>>691
それを言い出せば、今も昔も武道で知られた熊本で二天一流が隆盛したことはどう説明したものか。
そもそも、江戸でも17世紀は武蔵の弟子筋の青木家の鉄人流が結構門人がいたらしい。
江戸は武家の町であるが、特に武張っていたのは元禄以前…17世紀までだね。
これも上で書いたけど、寛永年間以降に二刀を入れた流派はこの鉄人流の影響があるという。
この青木家が江戸からいなくなったのが18世紀の前半くらいらしいけど、当時は医学も未熟で、養子とか入れないと家が続かないしね。
それで養子をいれて家を存続させても、家の流儀が継承されていたわけでもない。
地方の大名に仕官したという説もあるしね。

4代家綱が剣術での他流試合を控えるようにしたせいで剣術が衰退したというから、それで見切りをつけて地方にいったのかもしれない。
この手のお触れはお膝元の江戸ならともかく、地方ではあんまり守られてなかったということも多いらしいが。
18世紀後半になると九州で武蔵流が流行っていたという証言が撃剣叢談にでてくる。
撃剣叢談の著者は岡山の人間で、西国中心に書いてるけど、江戸の記述も多いが、とりあえずは岡山に伝わる程度には武蔵流の隆盛は聞こえてたのだろう。