戦国時代の食事6膳目
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| |/ ⊃ ノ | | 寂しいという感情
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | 昔の食事を見ても中世の武士の食事は
焼き魚とか野菜入りの味噌汁とかあって
素朴ながらもうまそうだな 化調の味に慣れた現代人からしたらまずいだろな。
なんか全てが凄い固そうなイメージ。麦飯とかめっちゃ固そう。みんな顎強かったんだろね あんな時代に庶民がまともに食事を摂れたとは思えない。
人肉食が行われてたと考えるのが自然。 麦飯はよく噛むかかなり柔らかく炊かないと
うんこがつぶつぶしちゃうな >>11
当時は米でも玄米飯ばかり食べてたわけから麦飯になってもさほど変わらない。 この間、熊本に出張して朝鮮飴を食べてきた。
朝鮮出兵がらみで有名になった食い物だと伊達政宗の仙台味噌とかあるけど、みんなの住んでる地域でその手のいわくつきの食い物ってありますか?
あと日本史の中でも最大級の対外戦争なんだから、半島なり大陸由来の食文化(焼き物とか食器でなくて食材や調理法)が入ってきてもおかしくない
気がしますが寡聞にして聞いたことがないのが、どうにも解せない。 朝鮮に何を期待してるのですかとしか言いようがないです。
高知の豆腐が朝鮮風だと聞いた事はあります、固めのところが似てるとか。
ただ昔の豆腐はみな固かったはずですので噂の域をでないかと。 >>15
どんぐりから作った豆腐が似ているそうです。 朝鮮飴とかネーミングで損してる気がするな…
陣中食だったなら誤解を招かないような名前にするべきなのに 「長生飴」が朝鮮出兵で役に立ったから「朝鮮飴」になったんだっけ 「長生飴」の方が確実に美味そうだし縁起いい名前だから売れまくると思うのになぁ 今日放送された信長のシェフを見たが
対戦させられた相手の料理番の人が哀れだわ、あの時代肉の料理法って日本の場合汁物にするのが
基本なのに(鍋にしたり、塩焼、味噌をつけて焼くとかもあるけど)いきなりローストで勝負とは
しかし、西洋人に対する料理を作れというのは一応自然な流れだった。(故郷の味を再現させてというのもまあ王道だし)
原作買おうかなー 信長のシェフは3巻まではちゃんと料理してて面白いけど
ネタ切れ起こしていまはひどい
今普通の戦国漫画になってる そりゃそうだろうなあ。基本一発ネタ以外の何物でもないし >>20
うい。基本的に細川各代の殿さんより人気あります。細川の殿さんも文化面では人気があるんですが、
知名度/人気とも一般市民にはせいしょこさんが圧勝しています。細川家の人で知名度が高いのは幽斎、忠興、秋興、ガラシャ、一足飛びに飛んで護熙さんすかね。 >>15 遅レスだがありがとう
高知の豆腐ってそうなんだ。
「唐人豆腐」ってやつかな?
食ったことないけど何年か前高知にいったとき町の看板で良く見かけた気がする。 人質のおひい様の最後の料理は囲炉裏で焼かれた串魚です。
我が身の最後の姿を見る様にな。 復活したのか。
ちとネタズレかもしれんが、昔は
川の水呑んだりくんでたりしたでしょう。
あれでお腹こわさなかったのかな。
上流でケモノなんかが死んでたら
腐ったような水もいっぱい流れてたと思うけど
分量で薄められて大丈夫で
それに胃腸も強かったとかなのかな。 毎日飲むものだし、生まれた時から飲んでれば胃腸が慣れるんじゃないのかな。 雑菌ぐらいならいいけど
本格的な疫病とかもあったろうし
少々のバイキンなら抵抗力があったということなんかね。 現在でも日本人がタイなどに行って現地の生ジュースを飲むと高確率で腹を壊すという話もあるし
慣れや抵抗力といったものはあるだろうね タイ行っても生ジュースなら大丈夫だよ
避けないといけないのは氷入りジュース この料理を出したら、大殿様に殴られたでござる。
1の膳
@金高立入 蛸(湯引たこ) A鯛の焼き物 B菜汁 C膾(なます) D高立入 香の物(大根の味噌漬)
E鮒の寿司 F御飯
2の膳
@絵を書いた金の桶入 うるか(鮎の内臓の塩辛、今回はこのわた使用) A高立入 宇治丸(鰻の丸蒲焼き)
Bほや冷や汁 C太煮(干ナマコに由芋を入れて味噌煮にしたもの) D絵を描いた金色の輪に乗せた貝鮑
E高立入 はも(照焼き) F鯉の汁
3の膳
@焼き鳥(鶉・うずらの姿焼き、当時は雲雀・ひばり) A山の芋鶴汁(鶴とろ汁味噌仕立て、鶴はフランス産使用)
Bがざみ(ワタリガニの一種) C辛螺・にし(にしがいの壷煎、巻貝の一種) D鱸・すずき汁
4の膳
@高立入 巻するめ A鮒汁 B高立入 椎茸
C色絵皿入 鴫・しぎ壷(鴫の壷焼き、なすの田楽)
5の膳
@まな鰹さしみ A生姜酢 B鴨・かも汁(鴨の味噌汁)
Cけずり昆布 D土器入りのごぼう
足付の縁高御菓子
@から花(造花) Aみの柿(干し柿) B豆飴
Cくるみ D花昆布 E求肥餅(羽二重餅) 1の膳だけで十分じゃないのか?三河のタヌキなら毎日飯に納豆とみそ汁だけでも文句言わないと思う ただこういう献立は、出した人間の権勢をあらわす意味も
あるからなあ。
美味いだけじゃなく、品数が多い、高級食材が多いというのも
大切なポイントだよ。 >>39
こういうのは宴会料理だから数時間かけて食うんだよ
普段の食事じゃない
余り物は裏方の人間が家に持って帰って食うんだろう >>41
違う。最初から全部食うなんて想定してない。せいぜい一口づつで、残ったものは折にして持って帰ってもらう。 「人をもてなす際に一番重要なのは料理であり、
そのメニューを管理するのは主人の仕事。
ごちそうとは、たくさんの種類の料理を振る舞うことではなく、
自ら料理したこだわりの品を一、二品だすことだ」
伊達政宗 ・・・料理以外にもその気遣いがあれば
手下があれほど出奔しなかったであろう >>31
旅先で生水を飲むなというのも、他所の土地の細菌に抵抗力を持たないせいだろうな
まぁ、白湯か湯冷まし飲めって感じだ 甘いもの
なぁに?
干し柿、みりん、甘酒
ありは何があったの?ねえ 舶来物好きな日本に中華料理が入ってこなかったのは謎だな。 >>54
149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/05(金) 23:37:35.02 ID:yJdxjP8d
舶来物好きな日本人が、食事だけは独自性を保ち
一切中華を取り入れなかったのは不思議な気がするよ 調理環境も違ってくるんだから一概には言えないけど「点心」の類がいろいろ入ってきてるじゃないか 室町時代の日記(コレだと都の公家や知識人の話になっちゃうけどI)見ると、
お客さんが来たとき出した物は、塩おにぎりとかソーメンとか焼餅とかある
どれも炭水化物ばかりですか?( ^ω^) 何時来るかわからないような人には
保存系のものしか出しようがないわな。
しかも貧乏だし。 なるほどね〜
戦国大名の饗応なんかとも違うんだろうしね >>61
全然違うよね。
秀吉の饗応は本も出てるし、家康が前田にだした
ごちそうも有名だけど、あんなのは特別中の
特別だもんね。
公家さんでも来訪がわかってれば
平安でも酒やら焼き魚やら出してはいたみたいだね。
大河の清盛では実写でよく写してた。 >>54
料理は食材の賞味期限との戦いだから、さすがに大陸から持ってこれないよ 乾物てか乾貨で食材自体はある程度入ってきてたんだろうな >>49
輸入物だけど砂糖
大友宗麟が幕府に献上してた >>38
戦国時代には、現在と違い未だジャガイモもサツマイモもなく、
サトイモ・ヤマイモだけだったようだね。
766 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 01:47:24.87 ID:BoXZ+n9K
・・・・・・・加古川評定で別所のおっさんが芋がどーのこーの言ってたが、あれが三木が2年も保つ伏線になるとはw
しょうもないとこに伏線仕込むなwちょっと好きだけど
784 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 02:31:30.32 ID:y2LczFGw
芋って里芋だよね
いわゆる救荒作物である男爵芋、薩摩芋は
1597〜1600年に入ってきたものだし
792 :日曜8時の名無しさん:2014/05/05(月) 02:57:48.07 ID:1leoAxXr
>>784
山芋類もあったよ。長いもとか。海老芋もあるし。蒟蒻芋だって日本古来種はあった。
収穫量からすると一般的なのは里芋だろうね。
【2014年大河ドラマ】軍師官兵衛 Part36
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1398869412/766-792 そういや昔、戦国時代の大河見るたびに出てくる濁り酒が
カルピスみたいで美味しそうだと思ってた どぶろくみたいなものときいたが
発酵してるし乳酸菌はいそう まず乳酸発酵させないとアルコール発酵する前に腐るからね
いまの酒でも最初に乳酸入れて腐敗を防いでる 平安時代の酒は、保存と製法の問題で粘度と糖度がが高かった。
そのまま飲んだり、水で薄めて、漉して飲んだりしていたのさ。
ちなみに農村では、明治ごろまで酒は自家製が普通。
酒は買うものじゃなくて作るものだった。
それを明治政府が税を課すようになったが、なかなか長年の慣行は
変わらず、密造があちこちで行われていたそうだ。
ただ、取締りのかいもあって、酒は買うものという意識が定着した。 江戸時代に、幕府を上げて酒造りを奨励したものな
コメ余りの解消のために
コメの値段が下がると、侍が貧乏になるので幕府も必死 戦国時代の足軽は配給の兵糧を発酵させて酒を作ったらしい 米と水と酒粕混ぜて放置しとくだけで酒はできるからな 1日5合ってのは酒込らしいからな
現代人よりも体格が小さいのに
現代人よりも食べるわけがない 栄養のほとんどをご飯とかで賄っていたとこがあるから、ご飯だけをめちゃくちゃ
食べたみたいだな
宮沢賢治は明治の人だが、それでも1日玄米4合(+わずかな味噌と野菜)って
書いてたし >>77
馬鹿?
昔のひとは、運動量が現代人と比べてけた違い 単なる栄養だけじゃく、カロリー消費がハンパないだろ、当時の人間は。
運動量もそうだけど、今みたいにエアコン完備な環境じゃないし、自然の暑さ寒さをもろに受ける生活だ。
恒常性維持するだけでも相当のカロリーつかったと思うよ。 大河の戦国時代や日本昔話で餅食ってるシーンがあるんだけど
ああいう白くて丸い餅は中身に何かしらの餡は入ってんのかな?
それとも求肥やすあま的な甘みがある素の餅みたいなもんなの? キビとか雑穀を混ぜりしたろうが、
基本あんこなしだろ。
それでも当時の人間にはごちそうだろうし。 白米が甘いみたいに、餅そのものが甘く感じたんじゃない?
と思ったけど、餅だけたべると少し苦いよな
苦いというか渋いというか、甘さとはちょっと違う味がまじってるよね? 市販の餅でも甘み感じるけどな
米でも甘みあるし
昔は米とか食い慣れてないから余計敏感だったんじゃね 「餅の苦味」で検索するとかなりひっかかる
ただし苦味の正体はよくわかってないらしい へうげものでは家康は質素大好き
米もわざわざ糠取ったりせず
玄米のまんま山盛りでモリモリ喰っていたと描写
歴史物で戦国武将の食事紹介でも
家康のは地味でパッとしないものが多かった 戦国の勝者、徳川家康から学ぶ肉食の滋養
http://diamond.jp/articles/-/52635
家康は案外肉好き、主食は生涯麦飯
豊臣秀吉大出世の一助を担い、徳川家康の最後の晩餐に供された「蒜《にんにく》」
http://diamond.jp/articles/-/54540?page=5
例の鯛の天ぷらはおろしにんにくで食べてた。
生のにんにくは胃を傷めるから、それが死の遠因になったのかもね >>91
歴史物の書物ってけっこういい加減だねぇ
俺が読んだ本では白米じゃなく玄米を食べていたから
咀嚼を多くして健康に貢献できたと書いてあるのに
そっちでは麦飯か バブル期の直前くらいまで、砂糖は贈答品の定番だったろ
結婚式のお土産に鯛とか鶴亀の形にした砂糖とか
葬式の返礼に角砂糖の箱詰とか
お歳暮にデカい缶に入った砂糖とか 俺が大名なら畜産業者を武士より高い地位と俸禄で召し抱える むしろ、こんなスレが6スレも続いている事が驚きだよ 穢多のような皮革専門は副産物の肉も食う機会は多かったと思うが、戦国人は
どれくらいの頻度で獣肉食っていたのかな?
鎌倉時代前から流鏑馬みたいのはあったし、射った獲物は食ってた思うのだが
、あんま料理法とか残ってない感じ。 汁かけご飯はご馳走。
普段は塩かけ雑穀飯じゃないか。 信長なんかは、塩辛いのが大好きだわ短気で怒りっぽいわで、本能寺で
死ななくてもあと数年で脳卒中でお陀仏、だった可能性が高かったらしい。 父親の信秀の死因は脳卒中だと言われているね 49歳で 勘違いしてる奴がいるが、湯漬けは夜食だぞ?
食事の時間じゃないから、残りご飯に熱湯掛けて食ってるだけだよ。 NHKでやってる「偉人たちの健康診断」という番組の信長の回を
視たが、信長は酒もタバコもやらず、山城を徒歩で往復したりと
健康状態は良かったようだが、怒りっぽいがゆえに動脈硬化が
進んで心筋梗塞の可能性が大、と言う話だったなw ご飯に味噌のせて食べるのは、現代に生きる俺も大好き。
味噌汁ではなく、スーパーやコンビニで売ってる透明ケースに入った味噌。
ご飯に味噌汁かけて食べるのも好きだけど、味噌をそのままご飯に乗せて食べる方がうまい。
だいいち簡単だし。 あと、便所がクソ寒だろ。
確か謙信の死因は、寒い冬に雲古を踏ん張ってる最中の脳卒中
だったと思ったが、俺も寒い所に住んでた子供の頃、真冬の2月に
床屋のトイレで雲古をしたまま爺さんが脳卒中で即死してるのの
第一発見者になってしまった事があるわ・・・ 「偉人たちの健康診断」は稀に見るクソ番組だぞ
何も考えずに見てる分には面白いかも知らんが 最近はクソ番組でないのがないくらい。
受信料を強制的に集めてごみ屑にも劣る番組を 2017年度投稿数1.しかし盛り返しましたね。
最近、藤井聡太の勝負メシ、とか、あんがい熱心に見てしまう。
地味に面白いスレッドだと思います(初心者です) 米は昭和以降物凄い勢いで品種改良が進んだらしいが戦国時代の米はどの程度の味だったんだろう 米以外にろくな栄養源がないから3合では不足。
生産不足の米を更に酒、菓子などの製造に使うから益々不足。
都市では庶民はなんとか米食。
田舎ではかてめしと称して麦や雑穀大根など加えて量を増やした。
ちなみに戦前の陸軍は1日5.5合だったかな。 まあ、陸軍に入ると白飯が腹いっぱい食えるという事で入ったのも
多いだろうな。
そういう条件での採用だったから、脚気対策が遅れに遅れて、死者
が多数出る羽目になったわけだ、全てが陸軍医療総監の森林太郎の
責任というわけでもないだろうな 文豪として名を馳せてるのが面白いところだその陸軍医が 俺から不当に盗んだ知識は必ずすべて回収する
100億パーセントの利子をつけて必ず 気分が悪いわ不細工チョンが >>136
お前はちゃんと人に利子つけて返してるんだろうな? 少子化対策しなくても
生活保護も年金も国保も保育所もなくて国民の大部分が栄養不良だった時代のほうが
はるかに出生率が高かったとは何たる皮肉www
国民は殆ど皆、小学校を卒業したら働いたんだよ。 人が増えすぎて鬱陶しいので本能がブレーキ描けてるんだよ
多分 >>136
皮肉な事に国が戦争状態だと自殺率が極端に下がるのと一緒だね。
自殺や交通事故で毎年3万人ぐらい国民が死亡するなんて、ちょっとした戦争状態だぞ… 戦国時代は江戸時代とは違って食うも寝るも土足だっただろう。
さもなくば戦争なんてできない。
お城なんて畳を敷いてなかったと思う。
でも、洛中洛外図屏風を見ると屋敷の門外に草履取り、槍持ちが待機している 頻繁に鷹狩りに出る武将は、獲物をみんなで食べるんじゃないの?
狐とかウサギとか、鴨とか。
まさか、鷹や猟犬にご褒美にあげちゃうなんてこと無いよね。 勢子を勤めた領民に褒美として分け与えてたかと
江戸時代以前の上級武士ほど牛や馬と言った家畜はもちろん
獣肉さえも忌避していたというし 戦国時代だからって、年中戦争しているわけじゃないぞ
今来るわけないしって油断していると戸石城みたいな事が起きるけど 昔ながらの味わいか
田楽豆腐が好きなんだけど
ジリジリ店が減ってるんだよね
あれは今の味覚だと塩辛すぎる
豆腐に味噌塗って焼いた代物だもん 戦国時代の武士は普通に獣肉食べてたぞ。
家康は狩りの獲物の鶴を自分で捌いて料理して客をもてなしたし、茶席は料理と酒も出されたがその時に肉料理が出たり、いろんな人の書状や日記に出て来る贈答品リスト見ると肉も魚も普通に出て来る。 塩だけはありえない
味噌が普及してるし
味噌が普及する前は納豆系の調味料が使われてた説も 戦国時代の武将を殊更に禁欲的で質素だったと思い込んでいる奴が住み着いているな 味噌があるんだったら、味噌に貯まる上澄み液(たまり)を醤油的に使う
気の利いたやつもいたんじゃね?
秀吉あたりは目鼻が利くから、信長のご機嫌取りにやってそうだなw >>155
刺身とかは醤油でなく酢が一般的だったみたいね ≫156
さしすせそ。の中で塩と味噌は安価だけど砂糖、酢、醤油は当時は高級品。
武士といえど現代人のように当たり前に使える訳じゃない 湯漬けのアテはやっぱ漬け物なの?
戦国時代 にぬか漬けとかあったの? 私本太平記読んでたら「干し柿の表面に浮き出た甘い粉を集めて草餅の甘味料にした」ってのがあったけど
そんなもん本当にあったんだろうか 糖分だったら甘酒を使えばいいと思ったな、あれは強烈に
甘いから。
でもその頃はまだ甘酒無かったのかな? 甘酒あったよ
砂糖は輸入品で高価
甘ずらは国産だけど高価
あとは水あめくらいだな 武器武具は履いて捨てるほど、日本刀などは明に輸出するほど作ってたのに
食い物はカロリーさえ取れたらよい。 自力救済の社会は
皆がそれぞれ武装して自衛するという非合理に陥って
生産性が落ちるからな 戦国時代の武将は肉食についてどう考えていたの?
避けるものなのか気にしてないか。サイトによってまちまちなんどけど 全員一律なわけがないので武将ぞれぞれだったんだろう 武将個人の嗜好と仏教への信仰度次第で肉食するかしないかは変わるだろ 美味しんぼの勝手なイメージで、鶏肉とかは昔の方が美味しそうな感じがする。 狭い暗いところに閉じ込めて運動なし日光なしのニワトリに比べたら美味いかもな
現代のも品種改良やエサの工夫が凄いから伸び伸び飼ってるやつは超美味いぞ 敗走中には民家を襲って、人肉も食っていたと思う。
農民は当然、落ち武者狩りやるし、阿修羅の世界。 ガチな話すると前近代の、それも観賞用ではなく家畜としての鶏は低栄養な餌しか食べてないから肉も痩せてて
旨くない。現在のブロイラーのほうが100倍マシだぞ 牛や馬、鳥などの家畜は最低限の餌しか与えられなかったから
脂も乗ってなくパッサパサだっただろうな。魚の方がよほど脂があって旨そう というより労働力として使われてたからがっつり赤身になってるだろ >>175
>>176
思う、とかいう勝手な妄想と
それに自演でレスして ひどいな… とか
てめえバカじゃねえのか >>180
先の大戦の壊滅敗走の手記など思い出したら平常運転だろ。
戦国時代には実際は殆ど山中で餓死したと思う。 >>181
また勝手な妄想か
てめえバカじゃねえのか
バカチョンが 戦国時代と一口に言っても、例えば畿内と九州じゃ違うだろうし
薩摩や肥前や博多では、豚肉とか砂糖なんかはざらにあったって言うことはないの? 豚肉は薩摩をはじめとした西国が多く、東国は馬肉や鹿肉が多かったらしい 東京の豚肉食いは、明治維新で薩摩藩の下級武士が警視庁に大量採用された際、
鹿児島から東京に持ち込まれた風習だろ。
警察官がもちこんだ”おい、こら!”は鹿児島弁で江戸にはなかったらしい。 佃煮の調理前である白魚は将軍に出されていたみたいだけど、庶民も食べていたのかな? 豚や猪は短足だから降雪が多い地方では食われてなかったんだろ
今でも猪の北限は東北南部までらしいし >>191
2017/08/26 -
青森県内では絶滅したとみられていた野生のイノシシが今月13日から15日にかけ、深浦町内で撮影された。県内ではこれまでにもイノシシとみられる動物の目撃情報はあったが、撮影されたのは初という 雪深い青森に猪がいるとは知らなかった。冬眠しない猪が雪に餌が
埋まる冬をどうやって乗り切ってるのか興味ある 猪もバカじゃないから冬は降雪の少ない地域に避難してたかと。
日本海側は一度の冬将軍で数メートルの降雪量を記録するし >>192
深浦町って海辺の町か、案外積雪は少ないかもな、内陸ほどは
降らないからな。 東北地方は奥羽山脈の西と東で降雪量が全く違う。
青森の太平洋側よりも南の山形県の方が降雪量は多い 八戸や三沢辺りはそんなに雪降らないって青森出身の知り合いが言ってたな 秋田、山形の奥羽山脈の西側は、地獄のように降るからねw
東側の内陸はそんなに降らないけど寒いな。 戦国時代って簡単に何万の軍勢というけれど、
それが一斉に飯を炊いたり、野糞をたれたり
街道沿いの農民はたまったものじゃなかっただろう。
焚き付けの木切れはすぐなくなるだろうし。 どうだろう。街道沿いの惣村にとっては生産した物資を現金化できる
貴重な機会だったという説もあるからな。暖を取ったり見張りに必要な薪や
米を炊いたり生水を消毒するための炭を大量に使用する軍勢は見方を変えれば上客 >>200
奥羽山脈の西側を一緒にするとか雑すぎ
浜のほうは降らないとか大きな市街地周辺は降らないとかいろいろ違うんだぞ もちろん、西側の内陸ね、そこら辺は全国有数の豪雪地帯だな。
海沿いはさほど降らんよな、秋田市とかはちょっと多めに降ると
パニクってるわw
大都市・新潟は行った事無いから分からんが、そんなに降らないのかな? 戦国時代って飲み水はどうしてたんだろう?
井戸がある場所なら問題ないけどそれ以外での調達って難しそう >>202
そんな上客ばかりなら禁制など必要ない。
禁制出してもらった上で物品販売したとしても、
収支的にはプラマイゼロくらいだと思われる。
農民最大の資産は牛馬なので、これを略奪されないように
近隣の寺、城、山間に避難もしくは隠すのが最優先。
避難すると敵対行為とみなす軍勢もいるので、農民も必死。
家屋は放火されなきゃラッキーだが、燃料や資材として略奪されることも。
まぁ味方領主の軍勢通過なら上客と言えるだろうけど、
敵対勢力の進攻の場合は略奪対策。
両軍に禁制出してもらってるケースもあるので、
後方の安定地以外は迷惑な存在だったと思われる。 >>206
新潟は東北ではありません
山形秋田はみちのくではなく元越です
新潟も越の仲間ですが北陸でもありません
ただ甲子園の予選は北陸ブロックに紛れ込んでいます 西鉄の稲尾も酷使されて寿命を縮めたね。
大事に使えば金田の記録を超えたかも。 >>210
北陸三県か四県かは場合によって違うけど、
越の国を持ち出してるくせに、新潟は北陸じゃないというのはどうなの。 >>207
江戸時代より前は井戸なり沢なり水が十分ある場所に町が作られていた。
ただ城下町が形成され様々な人間が集まる様になると当然、
天然の水だけでは足りなくなり上水を引き込む水道工事が各地で行われた 江戸時代より前というか、戦国時代より前は小権力が分立し洪積台地を開発するのがやっと。
戦国大名の強力な権力によって治水を行い、やっと沖積平野を穀倉地帯にできた。 攻めいる側は戦場で水をどう調達してたんでしょう?
井戸は使えないように糞便が入れられたというし、そう都合よく
大軍の需要を沢があるとは限らない。
いくら昔と言えど川の水は腹を壊しそうな気がする 虫歯はどうしてたんだ?
虫歯で死ぬ人間も多々いたんか? 虫歯に罹患すること自体が現代に比べ稀みたいだな。
虫歯の原因になる砂糖などの糖類は上流階級しか手に入らなかったし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています