蛍大名・京極高次を語ろう
妻や姉のおかげでどん底から大名へと這上がった京極高次を語ろう。
姉松の丸、妻お初、弟高知、父高吉、母マリア、息子忠高の話題もOK (´∀`)さらば〜この世よ〜旅立つ船は〜檜造りの〜お棺〜♪
宇宙の彼方〜十万億土、戒名背負い今旅立つ〜♪
必ず盆に〜帰ってくると〜遺族の皆に〜笑顔で応え〜♪
この世を離れ〜極楽浄土、はるばるのぞむ〜阿倍野斎場焼き場〜♪ オヤジの京極高吉(佳)は、なかなかの人物だったよ。 >>4
マジか?息子以上にダメ人間ってイメージだけど
嫁さん+美人の姉とで十四光りか。
蛍大名の名のとおり周囲の妬みがすごかっただろうな。 関が原での小早川の裏切りはよく語られても、この人の裏切りはあんま語られないね。
勝敗を大きく左右した武将の一人だと思うんだけど。
もし西軍に与したままで、西軍が勝ってたら、
秀吉、淀殿の義弟、秀頼の叔父、松の丸の弟って事で
(小浜なんて問題になんないくらい)大出世してたんだろうか。
秀吉が死ぬときに、高次じゃなく妻のお初に知行を与えてるってのがな 本能寺の変の時に明智方につくと言う大物振りを発揮している。 >>17
高は道誉以降だね
高も結構いるけど、足利将軍の偏諱を貰ってる人も結構いる 守護としての実権が完全に消えたのは高吉(高佳)の代から? 明智軍に組しておいて大名として生き残ったってかなり珍しい気がする >>23
織田政権下で高次同様に冷飯食わされてた武田元明(松の丸殿の最初の夫)も
高次と同じく明智方へついて、結局丹羽長秀に殺されてしまうんだよな。
で、松の丸殿との間の2人の男子も行方不明(一説には木下勝俊になった
ともいわれるけど)。
それを考えると、運もかなりあったと思う。 明智秀満と共に福知山城代を任されていた藤木権兵衛は本能寺のあと
どうなったんだろう? 京極高次は三管領四職の京極道誉の子孫
関ヶ原の功で若狭一国を賜る(のち、出雲・隠岐)
弟・高知は丹後一国を賜り、京極家の威勢を回復させた >>27
家康から大津城の修復費として銀を貰ってたんじゃなかったけっか? みんな知ってる?
若狭・丹後の国主になった高次・高知兄弟の実母は、両国の真ん中(丹後側の青葉山麓)に住み、
若狭・丹後の息子達の屋敷を交互に訪問したんだって。
この時期には両国の間に関所もなく、誰もが自由に行き来出来たんだって。
京極家に若狭・丹後が与えられた感じですね。
戦功からいって、最前線の激戦地で戦った京極高知の加増額が、あまりにも少ないし。
もともと10万石なのに戦後12万石でしょ。 >>30
京極高知に戦賞として丹後若狭が与えられたが
高知が兄に若狭を譲った(幕府に働きかけた)という説がある。
毛利家と吉川家みたいに。
高次の家は、後に出雲隠岐に栄転だから、幸運の家だね。
幕末まで変わらずあったら、雄藩まちがいなしだったのに。 >>32
反対に京極家義の義兄(農民が)、京極家の義弟(土豪の息子が)のほうがすごい。 名門中の名門に生まれ、嫁のコネがすごかったというそれだけで・・・
大名のまま、のほほんと暮らせたんだからすごいなあ・・・・・
下克上の乱世も彼には関係なかったのか・・・・
出自の貴賎、コネというのが現実的にはどれだけ大切かを
教えてくれる見本のような人ですねえw 出雲・隠岐は室町時代の京極家の守護国
尼子は守護代でしかないから ごめんごめん
京極家は徳川によって本来の領土が安堵されたといいたかった。
近江半国は井伊家だから貰えるわけないしなあ。 出雲、隠岐への加増転封の理由はなんだろうか?
大坂の陣かな?
もしや毛利が関係する? かんぜんに毛利対策でしょうな
同じく徳川家と親戚の
小倉の小笠原家(旧・信濃守護)とともに挟み討ち
名家に挾まれると、さすがの毛利家も、かなり見劣りするよなあ
しょせん成り上がりの家だなあって
尼子には勝ったけど
京極は、その主家だから
よけいに嫌味だね
でも徳川って名家好きだねえ まあ、先祖の旧領である出雲に戻れたことは幸運だな。 でも忠高に嫡子がいなくて減封されたんだっけ?
それでも、京極家は数家城持ちの藩がのこってるからラッキーなのか。 忠高の甥が跡を継いだんだっけ。
しかし正室の初姫に子ができなかったのは、単に仲が悪かったからか?
初姫臨終の際、忠高は初姫そっちのけで相撲観戦に興じていたなんて逸話もあるし。
母親や姉妹達はたくさん子を産んでるのに、養母のお初同様姉妹で唯一子をなさなかったのね。 >>39
名家が好きというか名家を従わせる事によって徳川家・徳川幕府の権威を高めるのが狙いだったのだと思う。 >>45 小説「難儀でござる」に描写されてたまんまだと思う。 昌幸と比べるとこいつの過小評価っぷりは泣けるな。
まさ真田が単なる過大評価なんだけどさ おとうとの京極高知は戦功の割りに関ヶ原後の加増高が余りにも低過ぎだよね
福島正則と並んで最前線の激戦地で戦ったのに。
もともと10万石なのに12万石の2万石だけの加増でしょ、なぜ?。 もっと早く降伏すれば西軍が勝っただろう。
後少し持ちこたえていたら、東軍一番の武功だったのに。
ある意味、かわいそうな人です。 弟の高知率いる部隊はは大坂の陣でも多くの首級をあげてなかった?
普通に猛将っぽいな >>50
石高が大きくなりすぎるといろんな大名に妬まれて
最悪因縁つけられておとりつぶしになったりする時代も後にくることだし
案外結果利口なのかも。 >>50
同感、京極高知は猛将そのもの
たぶん福島や黒田並であったろうと思われる
三代で丹後国主から転落したのが惜しい
でも室町以来の名家だから高家にも一時期なっていたらしいよ
丹後国主家の分家は小藩ながらも但馬豊岡と丹後峰山の藩主だったみたいだね 黒田、福島と同じ最前戦で戦って戦功をあげたのに
10万石から12万石の加増はすくなすぎでしょ?
何で? □□
□□
京極氏は京極高次が近江大津6万石から若狭小浜8万4千石、ついで9万2千石の大名として出世し、さらに堀尾山城守除封後、出雲・伯耆24万石として御国司に昇格している
京極高知が信州飯田10万石から12万石へ加増。
一族併せて分封してる 松江は忠高で無嗣改易→高和が名跡取立播磨龍野六万石、飯田→宮津の方は改易だね >>57
宮津(丹後藩)は宮津藩、舞鶴藩、峰山藩に三分割された。
宮津藩のみ改易。
>>58
峰山藩京極家の当主です。
>>59
佐々木一門や近江の古族の子孫が多いです。 今は河川改修工事で規模が縮小されてるけど、京極高次が築いた若狭の小浜城は名城ですね。
完璧な形で残っていたら彦根城にも匹敵する城じゃないかとも思う。
彦根城天守閣も京極高次の大津城天守閣を移築したものらしいですね。 この人の子孫で一番有名なのはおそらく峰山藩主京極高久だな
後の鬼十字ことサムライスピリッツ零のラスボス兇國日輪守我旺である 峰山侯京極高久(次位の閣老、少老)が鬼平の後ろ盾だったというのは池波正太郎の創作。実際はとくに後ろ盾だったことはない 立花・元康の一万五千がいれば西軍全壊回避できた事考えても
両川を落とした黒田・脇坂以下を絡めた藤堂より重要だよなぁ
結果的に東軍版真田昌幸となって関が原を決した訳で
今後再評価を受けると嬉しい所 西軍の立花が関が原の主戦場に配置されていれば
西軍はもっと粘れたと思う。 どうでもいいけど、現京極本家の当主夫人は
三笠宮百合子妃の妹だったりする。
相変わらず閨閥が華やかな一族だ。 400年経っても尻蛍か…
藤堂家も今頃
政財官の派閥を調子良く渡り歩いてんのかね
尻蛍って言ってもな 滅亡同然からあそこまで盛り返した高次は大したもの。 >>72
大したものです。
さらに出雲隠岐に出世した京極家はスゴい。出雲隠岐飛騨は京極の旧領でしょ?。 >>75
京の端っこにあるから「京極」
あと注意しておくけど京極通り(どおり)な。「どうり」は日本語として間違ってる。 ついでに言うと京極氏は、京極通りに屋敷があったから「京極」と呼ばれた。 >>76
正しくは京都の東の端だから東京極大路
西の端が西京極大路。
一条大路は北京極大路ともいえ
九条大路は南京極大路ともいえるな。 このように見てくると藤孝と同じ名門の京極高次が何ら朝廷の保護を受けなかったことも肯ける。
たしかに高次は姉に豊臣秀吉の側室松の丸殿、妻の姉妹に淀殿、徳川秀忠の正室小督を持つ名門だが行きがかり上東軍についた覇道側の人物であり、二条尚孝の日記には「大津の事笑止の沙汰有り、物騒迷惑」この上ないと記載されている。
しかし西軍一万五千を大津城に釘付けにした功績は大きく、戦後、家康は高次を召し出し、若狭小浜八万五千石、ついで九万二千石にしている。
いわば、覇道のシンボルのような生き方とも言えなくもない 戦国武将でこいつが一番好きだという変態は俺だけで良い。 なんで高次のおくさんだけ当時それほどでかくない京極に嫁いだんですか?
姉と妹は当時の天下人と最大クラスの大名に嫁いでるのに >>86
妹だって最初はw
まあ、京極さんが長生きして、添い遂げちゃったのが原因かと。 浅井家に居た頃の高次公とお初さんは面識あったのだろうか。 その辺りは想像と創造の域を出ないな
京極がぶっちぎりの名門だということは間違いないんだから
次女が勝ち組だろ 名門の息子なのになんか親しみやすくて可愛いげがあるな京極高次っていう男は。 京極家なんて鎌倉の評定衆やら
室町の侍所別当輩出してるから
並の守護大名とは格が違うよね 京極兄弟(高次・高知)って、どっちも貴族とか名家の生まれって感じの人じゃないよね。良い意味で。
両方好きだけど。
そういう貧乏臭い(落ちぶれた)エピソードって伝わってるの? 親父は生活困ってるのに「百姓でのお前なんかに娘やらん」って
一度断ったり信長と義昭で最終的に実利ある織田より義昭についたりしてるし
幕府の名門のプライドだけは保持してた模様
(時勢を見る目がないともいえるが)
まぁそう考えると貧乏しててもあまり貧乏くさいエピソードないかも
親父の教育方針がこういう感じだったら 名門生まれにしてはずいぶん数奇な一生だよな高次。
面白い人物なのにイマイチ注目されないなあ。残念。 京極持清は土一揆の時 山城守護を兼ねる侍所頭人だったけど 手も足も出なかったみたいね。 >>86
姉も嫁いでない。最初は妾として喰われただけ 竜子の娘って細川で引き取ってたという説があるが・・・ 来週の日本史サスペンス劇場では妻が主役。
予告でも情けない駄目夫に描かれてました。 実は女房が夫に化けて南奥羽を切り取った伊達政宗の方がよほど蛍大名なんだが。 お市の方と浅井長政の遺児三姉妹
長女茶々は秀吉がウマーだけど、
妹ふたりも秀吉が大事に嫁ぎ先を選んであげてます。
次女お初は、浅井の旧主で従兄弟でもある京極高次へ
国人大名浅井氏は旧主京極家を小谷城京極丸に庇護
高次兄妹は京極丸生まれ、浅井三姉妹とは年代居城を同じうし
幼なじみの可能性あり。
三女お江は織田家の名門家臣で信長の甥、佐治一成へ
小牧長久手後、豊臣秀勝に再嫁するも秀勝文禄の役で客死
のちに秀忠に再々嫁。 情けないダメ夫・・・っていうイメージではないんだけどなあ俺は。
バカにされながらも大舞台で手柄を勝ち取った・・・ってドラマチックな人だと思うんだけど・・・。
この人って一般的なイメージはあんまり良くないのかな。 大津で15000釘付けにできたのは大きいよな。
開城したとは言え東北で上杉を足止めした最上、九州で一暴れしら如水に匹敵する軍功だと思うよ。
家康も似たような評価した訳だし。(尤も近江30万石を辞退するんだがww) ボンボンだが、泥水啜りながら必死に生き残った人って感じで
寧ろカッコイイと思うが、流行らないタイプ・主人公にはなれないタイプだとは思う
しかし祖先は婆娑羅でやりたい放題だったのになぁ 長期籠城した挙げ句に勅使がやってきた細川幽斎のような開城の仕方があるだけに
この人のダメさが際立つのが可哀想。
まー攻手が勇猛な立花宗茂なら仕方がないけどな。 寛政(寛正かな)年間くらいだと思うけど、京極氏の家来で
琵琶湖最北の菅浦の代官に松平益親(近江松平氏)ってのがいますが、
安祥(安城)松平2代親氏の子供なんすかね?高次とはスレチでスンマセン。 >>112
決してダメ男ってことは無いと思うんだけどね。
うまく勝ち馬に乗れない感はあるけど。
日本史サスペンス劇場のおかげで京極さんに興味がわきました。 >>113
本当に辞退したんだろうか?。
また最前線で戦った高次与力大名の高知の加増額が、福島らに比べて少なすぎる。 敦賀・小浜の湊を含めた若狭・越前敦賀郡の領有を許された京極氏は
旧領の近江湖北を貰うよりも良かったと思う。
湊で金が入る割には石高が低いから軍役も少ないし。 でも兄弟で、丹後若狭という近畿周辺の国を続けて賜るというのは
徳川家康から凄い信用されていたんだろうな。
数ヶ国知行というのは池田氏並か、それ以上だろう。
さらに京極高次の子孫は出雲・隠岐・石見に加増転封だろ。
出雲なんか室町期の京極氏の本国じゃん、凄いよ全く。 そうなんだ?
京極家の本国って近江じゃなくて出雲なんだ
勉強になりました いや京極一族(佐々木に遡っても)全体を通して近江が本国。
室町時代は出雲という話。
蛍って尻が光るんだよね。
でも閨閥で光っているのは尻じゃなく前のほうだよなあ。
ooo大名って放送禁止だからか?。 祖母(101歳生きていれば)の曾祖母が丸亀京極氏から嫁に来たらしいけど,
丸亀京極氏は京極高次の直系ですか? このスレはちと過大評価しすぎじゃね。
いくら立花その他の軍勢を足止めしたっていっても、落城してるわけだし
結果的には立花勢が関ヶ原に間に合わなかったとはいえ、それを計算したわけでもなくただの運でしょ。
関ヶ原一戦で決着がつくとは誰も思ってなかった当時、落城しちゃったら功とはいえないのでは。
結果オーライだったのと弟の高知が関ヶ原で頑張ったのを込みでのボーナス的な加増だと思う。
名門のボンボンながら頑張ったとは思うし、蛍呼ばわりは可哀想だし言いすぎだと思うけど。
でも高次を西軍に誘っときながら、
しらっと関ヶ原で裏切って東軍に参戦してた朽木を見つけた時は複雑な心境だったのでは。 >>130
高橋紹雲は結局落城したから対したこと無い
仁科盛信は結局落城したから対したこと無い
そういうことですね? >>131
頭大丈夫?
いつから京極が高橋紹運並みに大津で奮戦した事になってるんだっけ。
だいたい高橋紹運のその他の武功も知らずにほざいちゃってるわけじゃないよな。
仁科盛信は全く未知数のまま討ち死にだから較べること自体ナンセンス。 >>131
紹運の岩屋城戦は次ぎの立花城での宗茂の勝利と合わせて考えるべき。
戦う前からの目論見どおりの戦果って点が凄まじいんだよ。 高次に若狭一国というより
京極家に丹後・若狭二国というのが家康の恩賞だったんじゃないかなあ?
高知の功を京極家本家の高次の功として評価したんじゃない?
そしたら井伊家なみの評価と信頼だと思うよ畿内最近の丹後・若狭領有は。
現に京極家の後には井伊家同等の酒井家が若狭の領主になっているもの >>130
>>135
オレもその意見に賛成だ。京極高知の功が10万石から12万石への加増では過小評価しすぎだ。
福島並に丹後・若狭くらい貰ってもいいと思う。
徳川家康に対し兄京極高次を立てたんじゃないかなあ?。
反対に一国以上を貰うと改易されるかもと考えたのかもしれないが。
京極高知は京極高次の与力だし高次の功として評価しても別にいいけどねえ。 拙者が京極高次殿であったなら、石田三成殿が大津城来城されたとき、人質
に取り、すぐに徳川家康殿に使者を送るが、皆ならいかに。 >>47
昌幸・・・徳川の主力3万を引き付ける。ついでに戦をしかけ数千をコテンパンに
高次・・・西軍の有力1万を引き付ける。普通に攻め立てられ落城 >>138
おまい自分で篭城して攻め手が立花来てみろ
どんだけ怖いか >>138
立花宗茂・毛利秀包・毛利元康に攻められての篭城だぞ!
むちゃくちゃ恐いと思う!
よく頑張った方だと思うぞ
山陰地方の田辺城の場合とは比べ物にならない。
西軍の主力級が攻めてきたんだからな!
でも真田は大したものだと思います・・・ 細川忠興みたいにのらりくらりと老獪に振舞うわけでもなく
かといって城を枕に討ち死にする壮烈さもない。
中途半端。
これでは器量を見込んでの昇給的な加増は出来ん。
純然たる恩賞としてはこの程度が丁度いい。 むしろ大封もらっても福島らのように潰された可能性もある。
劣勢の中ふんばり、まんまと生存。
十万石といえばつぶれたに等しい家から見れば相当なもんだし。
だれでも英雄になれるわけじゃない、上等だよ。 福島なんて豊臣家の子飼いの筆頭級で、奉行役や後方支援などの戦歴を重ねてる。
それを徳川家が引き立てたから意味があるんだろ。
京極なんてたいした戦歴も無く、高次は落城で高知もそこまで飛びぬけた功を挙げたわけでもない。
そんなんに大領をくれてやって誰が納得するんだっての。
努力賞で加増してもらえただけでも、儲けものだってのにドンだけ過大評価でずうずうしいんだよ。
大津城で根性見せてあと数日粘ってればだいぶ変わっていただろうけど。
>>143
他のスレとかで散々既出だけど、福島や加藤らが潰されたのは、大ヘマやらかしたり暗愚な跡継ぎだったりで唯の自業自得だよ。
その証拠に改易にも幕府は随分気を使ってるし、大封もらった黒田や細川や池田やらは改易されて無いだろ。
幸長が散々秀頼に忠誠を示して蠢動してた浅野家なんて更に加増されてるし。
>>141
だから・・・
山陰地方の、しかもまとまりの無い旗本・小大名の集団が攻めてきたのと
京都(首都)と目と鼻の先の場所に、大大名・しかも精鋭部隊が攻めてきたのでは違うって
>>143
オレもその意見に賛成。大封にして潰すのは徳川の御家芸。公家の位討ちみたいなもの。
でも結局・・出雲・隠岐・石見の一部に加増されて潰されたね。
ああ丸亀に大減封だったっけ
潰されなかっただけでもいいとおもうよ でも確かに京極高知ってなんであんなに加増少ないの?
福島の隣で戦ったのにね?
国持ち大名に格上げなのか知らないけど2万石の加増だけってどうなんだ? 篭城のおかげで立花勢がたどり着けなかった
という戦果自体は大して変わらないから
あと数日粘れたところで、それほど恩賞が変わるとは思えないな
その時数日粘れたから変わることと言えば
後世の俺らみたいな人たちから馬鹿にされないこと。くらいだ 士気への影響があるだろ。
先陣が功績になる世界だ。 まあ嫁さんがアレだからあんま加増すると不味くねってことじゃね?
いや嫁さんは悪くないんだけどさ >>129
高次の末期養子の高和が丸亀に転封になって、
そこで幕末まで落ち着くんで、直系ですね。
>>146
やっぱ国持大名って印象としてかなり違うんじゃないですかね。
特に京極家は家柄的にそういうの重視しそうですし。
ここなんか面白いかも
ttp://sans-culotte.seesaa.net/article/33596128.html
丹後って、狭いですしお世辞にも豊かな土地ではないんですが、
京都や近江に近くてなんか歴史も古くて一国扱いになりますから、
「実より名」って感じなんじゃないですかね。
後代の我々なんかは禄高で考えますけど、当時は何かにつけて
「格差」を意識させられるわけですし。
ちなみに私は高知流の分家峯山藩の足軽の家の出なんで、
世が世なら>>129さんに口をきいていただくことも憚られるところですねw
>>150
同感ですね。
たしか高知は家康から「大谷吉継の越前敦賀および北近江か、丹後一国のうち好きな方を選べ」
といわれて丹後一国を選んだはずですよね。
やはり国持、京極丹後守の名乗りにこだわったんでしょう。 >>151
へえ,祖先の旧領を選ばなかったとは……。 そうそう京極高知が必死で戦った大谷吉継の越前敦賀領も
結局京極高次の嫡男の京極忠高に与えられて・・・
強運厚遇の家ですよね高次家は。 石田三成の近江佐和山は井伊直政に与えられたんだよね?
やっぱり戦に勝ったほうが負けた方の領土を貰うんだ・・・
敦賀城も佐和山城も壊されたの? 徳川家康の京極兄弟に対する信頼は抜群であったと思う。
若狭の木下家は高台院を守衛していたのに改易。
丹後の細川家は加増という名目の地方への左遷。
徳川家康は木下家や細川家を全く信用していない。
山城・近江周辺の国を与えられるということは本庄や酒井などの重臣並の信用があったということ。 お初こと常高院なら大河ドラマにしたらかなりおもしろくなりそうなんだけど
(旦那は関ケ原のくだりは涙モノになりそう、落城馴れした嫁が機転を利かせたみたいな)
あと旦那が死んでからも大阪の陣も涙無しでは語れないエピもあるしな 本庄って誰だよw一瞬本気で考え込んじまったじゃねーかw
譜代並みの重用ってのはいくらなんでも言い過ぎ。厨専用隔離スレじゃないんだから。
細川に対してあれだけの加増をしつつ近畿に残すのは無理だ。
他の第一級の功将たちとのバランスもあるから40万石くらいやらなきゃならんしな。
考えればわかるだろ、浅野、池田を加増して近畿の抑えに井伊を近江に入れて尾張に一門入れたら土地がもうない。
あと近畿北陸間の抑えに秀康か。当時は対大坂シフトだから、京に近く日本海に面してるとはいえ丹後の重要性は低下してる。
ついでにいえば家康は本当に信頼してる将は江戸周辺の守備と各街道の要衝に配置してる。
京極はいざと言う時は池田か井伊か越前松平(いくらなんでもこの三人との重要度の違いは大きすぎるでしょ)の与力扱いが精々では。
それにあの時は大坂が仮想敵国で藤堂だって目付けを兼ねて四国に残ってるし。
江戸城内での序列も決して高くはなかったし。(藤堂とかある時代以降の脇坂とかなら外様でも有力譜代並みと言えるけど)
あと高台院を守護していた木下家定は領土安堵だぞ。改易されたのは敵前逃亡の勝俊だろ。
高次贔屓が過ぎて物の見方まで歪んじゃうってのはちょっと重症じゃない? >>160
細川を心底信用出来たなら丹後丹波但馬あたりを与えるだろうよ池田並に。
最終的に加藤の跡に細川を入れたということは、福島の跡に浅野を入れたのと同じ扱い。 そりゃ細川と池田は違うわ。何のために比べてるかわからん 靖国神社:新宮司に京極高晴氏…旧華族出身、人選に半年
靖国神社は12日、最高意思決定機関である総代会と宮司推薦委員会を開き、1月に急逝した
南部利昭前宮司の後任の宮司に京極高晴氏(71)を充てる人事案を提示し、了承される見込みとなった。同神社の宮司は規定で75歳が定年のため、暫定人事の色合いが強いとみられる。
京極氏は旧但馬豊岡藩(兵庫県)の藩主だった京極家の15代当主。
日本郵船事業部長、氷川丸マリンタワー社長、関東曳船社長などを歴任。父の故高光氏は
貴族院議員で俳人だった。旧盛岡藩主だった南部氏に続き、2代続けて旧華族で神職経験のない
民間企業出身者が宮司となる。
南部氏の死後半年間、後任人選は難航し、一時は旧皇族でA級戦犯合祀(ごうし)に
慎重だったとされる筑波藤麿元宮司(在職1946〜78年)の親族が候補に浮上した。だが折り合いが
つかず、旧華族の中から選ばれた。【野口武則】
http://mainichi.jp/select/today/news/20090612k0000m040142000c.html 南部さんみたいなタイプじゃなく、控え目な方だと良いな >>161
徳川家にとって初期京極家(丹後・若狭両家)は親戚あつかいだったように思う。
若狭・敦賀は石高が低い割りに湊からの税収が多く、軍役が軽いオイシイクニだと思う。
京極高次・高知兄弟は高山右近の影響で切支丹大名となったという本の記述を見たのですが
(ネット上にも散見できます)
これを裏付ける資料って何かありますか?洗礼名などはあるのでしょうか? 京極って侍所の長官になれる家柄だよ
所司代は京極家臣の多賀が有名 道誉のおかげ。赤松 京極は足利と同族じゃないから。 京極高次は山崎合戦後、旧・若狭武田領に隠れていたという説と
柴田勝家に匿われていたという説を見たのですが
どちらが正しいのでしょうか?
1584年に秀吉に仕えているのはどちらも同じなのですが >>175
山崎合戦のあと自害に追い込まれてる人間にどうやって頼る? >>176
元明は首謀者の1人として殺されてますが
旧若狭武田家臣(武藤氏)など、意外と光秀に与していながら秀吉から命までは奪われなかった人物は多いので
旧武田領に隠れていても不思議ではないんですよね。
明智一族を討った後も、全ての明智勢がすぐに全滅降伏したわけでもないですし。 今月の乱に載ってた漫画に出てきた高次は良い男だった >武田元明の子孫は京極家の家老を代々勤めているね
そうなんだ。知らなかった。 >>182
元明の子というと、木下長嘯子とその弟(足守藩主)がその後身だという
話を時々見かけるな。それ以外にも子がいたのか。 >>184
木下兄弟が武田元明の子だというのは確証もない俗説。
京極家(若狭・出雲・丸亀に転封)の家老を務めた佐々家のみが系譜に明記された由緒正しい武田家の末裔だよ。
若狭守護の武田家と北近江の京極家は近しい間柄だから、没落した一方が出世した一方の家老を務めるのは
あたりまえの話。家老(親族)が主家の名字を名乗るのも普通の話。江戸時代初期、若狭国主京極家の下、佐々家
は西若狭の要衝である高浜城を任されていたというのも地元では有名な話。若狭武田家は、織田政権下、丹波の
細川昭元どうように、旧守護国の旗頭として利用されつつ、西若狭の大飯郡で3000石の直割地も許されていたから
西若狭は武田家にとって郷土だったんだよね。本能寺の変で武田元明は京極高次と同じく近江で反明智の城を攻めちゃ
ったから切腹させられちゃったけど。木下弟(足守藩主)の旧領を関ヶ原後、ふたたび武田家の末裔が実質的に支配
する訳だから縁が深いんだろうね大飯郡と武田家は。 >>153
大谷吉継の敦賀って、たしか関ヶ原の戦功で京極高知に与えられる予定の所だったよね?
なんで結局・・・甥の領地になったの? 47で死んだんだな>高次
関ヶ原で頑張りすぎて疲れたんだろうか 京極高知の姫君は皇族に嫁いでいるそうだ。
なんでも・・・桂宮家(かつらのみやけ)という家だそう。
みんな知ってた?。
┏━┓┏━┓
┃・┃┃・┃
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┃・┃┃・┃
┗━┛┗━┛ 大河ドラマにまだ出てこないな。
本能寺の変後に光秀との関係で登場すると期待したんだがスルーされたし 丹羽長秀は武田だけでなくこいつも打首にすべきだった この人って宴会芸で煙草をケツに刺す芸でこの異名がついたのか? >>206
本能寺の変で明智光秀に呼応した。
秀吉が勝つと柴田勝家のところへ逃亡、その後姉のツテで赦免される。 京極高次が登場する作品 [編集]湖笛(昭和45年(1970年)・NET、 演:石濱朗)
大坂城の女(昭和45年(1970年)・KTV、 演:高橋昌也)
戦国の女たち(昭和57年(1982年)・CX、 演:細川俊之)
春日局(平成元年(1989年)・NHK大河ドラマ、演:長谷川明男)
葵徳川三代(平成12年(2000年)・NHK大河ドラマ、演:小野寺昭)
日本史サスペンス劇場(平成21年(2009年)・NTV、演:野久保直樹)
江〜姫たちの戦国〜(平成23年(2011年)・NHK大河ドラマ、演:斎藤工) 湖笛は本当によかったなぁ あれで高次が単なる弱小武将でないイメージになったわ
でも蛍の城、涙目でも頑張る高次もあれはあれで良かった
戦国武将でも結構異色だよねこの人 大好きだ
高次・高知とお初って、京極マリアの勧めでキリシタンになったと聞いたんだが
高知の洗礼名はジョアンだけど、じゃあ後の二人の洗礼名ってなんだったんだろう
急上昇ワード1位になるなんて最初で最後だろうから見とけ 大河効果かな?w
知名度上がるのは嬉しいが、悪い方にいかないといいけど… 大河でイケメンの影虎が出てときあったけどその後上杉影虎を知ってる人が増えたかと言われると
そうはおもえない
京極は人気がでるといいね あの景虎さんでは、人気はでまいて…
今回はただのイケメンに成り下がりそうな高次だから、どういう効果があるのやら 残念ながら高次より豊臣秀勝の方が印象に残ってしまいました… 検索ランクに入るほど、知られていなかったてことか。
戦国武将ではかなりマイナー武将なのか。 >>216
石田三成も初登場の時は検索上位になったから安心して
関ヶ原の合戦での東軍勝利の貢献者として
高次はかなり上位になるだろうけど
実際には知名度あまりないのが解せないな
自分の中では一番の功労者だと思ってるよ 秀吉は本能寺の時点で打首にしとけば良かったのに
武田とたいして歳変わらんだろ 秀吉にとって京極家は、自分の箔付けの為にもよい名門家
京極龍子を側室にし、更に茶々を側室にして、その妹を京極家に嫁がせれば
更によい箔付けって魂胆さ お姉ちゃんあげるから殺さないでと命乞いしたからだよ
丹羽に捕まらなかっただけの可能性が高いけど 兄妹三人フライング土下座したからだよ 武田は成り上がりに膝屈するの拒否した為に切腹 >>220
秀吉の根拠地(初めての大名の領地)が北近江だから家臣の少ない羽柴家としては浅井家や京極家
の浪人を多く羽柴家に雇用したはず。家臣からの忠誠心を得るためにも浅井や京極の血を羽柴家に
入れたいのは領主として当然といえる。
実際に旧浅井家家臣が一番忠誠心が強かった。 京極家再興した後、旧浅井家臣の人たちも多く入ったのかな
だとすると再興後は、京極・浅井連合軍みたいになったのかな 佐々木京極家を滅ぼしたのが浅井だからなあ
六角ならまだ分かるけど 高次は大体履歴分かるけど、高知の履歴があまり分からないな
高知は大抵兄の家臣として近くにいたんだろうか >>225
>京極家を滅ぼしたのが浅井だからなあ
ええーっ!そうだったの!いつの何という戦い(または事件)でどういうふうに滅ぼしたの? 滅ぼしたのは語弊がある
もともと京極家は内紛がおおい家で、京極騒乱とも言われていて
高次の父、高吉が兄高広と家督争いをして、浅井家も高広支援 高吉負けて追放
その後、高広も浅井と戦い浅井家勝利 京極家は支配権を失う って感じ?
>>220
そのとおり
っていうか・・・秀吉は織田信長から浅井長政に替わる右腕(野望達成征服の)と
して北近江の大名にされたはず(たしか左腕は徳川家康といってたような・・・)。
だから、とうぜん
秀吉は浅井家、もしくはその主家の京極家を一生涯意識していたと思う。だから恋
愛なんて関係ないんだよ。秀吉は北近江の大名だから浅井や京極の娘を大切にして
いた。北近江地侍を掌握するために、信望を得るために。 >>230北近江の大名きどりだから北近江出身の家臣が多いんだね
石田三成みたいにっ 高次は秀吉にヘコヘコして京極家再興したと色々書かれるが
内心秀吉を利用して再興したったわ! くらいの腹黒さのある人にも見える 京極さんは、名門だし現代までお家続いているのに
なぜ逸話とか史料とか少ないんだろう 兄弟揃って好きなのに 織田信長の時代、松平家は京極の家臣の浅井家と同格だったんだね・・・・・・・ 松平家も新興勢力だからなあ
その浅井家も逆転して京極家を家臣にするし それでも幕末までそれなりの旗本の要職についてたんだろ 高吉が浅井長政の姉を娶った時、確か六十近くて、
妻は二十歳そこそこ。
そして高次ら五人の子を儲けてるってすごいよね。
高吉がその年まで嫁を取らなかったとは考えにくいので、
長政姉は継室と考えるのが妥当かな? お家騒動で嫁取る暇もなかったかもしれん と思ったな
でも60歳まで独身はないな 継室かもしれんね
34歳差の夫婦って凄いなあ
高吉は浅井に負けた後に、京極丸に置かれてたんだよね
でも足利義昭擁立に尽力したり、信長に子供人質として送った頃がよく分からない
京極丸に置かれてたのに、そんな自由だったんだろうか 弟の高知が10代頃で嫁がいたのに対して(津田信澄の娘)
高次は初を娶るまで、そういう話なかったんだろうか
なんで弟が先なんだ それかあったけどおじゃんになったのかなやっぱ >>242
知らないの?
信長の妹(養妹)が婚約してるよ。 斎藤工ぢゃオンナっぽ過ぎるよナッ!!!!
幾ら美女の龍子の兄弟だとしてもサッ!!!!!
まともな大河だったら、高知も出てくれただろうか
葵徳川三代くらいしか見たことねぇ >>243
本当なら高次も高知も、織田家では割りと高く評価されていたのかね
名門家というのもあるんだろうけど 高知の娘って八条宮智仁親王の妻になったんだよね
凄いなあ どんな経緯で結婚決まったんだろう やはり名門だから? 常高院の存在じゃない?
東福門院の伯母ってことで、宮中と縁が出来た。
お江の娘を養女にして忠高にめあわせて、将軍家とも二重三重につながりがあるから、朝廷からも一目置かれてたとか。
名門てのももちろんあるだろうけど。
忠高って、お江の葬儀で忠長と一緒に棺を担ぐ役目だったんだってね。
甥だからとはいえ、重きをおかれてたんだなあ。 しかし、後の後水尾天皇とどちらを次の天皇にするかの際
智仁親王はもう妻がいるから、徳川の娘は嫁がせられないと反対されたんじゃなかったっけ?
つまり和子が入内する前には、もう妻となっていたってことだ 戦国時代の皇室には若狭武田氏の重臣の粟屋氏の血も入っているし
江戸時代の皇室には丹波山家藩谷氏の血も入っている。
近畿の武家と天皇家は意外と姻戚だったりする。 もう1日粘ってたら、真田昌幸並みの評価だったのにな。 しかも相手は友軍とはいえ、立花宗茂相手だもんなあ
しかし高次らしいといえば、らしいような気がする
そんな京極高次が好きだ お父さんの京極高吉にも興味あるけど、史料が更に少ないから難しいな
この人の人生もかなり流転してて面白いんだけどなぁ
あと子供は全部、京極マリアさんとの子でいいのかな
マリアさんと結婚する前も妻はいるような気がするんだけど 結構な歳だし 最近は妹説の方に傾いてる感じかな
自分は昔の本などみて、姉説の方がしっくりきてるんだよなあ >>253
どうだろ?実質5日前後で開城してるからなあ。 攻撃側が12日まで水城攻めの準備を整えてただけだしなあ
14日に降伏しなければ、15日の午前中には落とされてたよ この人「蛍大名」って揶揄されてるけど、池田さんもなかなかの蛍だよね 池田さんも蛍って呼ばれてたみたいだけど
高次さんのインパクトがでか過ぎて霞んじゃってるんだよ 丸亀の京極家って江戸時代初期は、出雲 隠岐 二ヶ国領有の大大名だったんだね。
もし、幕末まで転封がなければ室町の守護大名の生き残りとして有名だったろうに。
島津も島津庶流が継承した家だから守護家が近世大名になった訳ではないし、細川も
守護の細川ではないから、京極は唯一の国移動なしの守護の末裔と言えただろうに。 京極軍が生きるか死ぬかの思いで大津城に籠城している最中、京の町衆は弁当と水筒を持参して近くまで現れ、大砲が城郭に命中すると歓声をあげて見物をしているのであった。 毛利立花がいれば必ず西軍が勝ってたという前提でそれを阻止したから凄いというのは嫌い 正式な渾名は 尻 蛍 だったはず。
これだと衆道で大名になったように見えて悲しい。 斉藤工の京極高次なら衆道でもおかしくない。
もっともどっちがネコでタチかわからないが 無知で済まないけど、守護や守護代と破官ってどうちがうの? 但馬の山名氏政
播磨の赤松則房
丹後の一色満信
そして近江の京極高次、四職の末裔って安土桃山時代も残ってたんだね。
山名氏政と赤松は、江戸時代初期まで残った。
大名として残って栄えた京極家には及ばないかもしれないけれど。 但馬の山名氏は織田政権下でも健在だったみたいだね。
織田期では、京極よりぜんぜん大きい勢力を保持できていたようだ。
山名氏政より兄の山名義親とすべきじゃないの、名前。 ここってまだ機能してるの?ちょっと知りたい事があって検索して出て来たんだけど、上げさせてね。
にっかり青江って言う脇差が、どのサイト見ても
秀頼から高次ヘってなってるんだけど、
丸亀市のHPだけ大河ソースで大阪冬の陣の功績で息子の忠高へになってる。
高次は1609年に死んでるから、冬の陣なら忠高で間違い無いんだろうけど、
なら何故他の殆どのサイトでは高次宛てなんだ?
忠高は初の実子じゃないから、忠高でも高和でも無く
初への功績で、死んだ高次の名にしたのか?
それとも本当はもっと前に、叔母さんの旦那にやったのか?
スレ違いとは思うんだけど、「にっかり」「にっかり青江」で検索しても
刀資料的なスレが出て来なくて、良かったら教えて欲しいです。お願いします。 京極高次よりも京極晴広のほうが京極家嫡流なんじゃないだろうか
高次は守護になっていないが
晴広は足利将軍家から正式に守護に任じられている 高次時代の京極氏って小勢力だったん?浅井亮政に湖北から駆逐されたけど、近江って浅井や六角、朽木 日野とかいたやん 京極竜子は秀吉の側室では一番の美人で有名
京極家は名家だけど大大名でもない
竜子は美人なので家康利家もこのことだけは秀吉が羨ましかったみたい
竜子は秀吉の寵愛も深く 自慢の側室の一人 あげついでに質問
京極高次と熊本の関連って何かある?調べたけど分からなくて… >>288
六角京極に別れる前の佐々木道誉時代のはなしか? >>290
六角京極分裂は鎌倉時代
佐々木道誉は南北朝時代やで
佐々木道誉は京極高氏 負けて勝つっていうのはこういう奴のことを言うんだろうな
蛍大名と侮られながらも大津城で意地を見せ、負けはしたが関ヶ原に大きな影響を与えた
なんつー格好良い人生だよ 本能寺の変で義兄の武田元明と組んで明智光秀の味方して近江を秀吉から一瞬取り返してるけど、事前に明智の計画知ってたの?明智も先祖は名門だからそれつながりで。 旧浅井、旧若狭武田で構成しているのかな
大名に復帰した京極家というのは アートディンクの関ヶ原を西軍でプレイすると高次の重要さが分かる。
彼を放置しておくと毛利だの鍋島だの立花だの南近江に展開してた西軍の諸部隊が勝手に大津城攻めを始めてしまい
関ヶ原にも間に合わないかたどり着いてもボロボロになってる。
開始時に6500人いた鍋島軍が関ヶ原にたどり着いたとき300人しかいなかった時は
こいつに殺意を覚えちゃったぜw 高次はようやった。3000の兵で15000の軍を釘付けにしたのだ >>25
勝家の所くらいしか頼る所なかっただろうしね。血の気の多い名目ボンボン、てことで。 >>294
井上靖さんの"淀どの日記"では、京極家再興のためには何でもする、て設定だったよ、高次。 潰れたに等しい御家を、コネを駆使したとは言え6万石にまで回復させ、さらに関ヶ原の戦いの功績で小浜9万2000石、さらには出雲24万石にまで拡大する基礎を作ったのは大いなる尽力といえる。
惜しむらくは無嗣減封で丸亀6万石に減ってしまったが。
京極氏の出雲加転は、毛利対策の含みがあるとかで、長州の西は小倉に小笠原、東は松江に京極という名門の旧守護大名を挟むことで、毛利家の見劣りを狙ったとかなんとか そもそも「蛍大名」って言われてる出展元や一次資料は何だ?
ちょっとネットで調べてたら「蛍大名」は当時は男色で本人が尻を使った出世に対する揶揄だったのを
とある作家が誤用して(水上勉の「湖笛」?)政略結婚で女の尻の力を借りたって意味で広まったって説を聞いたんだけど
だとすると当時から妬みそしみはあっただろうが「蛍大名」よばわりは全くの見当違いだし本来の意味とも違うってことになる 京極高延の子は義昭に随行したあとどうなったんだろうか 尼子も三木も浅井も(大名としては)滅びたことを考えると京極は復活した
中興の祖といっていい >>311
加賀で佐々木を名乗ってるから由緒を強調してるな REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担