復帰を見せ、かつて人質とした利常に慕われるという不思議な大名
運が良いだけのバカ殿なのか、優れた人物なのか・・・
参考:信長の野望天道
統率 武勇 知略 政治
今川氏真 10 6 8 70
山名豊国 21 52 12 30
丹羽長重 65 51 36 43 なぜか武勇で豊国に負けてる・・・・ ふと思った
もし、太宰治が時代小説書きだったなら
「人間失格」の主人公は大友義統だったに違いない
冒頭の「恥の多い人生を送ってきました」が似合いすぎる 豊国はそんな無能とは思えんなぁ...
毛利には従属してただけだし大勢も決してたしで織田につくのはおかしくはない
そもそもその前に織田の兵糧攻めを上手くいなしてる。でもたぶん次は防げないと思ったんだろう
ただ一人現実が見えていた様に感じる
落ち度はバカな家臣を抑えられなかったことくらいかな。豊臣への士官を固辞してるあたり責任も感じてたみたいだし、それを知ると無能を伝える家康とのエピソードも何か哀愁を感じる
バカ殿扱いは哀れ極まりない気がする 豊国はそんな無能とは思えんなぁ...
毛利には従属してただけだし大勢も決してたしで織田につくのはおかしくはない
そもそもその前に織田の兵糧攻めを上手くいなしてる。でもたぶん次は防げないと思ったんだろう
ただ一人現実が見えていた様に感じる
落ち度はバカな家臣を抑えられなかったことくらいかな。豊臣への士官を固辞してるあたり責任も感じてたみたいだし、それを知ると無能を伝える家康とのエピソードも何か哀愁を感じる
バカ殿扱いは哀れ極まりない気がする 武田勝頼はどうかな?
あれだけ強大だった武田が彼の代で滅亡した。 >>475
信長が彼を極端に恐れていたってエピもあるし
実際に東濃で信長本隊を撃退してるしバカ殿の名乗りを挙げるにはパンチが足りない
HENTAIのカリスマ・畠山義続、部下の嫁に手を出して惨殺・小笠原長時クラスのネタが必要かと あれだけ強大だったけどその数倍強大な織田に潰されてもあっそうとしか 氏真・一条さん・大内義隆あたりはまだ評価すべき点があるから「まだまし」だろ
大友義統みたいなやることなすこと失態だらけでなんの評価点もないのがバカ殿
滅んだとか家臣に裏切られたとか結果論だけで評価するのはおかしい 評価すべき点があるからこそ
困った殿様だけど憎めないバカ殿と評されるのさ
失態だらけの殿様なんかただの無能と切り捨てられて終わり 昔は無能扱いだったけど、今ではそれなりの評価を得ている殿は結構いるけど
いまだに弁護があまりない低評価の殿って誰だろう >>481
バカ殿というより無能もしくは大名向いてないだな 今川氏真も山名豊国も文化人としては優秀だが。
氏真は政治もできたし。
要はこの二人は軍事が全くのダメダメだった。 氏真は全くダメって事はない一定の戦果を軍事でも上げてる。
ただ、桶狭間の打撃が壊滅的だったのと、徳川・武田に攻撃されるっていう
どうしようもない状況下だったわけで、結果的に負けてる印象が強いだけ
仮に氏真以外の有能な人物が当主だったとしても
桶狭間後の今川を立て直すのは至難の業 >>481-483
現代に生まれても「社史編纂室」しか勤まらないもんな、あれって 戦国時代を見渡せば、氏真や豊国より暗愚なのはいると思うし、氏真なんかは某ゲームで劉禅、ジョンとネタ化されて有名になってるし、家名ものこしたんだから馬鹿殿はどうかなあ。 ただの無能じゃバカ殿にはなれない
ネタにされるような人物じゃないとバカ殿にはなれないんだよ 名(家名)を雲の上まで揚げる事を至上とした時代に
自らが下げまくった家名を残す
そのような人物を恥知らずともバカ殿とも人は呼ぶ 氏真は軍事に長けていたら、あるいはやる気満々の野心家なら、名君だったろうな。 >>490
いや、野心が無かったから生き残れたのであって
軍事に長けた野心家だったら勝頼みたいになってたかどっかの会戦で討ち死にしてたと思うよ
まぁ討ち死にしてたらそれはそれで勇敢に戦ったヒーローみたいに扱われていたかもしれないが名君扱いは無理かと >>486
大友義統は社史編纂室も務まるか怪しいだろ、いい加減にしろw >>489
自分ちの人質が家名を雲の上まで上げちまったから、氏真が目立つんだよな。
親が死んだ、重臣が死んだ、でもそれがどうしたという家康が居るからな。 困った殿様だけど憎めない愛すべき殿様をバカ殿と呼ぶのだよ
氏真はまさにそれを体現した人物
桶狭間の後、真っ先に裏切った家康ですら頼られると無下にはできず、しまいには辟易するまで長話昔話に付き合わされる
早川殿も実家を捨ててまで落ち目の氏真についていった
君たちも400年の時を越えて氏真の魅力に引き込まれているからこうして彼の名を挙げずにはいられないのではないのかね? 当時の人達に愛されたバカ殿って氏真以外に誰がいる? 氏真は生き延びて家名だけでも残したんだから、暗愚とまではいかないと思う。軍事がダメすぎたのが残念。 >>498
今川、北条、武田の三人の嫡子の中では最後まで長生きしている。しぶとさだけは一番だと思う。 >>500
それなんだが、確か氏真は徳川家康の離反が明らかになった時に三河衆の人質ぶっ殺していたのに、なぜ徳川家康は報復で殺さなかったんだろうか? >>499
確かに個人としては立派な人だったのかもしれないが
大名としては滅ぼされてるからアウトだろ >>501
氏康時代の北条とゆるい同盟成立したせい
その後はもう殺すタイミング自体なくなったんjだと思う >>499
北条氏直は天然痘にさえかからなきゃ長生きできたかもしれないのに惜しかった >>496
小田氏治
挑発にすぐ乗って戦を仕掛けて負けて居城まで奪われるほど戦と外交が壊滅的に下手だが、佐竹に占領されたはずの領民が年貢を持ってきたり、家臣に見捨てられるどころか保護される程度の人望がある 天庵様の何度でも再起するって姿勢はやっぱり足利家の血筋なのかな 氏真、蹴鞠を人前で披露するくらいの技術があったなら
少なくとも運動神経は優れてたんだろう >>501 >>503
戦国のルールとしては想定内だったし、何より家康自身の妻子は無事だったからだろう。
家康が個人的恨みには粘着して報復することは、高天神城陥落後の孕石元泰切腹で歴然。 石川数正が単身乗り込んで上手いことやって捕虜にした鵜殿兄弟と家康妻子を交換してきた訳だけど。
ソースは三河物語だっけな。普通だったら殺されてる 石川数正は関ヶ原で窮地に陥った石田三成を助けにかけつけ、三成を逃がした後、本多忠勝に刺されて死去 >>501
三河衆からの人質処刑の責任者・大原資良は、
落ち延び先・高天神城を支配する小笠原一族が徳川へ寝返る際、
首を斬られて手土産にされた
人質に対する管理責任は大原資良にあり、
三河衆が離反した時点でマニュアル通りに処理される
実際に氏真が処刑命令を出したのかは疑問 うむっ!www
マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐
作者:嵯峨良蒼樹
「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真の上洛を活写する戦国文芸観光蹴鞠小説!
信長「との」蹴鞠を含めた天正三年(一五七五)今川氏真上洛百日の全行程と知られざる人間模様を、上洛中に氏真が詠んだ二百種以上の和歌と共に描き切る怪作!
今川氏真 「うむっ! 一首浮かんだ」
http://ncode.syosetu.com/n5953di/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) >>510
家康自身の妻子と言っても、氏真にとっては近親
氏真だって処断したくはなかっただろう bwあgふ
gられるロビ更紗は比率、。天もハロら?と、日月 >>517
家康は恨みを絶対に忘れないかわりに、恩も忘れないらしいから、氏真は親切にしてくれたんじゃないかな >>496
丹羽長重>>471
小野寺義道
流罪地石見までわざわざやってきた元家臣を論して帰したという逸話あり 加藤明成もそうだったが石見国って流刑地として人気がありますわね >>519
家康は、今川義元の恩を忘れてはならないと言ってたそうだから、義元の恩を氏真に報いたたのかも。高家として処遇したし。 歌、蹴鞠、剣
今川氏真は才能の塊だろ
大往生の間際まで家康と親交があり、息子や孫が徳川幕府で活躍してる
一説には家康と朝廷の調停もやってたとも
無かったのは戦国大名としての才能だけなんだよ 氏真がボンクラだっていうけどさ
実際問題、歴史上に残るような当主や譜代が軒並み戦死するような大敗しといて
そのあとを徳川・武田から守り抜けって無理難題にも程があるでしょ
誰がやったって桶狭間後の今川を立て直すのは無理だよ >>525
勝たないといけない戦いで、負けて生き残るという事を、厳に戒めないといけない人にとって
氏真は良い教材に出来たからだろ
そういう意味で戦後日本で氏真は、もっと高評価に書き換えられるべきだな 桶狭間後の今川と長篠後の武田
立て直す難易度はどっちが上かな? 桶狭間後に家康を執政にして全権委任すればなんとか。 武田も、御館の乱で影虎支持して北条との友好関係維持してれば新府城完成前にやられることはなかったはず。 >>524
一流に到達した蹴鞠はともかく、
歌と剣の才能は半端でしたが >>531
桶狭間の時点では氏真に家督が譲られてたはず >>532
形だけやん。大坂の陣で家康や譜代家臣がのきなみ戦死してたら秀忠は維持できたかって話と同じ 氏真・・・とっても、いい人
早川殿・・・とっても、健気で、いい人
朝比奈泰朝・・・とっても、真面目で、いい人 これ、わたしのうま。とっても、いいうま。でも、わたしのうま、しゃべらない。しゃべるうま、べつのところ >>533
家督が既に移っていたことで、花倉の乱のような騒動が起きることは無い
この違いは大きい
形だけと言うけど、
今川家が仕切る政務の約半分は既に氏真が担当し、動かしていた
1年か2年くらいなものだろうが、政務経験があった
元当主の義元が戦死したこと以上に、
現役の中間指揮官が大量に戦死して、
組織がガタガタになったことが大きいでしょうよ
だから、中間指揮官に大量の戦死者が出た、長篠合戦後の武田家と
状況が似ていると、頻繁に引き合いに出されるわけです 今川氏真は同盟国の武田や北条が滅亡するなか子孫は徳川幕府内で朝廷接待役の高家を務めた。成りたい仕事に就いたように観える。 甲州武田家は、家康が自分の五男・信吉を据えて復興させている
後北条家は、氏直の叔父・氏規を起点に大名(の最小限)として復興している
一旦は滅亡したという意味なら、氏真の今川家も同じく滅亡している
武田北条だけが滅亡していくのを尻目に、今川だけがのうのうと存続したと誤誘導するつもりなら、
その言い分は筋違い 武田に攻められたとき迷わず掛川城に逃げ込んだり
北条と武田の同盟が復活すると早々に家康のもとに逃げたり
生き残るための嗅覚は随分と優れていたように感じるな 武田家滅亡後、徳川家康が今川氏真を15万石格で再び駿河国主に復帰を安土殿に働きかけたのは何処まで本気だったのだろうか 建前だろうよ
古い約束でも果たそうと一応努めはする奴だったから
原則、空約束はしない
三河一向一揆終結時の、一向寺院との約束は
空約束ではない代わりに、詐欺みたいなものだが 【増田寛也】 放射能と水俣病 【小池百合子】
増田寛也はこんなヤツ
■前日まで東電取締役
■舛添もびっくりのファーストクラス出張三昧
■岩手県知事を務めた12年の間に公債費を1兆2000億円強に倍増させ岩手を捨てて逃げた
https://twitter.com/kitahamamikiya/status/754484014552010753
「いま都知事選の候補者である小池百合子は、水俣病の患者切り捨てをした人間だ」ということを、水俣病の患者さんに話しましたら、
みな「そうだ、そうだ。トンデモナイ人間だ」と怒っていました。
https://twitter.com/tok aiama/status/755195613298384896 増田は大嘘つきじゃん
北朝鮮籍でも参政権を与える可能性は大。 ゲームだと、氏真は軍事関連は6とか4とか
12歳の子供にも劣る数値だが
政治分野に関しては70とそこそこ高評価
元々90とか100超えてる奴らにはかなわないが コーエーは氏真が長篠やその後の武田掃討戦で活躍したことを無視している!! コーエーは太閤立志伝も含めてステータス色々あるぞ
太閤Uだと武力ある方だし信長の野望シリーズでは統率そこそこもある 桶狭間で主力戦力ほぼ全滅し最強の三河衆は離反、近隣に武田北条という狼のような強国に囲まれ大名家として10年近く保った。食うか食われるかの戦国時代を生き延び厚遇され決してバカ殿ではない。 北条は基本的に味方だぞ
ほとんどアテにはできない味方だけど >>17
部下や領民が内部で揉めまくりの松平忠直とか旗本とのしょーもないいざこざで大名格を失った伊達村和とかバカ殿エピソードは江戸時代は満載だな >>551
近くに北条があって国は豊かでやる気があれば外交を駆使してやれないこともなさそうなんだよなあ
言うほど無理ゲーとは思わんのにあっけなく滅んだしなあ
今川って当時の外交方針奴つなってたんだろ? 今川氏真は戦国大名としてはまだしも、江戸幕府の儀礼面の基礎を築いたからねえ >>554
北条は徳川と同盟してた時期も他国に援軍ってのは雀の涙しか出さないからな
国が豊かっていうけど三河衆が離れて3分の1が事実上領国から離れて
桶狭間で指揮官クラスの大半が死んじゃって、それを繋ぎ留めるのだけで
いっぱいいっぱい。
沖田畷の戦い後の龍造寺異常に疲弊してたろ。
龍造寺だって鍋島って有能な臣がいて、かろうじて他国に臣従して生き残ったわけだし
独立を通すのは難しかった。
全ての権益を放り出して北条に吸収合併されるくらいしか道はなかっただろう
徳川と武田が敵対してんだもん。降る先すらない 富士川以東を北条に、天竜川以西を武田に割譲し、保護国の道を歩むしか無かった 氏真はなんだかんだ言ったって、義元の弔いをやらなかったのが致命的。
勝頼も滅亡のきっかけの家臣離れは高天神城見殺しが引き金。
何としても後詰めを送るべきだったろ。
二人とも勝敗は関係なく、恥や誇り、家臣を絶対に見捨てないなどの姿勢があれば
家臣団から見捨てられ一気に転がり落ちる事もなかっただろうに。 弔い合戦やろうにも松平は離反するわ重臣が揃って討ち死にするわで
とてもじゃないけど兵を出せる状態になかったでしょ
家臣だって自分の家を建て直さなきゃいけないし、戦するにも先立つものが必要なんだし
このへんのゴタゴタが来年の大河のキモなんだけど、今の大河にそれだけの描写力があるのかな? 今川氏真は政治力はかなりあったと思うが、軍事能力が致命的なくらい無能だったのが残念。平和な時代なら名君だったかもな。 そうでもないぞ
一応、長篠じゃ牛久保城の守備をしてるしその後の遠州掃討戦でも活躍してる
氏真はただただ野心や意欲に欠けていた
能力はあってもそれを生かそうという気力が伴ってなかった
だからこそ、武将をやめて一介の文化人になってから生き生きと活発に活動している >>560
ハハハ。そう言う言い訳する所がダメ氏真を好きそうな感じがするよ、君はw
桶狭間から10年近くあるし、やる気があればどうにでもなるっつーの。
そもそも今川家の主戦力の朝比奈&岡部、三浦など全然健在だし
仇討ちも出来ないバカ殿と舐められなければ武田もどう動いたかわからんし。
>>560
ごめん、なんか・・涙目で、自分と氏真を照らし合わせてる
ニートさんが手を握りしめて自分を庇って言い訳してる姿が目に浮かぶんだがww
違かったらごめんね。 山名豊国。こいつ無能かな? 既に山名は末期的だし、豊国ひとりに責任とか可哀想。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています