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【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】

0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/06/16(金) 21:54:41ID:gKVvU8HE
語りましょう!
0617人間七七四年
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2019/01/01(火) 08:28:26.11ID:9HK53fF4
>>616
入手できる資料は検討したんだよ。
やや自信はないので書かなかったが、自説としても、兵道鏡にある真位之事の記述は
かなり怪しい。
これが二天一流にもない、対二刀の教えでな。
自分は歴史資料の研究はそっちの研究者の方々にまかせて、実技方面と現在の伝承から
検討しているんだが、武蔵が対二刀技法を初期に完成させているのなら、晩年の二天一流
にもなんらかの痕跡がないとおかしいが、これがまったくない。
取材できる範囲で幾人かの二天一流の指導者に伺ったが、対二刀はないんだ。
そういうものが兵道鏡にあるのはやはり不自然にすぎる。
武蔵より後代に研究と検討が重ねられて作られたものだと思う。
ただ、これは他の事情からやや整合がとれないので、得意げに説として掲げるには躊躇われた。

あと剣道史研究の森田栄先生の著書だと兵道鏡は武蔵の著書であるという主張で
こちらは武蔵の筆跡から『五方之太刀道』などと共通しているという話ではあるが、
この書は大倉隆二先生などは武蔵筆であることは否定的だったと記憶している。

付け加えると、播磨武蔵研究会さんは五輪書以前の兵法書を武蔵は発行していないという立場で
一貫しているが、それは五輪書に「初めて書いた」ようなことが書いてるのが論拠で、
これは個人的には結構危ういと思っている。
0618人間七七四年
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2019/01/13(日) 20:08:20.90ID:yWBkSCP2
ここ数年、武蔵は二刀流は使っていない、今の二天一流で二刀を使用しているのは歌舞伎などで武蔵が二刀流で有名になったから
五輪書から適当に創作した…という話をあちこちで書き込んで広めようとしている人を見つけて困惑している
0619人間七七四年
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2019/03/11(月) 05:58:25.58ID:C0Snur4Z
>>462
>>459じゃないけど、柳生但馬守が松山主水を恐れて戦わなかったという記述は『綿考輯録』だな。

松山主水ハ戸田流の剣術名人にて色々語伝も有之、
中にも柳生但馬守殿御聞およひ候而忠利君に御噂ニ而、
御対面之時忠利君御所望ニよつて但馬守殿御立合有之候、
然処双方しなひを取て立向はれ候処、但馬守殿しなひを下ニ置、
主水との立合ハ御断ニ被及旨ニ而被差止候、
主水御次ニ罷立候跡に而、何故に御やめ候哉と忠利君御尋被成候得は、
主水儀しなひを取立向ひ候得は、両足畳より弐寸程すき申候、
常の事ニ而ハ無之と存御断申候、
但右之者遠からさるうち剣難の相見へ申候と被仰候由、
然に無恙御供ニ而罷下、其翌年庄林十兵衛ニきられ候と或人の咄也

…とある。
>>464の江戸期のとある流派の伝書のひとつ、とか書いてあるのは、多分、
孫引きでうろおぼえてたのでソースが出せなかったので適当なこと言って誤魔化したか
あるいは、伝書は実在して、それは綿考輯録のソース元と同じ文献から引いたのかもね。
0620人間七七四年
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2019/04/10(水) 10:56:50.70ID:3+uInH3K
宮本武蔵って、吉川英治が小説にする前にはどんな扱いだったのかね
今ほど神格化はされてないと思うんだけど
0621人間七七四年
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2019/04/11(木) 13:20:23.52ID:RsCdepMR
作家の間で宮本武蔵強弱論議が起こるくらいには有名だった
0622人間七七四年
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2019/04/12(金) 11:19:27.98ID:F407akk9
一般庶民は武蔵の存在を認識するくらいには知名度あったのかな?
武道家や武芸者、学者、研究者、作家ではなく
そこいらのオッさんとか
0623人間七七四年
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2019/04/12(金) 15:21:39.48ID:5QRPX+Zs
こういうスレに来る人に江戸時代から芝居や講談にもよく登場することすら
知られてないってのは逆に意外だな

真田十勇士を作って有名にした子供向けの立川文庫にも武蔵を主人公にしたものがあるよ
当然吉川武蔵より前
0624人間七七四年
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2019/04/12(金) 19:56:12.72ID:hTF8TKHm
そうなんだ
無名の剣客を小説の題材にして
そこで初めて有名になって
俄かに研究する人があらわれて
みたいなパターンかなと思ってたのよね
例えば坂本龍馬なんかが、そのパターンでしょ
武蔵もそのクチなのかなと
0625人間七七四年
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2019/04/13(土) 00:26:29.07ID:rYw+8YYp
>例えば坂本龍馬なんかが、そのパターンでしょ

坂本龍馬って昭和3年に桂浜に巨大銅像が建てられた坂本龍馬のこと?
あれってそれ以前の小説家が題材にしたから作られたものだったの?
0627人間七七四年
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2019/04/16(火) 08:16:53.30ID:FCnCwpdw
>>626
何の地元?
0628人間七七四年
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2019/04/16(火) 14:51:15.06ID:5TlD9bT+
地元の郷土史家は偏った論文書くから学会では忌避される傾向がある
オラが村の英雄とかね
坂本龍馬もそのパターンで高知で騒がれてただけの人でしょ
0629人間七七四年
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2019/04/16(火) 15:59:50.22ID:zyer7sxM
>>626
>無名の剣客を小説の題材にして
>そこで初めて有名になって
>俄かに研究する人があらわれて
>みたいなパターンかなと思ってたのよね
>例えば坂本龍馬なんかが、そのパターンでしょ

明治16年の「汗血千里駒」はそんなに影響力あったのか?
0630人間七七四年
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2019/04/17(水) 10:55:31.46ID:qvxFCE04
まず地元の新聞であること
たびたび時事物の政治論争を混ぜ込んで連載中止させられてること
このあたりから現地でば大人気で、時事的な出来事も龍馬の考案にされて偉人賢人化に拍車がかかって
いまの俺たちの龍馬像になってる可能性が否定出来ない
0631人間七七四年
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2019/04/17(水) 10:59:33.82ID:o/1gioOj
吉川以前から武蔵が有名だった事も知らない無知な>>624
司馬の竜馬がゆくあたりを頭において書いたんだろうけど
随分強引な流れになってきたなw
0632人間七七四年
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2019/04/17(水) 13:30:41.16ID:TvD8Gx+w
新撰組はどうだろうね
明治や大正期だと当人達がまだ生きているから
無名ってことはなさそうだけど
0633人間七七四年
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2019/04/18(木) 22:58:56.70ID:npoVu0y6
戦艦大和も宇宙戦艦ヤマトがヒットするまでは
一部の軍オタしか知らなかった
0635人間七七四年
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2019/04/19(金) 12:09:39.26ID:Yz4Cjkxx
梶原一騎も一部の軍オタなんだな

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%A4%A7%E5%92%8C

>『新戦艦大和』(しんせんかんやまと)は、梶原一騎による絵物語、漫画。
>絵物語版は、1961年に吉田郁也の絵で「日の丸」に掲載された。漫画版は、「少年画報」の1963年7月号から1964年3月号まで連載された。作画は団鉄也。

>艦長の沖田とその息子2人が新戦艦大和でキラー博士と戦うという物語。アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の10年以上前に「戦艦大和が空を飛ぶ」アイデアを出した先駆的作品である。
>新戦艦大和は潜水も可能となっている。
0636人間七七四年
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2019/04/20(土) 17:11:00.16ID:mTpmCaTf
>>632
新選組も戦前からある程度知名度はあったと思う。
大菩薩峠だとか鞍馬天狗だとかにも出てくるし。
どういう扱いをしていたのかは知らないけども、
三田村鳶魚の「話に聞いた新選組」というエッセイを読むと

いずれにも人を沢山斬ったなどというと、剣術の腕前の凄じいように思うものもありましょうが、
彼の剣道は決して立派なものではない。私の祖父は剣術が好きでありまして、
近藤とも立ち合ったことがあるといって、よく近藤の剣術の話をしました。
ナニあれは強くはない、しかしいかにも粘った剣術であった、三本に一本は取れる、
と申しておりました。私の祖父なるものは、びっくり仰天するだけの人間であって、
真剣なんぞを持って斬り合うなんていう肚胸のある人間ではありませんから、
何のお話もないが、竹刀を持って立ち合ってみても、その人の根性が出ないことはありません。
私の大伯父になります谷合量平というものがございまして、
それも近藤の剣術の話を致しましたが、やはり祖父が申すのと違っておりません。
先日新徴組の一人でありました千葉弥一郎さんから承りますのに、
近藤の剣術はさまでのものじゃない、ということを言っておられました。
そういうふうでありますから、近藤が剣術の道場を持っておったなどという話は、
私は聞いていない。とても剣道の指南などをするほどの腕前があった人ではないのであります

…と書いてある。
青空文庫にあるけども、発表の日付が子母澤寛が新選組関係本を出した二年くらい後だから
多分そこらを意識して書いたものだと思う。
三田村鳶魚は時代小説だとかそういうのに噛み付いてた人で、だけど彼にして天然理心流など当時は知らなかったのだろう。
あと、もしかしたら戦後の小説で近藤勇の剣術が大したことがない、三本に一本はとれたみたいな言説はここらに端を発してるかもしれない。
なにせ割と最近まで、三田村鳶魚全集読んでたら時代小説は書けるって言われたくらいに影響力はあったからね

だからまあ、子母澤寛までは新選組は知られていたけど、割と半端だった…くらいの認識でいいと思う。
あと子母澤寛もかなり適当に虚偽とか混ぜていることは近年の研究で知られているという話だが詳細は知らない。
0637人間七七四年
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2019/04/20(土) 17:19:22.70ID:mTpmCaTf
>>636
あ、「話に聞いた近藤勇」だった。
タイトルミスったわ。

>>624
元々は斎藤茂吉が洋行のついでに立ち寄った巌流島に建てられた顕彰碑かなんか読んだら
それが講談のヒーローだった武蔵と違い、わざと遅れたりして戦ったという卑怯な振る舞い
をしているということにショックを受け、小次郎を哀れむためになんか建てたのが評判になって
菊池寛や吉川英治と武蔵は実はーという論争を引き起こし、そこに直木三十五が載ってきて
「武蔵非名人説」というのを出してまあまあ評判になって、吉川英治はそれに反論する形で
「宮本武蔵」を書き出した…という経緯がある。
そして「随筆宮本武蔵」によると、今更武蔵?と言われたそうだ。
だからまあ、吉川英治以前から創作物の題材になったり、議論の対象になる程度には
みんなには知られていた。
0638人間七七四年
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2019/04/20(土) 20:18:59.86ID:nVzIaWdj
歌舞伎とか浄瑠璃の武蔵は佐々木厳流に仇打ちのために挑むなんて筋立てだから
そりゃ実像とはかけ離れてるよね
0639人間七七四年
垢版 |
2019/04/20(土) 20:21:05.67ID:nVzIaWdj
でも明治大正期の講談ならもう少しマシにはなってるかな
0640人間七七四年
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2019/04/21(日) 01:40:41.13ID:mei1NlLe
まあ歌舞伎とか浄瑠璃の宮本武蔵イメージは、小倉碑文の適当な内容を、さらに伝聞で聞きかじったものがベースだろうしなあ
武蔵が卑怯なことをした系の話は江戸時代からあるはあるけど、やはりメインにはなりえないんだろう。

とはいえ、武蔵の実像がどんなものだったのかはやはり今持ってよくわからんけどね。
現在の武蔵イメージは反「吉川英治『宮本武蔵』」がベースになった、狷介孤高の野望強き兵法者って感じか。
ただ、『随筆宮本武蔵』を読むと吉川英治も実在の武蔵をかなり暑苦しくて側にいてほしくないと書いてる。
当時から20世紀くらいの資料だとだいたいそういう感じの、我の強い兵法者ってところに落ち着くんだと思う。
0641人間七七四年
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2019/04/21(日) 15:37:30.86ID:f/ETPLDD
最近じゃ後半生に関しては自分の名声や社会的信用で養子を名家に仕官させ
自分は客分として誰の下になることもなく悠々自適に暮らすイメージも出てきている

仕官を熱望した武蔵ってのも古いイメージになっていくのかもしれない
0642人間七七四年
垢版 |
2019/04/21(日) 20:49:55.79ID:F+HAzJLt
無収入で、どうやって糊口を凌いでいたのだろう。
辻強盗などまさか。
0643人間七七四年
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2019/04/21(日) 21:22:24.73ID:mei1NlLe
伊織は養子になってから仕官したのか、仕官してたのを養子として斡旋されたのかちょっと解んないな。
どちらにせよ、武蔵は当時はそれなりの名士として認識されてたんだろうけど。

武蔵は弟子が多かったし、仕官はしてなくても生活するのに十分な収入はあったんじゃないかな。
もしかしたらパトロンくらいいたかもしれない。

小倉碑文には「生来大らかで細かいことは気にしない人だった」とあるので、その人物評が正しくて
それでいて五輪書なんて教本を書き残そうとしたとしたのなら、難しいことを言ったりガミガミ怒ったりしない、
人当たりがよくて面倒見もよい先生だったのかもね。
0644人間七七四年
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2019/04/22(月) 08:47:10.32ID:dfTz1tBj
武蔵の葬儀は熊本の泰勝寺という寺で執り行われているが
ここって細川家の菩提寺なんだよな

家臣でもない浪人者の葬儀を藩主菩提寺で行うことって割とあるのかな?
0645人間七七四年
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2019/04/22(月) 16:59:54.17ID:qyb8ipws
武蔵が浪人者というのはどうかな。
武蔵当人の身分はおいといて、武蔵の社会的地位は小笠原家筆頭家老、宮本伊織の養父だし。
小笠原家の当主、小笠原忠真は細川忠利の義理の兄弟で、当時の細川家の当主、光尚の伯父にあたる。
その小笠原家にとっての重要人物の伊織の養父だから、そら歓待もするだろうし、盛大に葬儀もあげて不思議でもないな。
0646人間七七四年
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2019/04/22(月) 19:01:14.72ID:cjec0O3U
武州伝来記の「一生福力ありて、金銀に乏しからず」ってのも
武蔵の後半生に限っていえば案外誇張ではなかったのかな?
0647人間七七四年
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2019/04/22(月) 19:57:03.82ID:qyb8ipws
養子たちは全員優秀だったしな…弟子も多くいた上にハイソサエティにも顔が利く…
これで貧乏して生活困ってたら逆に変だ。

伊織は島原の乱で加増されて四千石超えたけど、それまでにも二千石はあったし。
若くして殉死した三木之助も知行七百石貰ってた。
武蔵が世話になってたかどうかは不明だが、二代目三木之助の九郎太郎も恐らく七百石。
武蔵自身の収入も併せたら、まあ苦労のない生活はできただろうな。
0648人間七七四年
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2019/04/22(月) 20:09:24.46ID:BQJ5Ga8I
やっぱり悠々自適な生活なのか
昔よく言われていた仕官に失敗し失意の後半生ってのとはちょっと違う感じするな
0649人間七七四年
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2019/04/22(月) 20:49:31.25ID:qyb8ipws
仕官に失敗した失意の後半生を送った…というのは、元々悪意有りきの解釈だからね。
戦後の武蔵イメージが吉川英治の死後、こぞって吉川武蔵の作り出した偶像の武蔵を壊すため
殊更に武蔵は剣聖と呼べるような人間ではなかった、高名な割に評価は低かった……
みたいな方向で語られてたというのはある。

元々、吉川英治が描く武蔵も「強かったかもしれないが人格卑しく失敗者であった武蔵」という
直木三十五の武蔵非名人説に対する反論という意味合いがあったが、直木三十五のこれも
講談のヒーローであった武蔵の実像を暴いて失墜させるという目的があったわけで。

江戸時代でさえも武蔵については毀誉褒貶あった。
むしろこの評価の反復が長い間繰り返されて続いてきたということ自体が、
武蔵の特異さの証明かもだ。

ここ十五年くらいで武蔵の研究も色々と進んできた感じはあるけど、
最近の創作物がそれを反映しているかどうかは、ちょっとわからない。
趣味人で明るく楽しい武蔵を描いてるのは、漫画だと伊藤勢先生くらいしか自分は知らない。
0650人間七七四年
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2019/04/23(火) 18:04:39.19ID:FvOGqL8E
武蔵の人格なんて本当のところは解らないんだから、創作物ならば別に史実ベースでなくてもいいというのはある。
剣術にすべてをかけた求道者というのもありだし、狷介孤高で野望に溢れた天才剣士なのか。
これが史実だ、という風に断定しなければどっちでもいいと思う。
0651人間七七四年
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2019/04/23(火) 18:54:05.56ID:fatayY06
個人的には吉川や司馬等の先行作品に乗っかってるだけだったり受け売りの武蔵像は萎えるが
逆にそれ以外ならなんだってアリじゃないかなと
0652人間七七四年
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2019/04/24(水) 05:22:32.84ID:7mJrnEil
変な武蔵といえば『中年宮本武蔵』なんか、やや古い作品だけどなかなかすごかったよ。
あらゆる意味で空気読まなくて好き勝手に生きている迷惑親父で、伊織がそれに振り回されていると。
そして伊織は若い頃はその武蔵とホモセクシャルな関係があったという…
色々と無茶苦茶な話。後半がやや失速気味だったかな。
0653人間七七四年
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2019/07/10(水) 02:26:14.28ID:jHKFlTl3
宮本武蔵なんて実際の強さは幕末の志士たちと戦ったら2秒で斬り殺されるレベル
0654人間七七四年
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2019/07/19(金) 06:43:48.14ID:mFYUNZSf
一応、二天一流の使い手が幕末の切り合いに出た記録はある。
高木元右衛門という人物が池田屋事件で襲撃されて、とっさに脇差と短刀の二刀で切り抜けて新選組の方位を突破したそうだ。
0655人間七七四年
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2019/08/08(木) 19:00:53.96ID:LGmwoIXe
20世紀までは関ケ原で西軍として参戦してそのせいで仕官が進まず〜みたいなのがよくある武蔵像だった
2000年代以降に大坂の陣で水野家配下で参陣記録が見つかったり、信憑性はそれ程高くないにしろ関ケ原より黒田家配下で九州地方の参陣可能性も出てきた
晩年の来歴も東軍の名家を厚遇で転々としてるので、仕官は養子に任せて自分は悠々自適な楽隠居を満喫してる21世紀盤武蔵像が出来つつある
0656人間七七四年
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2019/08/10(土) 15:16:02.98ID:cbU790Vy
細川家が自らの菩提寺で盛大に葬儀を行ったのも失意の人生を生きた武蔵へのせめてもの同情みたいなこと言ってるのがいたが
なんてことはない、名士である客分にふさわしい待遇を行ったってだけなんだよな
0657人間七七四年
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2019/08/11(日) 03:42:26.38ID:yH+BVuY5
武蔵の葬儀は、細川光尚の母親が小笠原忠政の娘だからってのはあるだろうね。
伊織が小笠原家筆頭家老だったわけだし、武蔵の厚遇は、やはりそちらから考えた方が通りがいいと思う。

例の武蔵が島原の乱で石ぶつけられたということが書かれた書状も、
有馬直純からの呼び出しへの断りのものだったし、
しかもその書状、有馬家の戦功の証拠として保存されていたというからな。
それを考えれば、武蔵は大名家にとって信頼できる証言できる人物であったということなんだろう。
0658人間七七四年
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2019/08/14(水) 15:59:48.64ID:r1L8K3rG
武蔵とあわせて、武蔵の流派である二天一流や円明流のイメージの更新もした方がいいかもね。
昔は時代小説などでも武蔵の死後すぐ廃れたみたいに言われてたけど、今も普通に伝承されているし
結構各地に伝播していたりするし。
0659人間七七四年
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2019/08/18(日) 15:17:02.48ID:Ae47HUpZ
宮本武蔵の美作出生説、当時は宮本村なかったけどそれを承知しつつまだ主張している人がいるんだよなあ…。
0661人間七七四年
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2019/08/19(月) 12:50:07.84ID:gM+/XcRu
一応、武蔵の生前からあの地方が宮本と呼ばれていたという史料はあったと思うけど、そこに村があったかは別の話だからなあ。
0662人間七七四年
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2019/08/21(水) 12:15:59.28ID:8m4Vrs6u
>>658
二刀流は怪力の武蔵しか使えなかったみたいな変なイメージすらあるね
武蔵が生まれる以前からあるっていうのに
0663人間七七四年
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2019/08/21(水) 20:26:53.99ID:2aeQueTb
>>662
まー、なんで武蔵以前に二刀流をメインに据えた流派がでてこなかったのか、という疑問からそういう結論になるのはわからないでもない。
あと昔は、武蔵流はそんなに広まらなかったって考えられていたしね。
二刀流がそんなに強いのならばみんなやっていたはずだ、というのも、シンプルではあるが説得力がある話だとは思うよ。

ここらは多分、刀剣史とか服飾史も含めて考えないとあかん領分なんだと思う。
0664人間七七四年
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2019/08/22(木) 09:03:02.80ID:OZuYiOZj
武蔵は強いから二刀流にしたんだっけ?
0665人間七七四年
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2019/08/22(木) 15:08:59.33ID:mSyACOrB
単純に、武蔵が家を嗣いだ新免無二の家が二刀多めに含む十手術の家だったからじゃないかね。
十手は腰に常用するものではいから二刀の流派にした、だから武蔵が二刀兵法の開祖である…と、小倉碑文にはある。

武蔵以前に二刀流がメインになる流派がでてこなかった理由は、現状では推論するしかないが、剣術ができた頃の武士は二本差ししてなかったからじゃないかな。
恐らく武術はその文化圏の社会背景だとか風俗が関係して生まれるのだと思う。
二本差ししてないのなら、刀を二本持つのが前提の二刀流が生まれる理由は薄い。
刀の二本差しが常態になったのがいつ頃かは明確には解らないが、戦場には刀を複数持ち込むことが多かったので、それが日常化したんじゃないかな。
脇差は腰刀が長大化したものだという話も聞くけど。
0666人間七七四年
垢版 |
2019/08/22(木) 19:07:26.97ID:mSyACOrB
二刀流が強いか弱いかは人それぞれだと思うけど、武蔵が熊本に滞在したのは五年で、その短期間で流派が定着して、それなりに隆盛して今も継承されているからには二天一流はなんだかんだと優秀な流派だったんだろうね。
0667人間七七四年
垢版 |
2019/08/23(金) 21:24:07.28ID:idApuWuR
しかしこのスレ、13年たつのにまだ600台か…宮本武蔵なんて有名な剣豪の割に、スレなかなか埋まらないなあ。
0668人間七七四年
垢版 |
2019/08/25(日) 09:11:43.19ID:WcAqQBmI
西遊雑記の巌流島の記述と沼田家記の記述は類似しているから、多分、ソースは同一だと思うが
そうすると沼田家記の記述の元になるような事実、あるいは伝承は細川家の転封の前からずっと下関近辺に残っていたってことになんのかな?
火のないところに煙は立たないというが、世間の噂が火のない所に湧いて出ることもあるので即事実であるとも限らないけれど、武蔵はその後、小倉で棲んでいたはずだな。
さぞ、居心地が悪かったろうなあ。
0669人間七七四年
垢版 |
2019/08/25(日) 15:04:02.04ID:WcAqQBmI
割と誤解されるているところであるけど、沼田家記での武蔵は、一度小次郎に勝ち、その後で弟子たちが殺したことになっている。
弟子たちと一緒に殺したというような話は、西遊雑記などからだな。武芸小伝もかね。
沼田家記は、元々沼田家の手柄話が書かれたものであるというが、巌流島の決闘の他の記述をネットでみたことがないからなあ。
武蔵を護衛して木下家にまで送り届けたのがこの場合の沼田家の手柄になるのだけど、恐らく武蔵はそのために一度勝つ必要があったと思われる。
つまり、武蔵は決闘の正統な勝者であるから、それで強者であることは証明され、その武蔵も小次郎の弟子たちに狙われると立ち行かない。
その武蔵の護衛をした沼田家の者は、武蔵より上ということに必然となるということだ。
そう考えると、このエピソードは元々は西遊雑記と同様に小次郎を武蔵は弟子たちと一緒に殺した話だったのかもしれない。
それを手柄話として改変してこの形にしたのかもね。
武蔵が一度勝ってから、さらにその弟子がとどめを刺すっていうのはよく考えたら意味がわからん行動だしね。
沼田家の手柄話とするためには、武蔵には強者であってほしかったし、護衛する必要性があったから弟子に殺させるという、逃走の理由を残したのかもしれない。
しれない、しれないばかりだけど、まあ、こういう解釈もできる…くらいの話。
0670人間七七四年
垢版 |
2019/08/25(日) 15:29:04.37ID:WcAqQBmI
ただ、沼田家記のこの記述については、元々の伝承の改変があったかどうかは別にしても、地名は怪しいし、日付も書いてないし、泊神社の棟札を信じるのならば死んだはずの無二が存在していることになる。
無二の生死に関しては伊織の勘違いであるとして処理するとして、他の二つに関してはよくわからない。
やはり後世に伝承を元にして創作したのだと思う。
武蔵の死後30年以内という、比較的近い時期に成立した文書だからその分の信頼性は高いと考えたいけども、それなのに地名からして胡乱ということはやはりみながいうほどそのまま信頼できるかどうかはやはり怪しいんじゃないかな。
ただ、西遊雑記とソースが同じであるとしたら、細川家転封以前から小倉、下関にはそういう伝承があったということの証明にはなるけど。

あとこれはもしかしたら無関係かもしれんのだけど、沼田家記がまとめられた寛文十二年頃の熊本、なんかあったかなと二天一流関係の話漁ってたら、このくらいの時期に新免弁助が活躍してたんだな。
正確な時期はわからないけど、この頃、武蔵の再来と言われた弁助の登場によって二天一流はかなり勢力を伸ばしたそうだ。
もしかしたら、もしかしたら、沼田家記のこの記述は、今をときめく二天一流だって、その開祖も集団でかかられると逃げるしかなく、自分の先祖はその護衛したった…所詮、個人の兵法者の武勇なんてたかが知れたものだ…
という意図があって、伝承を元に書かれたのかもしれない。

あとこれは、本当にただの思いつきで、なんら証拠はないけど、西遊雑記の古川古松軒は、肥後にまできているんだよなあ…。
その時に沼田家記の話を拾って、創作したという可能性は…多分、ないだろうけど。
何かしら後でまとめる時に下関の話と勘違いしたとかーー
いや、単なる思いつきでしかないんだが。
0671人間七七四年
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2019/08/28(水) 09:33:28.47ID:2J9DCfda
>>130
今更十年も前のにレスつけるのはどうかと思うが、小倉碑文見るとキツキツだから、書かなくていいことは書かなかったんじゃないかな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E7%A2%91%E6%96%87

碑文は武蔵を顕彰するためのものだから、無二の情報なんか文字数入らないのならできるだけ省くと思う。
あと、沼田家記が書かれた頃には、無二周辺の情報がなくなってたとしても、別に不思議ではない。
武蔵の死後30年たってるしね。
正確な情報もなくなってたのだろう。
0672人間七七四年
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2019/08/28(水) 23:27:44.19ID:isgCIm7K
西洋東洋を問わず二刀流は常人以上の握力と腕力が必要不可欠な時点でマイナーな宿命からは逃れられない
0673人間七七四年
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2019/08/29(木) 03:08:21.29ID:J+QdniLT
>>672
そう思うのは無理もない話であるが、江戸時代の武蔵関連流派の分布の仕方とか考えると、特殊な条件が必要な技術とするのは資料と整合しない。
二天一流なんかは熊本で主流な流派として伝承され続けたし、武蔵の弟子が一人移動するだけで根付いたりもするし。
刀なんて片手で持てるものをあつらえればよいだけの話で、そういうのはむしろ多かった。
二刀流がマイナーなのは確かだけども、中国武術では双剣や双刀はむしろかなり多い。
東南アジア武術でもかなりある。
何かしらの条件があるんだろう。
0674人間七七四年
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2019/08/29(木) 03:18:50.83ID:J+QdniLT
ヒストリカルではないが、甲冑競技をしている人たちは普通に双剣や二刀を使う人たちはいるが、格別に腕力が必要でないのは確認している。
0675人間七七四年
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2019/08/29(木) 23:35:06.95ID:J+QdniLT
元々、二刀流が難しいとか、弱いとかの言説は、宮本武蔵の流派が広まらなかったということを説明する「ための」ものという側面が強い。
昔は情報があまりなかったから、二天一流も武蔵以降は目立った名人がいないとかで形骸化したとか続かなかったとか時代小説家が適当吹いて、それが定着していったんだよなあ。

現実には全国展開する流派は江戸にあることが前提だし、武蔵関係流派は武蔵以降も続いてる流派は多いし、地元限定ではあるが名人の話もかなりある。
そもそも全国規模で有名になる名人というのが少数派だということが見落とされている。
0676人間七七四年
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2019/09/06(金) 23:36:21.11ID:zGinOuRg
二刀流は利き手でない腕の訓練が必要であり良くも悪くも人を選ぶ剣術。
ただ利き手の矯正は吃音の原因になったりと日常生活に支障を来す場合もあるから
やっぱり片手剣や両手剣に比べると主流にはなれない
0677人間七七四年
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2019/09/07(土) 00:29:45.66ID:ua/pvmmw
>>676
それだと、現実に二刀流が藩によっては大きな勢力になってたり、江戸時代を通じていたことの説明はできませんね…。
世界的には双剣や二刀流はいっぱいあるし、国によっては主流になっていたりする。
よもや日本人以外には利き腕がないってこともない。

両手をそれぞれ使う武術は日本でも珍しくないし、これは上にも書いたけど、二刀が難しいというのは、
「昔の小説家」が書いたような「二刀は広まらなかった」とか「武蔵の流派は絶えた」ということの『ため』
に創作されたもので、実際のところはそんなことはないので、まあ要するに前提が間違っている。
0678人間七七四年
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2019/09/12(木) 20:07:49.43ID:mnSJcCod
二刀流は利き腕じゃない腕の訓練が必要だから難しいとか言うが
素手の格闘技では打撃系でも組技系でも利き腕じゃない方の腕の鍛錬もするんだから難しいからとか日常で支障をきたすとか言い訳にならないだろ
ようはその武術武道流派で片手や利き腕じゃない方の腕の技術的な使い方のノウハウが有るか無いかってだけで
0679人間七七四年
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2019/09/13(金) 05:26:27.26ID:5KsoK931
二刀流が広まらなかったのは、ある程度の刃渡りを持つ刀剣がそれなりのお値段だったからのと
平時は1本差しの時代が長かったから。

また、ほとんどの道具(武器か日用品かは問わず)が片手か両手で1つずつ使うものだったため、片手に1つずつ刀剣をもって戦う技法は中々根づかなかった。
0680人間七七四年
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2019/09/13(金) 11:36:06.15ID:m5oOEEOB
刀の値段はよくわからないな。
武士以外の者もたいがい持ってたんだから、そんなに極端に高かったものでもないと思うけど。

二刀技法は念流の最初期からあったみたいだから、まあ二本差ししてないからメインにならなかった、程度の話だと思う。
二本差しになるまで念流ができてから200年近く経過しているはずだから、その間に蓄積された剣術メソッドをひっくり返して二刀から教えるってのは勇気がいったことなんじゃないかな。
どれだけ強かろうと、やはり人間、最初に習った技術、鍛錬を積んだ技術を信頼するものだからね。

武蔵流系統は多くが二刀から指導するけども、ああいう順番の変更は些細なようでいて、相当に革命的なことだったんじゃないかって気がする。
0681人間七七四年
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2019/09/13(金) 21:51:40.40ID:Jx0jieyZ
まあ何れにせよ二刀流は一刀と比較してマイナーなのは事実
江戸にある多くの流派は一刀だし幕末の内乱に二刀を用いる剣士は殆ど居ないしな
0682人間七七四年
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2019/09/14(土) 02:23:55.70ID:XZxdcXPn
二刀含むまでいれると、心形刀流、柳剛流、鏡心明智流なんかが江戸で有名な流派になるけどね。
柳剛流は心形刀流から出ているし、心形刀流の二刀は武蔵流…どうも江戸初期にあった青木家の鉄人二刀流からいれたらしい。
『二刀流を語る』によると、寛永以降の多くの流派の二刀技法は、鉄人流から入れたものが多いのではないかとある。
これもやはり、江戸に道場があるというのが大きいのだろうね。

明治の撃剣試合で有名を馳せた奥村左近太は、愛媛の田宮神剣流の高橋と試合して、二刀遣いに苦戦してから独自に二刀流を工夫したという。
これを奥村二刀流というが、田宮神剣流の二刀も江戸にあった鉄人流からいれたらしい。
佐賀の鉄人二刀流の達人、牟田文之助が愛媛の田宮神剣流と対戦して、ここの二刀は武蔵流だと証言している。

まあこれは一例だけど、他にも両剣時中流なども鉄人流系統らしいし、江戸にあるということはそれだけ影響力があったということだろうか。

江戸の青木家がどうなったのかは解らんけども、江戸初期の道場はほとんど残ってないことを考えれば、断絶していたとしても特に不思議でもないか。
確か熊本で山東派二天一流を継承した八代目青木規矩男が鉄人流の青木家の裔だという話もあったが、根拠になる資料は知らないな。
0683人間七七四年
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2019/09/14(土) 02:32:20.58ID:XZxdcXPn
幕末で二刀を使用した例は桜田門外の変の話が有名だけど、これは流派はわからない。

宮崎滔天の義理の兄貴にあたる、山東派二天一流の高木元右衛門が二刀で池田屋事件の際に近藤を突破して、新選組の包囲から抜けたという話があるか。
まあ蛤御門の変で死んでいるけど。

まあ考えれば、全国に何千とある流派で幕末で京都の動乱で活躍した流派はそんなに数はないし、その中で二刀遣いがなかったというのは確率的には仕方ないかもしれない。
肥後には二天一流伝わっていたし、もっと何かしら関わっていてもよかったのにな。
もしかして暗殺に二刀を使っているケースもあったかもしれんが、それはわからないからなあ。
0684人間七七四年
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2019/09/22(日) 06:20:55.01ID:8gjNK4Vl
幕末にどれだけの流派が存在していたのかは正確な数は解らないけど、剣術の数は江戸後期の防具の発明からの試合が盛んになってからだしね…。
その原動力になったのが江戸の直心影流と一刀流で、このふたつはたまたま一刀だけの流派だったんだけど、ここらの影響を受けて流派が創作されていったのならば、そら一刀しかないのが多いのも仕方がないかもしれない。

幕末に活躍した人間の流派も、ざっと思い出す限りだと神道無念流とか北辰一刀流とか直心影流、鏡心明智流…なんかの有名流派が多いような印象もある。
多分、もっとほかにもあるんだろうけど、やはり江戸で遊学してからきたって人間が多いと思うので、必然、江戸の流派になるんじゃないかな。
新選組で有名な天然理心流も、あれも近藤勇の前の世代では関東ではかなり有力な流派だったらしい。

やはり江戸になかったというのが、二天一流や他の武蔵流が活躍できなかった最大の理由なんだろうね。
肥後の武士もそれなり京都にきているはずだから、高木以外の使い手もいたんだろうけど。
幕末の志士には詳しくないけども、薩長土肥の中で、肥後ってなんか影薄いね…。
0686人間七七四年
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2019/09/22(日) 23:27:44.65ID:8gjNK4Vl
>>685
おっと、すげえ勘違いしてた!なんでこんな覚え間違えしてたのか…。
恥ずかしいぞ!
ご指摘ありがとうございます。
0687人間七七四年
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2019/09/22(日) 23:29:43.59ID:HZ2bpJC8
単純に両利きの鍛練が求められる二刀は習得の難易度が高いから流行らなかっただけだろ
ボクシングや空手といった素手ならまだしも利き手でない腕で道具を使うのは相応の訓練が必要
野球や卓球でサウスポーが有利と言われてもそうか
0688人間七七四年
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2019/09/22(日) 23:30:57.04ID:HZ2bpJC8
そう簡単にサウスポーになれるわけでないのと同じ
0689人間七七四年
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2019/09/23(月) 06:59:32.25ID:dSid3MCT
>>687
それについてはも少し上の方で重ね重ね指摘しているけども、それだと隆盛した地方が存在するのと整合しない。
そもそもからして、利き腕のあるなしに関わらず、たいていの格闘技も武術も両手をそれぞれ使うわけだし。
二刀双剣は東洋の武術としてはありふれている。
もっといえば、剣道でも両手で使うけど、両手をそれぞれ操作するのでね…。

文化発信のセンターになりえる江戸や京都で普及してなかったというのが、武蔵流の分布が偏っていた最大の理由だろうね。
0690人間七七四年
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2019/09/23(月) 17:47:15.82ID:dSid3MCT
しかし二刀流の話になると、「難しいから流行らなかった」というような持論?をスレをよく見ずに書き込んで去っていく人、でてくるね。
現実に隆盛してた地方があった以上は武蔵しかできなかった、難しくてできなかったというのは前提としても間違っているとわかろうものであるが。
0691人間七七四年
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2019/09/24(火) 12:29:10.34ID:p7u77M67
武家中心の都市である江戸で二刀流が隆盛しなかったことがその答え。
競争が激しい武術を教える道場の多くが一刀や体術が中心であまり二刀を扱わなかった
0692人間七七四年
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2019/09/24(火) 15:21:11.28ID:822FU99v
>>691
それを言い出せば、今も昔も武道で知られた熊本で二天一流が隆盛したことはどう説明したものか。
そもそも、江戸でも17世紀は武蔵の弟子筋の青木家の鉄人流が結構門人がいたらしい。
江戸は武家の町であるが、特に武張っていたのは元禄以前…17世紀までだね。
これも上で書いたけど、寛永年間以降に二刀を入れた流派はこの鉄人流の影響があるという。
この青木家が江戸からいなくなったのが18世紀の前半くらいらしいけど、当時は医学も未熟で、養子とか入れないと家が続かないしね。
それで養子をいれて家を存続させても、家の流儀が継承されていたわけでもない。
地方の大名に仕官したという説もあるしね。

4代家綱が剣術での他流試合を控えるようにしたせいで剣術が衰退したというから、それで見切りをつけて地方にいったのかもしれない。
この手のお触れはお膝元の江戸ならともかく、地方ではあんまり守られてなかったということも多いらしいが。
18世紀後半になると九州で武蔵流が流行っていたという証言が撃剣叢談にでてくる。
撃剣叢談の著者は岡山の人間で、西国中心に書いてるけど、江戸の記述も多いが、とりあえずは岡山に伝わる程度には武蔵流の隆盛は聞こえてたのだろう。
0693人間七七四年
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2019/09/24(火) 15:33:35.79ID:822FU99v
江戸の武蔵流というと、武蔵の最後の弟子とも言われてる柴任三左衛門が江戸で道場を開いて隆盛したけど、明暦の頃に地方に下っているね。
これは時期的に明暦の大火が関係しているんじゃないかって説もあるけど、はっきりとは解らない。
柴任は筑前に二天一流を伝え、気難しい人であったのか、幾つかの家に仕えては致仕を繰り返している。

まあこんな感じで、たまたま、江戸で定着する人がいなかったってだけだろうね。

尾張だとこの時期の少し後に新陰流が衰微し、円明流が隆盛してる。
これは柳生連也斎が厳しい人で、門人が逃げたからではないかって説もあるが…。
0694人間七七四年
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2019/09/25(水) 12:01:13.71ID:Z9/BnLQd
そういえば、なぜ武蔵流なんですかね
流派名って概ね苗字から取ることが多いと思うですけれど、俗称とはいえ言うなら宮本流じゃないのかと
それとも知識がないだけで自称の官名から名を取った流派ってあるんですかね
0695人間七七四年
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2019/09/25(水) 12:04:26.75ID:Z9/BnLQd
いや違うな間違えました、宮本も苗字じゃないから新免流になるはずか
0696人間七七四年
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2019/09/25(水) 16:39:04.16ID:DExalZgs
>>694
播磨龍野の円明流に伝わる文書の中には「宮本流」って書いたのもあったようですね。
確か『昔咄』には新免無二流と書いてたのもありましたか。
この手の流派の名前は割といい加減というか適当で、通称とか俗称が正式な名称になったりというか、流派の正式名称という考え方自体があったかどうかもよくわかんない。

姓名ではなく名とか号からとった例だと、新免無二の無二流、青木鉄人の鉄人流とかありますね。
この鉄人流も元々は円明流が世間では鉄人流と言われたかいうし、心形刀流の伊庭是水軒が学んだ武蔵流はこの鉄人流だという話もあるから、鉄人流も武蔵流とまとめられていたらしい。
多分、鉄人流の場合は円明流だったので武蔵流でまとめられていたけど、世間では鉄人の流派ということで鉄人流とも呼ばれていた、くらいのことだと思われる。

円明流も播磨で水野流居合を併せた系統は、「円水流」という、なんのひねりもない流派名にしたとか。
ここらの感覚は江戸時代も長いし、個人差はあると思うけど、割合と適当だった時期がかなりあるのではないかと思う。
0697人間七七四年
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2019/09/25(水) 18:36:26.06ID:Z9/BnLQd
>>696
お答えありがとうございます
今更ながら一心流とか卜伝流とかありましたね

何かネーミングに法則や慣習があるわけじゃなく、なんとなく決まってるものばかりなんですね
勉強になりました
0698人間七七四年
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2019/09/25(水) 19:35:44.82ID:DExalZgs
>>697
最近は、かなりうるさいようですけどね。
柳生新陰流は俗称で新陰流が正しい云々、野太刀自顕流が正しいとか薬丸自顕流こそが正式であるとかどうとか。
あそこらは団体の正統性を謳うための主張としての側面があるので、歴史的な経緯はおいといて、当人たちのいってることを殊更に否定する必要もないですが…。

先日に熊本の郷土史の本読んでると、二天一流の弟子筋が「天下一流宮本武蔵流」と呼ばれていたのがあるの見つけて大笑いしました。

ちなみに二天一流は、日天月天の二天を一つにした…日月陰陽の合一された完全で完璧なもの、くらいの意味なんだそうです。
これは元々の武蔵の流派である円明流の円明も完全なものという意味なので、意味的にはかぶりますね。
そして円明という字を重ねると、「明」を円…「○」で囲む…日月を一つにしている…ということではないか、とする説もありますね。
つまりは円明流という言葉を、より典雅に捻った形で呼んだのが二天一流ではないかって。

まあその宮本武蔵も、五輪書では二刀一流と書いてる箇所もあるんですが、これは表記ブレなのかなにか意味があるのかは解りません。
自分は表記ブレ説採ってるけど。特に根拠はない。
0699人間七七四年
垢版 |
2019/09/25(水) 20:41:04.57ID:WoZLxdt+
>>695
新免流だと時代的に新免無二のほうを連想する人もいて
それと区別する意味でも武蔵流なのかもね
0700人間七七四年
垢版 |
2019/09/25(水) 22:34:23.44ID:Z9/BnLQd
>>698
道場破りとかのイメージで看板持ってくという印象が強かったので
名前にうるさい印象を当時に対しても持ってました、ありがとうございます

>>699
新免無二流から意図的に違う流派であると印象づける必要があったってことなんですかね
0701人間七七四年
垢版 |
2019/09/26(木) 03:26:09.12ID:2PJoeyNx
新免無二も無二流とか無双流とか言われてたみたいだし、あそこらも適当感あるなあ。
よく言われる当理流は宮本無二斎とかを開祖とするけども、泊神社の棟札によるならば宮本を名乗りだしたのは武蔵の代からだから、後世の創作物だって説もある。
実際、熊本には当理流は宮本武蔵に宮本無二の流派を学んだ塩田松斎が創始したという石碑があるそうだ。
その当理流を伝書などから再現したのが塩田流であるとかなんとか。

>>700
名前については時代や人による差も有り得るので、一概には言えないというのが正解だとは思う。
道場破りは、ああいうのはいつの頃に形成されたイメージかは解らないけども、現実に存在したものかどうか。
江戸中期から後期にかけての廻国修行の記録を見るに、なんだか勝負に白黒つけない交流試合という感じだし。
誰それと試合して勝ったの負けたのというのはあるし、まったく勝負しなかったとも思えないけど。
ただ、江戸後期でも馬庭念流と千葉周作の対立の話とかあったみたいだし、なにかことあればメンツが関わって大事になってたと想像はできる。
近世の人間は今でいうヤンキーみたいなもので、メンツがまず大切だったから。
これが戦国の遺風が残ってた江戸初期だと、それこそ簡単に殺し合いに発展したかもしれない。
そういう時代に道場破りなどしてたら、命が幾つあっても足りなかっただろうね。
武蔵と吉岡の対立がまさにそうだったかもしれんけど。
0703人間七七四年
垢版 |
2019/09/26(木) 13:11:05.49ID:MJjno70E
まともに調査していない史料見てないヤツの言葉は軽すぎて反論にもならんな
0704人間七七四年
垢版 |
2019/09/26(木) 19:31:19.31ID:2PJoeyNx
>>702
まあ、地方の剣術には違いないですね。
これは武蔵が直接指導した場所や、直弟子がたまたま江戸にはほとんどいなかってだけのことでしかないけど。
武蔵が若い頃は西国の方が都会だったことと、小笠原家が九州移転とかしたのが主な原因だね。
しかし田舎の流派だったけども、心形刀流や柳剛流に二刀は受け継がれているし、武蔵流を入れた流派は他にもある。
大日本武徳会剣術形の審査員の中には武蔵流の三橋鑑一郎とかいるし、地味に剣道史に影響がある。
地方剣術としてはかなり面白い。
0705人間七七四年
垢版 |
2019/09/26(木) 23:07:43.79ID:h3n7Coya
二刀流のメリットってなんだろ?西洋剣術ではソードブレイカーのように
盾としての役割があったけど日本の剣術では盾の役割なんて聞かないけど
0706人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 00:15:25.64ID:ziBmGzKn
見栄えの良さが一番。逆手持ち同様にロマンがある
0707人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 10:08:18.88ID:0OEYvHVg
「剣道二刀流の技と理論」P187
この日本一の剣士と手合わせしてみた。私もかなり自信をもっていたのだが、
てんで歯がたたない。勝負をすると十本の中一本しかとれないし、
得意の遠間からのさし面も全く通じない。そんな時のこと、
子供を相手に二刀で遊んでいたりしていたのだが、試みに二刀で日本一と対戦してみた。
すると三本の中一本はとれる。はじめたばかりの二刀で日本一の剣士とほとんど対等に戦える。
そこで二刀に転向した。


相手のペースを崩せる変則の強みじゃね
仮想敵と違う動きってやっぱりイヤだし
0708人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 10:56:35.74ID:bm4/SOIz
>>705
月之抄だったと思うけど、十兵衛が柳生但馬守宗矩との問答で二刀について聞いてるけど、小太刀を盾のように使うと書いてたので、そのようにしていたんじゃないかな。
それに盾といっても、西洋の剣術でいうバックラーは攻撃にも使うし、小太刀なら盾にも攻撃にも使えるだろうね。
宗矩の言葉にはそこらの含意もあると思う。
あとやはり、普通に防御は硬くて手数も増えるというのもあるだろうね。

>>706
ロマンもあるよね。
普通に指導されている二刀には、ロマンもへったくれもないけど。
二天一流など地味にもほどがある。
ある会派がここ何十年かで動きを大きく派手にしたという批判があったので動画見たけど、それでも他の流派より普通に地味だったよ…。

>>707
柳生流なんかでは二刀対策はかなり確立されていたらしく、天狗抄には二本、対二刀の技があるみたいですね。
尾張は円明流と隣接していたので、お互い研究がよくされていたらしい。
元柳生流の円明流とか、元円明流の柳生流とかいて、今の尾張円明流は柳生に伝わる両刀からのものだそうな。
円明流の方でも昭和の終わりくらいまで伝承者いたみたいなんだけど、今はいない。もったいない。
0709人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 15:32:25.16ID:3A95AroI
天狗抄に対二刀の技があるのは慶長六年に石舟斎が金春七郎宛に出した伝書と変わらんような
疋田なんかは新陰流としてではなく奥山念阿弥陀仏由来の「小太刀虎乱の目録」として
二刀剣術の伝書出してたりする
疋田系統の新陰流としては「磯浪」の仮想敵が二刀に構えてるな

こういうの見ると二刀ってのはイメージ以上に広まってたことを実感させられるよ
0711人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 15:50:00.69ID:bm4/SOIz
>>709
補足どうも。
というか、紛らわしい書き方しました。天狗抄のあとで尾張のところは一行あけないと。

念流に近い、やはり古く歴史ある流派でもある堤宝山流にも二刀があるね。
以前にネットで見た二刀の歴史の論考では、堤宝山流ですでに二刀は完成していたように書いてたっけ。
ただ、この流派の二刀は鉄人流からいれたのではないかと『二刀流を語る』にはあった。
この流派自体の資料も江戸初期以前のものはないそうだけど…。

二刀そのものは武蔵以前からあったけど、二刀兵法の開祖…つまり、二刀を主体とした流派を作ったのは武蔵が最初、というのが小倉碑文の主張なんだろうね。
0713人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 16:07:43.57ID:bm4/SOIz
>>712
どうも。

そして、リンクありがとうございます。
この絵伝書は以前に別に見た記憶があるけど、ここで見れたのは知らなかったです。
ありがとうございます。

ではこちらからも。
あんまり興味もないかもだけど、このスレに来ている人ならば多分、嬉しいと思うから
https://heihouechigo.jimdo.com/
播磨武蔵研究会、再開するって。
以前に未掲載だった資料つきで。
0714人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 18:40:12.57ID:X4JITU3f
ほー!播磨武蔵研究会再開ですか!
これは嬉しい情報ですね ありがたい
0715人間七七四年
垢版 |
2019/09/27(金) 18:58:58.01ID:bm4/SOIz
>>714
どうも主宰者が完成させていた兵法先師伝記がネットで読めるかもって話で、ありがたい。
あれは書籍化してるものには現状ではほぼ一つしかないから、解説もつくとなるとなお素晴らしい。
0716天上天下唯我独尊
垢版 |
2019/09/29(日) 23:37:29.41ID:Hce4vw+G
てんぷらたぬき三日天下
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