【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】
剣道は剣術から遠ざかって全く別物のスポーツになってるからね。 そら剣に命をかけたことがない奴が
弱ければ死ぬという世界で生きてきた奴に勝てるわけがない
プロの殺し屋と素人がやってどっちが勝つか?つー話だろ それに武蔵は身長182センチ以上で頑強な肉体で
片手で軽々と刀を振り回せる怪力の持ち主。
当時でもバケモノ的存在だっただろう。 人を殺したこともない自衛隊員チームと人を殺めたこともあるヤクザ屋さんチームに
鉄砲や銃剣を持たせて本気で殺し合いをさせれば、自衛隊員チームが勝つだろう。 『剣に命をかけたことがない奴』が剣道七段取れるわけがあるかww 剣道七段はその道ではほとんど最高位、八段は特別な試験を経て取得(昔NHKで特集で観たことがある)
「一の太刀」のような必殺の一撃を繰り出せるかどうかがその判定方法なんだそうだが、
おもしろかったよ
・・・・剣道七段、で横道にそれてしまった。 >>291
訓練が大事としか書いてないよマジで
剣が異常に長いのは意味ないっていうのは小次郎のこといってるのかと思ってワクワクしたりした 伊織が嘘つきというより、伊織は武蔵のことを正確に知らなかったと考えたほうがよい。 吉岡家断絶がウソなので碑文の細部が皆インチキに見える。 顕彰碑の内容なんて、事績については大仰に書くもんじゃないかね。
武蔵とひと悶着起こした会派が断絶しただけかもしれん。
まあ、実際の所はわからんけど、どっちかと言えば吉岡伝のほうが信用ならん
無理に勘ぐれば、染物屋やってる吉岡家が自分ところは剣術の吉岡家の親戚なんです…というのを主張したいから捏造したのかもしれん。
吉岡流が将軍家指南やってたのが本当なら、本家が無くなっても使える人間は結構いたかもな。 吉岡伝は全く信用できない。
けれども、後の時代まで吉岡一族の動向が他の史料でも確認できるので、
伊織が碑で述べてる完全に絶えたというのは誤り。
それとテレビや物書きが面白いから良く取り上げるが、
現在活躍中の染色家の吉岡氏は、
同じ吉岡姓で先祖の家業が染色であることから、可能性は0ではないが
一族に吉岡一門の子孫である言い伝えや系図などがある訳ではない。 まあ吉岡伝は後世の資料集積本で、登場する武蔵の素性も他の剣豪も他のぱくりくさいし、よほど武蔵にくい人間でなければあれは真面目に採用せんだろうw
後世の吉岡流というと吉岡加兵衛だっけ?昔咄に名前が出てくる。
武蔵と戦ったという吉岡家との関係はよく解らんな。原文読んでないがそこら書いてるんだっけか。
顕彰碑という性格も考えて、武蔵が吉岡家と勝負して大勝したというのはありだとして、
だけど吉岡家が断絶したというよりも道場を構えるのをやめてしまった…
程度のことを大げさに書いたのかもな。
新免無二と宮本無二之助との関係も疑おうと思えば疑える。
自分の感触からすればおおまかに小倉碑文や泊神社の奉納額は信用していいんじゃないかな。 二階堂流の流祖は松山主水だが、武蔵が逃げたって逸話はその高弟の村上吉之丞だな。
いつ頃の話かは不明だが、主水が道場で教えはじめたのはwiki見たら寛永九年とある。
村上が二階堂流を学んだとするならこれ以降となる。
この頃の武蔵は明石に在住していて養子の伊織が近習として小笠原忠真に仕えてた。
寛永九年は武蔵四十九歳で、家督も伊織が継いでいたと考えるのが妥当なところだと思う。
実質隠居してたようなもんだから、仕官を求めて武蔵が細川家に来るというのは考えにくい。
あくまで逸話とした方がいいと思う。
村上の子孫は武蔵の孫弟子の新免弁助に学んで村上派二天一流を創始したという。 松山主水の説話は、ほとんど妖術の類。
戦う時に宙に浮いていたと記してある江戸時代の文献もある。
武蔵でなく柳生但馬が、あれは剣術でなく妖術と対戦しなかったという文献もある。 レベルが違いすぎる武術家のやってることは、時に魔法のように見えるもの…らしい。
関口柔心の子孫がそういうこと言ってるな。
しかし松山主水は妖術師めいているのだが、死に方はあっけなかった…。 >武蔵でなく柳生但馬が、あれは剣術でなく妖術と対戦しなかったという文献もある。
文献もある、で済ますんじゃなくてその文献の名前も教えてくれよ。
中国温家宝首相は戦艦『武蔵』
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/4/46_2.html
戦艦大和慰霊碑は、沈没場所とは程遠い、徳之島犬田布岬にある。
それには重大な理由がある。
島の名前が示すように、この島は、「徳川の島」だった。
鹿児島でも、「徳」の付く姓は多い。徳地、徳留、徳、久徳・・・・・。
私の知る限り、全て「御庭番」だった。
天皇一族が敵地に入植する時、必ず辺境地から攻める。 >>462
ある流派の江戸期の伝書の一つ
活字にもなってない。
江戸中期以降のものだから、そういう伝説があったんだろう。 >>464
せめて何流かだけでも教えて欲しいもんだぜ。
武蔵や但馬はビッグネームだけあって、あちこちの逸話に引き合いに出されるとかありそうなことではある。
ありそうな話ではあるけど>>464みたいな書き方されると信じるべきかどうか困る。
もう少し手がかりというか詳細頼むよ。 >>466
464が眉唾とか脳内ソースかてのは別にして
流派の伝書の中身なんて口外したら破門らしいぜ。
ソースは、自称日置流印西派の爺さんに俺が言われたことだ。 活字にすらなってないのが400年残ってる時点で嘘だ
明治後でも100年後に書かれた本はフィクションだらけ
リアルタイムを知らない人が書くんだからあたりまえだけど >>467
古武術流派の伝書とか、昔は麩の裏あてとかに使われていたものだぜ…。
何せ当人以外にはなんら勝ちがないものだからな。一応先祖のものとして大切にしてる家もあったりするが。
最近はヤオフクのオークションなんかでよく出品されているよ。
先々月だったか、幕末で二刀流の達人のものと思しき伝書が売りに出されていると聞いた。
流派によるが五千円から十数万くらいまで上がることがあるよ。 もし剣術家の吉岡が健在で、武蔵はそいつらにボロ負けして逃走したのが本当だとしたら、伊織が顕彰碑を建てた時に黙っていた筈がないと思うがな
碑文が建てられたのは武蔵が死んでから十年も経っていない頃。まだ当時の事件を知っている人間も多く居ただろう
吉岡勢の勝利を伝えるのは吉岡伝のみ。だから剣の吉岡は事実、何らかの形で敗れたか、それとも最初から存在していなかったのか、どっちかだろう 吉岡と武蔵の対決に関しては、どっちが勝ったの負けたの引き分けたのという話があって、どれが本当だかわからん。
吉岡伝以外にも武蔵が負けたと書いてるのはある。勿論、吉岡伝を元にして記述かもしれんが。
伊織はなんぼいうても小笠原家の筆頭家老で、仮にまるで大嘘だったにしても、京都で染物屋なり剣客なりしていたというのでは文句のつけられなかったかもしれんが。
ただ、吉岡家の人間が禁裏で大騒ぎやらかしたって話はあるから、武蔵によって吉岡家が断絶したってのはないと思う。 別に吉岡じゃなくても、伊織の書いた内容が大嘘だったら「あんなもん大嘘」って書いた文献か、もしくは事実を符合させるものが出てるはずで、こんな論争になってないよね
公人の書いたものだけに、事実に反した事書いてたら後世の我々にはすぐバレるよ。それこそ、吉岡は実は断絶していなかった、みたいにさ
まあ後の吉岡と武蔵の戦った吉岡が同じ家である保証もないのだが……仮に同じ筋であっても本家分家の関係かもしれんし
これだけ逸話がある以上は間違いなく何がしかの関係があったと思うけども 武蔵と吉岡の関係はどういうものであったにせよ、伊織が書き残すくらいだから何かあったんだろうね。
武蔵に敗れたという吉岡清十郎は吉岡直綱でない可能性は確かにある。
一族で剣術やってて、たまたま兄弟で強い吉岡が幾つもあったのかもしれん。
顕彰碑だから誇張はあるにしても、まったくの嘘であるとは考えにくい。
まあ伊織の遺した史料については泊神社のとか、こっちもなかなか難題だったりする。
天正年間に嗣子なくして死んだ新免無二と、慶長年間に伝書を発行している当理流の宮本無二之助。
そして細川家で慶長年間に剣術を教えていたという無二の関係とか。
綿谷雪先生は、考証武芸者列伝で無二が嗣子なくして死んだと書いてあることについて、伊織は武蔵のことをあまりよく知らなかったのではないかと書いている。 筑前で天正年間に死んだ新免無二の後を継いで武蔵が新免を名乗ることになったのだとしたら、
宮本無二之助は武蔵と無関係の人物になるのだが、よく解らんな。
武蔵研究サイトでは、当理流の無二之助は後から捏造された人物ということにしている。 >武蔵に敗れたという吉岡清十郎は吉岡直綱でない可能性は確かにある。
一族で剣術やってて、たまたま兄弟で強い吉岡が幾つもあったのかもしれん。
現状で一番説明がつくのは案外、この説かもな
端っから武蔵の作り話だとして落とすのは簡単だが、それじゃ思考停止だし、何より碑文をはじめとした数ある史料の存在の説明がつかん
いくら武蔵が伝説的人物だとはいえ。
元となる事実なしにここまで発展した逸話になったとは思えん そもそもを言い出すとアレだが、吉岡憲法って武蔵に敗れたという話と一族が禁中能か何かで暴れたということくらいしかしらんw
吉岡染めとかはあるけどあれは後世のものだしな。
実際の吉岡流からして元がなに流からとかワカンネー。
史料によっては神道流から出ているという説もある。
武蔵以上に謎が多い気がするぞw >>468
確かに二天記も兵法先師伝記も巌流島から百数十年たった文書だからフィクションだらけ。
>>476
吉岡の作った「憲法染の掻取」が、江戸の武士の間で正装として扱われるようになったのは
安いってのもあるが、吉岡家が剣術家であったことも理由のひとつだよ
>>477
二天記はそもそも親の書いてた武公伝を底本にしているけどなw
吉岡家については興味はあるが資料をあまり聞かないな…
吉岡染めについて、どういう評価とかされてるの?
>>433
肖像画残ってンじゃん
あれ顔知らない人が想像で書いたんか? 近代文学の中で、宮本武蔵がはじめて登場したのは、恐らく森鴎外の『阿部一族』(大正2年1月「中央公論」)であろう。結末に近いところ、阿部一族の討手に加えられた大兵の臆病者、畑十太夫を武蔵が見て声をかける場面のほんの数行である。 >>480
武蔵研究サイトの人らがいうには、後期のほど武蔵の顔が怖く書かれているらしいぞw 武蔵研究サイトがいうことが必ずしも正しい訳ではない。
少なくとも他説を小馬鹿にした言動が目的に成っている部分が見受けられる。
過去の根拠がない説を非難する中に、根拠がない自説を挿入してある。
ウィキで見たけど武蔵って卑怯者じゃん
小次郎との決闘で弟子連れてくるし、カスじゃん。男なら約束守れよ
つーことで小次郎リスペクトします。武蔵は卑怯者です >>485
あの研究サイトにある根拠のない自説か…あそこはデータが膨大な上に読みにくいものだから、何処に何があるか把握しきれねえw
他説を小馬鹿にした言動が目的に、というのは同意だw 他説を小馬鹿にすることが目的って、具体的にどこよ?
引用してみてよ。 小馬鹿にするのが目的というのは言いすぎだな。
言い方が小馬鹿にしているように見受けられる…というのは、印象としてはあるな。
多分座談会とか読んだ印象なんだとは思うが。
あそこのデータはなんだかんだと豊富なのでありがたい。 モダンミステリースクールとかいうインチキカルトいわく、宮本武蔵はそこの信者だったらしいんだけど、本当か? >>490
城攻めに際して、本丸に直接向かった小笠原家の軍の旗本一番隊にいたらしい。
まあかなりの最前線。
有馬直純宛武蔵書状で投石でどうこうとあるのは有名だけど、どういう風に当てられたとかは確か書いてない。
激戦区であることを考えると、まあ石ぶつけられててもなんら不思議ではない。
書状は互いの戦功を慶びつつ、有馬直純が会いたいというのを断ったっつー内容だな。
面会を断ったのは有馬家と水野家の戦功争いに巻き込まれたくなかったからではないかって意見もあるが、これはちょっと穿ち過ぎじゃないかね。よくわからんが。 塚原ト伝だって矢傷は受けてるし、最前線に出たら無傷というわけにはいかないだろうね 別に一人で突っ込んだわけでもないしなあ。
基本、護衛だし。 「禅の思想と剣術」という大学教授が書いたわりとまじめな本の中で
ネット上で武蔵の資料を見る手段として播磨武蔵研究会を推薦してて驚いた 実際、武蔵研究としてはあそこが一番進んでるんじゃないの?
舌鋒鋭く他説の批判をしてるから反感も買いやすいかもしれないけど 少なくとも原文と資料を同時に提示・比較してるから
筆者の主観だけでなく読者にも判断できるようになってるところはフェアだと思うけどね
ここら辺は紙面に制限のないネットの強みだな ただの一読者ですよ
それより、主観による決め付けって例えばどういうところを読んでそう思ったの? ずっと準備中のページがいくつかあるけど、もう中の人いないのかな >>500
サイトは攻撃的(というか偉そう)なとこが嫌でちょっとしか読んでないけど
ちゃんと資料を提示した上で批判してるのは偉いと思う 攻撃的といえば菊池寛と直木三十五の武蔵論争もどぎつい言葉の応酬だったな >>502
去年に中の人の一人が新潟の方で講演会したとかなんとか聞いたから、純粋に手間食ってるだけだろう。
更新日だけ見ると細かく更新しているから、修正作業とか日々忙しく動いてはいるみたい。
多分、中の人たちがかなり高齢なんで、なかなか準備がおわんないんだろう。
綿谷雪のアタマの具合とか証言できるっていうてたくらいだし、今七十は八十前後の人たちだと思う。 優れた主張というより、経済的に支えられた物量によって、優れたサイトであるかの印象を与えている。
まあ、物量に価値があるといえばそれまでだが。
あれだけの量だから、原文で間違っている所も多い。
ただ、あの主張内容だから、
単なる間違いでなく、わざと間違って、サイトからの引用を炙り出しているのかと疑ってしまう。
とにかく、性格が悪い。本当に勉強したいのなら、あのサイトは読まない方がいいというか
触れないほうがいいのというのが個人的感想。
毒が多すぎる。 そちらのサイトによると「疋田の新当流起請文はマユツバ」らしいんだが、
何か根拠はあるんですかね? これです。
http://www.geocities.jp/themusasi2de/bukou/b204.html
>しかも、かの疋田豊五郎が雲林院弥四郎入道(光秀)に提出した起請文なるものがあるそうだ。
そうすると、疋田豊五郎は雲林院光秀に新当流を学んだということになり、これはいささか眉に唾してかからざるをえない。 五輪書に書いてある一言一句の真の意味を
理解するのは容易じゃないな
容易じゃないってわかることがまた容易じゃない >>510
それがわかったってことは貴方も相当な人なんですね。 ウチの近所には武蔵野子孫と言うおじさんが居るぞ。
武蔵と千葉のお姫様の間に生まれた一人息子の子孫。証拠は何もないそうだが武蔵が愛用していたという包丁がある。
見せて貰ったがステンレス製なんだけど…まー刺激して怒らせても怖いから感動したフリしたけど。 >>514
元々赤松支流の新免武蔵守家の跡取りで
養子の伊織が二千石で仕官ということを考えると
身分的には二千石のご隠居スタートだしな
吉岡との戦いも門弟率いて
洛中で小規模な合戦を行って逃げ出すだし
若い頃から文化人かつ剣術家のお坊ちゃまだったんだろう
金に困っていたとは思えない >洛中で小規模な合戦を行って逃げ出すだし
これはどういう史料からわかりますか? >>517
ごめん。すぐには出せないけど門弟同士の諍いがエスカレートして
両方の手勢が弓矢とかまで持ち出す騒ぎになったとか、そんな話だった気がする
それでその時の洛外での大騒ぎが誇張されて
一人で吉岡一門ぶっ殺す後の流れに繋がるという流れ
どの資料だったかは、ちょっと調べ直してくる >養子の伊織が二千石で仕官ということを考えると
>身分的には二千石のご隠居スタートだしな
そりゃ武蔵が名を上げたから養子が二千石で仕官できるほどになった訳で
二千石のご隠居がスタート地点というのとはだいぶ開きがあると思う 剣を極めれば70人も切れると思えるけど
二刀流で移動しながら戦ったんだろう
間違っても囲まれないように戦ったはず
今の剣道みたいな動きでは絶対無理だろう 前にテレビで素人相手に4段の人が同時に何人相手にできるかやっていたが三、四人で終わった 原田芳雄主演の「浪人街(ガイ)」という映画を見ると、多人数vs一人というのがなんとなくわかるよ。
一人ぶった切ると周囲はビビッて中々手を出せなくなる。様子を伺いすぎて突出できない。そうこうしているとパッと
身を翻して木立の中→追いかけると振り向きざまぶった切り→繰り返し。
ナマクラになってもいいように刀は8本くらい身につけてて、結構考えてると思った。
面白いのが敵陣に突入するまえに横に居た若者に「おい○○!!……重いぞ;;」と吐露したシーン。
一番燃えたシーン邦画も捨てたモンじゃないっていう映画だったなw 誰か見てたら、吉岡が剣使わないで石投げて武蔵殺してたwwwww
って言われちゃう><
殺し合いならアリだけどねw変な見栄があると固執しちゃうんじゃない? 吉岡が70人がかりで武蔵殺してたwwwww
の時点で大概だから平気よ SEXずっとしてないから最近ちょっとそうなってきた。
危ないな俺も・・ 初めて内田吐夢の宮本武蔵(2作目)見てるけどバカボンドと同じような感じだね
それだけどっちも原作に忠実に作ってるのかな
原作読むべき?
宮本武蔵好きからすると吉川英治の「宮本武蔵」てどういう評価? 吉川武蔵の評価は…って、アレ読んでる武蔵好きっていまどきどんだけいるのかね。
自分は一応読んだけど、まあなんだかんだと面白かったような印象あるよ。長いので休み休みだったけど。
吉川英治の文章は小難しくなくて読みやすいのがいいね。
ただ、戦前の書評の中には
「新聞で読むと面白かったのに、まとめて読むと人物が一貫してないし行き当たりばったりな展開で、なんでこんなものを熱中して読んでたのかわからない」
みたいなのがあったと思う…ソースが思い出せないので、話半分に聞いてくれ。
高校時代の教師から、吉川英治作品では法然が一番評価が高いとかいうてたが…。
ただ、武蔵もののスタンダードというか、原形の一つではあるから、それを考えると読む価値はあるかもね。
魔界転生の最後の決闘なんかも吉川武蔵のパロディな部分があるし。
戦後の武蔵ものはお通や沢庵の存在を含めてここらから引っ張ってたりするし。
知ってるとくすっとなれるような感じ? 吉川英治の宮本武蔵は自分はすきだな
あと自分の剣の腕は生まれ持ってのものだった。って言う言葉を遺してるけど、あれは誇張ではなくてそういう脳の特性だと思う。
武蔵好きすぎて熊本の島田美術館と武蔵の墓最近行ってきたわ うん?武蔵が自分の剣の腕についてそんなこと書いてたっけ? 吉川のは強い武蔵と弱い又蔵を比較しているのが面白い要素だわな
逆に言えば他に特徴がない ttp://livedoor.blogimg.jp/mildch/imgs/2/0/20683162.jpg 神道・仏教から歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は【大日本帝国は生きている 武士道】です。
現代でも日本人の心に受け継がれている武士の魂…
日本刀とはまさに神が宿る神器とも言えるでしょう。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/