明智光秀「敵は本能寺にあり!」←これもう飽きた
定番の台詞だけど実際はそんな事言ってないらしいじゃん
本能寺の変を扱う度この台詞がでてきてもうウンザリ 敵は堺の家康である!
大多数の兵が家康を討つための夜襲だって思ってたらしいじゃん そのセリフを光秀からとったら
何が残るというのだ! 本当はなんて言ったの?
何も言わずに本能寺に突っ込んだの? 利三「いきますぞ」
光忠「うむ」
秀満「突撃じゃ!」
光秀「」 「家康が上様(信長様)がおわす本能寺に夜襲をかけるとの報せが入った!
我らはこれより上様をお救いすべく本能寺に救援に向かう!」 「敵は本能寺にあり」
「三日天下」
「天王山」(勝負を決する局面、勝負の頂点)
「洞ヶ峠」(洞ヶ峠で日和見をする)
―――以上は、本能寺の変を離れて一般的な意味としてもつかわれる有名な用語だが、すべて史実としてはウソ。
「左馬助の湖水わたり」もウソ。
史実と違うことをこれだけ一般化したのは、ある意味、光秀(本能寺)は偉大だった。
ほんとだ、非常に偉大だ。
当時の史料好きで見るけど、ほんっと光秀って出てこない。
大勢の中の一人として名前が出てくる程度。
今出まわってる話の殆どはまさに ウソウソウソウソウソ… みんな嘘なのか
本当のことが書いてある一般向けの本ってなかなかないんだな そりゃあそんな本は売れんから
太閤記もおもしろく脚色しないと売れなかったわけで・・・ 本当は指が六本あった!?当時の宣教師が語る
英雄色を好む? 名門お嬢様・人妻踊り食い!お市様コンプレックスか
残虐!水殺し干殺し
激白!「草履は実は尻に敷いてたんだぎゃ」
「上様がいなくなったときは内心ワシにも幸運が回って来たと思ったで(笑)」
女性週刊紙か東スポ的ゴシップ記事 泥棒同然の扱いの蜂須賀さんかわいそう
あれもたしか太閤記だろ 本能寺の変自体が嘘。
世界制覇も可能な信長ほどの大英雄が簡単に殺されるはずがない。 >>21
誰が黒幕だなどとチマチマ言っているのでなく、妄想はこのくらい雄大な方がいい。 >>21
本能寺が焼けてますけど夢幻のごとく的展開になったんですかw 「敵は ほんの 蛆に蟻!」
(これは光秀が攻めるべき信長らを
虫けら程度だとけなすことにより、
味方を鼓舞した有名な台詞である) 古代ローマを描いたドラマROME見たら「賽は投げられた」とか、「ブルータスお前もか」とか、一切無くて、
有名ドコロのセリフはあえて全部省かれてたな
お決まりをそのまま提供してしまう日本のドラマと、お決まりより意外性を狙う海外のドラマとの差を思った >>14
光秀は小さい声で言ってたんだよ。自分に言い聞かせるように。
ほかも全部真実だよ。
だって否定してる方も実際のところ信用できないんだし。 >>28
傍近く侍っていた牛一の著だからいたずらに無視するわけにもいかない >>29
そこは良かったけどローマの描写はプロテスタント史観プンプンでげんなりしたわ >>33
生活感あって好きだけどなあのローマ観
実際あんな感じだったと思うんだよな
大河ドラマ班がコーンスターチに頼ったのも多分ああいうのを描き出したかったんだろうと思う いやあの時代は町がウンコまみれだろ
そういうのもちゃんと描写しないと
日本は違うけど 日本には川を利用した水洗トイレや肥溜めがあったがあっちは基本クソはその辺にポイだからな
そりゃペストも流行るわw
まぁクソまみれの生活だからハイヒールが生まれたんですがね 一介の浪人が主君を変えて
才覚を示し大出世、
そして最後に謀反。
戦国時代を真に体現しているのは、
秀吉や信長じゃなくて明智光秀だよな。 川を利用した水洗トイレ?
そんなもん極々一部だろ。高度成長までは大方ボットン便所じゃねえか。 日本には既に藤原時代に水洗トイレがあったんだよボケ!!! えっ?
ヨーロッパにはその極一部すらなかったんだけど・・・ いや、ちょっと待て、あるだろ
古代ローマ帝国は水流トイレが遺跡で残ってるぞ
中世ヨーロッパに伝わらなかっただけで
西洋史ではよく知られた事実だお
極一部にあったのと極一部にすらなかった
実際にそれを想像したら大して変わらない状況だろ
ただ日本人は肥溜め作って肥料として田畑に蒔いてたんだがな
そのせいで寄生虫が蔓延したわけだが 平安京の水洗トイレはどう見ても失敗作だわな
でも失敗を繰り返して良い物になっていくのだよ 俺の肥溜めの蛇足のせいで水洗トイレの話になっててサーセンw だから光秀はあの時に何て言ったんだよ!。正確に教えろ。
教えて下さい そんなこと自分で聴け、無精者め。
長寿法で光秀はまだどこかで生きてるはずだ。 >>52
敵は本能寺にいますので皆さん頑張って戦って下さい
恩賞ははずむつもりです
戦死した場合の家族の面倒も見ます
跡継ぎは事前に登録しましょう
元服前の息子には後見人をつけましょう
その後の事も万事この光秀が責任を持って・・・ …いや待てよ…やはり息子は戦に出すべきでない
寺に入れて僧にでもした方がいい。そうすれば極楽に行ける >>52
敵は本能寺にあり。
しかし、都合により敵が誰なのか明かせません。それぞれ、勝手に徳川家
康とでも思っていてください。
門は空くので心配ありません。
門をはいると、秀満のほろ衆が中から指示をしに来ます。良く聞いてくだ
さい。
本堂に討ち入るものは、くりのかたに気を付けてください。そこに女がい
るはずです。つかまえたら利三に引き渡してください。
敵が出てきたら、蚊帳の陰にでも隠れて首をとってください。
槍を恩賞に与えます。
それでは、みなさま、ご健闘を。 敵が信長だと言わずに本能寺を襲った場合、戦いの途中で
相手が信長だと気づいた兵士が怖気づいたりしないのかな 末端の兵は総大将の顔なんか知らんよ
家紋見てアレ?って思うかもしれないけど >>10
天と!神々に代わり!この、これとー日向守光秀が!てぇぇぇぇぇばぁいいたす! チャッ、チャッ、チャ、チャ チャ、チャッ
信長「♪アーチーチー!アーチー!燃えてるんだ廊下ー」
光秀「♪これは太閤がー させたことだよ 後の太閤がー」 戦国当時の兵卒は信長の顔なんて見れないから、
誰と戦ってるか解らなかったんだろ 敵は徳川家康、本能寺あり!
いざゆけ!おおうっ!
あれっ?
てへ、間違えちゃった、ぺろ 戦国時代の信長とか家康とか生まれ変わったらどうなるんだろうな
イケメン武将の石田三成と真田幸村が生まれ変わったら意外に違う人になってるかもな
謀反起こした明智光秀って戦国時代で有名人じゃん
明智光秀ってどんな顔してたのかな 生まれ変わったら性格悪かった家康とか人殺しまくった信長とかも
全然違う人になってるのかな 女『今度生まれ変わったら一緒になろうね って言いました(号泣)』
男『・・・?!
( えっ、なにそれ? なんのはなし??? )』 んじゃ
「とき(土岐)は今、信長は蘭丸とプレイ中!汁がしたしる頃合いだ!逝くぞ」 信長さんは一度、室町時代に農民として
生まれていて平和に暮らしていたんだよ。
性格は穏やかで明るく社交的。
好きな女がいて、その女は賊に乗っ取られた。
女を取り戻そうと賊と1対1で戦ったけど、
負けて首を刎ねられて街中に晒された
と天国の信長さんが言っていたよ 次は戦国時代に生まれてきたんだ。
1対1で戦うようなバカなマネは止めて、
人を使うようにした。
今度生まれ変わった時は、報われるようにと
生まれてきたようだ。 家康:誰だお前は何者だ!(ゆっくりゆっくり覆面をはがしていく天海)
家康:うっお前は明智光秀!馬鹿な!お前は確かに死んだはず!! Our enemy in instinct temple 脚色がなければ、逆にここまで歴史に興味を持つ人が、かなり少なくなっていたのでは?
飽きようが、新たに歴史の興味を持つものがいるわけで。
俺は歴史好きだから、興味を持つやつが増えればうれしいで。
さすがに真田幸村を連呼しているひとは引くがなw 信長は奈良の地で暗殺されているので、
京都の本能寺をいくら調査してもなにも出てきません。 大陸へ亡命したのは、信長の息子です。
信長の暗殺当時、乳飲み子であった息子まで手にかけることをためらった光秀は、
この息子と、わずかな側近たちを現場から脱出させています。
その後、息子は大陸を転々としながら大軍を編成し、日本で我が世の春を謳歌していた
秀吉と光秀に対し、大攻勢を仕掛けます(日本史では元寇に該当)。
この大軍に戦意を喪失した光秀は、あっさり降伏してしまいます。
これに激怒したのが、信長の実の弟であり、信長暗殺の主謀者である秀吉でした。
秀吉は、光秀が独断で降伏したこと、またそもそも信長の暗殺時に子供を逃がして
いたことも責め、光秀を殺害しています。
その秀吉も、結局、大坂での信長の息子との最終決戦で大敗北を喫しています
(日本史では大坂の陣に該当)。 佐久間信盛「我らが敵は西国に非ず!」
安藤守就「敵は本能寺に有り!」
林秀貞「我に続け!」 >>83
部下の先走り説は俺もあると思うんだよなぁ。
光秀本人が本能寺に到着したのが襲撃から何時間も経過した9時頃だし、
親しい細川などに事前に何の連絡もなかったわけだし。
光秀自身が謀反をやるつもりなら本能寺にもっと早く着いてるはずだし、
直前に細川に「今から信長を殺します」という手紙くらいは送る筈。
俗にいう黒幕説はどれも信憑性の薄い物ばかり。
怨恨説も怨恨の原因とされる逸話がどれも後世の創作ばかり。
そうなると光秀の部下が「光秀様が天下人になる好機!」と勝手に動いた
としか考えられない。 中国侵略が悪いという左翼的なイデオロギーにとらわれているようにしか感じられない。
ただ、末裔が言うように光秀が逆臣だとか、秀吉が逆心を討った忠臣だとか秀吉の都合の良いイデオロギー操作に騙されているのはわかる。 まず中国侵略って日本側史料では否定するニュアンスのもあるから、完全な史実とまでは言えないのにね〜
末裔さん、大衆から共感得られると思ったのか飛びついちゃったね。
で、光秀って実は秀吉の操作前でも逆臣。あれほど皇室を支援した信長を討っちゃったってことで日本人大パニック。 末裔氏の説がひっくり返りそうな史料、ちょこっと紹介。
本願寺史料「家康接待のため信長奔走」素直に読めば、信長は家康にお礼がしたくて仕方なかった様子。
家康家臣史料「(信長の死を知り)家康は切腹しようとした」
末裔氏、こういうの思いっきり無視しちゃってるからなぁ… 本能寺に宿泊中がなんと信長だったのが真相。
なので急いで天下取りに変更。当然、味方につく人はいないよな。 >>93
いずれにせよ、逸る部下を抑えられなかった光秀が悪い。 >>99
>家康家臣史料「(信長の死を知り)家康は切腹しようとした」
自分と同じ暗躍するタイプの光秀を以前から恐れていた家康は
信長が討たれたと知った時、其の足で明智軍が攻め込んで来ると
半狂乱になり、切腹しようとしたのを家臣たちが必死に止めて事なきを得た
というのを、どっかで読んだな
色んな捉え方があって面白いよね >>102訂正
>其の足で明智軍が攻め込んで来ると「思い込んで」←が抜けてました 家康の切腹云々って話は、光秀又は武者狩りにやられるよりはって事でしょ。
信長様の後を追います…ってことではない(笑) >>102
同意。歴史研究は読書感想文コンクール
感想文書く人によって話がいかようにも変わる
で2ちゃんは主に、そういった研究者の感想文を読んだ感想を言い合ってる感じ、決して嫌いではないw そもそも昨今の研究結果で言えば、信長は同盟相手に心から気を使っているもんなあ。
世間の評判も気にしまくりだし。そんな人間が、忠実な同盟者の代表だった当時の家康を騙し討みたいに殺すわけがない。 光秀「寺の中にいるのは謀反人だ」
兵隊「オー!」
↓
本能寺焼け落ちる
↓
光秀「信長討ち取ったり!」
兵隊「えっ?」 >>107
そこは関係無い。同盟国や一部大国に気を使ってるのは保身の為であって、家康が脅威になってきたら天下平定前に潰す魂胆は無いとは言えないでしょ
息子世代になってから潰れる例もあるわけだし
ただ家康が得た駿河は信長が許可したようなものだから、信長に家康を殺す魂胆があったとは自分も思わないけど そもそも家康が標的なら、なぜ本能寺だけでなく二条城まで攻めるのかと もしかすると、利三が長宗我部守ろうとして暴発したあと、本能寺に光秀が来たかもしれないなwww
光秀「なんか燃えてるんだけど・・・・オワタ\(^o^)/」
って思ったんだけど、毒を食らわば皿までってやつ。
なお、秀吉は利三がやらかすのを知ってた模様。 佐久間とか林みたいに昔の事持ちだされて追放されてるの見るとなぁ
家康接待に失敗したわけだし 光秀の怨恨だろうとそうでなかろうと、誰かしらの恨みを買ったのはほぼ間違いないわけで
可哀想ではあるが信長は自業自得の最後 信長は今風にいうと国税局の職員だからね、脱税したい人からは恨み買う アメリカンに言えばジェイ・ギャツビーを撃ったジョージ・ウィルソンかも 信玄はハンニバル、カエサル、ナポレオン、信長、アレキサンダーとは決定的に違う
後者の連中は勢力を拡大しながら、最後に足元を掬われたり、道半ばで死んだ。
ただ、死んだ後も、その功績や巨大な遺産が残った。
信玄って死んだ後なんか残したか?それが武田家のためになったか?
違うよな?無駄に織田徳川上杉と喧嘩を売って、北条には不信感を植え付け、次代でどうにもならなくなって滅んだ。
その後、信玄や武田の遺産が、日本に与えた影響は皆無。これをもって信玄は愚将と言われるわけ。
まあ今さら「信長が家を滅ぼした」なんて言ってる菅沼遼太に言っても、発狂材料にしかならんだけかwww 簡単に言うとさ、現代の日本で「徳川家康の遺産は残っている」って言っても、
現代人にはピンとこないだろ?家康が死んで、徳川幕府が潰れて、明治新政府が立って、
第二次大戦で敗れて、復興して、今の日本があるわけで、家康が死んでから400年以上経っているわけ。
ところが、実際家康は日本屈指の偉人だと言われてるし、後世に残した遺産は大きいと言われている。
俺はこれを考えた時、影響力が背景にあるのではないかと思った。
つまり、アレキサンダーにしろハンニバルにしろ、カエサルにしろチンギスにしろナポレオンにしろ、そして信長にしろ秀吉にしろ家康にしろ
結局のところ「こいつらが生まれてこなかった、ないし世に出ていなかったら」と考えると、世界ないしその国は大きく変わっていたと言わざるをえない。
確かに、目に見える遺産を残す人物もいるが、例えナポレオンのように最終的にそれがなくなったとしても、そういう点で「遺産」と銘を打っても俺はいいと思っている。
この基準で武田信玄を考えると
・武田信玄の勢力遺産 → 武田家滅亡とともに霧散
・武田信玄の残した血脈 → 武田家滅亡とともに衰退
・武田信玄の方針ないし施政 → 跡を継いだ勝頼が踏襲するが、その後武田家は滅亡
・中央政権への影響 → 最終的に織田と敵対する以外は特になし。その織田に死後滅ぼされる
となる。直接の遺産観点から見ると、武田家の子孫は滅亡し、血統は断絶しなかったが、養子を何度も入れ替え、かつさしたる地位も得られず没落。
目に見えない遺産、すなわち影響力という点で見ても、中央政権へのさしたる影響もなく、「何も影響を残すことはなかった」とするのが普通だろう。
日本の教科書では武田の存在がほぼ無視されてるが、それでも大した影響はない。
以上をもって俺は「武田信玄は名将ではない」とする結論を立てた。 名将というのを語るにおいて認知度なんて最も外せない指標だろ?
教科書、社会への影響力、それから功罪の評価、認知、量、これらは
その人物が名将であったかどうかを一番知る手がかりだし、現に中国では
著名な名将が後の時代に祀られたり、顕彰されることが非常に多い。
俺は別にそれで全部測れ、なんて言っていない。
評価する上でこれは当然の話だ。
むしろ「後世の大衆人気」は一番アテにならん。
こんなもん後世の講談師に影響されるさじ加減としては最もショボイ指標。
真田十勇士みたいな架空の人物が人気になる時点で大衆基準の歴史評価なんていい加減。
純粋に当人の業績と、そこから残した「遺産(可視不可視問わず)」を見るのは当然。 >>119
お前は信玄堤や三分一湧水や信玄棒道や金貨を初めて流通させたのを知らんのか?
山梨県人の誇りになってるのに比べ、信長さんはどこの県人の誇りになってる? 三河か尾張出身の秀吉がなぜか大阪の誇りになってる件 >>66
ワロタ
>>9
↓が秀逸
ttp://2chcopipe.com/archives/51549958.html 山崎の合戦で死んだのは影武者荒木山城守行信
光秀は荒深小五郎と名を変え現在の岐阜県山県市に潜んだ
荒木の「荒」と、荒木山城守の忠誠に深く感じての「深」で
荒深小五郎と名乗った事実は地元では誰でも知っている
つまり、山県市の荒深姓は明智光秀の直系子孫なのである
住民は皆誇りを持って胸を張って生きているのだ! >>120
あんた、ないし(乃至)の日本語の使い方が圧倒的に間違っとるよ 明智光秀が美濃の土岐氏の支流の明智一族というのも明智軍記に書いてるだけで、何の確証もない話
むしろ祖父、父、叔父すべて史学上は存在が確認できない人物で捏造だろうと言われている
美濃の国に明智氏という国人がいたのは間違いないが、最後の活動が史学上見られるのは光秀が産まれる60年前くらい
その後は滅亡したと見られており、光秀はその子孫を詐称した可能性が大きい
光秀は低い身分からの成り上がり者で、途中で明智を詐称したのだろう
一部の資料では、細川家の家臣(それも低い身分の)だったと書いており、そこから立身出世していったのではないかと思われる
それであれば幕府や細川家と強いつながりを持っていたのは当たり前 元々そこの家臣だったのだから
むしろ美濃の浪人で朝倉家に仕えていたという明智軍記どうりの経歴なら、何故幕府と強いパイプを持てたのか不自然で仕方ない 本能寺の変の前に歌会で詠んだとされる有名な発句「ときは今 あめが下しる 五月かな」についても当時は歌会参加者からも問題視されていない。
これが問題だと言い出したのは、羽柴秀吉が山崎の合戦で光秀を下した後、自分を正当化する為に御伽衆に書かせた『惟任退治記』から。
つまり秀吉が難癖を付けるまでは誰も問題視してなかった=光秀は土岐氏の末裔で今天下を獲るのだなどと解釈されるはずもない句だった。
『惟任退治記』に使われている「退治」という字の意味は害虫「退治」の「退治」であり、題からして、
「惟任(光秀)を(害虫のように)退治してやった記録」という意味である。
何故ことさらに秀吉があの発句を問題視したのかの理由だが、光秀を退治した自分を大きく見せ周囲を威圧する狙いから来ており、
光秀が簡単に倒せるザコでは困るので、美濃の名門である土岐氏の一族である明智家の一員という事を強調し、凄い奴を倒したんだぞ俺様は
とPRする為だった。 ワイ「み、みっちゃん!本能寺奇襲しないで!」光「うるさいですね……」テキハホンノウジニアリデスワー
信「あ、あぁ〜ッ!」 メラメラメラメラー(炎上の音)
光「はい、ノッブの天下は今日で終わり。今までお疲れさまでした」
ワイ「うぅ……ひ、秀吉ちゃん、助けて……」
数ヶ月前、念願の西国攻めを開始したのだが、秀吉ちゃんの『毛利強すぎワロタw殿が来てくれないと負けちゃうのでは』
という懸念の声があり、結果、毛利攻めに備えて本能寺に待機することになった。
しかしみっちゃんはなんだかワイのことがキライだったみたいで、本能寺を奇襲して、本能寺アツイアツイでワイの人生50年、化天のうちを比べれば夢幻の如くなのだった。トホホ…。 >>115
生まれてからどんだけ裏切られてんねんという話だよな、身内からも 光秀「わりは本当は痔なり」
って言っただけですやん! >>1
「麒麟がくる」でもあったけど
今のトレンドはこれ
「敵は本能寺にあり」
↓
「ときは今 天が下しる 五月かな」 丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) 毎回不思議に思うのは「何!羽柴筑前が?」って思いのほか速く
戻ってきたことにびっくりするところ。いや速かろうが遅かろうが
いつかは帰って来るじゃん他の家臣も帰ってくるじゃん
そいつら全部と戦って勝つ自信あったのか 信長の首を発見できなかった
一説には坊さんがこっそり持ち出したらしい
秀吉は信長は生きているとデマを流す
そうなると光秀に与する者はいない
信長の首を見つけていたら変わったかもしれない 黒焦げで誰が誰かわからんかったって書いてるのに信長の首持ち出せるのか