【最北端】 蠣崎・松前 【北海道】
日本最北端にして北海道唯一の戦国大名
松前氏について語り合おう 南部の相当初期のだろうが津軽のトラブルみていて名乗る訳ないな >>199
津軽家臣の沼田氏とか若狭武田家臣にもいるんだよなー。
意外と若狭武田系ってありえそうなんだよな。
そういや若狭武田は安芸武田に養子を出してるよね。
>>120-121
その代わり、帝国陸軍内部では
高学歴者に対して鬼のようなイジメがあったけどね・・・
鎌倉幕府内で三浦氏の被官だった長尾氏や沼田氏も三浦滅亡とともに壊滅。
その後、北条執権幕府滅亡に伴い、足利尊氏の母の上杉氏の執事として長尾氏が復権する。
三浦氏の支流も葦名氏として会津平定へ派遣される。
この時に上野国北部に沼田氏も派遣されたのだろうか?
一説に大友氏の支流が沼田氏であり、三浦氏流と称する沼田氏と入れ替わったとする話もある。
いずれにしても沼田氏も謎の家系の一つだろう。
津軽の沼田祐光の話だと源頼朝の時代に若狭国熊川を拝領した上野国沼田氏の一族で
永禄年間に若狭武田氏の内紛で破れて近江へ出奔したらしい。
ちなみに沼田の名が示すように古代の沼田の地は利根川のせいか、大きな湖や沼地だった伝承もある。 慶広が独立することに対して秋田側は嫌がらなかったんだろか。
確か松前側の記録では上洛したさい実季がついてきてくれたとかなんとか。
愛季時代は忠実な家臣として振る舞ってただけに不思議だ。 携帯の戦国時代で全国統一を目指すゲームで松前慶広で北からじわじわと
攻めて行くのがひそかな楽しみだったw 城を築いたが旧幕軍と新撰組にあっさり落とされた伊豆守崇廣 >>205
その頃の安東は家中の混乱を押さえた南部信直の
進攻に晒されていてそれどころではなかったと思うよ。
松前漬けって松前藩で作ったから松前漬けなのかな
蠣崎漬けだとまずそう >>208
ついでに言えば、すでに直接的影響を及ぼせなくなっていた蝦夷地は安東氏にとっては価値が低かったと見るのが自然
当時は係争地になっていた鹿角とかの方が圧倒的に優先度高かったから
であれば、無理に抑えつけるよりは、独立的立場を認めて、友好的関係を続ける方が当時の情勢下であれば利益が大きいともみれる
>>209
松前一帯の郷土料理
誕生時期は明確には不明だったはず
一般に知られるようになったのが昭和に入ってだから松前漬けとして売られたのかもしれんという予想はできなくもないが >>210
> 無理に抑えつけるよりは、独立的立場を認めて、友好的関係を続ける方が当時の情勢下であれば利益が大きいともみれる
あーそういうことか。すごい納得いった。
確かに直接統治するには本州と何もかも違いすぎる。影響力を持ちながら同盟国にしちゃったほうが賢明なわけか。
慶広のトーチャンも独立をすごく喜んだというから、お互い旨味のある提案だったのね。
松前さんて武田さんなの?あきんどさんなの?南部さんなの? 松前藩は支配面積でいえば日本の1/5を支配するという江戸時代最大の藩と言えなくもないのだろうか
>>219
石高や官位ではなく、面積での評価は斬新だ。 江戸にまで名前が知られるような有名な学者とか文化人を輩出しているか? 「場所」という交易権が誰にどこを割り振られたかは分かったの? あーよく蒼天録のイベントエディット使って、なんの脈絡もなく朝廷から使者がきて関白と征夷大将軍を授与される蠣崎さんやってたな。 戦国大名といっても、ガチで天下を欲したのは少数。
松前とか南部とか里見とか宗とか飛騨姉小路が天下人になろうとしたことは1度もない。 元参議院議員のご子息、萱野氏がアイヌ民族党という政党を設立しました
日ハムの日常
ttp://www.youtube.com/watch?v=jb9TWJ_CjWo&sns=em 豊臣、徳川で樺太あたりまで天領にしとけば偉大な人物になれたのにとおもふ 当時はアイヌをからかいながら冬に怯えて平和に暮らしてたのかな 津軽藩とか盛岡藩にもアイヌ人はいたみたいだけどね。
幕府と松前藩の目を盗む形で、北方交易に手を出してたし。 土居良一氏の海翁伝読んだぞ
瀬戸内の河野家が蠣崎家の先祖だとか言う話になってた
なかなか面白かったけどね >>244
>瀬戸内の河野家が蠣崎家の先祖だとか言う話になってた
フィクションとしては面白いが、史実でその可能性はないと思う。 >>16
ユメピリカって北海道じゃないっけ?
ユメピリカってコシヒカリより美味しいと思う。 榎本守恵って人、松前氏は若狭あたりの商人じゃないかと言ってるよね
この人と対談してる司馬さんの短編小説で本物の信広?を殺す→
すりかわる→蝦夷へ→コマシャインの戦い→松前氏
みたいのがあったような… 松前という姓にしても松平氏と前田家に
ごまをすって松前だからもと商人だ。
ラックスマンが通称交渉にやってくるまで函館が本拠地だった 洞爺丸とか、昭和に入っても歴史の裏で色々と動いてるのを、一般人は知らないんだろーな。 シャクシャインの乱は
本州に同化したエゾ(松前)、同化しないアイヌ、のエゾ・アイヌ地域内乱だな
アイヌが砂金など利権をめぐって殺し合い、仲介しようとした松前氏も標的にした内乱
シャクシャイン指揮の、かなりの鉄砲も持った武装アイヌ集団が
まず、一般人(本州人)を大量に殺害 (時期の近い島原の乱などに比し、鎮圧は激甘)
※ 少し前の地域状況として
アイヌがニブフを繰返し侵略して、後ろ盾の元王朝がアイヌに懲罰遠征した件
アイヌの侵略は、ニブフで重要な、鷹狩り職人の拉致が目的とも言われてる
また、格差社会アイヌでは、長が多くの妾を独占し、女性を贈答品扱い
http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html
> 擦文人やアイヌが
> それほど親交関係にないオホーツク人を同化させた方法は、
> まず女性を贈答品として彼らに送ることであった。
オホーツク人の文化(イオマンテの起源など)も、アイヌが同化侵略で吸収してた 砂金で儲けたアイヌ部族も火縄銃持ってたようで、砂金発見がもう少し早ければ歴史が… ロシアの極東進出、砂金利権でのアイヌ富裕化、がもっと早ければ状況変わってた > シャクシャインの話
「ウタフが疱瘡で没すると、シャクシャインは松前氏が毒殺したとして挙兵。」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shuuzo2/kaisetu_5.htm
≫ ★ 交易船員・鷹師・金堀など合計355人が殺される。
****略****
> 北方史史料集成第四巻と『渋舎利蝦夷蜂起ニ付出陣書』と『松前蝦夷一揆聞書』
> によると以下のような
≫ 「松前は我々の絶滅をたくらんでいる。今後の商船の貨物には毒が入っている恐れがある。
≫ 全ウタリは力を合わせ、シャモ(和人)を殺し、米・味噌を奪って兵糧にすること。
≫ アイヌモシリ(蝦夷地)から和人を追い出し、我々のモシリを取り戻そう。
≫ 参戦しないコタンはシャモよか先に殺す !!」
・デマの扇動・脅迫で挙兵し
・まず民間人(本州人)を狙い百人単位で虐殺、と相当な武装テロだ >>261
変わらんよ。アイヌじゃ松前さえ倒せない
仮に松前を支配下においてもその先の南部は無理ゲー アイヌは文字がなく、数が苦手で商売下手
狩猟技術は高いが兵器の発達に呑まれ、ロシアの進出にも追われた
さらにアイヌは格差社会で、酋長が妾として女性を独占し、若者が結婚できず人口減
(見かねた幕府が、妾の数制限でアイヌを助けた)
http://8003.teacup.com/doshin/bbs/5841
> 莫大な富を蓄えた酋長が多くの妾を独占して
> 若者に結婚の機会が与えられないことがアイヌの人口減少の原因だと
> 判断して、酋長がもつ妾の数を三人までに制限しました。
・・・こんな部族集団は、近代以降は大した勢力にはなれない >>266
土地の生産力が低いから、人口抑制のために敢えてやってたんじゃね? シャクシャインの悪虐>>264に対する、幕府の甘い対応(島原の乱に比べて)は
渡党(蝦夷)が本州化した松前 vs アイヌ の、ある意味異民族同士の内乱だからか >>45 北方諸民族は交易相手として出てくるくらいだな
江戸時代になると、サンタン交易で借金作ったアイヌから家財奪ったり
アイヌを債務奴隷として連れ去ったりする、サンタン武装商人も関わってくる 裏日本は沿岸交易で平安期からトーホグと若狭交流あるからな アイヌの行動は「心まかせ」とされ、放任主義だったとある 松前・渡党はアイヌを放任してたから北方領土確保の面でちょっと >>267
北海道に農業技術教えた、ルイスベーマー・エドウィンダンら開拓外国人に感謝だな
開拓以前
山菜などの採集は主に女性の役割だが、人食いオオカミの襲撃などで命がけ
ウバユリ(山菜)掘りに行って、大勢の女性がエゾオオカミの大群に襲われ
ほとんど食い殺されてしまった惨劇が、アイヌの口述で伝わってる
梅木佳代/口承文芸にあらわれるアイヌのオオカミ観
http://douminzoku.web.fc2.com/kaishi_pdf/10/10-04umeki.pdf
> 3-3-1. 人を襲うオオカミ
> 人を襲うオオカミ「狼から逃れた娘」<資料 12>と
> 「狼の襲撃から危うく難を逃れた女の話」<資料 46>は、
> 酷似した内容のテキストであり、
> 大勢の女性がオオカミの群れに襲われ、食い殺された事件が描かれる。 『アイヌ学入門 (講談社現代新書) | 瀬川 拓郎』によれば
渡党とは、北海道南西にいた日本文化をかなり取り入れたアイヌのことらしい
この渡党(和人化したアイヌ)がやがて松前藩を形成する 蠣崎氏※アイヌの渡党※→松前藩 つまり松前藩もアイヌの一派 シャクシャインによる、民間の和人虐殺
http://www2.rikkyo.ac.jp/web/esdrc/products/zoku_senjuminzokutoESD.pdf
> 小屋を懸けさせ、くつろき候時分、
> 狄共夜に入りよせ、皆皆殺し申由に付……」すなわち寛文9年の蜂起の和人殺害は、
> シコツではじまった。
http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html
> アイヌの鎧、甲冑は基本的に倭人のものと同様で、
> 武器の備えもかなり先進性を帯びており、
> たとえば1669年のシャクシャインの戦いにおいては、 倭人側の相当数の武士が
> アイヌの火縄銃の犠牲になったということがわかっているそうである。
シャクシャインのテロ蜂起>>264に対し
松前は他の藩から武器を借りたが、他のアイヌ各部族は多数の銃で武装してた 松前藩はジャガイモを導入するべきだった。
さらに北の樺太まで植民・領有するべきだった。 蠣崎氏は安藤氏の傘下とあるのだが、安藤は秋田でしょ? 地理的に言ったら青森の南部の傘下じゃないの?
勢力図がよくわからん 元々津軽や下北は下国安東領だけど南部に奪われて、下国安東氏は蝦夷地にいったん逃げた後、湊安東氏のツテで秋田に移転
津軽下北はその後南部系領主や浪岡氏に分割、蝦夷地はそのまま安東系領主が勢力保ったって形。海路で秋田と繋がっていたので特に問題は無かった模様 安東から独立を果たしたり、南部が仕切っていた北方交易の権利を奪取したりと
この時代の大名としては意外と活躍してるんだよな。 戦国時代なのに、それほど戦争しなかったのではないか? 普通に安東配下として鹿角やら由利やら津軽に出兵してるがな 独立した時には秀吉天下統一してる。後は江戸時代になって大坂やヘナウケやシャクシャイン 江戸時代に
ロシアのコサック兵が、千島列島を武力で制圧したり
レザノフが、軍艦で北方領土を襲撃したのは、、、
松前藩としては応戦して無いかな、、しかもボロ負けだし アイヌとの同化を拒んでたんだっけ?アイヌには見分けがつくようにアイヌの衣装を着ることを強制させてたとか 津軽、南部、佐竹にもアイヌは居たようだけどこちらは同化政策したんだよな
何で松前藩は同化政策しなかったんだろう 松前藩があまりにも信頼がないせいで文化露寇時に松前道広がロシア側に寝返ったってデマが流れてたってマジ? >>292
よく分からんがアイヌとの交易が飯の種だから同化されて減ってしまうことが嫌だったのかも。
松前藩は何しろ経済基盤が貧弱すぎてな。
幕府が直轄地にしたのも、基盤の弱さを慮ってだろう。
対露防衛といっても武器も武士も数が揃えられず、下手すりゃアイヌ側が本気出せばアイヌ人にも(単独では)負けかねない程度だし。 >>287
ところが意外と戦っている。
主にアイヌ人相手に。もちろん苦戦の連続ですよ。
他に宗家の檜山安東氏に何回か援軍を出している。 >>297
> 主にアイヌ人相手に。もちろん苦戦の連続ですよ。
松前さんの場合、鉄砲の数が少ないし、城郭は砦レベルの防御力だしで、苦戦するのは仕方ないんだろうな。 >>298
蛎崎氏等の道南の武士たちがアイヌ人に勝てなかった理由は当時の蝦夷地の地勢にあると思う。
当時の蝦夷地は農民なんかまったく居ないから足軽を使った集団戦法が使えない。多分、当時の道南武士は南北朝時代そのままの戦闘方しか知らなかったんではないかな。
しかし、当時の蝦夷地はまったく開拓もされてないから一歩内陸に入ったら湿地か密林。騎馬が活躍できる場所が少ない。
比較的近距離で弓矢の打ち合いということになったろうけど、相手は毒矢を使うのに長けている。
なかなか厳しい状況だよね。鉄砲が普及すれば状況は変わったと思うけど。 今北海道に来てる、さすがに寒いぜ。
函館空港近くの志苔館(しのりだて)跡に来たぜ。
説明板にアイヌとの戦いで2回落城して廃館になったと書いてるわ。
たしかに虎口は二重土塁に二重空堀だけど、全体に見て本州の出城レベルだね。
これからイカを食いに行く