【片手は】 黒田孝高総合スレ 4 【何をしていた】
播州人でも殿様や家老は播州の方言で喋らないのかね
まあ黒田は地生えの勢力じゃなくて、よそから来たんだろうけど >>244
最近の研究じゃ黒田も元々地生えの播州人らしいぞ 播州だけを地生えと考えるとややこしい
主筋の赤松氏は最盛期に播磨、備前、美作、摂津の四カ国守護で
嘉吉の乱の時は摂津を除いた三カ国の守護で小寺氏は備前を守り
一旦は滅びた赤松氏を禁闕の変や応仁の乱で再興させた
つまるところ播磨も備前もその当時はほぼ同じ 大河板の方にあったが江戸城大手三ノ門に残る百人番所とは
伊賀組、甲賀組、根来衆、二十五騎(青山組)と呼ばれた鉄砲隊が詰めた建物で
この二十五騎とは黒田二十四騎にちなむものではないかという説があるらしい
江戸時代の地図があったが黒田藩に関係する人名はあるだろうか?
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-8d-5c/japaneseweapons/folder/214011/29/64852329/img_0?1411434121.jpg 伊賀は藤堂高虎
甲賀は加藤嘉明の子孫が治めてる
黒田長政と共に関ヶ原で徳川に積極的に協力したところだな
その意味ではむしろ黒田と考える方が自然ですらある 伊賀者や甲賀者は幕臣として服部半蔵とかの配下になってるのに
黒田だけ「黒田家家臣によって構成された集団です。」とか、おかしいだろう。 その話は50年ほど前にも誰か研究したが、黒田藩は例の黒田騒動で資料を燃やしたらしく、
結局は青山忠成という鉄砲隊とは何のかかわりも無い一大名、ということで本になった。
黒田家の鉄砲隊は関が原もそうだが、播磨時代から凄かった噂はあったがいかんせん自分ちの
騒動で記録を消してしまった。 長政の娘菊の夫(井上くろうえもん息子)は、江戸住みで確かに秀忠直臣の旗本になっている。
このへんの資料も残っていない。 >>244〜247
例の西脇黒田説を唱えている人(黒田家譜は全否定、捏造、貝原益軒を悪の権化、大うそつきと何度も何度もサイトでも呼んでいる)
は、どうしても黒田播磨西脇説が本当だと信じている。
たとえ黒田家譜に嘘だとしてもそこまで貝原を恨まないでもよかろうにw >>248
井上さんが二軒あるね。もしかしたら苦労衛門の子の徳川旗本子孫かね?資料が残ってないけど。 重臣の九朗に石垣原以外に目立った武功が無かったのは
鉄砲頭だったからか? 西脇説はうそ。
官兵衛は旧ソ連の極東地方で生まれたんだ。 官兵衛が秀吉のドケチに腹を立ててたのを半兵衛が諌めたエピソード
あまりに出来すぎて怪しい 半兵衛は秀吉に自分への報酬の文はいらんと言ったぐらいだから
それぐらいはやるんじゃない? か、片手でチンコ握ってオナニーしていました(*・ω・*) 世知辛い戦国の世で主君を欺いてまで
他人の息子を救ったエピソードは美しすぎた
オマケに早死にしたから晩節も汚れ様が無い
半兵衛は官兵衛のいろんな意味でライバルだ 松寿丸の匿いについて半兵衛は秀吉だけには濁す程度に伝えていたと思う
(責任は自分が取るという体で)
官兵衛にとって半兵衛はライバルというより恩人に近い存在で憧れとかそういうイメージだなあ 信長が松寿丸を殺せと命じたという話も、竹中半兵衛が松寿丸をかくまったという話も同時代資料には一切出てこないっつーの。
後世の作り話 ただ、匿ったことが創作だとしても、黒田家が竹中家に対して恩義を感じる出来事はあったと思うんだよね。
でなきゃ、黒田家の竹中家に対する扱いが特別すぎるからなあ。 そのあたりの話が出てきたのがちょうど黒田騒動の当たりなので、当時の黒田を取り巻く政治情勢を反映した話だと云われている。 黒田家の家紋に竹中家の黒餅紋を用いたのも黒田家は否定しているんだっけ?
半兵衛については資料がなさすぎてほぼほぼ創作なのは仕方がない
でも>>266みたいな恩義は持っていると思う >>265
後世とは近現代まで含まれる曖昧な表現
孫の代くらいで作られた記録を後世の作り話で切って捨てるのは乱暴 >>271
晩年の長政から爺さんたちが聞いた話をまとめたんだろ
これで根拠が無いとか言ったら甲陽軍鑑とか北越軍談などの位置づけはどのあたり? >>272
それなら長政の頃の記録になにか出てこないとおかしい。
長政の頃は竹中家と特に親しいわけでもないし、長政死後に入れ込まれた逸話と考えたほうが自然でしょ?
あと他の軍記と比べるような相対的な話じゃ無いよ、これは。 >>273
では何のために大きな黒田家が
創作してまで竹中家程度をヨイショしなきゃいけないんだ? >>273
> あと他の軍記と比べるような相対的な話じゃ無いよ、これは。
長政についての黒田家の公式記録と比較にならないほど
甲陽軍鑑とか北越軍談などは価値が無いって事でいいのかな? >>274
傍証でいいなら、
重元流竹中氏が幕府交代寄合の有力な旗本だったことと、竹中重門の庶子が黒田藩に重臣として仕えていたことで、
黒田騒動で危機にあった黒田家にとって、竹中氏が重要な幕府との繋がりだったことは容易に想像がつくと思うが。
あと成立も目的も全く別の軍記と相対化したがる君の癖はどうにかした方がいいと思うぞ。
自分がイタズラして叱られたら「だって隣の○○ちゃんもしてたもん〜」って言い訳してる子供と一所だぞ? >>276
> 容易に想像がつくと思うが。
いやつかないよ
容易だと言うなら大勢に理解できるように説明してみてくれ >>276
> 自分がイタズラして叱られたら「だって隣の○○ちゃんもしてたもん〜」って言い訳してる子供と一所だぞ?
君の人格の程度が知れるが
長政についての黒田家の公式記録と比較にならないほど
甲陽軍鑑とか北越軍談などは価値が無いって事でいいのか
逃げずにイエスかノーかで答えなさい >>278
肉料理と魚料理どっちがい美味しいか、みたいな質問に答えろって言われても困るなあ。
君にはわからないかもしれないけど、世の中はイエス・ノーで割り切れない話で満ち溢れているんだよ。
そもそも気づいてないと思うけど、君自身がもう話の本筋から逃げてるぞ。 >>276=279
黒田騒動で世話になったから
正史で藩祖が命を助けられた事にしたって?
馬鹿じゃないの? >馬鹿じゃないの?
と捨てゼリフするほど、利口な書き込みには見えないのですが
しかもageてる 半兵衛の史実については検証しようがなく語りづらいけど
「世間にあるイメージとは違って」と言いたい評論家が多いような雰囲気もある 半兵衛のイメージは今孔明じゃないかな?
秀吉も劉邦的な人気がある
正則が張飛で清正は関羽
官兵衛は豊臣と徳川の勢力逆転に手を貸してるから
黒くされがち それだったら官兵衛さん「今張良」ですやん
張良に黒いイメージはあんまりない気がする >>286
世間のイメージで言えば
半兵衛・・・張良
官兵衛・・・陳平
こんな感じ 甲陽軍鑑とか北越軍談
武田信者や上杉信者などにとっては事実。
他の人が見れば中身殆ど嘘八百の法螺話。 日本人て判官ひいきだよな。
関が原西軍で散った武将や、夏の陣で大阪に散った武将のほうが人気。 負けても生きて帰ると罵られるのは江戸時代からの武士道 嘘だよ。生き恥とか言い出したのは太平洋戦争のあたりからだ。マジで >>296
天下取ってからは功臣を粛清や冷遇したり
跡継ぎ問題でトラブったりしてたからやっぱり似てるかな >>296
蕭何すら投獄された事あるからな
ただ宰相指名の遺言の逸話見る限り最期までボケてはいない模様 この板ずっと見てたが正直、
孝高が、あの「官兵衛」だと今の今まで知らんかった。
許せ。 確かに官兵衛か如水で検索している人って多そうだ
戦国板は趣味カテゴリーだしな 俺もゲームで初めて黒田孝高って初めて見たときは誰コレ状態だったわ 岡田官兵衛もよかったな。
凄いな、ダブル受賞。
岡田は今迄の世間での黒田官兵衛のイメージをひっくり返したと思うよ。 自民党、グッジョブですわ。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 山深く
分け入花の
かつ散りて
春の名残もけふのゆふ暮 ちょっと悪い話スレによると小牧長久手で
7月1日の二重堀砦の戦いに明石則実と一緒に加わっていたらしい
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1418311460/358
秀吉の大坂出発の頃に大坂に召喚される
3月22日には岸和田の戦いの後詰
3月26日付の秀吉の書状で尾張に召喚される
後はどうなんだろ?
黒田家譜もうちょっとしっかり書いてくれ 黒田家譜も全部残ってるわけじゃないのね。初めて知った。
写本に写本で、欠落部分が3割もあるって。 DVDは第参集まで販売中
軍師官兵衛特集
ttp://www.nhk-ep.com/special/shop/kanbe.html ムック本「武将の末裔」によると
黒田の前当主は第二次世界大戦では伝書鳩を扱っていて
母親は近衛家の出身だけど鴨を自分で捌いてすき焼きを作っていたらしい
朝ドラやれそうだな
巻末は伊賀と甲賀の忍者の末裔で
当時は表向きには江戸城の鉄砲隊だったらしい
>>248-252の話を思い出した まぁ調略メインでやってて合戦時も実質主力の一つだったからなぁ
硬軟合わせて活躍したからしゃーない 福島、小早川、吉川毛利と関ヶ原のキーマン全員調略しました!
合戦では先鋒として島左近やっつけました!ついでに浮き足立った石田も!
貝原益軒でなくとも長政がいなければ家康は関ヶ原で勝てなかったくらい言いたくなるわなぁ ngmsは父ちゃんの影に隠れてあんまし知名度ないからな 父親譲りの調略をこれでもかと関ヶ原では見せつけたよな どっちかというと父親譲りの調略つか父親から継承した人脈ちゅう感じやね
後世の貝原益軒とちがって本人は調略面はそんなに誇ってないし とくに吉川毛利、小早川の調略は官兵衛も一緒にやってるから、
やっぱり親父の威光がでかい 兵庫県宍粟市PRショートドラマ「宍粟官兵衛」
http://youtu.be/efChW7RiSl8
大河が放映されていた昨年
宍粟市商工会青年部が黒田官兵衛を題材に宍粟市をPRするビデオを制作している
撮影と編集はプロにお願いしているが、
演者は光姫役はご当地アイドルの小寺くーみんさんなどをはじめ、
脚本から演出、着付けまで青年部員の手作りとのこと
NHKにも取材されたらしいがなかなかの力作 家譜に長久手の時期の記述が少ないと思ったが
よく考えてみれば益軒の時代に
家康に楯突いてたなんて公布は出来ないか / \ な、なに急にスレ開いてんだお!!
/ ─ ─\ スレ開く時はノックくらいしろお!!
/ ( ○)三(○)\ 片手でナニしようと勝手だろ!!
| /// (__人_.) | .____
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/ ヽノ ⌒`ヽ<´ \| ̄ ̄ ̄ ̄|
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ゝ,,,__、___/ ヽーヽ___) >>323
京都だと腐女子率が非常に高くて
それも三成と左近の場所に群がっててえらいことになってた ホントに筑前一国で52万石もあるか?
かなり狭い面積たぞ。
徳川が水増しして加増した雰囲気にしたのか?
黒田が加藤や福島への対抗心で水増し発表したのか?
多分40万石弱だぞ >>330
◆福岡市人口、神戸市抜き5位へ 国勢調査速報後に判明
西日本新聞 2015年10月06日21時14分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/199609
先見の明とはこういうことを言うw こないだブラタモリでやってたけど、明治時代?の福岡市は、
鹿児島市や熊本市より人口が少なかったらしいぞ びっくりした
急成長したのはほんとに最近の話 戦国九州の戦いってのは、結局博多の奪い合いと思ってたんだけどな
昔はそれほどたいした都市でもなかったなら、認識を改めないといけないな 商人町博多と城下町福岡は別なんだよ。鉄道で発展したのは城下町の方。 大河見てから黒田家功臣達のその後がどうなったか知りたくなって調べたら
黒田八虎の内、黒田一成末裔以外の家が全てが愛想長政・忠之の時代に知行没収、召放ち、断絶となってて
オラなんだか悲しい気持ちになったよ。 その時期ってちょうど加藤福島が改易されて黒田も大変だったと思うよ。 長政は家康から最初中国二国と筑前を提示されて筑前を選んだみたいだよ。
博多は百万石の大湊って中世の記録にあるように貿易港だったんじゃないの。
石見の銀山開発したの博多商人だし。
清盛の時代義満の時代と栄えて古代はコウロ館とかもあったし禅寺とか博多が最初だし
そしていままた神戸を抜いて5位と。 官兵衛のスレタイにある「左手はどうした」と本能寺の変の時に秀吉に言った「御運が開けましたな」
の二つって初出はいつなんだろ、両方とも創作だと思うのですが
「御運が開けましたな」といって秀吉に警戒されて12万石に抑えられたっていうけど
直臣でそれだけもらってるのってそういないぞ、蜂須賀だって結構低く抑えられてるし
「左手はどうした」もあのタイミングで家康殺せば乱世になる前に黒田家が滅ぼされる そういえばそうだよなあ 殺そうと思えば殺せたけど、
その後黒田一族は全員地獄行きだよなあ 黒田官兵衛に天下取りは無理だろ、有能ではあるけど天下に届くほどではないと思う
もしそうなら朝鮮出兵の時にもっとうまくやれただろう、一応名目上総大将は宇喜多秀家だけど
その補佐役だったんだから、うまく諸将をコントロールしていれば展開は結構変わってたと思うけど
どう見てもコントロールできてない、しかも軍監の石田とも悶着起こしているし
軍師としてもそれほどではない。天下人の器量があるなんて、直臣を持ち上げてそれを配下にしている自分はすごいという
秀吉の与太話に過ぎない
もし長政が家康殺してたら、家康殺されブチ切れた徳川、さらに功績立てて恩賞増やそうとする東軍諸将
島津、長宗我部といった改易の危機にある西軍諸将も失地挽回に黒田に襲い掛かる
九州統一もできてない官兵衛にその猛攻を防げると思えないし、長政が率いてた軍主力も殲滅されてるからもう無理
「片手はどうした」なんてセリフで官兵衛は天下を狙ってたとかいう人は
官兵衛はその程度も見抜けないバカと言っているようなものだぞ 官兵衛とか三成とか基本秀吉いたから輝いたというタイプの武将が豊臣家には多い
普通はそれであたりまえなんだが、豊臣家の武将は異常に持ち上げられたる傾向にある