長尾景春
論旨が繋がってないと思うが。
メンツのための挙兵だから、本人も顕定を倒せると思ってたわけじゃないだろ。 景春について書いてある歴史書とかではたいてい、「戦争は強かったが
何がやりたかったのかはわからん。」って感じに書かれてるな。
好意的な見方で「下克上。多分。」くらい。 祖父・父と代々相続してきた家宰職を叔父に奪われて面目を失ったから、
その恨みを上杉家にぶつけるのが「やりたかったこと」じゃないか? 古河公方を抑えることに成功して関東新秩序と安定を手に入れる寸前にすべてを御破算にしちまった乱 どこが古河公方を抑えたんだよw
拡大した乱の規模に困り果てて足利成氏に助けを求めただけじゃん。
あまつさえ成氏はこれを利用して、「都鄙合体」を成立させた。
景春は終始「利用されたほう」だしw 合体自体が応仁の乱で東と西に分かれた幕府の一方側としか合意してないのも知らんのか?
それに古河は結局、鎌倉帰還を諦めたし、堀越公方を認めず伊豆出兵までしたのに、堀越を認めてまで和睦したがったわけだが。 >>488・>>490
「都鄙合体」時には東西両軍が和睦した状況なんだから、
幕府の一方側との合意とか意味が不明だ。
旧西軍派が認めなくても旧東軍派が認めたら問題ないのでは?
そういう説があるなら論文名を提示してくれると助かる。
>古河公方を抑えることに成功して
景春の乱勃発前の山内上杉・古河の状況ってほぼ互角だろ?
山内上杉優勢だとは思うが決定的な一撃を加えることはできずにいたし。
何をもって「抑えることに成功」と見なしているんだ? 西軍幕府としか和睦してない。
その際に西軍(山名側)が支配してた近江国の六角高頼が成氏の娘婿になっている。
成氏は御料地を掘越公方に譲ったりと譲歩しまくってる。
そもそも一時的に古河城まで落とされ、堀越追討軍は伊豆で大敗。
古河奪回といっても、上杉側が兵站の関係で撤退したと言われてるに過ぎない。
古河側が打撃を受けてるが、上杉側に戦線を後退させるような致命的な被害もない。 >>492
お前はどんなデタラメな勉強をしたんだ? >>492
>西軍幕府としか和睦してない。
これの典拠史料や論文・論証例を教えてくれ。
>古河側が打撃を受けてるが、上杉側に戦線を後退させるような致命的な被害もない。
これをもって「抑える」と見なすことには同意しかねる。 >>492は中途半端で断片的な知識をどっかで聞いてきて、それをいい気になって書き込んだタイプっぽいな。
なんかここのサイトにも似たような話をハケーン
ttp://blog.sasakitoru.com/200504/article_25.html 長尾景春の乱は、山内上杉失墜の端緒となったとは思うが、
完全な失墜はやはり、永正七年の長尾為景による、越後での上杉顕定討死と、
永正十三年の、伊勢宗瑞による三浦氏滅亡だろうな。 主戦場から遠く離れた辺境の伊勢氏は漁夫の利でコソドロしてた小者で最低なカス。 >>505
とりあえず扇谷主家を蔑ろにして傍若無人なまでに増長してる道灌が謀反人として
景春が討ち取って山内家は盤石になってたろうね。 >>506
「まる」って読む。
だから道○なら「どうまる」
『図説太田道灌』
を買ったら、
帯に、『長尾景春』って、黒田基樹「編」で
本の紹介があったんですけど、
いつ発売なんでしょうか。 >>511
まじ?ついに景春本か…胸が熱くなるな。 >>512
でも、「編」だし、焼き直しですよ。
10個の論文のうち、半分くらいは俺も読んだことがあるやつで。
以下は帯から適当に
『長尾景春』黒田基き編
シリーズ中世関東武士の研究(1)
6000円
長尾景春論
守護上杉氏と長尾氏
そうじゃ・白井・足利の三長尾氏
上野国守護代長尾景仲について
長尾景春の乱と太田道灌
長尾景春と長尾忠景
上杉顕定と長尾景春の和睦について
長尾うえもんのじょう景英について
東国における十五世紀後半の内乱の意義
長尾景春の反乱の意義
他は、
長尾景春と熊倉城
長尾景春関連史料
まだこの本の計画があまり知られてないことに驚いた。 もう出たの?わしゃあ絶対に買うで!
発行部数少なすぎて売り切れとか許さへんで。 このレスを見て、はじめて『長尾景春』が出ると知った。出版社に電話したら、高いゾ!6,000円だって。
まあ少ししかつくっていないらしいから、しょうがないか。あまりにもマイナーすぎる武将の本をよくぞ出してくれたってとこだな。
内容は満足。「長尾景春と熊倉城」は前から欲しかったが、もう手に入らない本だし、これが全文、読みやすくなって載っているのは最大の喜びだ。
後続に上杉定正とか出ないかな。 ttp://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/7008/1/2009030151.pdf
これも収録されてるの? それは残念ながら収録されていない。この一書で景春のこれまでの代表的な論文が読めるのが
便利ということだな。巻頭の長尾景春論は最新の研究成果がまとめてあっていい。
ちなみに太田道灌状は、図説太田道灌で全文が口語訳されてる。ただでさえ難解な
文だからほんとうに助かった。
救世主と言えるのだろうか?
両上杉を合戦に駆り立てて、関東を荒廃させたようなイメージがあるのだが 勝って旧勢力(上杉)を破壊できていたら救世主だったかも・・・ 領民を苦しめた上杉房能を討伐した長尾為景は英雄だ。 >>36
憲実は忠義の士としてもっと顕彰されてもいいと思うんだ 憲実が生きてて景春に重責を任せていたら徳をもって天下平定してたな 鬼才縦横とはこの人のことだよな。
日本ゲリラ史最強として残る智将 腐った両上杉に
果敢に反旗を翻した英雄にして
関東にいち早く戦国乱世を呼びこんだ
一世無双の治者 長尾三代の墓というと
雙林寺
ttp://guntabi.web.fc2.com/sibukawa/sourin.html
が景仲の木造が安置されていることからこちらがよく記述されますが
私が調べた範囲内だと
空恵寺
ttp://guntabi.web.fc2.com/sibukawa/kuue.html
の方にあるようですね。
景春の墓もこちらにあるのかもしれません。 >>539
すばらしい。
ここは調査に行く必要があるな。
しかし電車やバスでは行けそうにないね。レンタか 箕輪城しかまだ見てないから今度
また群馬遠征に行くかな。
新幹線使えばすぐだしな。 >>541
買春する相手なんていないどころか
白井城や鉢形城のある場所はリアルに何にもねー田舎だぞw
>>519
遅ればせながら購入した。
なかなか面白いが、やはり現状だと景春末期の記述あそこまでしかわからんのね。
なんか新しい史料でも出て来ないと謎が深まるばかりだ。 景春様は征夷大将軍に就任し幕府を開き300年の太平の時代を築きました。
>>550
景春は本来なら山内上杉家の家宰、それを主君関東管領上杉顕定が傍流長尾氏に差し替えたので、
頭にきて、ひと暴れして嫌がらせしたかったのでは!?
越後の長尾為景と組んで、背後から顕定の本国をかく乱したこともあります。 ゲリラ戦の天才
神算鬼謀で道灌を謀殺しておいて
扇谷上杉の外交戦略指南顧問の地位についてたり・・・さすがとしか言えない。 この人の血が繋がった子孫は無し?
総社の養子の血筋に取られた? 松平信綱の母親の深井氏は白井長尾氏の末裔だよ。
1630年に上野国白井郡を加増されてるし
1633年に老中になり1638年に島原の乱の鎮圧責任者になった人。
景春が主人公の大河ドラマになれば
関東戦国でもっとも面白い範囲がほぼ網羅できるんだよな。
正直、謙信玄の時代はもはや後片付けの消化試合に近い。
北条に至っては利根川戦域から離れた相模や伊豆が安定していてつまらん。
171 :人間七七四年:2011/05/23(月) 22:58:30.72 ID:D6eiyjGv
永岡慶之助の『北条氏康』の中に年老いた長尾景春が山内上杉憲政に仕えてる描写があるけど、これは創作?
172 :人間七七四年:2011/05/23(月) 23:02:32.73 ID:1GYrxyHb
山内憲政が家督を継いだ頃には死去してたんじゃないか?
173 :人間七七四年:2011/05/24(火) 13:46:57.86 ID:V3Nl2meP
やっぱ創作かな
息子はともかく景春自身が山内の傘下に入った記述は他に見ないし
174 :人間七七四年:2011/05/24(火) 17:44:29.95 ID:AKzysEoS
甲陽軍鑑とか小田原北条記とかだと伊玄入道景春が憲政に仕えていることになってる。
軍記物の世界では景春と一盛斎長野業正が混同されている感じ。
山内上杉家中に疎い甲陽軍鑑の作者の創作だろう。
伊玄入道と長野業正が同時に登場することが多いが憲政の代には景春の子景英だって既に世を去っていたし
白井長尾氏には憲政の代の長老的存在という、この役割に該当するような人物は見当たらない。
関八州古戦録では伊玄入道の代わりに一声斎長尾景盛なる人物も出てくるがこれは長野一盛斎の名が誤って伝わったものだろう。
甲陽軍鑑では他にも厩橋長野賢忠が長尾謙忠として伝わっていてこれが他の軍記物にも影響している。
175 :人間七七四年:2011/05/24(火) 20:02:50.00 ID:AKzysEoS
↑調べてみたら白井長尾憲景も"一井斎"と称していたようだ(氏政からの書状がある)
だから一声斎景盛というのは憲景のことかな。
それでも長野業正と一緒に行動していたという点は妥当でもそれ以外については
やはり憲政の老臣伊玄の元とは考えにくいが。
182 :人間七七四年:2011/05/31(火) 09:40:58.83 ID:+rvOQ7hW
>>174
すでに景春も子の景英も孫の景誠も死んでるね。
景誠の妻は長野業正の姉で景誠が自刃したのが1529年正月で23歳。
義弟の業正が白井長尾の家督決定を主導し
総社長尾から養子として憲景を貰い、
妻は山内家宰の足利長尾から貰ったと言う複雑さ。
さらに景誠の娘は業正の嫡子に嫁ぐことになる。
憲景は謙信が死んでもまだ生存してるからなぁ。 景春の野望が出たら予約しちゃうよな。
山内上杉まじムカつくわー。
シナリオ1 持氏挙兵
シナリオ2 結城合戦
シナリオ3 鎌倉府復興
シナリオ4 古河公方
シナリオ5 景春の野望
IFシナリオ 景春白井御所の変 追加シナリオ1 都鄙合体
追加シナリオ2 道灌暗殺
追加シナリオ3 津久井城攻防
追加IFシナリオ 天下分け目の白井関 景春が反乱しなければ道灌の八面六臂の活躍もなく扇谷が山内に対抗する力も付ける事もなく早雲に付け込まれる事もなく…
とはいかないかもしれないけど本当に面白いな >>571
どうしたって古河公方との戦いは続いているんだから、景春の反乱がなくても
道灌の台頭は不可避だっただろうね。
状況は変わったかも知れないが。 実際、景春を祖父や父と同じく上野守護代にしてやれば
まったく問題なかった話だからね。
懐柔案って公式にもでたんだっけ?
道懽の提案のみ?
まあ古河公方って権門が着いてる以上、妥協する必要ないが 懐柔案は出てないんじゃないかな。
もともと白井長尾の力を削ぐ目的だったんだろうし
景春の方も山内と和睦する意志が一寸たりとも持ち合わせてないから最初から不可能だけど。 上杉憲実の後の憲忠や房顕ら上杉当主はパッとしないし
なんか白井長尾氏も担いでるだけで彼らをあんまり大切にしてる感ないんだよね。
しかも彼らが死んだ後は越後上杉の房定も顕定を関東管領の養子にするのを拒否ってることも
白井長尾にただの操り人形にされることを危惧したからじゃないのか?
長尾景仲・景信と絶大な権力を握り上杉全軍の指導者やってたからなー景春が上杉家宰を引き継ぎ続けていたら
どっちみち警戒され道灌みたいに暗殺されてただろう。