武芸小伝は1700年はじめの文献で武蔵死後六十年近くたってからの本だよ??
武蔵伝説の元ネタの一つ、1654年に宮本伊織が立てた小倉碑文だと、「兵法の達人、名は岩流」になってる。
小倉碑文だと殺した事になってるけど、兵法指南役とは書かれていない。
武蔵自身は岩流について何も書いてないしね。岩流が有名になったのは1700年代の歌舞伎の影響ってのが研究者の通説だよ。
佐々木姓も歌舞伎の創作だし。
吉岡家も清十郎に試合で重傷を負わせ、又七郎との試合では木刀を奪い打ち殺したと書かれてる。
吉岡とは真剣を使った勝負、とか岩流が真剣を使ったとかは書いてない。

沼田家記については、17世紀成立で小倉碑文よりは新しいけどそれなりに近い年代(武蔵死後三十年ちょっとらしいよね?)
まだ信じられるけど、これまた研究者から歴史的におかしいと疑問点がついてた部分があるはず。どこだったか忘れたけど。

そもそも江戸時代は創作を伝記に入れ込んだり、自分の先祖を良く見せようとしたりするのが普通だった点を理解しとかないと。