>>19期間、兵数、戦後の影響忘れてた
天文19年(1550年)7月に信濃林城主小笠原長時を破って
信濃中南部の大半を制圧した武田晴信は、いよいよ信濃北部・東部の平定を目指して
同年9月に北信濃の戦国大名・村上義清の出城である砥石城攻略に乗り出した。
晴信は天文17年(1548年)の上田原の戦いで義清に大敗していたこともあり、
その復仇を目指しての戦いでもあった。また、この城を落とせば、
村上氏の東信濃における防衛線が大きく後退するため、
戦略上も戦術上も重要な戦いでもあった。