幕末にどれだけの流派が存在していたのかは正確な数は解らないけど、剣術の数は江戸後期の防具の発明からの試合が盛んになってからだしね…。
その原動力になったのが江戸の直心影流と一刀流で、このふたつはたまたま一刀だけの流派だったんだけど、ここらの影響を受けて流派が創作されていったのならば、そら一刀しかないのが多いのも仕方がないかもしれない。

幕末に活躍した人間の流派も、ざっと思い出す限りだと神道無念流とか北辰一刀流とか直心影流、鏡心明智流…なんかの有名流派が多いような印象もある。
多分、もっとほかにもあるんだろうけど、やはり江戸で遊学してからきたって人間が多いと思うので、必然、江戸の流派になるんじゃないかな。
新選組で有名な天然理心流も、あれも近藤勇の前の世代では関東ではかなり有力な流派だったらしい。

やはり江戸になかったというのが、二天一流や他の武蔵流が活躍できなかった最大の理由なんだろうね。
肥後の武士もそれなり京都にきているはずだから、高木以外の使い手もいたんだろうけど。
幕末の志士には詳しくないけども、薩長土肥の中で、肥後ってなんか影薄いね…。