【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】
>>135
碑文自体は別に新免家云々を書くものでなく、武蔵個人の業績を称える目的のものなんだから、
新免家について突っ込んだ記述をしてないのは別に不自然だとは思わんが。
棟札のほうは、「私はこういう出自ですよ」と伊織の生家の田原家、養子に入った新免家を書いているから、
「武蔵という人は、嗣子なく死んだ新免家に養子に入って継ぎ、私もその武蔵の養子となって宮本家を継いだんですよ」
と無二の死亡情報を書いた。
碑文のほうの一文は、「武蔵の二刀のもとは十手にあったんですよ」ということを書くのが目的で、
別に武蔵の家の情報を書くのは目的じゃないんだから「父の無二の家業を受けて研鑽して、悟ったんですよ」
とだけ書き、死亡情報は書かなかったと。
慶長日記自体には、無二=武蔵の養父とは書いてないでしょ?
時代が下ってからの平姓杉原氏御系図附言から推察して無二=武蔵の養父だってのは首肯しかねると。
それに宮本姓も、武蔵の代からだと棟札にはあるから、
「免許もあるよ」と言ってる割には宮本無二斎と書いてるのも疑問。 あ、それと、色々想像して云々なら、個人的に思うのは、巌流島はかなり本州寄りの島で、
豊前の人間が出張ってく場所と思えないってのがあるんだよね。
だから、俺としては巌流が豊前の人間だったっていうものよりも、
長府の人間だったとしてる伝説のほうに個人的には説得力を感じる。 >136
棟札(家系紹介)と碑文(個人紹介)の目的差から情報に相違が生じたのではないかとの説はわかった。そうかもしれない
ただし碑文は武蔵個人の紹介だけど
「父・新免、無二と号し、十手の家〜中略〜十手を改めて二刀の家と爲す。」
ここのとこは武蔵の属する新免家の紹介では?
棟札のほうは、おそらく、宮本村の平田武二と混同したのではないかと個人的には思っている。天正8年に死んでるって記録もあるそうだし、
いろいろ読んでるとどうも、宮本村に天正年間に無くなった武二と、慶長まで生きてた無二の二人がいるように思えるんだよな。
>慶長日記自体には、無二=武蔵の養父とは書いてないでしょ?
百歩譲って、養父と確認はできないし新免ではないかもしれんが、それでも武蔵の生きている当時、慶長年間、豊後・日出城主に剣術を指南している「無二」なる武道家が豊後に居たという証拠にはなるよな。
だから、もしも棟札どおり武蔵の養父が死んでいたとて「沼田家記」の
「道を致警護無別条豊後へ送届武蔵無二斎と申者に相渡申候由に御座候」
これが誤りとはいえない。
つまり(親かどうかはわからんが)武蔵を警護して、(慶長日記にある)豊後の「無二斎」なる武道家のとこまで送ったってことだからね。
棟札は「沼田家記」を否定しないし、慶長日記は「沼田家記」の信頼性を上げている。
まあそうすると「平姓杉原氏御系図附言」のほうは、無二って名前から類推して「剣術は宮本無二斎の流派を伝たまふ」と書いたってことだな。
…ところで気になるのだけど、沼田家記、ネット上検索すると
1、「道を致警護無別条豊後へ送届武蔵無二斎と申者に相渡申候由に御座候」
2、「道を致警護無別条豊後へ送届武蔵親無二斎と申者に相渡申候由に御座候」
この2バージョンあるね。どっちが正しいんだろう。
もし1が正しいのであれば矛盾はない。
2であっても、身元引受人の武道家「無二」を沼田側が勝手に親だと勘違いしただけと解釈もできる。
沼田延元の慶長時代の手記を沼田家記に編集するときに「親」と足したのかもしれんよね。
なんせ編集時にはもう「小倉碑文」経由で武蔵の親は無二っていう情報があるんだから。
>長府の人間だったとしてる伝説のほうに個人的には説得力を感じる。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&layer=&ie=UTF8&z=14&ll=33.934815,130.933428&spn=0.030194,0.086517
なるほど、昔と今で地形変わっているかもしれんけど、
門司側から1km余だけど、彦島側からなら300mくらいか。
確かにここの海流がはやければ門司側から渡るのは面倒そうだな。
>137
>139
距離の問題ではなく海流、逆らえば少しの距離でも必死だし、乗れば長距離も楽
下関近辺は海流が一日に数回変わる
海流の状態が良ければ小倉からでも比較的楽に彦島&巌流島に行ける
武蔵が巌流島から門司へ逃げる場合も同様
それから今の巌流島は埋め立てで当時の数倍の面積になっているから今の地図
をみても参考にしかならん 小倉碑文にツッコミ。
二刀兵法の元祖と為るなり。
=>ウソばっか
十手の利は一刀に倍すること甚だ以て夥しきを灼知す。
=>五輪書と矛盾するだろ。伊織は理解してないのか。
…伊織、武蔵と生前ちゃんと会話してるか?
ウソかホントかわからんテキトーな昔の自慢話ばっか聞かされた系だろ。
或ひは真剣を飛ばし、或ひは木戟を投げ、北る者、走る者、逃避する能はず。
=>当理流には手裏剣技あるからわからんでもないけどさ
其の勢、恰も強弩を発するが如し。百発百中、養由も斯れに踰ゆる無し。
=>荒唐無稽の創作しすぎ
新当流有馬喜兵衛なる者
大力量の兵術の人、秋山
=>ふたつとも他に史料がないヨタ話。
扶桑第一の兵術、吉岡なる者有り。
=>吉岡側にも吉岡伝があるから本当に試合はしたんだろうな。
でも相互に相手の記述が同レベルのウソっぽさ。
「清十郎」「伝七郎」「又七郎」どこの誰だよそれ
「松平忠直の家臣・奥羽の無敵流・宮本武蔵」どこの誰だよそれ
吉岡伝を荒唐無稽っつー奴がいるが碑文も五十歩百歩。両方とも身内ぼめだしな。
まあどっちが勝ったかわかったもんじゃないな。
洛外下り松の百人相手はありえない。他の史料にないし、荒唐無稽な創作だろ。
吉岡滅んでないし。
新免無二をして日下無双兵法術者の号を賜ふ。
=>そんな記録ほかにあるのか?
爰に兵術の達人、岩流と名のる有り。
=>小倉・引島近辺に伝承もあるし、沼田家記もあるからまあ決闘はしたし勝ったんだろ。
でもなぜ碑文以外の伝承・記録は武蔵卑怯者なんだろうね。
事実細川藩はその後師範としてないし、よっぽどひでー決闘だったんだろうよ。
勝てばいいという系ってなら…「五輪書」とは矛盾しないけどね。
あれか、要は地元の武蔵卑怯者伝説を消したいから碑文立てたのか。
十三より壮年迄、兵術勝負六十余場、一つも勝たざる無し。
=>証拠のない妄言。つうか自慢話を真に受けすぎだって伊織。
且つ定めて云く、敵の眉八字の間を打たざれば勝ちを取らずと。毎に其の的を違はず。
=>五輪書にそんな事書いてないよ。
>103
あそこはかなり海流があるから距離だけじゃ計れない
それなりの広さがあって逃げにくく、他人の迷惑のかからない場所ならどこでも良かったのでは
>>142
吉岡道場って滅んでないのか、あんなにボコボコにされたのに。
バカボンド読んだだけだけど。 歴史認識でいったら
吉川もろくなもんじゃねーだろ
勝手にストーカー女足すし。 >137
>139
幅1.5`bの海峡で本州寄りったってせいぜい数百メートルじゃん
これが10`bも差があるなら137にも説得力があるんだが バガボンド面白いじゃん
絵ばかりで10分で1巻終わるがw バガボンドに又七郎はいないんだね、つか植田って誰だよ。
>142
新当流有馬喜兵衛なる者
大力量の兵術の人、秋山
=>ふたつとも他に史料がないヨタ話。
五輪書にあるが バガボンド→○
バカボンド→×
剣だけで生きた武蔵が、晩年になると書などだけとは…。
仮説だが、本当の武蔵は肥後に入る前に既に亡くなってて、別人が入れ替わったかも? バガボンドの小次郎
かわゆい
(*´Д`)ハァハァ _ ,. - '' "~ ~’ ー- 、
. ,. ´ _,, . -‐ '' ~ ニニ= 、
/ ,r'" _ ,. -‐ '" ヽ. うぐぅ
,' /,- '~/ 、 ; . ヽ.ヽ.ヽ
. { i { {./ / ノ'i .i ! }i !i }. }i. }
} /^{. {r 'ソ_ }.ノ }ノ },ノ_}ノ,ノ i}ノ 兵仗弓箭で武装した
. / .ノi (.ヽ ヽ O O }V {. 数百人の武人集団と
, ー-{ {. {`i-'ヽ. ヽ.o o ノ、._ \ 闘って生き残るのも
\_ ヽゝ_ヽ.ヽ_.ヽ. ヽ./ ̄~`i' ̄\i /`;ノ 奇跡だよね。
> {イiニ=. `_/ i^ ) (^i h-'}.
く__ ゝ ` [^` ー -‐']'` ー '〈 /
~) ヽ. ,.i` ー -‐ フ[.` ー ' .!
"ー‐e〉ヽ._ /oi /
. { ` ー -‐ ' o ` ー 'i、
. 〉、 ,、. ` ー- , ★★★ああ残忍!戦時中、アジアで最も嫌われたのは朝鮮人だった!★★★
■ある医師の述懐 『キヤンガン、山下将軍降伏の地』
フィリピン人「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」
http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html
■当時の中国人が描いた漫画 「日本の軍旗を振り回す朝鮮人が中国人を殺す!」
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/40000/39250.jpg
■中国人 謝永光著 『日本軍は香港で何をしたか』
(朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。 五輪の書って
最初オリンピックの公式ブックかなんかの本だと思ってた Wikiみたけど実在した武蔵が又八のキャラに思えてきた…。
卑怯すぎる 武蔵は刀の切先三寸の所で見切れたと云うが、本当であれば神業だ! 「むさし」より「たけぞう」のがかっこいいと思った。 「武蔵」より「無三四」のが納得いくと思った。
「新免無二」の子だけに。 弟子の過大広告が酷いんだよな
本多や細川に厚遇されたり弟子がたくさんいるんだから
武蔵本人は真面目な人だったと思ってる まあ、武蔵は人気も知名度も高いし資料も結構残ってるからよく槍玉に挙げられるが、
実際は剣豪の逸話って胡散臭い話ばっかりだからな。
武将にしてもそうだけど、弟子が師を少しでも大きく見せようとするのはごく普通の話。
弟子の記述をそのまま鵜呑みにするのは(・A・)イクナイ!
兵法家に対する現代人のイメージが美化されすぎてるってのもあるが。 ここにきてみたら武蔵のスレなのに評判悪くてなんだかなw しかしなんだな、イチロー見てると宮本武蔵ってホントに居たんだな〜と思う。
ぬるいカップラーメンをすすりながら。
「武士はくわねど高楊枝」よ。 資料が少なかったら評価はもっと良かったんじゃないか?
歴史系のやつらって捻くれてる人大杉。 つか、吉川の小説が史実と思われているのが問題。
吉川にあわせてあとづけ史跡すら捏造されている。 潰してないから。
潰したと言い張っているのは、弟子連中だけ。
吉岡武蔵戦は史料によって差がある
吉岡伝では引き分けと武蔵の不戦敗の2戦
古老茶話では引き分け。
本朝武芸小伝も引き分け
宮本伊織の碑文だけが、自分の養父が3戦全勝で吉岡を滅亡させたと書いている。
二天一流の伝記は所詮碑文を元にしているだけ
しかも肥後と筑前で内容が全然違うので信憑性がない 槍に刀で勝つにはかなりの腕の差がいると聞くが、
武蔵と胤舜の間にそこまでの差があると思えん
刀においての対槍の戦術というものがあるんだろうか 武蔵最強なり!俺はブルース・リーと同じくらい大好きです。 >>185
剣道経験者なんだけど、剣道の知り合いで薙刀と対戦した経験がある人がいる。
槍と薙刀じゃ、ちょっと違うのかもしれないけど、
その人曰く
『基本的に薙刀のほうがリーチが長いから、遠い間合いだとこっちが不利。
だから、セオリーとしては相手の長いリーチを逆手にとって相手の懐に
飛び込むしかないけど、相手も自分よりリーチの短い相手に懐に飛び込まれたら
厄介なのを知ってるから、足を使って近寄らせないようにしてる』
とのこと。
試合結果は、薙刀の圧勝だったらしい。
現代剣道には、薙刀にある腰から下を攻撃する技(要は脛打ちのこと)がないし、
こじり(薙刀の柄の先)で攻撃する技も無いから、
剣道人では競技薙刀相手には基本的に不利みたいだね。
槍も、刀よりはリーチが長いから対薙刀の場合と同じことがいえると思われる。
二天一流は普通の剣道とかわらんね 戦国の剣とは違うな 甲冑つけた不特定多数相手の戦いではなく1対1の決闘に根ざしているものだ 武蔵って島原の乱でも全く活躍出来なかったじゃん
敵の投石で足負傷だっけ? >>189 レス感謝
後でフェンシングスレで見たんだが、基本的に突くオンリーの武器の使い手は
たいてい同じクラスの剣術者に勝てるんだが達人同士になると突きを見切れるから
なすすべがなくなるらしい 工芸の才能があったらしいが当時どのようにして出展したんだろう? 『世界一受けたい授業!! 一億人の国語算数理科社会(秘)期末テストSP
"日本史リフォーマー"の河合敦氏は、巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の真実など、調査の進展で明らかになった日本史の新事実を披露。
「教科書に載せたい日本史」巌流島の戦いに、宮本武蔵が、遅刻したというのは嘘。 関ヶ原で西軍につき、大坂の陣では豊臣についたのに落ち武者狩りから逃れた運のよさ >>200
>吉川ってなに?
昭和の小説家。
一般的日本人には奴の小説で、岡山生れだとか、小次郎が武蔵より若いとか
それまでとは異なったイメージを植え付けられている。
あくまで小説なのに、史実と勘違いされている事が多い。
お通も又八も彼の創作キャラ。
平田無二斎と宮本無二之助は別人ですが何か?by綿谷雪
>>204 未だ分からないというのが現状
>>203 存在したことは間違いない。
細川氏家臣の沼田氏が寛文12年(1672年)に編集した文書『沼田家記』に
無二の子、武蔵が慶長18年(1613年)頃に行った巌流島決闘の記述があり、
ここに無二が登場する。巌流島決闘で武蔵側が一対一の約定を違え、
武蔵の弟子達が巌流島で小次郎を撲殺。
怒った小次郎の弟子達の追撃から武蔵が遁走、
当時門司城代を勤めた沼田延元に保護を願い、
沼田延元は武蔵を城内に保護した後、鉄砲隊で警護し、
豊後に居住する無二のところまで送った、との記述である。 >>203
実在の人物だよ
小次郎という名前じゃないけどね
佐々木巌流という人物が実際に武蔵と舟島で決闘したのは事実
ただおじいちゃんだった説が強いけど
当時の書物に齢十八で剣の指南役に〜というくだりがあって
実は七八の七の字が禿て十になったのではと言われてる 今更なんだけど新免武蔵守藤原玄信の武蔵守って勝手に名乗ってたの? あたりめーだ
正式なものだったらむしろ超エリートじゃねーか 東京創元社の短編の賞の受賞作で
巌流島ネタなのがあって
「これこれこういう文献ではこれこれこういうことになっている」てのをずらっと並べて
最後はムリヤリに辻褄のあった真相を推理するんだよ。
犯人がトリックつかったことにしてw
今度、その巌流島ネタも入っている作品集が出るんで
出版社のサイトの作者コメント読んでみたら
「これ書いた後で○○という文献の存在を知ったんだが
それでは巌流島の決闘は××ということになっていて
どうやっても辻褄合わねえよ・・・orz」みたいなことが書いてあってワロタ >>208
逆だよ。
小次郎の通称はいちおう信憑性があるとされてて
むしろ佐々木の姓が疑わしい。芝居ネタともいわれている。
巌流は号なのか流派名なのか判断の分かれるところ。 >>206
武蔵史料の中では「沼田家記」と下関の民間伝承を編纂した「西遊雑記」が恣意的じゃないという意味で
信憑性高そうに思えるけど、どっちも複数で小次郎撲殺説なんだよね
吉岡一門との死闘にしても眉唾っぽいし最強の剣豪と呼ぶにはあまりにも胡散臭すぎる 最強は誰かと言うと結論は出ないだろう。
だから実績で語るなら、柳生宗矩とかだろうね。
戦場でウンコしてたら背中を切られて失神した事がある。 正直
氏名不詳の巌流の某や
すっかり寂れて染物屋に寂れた元室町兵法所より
後世まで伝承された流派の祖になった高田又兵衛や夢想権之助の方が
剣豪的には格上じゃね? ×すっかり寂れて染物屋に寂れた元室町兵法所より
○すっかり寂れて染物屋に鞍替えした元室町兵法所より
あと
地味なところでは塩田流小具足術の塩田浜之助なんかも。
>>209
> 今更なんだけど新免武蔵守藤原玄信の武蔵守って勝手に名乗ってたの?
オリンピックの書にそうあるが、
本人が「守」とまで自称ていたかは不明じゃないの?
ただ、武蔵と名乗っていたのは事実だろう。
いわゆる百官名というやつだな。
これとても、朝廷が本来の機能をしていれば許されるものでもない。
実際、明治維新直後に禁令が出たことがあり、
このとき改名した人が結構いる。 ここではこの本はどう見てますか?
宮本武蔵―「兵法の道」を生きる (岩波新書) 長年の疑問…(突然失礼)
武蔵の父・無二斎が用いたという当理流十手術…
本当に戦国(室町)時代に実在していたんだろうか?
していたとすれば、どの流派から派生したんだろうか…
個人的には…当理流ではなく、香取(神道)流の当て字…と疑っている。
(香取神道流に二刀の技がある…ただそれだけの理由で…事実上根拠なし) 武蔵は強いわ。五輪の書の一部分だけ真似しただけで調子良いもん 佐々木の爺さんを木刀でフルボッコにした極悪人のスレはここですか? 武蔵二人説が一番有力だっけ?
芸術家と剣術で二人で一人の創作人物 後年の武蔵は食い扶持に困らなくなったから
俗世を離れた芸術家として目覚めてもおかしくない
案外、公家とかと同様の境地かとw 宮本武蔵は乱世を彷徨ってはいない。
事実を捻じ曲げるCMはなんとかならんのか。 集団生活している以上は、国民全員を一人きりで幸せにしてあげられないのならば、人間一人だけ強いなんて事はないし、蹴落とされます。武蔵さんも例外じゃない。強い奴も世の中沢山います。ただおまえらも俺も最低だ ところでニ天一流って槍や長刀も扱ってたのかな?
大坂の陣で長刀を使ってたという記述もあるし、
武蔵個人は使えたんじゃないかとは思うんだが、流派としてはどうなんだろ? 武蔵は勝てる相手としか勝負しなかったと本で読んだ記憶がある。ヒクソン グレイシーと同じやな 宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-【押井守・脚本】
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/animovie/1245514011/
↑の映画によると、武蔵は馬上戦闘を想定して二刀流にしたそうな。
で、彼自身は馬を使う武将・軍師を目指していたそうな。