>>322
昨日みてきた。利休由来の茶器と信長の直筆見る気で行ったから、不意打ちをくらった。

鵜図は一気に描いている感じはある。絵師の下でかなり修練つまないと描けない感じ。
姫路にいた頃に習ったのかな。

沼田家記はかなり保存状態が良くて、数百年経過したものとは思えない。
藩の公式文書とはこういうものかと。

小次郎と武蔵の間には一対一という約定がまずあったのに
武蔵は数人弟子を連れてきて島に潜ませていたという記述があった。

そもそも当時の巌流島なんて砂州みたいなもんで数人来てたらバレバレ。
心理的動揺を誘ったんだろうなーと。
こういう騙まし討ち行為を非難する向きはあるけど、
対吉岡戦でも仮病使って清十郎ぶったおしてるって伝記もあるし
「むかつかす」「おびやかす」「うろめかす」のは武蔵のポリシーでもあるからね。

小次郎の弟子達に追われて武蔵が逃げ込んだのが門司城だったというだけで
門司城代は巌流島には来ていなかったようだよ。

立会人もいないし、島に小次郎側は本人しか来ていなかったわけで
沼田延元jは当然ながら、武蔵側にしか事情を聞けない。
実質、戦いの内容については武蔵側の主張しか残りようがないという所でしょうね。