豊家の血を引く子孫の定義
2011年大河は「江〜姫たちの戦国〜」に決定!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245293983/903
このレス以降の流れから発展
903 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/11(金) 22:47:27 ID:iwkPdEV9
豊家の血を引く子孫を残せた事は大きいと思う
参考:Wikipedia
豊臣氏http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E6%B0%8F
Wikipediaは誰でも加筆編集できるサイトなので
学説として不確定な情報も含まれます 現代に続いてる系統はあるの?
直系はないだろうけど、傍系、女系ではあるのかな 今の皇室は女系でつながってるって、江スレで言ってたけど。 天皇家は日本史の集大成だからな。
そうでなく一般に居ないのかなと思ってさ。
足利氏も徳川氏も続いてるから、
そういう感じで、傍系ならいるのかなと 豊臣完子
羽柴秀勝(秀吉の姉日秀の次男三好小吉)、浅井長政と市の娘・江(崇源院)の間に生まれる。徳川家光には異父姉にあたる。
豊臣完子─九条道房─九条待姫─九条輔実─九条幸教─二条宗基─二条治孝─九条尚忠─九条道孝─貞明皇后─昭和天皇─今上天皇 生まれて初めて豊臣という姓の人と名刺交換した・・・
現存する豊臣姓の人って元皇族のみですかね? 豊臣春国って犯罪者がいたな。たしか元在日だったかの。 >>8 どうせ在日の通名だろ
あいつら生い立ちに劣等感があるから高貴な名前を名乗りたがるし 職場に羽柴と松平が居た。
二人とも日本人だったけど・・。 これまでの人生で秀吉顔二人見た。
一人は小学生のときの同級生の母親。
もう一人は大阪でアルバイトに来てたおっさん。
本当に秀吉かと見まがうくらいそっくりだった
なんらかの血縁関係にあるんだろうね 名字を持たなかった百姓達が豊臣を名乗った可能性もある
五大氏の多くは偽物で、豊臣氏は既に滅びて存在しない
つまり豊臣はみんな偽物 秀吉にそっくりって、本人の顔なんて誰も知らないのに何故そっくりだと分かるのか謎過ぎるお( ^ω^) A≒B, B≒C ∴A≒C
この場合Bを猿と考えればよい 秀吉の血縁はなかが産んだ子の
血縁しかわかってないよね。
秀吉の従兄弟とかの存在は知られてはいない。 信長と違って秀吉は子宝に恵まれなかったと強調されて伝わってるからな
自称子孫とも名乗りにくい系統だろうね 江戸時代を木下家としてすごし明治以降に名字を豊臣にした一族もいるとか
まあネットで見ただけだからソースなんて出せんが 姻族としての豊臣姓だがら、血のつながりではないわな。 >>23
おねの実家の杉原氏と秀吉の親父は数代前では同じ一族という
話もあるから、まんざら血のつながりがないわけでもない。
まぁ現実には秀勝と秀次の子孫が嫡流ではないとはいえ豊家の子孫と
いえるだろう 氏族としての豊臣は存続しているでいいんだよな。
血云々で言ったら大名家なんか徳川・松平の血ばかりだし。 >>24
木下弥右衛門と杉原氏が同族で
浅井氏の一統だっていうのは
ソースなんだったっけ? 現職ではないと思うけど大分県の知事だか市長だかは木下性で
繋がりがあるって聞いた事はあるけど >>29
まあ、名古屋のお百姓だから、両家大した家格はないの >>31
全部の血ひいてるよ
信長、秀吉、淺井、家康 >>33
豊臣完子(父:秀勝(秀吉の甥)、母:お江(信長の姪、徳川家光の母、浅井長政の娘))−九条道房−九条侍姫−九条輔実−九条幸教−二条宗基−二条治孝−九条尚忠− 九条道孝−貞明皇后−昭和 天皇−今上天皇
秀吉、信長、長政、家康
オールスターの血統
>>34
これでは「家康の血」が入っているかわからない。
秀吉の血、は正しくはその父の木下昌吉の血だな。 >>34
追加
徳川家康 → 徳川秀忠 → 徳川家光 → 千代姫 → 徳川綱誠 → 徳川吉通 → 千姫 → 二条宗基 → 二条治孝 → 九条尚忠 → 九条道孝 → 貞明皇后 → 昭和天皇 → 今上天皇
幸教と千の結婚で
二条宗基が生まれて完子ルートと合流
皇室以外で三傑2人以上入ってる様な現存家系はあるかな >>40
本人は入ってなくとも、お江のが入ってるからいいじゃんか 江には信長が乗り移ってる(by NHK)んだから有りだなw >>49
忠刻(信長と家康の曾孫)と千姫の娘の勝姫の子孫とか追ってみたら楽しそうだ
時間とやる気があったら信康の娘の子孫で>>37みたいな図を作ってみたいんだが・・・・・
完子以外でも、豊臣の子孫はいるよ。
秀次の娘の一人は梅小路家に嫁ぎ、明治でも子孫は続いている。
一人は真田幸村の側室になり(これマジ)、娘を産み、
その娘は岩城家に嫁ぎ、これも子孫は明治でも続いている。
その他にもある。
福島正則は秀吉の従兄弟
加藤清正は又従兄弟
青木秀以も従兄弟
小出秀政は、秀吉の義理の叔父、その子は秀吉の従兄弟だよ。
大阪夏の陣の後に大阪を与えられた松平忠明の妻は小出氏の出身。
子孫は明治まで続いている。大阪城を与えられたのは
豊臣氏の縁者であったからではないだろうか?
>>53
真田幸村の側室になったのがいたってのは
聞いたことあるな。なんかのアニメでもあった。
幸村は天下への野心があったのではないだろうか?
それで豊家の血を入れたと。
幸村が大阪方に警戒された最大の原因は、
じつはそれなのでは?
豊臣って苗字の人、何かで見たことあるけど、関係なさそうだな >>53
梅小路家の初代と秀次の娘では年代が合わないと云われていたような? >>55
あれは元在日。帰化して豊臣姓を名乗ったと思われる。 結局豊臣の血は秀吉本人ではなくその姉ともの系統しか残ってないよね。
ともの3人の息子はいずれも秀吉の養子となって豊臣&羽柴を名乗ったが、
結局、女系しか残らなかったのでいずれも「豊臣」を名乗ってはいない。
江戸時代には秀吉の正室ねねの実家杉原家が木下を名乗り本姓豊臣を許されていた。
しかし、勿論、秀吉とは何の血縁もない。
前にみのの番組で羽柴なんたらって弁護士の人がでてて、
みのが豊臣秀吉のなんとかっていってた気がする。
羽柴姓の人なら関係者がいるかもよ。
羽柴って秀吉の友達の誰それとか秀吉の誰それの友達とか
そんなんばっかだからなあ・・・ 国松子孫名乗る交代寄合木下氏の木下延由の血筋も断絶したんだよな
確か豆腐屋と喧嘩して二人して川に落ちるというどうしようもない死に方で 羽柴は日テレのプロデューサーだがディレクターかに居たような気がする
それにしても昔の公家って近親者で延々血筋を回してたのか、なんか怖い話だな >>53
完子の場合は
秀吉のみならず、織田、浅井、徳川、昭和天皇
と血脈が華麗だということだわ 知り合いで「羽柴」って人いるよ
松平って人もいる
羽柴、松平って有名だから無関係者は名乗ってないのかな?
としたら子孫ってことになるが・・ 高台院のほうの子孫(木下など)は結構現存してるはず 園部の小出あたりにゃ太閤の出自の伝承とかないんかいな? >>72
九条家、広島の浅野本家、東本願寺も完子の子孫。
探せばもっといるのかもしれない。 土岐光衡の男系後裔を名乗るオレにとって、浅野氏の系図は認めたくない。
ヤクザの孫だった祖母の旧姓でもあるし。 梁山泊の在日以外でちゃんとした豊臣姓を名乗ってるとこっていないのか
明治維新のドサ草に紛れて名乗るとか完子系の人間がお上に許可を得て豊臣復興
とかの動きはなかったんだろうかね オレの知る木下さんは、名前が鍾◯なのが残念。
>秀吉の正妻高台院の兄弟たち及びその子孫たちは、羽柴から木下に名字を改めたものの、豊臣の氏はそのまま名乗り続けている。
>『寛政重修諸家譜』には、豊臣を本姓とする大名家として、備中足守25,000石の木下家と豊後日出25,000石の木下家の2軒、
>同じく旗本として、足守木下家の分家1軒と日出木下家の分家2軒を掲載する。
wikiより。姓かと言えば怪しいけれど、豊臣氏いるね。 木下って苗字はたいてい在日やろ
TKOの木下とか木下優樹菜とかもそうやし 朴さんが木下さんを名乗るには、警察など官憲が利用された哀しい経緯。
レッドパージと公職追放は同列に語るものではないが、目的は一つだという陰謀論に敢えて乗る。 羽柴って丹羽と柴田から貰って秀吉がつけた、って伝説があるけど、
だとするとそれ以前にはそういう名前なかったのかな
橋場とか端場、端柴みたいな同音の武将は居たみたいだけど(たしか最上の方) 気になって調べてみたら、農と豊は部首が違うらしい。
曲という字に「ou」か「hou」の音韻があったのだろうか。 >>83
まあ橋場か端場を雅字に変えたものと見るべきだろう。
秀吉の実家の隠し姓だったんじゃないかな? >>83
丹羽と柴田から貰って秀吉がつけた、って説は、当時の名前付けの習慣から見れば
かなりおかしいとのこと。
ブログで、斯波家のはしくれだという説があった。 山内一豊も子ができなかったから直接の血は残せてないが親を通じて共通しているから
現在の子孫の先祖
完子も直接秀吉の血は継いでないが血族なので共通しているから現在の皇室の
先祖の一人に秀吉がいることになる >>73
無関係
元々は自動車で有名な「豊田(トヨタ)」の下請け会社がルーツということで、
「豊」田の家「臣」が由来 源平橘藤原豊臣は、姓であって苗字ではないから
姓を名乗ることのない現代で、苗字が源平橘藤原豊臣の人は
間違いなく明治以降に詐称し出した百姓の子孫or帰化人 >>63
> 国松子孫名乗る交代寄合木下氏の木下延由の血筋も断絶したんだよな
> 確か豆腐屋と喧嘩して二人して川に落ちるというどうしようもない死に方で
それは明治時代のことか? 傍系はいるから断絶はしていない
それよりも浅野と現皇室に繋がっている血脈の方が重要な気が 木下延由は本物の豊臣国松だった可能性が高い
豊臣国松処刑の際に豊臣国松を匿っていた京極家の家臣が助命されたのに自ら率先して一緒に処刑されている
これは京極家家臣が自分の子を身代りにし自分の子だけ死なせるのは不憫なので一緒に死んだと解釈すれば説明がつく 血をひかない豊臣氏ならおねの実家の木下氏が残ってるやん >>104
常高院のとこ駆け込むなら祟源院のとこ駆け込む方がまだ安全だろうに。
ところで、お江さん、なんで戒名が源に祟る院と書くのかな。