>>568
無二関係の記載は幾つかあるけど、慶長六年正月中津より筑前江御打入之節諸給人分限帳には
新免無二に、「武州師父」とある。
これは武蔵先生の父という意味で、慶長六年というと武蔵は十八歳。いくらなんでも、その当時から武蔵が先生と呼ばれる凄い兵法者であったとは考えにくい。
というか、武州というのは筑前系二天一流の用語みたいね。
新免無二の名前がまずあって、そこに二天一流関係者が書き込んだ可能性はあるけども、この時点で写本が弄られているというのは間違いない。

現存の分限帳は転写を繰り返されて、明治になってまとめられたものだから仕方ないっていえば仕方ないんだけど…。