>>694
播磨龍野の円明流に伝わる文書の中には「宮本流」って書いたのもあったようですね。
確か『昔咄』には新免無二流と書いてたのもありましたか。
この手の流派の名前は割といい加減というか適当で、通称とか俗称が正式な名称になったりというか、流派の正式名称という考え方自体があったかどうかもよくわかんない。

姓名ではなく名とか号からとった例だと、新免無二の無二流、青木鉄人の鉄人流とかありますね。
この鉄人流も元々は円明流が世間では鉄人流と言われたかいうし、心形刀流の伊庭是水軒が学んだ武蔵流はこの鉄人流だという話もあるから、鉄人流も武蔵流とまとめられていたらしい。
多分、鉄人流の場合は円明流だったので武蔵流でまとめられていたけど、世間では鉄人の流派ということで鉄人流とも呼ばれていた、くらいのことだと思われる。

円明流も播磨で水野流居合を併せた系統は、「円水流」という、なんのひねりもない流派名にしたとか。
ここらの感覚は江戸時代も長いし、個人差はあると思うけど、割合と適当だった時期がかなりあるのではないかと思う。