戦国時代の食事6膳目
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>>11
当時は米でも玄米飯ばかり食べてたわけから麦飯になってもさほど変わらない。 この間、熊本に出張して朝鮮飴を食べてきた。
朝鮮出兵がらみで有名になった食い物だと伊達政宗の仙台味噌とかあるけど、みんなの住んでる地域でその手のいわくつきの食い物ってありますか?
あと日本史の中でも最大級の対外戦争なんだから、半島なり大陸由来の食文化(焼き物とか食器でなくて食材や調理法)が入ってきてもおかしくない
気がしますが寡聞にして聞いたことがないのが、どうにも解せない。 朝鮮に何を期待してるのですかとしか言いようがないです。
高知の豆腐が朝鮮風だと聞いた事はあります、固めのところが似てるとか。
ただ昔の豆腐はみな固かったはずですので噂の域をでないかと。 >>15
どんぐりから作った豆腐が似ているそうです。 朝鮮飴とかネーミングで損してる気がするな…
陣中食だったなら誤解を招かないような名前にするべきなのに 「長生飴」が朝鮮出兵で役に立ったから「朝鮮飴」になったんだっけ 「長生飴」の方が確実に美味そうだし縁起いい名前だから売れまくると思うのになぁ 今日放送された信長のシェフを見たが
対戦させられた相手の料理番の人が哀れだわ、あの時代肉の料理法って日本の場合汁物にするのが
基本なのに(鍋にしたり、塩焼、味噌をつけて焼くとかもあるけど)いきなりローストで勝負とは
しかし、西洋人に対する料理を作れというのは一応自然な流れだった。(故郷の味を再現させてというのもまあ王道だし)
原作買おうかなー 信長のシェフは3巻まではちゃんと料理してて面白いけど
ネタ切れ起こしていまはひどい
今普通の戦国漫画になってる そりゃそうだろうなあ。基本一発ネタ以外の何物でもないし >>20
うい。基本的に細川各代の殿さんより人気あります。細川の殿さんも文化面では人気があるんですが、
知名度/人気とも一般市民にはせいしょこさんが圧勝しています。細川家の人で知名度が高いのは幽斎、忠興、秋興、ガラシャ、一足飛びに飛んで護熙さんすかね。 >>15 遅レスだがありがとう
高知の豆腐ってそうなんだ。
「唐人豆腐」ってやつかな?
食ったことないけど何年か前高知にいったとき町の看板で良く見かけた気がする。 人質のおひい様の最後の料理は囲炉裏で焼かれた串魚です。
我が身の最後の姿を見る様にな。 復活したのか。
ちとネタズレかもしれんが、昔は
川の水呑んだりくんでたりしたでしょう。
あれでお腹こわさなかったのかな。
上流でケモノなんかが死んでたら
腐ったような水もいっぱい流れてたと思うけど
分量で薄められて大丈夫で
それに胃腸も強かったとかなのかな。 毎日飲むものだし、生まれた時から飲んでれば胃腸が慣れるんじゃないのかな。 雑菌ぐらいならいいけど
本格的な疫病とかもあったろうし
少々のバイキンなら抵抗力があったということなんかね。 現在でも日本人がタイなどに行って現地の生ジュースを飲むと高確率で腹を壊すという話もあるし
慣れや抵抗力といったものはあるだろうね タイ行っても生ジュースなら大丈夫だよ
避けないといけないのは氷入りジュース この料理を出したら、大殿様に殴られたでござる。
1の膳
@金高立入 蛸(湯引たこ) A鯛の焼き物 B菜汁 C膾(なます) D高立入 香の物(大根の味噌漬)
E鮒の寿司 F御飯
2の膳
@絵を書いた金の桶入 うるか(鮎の内臓の塩辛、今回はこのわた使用) A高立入 宇治丸(鰻の丸蒲焼き)
Bほや冷や汁 C太煮(干ナマコに由芋を入れて味噌煮にしたもの) D絵を描いた金色の輪に乗せた貝鮑
E高立入 はも(照焼き) F鯉の汁
3の膳
@焼き鳥(鶉・うずらの姿焼き、当時は雲雀・ひばり) A山の芋鶴汁(鶴とろ汁味噌仕立て、鶴はフランス産使用)
Bがざみ(ワタリガニの一種) C辛螺・にし(にしがいの壷煎、巻貝の一種) D鱸・すずき汁
4の膳
@高立入 巻するめ A鮒汁 B高立入 椎茸
C色絵皿入 鴫・しぎ壷(鴫の壷焼き、なすの田楽)
5の膳
@まな鰹さしみ A生姜酢 B鴨・かも汁(鴨の味噌汁)
Cけずり昆布 D土器入りのごぼう
足付の縁高御菓子
@から花(造花) Aみの柿(干し柿) B豆飴
Cくるみ D花昆布 E求肥餅(羽二重餅) 1の膳だけで十分じゃないのか?三河のタヌキなら毎日飯に納豆とみそ汁だけでも文句言わないと思う ただこういう献立は、出した人間の権勢をあらわす意味も
あるからなあ。
美味いだけじゃなく、品数が多い、高級食材が多いというのも
大切なポイントだよ。 >>39
こういうのは宴会料理だから数時間かけて食うんだよ
普段の食事じゃない
余り物は裏方の人間が家に持って帰って食うんだろう >>41
違う。最初から全部食うなんて想定してない。せいぜい一口づつで、残ったものは折にして持って帰ってもらう。 「人をもてなす際に一番重要なのは料理であり、
そのメニューを管理するのは主人の仕事。
ごちそうとは、たくさんの種類の料理を振る舞うことではなく、
自ら料理したこだわりの品を一、二品だすことだ」
伊達政宗 ・・・料理以外にもその気遣いがあれば
手下があれほど出奔しなかったであろう >>31
旅先で生水を飲むなというのも、他所の土地の細菌に抵抗力を持たないせいだろうな
まぁ、白湯か湯冷まし飲めって感じだ 甘いもの
なぁに?
干し柿、みりん、甘酒
ありは何があったの?ねえ 舶来物好きな日本に中華料理が入ってこなかったのは謎だな。 >>54
149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/05(金) 23:37:35.02 ID:yJdxjP8d
舶来物好きな日本人が、食事だけは独自性を保ち
一切中華を取り入れなかったのは不思議な気がするよ 調理環境も違ってくるんだから一概には言えないけど「点心」の類がいろいろ入ってきてるじゃないか 室町時代の日記(コレだと都の公家や知識人の話になっちゃうけどI)見ると、
お客さんが来たとき出した物は、塩おにぎりとかソーメンとか焼餅とかある
どれも炭水化物ばかりですか?( ^ω^) 何時来るかわからないような人には
保存系のものしか出しようがないわな。
しかも貧乏だし。 なるほどね〜
戦国大名の饗応なんかとも違うんだろうしね >>61
全然違うよね。
秀吉の饗応は本も出てるし、家康が前田にだした
ごちそうも有名だけど、あんなのは特別中の
特別だもんね。
公家さんでも来訪がわかってれば
平安でも酒やら焼き魚やら出してはいたみたいだね。
大河の清盛では実写でよく写してた。 >>54
料理は食材の賞味期限との戦いだから、さすがに大陸から持ってこれないよ 乾物てか乾貨で食材自体はある程度入ってきてたんだろうな >>49
輸入物だけど砂糖
大友宗麟が幕府に献上してた >>38
戦国時代には、現在と違い未だジャガイモもサツマイモもなく、
サトイモ・ヤマイモだけだったようだね。
766 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 01:47:24.87 ID:BoXZ+n9K
・・・・・・・加古川評定で別所のおっさんが芋がどーのこーの言ってたが、あれが三木が2年も保つ伏線になるとはw
しょうもないとこに伏線仕込むなwちょっと好きだけど
784 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 02:31:30.32 ID:y2LczFGw
芋って里芋だよね
いわゆる救荒作物である男爵芋、薩摩芋は
1597〜1600年に入ってきたものだし
792 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 02:57:48.07 ID:1leoAxXr
>>784
山芋類もあったよ。長いもとか。海老芋もあるし。蒟蒻芋だって日本古来種はあった。
収穫量からすると一般的なのは里芋だろうね。
【2014年大河ドラマ】軍師官兵衛 Part36
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1398869412/766-792 そういや昔、戦国時代の大河見るたびに出てくる濁り酒が
カルピスみたいで美味しそうだと思ってた どぶろくみたいなものときいたが
発酵してるし乳酸菌はいそう まず乳酸発酵させないとアルコール発酵する前に腐るからね
いまの酒でも最初に乳酸入れて腐敗を防いでる 平安時代の酒は、保存と製法の問題で粘度と糖度がが高かった。
そのまま飲んだり、水で薄めて、漉して飲んだりしていたのさ。
ちなみに農村では、明治ごろまで酒は自家製が普通。
酒は買うものじゃなくて作るものだった。
それを明治政府が税を課すようになったが、なかなか長年の慣行は
変わらず、密造があちこちで行われていたそうだ。
ただ、取締りのかいもあって、酒は買うものという意識が定着した。 江戸時代に、幕府を上げて酒造りを奨励したものな
コメ余りの解消のために
コメの値段が下がると、侍が貧乏になるので幕府も必死 戦国時代の足軽は配給の兵糧を発酵させて酒を作ったらしい 米と水と酒粕混ぜて放置しとくだけで酒はできるからな 1日5合ってのは酒込らしいからな
現代人よりも体格が小さいのに
現代人よりも食べるわけがない 栄養のほとんどをご飯とかで賄っていたとこがあるから、ご飯だけをめちゃくちゃ
食べたみたいだな
宮沢賢治は明治の人だが、それでも1日玄米4合(+わずかな味噌と野菜)って
書いてたし >>77
馬鹿?
昔のひとは、運動量が現代人と比べてけた違い 単なる栄養だけじゃく、カロリー消費がハンパないだろ、当時の人間は。
運動量もそうだけど、今みたいにエアコン完備な環境じゃないし、自然の暑さ寒さをもろに受ける生活だ。
恒常性維持するだけでも相当のカロリーつかったと思うよ。 大河の戦国時代や日本昔話で餅食ってるシーンがあるんだけど
ああいう白くて丸い餅は中身に何かしらの餡は入ってんのかな?
それとも求肥やすあま的な甘みがある素の餅みたいなもんなの? キビとか雑穀を混ぜりしたろうが、
基本あんこなしだろ。
それでも当時の人間にはごちそうだろうし。 白米が甘いみたいに、餅そのものが甘く感じたんじゃない?
と思ったけど、餅だけたべると少し苦いよな
苦いというか渋いというか、甘さとはちょっと違う味がまじってるよね? 市販の餅でも甘み感じるけどな
米でも甘みあるし
昔は米とか食い慣れてないから余計敏感だったんじゃね 「餅の苦味」で検索するとかなりひっかかる
ただし苦味の正体はよくわかってないらしい へうげものでは家康は質素大好き
米もわざわざ糠取ったりせず
玄米のまんま山盛りでモリモリ喰っていたと描写
歴史物で戦国武将の食事紹介でも
家康のは地味でパッとしないものが多かった 戦国の勝者、徳川家康から学ぶ肉食の滋養
http://diamond.jp/articles/-/52635
家康は案外肉好き、主食は生涯麦飯
豊臣秀吉大出世の一助を担い、徳川家康の最後の晩餐に供された「蒜《にんにく》」
http://diamond.jp/articles/-/54540?page=5
例の鯛の天ぷらはおろしにんにくで食べてた。
生のにんにくは胃を傷めるから、それが死の遠因になったのかもね >>91
歴史物の書物ってけっこういい加減だねぇ
俺が読んだ本では白米じゃなく玄米を食べていたから
咀嚼を多くして健康に貢献できたと書いてあるのに
そっちでは麦飯か バブル期の直前くらいまで、砂糖は贈答品の定番だったろ
結婚式のお土産に鯛とか鶴亀の形にした砂糖とか
葬式の返礼に角砂糖の箱詰とか
お歳暮にデカい缶に入った砂糖とか 俺が大名なら畜産業者を武士より高い地位と俸禄で召し抱える むしろ、こんなスレが6スレも続いている事が驚きだよ 穢多のような皮革専門は副産物の肉も食う機会は多かったと思うが、戦国人は
どれくらいの頻度で獣肉食っていたのかな?
鎌倉時代前から流鏑馬みたいのはあったし、射った獲物は食ってた思うのだが
、あんま料理法とか残ってない感じ。 汁かけご飯はご馳走。
普段は塩かけ雑穀飯じゃないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています