【佐竹・江戸】 常陸の戦国大名2 【小田・大掾】
妻
佐竹義舜・・・岩城常隆女
佐竹義篤・・・小田成治女
佐竹義昭・・・岩城重隆女、大掾慶幹女
佐竹義重・・・伊達晴宗女、那須政資女
佐竹義宣・・・那須資胤女、蘆名盛隆女、多賀谷重経女
婿
佐竹義治・・・石塚義親(姉)、石塚義親(妹)、小場義積、小野義高
佐竹義舜・・・岩城成隆、江戸忠通
佐竹義篤・・・佐竹義廉、石塚義慶、大山義勝
佐竹義昭・・・宇都宮広綱、岩城親隆、石川昭光
佐竹義重・・・江戸宣通・高倉永慶、宇都宮国綱(養女)
佐竹は違うな 妻
大掾高幹・・・
大掾常幹・・・
大掾慶幹・・・薗部兼彦女
大掾貞国・・・
大掾清幹・・・真壁氏幹女、薗部河内守女
婿
大掾清幹・・・芹沢秀幹
大掾高幹・・・
大掾常幹・・・
大掾慶幹・・・江戸通政、佐竹義昭
大掾貞国・・・
妻
土岐原景成・・・
土岐原・・・
土岐治頼・・・
土岐治英・・・
土岐治綱・・・
婿
土岐原景成・・・
土岐原・・・芹沢定幹
土岐治頼・・・
土岐治英・・・岡見治広
土岐治綱・・・
落差が 佐竹と小田は永禄年間はほぼ互角
謙信が佐竹援助して流れ変わった 妻
結城氏広・・・小田知久女
結城政朝・・・宇都宮成綱女
結城政勝・・・水谷勝吉女
結城明朝・・・
結城晴朝・・・小田氏治女(養女)、水谷正村女
婿
結城氏広・・・
結城政朝・・・宇都宮尚綱
結城政勝・・・水谷正村
結城明朝・・・
結城晴朝・・・那須資晴、由良国繁(養女)
妻
小山成長・・・
小山政長・・・
小山高朝・・・
小山秀綱・・・成田氏長女(北条氏政養女)
小山政種・・・
婿
小山成長・・・
小山政長・・・
小山高朝・・・江戸重通、石川時通
小山秀綱・・・那須資晴、岡本禅哲
小山政種・・・那須資景 三浦氏員×伊勢宗瑞女
太田資高×北条氏綱女
北条綱成×北条氏綱女
足利晴氏×北条氏綱女
堀越六郎×北条氏綱女
吉良頼康×北条氏綱女
葛山氏元×北条氏綱女
臼井守胤×中田加賀守女
今川氏真×北条氏康女
太田康資×遠山綱景女(北条氏康養女)
高城胤辰×遠山綱景女
北条氏繁×北条氏康女
太田氏資×北条氏康女
木田見頼忠×間宮康俊女
豊前氏盛×間宮康俊女
千葉親胤×北条氏康女
吉良氏朝×北条宗哲女(北条氏康養女)
足利義氏×北条氏康女
千葉邦胤×北条氏政女
小山秀綱×成田氏長女(北条氏政養女)
臼井久胤×清水康英女
宅間規富×遠山直景女
上杉氏憲×北条氏繁女
里見義頼×北条氏政女
武田勝頼×北条氏康女
山中大炊助×北条氏照女
木田見朝忠×間宮綱信女
正木邦時×北条氏尭女(於万の方の生母、遊女とも)
吉良頼久×小笠原康広女
三田守綱×遠山利景女
皆川勝照(広照長子)×茂呂又十郎女(北条氏照臣)
皆川隆庸(広照嫡子)×中御門宣綱女(北条氏政養女) まちがえた
皆川広照×中御門宣綱女(北条氏政養女)
ついでに茂呂氏の姻戚関係
茂呂因幡守×赤井照光女(妙印尼の姉妹)
茂呂利資×佐野豊綱女
茂呂又十郎女×皆川勝照 宇都宮氏の婚姻関係
宇都宮正綱×石塚義親女(佐竹氏庶流)
宇都宮成綱×那須資親女
×小田成治女
×上杉顕実女
宇都宮忠綱×不明
宇都宮興綱×不明
宇都宮俊綱×結城政朝女
宇都宮広綱×佐竹義昭女
宇都宮国綱×東義久女
参考:下野宇都宮氏の婚姻関係 江田郁夫著 すまん誰か教えてほしい。
天羽源鉄
あもう、あまは、あまはね 読み方がわかりません。 一部軍記物以外で名前を見ない人だな
本貫地がはっきりしているとかなら
まだ読みようがあるがなんとも言いようがない 氏治にそんなすごい軍師がいたなら手子生城にまで追い詰められる前になんとかしてただろ >>388氏治公がちゃんと言うこときくとは思えないけど。
会社の無能な上司にそういう人がいくらでもいるとおもう。
優秀がどうとかでなくて読み方知りたかっただけなんだ・・・。 同時代の小田家文書見ても出てこない名前なんだよな
関東古戦録の作者かそのネタ元がでっちあげたんじゃないの? 高校の時につくば市辺りの出身で天羽と言う人がいたな
その人は「あまは」だったと思う 某アニメ化した某エロゲーの先輩の苗字だからすんなり読めてた俺 >>396
義重筆頭に下げられてんよ
正規分布だとかアホなオナニー仕様のせいで高い能力が増えるほどバランスの為に下方されてく
最下層の能力とかネタじゃないのって見てて哀れ 大名家は佐竹と小田の二つ(ただしプレイヤーが選択できるのは佐竹のみ)
江戸は浪人
大掾は佐竹家臣
多賀谷は結城家臣
ってところか。
雑魚扱いですぐ滅びる。 一回の野戦で撃破→三ヶ月ほど城包囲→滅亡
小田も那須も佐野もこんな感じで簡単に滅ぼしてくんだよな
51年に至っては同盟結んでない宇都宮を半年以内に潰して本城Get
リアリティ路線らしいがこのスピードじゃ全くリアリティを楽しめん >>399
スピードもそうだけど関東の混沌を表現して欲しかったよ。小田家にしてもせめて土浦城くらい欲しかった。
空白地だらけだから表現は可能だとは思う。 >>347
> 小田氏治の通称“常陸の不死鳥”
フェニックス一輝みたいでかっこいいな。
ヨロイに羽くっつければもっとかっこいいな。 >>396
ノブヤボ最新作はパワーアップキットが発売されてから購入する予定。 >>402
今回はアップデートで小刻みにPUKに近付いてってるよ
しかも今だけ無料コンテンツってのもあるから今買わないくらいならむしろ次回作まで見送った方がいいレベル この県は豊臣時代には全国7位の石高を誇った大名がいる割に
戦国時代の史料が少ない気がする 特に大掾(←ガラケーだと一発変換出来ないw)
戦国末期まで残ってたのにね >>404
佐竹関連は結構豊富だよ
他は滅亡したから当然少ない >>407
あるにはある
ただ、佐竹ら関東や南東北の大名は洞という体制をとっていたから
戦国大名のように配下の領地を検地して軍役を課す事は出来なかった
直轄地に関しては集権化が進められていたが
だから基本的に軍役状は豊臣時代以降のものになる
よく引用されるのは佐竹義久だかが南郷(現福島県棚倉町、塙町、矢祭町)周辺に出した軍役状
これは戦国末期か豊臣初期のものと思われる 常陸江戸氏や真壁氏は、名目上は佐竹氏の家来だが、事実上の「半」独立勢力。
ただし「半」独立勢力なので、戦場では佐竹の指揮下に入る。
こういう解釈でいいだろうか? >>410
織田と徳川みたいなもんだな。
ただし形式的には家康は信長の家来ではなかった。 浅野長政は酷い奴だw
佐竹氏まで改易しようとしてたんだな
論説 「豊臣期関東における浅野長政」 (PDF)
第一章 浅野長政による取次大名の囲い込み
第一節 滝川一益と東国領主の関係
第二節 浅野長政による宇都宮氏の囲い込み
第二章 浅野長政による囲い込みの弦かい
第一節 浅野長政と佐竹氏の関係
第一節 浅野長政と伊達政宗の関係
https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/1847/1/shigaku_49_18_32.pdf >>4
これって、ドラマ「塚原卜伝」で見たんだが、
創作なのか、元になる文書があるのか? >>413
石田らと政権争いをしていたからな
自陣への取り込みに躍起だったけど、言うことを聞かない大名は讒言して潰しにかかっていた
だから奴は嫌われ者だった 島左近の新発見文書が江戸大掾族滅に関与してそうだな 島左近が茨城まで来ていたのか。
江戸大掾族滅は、佐竹が江戸氏も水戸城を1日で奪取。翌日には石岡の大掾氏を
奪っているから、前々から周到な準備してたな。 時期的に勝手な戦争や仕置きは絶対に出来ないし
豊臣政権の指南を受けながら常陸内の仕置きを行った事は間違いないと思っていたが
今回の書状発見で明確になってきたね
でも小田原攻略時点で佐竹や宇都宮は浅野の指揮下に入っていたが、やはり石田の指南も受けていたんだな
そうなると浅野と石田の争いは既に常陸や下野で展開されていたのだろう 毎日の記事には大掾が人質を渋ってると書いてあり、朝日の画像で大掾殿の文字が確認できる
アホやな
人質出してれば最低限佐竹家臣として生き残って平安以来の大掾氏と常陸国庁の文書が伝わったんじゃないか
「猛将」嶋左近の書状2通 大阪で見つかる
ttp://mainichi.jp/articles/20160702/k00/00m/040/058000c
滋賀)嶋左近の書状2通見つかる 大阪府の民家で
ttp://www.asahi.com/articles/ASJ6Z76B7J6ZPTJB00Y.html
19日付書状
ttp://www.asahi.com/articles/photo/AS20160701002062.html
25日付書状
ttp://www.asahi.com/articles/photo/AS20160701002066.html
石田三成の重臣・島左近の直筆か、書状2通発見
ttp://www.yomiuri.co.jp/culture/20160701-OYT1T50164.html その家臣になるのが嫌で人質を出すのを渋っていたのだろう
江戸氏もそうだろうし 要するに平安以来とかいうチンケなプライドのせいで滅んだのよw 江戸氏は佐竹の家来ではない。同盟相手だ。
一応、佐竹がちょっと上だが、佐竹はグループ内のリーダーみたいな存在であって、
佐竹と江戸氏は上司と部下という立場関係ではない。
大掾と江戸氏は人質を渋ったり小田原参陣に行かなかったりで、佐竹に滅ぼされてしまうのだが、
北条に人質でもすでに預けてたか?。
つーか、南方にいる北条はものすごい強国に見えてたわけで、さらにその向こうから秀吉とか
いう武将の率いる軍勢が来るとかかんとか、なんてのは警戒して、すすんで人質を出したり協力
するのは気が進まなかったのかもな。それを島左近がぶち切れ気味で秀吉にチクリか。 北条滅亡を見てなお秀吉に人質送るのを渋るとか現実見えてなさすぎる
1590年時点で秀吉政権に独立領主として人質を要求されていながら勿体無い、といのは現代人の視点か これ見出しがミスリードになってるけど
この当時の島左近は豊臣秀長の家臣だよな? じゃあこの頃から石田と島は知己だったんじゃない(適当)
だから秀長没後石田家に仕官したんだよ 中央での動きに(常陸の国の中では比較的に)敏感だった佐竹氏は、
金銀などの贈り物をこのあとは盛んにするようになっていく。それで60万石を得たから
成功したとはいえるだろうけど、地元への税の要求は段々ときつくなっていって
税が払えない村があったら「根こそぎ殺害してでも差し出せ!」とキツい命令書を送りつけて
この文書が現存している。 ぐぐっても翻刻はまだないなー特別展で公開されたら拝観した人があげてくれるかな
大掾氏攻略は義宣と三成の謀略とかいわれてたけどなんてことはない
秀吉への人質を出し渋って取り潰されただけだったという
これで大掾清幹は戦国一凡愚な男に躍り出たんではないか 以前は寛政譜を見ていて由良や大田原の次男三男が秀吉に仕えて兄より先に叙任してるのを嘘臭いと思っていたけど
所領を安堵され、京大坂に屋敷地を賜い、目に止まれば取り立てられる、これこそが人質の実態なんだろうな 人質というと印象は悪いけれども、実際には
誓約の証人であり、本国と連絡をするための外交官でもあるからな。人質とはいえ
身分は高い。 戦国時代末期の足利時代は官位は献金額によって決まるけど秀吉時代は秀吉との個人的な距離で決まるからな 公家成大名 侍従(四位)
佐竹義宣
里見義康
公家成大名 侍従(五位)
宇都宮国綱
諸大夫成
佐竹東家の佐竹義久など
真田丸スレから抜粋
大人しく人質出してりゃ五位侍従くらいにはなれたかもしれないのに 人質どころか、秀吉や三成に金銀を大量に贈与しつづけなければ
待遇は上がらないよ。京都からの手紙では
常陸への領地への金銭の催促は年々厳しくなるばかり。文句を言う領民は処刑。
それでも侍従(四位)だからね。 それは唐入りの時の話だよ
戦費を賄う為に年貢のうち三分の一を臨時に徴収しようとしたが、国許では思いのほか徴収が進まず
陣所は逼迫して焦った義宣は繰り返し催促をしたが、それでも送られて来ないから次第に強硬な姿勢に変わっていった
これは佐竹に限らず出兵を命じられた他の大名も同じ状況であったけど
命令に従わない者は厳罰に処するよう豊臣家からも通達が各大名にまわっていた事も強硬姿勢にシフトした背景になっていただろう
もっとも、最後まで催促が続いていた事から見ても結局は義宣の指示は守られなかったようだが
元々、唐入りは各大名家も乗り気ではなかったし、義宣が役人に責任があると怒っているように
そもそも配下が手心を加えて徴収に消極的だったからどうしようもない >>440 そのときの佐竹の石高は60万石ぐらいあったはずだが、
財政に余裕があるどころか、大藩は負担の量も大きいな。
常陸藩から送られた年貢が、唐入りのために朝鮮まではるばるとコメが送られていった
というよりは、「戦費を賄う為」という文言をみると、換金したうえで現金だけを西国まで
送って、そこで買い付けしたという意味のようだね。
配下が手心を加えて徴収に消極的、というのはやや変な印象がする。本当に無いから
出すことができなかった、のだろう。
それにコメを作ると、一等米もあるが病変や虫害で二等米、三等米というのもかなり出る。
一等米は年貢に出すとしても(他にタネモミにもする)、さらに徴収しようとしても
三等米とかクズ米が増えるばかりで、あまりお金にもならない。5公5民にしてB級品は
農民の手元に残しておいた方がまだましだが、戦時中は無茶な命令がどうしても多いねえ 常陸大宮市の石沢地区で新しい城郭が発見されたそうです
元々、古代の住居群の遺跡があって調査をしていたところ堀が発見され
堀の形状から戦国時代のものと推定されました
石沢館と命名され今後も調査が進められていく予定です
今まで常陸大宮市の市街地に確認されていた城郭は3つでしたが、全て久慈川に面した東側(常陸太田方面)に築城されていました
しかし今回発見された石沢館は西側に位置し、小場城へ向かう街道筋にあります
この城の意味するところは非常に興味深いですね 今某史料でググってたら安得虎子の原本見つかっ(て)たって18日付けのニュースが
写本にはない巻もあり、県立歴史館のデジタル写真帳で公開される予定とも >>443
マジ須賀小六。
県立歴史館て秋田?茨城? 今まであった写本が6冊で原本は欠巻あるけど7冊が新確認てパないな 画像見つけたから書き起こそうと思いつつ面倒臭くて2か月放置。いざやると小一時間かかり、やっぱり面倒だった
小貫頼久宛て島清興書状
大掾殿我等かたへ被参被申様者、御女房衆京へ上被申事、行衛(ママ。行方ヵ)も可然ニも不相構、手前之調難成候間、/
義宣様御手元ニ被置様ニ御詫言有度との事候、中々成間敷事ニ候間、早々上被申可然と申候へ共、/
是非我等より書状を相副候之様ニ達而被申候条、乍恐如此候、如何思召候哉、/
先井清(今井清右衛門尉ヵ)へ御談合候て、治少(石田三成)へ申候て見可申と被申候者、先可被仰候乍哉、是も御分別次第候、/
先々家中へハ用意之儀、急度被申越候て可然と申事候、然者早昨夕御触以後、夜中より其まゝ被申越候との事候、/
即使被進之候間、御存分被仰聞候て、可被成御返候、恐々謹言、
七月十九日(天正十八年) 清興(花押)
小大蔵殿(小貫頼久)
御陣所 左近と三成に引きずられて三成領の代官今井清右衛門尉にしたけど
大和田の日記にも出てくるらしい井上清右衛門(珍阿)でFAなのかな 土岐原氏は原氏
真壁長岡氏、行方鳥名木氏、鹿島烟田氏、鹿島宮崎氏
同時代他氏の例をみれば分かりそうなものなのに
こんな単純なことを今まで知らなかった 安得虎子刊行されたけど情報が無さすぎて手が出せない
所収文書の他の史料集との出入り、新出史料がどの程度あるのかさっぱりわからんし
体裁の見本に1ページ画像かpdfであげてくれるかしてもいいんじゃないか 歴史館史料叢書20安得虎子入手したよ。
情報欲しいなら質問はよ 新発見の文書どのくらいありますか?
その内、常陸や北条氏に関わる物の量など 安得虎子
まず所収巻数は1.2.3.4.5.6.7.10.11.12.13.15の十二巻。
このうち新発見新規公開巻は2.4.7.12.13.15の六巻。
8.9巻はまだ未確認。14巻は系図のみということで割愛されている。
2巻 烟田旧記の写本あり。鉾田町史の烟田旧記とは異なる記載もある模様。13ページと結構な分量。今川義元・氏真の武藤氏宛判物一通づつ。
4巻 常陽下妻香取宮円福寺記録(多賀谷と後北条の戦関連記録多し)。石川氏文書(大掾氏。応永頃の文書多し)など。
7巻 烟田文書。芹澤文書。鹿嶋護摩堂文書。鹿嶋根本寺文書。
12巻 雑多過ぎて書くの面倒くさい。戦国関連で有用なものはあまりない感じ。
13巻 吉田社文書。吉田薬王院文書。ともにほぼ社領関連の検注・譲り状など。
15巻 12巻と同じで戦国期関連の情報少し。 ありがとうございます
重複多そうだしやっぱり保留かなあ
系図入れてくれないと素人は手を出しにくいなあ >>458
4巻 常陽下妻香取宮円福寺記録での北条方で名前があがるのは
岡見・土岐氏や氏照あたりでしょうか?
他にどんな名前があがりました?
よろしければご教授お願いいたします。 >>460
ごめん、間違えてた。『円福寺記録』にはほとんど北条方の名前はなかった。
一応元亀二年(1571)の岩井・下妻城合戦について、
北条が来寇したことだけは書かれている。
ワイが円福寺記録だと思っていたのは、『多賀谷譜』で、
こちらには上記の岩井合戦、関宿城合戦、沼尻合戦などが書かれているものの、
内容は『関八州古戦録』の抜粋程度のもの。
抜粋程度なので武将の名前みたいなのは殆ど無いし、
しかも『古戦録』のパクリかパクられなので名前も年月もいい加減にデタラメ。 >>461
おぉぉ返信ありがとうございます。
いえいえご丁寧に教えていただき重ね重ねありがとうございます。 知事がドワンゴ出身に代わったけど一定期間経過した絶版紀要等をネット公開してくれないかなあ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 東寺百合文書の平成幹(丹波大山庄)と平義幹(伊予弓削島庄)って両方真壁氏?