信長の領土拡張は実力なのか?棚ボタなのか? P35
過去スレを様々読んでみたが、イマイチよくわからない。
一般書籍や郷土史の類も今ひとつ詳細に記載されてるものがないので
詳しい人にお聞きしたいです。 >>99
信玄が運も才能もない雑魚武将だったってことだしな
何も持っていない人間が天下なんざ取れるわけねえ >>102
武田の当主ってロクな人物がいない
領民を苦しめまくった信虎
寝返り裏切りで一門すら不幸にしまくる信玄
誰彼かまわず当り散らしては迫害した勝頼
他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
信長父子が死んで天下への野望を断たれた織田とは大違い。
勝頼が織田秀信の立場だったら死ぬまで秀吉と戦って最後は城を枕に一族全員討死だっただろうな 北条と長尾上杉がやり合っていくらでも空き巣し放題だったのに
十年もグダった信玄って勝機を見抜く目がないと言えるね
川中島の頃は信濃の国人衆すらろくに掌握できてなかったことが
感状の発給でモロ分かり。 織田の当主ってロクな人物がいない
領民を苦しめまくった信長
寝返り裏切りで一門すら不幸にしまくる信長
誰彼かまわず当り散らしては迫害した信長
他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
親子ともども討ち死した現実から目をそらしてはならない >>106
>他人を顧みない無能ばかりが当主になる家は滅んで当然。
仰るとおり
織田家は有能な当主がたくさんいたおかげで江戸時代も大名として生き残った
武田家は信虎・信玄・勝頼と立て続けに大馬鹿三代が当主になったおかげで民衆に地獄を見せる醜態を晒して滅亡した
本当に無能な当主は信虎・信玄・勝頼だけだな だよな 子孫はサル顔さらしてスケート選手してるんだから それに比べて武田家は無様だな
死んでも恥だけが残って哀れだ 武田家は後世に評価されまくりですが? サル顔織田は誰も見向きもされないカス一族 必死の涙目即レスに滅亡に追い込まれた武田の哀愁を感じた アスペルガーだがにできることは365日24時間2ch常駐と粘着荒らしだけ 間違った日本語を得意気に使いまくる朝鮮人だがに爆笑 日本語を理解しないアスペルガーだがに正しい日本語を教えてあげよう
×図星を疲れ
↓
○図星を突かれ
正しい日本語が使えるようになるといいね 菅沼遼太くんは中学レベルの学力が無いから間違ってもしかたがないな アスペルガーだがは小学生でもやらないような間違いなんかするなよ 朝鮮人 力入れすぎて日本語がうまく使えないのか 菅沼遼太くん
力抜けよ >>107
武田は子孫がマジで悲惨すぎて目も当てられないからな・・・
武田信道:武田信玄の孫、些細なことで家康に文句つけられ伊豆大島に配流
武田信清:武田信玄の息子、姉妹のツテを頼りに仇敵上杉を頼る
武田信正:武田信道の息子、人生の大半を伊豆大島で暮らす。63歳にしてようやく赦免され本土入り
武田勝信:武田信清の息子、子供ができなかったため本庄家から婿養子を取る形で家を乗っ取られる
武田信安:信道系武田。武田信道のひ孫。家督を柳沢家の人間に譲り信玄の血脈を絶やした武田の戦犯
武田旧温会:現代に存在する信玄を含む武田を慕う会。ただし信玄の子孫はいない。最高顧問は柳沢家の人間
武田あんり:読者モデルであり、自称武田子孫。武田子孫を公言して子孫のいない旧温会から文句を言われる。 武田家旧温会
最高顧問武田家十六世 武田 邦信
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E4%BF%A1
武田信玄公子孫決定の経緯
ttp://www.kyuuonkai.net/
ちゃんとした組織をつくり信玄子孫家系を選出してるし
現子孫も立派な経歴の持ち主で、山梨の実質顔役じゃん。
その一方、織田子孫なんてwww あれ、馬鹿で無能ばかりな先祖のせいで不遇だった武田子孫は否定しないんだwww >>1
織田の子孫すっげーショボイじゃんw
愛知県ですら織田子孫を盛り上げようとしてないしwww 織田長益の茶道(有楽流)
現在は大和芝村藩系の織田長政の末裔を宗家
長益の次男織田頼長、その長男織田長好、信長の孫織田貞置と継承され、貞置以降のものを貞置流
大和柳本藩系の織田長功は除外www正統でもなんでもないしダメじゃんwww 無能な当主が三代も続いたため甲斐武田氏が滅亡したことは理解した >>127
直系子孫が誰もいない武田子孫よりマシじゃんwww
有能な人間が武田の名を騙って事業やってるだけだしwww >>131
お前は日本人じゃないな。
日本は中国や朝鮮みたいに血縁重視じゃないし。
先祖を祀る為に家を絶やさないように養子を取るのは当たり前。
それは日本が一夫多妻制の文化にあまり積極的じゃなかったことにより、
不妊妻と娶ったリスク管理でもあり、
愚藩主を家臣団が押し込めて、養子に継がせることも可能だったように、
あくまで家の存続を重視した藩コミュニティの生存戦略でもある。 朝鮮が血縁重視wwwww
流石朝鮮人は言うことが一味もふた味も違うなw
朝鮮人は家柄ブランドが大好きで血筋の内訳なんてどうでもいいというのが大半
李朝時代には貴族出身の人間が全人口の50%越えというありえない人口分布を成していて
在日朝鮮人は天皇が朝鮮人系だと真偽定からぬ情報をひたすら盲信している
つまり「高貴な家の出身だ」という事実さえあれば赤の他人でも何の問題もないというのが朝鮮人の家系で
江戸時代に直系子孫が自ら血筋を絶やして有能な人間を養子に取るという血統的な愚を犯した武田そのものじゃないか
まあ先祖の信玄や勝頼が無能バカ当主だったからそんな無能で忌むべき血なんて子孫もお断りだったんだろうなw
家を真に守ろう、先祖を真に奉ろうという家は天皇家や将軍家のように血筋絶対主義を貫いているわけだw 中国人や朝鮮人は先祖代々の家系図を必ず持つ程、血縁重視主義。
しかし日本人は三代前の先祖の名前すら知らない程で養子でも何でも良いから家の存続を重視なんだよ。
朝鮮人が先祖を貴族階級に捏造するのも家系図重視してるから。
だから苗字も似たようなものばかりになる。
日本人の苗字にバラエティがあるのも血縁重視じゃないから。
とにかく先祖を供養する為に養子を取るのが重視されるのが日本人。 家系図重視と血縁重視じゃ全然違うじゃんよアホチョンw
家系図重視ってのは家柄を誇示するためで血のつながりなんてどうでもいい家でもやる
逆に日本では血縁重視で「家柄」よりも「家族血縁」を重視する
だから藤原氏でも後半は五摂家として帰属意識を狭めてるんじゃんよw
日本人が血縁重視主義じゃなかったら天皇家や将軍家なんて存在しないじゃんよw
ローマ法皇みたいによそから有能な人間を迎え入れて天皇家を継がせて終わりなんだよアホチョンw いろんな藩が普通に養子相続してるのに何言ってんだアホか。
中国は一人っ子政策で男児を是が非でも欲しいと言う理由から、
男女人口比が圧倒的に男が歪なまで多くなり、
結婚できない男が多くなり社会不安要因になってるのも、
血縁相続重視だからなんだぞ。 >>135
家系図重視=血縁重視だぞ。
朝鮮人なんて庶民レベルで家系図を持ってるし
庶民レベルで両班貴族の先祖にしてしまう家系図改竄屋商売が成立してるほど。
それはなぜかといえば、血縁先祖が誰につながっているか
これで現在進行形で差別が生まれるから。だから苗字も大族のものばかりになる。
ここまでしないと差別されるほど血縁社会であり男尊コネ社会。
それというのも儒教によって家系図を常に作り血縁先祖崇拝・大家族家長主義・身内しか信用しない社会が肯定されているから。
しかし日本人は家格が高い家くらいしか家系図を作らなかったし、戦国大名など下克上組も先祖なんてほとんど不明な者だらけ。
現代でも、自分の祖父の名前がかろうじて知ってるレベルが一般庶民で、先祖の由緒なんてはっきり言って日本人は関心を持たない。
ただ死んだら自分を供養してもらいたいと言う願望があるので、家を絶やすことが不孝とされ、養子斡旋業者も戦前まではいた。
そして名門の家を絶やして、先祖を供養する者がいなくなった家を復興させたり、絶えそうな名門家を絶やさないように配慮するのが
為政者の徳や度量と言う意識があり、養子として家のを継ぎ復興をしていたのが信玄だし
秀吉がやった御伽衆だし、家康がやった高家認定だし、家の重代の家宝の相続をした者であれば血縁が無くても構わず、正式に認めるのが日本人。 後宮システムや一夫多妻制に消極的である時点で、日本人が血族重視ではないのがわかる。
本気で血族重視の男尊社会なら、是が非でも男児を欲しがり、
数十人の妾を侍らせるし、双子だろうと関係なく、血縁を残す確率から厚遇される。
しかし日本は双子兄弟と言うのは忌むべきものとして、歴史の表舞台から消されるし、
決して子種が多くない家族ですら、せっかくの兄弟を仏門に入れてしまうケースも多い
これは、家族の中で誰か一人が仏門に入れば、先祖や家族が供養されるとする考えがあったからで
血族男子が生まれる可能性よりも、先祖が供養されることを重視したからに他ならない。 >>1
>>当時子供や親戚が一切いなかったことによる
はいはいデタラメ乙
>>姓の改姓は別に血が入れ替わっているだけで全く問題はない
えっ?完全に矛盾してるのに問題なし?w
つかさ、武田貶しのために無理やり歪曲化し正当化してる我田引水そのものじゃねーか
さすがキチガイ織田チョンは狂ってるわw
米沢藩が上杉氏親族の子を後継にせずに吉良義央や秋月種美の子を養子に迎えたりしているように
どうしても血縁じゃなきゃいけないなんて常識は存在しない。
お前の言う論理で言えば福岡藩も黒田治之は徳川宗尹の子が養子になってるし(秋月黒田家から養子も取れるにも関わらず)
人吉藩なども池田宗政の子を養子にしてるなど、血縁へのこだわりはない。 上杉→長尾がすでに血脈じゃないし、
長尾→上杉も血脈切りしてる時点でお前の主張は矛盾してるだろ。
上杉→長尾→上杉は二度も血脈断絶を自らやってる。
それに是が非でも男系親類から養子を取ろうとするのが血脈主義だが、
わざわざむちゃくちゃ遠い女系を選ぶ時点で矛盾してる。
それは違う姓名による乗っ取り行為にしかならんからな。 つか、日本って古来から家格の違いってのがあって
家格の高い相手や精強の相手から、養子を貰うことで
自家の家格を少しでも引き上げたり、
立場を強化しようとする行為をやってきてるわけ。
だから破格な将軍家に連なる人を養子にもらえるってんで
徳川宗尹の子黒田治之を喜んで迎えた。
しかし治之には嗣子もできず30歳で亡くなってしまったから
京極高慶の七男である黒田治高が継いだが、これまた29歳で死に
一橋徳川家当主になっていた徳川治済(11代将軍・徳川家斉の父)の三男・黒田斉隆(兄が将軍)を迎えたって流れだろ。
子供がうまれなくて京極から嗣子をもらっただけの話なのにピンチヒッターとかアホだろお前w
それでも将軍家の血に戻そうと必死になってるのが黒田家なのにwww
だいたい黒田斉隆の子黒田斉清が黒田長舒の子なんて話はでっち上げで根拠なんてねーよwww
それなら叔父の将軍徳川家斉から斉の一字拝領はありえないわ。
お前はほんと武田を貶すためだけに、我田引水するキチガイ屁理屈ばっか書いてて気持ち悪い粘着ストーカーだよなw 織田のようなカス家系を継ぎたいと思う奴はいなかったってこったなw 武田も織田も負け犬だろ
キャンキャン吠えてないで仲良くしろよ 白河結城氏である小峰義親も佐竹義広を養子に迎えて喜んで源氏を名乗り書状を出し始めたもんな
北畠氏は義昭の和睦斡旋を受け入れ信雄を人質として受け取ってたから、当初は北畠後継者にすらなってないし。
吉川や小早川にしたって、元就が強制的に継がせたなんて一時史料はまったくない。
滅亡回避を目的に家名存続のために進んで血縁外の養子を迎えただけでしょ。 棚ぼたは織田信長よりむしろ武田信玄の方だ
織田信長が今川義元を討ち取り今川領に手を着けなかったおかげで駿河を占領できたんだからな
しかも今川を滅ぼしたのは徳川家康で武田信玄は火事場泥棒しかしていない
これが史実 >>152
日本の教科書には桶狭間の戦いは必ず記載されている
韓国の教科書で教育された菅沼遼太には史実を理解するのは無理
これが日本人と韓国人のレベルの差
捏造ばかり繰り返している菅沼遼太よ、己の無知を恥じたまえ >>154
中学レベルの参考書に苦戦しているのに一次史料とか身の程知らずだな
まずは日本で使用されている教科書を理解し基本を身につけることが先だよ そうだな
武田なら朝倉も浅井も足利も北畠も斎藤も三好も別所も武田も滅ぼせなかったなw 信長公記によれば1552年に今川義元が討ち死にしたらしい。
一次史料によると1560年に今川義元が突然死した事がわかる。 >>158
韓国人には理解できないんだから無理するなよ
中学レベルの日本の教科書で正しい歴史を学べ 今川が衰退したのは
遠州騒乱による国人たちの反乱に乗じた家康の三河横領であって、
それ以前に今川は衰退してないし。
そもそも織田と徳川の清洲同盟もウソだしな。
義昭の上洛工作の中で織田と松平の同盟が生まれただけ。 運の要素が強いのは間違いない
が、信長は当時では考えられないくらいの合理的な現実主義者
一族経営で、ただ何となく繋がってるだけの勢力は、スキを見せたら確実に食われてただろう 桶狭間の戦いのほかにも第一次小豆坂の戦いもでっち上げ捏造だしな。
>>161
>>信長は当時では考えられないくらいの合理的な現実主義者
へっ?どこがだよwww相変わらず理由や根拠が一切書けないんだよねwww >>163
単発IDで捏造するのは菅沼遼太くんしかいないぜよ 太田が書いていない、作者不明の公記首巻に書いてある
信長の戦いは全て想像妄想のでっち上げ捏造戦記だしな。 検定通じてお国も学者も認めてる桶狭間合戦
ただ一人その痛切に立ち向かう菅沼良太
厨二だね最高だねその展開
是非国と学者とまとめてぎゃふんと言わせてくれ
こんなところで吠えてる場合じゃないぜ! 信長はただのゴロツキチンピラ集団であって、
とてもじゃないが国家の体をなしてないわな。
終いには信長を御神体にしたカルト集団になっちまったし。 菅沼君史観だと、桶狭間の戦いは今川の圧勝だったとか言ってたと思ったけど無かったことに変わったの?
菅沼史観の遠州騒乱の詳しい経緯を説明してほしいな。 単純に
戦する→利益(商売権拡大)>戦費
戦する→利益(年貢)<戦費
前者が信長で後者が信玄だったように思える。
負けても相手より財力の損失(負けた場合の宣伝損失含み)が少なければ勝ちでしょ。 >>171
そういう結果を導き出すに至った思考の経緯と
判断材料の一次史料ソースを書いてください。
それともあなたの妄想願望ですか?
それなら以後はチラシの裏に書いてください。 フロイスが増長傲慢にしてすぐ激昂する信長よりも、
斎藤龍興の方が記憶力も理解力も優れているって書いてるよな。
ガスパルも龍興がキリスト教の教えに対して因果応報ではなく、勧善懲悪でもない無常感ある世界に対する義憤に人間性の高さを見て驚いているし。
14歳で家督を継ぎ竹中らのクーデターを経て20歳で美濃から逃げた若き日々と違って、
辛酸を嘗めて龍興は成
長してんだよな。
もう一度、主君をやらせてあげてみたい人物だよな。 上杉景勝に属して敗死する長景連書状にも
上方の儀は不実に候と書いていて
信長への不信感から上杉に属していると述べている。 十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と 畿内の有力武将は次々病死した上に
六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。足利義輝が暗殺され、畿内が混乱状態になって足利義昭が信長の下に訪れ、中央へ行く大儀名分と味方を得た信長は
六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくりながら斉藤攻略・上洛に行き着くというここまで棚ボタを得たのが信長の領土拡張 信長って精神病質(サイコパス)の脳の構造してたんだろうなぁ 信長って永禄2年2月の上洛の時、
公家たちに田舎者基地外軍団ガチきめぇとか思われてんだよな〜。
言継卿記に五百計り引き連れてきたが異形者多いって悪口を記されてるぐらいwww
都会で反社会的な不良チンピラを演じて、
風流かつ雅な歌舞き方を知らず誤解したダサい歌舞き方をしていたんだろうね…寒くて痛いガキ信長軍団。
所詮、信長は和歌すら出来ない文盲だから仕方が無い。
道三も天文21年6月に、
信長のことを外聞が良くないので、
こちらも迷惑しているが、
関係が悪化するようなことにはならない。
それどころか捨て置けないので、
相談が必要だよ。まあ信長様は若年なので、
我々が多くの苦労するのはもっともなことだからねって、
織田秀敏に宛て、信長を皆で支えていこうって説得してるしな。 道三って信長が好き過ぎだよな。
道三と信長の会見は公記のでっち上げ妄想で参考にならないけど、
娘が可愛かったんだろうね。
濃姫は岐阜城落とした信長が2年の長きに渡り、
義竜後妻から戦乱で失われた壷を差し出せやゴラ!と精神圧迫のイジメやってた時に、
たまたま天皇の勅使がきたチャンスを狙って濃姫が信長の非道を非難して信長を土下座させたから、
勅使が帰洛した後に信長が怒り離縁させられたんだろうなあ。 まあ両方だろうな。
実力があったのは事実。ただ最後以外はかなり運強いぞ
実際に武田信玄が生きていたらどうだったか分からない
その前の桶狭間も危ないところだったしな 実力は全くない。
あるというなら一次史料を論拠に箇条書きしてくれ。 >>176
松原氏「信長は異常人格者だったのではないだろうか」
角鹿氏「信長の姪の江の息子の家光は島原の乱で
普通の人には真似できない極めて過酷な粛清を行っている。
あれは信長の資質を受け継いでいるからではないだろうか」 角鹿氏は「でも家光は家康の血の方が濃いよね」と突っ込んで欲しいと思っているな 菅沼、一次資料ばっかうるさい。
お前は捏造資料だろ、消えろって! >>180
桶狭間の戦いが既に怪しい
辻褄が合うのは、伝承通りの、義元の神憑った間抜けさ由縁の信長の奇襲の成功だが
それを否定する資料がポコポコ出てる。
桶狭間がまぐれや奇跡じゃなくて、力勝ちしたとなれば、甲斐の引きこもりなんて数の内にも入らん。
古い伝承を持ち出して人数を一生懸命書き連ねてる糖質もいるが、
結果として信長は本能寺の変までは生きて戦争をやってる。
無難なことを言えば運も実力の内ってことだ。 >>1
崇徳上皇もビックリの禍々しさだよな
それが事実ならむしろ信長は本当に神として崇められるべき
信長と敵対していない勢力(徳川、島津など)にはなぜか不幸が起こってないんだから
信長と敵対した今川浅井朝倉武田などが不幸の連続だったのは信長の力によるものとしか思えない
今川や武田のタイミングを見る限り信長が敵の大将の名前を呟くだけでそいつが死ぬレベル
明智光秀は怖くなって謀叛を起こしたが最後には敗死したところを見ると死んだ後もしばらくは効力があるのか、それとも生きていたのか。 ↑
信玄も信長を敵に回したくなかった一人だな。桶狭間の戦いで信長の強さを知った信玄はとにかく信長とは戦わない
ようにしたんだよな。徳川領を仕方なく攻めたのも、駿遠の分割の縺れだから仕方なかったんだよね。信玄は
家康を甘く見ていたんだけど、信長には恐れていた。そそくさと徳川領を平定したら、信長とは友好関係を回復
するつもりでいたんだよ。
しかし徳川領の併合には思いのほか時間がかかり、息子の勝頼の代まで引き継がれたんだけど、結局併合できず、
信長と争うこととなったんだっけかな。 >>189
まあ、辻褄は合うな
信長が怖くてしょうがないから信長を牽制することはあっても上洛を強行することは無かったとw
一次資料厨が発狂するな 本当に有能なら本能寺くらい予見できんかな
信やん「おう!みっちゃん!」
みっちゃん「う、うーん」(目を伏せる 普通に運が良かったし、実力も有ったって事だろう。
実力だけなら、跡取りが死んで兄弟が死んで耄碌して病死してしまった長慶みたいな例もある。
桶狭間は何が起こったか未だに不明なんだから、信長が普通に勝ったとしか言えない。
信長の実力だったのか、運なのかすら不明だ。
信長一番の強運は当時互角の勢力だった斎藤義龍が都合よく死んでくれたこと。
あいつが死んだおかげで、信長は美濃尾張を抑えて飛躍出来た。
ぶっちゃけ信玄と謙信は信長に負ける前に死んだから伝説になってるだけだろう。
あの戦力差、国力差を信長相手にひっくり返せる力量があるなら信長の勢力伸長をもっと早く止めてるよ。
信玄、謙信ヲタは三英傑を過小評価しすぎ。
その三人の下が長慶や毛利元就でその下あたりが信玄、謙信の妥当な所。 それって前半と後半で話が矛盾してるじゃん
その意見なら信玄と信長の優劣はわからないとするべきだろ?
信謙信が尾張に信長が甲斐や越後に生まれてても信長が天下統一寸前までいくのなら
信長>信謙信だけど 十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と 畿内の有力武将は次々病死した上に
六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。足利義輝が暗殺され、畿内が混乱状態になって足利義昭が信長の下に訪れ、中央へ行く大儀名分と味方を得た信長は
六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくりながら斉藤攻略・上洛に行き着くというここまで棚ボタを得たのが信長の領土拡張 信長が自力で切り取った領土なんて皆無だろ。
斉藤…幼君で混乱・クーデター騒ぎ、まともに抗戦するものもなく勝手に自落
伊勢…北畠木造長野神戸などが内訌で分裂、崩壊
六角…対浅井の敗戦や観音寺騒動で極度に弱体化
足利将軍家…三好三人衆の決起で 権威が形骸と化し信長に助けを求める
上杉…御館の乱や新発田の乱で崩壊、葦名・伊達も協力して新発田支援
武田…勝頼の失政自爆と外交失敗で自爆、甲江和与反故の騙まし討ちにかかり、防衛体制解除
信長の勝ち戦なんて講談がほとんどだしなぁ
桶狭間も一次資料にないデタラメだしその軍記内ですらたまたま先陣と思っていった先が本陣で
たまたま偶発的に都合いいタイミングで雨や風が吹いて勝てただけだし >>197
確かに斉藤攻略から上洛戦までの一連の版図拡張とか、畿内で次々に有力者が死んで
畿内の内乱によって足利嘉昭が信長の元を訪れた上に
信長に協力した六角義秀が次々に斉藤攻略や上洛で援軍出しまくってくれたから攻略できただけだしね >>226-228
信長のチート棚ボタっぷりに吹いたw >>192
斎藤義龍の死も都合がいいかと言えば微妙
斎藤義龍時代は斉藤氏の単純な勢力圏は道三時代どころか龍興時代よりも小さい
近江方面だけでなく武田とも敵対している