本日の日経新聞朝刊40面(文化面)の「私の履歴書」細川護熙28回に、こう書いてあるよ。

巌流島で武蔵に木刀で打たれて小次郎は絶命したというのが通説だが、領主である細川家の記録には
小次郎は脳震盪を起こして気絶しただけで、その後蘇生したのを見た武蔵の弟子らがこれは大変だととどめを刺した、と。
武蔵に関する記録は細川家に残る記録が唯一の公文書である