明石全登は名将なのに知名度が低い
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突撃のタイミングが分からないようでは、
名将とはいえないね 関ヶ原でも宇喜多勢中かなりの兵数を率いているんだが
確か宮本武蔵も明石隊だったはず ググったら、1万7千の宇喜多勢のうち
8千を指揮したとのこと
東軍の先方福島勢と互角以上に戦ったそうだけどどうなんだろう はじめ信長の野望で明石ぜんとうって奴中々強いな
そんな認識でした あるよ、学研M文庫で。
キリシタンがらみの話が長い気がするけど 宇喜多秀家を裏切り徳川家に逃げた奴らと比べたら
全然カッコいいよ、まさに漢
やる気満々の坊ちゃん大名とそれを支える軍略知略抜群の家老
秀家と全登のコンビは華があってよろしい
全登の嫁は直家の娘らしいが本当か?
関ヶ原後の行動はどうだったんだろ?一応行方不明ってことだったんだけど。
秀家と一緒に行動してるなら九州まで一緒に行って黒田にかくまってもらったとか
想像できるけど。合戦場でいきなり黒田にかくまってもらうってのはむずかしいだろうし >>15
キリシタン関係六割
逃亡(隠遁)生活三割
関ケ原大坂合戦一割
みたいなかんじだけどねw
逃亡生活はキリシタン関係みたいなモノだから、実質九割は
キリシタン・ジョバンニ明石と仲間たちの話w 家老だが、故あって客将扱いだったと聞くが真相は如何に? 今の会社でも、有能な人を入れたいけど、社内秩序も守りたい時、社外取締役として入ってもらう、ってことも
少なくないわな。 父・景親が浦上家の降将で譜代じゃないから、客将なのかも? >>27
銀河英雄伝でいうトコロのメルカッツ提督みたいな立場か。 昔、明石全登が家康の息子でキリスタンの小笠原某を
養子にしていたという本を読んだことがある。 >>28
最終局面でビッテンフェルトな水野勝成にやられちゃうってのがそれっぽい 大阪城一番槍のオッサンに殺られたのか…
大将のくせに一番槍なんかやる奴、明石の旦那くらいの用兵巧者なら討ち取ってしまいそうに思えるが
相手が悪かったか。 やる気満々大将:宇喜多秀家
冷静現場指揮官:明石全登
ガチンコ雑兵:宮本武蔵
マジこのトリオ最強すぎる >>31
明石はキリシタン兵率いてた?んだよね?キリシタン兵の実力はしらんけど
兵がしっかりした兵じゃなかったらいくら明石でも無理じゃ? >>34強いか弱いか→山科勝成
存在すらアテにはならんが
以前見た本では
たけのり
って書いてあった気がして、でもどうやら正しくは
てるずみ
のようだし、
ぜんとう
とそのまんまふりがながあったのも目にした記憶
普通は「てるずみ」なんて読めないよね
澄←なら分かるけど >>38
もしかして「澄」の字を間違えて「登」と書いた文書のものが、そのまま後世に広まったのかもね。
昔の人の名前はたまにそう言うこと有るからな。 昔は全登って「てるずみ」なんて読めないから「ぜんとう??」って呼んでたな。
語感から入道してるヒトなのかと思ってた。しかもキリシタン。
この入道+キリシタンってパターンで勝手に宗麟みたいなのを連想。
あんまいいイメージを持てなかったな。 >>39
その説、納得。
誤伝って広まると、正しい読みとか駆逐しちゃうからね。 それ、最近はカズマスって読んでるのが多いな。
昔はイチマスのほうが多かったけど 名前の読みは、平仮名で書いてある文書が出てくれば解決することだな。 織田常真は仮名で書かれているのが両方あって混乱してなかった? >>47
日本人は昔から漢字を割合自由に読んできたからなあ。めったに使わない諱の場合は特に。
西郷隆盛なんて自分の名前の「隆盛」を「リュウセイ」と呼んでいたとか(基本吉之助だしね) 司馬遼太郎の城塞には九州に逃げたことは確かだ、って書いてあったけどどこまで信用していいものか… >>51
写真も無い時代に、よく手配して捕まったよな。
「明石狩り」は見知らぬ浪人を見たら110番、みたいな感じでローラー作戦をやってたのかな?
縁者からの密告とかもあったろうけど。 >>53
写真無くても人相書きやらなんやらがあるし、田舎なら田舎なほど見知らぬ人間がどこかに現れればあっという間に
その話は広がる。 山奥にでも逃げられないのか?
日本の国土の7割は山なんだがね >>56
山奥でまともに暮らせるなら暮らして見なされ。
「山奥は、何故山奥のままなのか?」を考えてみるといい。 山奥に変なジイサンが住み着いて、
月に一度か二度里に下りてきて日用品を購入する
ま、誰かしらお上に届けて山狩りするだろうな 僧形になるのが一番無難なんだが、如何せん信じてる宗教がw 洞窟に住み着くのだって農民の援助が必要だしな。
頼朝とか三成とか。
やっぱりレオンに倣ってマニラに渡るしかw 旧領に戻って、領民に助けてもらいながら
コッソリ生きていくしかないんだろうな 逃げた先については諸説有るようで。
ttp://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.akasi.html 名前の読み方なんかなんとでもなるからな。
俺の名前も漢字は信長だけど読みはひでよし。 >>63
英語がスペルと読みが全く一致しない言葉が多い、と言うギャグで、
「あなたのお名前はGyjnauidnhfhigjkhjdadxwiy…?申し訳ありませんがこれはなんとお読みするのですか?」
「ジョンです」
と言うのを思い出した。 鳥居強右衛門か
いいじゃん
別に三成贔屓の奴が皆家康嫌いってわけでもないだろ すねエモン:鳥居強右衛門
のびた:徳川家康
ジャイアン:織田信長
スネオ:豊臣秀吉
しずかちゃん:森欄丸
出来杉くん:明智光秀
担任の先生:武田信玄 よく「ジョバンニ、ジュスト」と書かれてるけどこのジュストて右近のと混同って事はないよね? 日露戦争の明石元二郎の先祖らしいな。
くわしいこと知っている人はいる? らしいけどさ、息子は逃げきれないで捕まって処断されてるし…親父は逃げ切ったのかな?
クリスチャンなら自害もしないし…いくらなんでも今度は黒田は匿わないだろうな >>563 備前明石氏
戦国末期に活躍した備前国和気郡の土豪武士。
明石氏の祖は、赤松則村の子赤松範資。その5世
の孫周防守宗安が天文年間(1532〜1555)播磨国
明石郡に封じられ、初めて明石姓を称した。その子
清景が備前に移り和気郡坂根城(現備前市坂根)に
拠る。清景の孫源三朗景憲は1581年(天正9)宇喜
多、毛利の合戦とき児島郡麦飯山城で討ち死にし
た。景憲の長男が飛騨守景親、二男が三左衛門尉
景季でともに最初天神山城主浦上宗景に使える。
1577年(天正5)宇喜多直家が宗景を天神山の攻
めると景親、景季も直家に従い、景親は宇喜多直
家の客分として4万石を領す。景親の子が掃部頭
全登、その子が久兵衛景行で景季の養子となった。
景行の養子(実は弟)が右近で、直家に仕え4500石
を領したが1593年(文禄2)正月朝鮮出兵に従軍し
て戦場死した。全登は直家、秀家に仕えて知行2万
石を領し、関ヶ原の合戦の時は宇喜多勢の将となり
大阪方に属して奮戦、敗れて岡山城に拠って再起
を企てたが果たさず備中足守に潜伏。1615年(元和
元)大阪の陣に景行の子久蔵宣行ら一族を率いて
参戦したが破れ、潜伏3年の後に赦され、後に病死
した。景行は宣行が大阪の陣で討ち死にしたため、
和気郡吉永の土豪武元正高を女婿に迎え、徳川を
はばかって江戸時代は武元姓を称した。武元登々
庵・君立の祖で代々名主または大庄屋をつとめた。
維新後は明石姓に復した。
(岡山県大百貨辞典より)
明石徳三・・・2代目笑福亭松之助、明石家さんまの師匠 >>84
秀次に仕えていた時、同僚に明石則実という人物がいたからその縁かも? 亡命したのは台湾じゃなくてフィリピンだよ。
だからフィリピン人は基督教徒が多い。 琉球→台湾→ルソン→アユタヤ→ゴア→マダガスカル→コルドバ→シチリア→ローマ
史実ではかなり移動したようだ。最後はスペインで司教やってたみたいだね。 光栄のゲームではステータスけっこう高いから、使えるヤツだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています